ソードアート・オンライン《かさなる手、つながる想い》   作:ほしな まつり

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新生《浮遊城アインクラッド》でフロアボスの攻略戦に挑んだ後のお話です。
階層は二十層より少し前あたりでしょうか……。


分かち合う息

シルフ領のNPCレストラン内で片隅のテーブル席に陣取り、注文したドリンクが

テーブルに置かれた途端それまで会話もなく互いの顔さえ見ずにうなだれていた三人は、

無言のまま申し合わせたようにグラスに手を伸ばしてその中身を一気にあおった。

いち早く中身を空にした火妖精のクラインが「ぷはーっ」と胸のつかえまで吐き出す勢いで

息を押し出す。

続いて少し間をあけてから残りの二人も同じように「はふぅっ」「はあぁっ」と息を

ついてから空にしたグラスをテーブルに置いた。

再び三人の間に沈黙が訪れる。

しかし空になったグラスを半眼で睨み付けていた工匠妖精の鍛冶職人リズベットが珍しく

気弱な声で口火を切ってその空気を破った。

 

「一体なんだったのよ、今回の攻略は……」

「ホントです……何て言うか……その……」

 

同じように困惑の色を濃くしながらケット・シー特有の大きな耳を垂れ下げ、猫妖精の

シリカが言葉を探す。

それを受けて一番の年長者であるクラインはウンウンと頷いてから徐に口を開いた。

 

「こう言っちゃ申し訳ないが……やりにくかったよなぁ」

 

その発言に二人もゆっくりと頷いた。

そうなのだ、一言で言えばさっきまで挑戦していた新生『浮遊城アインクラッド』のフロア

ボス戦はとてつもなくやりづらかった、と表現するしかない。

モンスターの形状や特性が、ではなく攻略に挑んだ集団戦が、だ。

大規模ギルドでなくても少数のパーティーメンバーや小規模ギルドが複数で組んでボス

モンスターに挑戦するのは、フロアボス攻略法のひとつである。それに倣い今回はキリトを

筆頭にリーファ、クライン、リズベット、シリカ、シノンの六人が他のギルドから声をかけられ

今現在未攻略のフロアボスに挑んだわけなのだが……珍しくアスナが不参加だったのは攻略日と

決めた日時に前々から《現実世界》で予定が入っていたからだ。

そうなるとこちらのメンバーにヒーラーが不在となってしまうが、そこは他のギルドにある程度の

人数がいる、という事でさして問題にはならなかった。

ところが、である……いざボス部屋でボスと戦い始めてそれが致命的な過誤だった事が判明した

のだ。他のギルド所属のヒーラーと、既に当たり前のようになっているアスナからのバック

アップの差違があまりにも大きすぎて戸惑いしか生まれず、結局、キリト側は誰一人として戦いに

集中できない事態に陥り、ボスの攻略はHPバー最後の一本を半分程までは削り取るに至った

ものの残念ながら倒すには及ばなかった。

 

「気づかないうちに、私達すっかりアスナに甘えてたのね」

 

珍しくしおらしい態度でリズがうなだれると、クラインも同意を示す。

 

「……そうかもなぁ……俺、ボス部屋に入る前、集合場所で向こうの連中とちょっと話したんだ

けどよ、あちらさん今回の攻略でアスナさんと一緒に戦えるって結構楽しみにしてたみたいで」

「ああ、そうでしょうね。有名人って事もあるだろうけど『旧SAO帰還者』だったら《あの

時》は最前線の攻略組レベルでないと共同戦線なんて張れなかったんだし」

「まあ戦う以外にも男連中は近くで拝めるだとか、あわよくば声をかけようなんて諸々の思惑も

あったらしいんだが、アスナさんが不参加なのは士気を下げるとかでギリギリまで黙ってて

くれって釘刺されてたからなぁ。色んな意味をひっくるめてそのヤロー共のワクワクと

ガッカリが同じギルドの女性ヒーラーさんのご機嫌を損ねたらしくて……」

 

クラインからの情報に同じ女性として納得の渋い表情をしたリズは頷いている途中ではた、と

動きを止めた。

 

「……えっ、まさか、そのヒーラーって……」

「おうよ、今回のヒーラー達を仕切ってた、あのちょっと気の強そうな……」

「あああぁぁぁ」

 

先刻まで戦っていたボス部屋のフロア後方でヒーラー達に指示を飛ばしていた妙に高い声の

プレイヤーを思い浮かべ、リズは全身の力が一気に抜け落ちる。

 

「それがヒャクパー原因ってわけじゃねえだろうけど、俺達がやりづらかったんだからよ……

キリの字がああなるのも……まあ、わかるっつーか、仕方ねえっつーか……」

 

攻略戦のキリトの様子を思い出した三人は一斉に奈落の底に頭から突っ込む勢いで頭をカクンと

落とした。

まず最初に這い上がってきたのはシリカだ。

 

「それでも、あんなキリトさん、初めて見ました」

「だよなぁ……」

 

しかし今回の原因を初顔合わせのヒーラーひとりに押し付けるのも申し訳ない気がしてリズが

フォローを入れる。

 

「でも、あのヒーラーに意地悪されたわけでも、特に下手だったってわけでもなかったわよ。

私達にだってちゃんと回復魔法かけてくれたし」

「まあ、そうなんだけどよ。あんなやたらめったら……タイミングっつーもんがあるだろうがよ。

あれは絶対にアスナさんへの対抗意識が入ってたぜ」

「……それは……私も少し疑ったけど……こっちもアスナのサポートに慣れすぎてて、タイプの

違うヒーラーに戸惑ったってのもちょっとはあるんじゃない?」

 

リズが懸命に絞り出した可能性にクラインは腕組みをして少し考え込んでから無情にも否を

唱えた。

 

「うーん、他所(よそ)様のヒーラーさんを悪く言う気はねえけど、やっぱりアスナさんは

単純にレベルだけじゃなくてヒーラーセンスも高いんだよなぁ」

 

クラインの見解に首を傾げたのはシリカだ。

 

「どういう意味ですか?」

「だから前に組んだことのあるパーティーメンバーが驚いたように言ってたんだよ。アスナ

さんのバックアップだとすげぇやりやすいって。そん時のヒーラーは男だったけど勉強に

なったって言ってたくらいだから、やっぱ根本的に今回のヒーラーさんとは格が違うっつーか

……そーゆー事なんじゃねえか?」

 

数字化されたレベルの格差ならいざ知らず、センスの問題となってくると今ひとつピンとこない

のか、リズはクラインの話が進むと共に徐々に寄ってしまった眉をピョンッと跳ね上げて、イスの

背にもたれながら大きく伸びをする。

 

「とにかくっ、今日の攻略、無駄に疲れた感しかないわ。シノンは早々にログアウトしちゃうし」

「そうですねー……でも今回の戦いでボスの情報はかなり詳しくわかりましたから次こそは

倒せるんじゃないですか?」

「次があれば、よね。解散する時は、また同じメンツでやろうなんて言ってたけど……キリト、

返事してなかったし」

「アスナさんが参加してくれれば大丈夫なんじゃ……」

 

シリカの素直な意見にクラインが再び「うーん」と唸った。

 

「それはそれで向こうのヒーラーさんと上手く連携とれるか……アスナさんが大変なんじゃ

ねえか?」

「まあ、その辺は、あの子、うまく立ち回れると思うわ」

 

クラインの心配そうな表情を見て、リズがニヤリと口角を上げる。

伊達に親友を自負してはいないのだ、とばかりに確信を示して胸を張る姿に信頼を寄せて

クラインも安心したように顔を緩ませた。

 

「どこまでもハイスペックな人だな」

「『血盟騎士団』のサブリーダーを勤めてた頃も人間関係には苦労してたもの。私は愚痴

聞いてあげるくらいしか出来なかったけど……キリトも少しは人間関係で苦労しろって話よね。

気持ちは分かるけど、あの態度はないわー」

「何言われても最低限の返事しかしてませんでしたよね」

「シノンの無言の圧もハンパなかったしよぅ」

 

普段から口数が多いとは言えない二人が不機嫌さも露わにほぼ無言を貫いた場面を思い浮かべ、

残りの自分達がどれほど気を遣ったかも同時に脳裏に再現されて全員が一様に半眼となった。

しかし、その時の相手の反応から思いついた憶測をシリカが目の前の二人に明るく告げる。

 

「でも相手のギルドリーダーさんはボスが倒せなかったせいだと思ってたみたいですから、

やっぱりあのヒーラーさんは普段からあんな感じなんですよっ」

「要するに、お使い系かなんかのゆるいクエストならまだしも、ボス攻略戦ではアスナさんは

絶対はずせねーって事がよーくわかったぜ」

「特にキリトさんにとって、ですね……」

 

シリカの言葉に痛感の思いでクラインが深く首肯した後、リズが店の戸口へ視線を漂わせた。

 

「それにしても、リーファ遅いわね。つかまらないのかしら?」

 

その声が聞こえたかのようなタイミングで新たな客が店内に入ってくる。いや、飛び込んで来た、

と言った方がいいくらい勢いよくやってきた風妖精族の少女は、トンッと軽やかに靴音を

ならして急制動をかけるとトレードマークとも言えるサフランイエローのポニーテールを跳ね

かせながらキョロキョロと店内を見回した。

すぐに彼女の存在に気づいたリズが片手を振って「リーファ!」と名を呼ぶ。

その声に安心したように肩の力を抜くとリーファは急いで三人の待つテーブルへと足を運んだ。

 

「お待たせしました」

 

リーファが四人掛けテーブルの最後の席を埋めた途端、彼女を含めた女性三人がかしましく

喋り始める。

 

「で?、アスナはつかまったの?」

「はい、ちょうど帰宅したところだったみたいで。お疲れのところ申し訳ないなぁ、と思ったん

ですけど……」

「しょうがないわよ。キリトがあれじゃあ。もうアスナを引っ張り出すしかないでしょ」

「なんですよねー。スミマセン我が兄ながら面倒なヒトで。私もあのままログアウトして同じ

屋根の下にいるのは耐えられそうになくって」

「これでいつものキリトさんに戻ってくれるといいですね」

「ホント、そうよねー」

「あの……私、まだ大人数の攻略戦ってよくわからないんで、いつもキリトくんの指示頼み

なんですけど、そんなに今日のギルドさん達って連携取りづらかったですか?」

 

どうやら一旦ログアウトしてアスナと連絡を取って来たらしいリーファは状況を説明しながら

ドリンクを注文した後、今回の戦いについて素直な疑問を口にした。

それに返答したのはそれまで傍観していたクラインだ。

 

「いやぁ、特に別段今日のメンバーがダメだったって事はねーよ。全員そこそこレベルは

あったし構成も偏ってなかったしな。強いて言うなら……だ、キリの字とアスナさん、あの

二人のシンクロ率がハンパなさすぎなんだよ」

「それって、どういう?」

「少し前に《ALO》で『風林火山』の連中とクエストに挑んだんだけどよ、二人に助っ人

頼んだ時なんかすごかったぜ。HPを半分以上持っていかれるの承知で接近戦に持ち込んだ

キリトが大技を繰り出せば、そのタイミングにピタリと合わせてアスナさんは回復魔法かける

しよ。最後はキリトが切り込んだと思ったらいつの間にか前線にまで上がってきてたアスナ

さんとアイコンタクトもとらずにスイッチしてたしなぁ。ありゃあもうシンクロっつーより

フュージョンだろ」

 

その時の二人の姿を思い出したクラインは見てはなけないレベルの物を見てしまったかのように

両手で自らの腕を抱いて身震いをした。

 

「うわーっ、それはちょっと想像を絶しますね」

「まあ、さすがに新生アインクラッドのボス攻略には大人数で挑むからそこまでのコンビネー

ションは必要ねーんで、二人とも団体での戦いを楽しんでるみたいだけどよ……それでも、

やっぱりここぞ、と言う時に自分の後ろを預けることが出来るのは一人だけなんだって事が、

アイツも今回の戦いでよーく身に染みたんじゃねえか?、それと今までどんだけアスナさんが

頑張ってくれてたかってのがよ、うんうん」

 

不出来な弟子を諭すように上から目線で説き、最後に大仰に頷いてみせたクラインに向け、

矢継ぎ早に女子からの反論が降ってくる。

 

「それ、私達だってキリトのこと言えないわよね、クライン」

「そうですよ、クラインさん」

「どちらかと言えばキリトくんよりクラインさんの方がアスナさんのお世話になってる気が

するんですが……」

 

三方からのジト目に囲まれてクラインが全身を縮こませてつつも反論を試みた。

 

「へっ?、まあ、ほら、あれだ、アスナさんの有り難みが実感できたって事で今回はよかった

よなぁ、よかった、よかった」

「よくないっ」

「よくないですよっ」

「よくなんかありませんっ」

 

三対一の不利な戦況下で否が応にも己の失言を自覚したクラインが白旗を揚げようとしている頃、

キリトの元には「バーサクヒーラー」の二つ名を持つ水妖精が訪れていた。

 

 

 

 

 

常ならば《イグドラシル・シティ》の最上階に位置する寝室からは気象条件はもちろん、時間帯に

よっても様々な景色が堪能できる。プレイヤールームを借りようと幾つかの部屋を下見した時、

キリトにすれば窓からの景観などさほど重要でもなかったが、もう一人の共同借り主がここからの

眺めをいたく気に入り、ヘイゼルをキラキラと輝かせた段階で安いとは言いがたい家賃さえも

「どうにかなるだろ」という言葉を口にしていた。

だが、今のキリトにはそんな風景を楽しむ余裕など更々なく、ベッドに腰掛けたまま両手を真横に

伸ばして後ろに倒れ込み、全身の力が抜けた状態で瞳だけをギュッと瞑っている。

一体どのくらいの時間そうしていただろうか、常に頭に浮かんでくるのは今日のフロアボスとの

戦いの事ばかりだった。

 

「はぁーっ」

 

思い出しては溜め息を吐く、それを何回か繰り返した時だ。寝室の扉がシュッと微かな開閉の音を

立てる。既にキリトは室内のベッドの上にいるのだから、その扉が反応する人物はあと一人しか

いない。コト、コト、と落ち着いた足音と共に近づいてくる衣擦れの音を聞いてキリトは先刻

までの溜め息とは比べものにならないくらい細く吐息を漏らす。

自分のすぐ傍で音が止んだのを耳で感じてから、それでも瞼はきつく閉じたまま僅かに眉間に皺を

寄せ不機嫌な声音で尋ねた。

 

「リーファか?、それともリズが連絡した?」

 

ゆっくりと傍らのベッドが沈む。

気配が更に近づいてきて、そっとキリトの前髪と額に細い指先が触れた。歪んだ眉がピクッと

震えるが、そのまま髪を梳くように指の感触が移動する。ひととおり前髪を整え終わったのか、

指が離れていくのを感じた途端、思わず瞼を上げて目の前から去っていく細い手首を捕まえて

いた。

 

「アスナ……」

 

名を呼ばれたアスナはベッドの上にちょこんと正座をしたまま別段驚いた風でもなく、ふんわりと

笑っている。

 

「兄さんにエスコートされたパーティーからさっき帰ってきたの。私、ああいう場所はやっぱり

苦手。気分転換したくてログインしたらキリトくんに会えてよかった」

 

さも偶然を喜んでいると言いたげなアスナの言葉を聞いてキリトは不機嫌そうな表情もそのままで

上体を起こした。

掴んでいた手首に視線を落としてからゆっくりと顔を上げ、もう一度「アスナ」と彼女の名を

囁く。その声の中に戸惑いと苛立ちを感じ取ってアスナはじっとキリトの次の行動を待った。

だがキリトは再び俯いてアスナからの視線を避け、掴んでいた恋人の左手首へと目線を落として

彼女が出席したパーティーの話題を口にする。

 

「浩一郎さんだって彰三氏の名代だったんだろ?」

「うん、どっちにしろ私をエスコートして出席することになってたけど……兄さんが早くお相手を

見つけてくれれば、少しは私の出番が減るのになぁ……」

「こんな可愛い妹がいたら、それは難しいんじゃないのか?」

「可愛いなんて思ってるかしら……あっ、そっか、キリトくんは、そうだもんね」

 

言われている意味が理解できず、思わず顔を上げる。

 

「そう、って……?」

「リーファちゃん、兄としては可愛い妹でしょう?」

 

純粋な笑顔で言われ、ますます眉間の皺が深くなった。

 

「……オレのフォローの為に疲れているアスナを担ぎ出すようなヤツは可愛いって言うより

困った妹だろ」

「ホントは可愛いくせに……もう、素直じゃないんだから」

 

「それに……」と言葉を続けながらアスナは自分の手首を拘束しているぬくもりからするりと

抜けだし、逆にすぐさまキリトの手をギュッと握る。

 

「気分転換にログインしようと思っていたのは本当だよ」

 

惜しみなく自分に向けられる大好きなほわんほわんとした笑顔も今だけは直視出来ず顔を

背ければ、気づいたアスナが拗ねたように口を尖らせた。

 

「キリトくん?」

 

呼びかけに無反応な恋人の態度に困ったように息を軽く吐き出し、自分を見ようとしない

その横顔へ静かに声をかける。

 

「私……傍に居ない方が、いい?」

 

キリトの肩が一瞬跳ねたが、それだけだった。

 

「……リビングにいってるね」

 

少し淋しげに微笑みながら繋いでいた手の力が緩まりアスナの温もりが離れていく、と

考えるよりも先にキリトはそのぬくもりを自らの手で引き戻していた。後から意識が

追いついて、己の所業に呆れたように歪んだ笑みを浮かべ、ジッとその手を見つめてから

小さく漏らす。

 

「ごめん、アスナ」

「……謝ってもらうようなこと、何もないよ」

 

離さずにいてくれた手が嬉しくてアスナもそっと握り返す。

そのぬくもりに後押しされたようにキリトは細くて白い手を見つめたまま口を開いた。

 

「何度も思った、アスナがいてくれたら、って」

「それって……」

「今夜のフロアボスの攻略戦」

 

掴んでいる手をそっと引き寄せて自分の両手で包み込む。アスナも座り直してキリトの傍に

腰を寄せた。

 

「こんな時、アスナならそんな指示はしない……アスナだったらとっくに動いてる……

そんな事ばかりが頭に浮かんで全然集中できなかった」

「キリトくん……」

「アスナはいつもオレの攻防を先読みしてるだろ。それが当たり前になってたから、今回、

思い通りに動けない自分にイラついて、他のギルドのヒーラーにもイラついて、クライン達

との連携も全然上手くとれなくて……」

 

吐き出されるような言葉は一度口にしてしまえば次から次へと喉を上がってくる。

 

「……とにかく最悪だった。あれが昔のアインクラッドだったらオレは死んでたかもな……

思い知ったよ、作戦を立案できて、更にそれを遂行できる人間が完全にバックアップに回って

くれることが、どういう事なのかって……」

 

キリトは自分の手中のほっそりとした手の感触を愛おしむように指で撫で続けた。

 

「こんな風に近くにいなくてもアスナと一緒に戦っていると怖いくらいに感覚が同期してる

時がある。見なくても誰の為に詠唱してるのかがわかるし、そうすると視界に入れなくても

周りのプレーヤーの状態が把握できて自然と次の行動が見えてくるって言うか……うわっ」

 

そこまで言うと、今まで静かにキリトの言葉に耳を傾けていたアスナが堪らずにキリトの手から

抜け出して、両腕を目の前の恋人の首に巻き付ける。

 

「アッ、アスナ?」

「ごめんなさい……けど……嬉しいんだもん……『あの城』でずっとソロだったキリトくんが

そんなに必要としてくれてるなんて……」

「あのなぁ……アスナが言ったんだろ『私とパーティー組みなさい』って。あの時からオレは

自分がソロだと思ったことなんかないぞ」

 

ギュッと抱きついて離れない恋人の背中に片手を添え、キリトはもう片方の手で自分の肩にある

彼女の頭をポンポンと軽く叩いた。

 

「ホントに、どうしてくれる……『あの城』でアスナがオレのパートナーになって以来、今じゃ

傍にいてくれないと、肝心のボス戦さえまともに戦えなくなってる」

 

困ったように笑いながら、そう吐露する自嘲気味の様子に自分自身への不甲斐なさが伺える。

その言葉をすぐ横で聞いていたアスナは自然と綻ぶ口元から今まで故意に話していなかった

過去を告白した。

 

「私だって、随分前だけど『血盟騎士団』で一緒だった子に《ALO》でヒーラーの助っ人を

頼まれたことがあって……」

 

初耳の出来事に少し目を丸くしたキリトが続きを促す。

 

「へぇ……で?」

「もう後ろで見ていられなくなって……気づいた時にはレイピア握ってLA取ってたの……」

 

「プッ」と小さく吹き出した声がすぐ傍からあがったかと思うと、自分の顔が乗っている肩が

プルプルと震えだした。

アスナはパッと顔を上げて、恥ずかしさから染まった頬もそのままに再び唇を尖らせる。

 

「もうっ、笑わないでっ……随分反省したんだから……あれから助っ人の話は受けないことにして

るし……だから、もうそんな事はありませんっ」

 

羞恥の色に加えて決意の興奮も混ざって更に顔全体を赤くしながら言い切るアスナを見るキリトの

目は、徐々に穏やかさを取り戻している。茶化すように口ぶりも軽くなっていた。

 

「少し前にクラインの助っ人、したじゃないか」

「だって、あの時はキリトくんが一緒だったもん。私一人だったらやらないよ」

「だからか……時々、なんか意味ありげに『専属のヒーラーがいて羨ましい』みたいな事、

言われるぞ」

「キリトくんの『専属』?」

「そうだな、少なくともオレは他のヒーラーとじゃ無理だろ」

「うんっ」

 

声を弾ませてもう一度キリトの頬へ自分のそれをすり寄せる。それに応えるようにキリトも

腕の中に細い身体を閉じ込めてサラサラとしなやかなアトランティコブルーの髪ごと

しっかりと抱きしめた。

「んっ」と少し苦しげに鼻から抜ける声がして力が強すぎたのかと慌てて抱擁の手を緩めてから

軽く息を吐き出し、彼女の耳元に囁く。

 

「……本当は……すごくアスナに会いたかった……ゴメン、疲れてるのに」

「大丈夫……こうしてるとパーティーの疲れもどこかにいっちゃいそう」

 

甘えた声で自分を受け入れてくれる恋人に、やっとキリトの表情も緩んで腕の中にあるアスナの

髪をひたすらに撫でる。

 

「戦いの時だけじゃなくても、オレはアスナがいないとダメだな」

「ふふっ、私だってそうだよ」

「アスナを寄越したってことは、あいつらにもバレバレなんだろうし」

「リーファちゃんにクラインさんとリズ?」

「シノンは入ってないのか?」

「シノノンはきっともう一人でログアウトしてると思う……ちょっとキリトくんと似てるもの。

一人で抱え込みそうだから、明日にでも連絡してみるね」

「……結局、全員、アスナにフォローされるってわけか」

「話を聞くなら今回参戦していなかった私が適任でしょ」

「だいたいアスナが参戦してたら、こんな事にはならなかっただろうけどな」

「……そんなに、ひどかったの?」

 

キリトの首に腕を回したまま、少し顔を離して目線を合わせれば、居心地の悪そうな表情の

キリトがしばしの逡巡の末ボソリと漏らした。

 

「……忘れた」

「えっ?……忘れたって……」

「だから、もう忘れたっ」

「きゃっ!」

 

これ以上その話はしないとばかりに言い切って抱きしめていたアスナごと、巻き込むように

ベッドへと横倒しになる。いきなりの行動に慌てふためいたアスナは思わず目を瞑って

しまったが、キリトにがっちりとホールドされていた為たいした衝撃も感じることなく、

目を開けてみればベッドの上で横向きに顔を合わせ唇が触れ合いそうな距離でキリトが自分を

見つめていた。

突然の事に思考が止まったままでいると、ぺろんっ、と鼻の頭を舐め上げられる。

 

「ひゃっ」

 

無意識に肩をすぼませようと顎を引けば、更に前髪の間からのぞくおでこを舐められた。

 

「キッ、キリトくんっ」

「ん?、アスナ、目、閉じて……」

「ふゃっ」

 

言われた言葉の意味を理解するより先に視界いっぱいにキリトが迫ってきて、反射的に瞼を

おろせばそこにも柔らかな舌の感触がもたらされる。

 

「なななっ、なにっ?」

 

返事の代わりにすぐさまもう片方の瞼も舐められ、目を開くタイミングが計れないアスナは軽く

パニックに陥りながら身体を強張らせていた。視界を塞いでいるせいでキリトの次の行動が予測

できない。戦闘時ならばその後ろ姿を目にしているだけで彼が見ている物や何を考えているのかが

自分にもわかる気がするというのに、今は彼の舌が次はどこに触れてくるのかと、うずうずとした

期待と不安の混ざった不思議な不安定感に支配されていた。

瞳を固く瞑っていると次はほんわかとした柔らかい感触が片頬に押し付けられる。

ホッと気を抜いてゆっくりと瞼を押し上げれば、そこには目を閉じたキリトが軽く開けたままの

口を密着させていた。頬に唇を付けたまま、やはり舌を使って猫が水を飲むような仕草で何度も

舐めてくる。

 

「ふっ……ううっ……キ、キリトくん、くすぐったい」

 

少しの間、我慢していたアスナだったが、まるで動物に舐められているような感触に耐えられなく

なり身をよじるとキリトが頬から口を離し、真っ黒な瞳を向けてきた。

 

「もう少し……」

 

言うやいなや反対側の頬にも食むように唇を押し付け、舌で溶かすようにゆっくりと舐める。

これは気の済むようにさせてあげるしかないのかしら、とこそばゆさから顔全体をうっすらと

染めてぷるぷると身体を震わせていると、やっと頬からキリトの感触が消えた。

やれやれと脱力したのも束の間、最後は一番敏感な唇にしっとりと湿ったキリトの舌が覆い

被さってくる。

 

「んんっ」

 

アイスでも食べているように何度も何度も舐められ、本当に溶けてしまうのではないかと思った

時だ、ふと見れば穏やかな色だったキリトの瞳が仄暗い飢えた黒に変わっていた。

その色で見つめられると頭でうまく物事が考えられない。

気持ちが抑えきれなくなる。

その証拠にキリトから小さく「舌、だして」と請われれば、躊躇いもなく薄く唇を開きおずおずと

自分のそれを彼に向けていた。舌先のみでアスナの唇に触れていたキリトが自分の唇を押し付け、

差し出された舌を一心に味わってくる。

しばらくは今までと同様にぺろり、ぺろりと舌を往復させていたが、次第にアスナの舌を絡める

ような動きに変わり、更に唇のすき間から舌に沿って口内へと侵入してきた。

その頃になるとアスナの表情もすっかり惚けてしまい、押し返すことも逃げることもできず

互いのそれを深く交じ合わせている。

絡まりをほどいたキリトは口内で丹念にアスナの舌を裏からも側面からも舐め取ると、ようやく

彼女を解放した。

『現実世界』で激しい口づけをされた時のように息苦しさを生みだしてしまった感覚を鎮めて

アスナは未だ強く自分を抱きしめているキリトにコツンとおでこをくっつける。

 

「……一体どうしたの?」

「あー……なんかもの凄くアスナを補給したくなって……」

「なにそれ」

「アスナだって、時々オレの顔にすり寄ってくる時、あるだろ」

「あっ、あるけどっ、あれは……その、なんか……安心するんだもん…………もしかしてイヤ、

だった?」

 

恐る恐る窺うような声を出せば、そんなアスナを安心させるかのようにキリトは接している

額をぐりぐりと左右に擦らせて否定の意を表した。

 

「別に、オレも気持ち良いから構わないよ……だから、それと同じような感じで……」

「私の、あんなに激しくないよ」

「それだけ今日、アスナがいなかった分は大きかったってことで」

「もうっ」

 

不可抗力をひたすらに押し通してくるキリトの言葉を聞いて眉尻がだんだんと下がってくる。

ここで許してしまうから以前と比べてどんどんとキリトの態度がエスカレートしてしまうの

だとわかってはいるのだが、戸惑いながらも拒めない自分に困惑してアスナは全てを思いを

合わせ、大きく一息吐き出した。

その吐息の意味を何と理解したのか、キリトは腕の中に閉じ込めていたアトランティコブルーの

髪をあやすように撫で始める。片腕とはいえ未だキツくアスナの身体を抱え、もう片方の手と

額はしっかりと前後からアスナの頭部を固定してすっかり密着した状態でキリトも深く息を吐く。

 

「はぁーっ……なんか今日はすっごく疲れた」

「キリトくん?」

「で、こうしてると……すっごく気持ちよくて……」

「……」

「……オレも……安心でき……る……」

「……」

「……」

「……キリトくん?…………ウソ……寝ちゃって……る?」

 

僅かにアスナの顔が強張った。

自分の傍で心やすくしてくれるのは素直に嬉しい。

嬉しいが、この体勢はかなり困った状況になっている。

なぜかと言えば最近のキリトは益々筋力値を上げているらしいのだ。

本人からは特に何も聞いていないが、またこっそりと新しいソードスキルの練習でもしている

のではないか、とアスナは思っている。

とにかく、軽く抱きしめられただけでも以前より強い圧迫感を感じるのだが、自然と漏れて

しまう吐息でキリトが察してくれるので今までは問題なかった。

しかし今現在、キリトはしっかりとアスナを抱きしめたまま寝入っている。

苦しさを覚えるほどではないが、腕の中から抜け出すことはもちろん、ウィンドウを開くために

自分の腕を振り上げることすら出来ない。

しかも《現実世界》の身体はパーティーでくたくたに疲れており、こうやってキリトの腕の中に

収まっている居心地の良さは自らも急速に睡魔を呼びよせる。

このまま寝入ってしまっては、明日の朝、二人して寝過ごしてしまう可能性はかなり高いに

違いないと判断をして、未だ額をくっつけたままで寝てしまったキリトの表情に向けて、困った

ように微笑んだ。軽く開いたままになっている唇に自分の唇をそっと寄せて「お返し」の意味を

込めてさらりと彼の唇を舐めてから小声で「おやすみない」と告げる。

そうしてから、この状態を見られるのは心底恥ずかしいのだが、同時に自分の呼びかけだけで

反応してくれる愛娘にこの窮地を救ってもらうべく、彼女の名を口にするために頬を赤らめ

ながらもアスナは薄い唇を動かしたのだった。

 

 

 

 

 

アスナの声に反応して出現した黄金色に輝く数多の光粒がキュッとひとつに凝縮した途端パッと

はじけて、たった今生まれ落ちたように無垢な笑顔のユイが現れた。

 

「こんばんは、ママ」

 

まず人と会ったら挨拶を、の約束をきちんと守っているユイは出現したと同時に両親の状態を

視認しているが、そのままでも問題はないと判断してキリトにがんじがらめにされているアスナに

向け満点の微笑みを向ける。

 

「こ、こんばんは、ユイちゃん」

 

見事に自分達の状況をスルーされるのも辛いものがあるようで、アスナは少々引きつった笑顔で

挨拶を返した。挨拶が終わるとユイはふわりっと旋回して、アスナの額に近づき、密着している

キリトの顔を覗き込む。

 

「パパは……寝てるんですね」

 

ここ《ALO》での愛娘から見たキリトの行動パターンは大きく分けてみっつ。

『戦っているか、食べているか、寝ているか』なのだそうだから、この状態は極めて平常なの

だろう。いや、僅かな表情の差違さえも読み取ることを得意とする元カウンセリング用AIの

ユイとしては、アスナが傍にいる時のキリトの寝顔は平常以上に安らぎを得ているのは確かで、

それを踏まえれば極上の状態であると言っていい。

 

「攻略戦を終えてから随分と不安定でしたが、今は完全にリラックス状態です」

 

キリトのメンタル数値をチェックしたと思われるユイが安心したような表情を浮かべてから、

アスナの顔全体を見下ろせる位置に移動した。

 

「それで、どうしたんですか?、ママ」

 

どうやらユイにとってはキリトとアスナがどういう状態で触れ合っていても、それは両親が

仲の良い証拠としか映らないようだ。

親と自負している自分が娘の前で現状を晒すことにとてつもない羞恥を抱えていたアスナだった

が、何の戸惑いも窺わせないユイからの質問にそれはそれで困惑してしまう。

しかし今更この状況は自分が望んだわけではない、などと言い訳じみた訴えをしても意味はなく、

アスナとしてもキリトの抱擁を拒んでもいないし、むしろ自分から抱きついた自覚はあるので

ユイが説明を求めてこないならば、と自らもこうなった経緯などはスルーすることに決めて

肝心の用件に入った。

 

「あのね、ユイちゃん。キリトくんも寝ちゃってるし、私はこの通り全く動けないからウィン

ドウを出してアラームをセットする事も出来ないの。だから申し訳ないんだけど、明日の朝、

私達を起こしてくれる?」

「はい、わかりました。パパ、今日の戦闘で随分無理をしてたから疲れちゃったんですね」

 

目覚まし時計代わりの失礼なお願いを快く引き受けてくれたユイはひらりとキリトの顔に

近づいて、いつもアスナがするように黒い前髪を愛おしそうにそっと撫でる。

それを至近距離で見つめていたアスナが少し苦しげな表情でユイに問いかけた。

 

「やっぱり……今日の戦い、大変だった?」

 

アスナの言葉に振り返ったユイは再びキリトの顔の上空に移動して大きく頷く。

 

「はい、パパったら戦闘中、合計三十二回も舌打ちをして、二十九回も後方を振り返っては

眉毛をぎゅぅって寄せて、眉間にこーんな皺を作ってふるふるって頭を振ってました」

 

その時のキリトの表情の再現を試みたユイが自分の眉間に手を当てて深い縦皺を作り出した。

 

「技を繰り出すタイミングも、攻撃をかわすタイミングもいつもよりコンマ二秒反応が遅くて、

そこから次の流れに影響がでて身体的にも精神的にも数値が下がる一方でした。終盤は私の

サポートも耳に入っていなかったようです」

 

ユイからの報告で、これではキリトが「忘れた」と言いたくなるのも頷ける惨状だったらしいと

容易に想像がつく。

そこまで黙って聞いていたアスナがふと思い出したように「あっ」と声を漏らした。

 

「ごめんなさい、ユイちゃん。もしかして攻略データの処理中だった?」

 

《仮想世界》でユイと共に過ごした後、彼女は「眠る」と同義でその日あった出来事の

データ処理を行っている事を今更に思い出したのだ。フロアボスの攻略戦ともなればデータの

量は膨大に違いない。「朝、起こして欲しい」などと小学生のような頼み事の為に自分がその

作業を中断させたのなら、と思うと身勝手さに居たたまれなくなる。

しかし、そんな心配は必要ないと言わんばかりの微笑みでユイはかぶりを振った。

 

「いいえ、ママ。フロアボスのデータ処理は既に終わっています。今はママが一緒にいる時と

いない時のパパの戦闘能力値の違いを計算していました」

「えっ?」

 

予想外の返答にアスナはパチパチと瞬きを繰り返す。

 

「そ……れって……どうゆう……」

「ですから、ママのバックアップの有無でパパの戦闘値が格段に変化するんです。攻撃力、

防御力はもちろん思考力、判断力なども総合するとパパはママがいないと二十四%はダメダメに

なります」

「えっ……そんなに?」

 

以前、コンビを組んで戦っていた時ならまだしも、今は後方支援が主となっている。

多少の影響はあると思っていたが、自分の存在値ともいえる数字の予想外の大きさにアスナは

驚きの声を漏らした。

『オレはアスナがいないとダメだな』……ほんの少し前に自分に耳に情けない口調で伝え

られた言葉を思い返してアスナは思わず頬を赤らめる。

 

「はい、特にメンタル面での数値の低下が著しいですね」

 

ユイはそう言ってからキリトの顔の傍まで来ると頬をツンツンと指でつついて「パパは

ママがいないと、ホントにもう」と言って苦笑いをベースにした困り顔という高度な表情を

浮かべた。

そんな娘の笑顔を見てアスナも思わずふわりと笑みになる。

 

「なら、今度の攻略戦は私も参加しなきゃ、だね」

 

そうしてユイに起床時刻を頼んでから触れ合っている額を更にすり寄せてアスナもゆっくりと

目を閉じた。




お読みいただき、有り難うございました。
アスナがいないとダメダメで、ダメダメになった状態のキリトを引っ張り上げられる
のもアスナだけで……要するに最初から一緒にいなさい、という事ですね。
父親のダメっぷりを冷静に分析する娘……あるあるです(笑)
クリスマスイブの二十一層のフロアボス攻略戦は久々のコンビネーションが
見られて、ちょっと「ぐふふっ」となりました。
では、次回は《現実世界》のお話です。



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