ソードアート・オンライン《かさなる手、つながる想い》 作:ほしな まつり
変更してしまいましたが……今回はそのままサンタクララに明日奈と共に留学したと
仮定した場合のお話です。
二人で留学を終え、帰国して……時間軸的にはこちらに投稿してあります
「【番外編】ふたりの約束(みらい)」の途中になります。
今夜は明日奈を主役として里香、珪子、詩乃、直葉が一つの丸いローテーブルを囲むように
座布団に腰を降ろしている。
場所は都内、独身女性をターゲットとして建てられた小綺麗なアパートで、大学に通うため
一人暮らしを始めた直葉の部屋だ。
一人暮らしと言っても川越の自宅より会社に近いという理由で母の翠がしょっちゅう泊まりに
きている。一人娘を思いやっての行動だろうが、今現在、翠しか住んでいない桐ヶ谷の家に
長い移動時間をかけてまで帰りたいと思えないからでもあるのだろう。
そんなわけで普段なら一人で、もしくは泊まりに来た母と二人で使うには充分な大きさの
テーブルに、今夜ばかりは置ききれないほどの料理が並んでいた。
そして部屋にいる女性全員が思い思いの飲み物を手にした事を確認すると、この場を
仕切る里香が自らのグラスを掲げる。
「では、アスナの帰国と婚約を祝しまして……」
その音頭で里香を含める四人が「カンパーイ」を声を合わせた。
今日の主役の明日奈が「ありがとう」と照れ笑いを浮かべつつ、それぞれにグラスを鳴らす。
ゴクゴクゴクと一気にビールをあおった里香のグラスが一瞬にして空になると、主役である
はずの明日奈が隣からすかさず新たにビールを注いだ。
その手つきを眺めていた里香の瞳が怪しくキラーンッと光る。
「あああ〜、ついに《現実世界》でも左手の薬指にリングをするようになったのねぇ」
その言葉にその場の全員の視線が明日奈の左手に集中した。そこには水妖精アバターの瞳色を
思わせるサファイアがキラキラと幸せの光を放っている。
小粒ではあるが質の良い天然石でロイヤルブルーと呼ばれる深い青だ。
「ううっ……そんなに見ないでよぅ」
思わず頬を赤らめつつ右手で左手を包み込む。
その仕草に詩乃が冷めた視線を送った。
「なら、なんでわざわざ付けてくるの……」
「だって……キリトくんが『虫除け』にいつも付けてろって……」
「あーはいはい、ご馳走様」
「シノノンっ」
たまりかねたように染めた顔のまま詩乃を睨むが、当の詩乃は気にする風でもなく、ごくんっと
グラス内のビールを飲み干す。
早くも数本の缶ビールが空になったのを見て、部屋の主である直葉が「ビール、冷蔵庫から取って
きますね」と立ち上がった。
明日奈と共にアルコール度数の低い柑橘系サワーを飲んでいた珪子が、ほうっ、と頬を緩ませ
ながら溜め息をつく。
「ウンディーネのアスナさんの瞳と同じ色で、ホント綺麗ですねぇ……キリトさんが選んだん
ですか?」
純粋な憧れの視線を薬指に感じ、照れながらも「うん、誕生石でもあるし」と素直に答える
今宵の主役を見て、里香と詩乃も溜め息をついた。
そこにビールを持った直葉が爆弾を投下する。
「お兄ちゃんたらアメリカに留学していた間もアスナさんに指輪付けさせてたんですよー」
「ええーっ!、なにそれ、ホントなのアスナ?」
「う……ん、まあ……」
困ったように笑いながら肯定する明日奈に里香は口を開けたまま唖然としていた。
その時の記憶を思い出したのか直葉が少々興奮気味に言葉を続ける。
「私もサンタクララに遊びに行かせてもらった時、見て、ビックリしました。普通にペアリング
してるんですから。向こうで籍を入れちゃったのかと思って」
「……すごい独占欲ね」
詩乃が低い声で言い放った。それを慌てて否定するように明日奈が両手をパタパタと振る。
「そうじゃないってば……日本人ってやっぱり実年齢より若く見えるみたいで、向こうの大学
校内でやたら声をかけられたのよ。『迷子かな?』とか『一緒についていってあげようか』って。
だからとりあえず左手の薬指に指輪でもすれば、少なくとも校内に迷い込んだ子供には見えない
だろう、って事だったと思うの」
その説明にその場の全員の瞳がやるせない色に変わったのに明日奈は気づかない。
「ああ〜っ」と脱力したように息を吐き出し、里香がうろんげに明日奈に問う。
「アスナ……あんた、それ、本気で言ってる?」
対する明日奈はしごく真面目な面持ちで首を傾げた。そのリアクションに詩乃の目つきが
ますます剣呑なものとなる。仮にそんな馬鹿馬鹿しい理由が本当なら、ペアリングにする
必要がない事は少し考えればわかるでしょう……と視線で訴えてみるが、当の本人はそれ
以外の理由に思い至らないのか「んんー」と言いながら唇を尖らせていた。
「変なところでズレてるのよね、アスナって……キリトも苦労するわね」
「そうなんですよ、アスナさんの自覚が薄いせいか、向こうでのお兄ちゃんときたら、こっちに
いた時よりベッタベタになってて……本人は、アメリカだと普通だって言うんですけど。一緒に
いて本当に目の遣り場に困りましたっ」
え?、そうだったの?、と明日奈は目をパチクリさせている。「言ってよ、直葉ちゃん」と眉尻が
下がったのと同時に詩乃が「結局、独占欲じゃない」と漏らしたのが耳に入り、ますます眉が
ハの字になった。
そんなやりとりを見ていた珪子が苦笑いをしながら直葉に問いかける。
「確か春休みに行ってきたんですよね?」
「うん、最初は初めての海外ってことで一人で行くのにお母さんがあまり良い顔をしなかったん
だけど、あっちの空港までお兄ちゃんが迎えに来てくれたし……ああ、あとね、その年のお正月に
お父さんが帰国してておせちつつきながら、年末年始にお兄ちゃんとアスナさんが帰国しない
のって、アスナさんのお腹が大きくなっちゃってるからだったりしてなー、なんてほろ酔いで
言ったんですよね」
「えええええーっ!」
途端に明日奈が両手で頬をおさえてオロオロと視線を彷徨わせた。と、ほぼ同時に両隣の里香と
詩乃が思わず明日奈のウエストラインを確認する。
「そ、そ、そ、そんなっ、おじさまったら」
「まあ、まあ、落ち着きなさい、アスナ」
別段、体型に変化のないことを確認し、里香は親友を静めようと明日奈の背を軽く叩いた。
「それを完全に真に受けたわけではないと思いますけど、なんかお母さんもその辺りから
前向きになってくれて……。サンタクララの部屋にお邪魔してアスナさんがキッチンに立って
いる間に、お兄ちゃんにその話をしたら絶句してました」
思い出したようにクスクスと笑う直葉の前で明日奈は言葉を失っている。
「あ、大丈夫ですよ、アスナさん。お兄ちゃんにも言いましたけど留学前にうちのお母さんが
妊娠だけは絶対にダメだからって釘刺したこと、信用してなかったわけじゃないですから。
それよりアスナさんに京都の帰省をさせたくなくてお兄ちゃんがアメリカに引き留めたんじゃ
ないかって、そっちを気にしてたんです」
「それは……違うの。あれは逆に私がキリトくんを引き留めてしまったようなもので……」
その説明に今度は里香が首を傾げた。
「どういうこと?」
「うん、私の家は毎年年越しに京都の本家に行くでしょ。でも留学した最初の年はうちの
両親が京都に同行しなくていいって言ってくれて。どうせ留学の内容より海外で男性と同棲
してることで色々言われるに違いないからって」
身内の有り様を恥じるように明日奈は苦笑いをしてから再度口を開く。
「それで、その時は兄が久しぶりに行ける事になって『くだらない話題が出ないくらい俺が
注目を浴びてくるよ』って。だから私は一人で世田谷の家でお留守番をするつもりだったん
だけど、それを知ったキリトくんが『だったら川越のウチに来ればいい』って……」
「当然ね」
「そうですよっ、ウチに来てくれれば良かったのにっ」
ほぼ同時に詩乃と直葉が声を上げる。二人の言葉に嬉しそうな笑顔を浮かべた明日奈だったが
そのままゆるく首を横に振った。
「それはできないよ。京都で両親や兄が親族から好奇の目で見られたり、謂われのない言葉を
受けている時に、原因である私がぬくぬくと大好きな人達に囲まれているなんて……」
「……アスナ」
隣の里香が優しく明日奈の背中をさする。
「世田谷の実家に一人でいるのもダメ、かといって桐ヶ谷のお家にお邪魔も出来ない、『なら
このまま二人でアメリカにいよう』ってキリトくんが言ってくれて……だからキリトくんが
日本に帰れなかったのは私のせいなの」
申し訳ない気持ちでいっぱいになった明日奈が俯いてしまったのを見て、直葉は慌てて「いいん
です」と何度も繰り返した。
「お兄ちゃんの気持ちも、アスナさんの思いもわかりますから……それなのに変な事言ってた
ウチの父がバカなんです」
その言葉を聞いてほんの少し笑顔を取り戻した明日奈だったが、すぐさま直葉に向けて少し首を
傾げる。
「有り難う、直葉ちゃん……でも……確かおじさま、日本に帰国される前にサンタクララに寄って
くださって……その時にちゃんと帰国しない理由をお伝えしたんだけど……それに、私の体型
だって、その時にご覧になってるはずで……」
そこまで口にしてから目の前の直葉の拳がプルプルと震えていることに気づいたのか言葉が
止まった。
「あん……のっ、狸おやじっ……私とお母さんをからかったんだわっ」
言うやいなや直葉は缶ビールのタブをプッシュッとあけるとそのまま一気に中身をあおった。
明日奈は困ったように微笑むと「そんなところはキリトくんと似てるね」と嬉しそうにグラスに
口をつける。
婚約者であるキリトが実は直葉の父と全く血縁がないことはかなり前に本人から打ち明けられて
いたが、それでも父子として育ってきた環境は少なからず影響を与えているのだろう。普段は
遠方の地に赴任している直葉の父なので、なかなか当人に挨拶をする機会もなかったのだが
二人の留学先がアメリカという事で奇しくも留学中は同じ国内に住まう事となった為、度々
仕事の合間を縫っては和人と明日奈の様子見に来てくれていた。
キリトにとって父親の訪問は歓迎すべきものではないらしく「絶対、アスナの手料理目当て
だっ」といつも不機嫌そうな顔をしていたが、家族で食卓を囲む機会の少なかった明日奈に
とって和人の父の来訪は楽しい時間でしかなく……その際に感じた事だが、血の繋がりは
なくとも桐ヶ谷家の父と息子はよく似ていた。
息子をからかう口調も、その為にヘソを曲げてしまった息子を見つめる優しい眼差しも、
ひいては料理の味付けの好みまで。自分の父と兄はこれ程似ていただろうか、と記憶を攫って
しまう程に。そして和人と父親の相似点をひとつ見つける度に明日奈は嬉しくなってしまうのだ。
だから直葉の口から「からかわれた」と聞いた時も思わず頬を緩めてしまったのだが、当の
直葉にしてみればおもしろくないのだろう、唸りながらも立て続けに次の缶ビールを空にする
飲みっぷりを見ると、こちらは母娘の共通点なのかもしれない。
そんな直葉の様子を見て、しばらくは手が付けられないだろうと判断した周囲は、直葉をその
ままに話題を明日奈の婚約へと戻した。
「それにしてもアスナの帰国祝いで集まろうって声をかけた時、リーファから婚約の話を聞いて
ホント、驚いたわよ。だいたいアインクラッドで結婚した時はちゃんと報告してくれたのに、
なんでリアルでは何の連絡もないわけっ?」
少々目の据わった里香からの視線に明日奈が「ごめんねー」と申し訳なさそうに笑う。詩乃も
手にしていたグラスの中身を一気に飲みきって、はぁっ、と息を吐き出すと隣の明日奈に向かい、
不敵な笑みを浮かべた。
「って事は、アイツ、ついにアスナのご両親に頭を下げたってことよね」
「その時、どんなだったんですかっ」
食い気味に問うてきた珪子の瞳がキラキラと輝いている。
二人からの追求の眼差しに明日奈は飲みかけていたサワーが気管に入ったのか、むせながらも
若干頬を引きつらせながら困り笑いを浮かべた。
「ごふっ、どんなって……別に……けふっ、けふっ……普通だよぅ」
涙目で答えてみるが納得してくれる様子は皆無だった。咳き込む明日奈を気遣って里香が背中を
トントンと叩いてくれるが、優しいのはその手だけで表情は全く優しくなっていない。
「普通ってどーゆーのなのよ」
「なら普通でいいから、その普通を聞かせて欲しいわ」
「是非、聞きたいです」
ずずっ、と三人の顔が明日奈の周りに迫ってくる。
その光景に気づいた直葉がニヤリと兄譲りの笑みを浮かべた。
「あっ、あの日ですよねー。お兄ちゃんが珍しく朝からスーツ着て、ガッチガチに緊張してた……」
「ひーっ、キリトがスーツ!、想像しただけで笑えるっ」
大げさにお腹を抱えている里香とは反対に詩乃は静かにプッと吹き出している。
その時の姿を思い返しているのか直葉もにまにまと頬を緩ませていた。
「私も思わず笑っちゃったんですけど、どうしたの?、って聞いても絶対理由を教えて
くれなくて。帰国してすぐだったんで、まさかアスナさんのお宅にご挨拶に行くなんて思わな
かったから、その日はいつも行ってる研修所じゃなくて本社に行くのかなーって思ってたん
ですけどね」
「その頃はまだ家から通ってたの?」
「はい、今は研修所近くの研修者用マンションに居ますけど……でも、夕方帰ってくるなり玄関の
上がり口に座り込んで『ああ、やっとだ……やっと』て呟いてるのが聞こえたから、もしかし
てって思ったんです」
直葉が段々と落ち着きを取り戻してくると、その口から語られる言葉に明日奈が泣き出しそうな
笑みを浮かべる。
「なんだか声もかけられなくて、お兄ちゃんに気づかれないように急いでリビングに入って
お母さんとテレビ見てたら、何でもなかったような顔でお兄ちゃんが『ただいま』って来て、
続けて『アスナと婚約したから』ってさらりと言った時はさすがにウチの母も一瞬固まって
ました」
何事にも動じないタイプの翠にとっても息子からのその報告は随分と前から予期していた事とは
いえ言葉を失うには十分な衝撃だったのだろう。
「アイツらしいわね」と肩をすくめた里香は幸せそうに笑う親友にその肩をすり寄せる。
「なら既に結納も済ませたってこと?」
里香からの問いに軽く明日奈が手を振った。
「うううん、結納は省略しちゃった。だってうちの両親の休みなんて結婚式当日の一日を
合わせるだけでやっとだもん」
「ならその指輪はいつ買ってもらったのよ」
「これは……キリトくんがウチに挨拶に来てくれた日の午後に……」
手元に視線を落として大事そうに指輪をさする明日奈を見て詩乃があきれ口調となる。
「速攻ね……結局、独占欲が強いのよ、アイツは」
再び同じ結論にたどり着いたと言わんばかりに頷いてから、手にしている小さなグラスに透明の
液体を注いだ。いつの間にか詩乃の前には日本酒の小瓶が並んでいる。
「そう……なのかな?」
こくり、と明日奈もサワーの残りを飲み干して首を傾げた。
「そうでしょうよ」
テーブルに頬杖をつく里香。
「ですよねー」
コクコクと頷く直葉。
「高校の時からずぅーっと、でしたもんねぇ」
ぽ〜っと頬を染めた珪子。
「そうかなぁ……」
消え入りそうな明日奈の声が隣から聞こえて、手のひらに顔をのせたままの里香が、生温かい
視線を向けた。
「アンタはずっとキリトが基準だからわかんない……あー、アスナ?」
気づけば自分の婚約者の独占欲について考えていたはずの親友はこてんとおでこをテーブルに
のせて、静かにスースーと寝息を立てている。
「ちょっと、アスナ?、寝ちゃってるの?……ウソ……だってまだサワー一本しか空けて
ないわよ……」
「あー、やっぱり、ホントだったんだ」
直葉が予測していたように笑いながら未だ明日奈が握り締めている空のグラスを細い指から
そっと抜き取った。
「実は、この飲み会の事をお兄ちゃんにも伝えておいたんですけど、その時『きっとすぐに
寝ちゃうだろうから適当な時間に迎えに行く』って」
「はあああっっっ、アスナのことなら全てお見通しってわけね」
呆れた声をあげた里香に続いて珪子がじとーっ、と羨望の眼差しと共に溜め息を吐き出した。
「あー……、いいなぁ、アスナさん」
それから何やらゴソゴソと四つん這いで明日奈の後ろに移動すると、膝立ちになってそっと
彼女の髪をなでる。
「こーんなに髪の毛もツヤッツヤのサラッサラで……ふむぅっ、気持ちいい……」
「えっ……シリカ?」
「頭もちーっちゃくて、なんか良い匂い……するしぃ」
さらさらと髪の毛を触っていたかと思うと、ゆっくりと覆いかぶさるように両手で明日奈の頭を
抱え込んだ珪子はすりすりと頬をすり寄せた。
「あれ?、こっちも酔ってる?」
「ああ……なんだか面倒くさくなってきたわね」
「うーん、この二人はこっちに移動させましょうか……」
直葉の提案で明日奈から剥がされて後ろから抱えられ、座ったままの状態でズルズルと部屋の
隅まで移動させられた珪子は、ペタンと座り込んだ膝の上にやはり移動させられた明日奈の頭を
のせてもらい、満足そうにひたすら彼女の髪の毛を手櫛で梳いている。
珪子に膝枕状態で横たわる明日奈へタオルケットをかけた直葉は「じゃ、飲み直しましょう」と
仕切り直して再びテーブルに戻った。
それから三十分程が経った頃……ピンポーンとインターフォンの鳴る音を聞いて「あ、来た
来た」と直葉が立ち上がり玄関に向かった。
ガチャリ、と鍵を解除する音がするとすぐに「あれ?」と驚いた直葉の声が聞こえる。
「まあ、どうぞどうぞ」という声がリビングに近づいてくるのに合わせて里香と詩乃が顔を
上げると直葉の後ろから相変わらず黒系の衣服を身につけた今日の主役の婚約者が部屋に入って
きた。留学期間中のタイムラグを感じさせない仕草で「よぅっ」と片手をあげた和人を見ると、
まるで高校時代に戻ったような感覚に陥った里香が応じるように自分の片手を持ち上げる。
「いらっしゃい……てのもなんか変よね……あ、ご婚約、おめでとうございますぅ」
ニヤニヤと笑いながらわざと語尾をのばして祝いの言葉を述べれば、当人は「ああ……、
有り難う」と照れたように頬をぽりぽりと掻き、すぐさまギョッとした表情に転じる。その和人の
後ろからは予想外の人物がもう一人「お邪魔しまーっす」と顔を出した。
「げっ、クライン……なんでアンタまで居んのよっ」
驚いた様子の里香に「へへっ」と笑うと勧められもしないうちに遼太郎は里香の向かいに腰を
降ろした。
「いやぁ、昼間、キリトに男同士で飲もうぜって電話したら、夜はアスナさんを迎えに行くっ
つーから、近くの駅前で迎えに行くまで一緒に飲んでたんだ。で、まあ俺も誰かさんを送って
やろうと思ってよ」
「あーと……すまないけど、これは……どういう……状況、なんだ?」
話を遮るような声に遼太郎が見上げれば、和人はリビングに足を踏み入れた位置で部屋の隅を
凝視したまま固まっている。「なんだ?、なんだ?」と言いつつ和人の視線の先である里香の
背後を覗き見れば、寝ている明日奈の頭を膝にのせた珪子がとろんとした目つきで一心に
明日奈の髪をなでていた。
口元は僅かに緩み、耳をすませば「ふふっ、ふふっ」と小さく悦に入った声を漏らしている。
リビングに入ってきた和人にはスッと手をあげ、続く遼太郎にはペコリと頭を下げて挨拶を
済ませた詩乃がガラス製のお猪口にくぴくぴと口を付けながら、ようやく声を発した。
「婚約おめでとう、キリト。それね、二人とも缶サワー一本で出来上がっちゃったのよ。アスナが
そうなるのはわかってたんでしょ?」
その問いに頷きながら「アリガト」と儀礼的に謝辞を述べると、和人がおもむろに部屋の隅の
二人へと近づく。
その姿を横目で見ながら詩乃は説明を続けた。
「シリカの方はさすがビーストテイマーと言うべきかしら。アスナの毛並みがいたくお気に
召したようで、さっきからずっと撫で続けてるの。アスナも気持ちよさそうに眠ってるから
そのままにしておいたんだけど……ダメだった?」
「いや、ダメって言うか……これは……うーん」
明日奈の傍に跪いた和人は自らの後頭部をさすりながら二人を眺めた。目の前に現れた和人に
気づく様子も見せず、珪子はひたすら明日奈の毛繕いにせっせと手を動かしている。
「えっと……あの、もしもし、シリカ、悪いんだけどアスナを……」
そう言いながらおずおずと伸ばした手が珪子の視界に入った途端、キッと鋭く睨み返された。
「ひっ!」
「あー……完全に敵認定ね」
「そんな……」
和人と詩乃のやりとりを黙って聞いていた里香が呆れ声をあげる。
「そんなのアスナを起こしちゃえばいいじゃない。どうせ、もう連れて帰るんでしょ?……
アースーナーっ、起きなさーいっ」
「うわぁぁっ」
途端に和人が振り返り、シーッ、シーッ、と人差し指を立てている。そんな騒ぎを不思議に
思った直葉がキッチンから二人分のグラスとお茶の支度を持ったまま「どうしたのー?」と
リビングに入ってきた。今度はトレイを持ったまま直葉が大声で「アスナさーん」と呼び
かける。
「アスナさーんっ、お兄ちゃん来ましたよー!」
「おまっ、スグ!、やめろ!!」
兄妹の雄叫びに眠り姫が身じろいだ。
「う……ふむゅ……んー……」
のろのろと手をついて起き上がると目をこすりながら和人を見上げる。自分の手から離れて
しまった栗色の毛並みを名残惜しそうに、珪子の両手は宙に浮かんだままだ。和人が
「アスナ」と小さく呼びかけると、ふにゃりと微笑んで和人に向けて両手を広げた。
和人はそっと身体を寄せて細腰に両手を回し彼女を支えると優しく耳元で囁く。
「まだ、寝てていいよ、アスナ」
「ん……おはよぅ、和人」
「あ……」
甘い微笑みを浮かべていた和人の顔が一瞬にして固まった。と同時に里香、詩乃、直葉、遼太郎も
一様に目を見開き表情を氷らせる。遼太郎がギギギッと音がしそうなほどぎこちなく首を動かして
和人に視線を向けた。
「今……アスナさん、なんつった?」
半眼の詩乃が低い声で言い放つ。
「か・ず・と……って聞こえたけど」
よっこいしょ、と明日奈を抱えるようにして立ち上がった和人は故意に明後日の方向を
向いたまま「そりゃあ、オレの名前『和人』だからな」と何食わぬ顔で言うと「じゃ、タクシー
呼んであるから帰るよ」と言ってリビングを出ようとしている。それを遮るように地を這う
ような太い声が響いた。
「そこにぃ……座れれれぇぇぇっ!」
その怒号にビクッと震えた和人は、里香の人差し指がビシッと指し示した場所に明日奈を伴った
まま素早く正座で座り込んだ。
明日奈の方はもぞもぞと和人の膝の上に腰を降ろし両足を揃えて座布団の外に逃がしているが、
両手は変わらず婚約者の首にしがみついたまますりすりと頬をすり寄せている。
「ふぅぅ……和人ぉ、朝ごはん、パンでいーい?」
その問いかけに和人は緊張したままの面持ちで正面を向いたまま端的に答えた。
「うん、アスナ、今は朝じゃないからな、パンはまた後でいいよ」
「んー」
納得したように和人の胸にこてんと頭を預け、両手をぱたりと降ろした明日奈がスースーと
寝息を立て始めた。
「聞き間違いじゃあ、なさそうねぇ」
里香がじとーっ、と睨んでくる。「ああ、まあ」と言葉を濁していた和人だったが、四人からの
視線にいたたまれなくなったのか観念したようにまず一息吐き出した。
「だから……アスナ、酔うとやたらと甘えてくるんだよ」
「さっきまでは大人しく寝てたわよ」
詩乃が真実を見極めようと視線を鋭くした。
「そこは、まあ……その、オレ限定……らしくて」
「なにそれ」
「たまんねーな、そりゃ」
驚く里香の声と同時に遼太郎がニヤリと笑う。今度は和人がジロリと遼太郎を睨んだ。話の先を
進めようと詩乃が再び口を開く。
「それと『和人』呼びとはどう繋がるの?」
「多分だけど、普段は恥ずかしくて出来ない行為が酔ったことで枷杭が外れるみたいなんだ。
で、留学中は向こうのヤツらってみんな名前を呼び捨てだろ。それをアスナが気にしてた
みたいだからアスナも呼び捨てにすればいい、って言ったんだけど、どうも抵抗があるらしくて
……でもたまたま部屋で軽くアルコールを飲んだ時に、酔って甘えてきて、それで……」
「名前を呼び捨てにした、と……」
「ああ……でもこんなのお前達が知ったら……」
「格好の的ね。いいつまみになりそう」
「……だろ」
「だからアスナを起こしたくなかったのね」
先ほどからの挙動不審の理由が判明したところで一同が示し合わせたかのように瞳を光らせた。
一番近くにいた詩乃が目を細め口の端を僅かに上げたかと思うと、ちょんちょんと明日奈を
つつく。
「アスナ、アスナ」
「ふ……むぅ……んー、和人ぉ、今日はぁ……また、大学の研修所にぃ……戻るぅ?」
「シノン、余計なことすんなよっ」
「和人ぉー……」
詩乃のちょっかいで目覚めかけの朦朧とした明日奈の意識はサンタクララでの留学中と混同
しているらしく、一旦部屋に戻ってきた和人が再び大学に戻るのかをしきりと気にしている。
詩乃のイタズラに少しばかり声を荒げた和人だったが、胸元からのとろけた声を無視する
わけにもいかず、いつも明日奈に向ける柔らかな視線を落とした。
「戻らないよ。ってか大学は研究室、今通ってる研修所とごっちゃになってるぞ……週末は
普通に休みだからアスナと一緒にいるよ」
「一緒?……ホントにぃ?」
「ああ、本当に」
「んー、嬉しい……ずぅーっと……ずぅーっと……一緒に、いてね」
極上の笑みを浮かべた明日奈を見て、友人達は男女問わず一様に頬を赤らめた。
唯一、その笑みを独占し続けている和人だけが困ったように微笑んでから「当たり前だろ」と
言って婚約者の額に口づけを落とす。
「だからお兄ちゃん、ここ日本だから。そーゆーの普通じゃないからね」
うんざりしたような妹の口ぶりに兄はとぼけた調子で「そうか?」と返す。
「それに」と直葉は続けた。
「いくら婚約中だからってけじめは大事だよ。今夜はアスナさん家に送って行くんでしょ」
「いや、オレのマンションだけど……」
「お兄ちゃんっ」
「大丈夫だって。週末にアスナが泊まりにくる事はあっちの両親も了解済みだから。それに
研修中の身だと有給なんてとれないから休みは土日しかないんだ。なのにアスナの両親とうちの
母親は休みがまちまちだろ。だから式の段取りとかは明日奈が仕事量をセーブして、全部一人で
連絡を取り合って進めてくれてるんだよ。オレが休みの日は少しでも負担を減らしてやりたい
から出来る事は一緒にしないと……」
「そうだったの……それじゃあ缶サワー一本で潰れるほど疲れてるわけよね」
「まあ、もともと強くないけどな」
渋々納得したように頷く詩乃の言葉に和人がおどけたように笑う。
「私達への連絡が遅くなったのも仕方ないかぁ……」
明日奈の寝顔を見つめながら里香が呟いた。「オレなんか婚約の話を聞いたの、さっきだぜ。
しかも駅前の居酒屋でっ」とブツブツ文句を言っている遼太郎に女性陣三人、同情の視線を
送るが「まぁ、いいけどよう」の言葉でつくづくこの男もキリトには甘い、と苦笑に変わる。
遼太郎が周囲の視線を集めていると、和人の腕の中で再び「ふぅぅ……」と小さな吐息が
漏れた。気づいた和人が囁くように「アスナ?」と名を呼ぶ。
「ん……かず、と……のど、かわ……いた……」
僅かに眉間に皺を寄せ、うっすらと開いた瞳で幾分掠れた声をだす様はなんとも色香に満ちて
いる。慌てたように直葉が「お水、持ってくるね」と立ち上がりかけた時、和人は明日奈を
支えているのとは反対の手で妹を制すると「それでいいよ」とテーブルの上の飲み物を
指した。
それは和人と遼太郎がやってきた時に直葉が用意したお茶だ。
合流した二人が一緒に飲めるよう追加分のグラスと、アルコールを飲まない可能性を考えて
冷蔵庫から出したファミリーサイズのペットボトルのお茶がトレイに乗ったままテーブルの
端に鎮座している。
すぐさまグラスにお茶を注ぎ、それを兄の手に渡した。
「言っとくけど、お兄ちゃん、口移しとかやめてよね」
「……お前達の前でするかよ」
口をへの字に曲げて返した言葉に遼太郎がうなだれる。
「……オレ達がいなかったらすんのかよ……」
そんな言葉には気にも留めず明日奈の頭を腕に乗せた和人がグラスを彼女の口元に近づけた。
「アスナ、口、開けて」
その言葉に何の躊躇もなく、小さく唇が動く。
ゆっくりと、少しずつお茶を流し込んでいく様子を友人達が静かに見守っていると、ひとしずく、
口の端からお茶がこぼれた。
「あっ」と声を出す間もなく、しずくは酔いのせいで軽く火照って色づいた頬を伝わり細い
おとがいから滑り落ちる直前に素早く和人の唇によって吸い上げられる。
「あああああぁぁぁぁぁ〜」と声が聞こえそうなほど、その場の空気が沈んでいくのとは反対に
一人だけ「んぐゅぅぁぁぁあああっ」とキレた声を上げたのは直葉だった。
「おにーちゃんっ」
「なんだよっ。お茶だから服に落ちたらシミになるだろ」
「……絶対っ、そんな事思ってないよねっ」
頭から湯気を出す勢いで叫んでいる直葉とは対極的に里香は冷め切った視線を和人に送る。
「ああ……もう、いいから、水分補給したら、さっさとアスナを連れて帰りなさい、キリト」
続いて遼太郎も憮然として大息した後うんざりとした表情となった。
「そうだな、なんか、こう、思ってたのと違うってゆーか、全然お前をつまみに酒を飲む気に
なれねぇ」
二人の意見に従うように詩乃も冷たい眼差しで告げる。
「そうね……折角今までの腹いせにこの二人で遊べると思ったのに……」
物騒な物言いに和人が口の端をひくつかせた。
「あの……シノンさん、腹いせって……」
そう言いかけたところで和人の携帯が鳴る。
グラスをテーブルに置いて端末画面を確認した和人は「じゃあ、下にタクシー来たから」と
言うと改めて明日奈を抱き起こし玄関に向かう。半ば夢うつつのような状態の明日奈に女性陣が
靴を履かせると、もとよりそのまま和人のマンションに行くつもりだったと思われる少し
大きめの明日奈のカバンは遼太郎が持ち、里香と詩乃、直葉は玄関先で和人達を見送った。
マンションの外で和人に支えられながらタクシーの後部座席に収まった明日奈を確認し、
遼太郎は反対側から乗り込む和人にカバンを渡す。
「サンキュー、クライン。助かった」
「なんの、これしき。それよりアスナさんをタクシーの中で起こすなよ。ドライバーが運転
どころじゃなくなるぞ」
「わかってる」
バタンッとタクシーのドアが閉まると窓越しに手をふるクラインに手を挙げるだけで応えて
和人と明日奈を乗せたタクシーは直葉のマンションから走り出した。
タクシーが見えなくなるまで手を振り続けるクラインを残して。
タクシーの車内で「まったく……」と、自分の肩に頭を乗せて気持ちよさそうに寝入っている
婚約者の顔を覗き込んでから、和人は独りごちた。
『嬉しい……ずぅーっと……ずぅーっと……一緒に、いてね』……オレがどれだけ一緒に
いられるよう、その手をつないでいられる人間としてふさわしくありつづけようと努力して
いるか、そんなの明日奈が一番知っていると思っていたのに……どんなに所有の証がその左手の
薬指にあっても不安だった……《あの城》の森の家でアスナはオレだけのものだと言ってくれ
たけど《現実世界》では、その言葉だけで彼女と一緒になんていられるはずもなく、焦って、
気負って、もがいて、余裕なんて全然なくて、オレが傍にいられない時も他のヤツを牽制する
為に指輪を付けさせて……それでも不安で仕方なかった……それなのに、明日奈はそんな憂いを
あっさりと飛び越えて真っ直ぐオレの中に入り込んでくる。あまりに愛おしくて震える声を隠す
為に短い言葉で返すのが精一杯だった。『当たり前だろ』なんて自分でもよく言えたものだ。
当たり前にする為に笑えるほど必死になっているのに……まいった、オレはもう一生彼女には
敵わないんじゃないかと思う。
あんな言葉をあんな笑顔で、しかもアイツらの前で不用意に晒した明日奈をこのままマンションで
寝かせてやるなんて出来そうにない。
明日は式場の下見に行く予定だけど午後からでも問題はないな。
和人はマンションに着いてからの行動を決めたところで、隣でスヤスヤと寝息をたてている
婚約者を引き寄せ、その髪の毛に静かに唇を寄せた。
◇◇◇◇◇ おまけ ◇◇◇◇◇
和人が明日奈の腰を支えている手に力を込め髪に顔を埋めている頃、二人を見送った後の直葉の
部屋ではお酒のせいばかりではなく頬を染めた里香と、その腕を掴んでいる遼太郎との言い合いが
続いていた。
「だーかーらー、なんでアタシがアンタに送ってもらわなきゃなんないのよ」
「そりゃあ、酔っ払ってるからだろ」
「酔ってなんかないって」
「酔っ払いの常套句だな」
「それならシリカの方がよっぽどじゃない」
どうだっ、と言わんばかりにピッ、と人差し指で珪子を指させば、やりとりを傍観していた
直葉が申し訳なさそうに口をはさんだ。
「あ、シリカは今夜、うちに泊まる約束してて……」
「ええぇぇっっ……」
「ならシリカちゃんは心配いらねーってことだな」
うううううーっ、と下唇を噛みしめて最後の砦と思われる詩乃に縋るような視線を送れば、彼女は
未だひとりでちびりちびりとお猪口に口をつけている。里香の視線に気づいたのか、ん?、と問う
ようにこちらを見る瞳は朦朧としてもいなければ、眠そうでもなく、どうひいき目に見ても
酔ってはいなかった。
「シノン……アンタってば、見た目通りすぎるわ。イメージそのまんまじゃない」
「それって褒められてるの?」
「ザルもいい加減にしなさいって言ってんの。アスナみたく可愛く酔え、とは言わないけど、
こうもうちょっと、ほら、あるでしょ〜、ほんのり赤くなるとか、呂律が回らなくなるとか
さーっ」
「無茶言わないでよ。リズこそ、その妙なハイテンションは酔ってるってことなのかしら?」
「だから、酔ってなーいっ」
うっきーっ、と小猿が威嚇するような仕草で頑なに酔いを否定している里香の頭を遼太郎が
ぽんぽんとはたいた。
「ああ、わかったわかった。普段から割とテンション高めだからわかりにくいけどよ、お前は
立派な酔っ払いだから素直にオレに送られろ」
その言葉に直葉がニヤニヤと笑う。
「わかりにくいのに、わかっちゃうんですねークラインさん」
「まっ、コイツとは長い付き合いだからよぅ」
「じゃあ、リズさんのことはクラインさんにお願いするとして……」
「ちょっとっ、リーファッ、勝手にお願いしないでよっ」
「シリカが起きるまで、もう少し二人で飲みましょうか?、シノンさん」
「そうね」
「ねぇっ、聞いてるっ?」
「邪魔したな、リーファちゃん。ほら、帰ろうぜ」
再び遼太郎に腕をつかまれ、ズルズルと連行されるように玄関に引きずられていく里香にむかい、
飲み直す気まんまんの二人は軽やかに手を振った。
お読みいただき、有り難うございました。
『アリシゼーション』最終巻を読む前に書いたとは言え、結局サンタクララにも
行かなければ、桐ヶ谷峰高氏もそれ程おちゃめな一面は持っていない御仁の
ようで……なんか、もう、結果、もの凄いオリジナル設定なお話になって
しまいました。
次回も、もう一本、留学(するはずだった)地、サンタクララでのお話を
お届けしたいと思います。