ソードアート・オンライン《かさなる手、つながる想い》   作:ほしな まつり

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二つ前の投稿が「贈り物(和人編)」だったので「明日奈編」もないと片手落ちかな?、という
心持ちで書いてみました。


贈り物(明日奈編)

地下鉄と地上の路線が交差している駅周辺は隣接された大型商業施設を中心に常に人通りが絶えることはないが、再開発の余波でどうしても場所が確保できなかったのたろう、公共の駐輪場は一本裏通りを入った閑散とした場所に設置されていた。

ちょうど利用客が途切れる時間帯に当たってしまったようで、通行人もおらず、駐輪場の入り口に見える人影は淡い藤色のラムウールコートを着た明日奈と見知らぬ男の二人だけである。

何度経験したかもわからない、下卑た笑いを口の端に乗せた二十代前半とおぼしき男の視線が自分を上から下まで値踏みするようにまとわりつき、明日奈は持っていたバッグの取っ手を両手でぎゅっ、と握りしめた。

駅までの道を一緒に来て教えて欲しいという男の要求をやんわりと断り続けているが、それもそろそろ限界のようだとカツカツと踏みならす男の靴音が告げている。

と、そこに新たな音が耳に飛び込んできた。

一般的には思わず顔をしかめたくなるような騒音に近いバイクの走行音。

しかし明日奈にとっては待ち焦がれた音だ。

咄嗟に音のする方に顔を向けると、通りの角から見間違うことなどありえない程、見慣れたバイクがこちらに向かって走ってくる。

だが同時に明日奈が男から視線を逸らした為、関心を他に向けられて苛立った男の手がコートの袖ごと明日奈の腕をとらえた。

びくりっ、と一回身体を大きく震わせた明日奈が視線を男に戻すが、さっきまでのらりくらりと男をかわしていた言葉が今は全くでてこない。

男がさっきよりも激しく何かを訴えていたが、明日奈の耳には声すら届かず、つかまれた腕を振りほどくことも思い及ばない状態で半歩後ずさりをすると、更に男が間合いを詰めてきた。

男の顔は憤りを表したかと思えば、強請るように歪んだ笑みに変わり、明日奈が反応を示さなければ再び憤慨を繰り返していたが、突然、驚いたように目を見開いて明日奈のすぐ横に視線を移す。

そこには明日奈に触れている男を引き離そうと、男の手首を満身の力で掴んでいる和人がいた。

 

「オレの連れに何か用なのか?」

 

細身の体格に女顔と評して差し支えない容貌の黒髪の少年は一見穏やかで争いごとなど無縁の雰囲気だが、その双眸は野生の獣のように鋭く尖っており、掴まれている手首の痛さに男は思わず明日奈から手を離した。

見れば少年のすぐ隣にも同じような黒髪で制服の上にキルティングジャケットを羽織っている少女が携帯端末を構えて自分を睨み付けている。

分が悪いと悟った男はチッと舌打ちをすると、和人の手を振りほどき駅とは反対の方向へ足早に逃げていった。

その後ろ姿に向かって「いーっ」と歯をむき出した後、携帯を鞄のポケットに仕舞った直葉が振り返り、明日奈に声をかける。

 

「ケガとかしてませんか?、アスナさ……」

 

最後まで言い終わらずに言葉が途切れた。

目の前には明日奈をしっかりと抱きしめている兄である和人の姿。

その腕の中で深く息を吐き出した明日奈はゆっくりと顔をあげ、ぎこちない表情で「ありがとう、もう大丈夫」と微笑んだ。

「でも……」と言いよどむ和人に向けて、直葉が低く「お兄ちゃん」と呼びかける。

そこで妹の存在を思い出したのか、和人は慌て顔で「誤解すんなよ、スグ」と待ったをかけた。

 

「オレは別にいつでもどこでもアスナに触りたいと思っているわけじゃないぞ」

「そうなの?……学校でもイャコラしまくってるって聞いたけど」

「……誰だよ……いや、誰が言ったのかは、だいたいわかる」

 

そこで一旦眉根を寄せて軽く溜め息をついてから再び直葉に視線を戻す。

 

「アスナはさ、《現実世界》に戻ってきてから男に触れられるのが苦手になってて……今はかなり平気になったんだけど……でも」

 

懸命に事の次第を説明しようとする恋人に抱きしめられたままの明日奈が、もぞもぞと恥ずかしそうに拘束を逃れようとしているのに気づかないのか、和人は腕を緩めずに話を続けた。

確かに《SAO》から《ALO》を経て、無事《現実世界》に帰還した明日奈はしばらくの間、男性の医師はもちろん時には父親や兄にさえ触れられると身体を強張らせていた。

その反応に一番心を痛めていたのは彼女自身だ。

そんな明日奈が唯一何の拒否反応も示さない相手、身も心も安心して預けられる存在が……

 

「オレだけは大丈夫だったんだ」

 

そう、和人だけはどんな時でも明日奈の手を握り、身体を抱きしめてやることが出来た。

《ALO》でのアスナの軟禁状態を知っていた和人だけは、彼女のその反応の理由を理解していたが、それを他者に告げる事は明日奈自身が望んでいなかった為に和人は彼女が震える度に抱きしめながら背中を摩り続けたのである。

当時の明日奈の姿を思い出して、和人は顔を曇らせた。

 

「ごめん、アスナ。もっと人通りの多い場所で待ち合わせればよかった」

「さっきは知らない人が突然だったからだよ。今はもう平気……きゃっ」

 

すっかり元の涼やかな声で安心させるように微笑んだ明日奈の背後から突然、ガバッとしがみついてきた存在がいた。

 

「そんなのっ、平気なわけない」

「スグ……」

「直葉ちゃん……」

「知らない男の人に腕を掴まれて平気な女の子なんていません、アスナさん」

 

怒りながらも明日奈を背中から抱きしめた直葉がボソリ、と「竹刀、部室から持ってくればよかった」と物騒な呟きを落とせば、明日奈を挟んで和人が「おいおい、竹刀持ったバイクの二人乗りって、絶対捕まるだろ」と苦笑いを浮かべる。

それから一転、落ち着いた声で「そうだよな、普通に、平気なわけないよな」と呟くと、先刻の光景が脳裏に蘇ったのか、明日奈の背中に回していた手に力が籠もった。

前後から桐ヶ谷兄妹に抱きつかれ、どうしていいのかわからずに身動きのとれないまま困りながらも嬉しさで頬を緩めていると、背後の直葉が明日奈の髪に、くんくんと鼻を寄せてくる。

 

「アスナさん……いい匂いですね」

「えっ?、そう?」

「お兄ちゃんの気持ちが少しわかるかも……クセになりそう」

「こらスグ、オレを『アスナ中毒』みたいに言うなよ」

 

妹の問題発言にすぐさま兄が反応した。しかし、すぐに勢いを落として不愉快そうに、ぼそぼそと明日奈越しに声を落とす。

 

「それに……あんまり嗅ぐなって……」

「なんで?、自分ばっかりずるい」

「ずるいってなー……お前」

 

自分を挟んで言い合いをしている兄妹の声をくすくす、と笑いながら聞いていた明日奈が「ほんと、仲良しさんだね」と感想を漏らした。

明日奈に本当の笑顔が戻ったことを見取ってゆっくりと和人が腕の抱擁を解く。

 

「いつも言ってるけど、へんなヤツが近づいてきたら、すぐに移動しろよ」

「うん、さっきはちょっとぼんやりしてて……」

「そう言えば、少し顔色も悪いか?」

「えっ、大変、今日の外出、無理させちゃったんじゃ……」

 

顔を寄せようとした和人の前に一旦明日奈から離れた直葉が割り込んできた。

心配そうに顔を見つめてくる彼女にふわり、と笑いかけてから「大丈夫。最近ちょっと寝不足気味だったの」と打ち明けると、勝手にその内容を推察した直葉がうんうん、と頷く。

 

「そうですよね、アスナさん、いつもトップの成績だって言うし。今日はお疲れのところ、買い物に付き合ってもらっちゃってすみません」

「あっ、いいの。私も直葉ちゃんとお買い物できるの、楽しみにしてたから」

「どうしても、今日しか部活、休みがなくて……」

「でも、急遽昼過ぎまで活動してたんでしょ?」

「そうなんですけどね」

 

困ったように笑う直葉を見て、明日奈は「直葉ちゃんこそ、お疲れ様」と労えば、後ろで二人の会話を聞いているだけだった和人が憮然とした表情で口を挟んだ。

 

「そうは言っても、学校からはオレのバイクの後ろに乗ってただけだぞ」

「はい、はい、学校まで迎えにきてくれてありがとう、お兄ちゃん」

 

その瞬間だけ振り向いて兄に礼を述べてから、直葉はこそっ、と明日奈の耳元に囁く。

 

「でも部活終わってからだとアスナさんとの待ち合わせが遅くなっちゃう、って言ったら、お兄ちゃんの方から『学校まで迎えに行ってやる』って言い出したんですよ」

 

その事実を聞いて明日奈が小さく笑った。

つられるように直葉も笑う。

なにやらコソコソと話をしている二人を置いて、和人は「ちょっとバイク駐めてくるから待っててくれ」とだけ言い残し、すぐさま駐輪場の中へと消えていった。

その間も今朝から和人が随分と入念に直葉を学校まで迎え行く際の打合せをしてきた話などを明日奈に聞かせていると、ほどなくして和人が戻ってくる。

意味ありげな二人からの視線を完全にスルーして、歩みを止めることなく「ほら、行こうぜ」と目的地に向かって二人を促した。

いつもは和人の隣に明日奈がいて、その数歩後ろをついて行くことの多い直葉だったが、今日は元々自分と明日奈の二人が出かける予定だったので遠慮無く明日奈の隣を陣取る。

歩く度に微かに鼻腔を刺激する明日奈の髪の香りを楽しみながら、直葉は会話を再開させた。

 

「実は突然、卒業した先輩達が稽古を見てやるからって連絡が来て……」

「ああ、それで急遽活動日になったんだね」

「はい」

「部活が終わってから、先輩方と一緒にいなくてよかったの?」

「それが、聞けば先輩達ってば夕方から同窓会なんですよ。で、その前に懐かしの高校に来て、ついでに後輩の指導をしてやろうってことだったみたいで、部活終わったら、じゃあねー、ってあっさり帰っちゃいました」

 

先輩達の所行を頬をぽりぽり、と掻きながら困り笑いで歩く直葉を見て、兄妹共通のクセを密かに微笑ましく思い明日奈も軽く笑う。

 

「そっかー。でも卒業しても見に来てくれるなんて剣道部のみんな、仲よさそう」

「そうですね、だからクリスマス会なんてやるんだし」

 

今日の買い物の目的は、直葉が冬休み前に剣道部の女子達で行うクリスマス会に持参するプレゼント選びだった。

用意する当の直葉よりもうきうきと瞳を輝かせている明日奈は声を弾ませる。

 

「プレゼント交換、どんな物にするか決めてるの?、直葉ちゃん」

「うーん、誰の所に行くかわかんないですし、一応予算も設定されてるんでクリスマス柄の雑貨あたりかな、って考えてるんですけど、これと言って目当ての物は決めてないです」

「そっかー。いい物、見つかるといいね」

「はい」

 

自分の数歩後ろでかしましくお喋りをしながら付いてくる女子二人の会話を聞くともなしに耳に入れながら、和人はこんな関係がずっと続けばいいと思わず頬を緩めたのだった。

 

 

 

 

 

目当ての大型商業施設周辺は既に街路樹にもイルミネーションが取り付けられており、本番まで残り一ヶ月を切った現在、どこもかしこもクリスマス一色に彩られている。

建物内に足を踏み入れれば、休日の午後という絶好の買い物タイムなのか通路にまで人が溢れかえっていた。

直葉が見たいと言っていたクリスマス関連の小物や雑貨を置いてあるブースは更に身動きすら自由にならないほどの混雑ぶりで、和人の足が店の入り口で躊躇うように止まる。

 

「ちょっと……これは……オレには……」

 

言いたくもなるだろうほどに、店内は女性客のみで埋め尽くされていた。さすがの直葉もこの状況には笑いながら「いいよ」と言って手を振る。

 

「上の階の家電売り場にでも行ってて。終わったら連絡入れるから」

「……そうさせていただきます」

 

神妙な表情で有り難く妹からの言葉を受け入れると、一応店内を軽く見渡し、これなら明日奈が声を掛けられる心配はなさそうだ、と判断して栗色の髪にぽんっ、と軽く触れると「じゃあ、後でな」と言い、そのままその手を振ってそそくさとエスカレーターの方へ消えていった。

そうして直葉から言われた通り、家電製品売り場であれこれと商品を眺めて小一時間が経った頃、ようやく和人のポケットの携帯端末からメールの着信音が鳴る。

その内容を確認し終えると、和人は少し固い表情ですぐさま二人の元へと急いだ。

 

 

 

 

 

ワンフロアーの半分を占めているフードコートの片隅のテーブル席で明日奈は、ふぅっ、と深く息を吐き出した。

寝不足の自覚はあったものの、それももう最後と思い、昨晩はいつもより更に深夜まで起きて仕上げをしていたせいか、ふと気が緩むとすぐに注意力が散漫になってしまう。

それでも直葉とプレゼント交換の品物を選んでいた時はその場の雰囲気に気持ちも高揚して眠気など吹き飛んでいたのだが、買い物が済んでしまうとはしゃいでいた気分が疲れとなって被さり途端に頭の芯がぼぅっ、としてきた。

そんな明日奈の表情の変化に目聡く気づいた直葉が「少し休憩しませんか?」と言ってフードコートに誘ってくれた心遣いには感謝するやら申し訳ないやらですっかり恐縮してしまった明日奈だったが、そのままだと足下すらおぼつかなくなりそうだったので、素直に同意して広いフロアの中でも柱の陰になる窓際の席に腰を降ろす。

 

「お兄ちゃんには連絡しておきましたから、しばらくしたら来ると思います。アスナさんはここで席を取っていてください。私、飲み物を買ってきますから」

 

テーブルの横に立って明日奈の様子を気遣いながらも発するはきはきとした口調は直葉そのものを表すようで、押しつけがましくなく耳に心地よい。

たった二歳しか違わないとは言え、相手が恋人の妹という意味でも自分は年長者らしく振る舞わなければ、と思うのに今日はすっかり面倒を見てもらっている場面が多くて明日奈は情けなく微笑んだ。

 

「あの……色々とごめんね、直葉ちゃん」

 

いきなり謝られて、逆に「えっ?」と短い驚声を発した直葉はすぐにむむっ、と眉間に皺をよせる。

 

「アスナさんにそう言われたら、買い物に付き合ってもらった私はもっとごめんなさいになっちゃいます」

 

ちょっと怒った風に睨まれて、その仕草から自分が無理をした時に恋人から向けられる視線を思い出し明日奈はほんわり、と心を温めた。

 

「なら……私の体調を気にしてくれて、ありがとう。お買い物が楽しくてちょっと夢中になりすぎたみたい」

「すごい混雑ぶりでしたから、寝不足の上にあの熱気で人酔いしたんじゃないですか?」

 

心配そうに顔を寄せてくる彼女に儚げな淡い笑みで返した明日奈が上目遣いで「アイスティー、頼んでいい?」と素直に甘えると、さっと頬を染めた直葉は、ぴきっ、と背筋を伸ばし、少々カタコトで「ココで待ってテくださいネ」と言い残し席を離れていく。

そうして、直葉の後ろ姿が人混みに紛れるまで見送った明日奈は、ふぅっ、と深く息を吐き出したのだった。

一人になって改めて周囲を見渡せばフードコート内は空席も数える程しかなく、家族連れや友人同士といったグループでテーブルを囲んでいる人達がほとんどだ。

絶え間なく聞こえてくる話し声や客と店員とのやりとり、食器の触れ合う音、調理の音も微かに混じっているのだろう、休日のせいか施設内全体への館内放送も頻繁に流れてきて、それら全てが混ざり合いゆるやかに明日奈の周りを包み始める。

ほどよい室内温度に加えて人々の体温や料理の熱がただ椅子に座っているだけの彼女をじわじわと温めていき、ぬるま湯に浸かっているように意識がぼんやりとしてきた時だ、更に優しい声がそっと耳に忍び込んでくる。

 

「アスナ?」

 

ゆっくりと首を回すとすぐ目の前に漆黒の瞳が飛び込んできた。

わずかに不安げな色を混ぜてこつん、と額を合わせてくる。

 

「んー……熱は……ないよな?」

「キ……リトく……ん?」

 

一瞬、自分がどこにいるのかがわからず、何をしてたのかも思い出せない。

とにかく自分の傍に大好きな存在がいてくれる事が嬉しくて自然と顔がほころび、すっと両手をのばしてその首にしがみつく。

 

「アスナ?……あー……寝ぼけてるのか?」

 

咎めることなく明日奈の髪と背中を優しく摩り「珍しいな」と呟いてから、和人は言いづらそうに言葉を続ける。

 

「柱の陰になってるとはいえ、周りに、結構、人がいるぞ……」

 

いくつもの和人の声がふわふわ、と彼女の周りに浮いてゆっくりとその身に入り、ようやく脳に届いた瞬間その意味を悟り、自分のいる場所と理由を思い出した明日奈は大きく目を見開き、「きゃっ」と驚声を上げて慌てて身体を離した。

 

「やっ……私ったら……」

 

両手で頬を押さえて顔をかくすように俯いている明日奈の隣の椅子にはいつの間にかやって来た和人が腰をおろして頬杖をつき、楽しそうにその様子を観察している。

 

「そこまで寝不足になるほど手こずる課題でもあったのか?」

 

お互い時間のある時は結構な深夜まで《仮想空間》に潜っている身だ、夜更かしにはある程度慣れっこのはずなのに、と和人は不思議に思って首を傾げた。

 

「それに……スグは?」

「直葉ちゃんは私の分も飲み物を買いに行ってくれてるの。お手洗いにも寄るって言ってたから、少し時間がかかってるのかも」

「あいつ……アスナが体調を崩したから早くフードコートに来いって……」

 

どうやら妹からのメールが少々大げさだったことに気づいた和人がほっ、と肩の力を抜くと明日奈が申し訳なさそうに「ごめんね」と両手を合わせる。

 

「いいよ。全くの嘘ってわけでもないし。でも、本当にあまり無理するなよ」

 

ついさっきもよく似た視線を頂戴した明日奈は未だ引かない熱を頬に乗せたまま膝の上に置いていたバッグの中に手を入れる。

なにやらがさごそと中身を探りながら「寝不足の原因はね……」と言って綺麗にラッピングしてある袋を取り出した。

 

「やっぱり《現実世界》だとスキルの上達はなかなか思うようにいかなくて……本当は学校で渡そうと思ってたんだけど、今日、会える事になったから昨夜頑張っちゃったの」

 

そう言って「はい」と差し出された紙袋を和人は驚きと疑問を同居させた顔で見つめながら、人差し指で自分の顔を指し「オレに?」と問いかける。

当然のようにひとつ頷いた笑顔の明日奈からおずおずと両手で袋を受け取った和人が「ありがとう」に続けて「開けてもいいのか?」と聞くと、再び明日奈が満面の笑みで頷いた。

未だ事の理解が出来ずに不思議そうな顔で袋の中に手を突っ込んだ和人は、取り出したそれを見て明日奈お手製の弁当箱のフタを開けた時と同じく、黒真珠のように丸くした瞳を輝かせる。

 

「これって……」

「前にバイクの後ろに乗せてもらった時、風が冷たくなってきたら首筋が寒そうだなーって思ったから少しずつ編んでたんだけど……」

 

照れ笑いを浮かべたまま、今度は気恥ずかしさで頬を淡く染めて「編み目が納得いかなくて何度も編み直してたら、すっかり遅くなっちゃった」と言い訳じみた言葉を口にしているが、和人から言わせれば自分の手にある毛糸の黒いマフラーは店で買ったと言っても誰もが疑うことない出来映えだった。

太い毛糸のざっくりとした編み目ではなく、細い黒に更に細い青や薄茶が混じり合った毛糸のぴっちりと隙間ない編み目は風を通すことなく和人の首元を温めるだろう。

編み目がきっちりと細かいわりには柔らかな肌触りが気持ちよくて、思わず頬にあてて感触を楽しんでいると、明日奈が「ウールの他に少しだけシルクが混ざった毛糸なの」と説明をしてくれる。

 

「色も真っ黒より、黒がベースで差し色が入っていた方が色々合わせやすいでしょ」

 

にっこり、とそう言われて、最近、和人は服装に色々と黒以外も取り入れていることを彼女がちゃんと気づいていた事実に「やっぱり、アスナだな」と笑顔を見せた。

そっ、と首に巻いてみれば長さももたつくことなく丁度いい。

ふわり、と自分の首を優しく温めてくれる感触に何かを思い出して和人は口の端を上げ、ニヤリ、と微笑む。

 

「なんだか……アスナに抱きつかれてるみたいだ」

「ええぇっ!」

 

突然の問題発言に名前を出された明日奈は慌てふためいた。

確かにさっきはぼんやりとして本能のままに両手を伸ばしてしまったが、そんな事がしょっちゅうあるわけではない。

一体、何の話なのかと眉間に皺を寄せてじっ、と睨み付けると、和人は得意気な笑みもそのままにタネ明かしを始めた。

 

「気づいてないのか?……アスナってさ我慢出来なくなると、オレにしがみついてくるから……」

 

そこまで聞かされても何の話なのかさっぱり見当がつかない明日奈は視線だけを和らげ、むううっ、と眉間の皺をますます深くする。

さらにヒントを与えようと和人が彼女の耳元に口を寄せた。

 

「ほら……ベッドでさ……」

 

和人の耳打ちによって一瞬にして正解を悟った明日奈は同時に火を吹きだすほどの勢いで顔全体から熱を発する。

真っ赤な金魚が空気を求めて口をぱくぱくと動かしているような姿があまりにも可愛くて、和人は明日奈にしか向けない愛おしげな笑顔を浮かべた。

そうなのだ、普段は純情可憐な微笑みと仕草で周りを魅了している明日奈も、唯一、和人の腕の中でだけは、はしばみ色の瞳に涙を貯めたまま顔を朱に染めて浅い息を繰り返し、涙声で必死に「キリト」の名を呼ぶほど理性を溶かされる。

最後の最後には掴んでいたシーツから指をはがし、すがるように和人の首にしがみつくのがお決まりなのだが、そこに行き着く頃にはすっかり和人の熱に浮かされている状態なので、明日奈自身、考えた末の行動ではないから気づかなくても当然だった。

 

「そっ……そっ……そんなっ……」

 

やっと声が出せるようになった頃、三人分の飲み物をトレイに乗せた直葉が合流した。

ずっと座って待っていたはずの明日奈の顔がすっかり上気していることに驚いた直葉が心配そうに覗き込んだが、隣にいる和人の平然とした態度から原因は自分の兄なのだという事に気づき、和人をひと睨みしてから向かいの席に着く。

買ってきたアイスティーを飲んで落ち着きを取り戻した明日奈と少しおしゃべりを楽しんでから時計を見て、そろそろ帰る時刻だと外にでた。

和人と二人で駅の改札口まで明日奈を見送り、駐輪場まで引き返す。

バイクを出してきた兄の後ろにまたがると、ふと目の前に高校からここまでの時にはなかったある物に気がついた。

 

「……お兄ちゃん、マフラーなんてしてたっけ?」

「んー?……まあな……」

「ふーん。いい色だね。それにあったかそう。今度貸してよ」

「それは……悪いけどちょっと無理だな」

「なんで?」

 

妹からの問いに小さく応えた和人の声は、爆音と称するにふさわしいバイクのエンジン音にかき消され直葉の耳に届くことはなかった。

 

(アスナは誰にも貸せないから……)




お読みいただき、有り難うございました。
「和人編」では確信犯的に「別枠(R−18)」的内容が盛り込まれておりましたが、
「明日奈編」ではスレスレ、ギリギリ……セーフ?……アウト!?……超厳密には
別枠ですよね、な数行を練り込んでみました。
ほんのり隠し味的な……まあ、なくても軽くイチャこらしてますけど、あった方が
いいかなぁ〜、っと思ったものですから(苦笑)
次回は、二人が結婚して数年後のお話をお届けする予定です。

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