ソードアート・オンライン《かさなる手、つながる想い》   作:ほしな まつり

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いちを二部構成……と言いますか、三部構成……と言いますか。
前半はアスナ視点、キリト視点の対構成で、後半はキリトとアスナに対する
周囲の反応……みたいな……。
時間軸としては新生アインクラッドの森の家は購入済みで〈OS〉の前、あたりです。


きみからの声

「見たところキミはソロみたいだし、一人だとどんな小さなミスも命取りになりかねない」

 

アインクラッド第一層の迷宮区の最奥で自分が歩いてきたはずの方向も向かうべき方向もわからないくらい朦朧とした意識の中、壁に背中を預けて座り込んでいる私に向け発せられた突然の声に苛立ちを乗せた視線を返されても、冷静に助言とその意味を説明してくれた彼は初対面の私の命にさえ気遣いを持つ剣士だった。

 

「あんたを助けたわけじゃない」

「助けたかったのは、あんたが持ってるマップデータさ」

 

後に幾度となく目にすることになる冷笑的な口元から響く低い声。

今ならそんな言葉が本心でないことくらいすぐにわかって、逆にそんな言い方に腹を立てただろうけど、あの時の私は何も言い返すことが出来なかった。

 

「待てよ、フェンサーさん……」

 

彼は既に私に対して、何をどう言えば耳を傾けるのかがわかっていたんだと思う。

 

「……言い換えれば、君をそこまで追い込んだのは、ある意味では俺の……」

 

どこまでも優しくて責任感の強い彼はその日知り合ったばかりの私に対してでさえ、あの《デス・ゲーム》内の惨状と私が絶望に追い込まれた原因の一旦を自分の責任だと背負い込んで、告白しようとしていて……。

そして彼が私の名を初めて呼ぶ時は唐突にやってきた。

 

「アスナ、手順はセンチネルと同じだ! ……行くぞ!」

 

そんな状況でないことは百も承知だったけど、その瞬間、驚きと郷愁と困惑がいっぺんにわき上がって、大きく跳ねた心の奥底の小さな嬉しさには気づけず、でも瞬時にそれを押し込め視線を彼から前方へと移しボスモンスターの存在へと集中する。そうして既にパーティーを組んだ時点でキャラネームが表示されていた事を知った私は初めて第二層に辿り着いた喜びさえ押しのけて自分のあまりの無知さに思わず笑い声を上げてしまった。

それから何度、彼に名を呼ばれただろう。《あの世界》の虜囚となって初めて私の名前を呼んでくれたプレイヤー。《現実世界》と同じ音なのに彼が口にしてくれる三文字にはたくさんの感情が内包されていて、それがこんなに耳に心地いと初めて気づかせてくれた存在。

普段の彼なら「アスナ」、躊躇いがちに、こちらの反応を探り探り伺うような口調の時は「アスナさん」、それから一転して漆黒の瞳の奥に真摯な光を宿せば……ふと、あの時、不安に負けて口にしてしまった問いに対する彼からの答えが頭の中をよぎる。

 

「君が充分に強くなって、俺が必要なくなる時まで」

 

彼の言う強さが私に充分備わったかどうかはわからないけど、これだけは言える、私が彼を必要としなくなる時なんて来ない、と……。

それでも私達は其々に別の道を選んだ時があった。まるで彼の事なんて関心がないかのように振舞っていたあの頃、偶然ひとつの事件の真相を追いかけていた最中、彼は私を《おまえ》と呼び、次に《貴女(あなた)》、《副団長》……《閃光様》と……もうっ、何かの嫌がらせかと思えるほどの距離感を突きつけられて頭にきた私は目線をそらしつつ不承不承にも自ら口にしたのだ、アスナでいい、と。

そうして彼の口から私の名が出てくる度に彼に惹かれていく自分を止める事が出来なかった私は「アスナ……今夜は、一緒にいたい……」という言葉の意味を覚悟を決めて受け止めた。

そうして紆余曲折を経て互いの気持ちを確かめ合ってから《あの世界》が崩壊するまではあっという間だった気がする。その後、別の世界に囚われてしまった私を救い出してくれたのも彼だし、《現実世界》で最初に会いに来てくれたのも彼だった。

やっとの思いで医療用ジェルベッドから半身を起こした私は、力の入らない腕を使ってなんとか頭部にあるナーヴギアを外すとそれだけで今ある全体力を使い果たしてしまい、呼吸を整えることに専念する。

ふぅっ、と大きく息を吐き出してから周囲の状況を確認する為に頭を巡らせると、先刻、ログアウト前に彼から告げられた通り、窓の外の暗闇を見て今が夜なのだと実感した。しかしぼやけた視界が徐々に鮮明になってくるとその闇の中にちらちらと白く光る小さな物体がいくつも降っている事に気づく。

……雪?……途端に《あの世界》で見た雪の風景が脳裏に蘇って……オープンテラスで初めて舞い落ちてくる雪を見た時、私の隣にいてくれたのはやっぱり彼で……と、その時、誰かに呼ばれた気がしたのだ。それまでたくさん、たくさん私の心を震わせてきた声とは少し違うような、けれど秘められた優しさと真っ直ぐさは変わらず……でも、その時の私は聴覚が衰えていて周囲の音は何も拾えなかったから、気のせいかと思ったのだけど……自然と振り返れば、そこには少し息を切らしながらも不安な色を黒曜石のような瞳に混ぜ込んだ彼がカーテンの隅に立っていた。

 

「おかえり、アスナ」

 

聞こえなくても聞こえる、彼が私を呼ぶ声……そうしてやっと私は《現実世界》でも彼の声がすぐ傍に聞こえる場所に戻ってきた。

彼に強く包み込まれているのに、私の内の奥深くにも彼がいて求められる喜びとその激しさが絶えず私を翻弄する。溢れる幸せに涙が止まらず、彼からの熱に溺れてしまいそうになるのを必死にしがみついて流されまいとすると、彼もまた限界だとでも言いたげに最後は荒く掠れた声で私の名を一回だけ呼んでくれる。それから高みへ上り詰めた意識が遠のく瞬間、時折思い出したように記憶の底から彼の声が聞こえるのだ。

 

「なあ、アスナ……俺たちの関係って、ゲームの中だけのことなのかな……?」

 

時にはこっちがビックリするような行動を取るくせに、二人だけになると気弱な一面を見せる彼が愛おしくて守ってあげたくて、いつも心の中で繰り返す…………私は何度でも君を好きになるよ、って……。

 

 

 

 

 

なぜあの時……アインクラッド第一層の薄暗い迷宮(ダンジョン)の奥底で、自分の行動規範に反してまで近づき、声をかけたのか……今でも明確な答えは出てこない……強いて言えば小学生の時に見たのと同じくらい眩しい流星を見せてくれたから、だろうか……?

しかしその煌めきさえも薄らいでしまう程の衝撃がすぐにオレを襲うこととなる……そう、初めてあの声を聴いた時だ。

 

「…………過剰で、何か、問題があるの?」

 

女性である事を示すそれはひどく小さく、感情も読み取れるものではなかったが、それでも美しさは十分に伝わってきた。

その後は偶然だったり、その場の流れみたいなもので彼女と行動を共にする時間が増えたが、彼女とパーティーを組んだ後でもオレ達は互いを名前で呼び合うことはなかった。オレはそれをこの関係が一時的なものだと彼女が考えているからだと思っていたが……第一層のフロアボスを倒した後、彼女は怪訝な顔で聞いてきたのだ「あなたに名前教えてないし、あなたのも教わってないでしょう?」と……。

そこでようやく彼女がパーティーを組む事さえ初めてだったのだと理解したオレはあえて自分の名を口にはせず、表示されている位置を教えた。

きっと頭で考えるよりも先にオレは彼女にその文字列を読んで、オレの名前を呼んで欲しいという渇望が全身を占めていたのだろう。

 

「き……り……と。キリト? これが、あなたの名前?」

 

初めて……初めて彼女の薄く形のいい唇から発せられたオレという個を指す三文字が耳をくすぐる。それは今で感じたことのない感覚パラメータからの信号だった。

そしてそれ以降、相変わらず「あなた」や「キミ」と呼ばれる事はあったが、圧倒的な割合を占めていたのは「キリト君」だった。

最初に呼ばれた時、《君》はいらないよ、と言ったのだが、今現在も彼女はオレの事を「キリト君」と呼ぶ……彼女の中のこだわりは長く同じ時を過ごしていても未だによくわからない部分が多いけど、この呼び名は今となってはすっかりオレの中に唯一無二として定着していて、むしろそう呼ばれる度に胸の奥があたたかくなるくらいだ。

それでも一時期、彼女がオレの名を呼ばず……正確にはある場所においてオレを「キリト君」と故意に呼ばずにる振る舞いをしていた時期があった。それはオレとの暫定的なコンビを解消し、彼女が正式にギルドへと入り、そのギルドが攻略組の指揮を執るような存在となった頃からだ。

事ある毎に作戦会議で意見を衝突させていたオレは彼女の中に変わらず存在し続けるゲームクリアに向けた真剣な姿勢を感じていたものの、それを覆う表情の硬さが気になっていたのだが……しかし攻略組ばかりが集まっている会議場の外では……そう、主街区のカフェなどで偶然(と思っていたが、実はそうでもなかったらしい)出会った時などは、パーティーを組んでいた時のように口元を微笑ませて少し得意気に「キリト君」と呼んでくれていた。

そして偶然にも、またコンビを組み、更に様々な意味で互いをパートナーと認識し、システム的にも伴侶となった彼女は突然にオレの前から姿を消す……彼女だけは安全な場所で……彼女だけは生き残って……彼女だけはオレが守ると誓ったはずなのに……。

病室のベッドで昏々と眠り続ける彼女を見る度にオレの内はひび割れ、砕けて、パラパラと暗闇の底に落ちていくようだった。

しかし、オレは再び彼女を《仮想世界》で探しだし、今度こそ《現実世界》で再会を果たす。

病室の窓の外、白い雪に目を奪われていたらしい彼女がゆっくりと振り返り、《あの世界》と同じようにほわんと優しく微笑みながらオレの名を呼ぶ……。

 

「キリト君」

 

途端に暗闇で粉々になっていたオレの欠片はひとつに集結し再構成を果たして光の世界へと引き寄せられる。そしてもう二度と彼女の声が届かなくなる事がないように、と祈りながらその細い身体を抱きしめた。

そうして今では《仮想世界》でも《現実世界》においてもオレの一番近い場所でオレの名を口にする彼女の声を聴く。

何度も、何度も、もう何回呼ばれたのかさえ数えきれないほど上がった息づかいで熱に浮かされたように繰り返されるオレの名は例えようもなく甘い。

堪らずにその甘さを味わうべく、オレの名を呼ぶ声を唇で封じると……直接、甘い吐息に溶けたオレの名を舌がすくい上げ、その味を堪能し続ける。そんな中、置いてきぼりにされている理性の片隅で忘れられない言葉がふと浮かんだ。

 

「……ねえ、あなたは、いつまで、わたしと一緒にいるの?」

 

かつて薄暗い螺旋階段を上る途中で彼女から投げかけられた問い……今なら何の躊躇いもなく答えを口にするだろう…………いつまでも、君が望んでくれるなら、と……。

 

 

 

 

 

新生《アインクラッド》……二十二層のログハウス。家主であるキリトはおらず、女主人よろしくアスナが客であるクラインとリズベットをもてなしていた。

主が不在の揺り椅子が定位置であるペチカの前で少し寂しそうに自身を持てあましている。自分達がこの家を訪れている時は必ずと言っていいほどその座面と背面へ無防備に身体を預け、来訪者に向けて睡眠誘導魔法を全身から放っている影妖精の寝顔がない事に違和感を感じずにはいられないのか、クラインは何度も無意識に顔を揺り椅子へと巡らせ、その度に首から肩にかけてを手で撫でていた。

その様子を視界の端に映していたリズが堪りかねたように鼻息を荒くする。

 

「さっきから何なのよっ、もう」

「いやぁ、なんっかこう、あそこにキリトがいねえと、落ち着かなねーってゆーか……」

 

ただそこで寝ているだけなのにその存在感を誇示している友の不在がクラインにとってはログハウスの居心地の良さにも関わってくるのか、どこか落ち着かない視線でリズの勢いを苦笑いで受け止めると、当のリズは少し呆れたように「違うわよ」と火妖精族に人差し指を向けた。

 

「私が言ってるのはその首っ。何回も手で触ってるでしょ」

「えっ?……あっ、ああ、これか……これはよ、《現実世界》で今朝起きたら見事に寝違えてて……今日一日ずっと気になって手でさすってたら癖になっちまったみたいで……」

「……そーゆー事ね……まあ、ケガとかじゃないんなら……」

 

ちょっと安心したような口ぶりに、途端、クラインの目と口がニヤニヤとうねる。

 

「おっ、なんだよ、心配してくれたのか?」

「べっ、別にそういうわけじゃないわよっ」

 

なんとなく気になっただけだからっ、と他意が無い事を顔面で表現しつつ思いっきり否定の言葉を口にしてから鍛冶妖精族はトレードマークのペールピンクの髪をふわり、と揺らし「ケガと言えば、今日、学校でね……」と急に神妙な顔つきに表情を変えて眉根を寄せた。

 

「校舎の最上階にある特別教室からアスナと一緒に校庭を眺めてたら……ちょうどキリトのクラスがグラウンドでバレーボールの授業をやってて……アイツ、隣のコートからボールが飛んできたのに気づかなくて、あわや直撃かっ、て時に、ふいにこっちを見上げたのよ」

「お前が『あぶなーいっ』とか大声でわめいたんじゃねえのか?」

「ちょっ、そんな事してないわよっ。だいたいこっちだって授業中だったし。私とアスナは早めに課題が終わっただけで先生もいたんだから。窓も閉まってたし、そもそもあの距離じゃいくら叫んだって聞こえやしないわ」

「で、結局キリの字はどうなったんだよ」

「それが、こっちを見上げたタイミングでボールはアイツにかすりもせず足下に落下したってわけ」

「ふーん、まあ良かったじゃねえか。怪我もなくて」

「そうなんだけどね、話はここからなのよっ」

 

リズは眉間の皺を一層深くしながら機密事項でも打ち明けるかのように声を潜め、クラインに顔を寄せる。

 

「どうしても気になって、昼休みにキリトに聞いたの。バレーボールの授業中、ボールが飛んで来た時いきなり校舎を見上げたわよね?、て……そしたら……」

「そしたら?」

「アイツ……アスナが自分を呼ぶ声が聞こえた気がしたんだ、って……」

「それって……もちろん、アスナさんがお前の隣でキリトの名前を叫んだりは……」

「するわけないでしょ。確かにボールが飛んできた瞬間、アスナも小さく『あっ』て言って身を強張らせていたようだけど」

 

その返答を聞いたクラインが両手を交差させて自分の腕をわさわさと擦りながら「うおぉぉっ」と身震いを止めようとするが、顔の片頬が明らかに痙攣していた。その反応に納得のリズが「怖いでしょー」と頷いていると「どうしたの?」とお茶の準備をしていたアスナがキッチンからトレイを手にやって来る。

ぱっ、とクラインとの距離を元に戻したリズは誤魔化し笑いを浮かべて「クラインったら首を寝違えたんだって」とアスナに告げた。

 

「えっ、大丈夫ですか?」

 

客人ふたりの前にお茶の入ったカップと切り分けたロールケーキを並べてから向かいのイスに腰を降ろし、心配そうに見つめてくる水妖精族の澄んだ瞳を見て、野武士面のバンダナ妖精はその気遣いを軽く左右に振った手ではね除ける。

 

「ありがとよ、アスナさん。でも、こんなの《現実世界》で一晩寝れば治っちまうから」

「湿布とかあります?」

「んー、確かどっかにあったような……」

「貼ると大分違うと思いますよ。ご近所さんだったら私の家にあるのをお届けに行けるんですけど」

「そいつは大歓迎だな。ついでにアスナさんが湿布を貼ってくれたら治癒魔法みたいに一瞬で治るかもしんねー……って……」

 

クラインからの九割九分冗談で一分本気の発言に少し考え込むように人差し指をおとがいに当てたアスナは小さく「んんぅ……」と唸ってからぽそり、「アスナさん、かぁ」と火妖精族を熱っぽく見つめる。しかしその眼差しに全身を硬直させたクラインはそんな呟きさえ耳に入らず、いきなり顔を頭のバンダナと同じくらい真っ赤にさせてその視線を遮断すべく小刻みに震える手の平をアスナに向けた。

 

「えっ?!、ちょっ、ちょっ、ちょっと待ったっ、アスナさん。いくらなんでもそれはマズイって。ご近所さんでもねーし。湿布なんざ近くのドラッグストアに行けばいくらでも売ってんだから……それに、ほらっ、オレはキリの字との友情を大事にしたいってゆーか…………でも…………でも、だ……まあ、アスナさんが、どーっしてもっつーんなら…………汚い部屋だけどよ……」

 

ひとりあたふたと手を振ってみたり落ち尽きなく腕を何回も組み直したり天井を見上げて考え込んだりとアスナの視線を誤解しているだろうクラインにリズが哀れみの視線を送る。

 

「アンタ、何勝手にひとりで困ってるわけ?」

「いやーっ、やっぱダメだ。アスナさんはまだ未成年だし……」

「未成年だとダメ……なんですか?」

 

しゅんっ、と眉尻をハの字に落としたアスナを見てクラインが更に盛大にあわてふためいた。

 

「あーっ、まあ、その、こればっかりは気持ちの問題だから……うん、俺の同僚にもダブりはしてねーけど、結構とっかえひっかえで長続きしない奴とかいるしな」

 

クラインの言葉に少し安心したように肩の力を抜いたアスナだったが、後半の言葉に意味がわからず首を傾げる。

 

「とっかえひっかえって……そんなに呼び方を変える同僚さんが?」

「えっ?」

「だから、クラインさん、私の事、未だに『アスナさん』って呼ぶでしょう?。もう攻略組ってわけでもないし、私もギルドの副団長じゃないから……それにクラインさんの方が年上なので…………呼び捨てにしてもらえませんか?」

 

さっぱりとこれまでの憂いを払うように清々しい笑顔でお願いを言い切ったアスナに口を丸く開けたままのクラインがもう一度「えっ?」と問い返すと、横で笑いを堪えていたリズが目に堪った涙を拭いながら親友の言葉の意味を再度説明する。

 

「だから、アンタもアスナの事を『アスナ』って呼んで欲しいって言ってんのよ」

「えーっ!、えっ?、えっ?……俺がアスナさんを呼び捨てに?」

「はい、キリトくんもエギルさんも呼び捨てだから……」

「うーん……嬉しいけどよ。それはそれでちょっと緊張するなぁ」

 

それまで脳内でアスナの言動から勝手に展開していた自分の妄想などすっかり抜け落ちた様子のクラインは誤解を恥じる暇なく今度はアスナを呼び捨てにする自分を想像し、あれやこれやと再び考え始めた様子で……その姿にかける言葉さえ見つからないリズベットはさっさと見切りをつけて話題を変えた。

 

「そう言えばキリトは《イグドラシル・シティ》まで買い物に出掛けてるのよね?」

「うん、自分の用事ついでに雑貨屋さんで私が注文しておいた調味料も受け取って……」

 

そう説明していたアスナの言葉が不意に途切れる。

そして何かに導かれるようにスッ、とイスから立ち上がって迷いもなく外へと通じる玄関ドアの前まで歩いて行き、ノブを掴んでゆっくりと動かせば……目の前には両手いっぱいに荷物を抱えたキリトが立っていた。

突然開いた扉に驚いて目を見開いていたが、出迎えてくれたアスナに対しすぐに嬉しそうな口元で「ただいま」と言えば、当然のように優しい笑みが「おかえりなさい」と一緒に返ってくる。

しかし、その笑みはキリトの姿をしげしげと眺めた後、徐々に別の感情と混ざり合って少々剣呑な声へと結びついた。

 

「それにしても……なんでそんな大荷物になってるの?」

 

アスナのこめかみがピクピクと細かな動きを見せ始めたのを即座に視界に収めたキリトが、自分も口元をひくつかせる。

 

「えーっと、これはですね……途中で色々とありまして……」

「ふーん、大方、《イグドラシル・シティ》に行くまでに妙な横道を見つけたり、私が頼んだ品物を受け取った後も露店で怪しい買い物をしたりでストレージに入りきらなくなったんでしょ」

「……その通りデス……でもすごくレアなヤツだったから、アスナに料理してもらえば絶対美味いと思って……」

 

無邪気に闇妖精族特有の真っ黒な瞳を輝かせるキリトを見て、これまでの経験からアスナは思わず半歩後ずさりをした。

 

「こ……今度は何?……私、手とか足がたくさんあるの、嫌だからね」

「それは大丈夫。草むらの奥で見つけた沼にいたのはでっかいカタツム……」

 

最後まで言い切る前にアスナが眉を吊り上げ勢いよく両手をグーにして叫ぶ。

 

「イヤッ!! とにかく絶対にイヤッ。ここで実体化させたら窓から放り投げるからっ」

 

玄関先でいつものように周囲からみれば、じゃれ合っているのか?、とげんなりさせてくれる会話を続けている家主の二人にクラインの声が割り入った。

 

「まあまあ、フランス料理にだってエスカルゴってのがあるじゃねーか。とりあえず見てみたらどうだ? ア……アスナ……」

 

一瞬でキリトから表情が消える。

その変貌ぶりにまたもやリズが懸命に吹き出すのを堪え、お腹を抱えて身体をくの字に曲げ全身を震わせた。

幾分、緊張気味に表情を固くしながらも嬉しさと恥ずかしさの交じった照れ笑いでアスナを呼び捨てにしたクラインに向けるキリトの視線は殺気を帯びていると言っても過言ではないくらいに冷たい。

パートナーの異変に気づいたアスナが取り成すように表情を緩めて「キリトくん」と最愛の影妖精族の名を呼んだ。

 

「私がクラインさんに呼び捨てにして欲しいって頼んだの」

 

彼女から望んだ事だと聞かされれば問いただす言葉もなく、確かに自分を始めクライン以外の親しいプレイヤー達は男女問わずほとんどがアスナを呼び捨てにしている事を思えばそれも当然とは思うが、今までの「さん」がなくなった途端、互いの距離感さえ急速に縮んだように感じてしまうのはどうにも止められず、はっきり言っておもしろくない、と無意識にへの字に歪んだ口が物語ってしまう。

加えてキリトの反応を見るやいなや、それまで緊張が張り付いていたクラインの顔に勝ち誇ったように口元に浮かんだ笑みが更にキリトを煽った。

実体化させて持っていた荷物のうちの一つをアスナに差し出し「これ、頼まれたやつ」とだけ短く告げて渡すと「ありがとう」と笑う彼女に向かい、一瞬表情を緩めるが真っ黒な瞳はすぐに冷気を纏う。

アスナが受け取った荷物を持ってキッチンへ移動する後をなにやら不穏な気配を察知したリズがこの場から逃げ出すように追い、何食わぬ顔で「なになに?、何を買ったのよ?」と、いたって普段と変わらぬ態度でアスナと女同士でお喋りを楽しむ風を装い避難を完了させた。

一方、キリトはクラインから視線を外したまま自分の指定席でもある揺り椅子に近づき、その他の荷物を乗せて両手が空くと即座にウインドウを操作し始める。

何を始めるつもりなのか?、とクラインが予測不能の友の行動にこれまた一抹の不安を抱いていると、いまだウインドウの表示を見つめたままのキリトの本気の声が耳へと届いた。

 

「アスナを呼び捨てにしたいなら、まずはオレの剣を受けてからだ」

 

同時にクラインの視界に映ったのはかつて「黒の剣士」と呼ばれた友から送られてきたデュエルの要請を示すメッセージと二本の剣を実体化させたその姿だった。

一方、ある程度展開を予測していたリズはひょこり、とキッチンから顔を出し、クラインの凍りついた表情に哀れみの視線を送ってから二人に声をかける。

 

「ちょっとー、物騒な事は外に出てやりなさいよ。あと、キリト……剣は一本までっ、エクスキャリバーは仕舞いなさい。アンタの今の殺気で二刀なんて使われたら一瞬でクラインがリメインライトになるわ」

 

互いに自分のウインドウから目を離さず……片やデュエルの受諾を待つ影妖精族に、片やデュエル受諾か否かの画面を睨み付けながら、自分に選択権などない気がしている火妖精族という膠着状態の二人の元へキッチンの奥からアスナの涼やかな声だけが聞こえてくる。

 

「どうしたの?、リズ」

「あー、なんでもない、なんでもない。キリトとクラインがリビングでふざけあってるから外でやれって言ったのよ」

「そうなの?、随分静かだけど……」

「ほら、ドラマであるでしょ。結婚の承諾をもらいに彼女の実家へ行った彼氏が、娘が欲しければ問答無用で一発殴らせろー、って父親に言われるやつ」

「……私、テレビとかあまり見ないから……」

「それよりアスナ……」

 

そこまでで二人の会話はリビングへは届かなくなった。

リズはアスナの腕を引っ張り、自らも親友の綺麗な顔に近づいて真面目な表情となる。

 

「さっき、なんでわかったのよ?」

「えっ?、わかったって……何が?」

「ほら、キリトが帰って来た時。自分からドアを開けに行ったでしょ……索敵スキル?」

 

リズの推測を聞いてアスナがふふっ、と笑う。

 

「そうじゃなくて……なんだか聞こえた気がしたの」

「……何が?」

「キリトくんが私を呼ぶ声」

 

今度はリズが背筋が寒くなったのか、ぶるり、と腰から肩まで這い上がるように身を震わせた。




お読みいただき、有り難うございました。
一貫してストーリー性のある構成ではないので、どうかな?、と
思いますが……それ以上に前半の台詞部分、まるまる原作様から抜き出しなんですけど
大丈夫でしょうか?(冷や汗)
キリトとアスナが初めて出会う場面はSAOの1巻ではなくプログレに準じて
みました(その方が書きがいがあったので)
次回はがっつり《現実世界》です。

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