ソードアート・オンライン《かさなる手、つながる想い》   作:ほしな まつり

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キリトとアスナが帰還者学校に入学して数ヶ月経ち、夏休み目前といった時期の
学校でのお話です。
少しだけ『【番外編】想定外の初日』の序盤の内容が出てきますが、読んでなくても
大丈夫です(きっと)



絆・前編

現実に自分で身体を動かすとこんなに心臓ってばっくばっく痛くて息苦しいもんなんだなー、と約二年ぶりの感覚に目眩までおこして手すりにしがみつき、それでもすぐ傍にいる若い看護婦さんの前では格好を付けたくて『このくらい何でもないデス、余裕ッス』の笑顔を向けるとオレの男気を受け取ってくれた二十代半ばと思われる白衣の天使はケタケタと笑いながら「佐々井くん、体力なさすぎー」と俺の紙カルテをパタパタと振って風を送ってくれたっけ……なんて《この世界》に生還したばかりの自分の姿を思い返せば、本日最後の授業である体育でグラウンドのトラック十周をこなし終えた俺は、随分体力ついたなぁ、とグラウンド横の更衣室で制服に着替えたものの、止まらない汗を拭いながら同じクラスの男友達と校舎へ向かう途中、しみじみと実感する。

 

「しっかし、毎回、毎回『じゃ、今日のシメは……』とか言って飲み会帰りのラーメンみたく腕立て三十回とかグラウンド十周とかで授業を締めくくる体育教師ってどうなんだかね。しかも午後の二コマ目って、ただでさえ体力も気力も底が見えてんのに……」

「文句言うと『お前達の寝たきりで衰えまくった筋力復活の為だっ』つーけどよ、ハッキリ言ってそのシメのお陰も含めて《あの世界》前より筋力はついてると思うぞ」

「だよなー。俺だって昔は時間があればゲーム三昧の日々だったからなぁ。体力なかったもんなぁ」

 

自分達の担当体育教師について不満のような感謝のような言葉を交わしていると、その会話を黙って聞いていたカズがふと足を止める。

 

「どしたー、カズ?」

「これ、頼む」

 

問いかけは無視したくせに持っていた体育着の入っている袋は俺に押し付けて、急ぎ足で体育館の出入り口へと向かった先には……先週の終わり、うちのクラスに編入してきた女子が外廊下へと降りる階段を躊躇うように見つめていた。

そう言えば女子は体育館で授業だったんだな、と思いつつも、編入生の女子は松葉杖をついているので体育は見学だったのだろう、当然、服装も制服のままだ。

男子と同じように女子も授業自体は終わっているらしく、背後の体育館からは女子特有の軽やかな声と共に用具の片付けをしている音が漏れ聞こえている。

多分、自分が居ても片付けの役には立たないという判断と松葉杖に頼りながらの歩行は教室まで時間がかかるという理由でクラスの女子達より先に体育館を出たのだろうが、ただでさえ人数の少ない女子なのに、そんな単独行動をとって馴染めるのか?、とも思う。

ともあれ編入してきてまだ数日、ヘタに男の俺が声をかけない方がいいかも……と考えている俺の視線の先でカズが編入生に声をかけた。

 

「手、貸すよ」

 

なんなんだろうなっ、あの男はっ。

下心ありありで話しかけてくる女子には面倒くさそうに最低限の会話しかしないくせにっ。

これって『編入生にちょっかいをかけている姫の彼氏!』ってタイトルで校内ネットに載せられても反論できない光景だぞ。

そんな誤報を流させない為にも、と俺は一緒にいた奴らに「ちょっと寄るとこあっから、先戻ってて……あ、これもお願い」と告げ、二人分の体育着を有無を言わせない勢いで託して急いでカズの元へ向かう。

あいつらが一緒の方がよりワイドショー的な雰囲気は緩和出来るけど、今度は編入生女子ひとりに複数の男子という構図が、見た目にも、当の編入生にも違う種類のワイドショーネタを想像させそうだから、まぁ、俺一人でいいだろ。

それにこの編入生の表情について、俺はちょっとばかし不安感を抱いていたから、きっとまだ顔も覚えられていないクラスの男子が一度に何人も関わらない方が良い気がする。

この帰還学校への中途編入と言うだけで完全に珍獣扱いの彼女だったけど、担任の話によれば、俺達のように去年末に《現実世界》へ生還を果たした者達ではなく、約三ヶ月遅れて覚醒した、彼女のような「第二次生還者」達はこの学校の四月入学にリハビリが間に合わず、夏期休業期間も使って勉強の遅れを取り戻し、体調も万全に整えてから九月の秋入学というのが主流らしい。

だから夏休み明けに何人もの編入生が仲間入りするらしいけど……確かに自分だったら、と考えると、いくらリハビリが完了したとしても、夏休み目前にわざわざ編入して二週間程度を学校で過ごしても目立つだけであまり意味はない気がする。

それとも、その数日間でも学校へ来たい理由が彼女にはあるんだろうか?……でも念願の学校生活をウキウキで満喫している感じにも見えないんだよなぁ。

まだまだ歩行も頼りない状態で……それでも休み時間は一人で教室を出て行く後ろ姿を何度か見かけた事もあって……なにか事情があるんだろうけど、その、人を寄せ付けない印象はどうにも心が波立つ。

そう言えば、数日前の放課後、姫と二人で帰ろうとしていたカズが嫌がるのをからかいながら無理矢理校門まで一緒した時、編入生の話をしたら、カズが足を止めて俺の存在も無視したまま姫の手の甲を両手でさすりながら言ったんだよな。

 

「だからアスナが春入学なんて、どれだけ無理をして身体に負担を掛けたか……そろそろ本格的に暑くなってきたし、少しでも調子が悪くなったらすぐに言えよ」

 

姫はちょっと苦笑いで「大丈夫だよ」って言ってたけど、そこで初めて俺は姫が「第二次生還者」だと知ったくらいだ。

なるほど、それなら姫やカズと初めて会ったあの入学式の翌日、姫の体調を過干渉と思えるくらい心配していたカズの気持ちも納得できる。俺は単純にリハビリが思うように進まなかったんだろうな……姫、ほっそいもんなー、筋力も体力も、元からなっさそうだもんなー、って勝手に納得してたけど、改めて考えれば意志が強くて、ちょっと頑固で頑張り屋の姫がリハビリをサボるなんてあり得なかったし、と言うか約三ヶ月のハンデを必死に縮めた努力と根性って並みの男よりスゴイ気がする。

それを傍で見守るしか出来なかったカズも結構しんどかっただろうな、と想像して、遅まきながら今のカズの行動が腑に落ちた。

未だ、俺の目の前で編入生に向け片手を差し出しているカズと、その手をジッと凝視している彼女。

受諾も拒絶も示さない彼女にカズが更に言葉を重ねる。

 

「そこの段差、松葉杖をついて降りるには幅が狭くて、ちょっと怖いだろ」

「……怖い?」

 

カズが口にした単語のひとつに彼女が反応した。

まるで自分も経験したかのような言葉に俺も、はて?、と心の中で首を傾げる。

カズは俺と同様、「第二次生還者」と区別する意味で「第一次生還者」と呼ばれる、いわゆるこの学校の生徒の……多分姫以外の全員にあたる、昨年のうちに《現実世界》に戻り、入学までしっかりリハビリ期間を有していた者のはずだ。この段差を怖いと思う事などあるわけがない。だけど「怖い」という単語を指摘されたカズの表情で俺はすぐさま真実を看破した。

 

「カズ……お前、同じような場面に……もっと言えば姫が同じような状況になった経験があるんだろ」

 

目元を少し赤くしたカズが小さく素直に「ああ」と認める。

 

「入学する前に、まだ松葉杖を使っていたアスナが学校の下見をしておきたいって言うから、許可をもらって二人で……」

 

姫の松葉杖は入学までにとれるかどうか、といった状態だったらしい。だから学校側も入学式の代表挨拶を姫に依頼する事は早い段階で諦めたのだと職員室で教師達が話していたのを聞いた覚えがある。

 

「ふーん、それで体育館を下見した帰りに姫がこの段差で戸惑ったんだ」

「ん、まあな」

「そこでお前はすかさず手を貸したと……」

「う……ん、そんな感じだった……かな」

 

カズの僅かな躊躇い口調を俺が見逃すはずもなかった。

 

「違うな……手を貸した……んじゃなくて…………ああっ、わかった……わかってしまった……なんで俺ってばわかっちゃったんだろー……」

「佐々?」

 

俺の脳内には一気にカズと姫との初対面シーンが浮かび上がって……それは疲れて座り込んでしまった姫に対し、さも当たり前のように両手を伸ばしたカズの姿で……どうせここでも頬を染めて恥ずかしがって拒む姫を無視し、松葉杖をその辺に立て掛けてその腰に両手を回し、抱き上げて下まで降ろしたんだろう妄想映像を一刻も早く消し去ろうと、俺は両手で自分の頭をかなり乱暴に掻き乱した。

もう一度「佐々井?」と、ちゃんとした名字で問いかけてくるカズに向かって俺は最後の仕上げとばかりに頭をぶるんぶるんと振り回す。

 

「多分、いや間違いなく正解に辿り着いてしまった妄想をたった今、きれいさっぱり消去したところだ」

「髪の毛……もの凄いことになってるぞ」

 

……だろうな、力いっぱい掻いたし、振ったし……とにかくっ、だ、この段差が松葉杖を使って降りるのが少々困難な事は理解した、後はこの編入生がカズの手助けを受け入れるかどうか、だ。

すると編入生に向き直ったカズが改めて安心して降りられる為の手段を口にする。

 

「別にオレが君を抱き上げよう、って言ってるわけじゃない。松葉杖をはずして、俺の手を支えにしてもらっていいから」

 

……それって、姫の時は抱き上げたけど、って言ってるようなもんだよな……折角消した俺の妄想を肯定するような発言に気が遠くなりかけるが、編入生が無言で頷いたのを見て頭を切り換え「なら、俺が松葉杖を預かるよ」とこちらも手を伸ばした。

数段の段差分、やや上から見下ろす目線で「ありがと」と言いながら松葉杖を渡してくる編入生は意外にも柔らかな印象で、これなら今後、クラスにも溶け込んでいけるのでは、と安心が芽を出す。

存外、素直に俺に松葉杖を渡し、カズの手に自分の手を重ねた編入生は少しふらつきながらもゆっくりと片足ずつを動かして外廊下に着地した。それから慣れない場所での段差をクリアする事に加えてクラスメートの男子の手に緊張したのか、ふぅっ、と息を吐き出している。カズの手を離し、落ち着いたところで預かっていた松葉杖を返しながら俺は笑顔でプチ情報を提供した。

 

「カズが姫以外の女子に気を遣うなんて滅多にないから、これってかなり貴重な体験だよ」

「おいっ、佐々っ」

「……姫?…………さっきから言ってる『姫』って、誰?」

 

不機嫌な声を吐くカズを無視し、俺は彼女の疑問に答える。

 

「まだ知らないか……この学校ではかなりの有名人だから、すぐ耳に入るし目にすると思うけど……こいつの彼女さんのこと。綺麗で優しくて賢いから別格的存在で『姫』って呼ばれてる人。こいつとは《あの世界》からお付き合いが続いてるって言うんから羨ましい限りだよ」

「えっ!?」

 

小さな驚声と共に彼女から柔らかさが萎んで表情が消えた。ぼんやりと開いたままの唇から「《あの世界》から?」という疑問が小さく転がり落ちたかと思うと、今は同じ場所に立っている為、少し俺達を見上げるようにして視線を刺してくる。

 

「《あの世界》で知り合った人? もともと彼女じゃなくて?」

 

なぜか責めるような物言いで畳みかけてくる質問の意図がわからず、戸惑っていた俺の隣でカズが「……ああ」とだけ返答すると、益々彼女の眼差しがきつくなった。

 

「《仮想空間》で出来た彼女が《現実世界》でも恋愛感情を持つなんて続くわけない。今は《あの世界》にいた人達ばかりの学校に通っているから延長線上みたいな感覚でいるだけよ。すぐに《こっちの世界》で囚われる前の生活に戻るんだからっ」

 

一気に吐ききった言葉へ驚きよりも疑問が勝って……。

 

「な……なんでそんな事を……?」

 

しかし、俺の問いに答えることなく、彼女は顔をしかめて絞り出すように最後の言葉を浴びせた。

 

「《あの世界》の関係なんて、所詮、仮なの。あの狂った世界の中だけに決まってるでしょ!」

 

黙って彼女の言葉を受け止めていたカズは唇を噛みしめ、荒れ狂う感情を抑え込んでいるのか固く握りしめた両手を震わせている。普段激しい感情を見せない瞳が赤黒く燃え上がって彼女を睨み付けていた。その表情に俺が一瞬怯んだ時だ、カズは何も言い返す事なく、くるり、と向きを変えて駆け出して行ってしまう。その後ろ姿に思わず声をかけようとしたが、発すべき言葉が見つからないままどんどんとその姿は小さくなっていった。

残された俺は振り返って編入生を正面から見つめる。

 

「……そんな顔するなら、なんであんな事言ったの?」

 

まるで自分がひどい言葉を投げつけられたみたいに顔を真っ赤にして目に涙を浮かべているが、唇は頑固に閉じたままだった。

 

「姫の事だって知らなかった君が、あんな事を言う権利はないと思うけど」

「……だって……そんなの……《あの世界》はもうないんだから、みんな目が覚めたら《あの世界》の事なんて夢の出来事みたいになって、《現実世界》で一緒に過ごしていた人達との生活に戻るの、当たり前でしょう……」

「それは俺達みたいに生きて戻ってこれたから言える台詞だけどね……まっ、《あの世界》が夢だったら、なーんて、それこそ《あの世界》に閉じ込められた連中のほとんどが思った事だろ。それを何とか諦めずに自分の存在を守ってきたんだ……俺も……君も」

 

俺は一歩前に出て編入生の目の前に立ち、腰を屈めて顔を近づける。

 

「カズと姫はね、《あの世界》で自分達だけじゃなくて他者の存在まで守ろうと頑張ってくれた二人なの。君はまだリハビリも完全じゃなくて、編入してきたばかりの女の子で、何か事情を抱えてるんだろうけど……ごめんね、今の俺にはそんな事どうだってよくなっちゃってる。あの二人は俺にとってもすごく大切な人達なんだ。こういうのはあまり好きじゃないけど……なんであんな事を言ったのか、少々キツい思いをしても、ちゃんと教えてもらうから」

 

久々に気持ちが爆発するのを止められなかった…………まあ、髪は既に爆発してたけど……。

 

 

 

 

 

カズと俺、二人分の鞄やら何やらを抱えて体育館前から姿を消したアイツを探しまくった放課後、靴はあったから校内のどっかにいるんだろう、とパソコンルームに行ったり、図書室を見てみたり、カフェテリアの覗いたり……で、ようやく辿り着いた屋上で我ながら痛々しいほどにゼーゼーと息を切らして、汗だくになって、膝をがくがくさせて倒れ込みそうなって、《現実世界》に生還した後、リハビリを始めたばかりのような状態の俺の数メートル先にカズがいた……。

屋上の縁をぐるりと一周している座るのにちょうどいいでっぱりに寝転んで……。

もっと正確かつ詳細に言えば、そこにスッと背筋を伸ばして座っている姫の膝を枕にしてっ……。

多分、屋上の扉が開閉する音と荒い息づかいでやって来たのが俺だとわかったんだろう、カズは仰向けになっていた体勢をすぐさまゴロリ、と転がして姫のお腹に顔を押し付けるように横向きになり、俺に背中を向ける。

ちょっと待て、俺はあの後、大変だったんだぞっ、の勢いを足音に変え、息が整わないままズンズンと二人の前まで到着すれば、姫が申し訳なさそうな笑顔で「こんにちは、佐々井くん。キリト君の荷物、持って来てくれたの?、有り難う」とカズが述べるべき言葉を口にした。

普段、俺が姫とお喋りを始めると秒刻みでイライラが深くなってくカズが寝たふりを決め込むらしい態度につけ込んで、ここはひとつ貴重な会話を楽しむ事にする。

これくらいのご褒美は当然のはずだ。

 

「あっれー、姫、なんで残ってんの?、今日は俺達よりコマ数少なかったよね?」

 

姫の時間割は完全に把握している……今日の午後は一コマだけのはずで、いつもなら先に下校してしまう日だ。

既に俺の口から出る自分に関する情報に驚きもみせなくなった姫は、ちょうど白い雲が夏の日差しを遮り心地よい風が吹く屋外で汗まみれの俺がこれ以上は接近できないな、と判断した境界ギリギリまで近づくと、涼しげな声で「よく知ってるね」と小さく前置きをしてから少し言いにくそうに口をすぼめる。

 

「一緒に帰る約束のリズがね……小テストの追試になっちゃったの……だからここで時間を潰してたんだけど……」

 

そこにカズが飛び込んできたってわけか……どうやら一人で時間を潰していたのは本当らしく、姫が腰掛けているすぐ横に読みかけの……珍しく紙媒体の文庫本がおいてある。カズがこんな状態の時、引き合うようにここで鉢合わせて姫が受け止めてくれた偶然に感謝すると共に、二人の結びつきの強さを見せつけられた気がした。少し距離を取って立ち止まった俺に対して小首を傾げた姫はカズがいない側を手で示して「座ったら?」と誘ってくれたが、自分の汗臭さが気になって曖昧な苦笑いで手を横に振ってから会話を続ける。

 

「へぇぇ……篠崎先輩、何の追試くらってんの?」

「日本史の百本ノックって言われてて、歴史上の人物を一問一答形式で百人答えるの」

「ひゃく……俺らの体育も熱血だけど、姫んとこも相当だね。合格ラインは何人?」

 

単純な質問なのに姫が言いよどんだ。宙を睨み「九十だったかな?……あれ?、九十五?」と呟いている所を見ると、姫の頭脳的には合格ラインを気にするような難易度ではないんだろう。

全く、この人の記憶容量は底なしだなぁ、と羨ましいやら恐ろしいやらで片頬がひくつく。

 

「これは追試になってくれた篠崎先輩に感謝しなきゃだね。お陰で精神状態ぐらぐらのカズが逃げ込む場所があったわけだから」

 

わざとカズに聞こえるように大声を出してみたけど、相変わらずその背中はちっとも反応がなかった。でも自分の膝にカズの頭を乗せている姫は何かを感じたのか……いや、多分ここでカズと遭遇した瞬間に間違いなく何かを感じ取っただろう、軽く息を吐き出してからその白い手でそっとカズの髪の毛を撫で始める。

 

「やっぱり…………何かあったのかな?、とは思ってたんだけど……」

「カズ、何も話してないんだ」

 

少し寂しそうな笑顔で小さく頷きながらも愛おしそうに漆黒の頭に触れている姫に向かって俺は体育館前であった出来事を話した。

カズが段差に戸惑っていた編入生に手を貸したこと、その編入生がカズと姫の関係を知った途端、態度を豹変させたこと……そしてカズにひどい言葉を浴びせたこと。

俺の話を聞きながら、姫の手は止まることなくカズの髪の上をゆっくりと、まるで荒波を鎮めるように何度も何度も諦めずに撫で続けている。

 

「その人、《仮想世界》での関係は《現実世界》では通用しないってキリトくんに言ったのね」

 

二人の関係性を侮辱されたと言ってもいい話に、不思議と姫の表情は穏やかなままだった。

 

「うん……そうなんだけど……」

「そこまで言い切るのなら、きっと理由(わけ)があるんでしょう…………そう言えば、キリトくんも前に同じような事、私に言ったことがあったよね?」

 

間違いなく俺達の会話を聞いているであろうカズに向け、姫がちょっとからかうような笑顔で膝の上の頭をつんつん、と指でつつくが、俺は内心の動揺を隠すのに精一杯でそれどころじゃなかった。

カズもあの編入生の彼女と同じように《仮想世界》と《現実世界》を区別して考えてたってことか?

しかし目の前の光景を見る限りでは絶対《あっち》でも姫を独占してただろっ、と思わずにはいられないほど自然に姫と密着しているカズが、つつかれた頭は意地でも動かさない気なのかバツが悪そうに両足だけをもぞり、とよじらせると、その反応を可笑しそうに眺めていた姫が再び俺に向き直る。

 

「佐々井君はその理由、知ってるの?」

「そりゃあ、あそこまで言われたら黙ってらんないっしょ」

 

俺の返答を聞いた姫の眉毛が途端にハの字になる。それから下を向いてカズへと小さく何かを告げたようだった。

ゆっくりと顔を上げた姫は困り顔のまま下から俺を見上げる角度で気遣いの言葉をくれる。

 

「強引なこと、してない?」

 

思わず、ぐっ、と言葉に詰まってしまった……『交渉屋』の屋号を持つ俺が言葉に詰まるなんて、なんて情けないっ、と恥じ入るより、姫、その角度からの上目遣い、反則だからっ、でもってその視線と俺を気遣ってくれる言葉が身にしみて、心にまでしみて……なんかもう全身全霊がスポンジ状態で染まるわっ。

 

「安心して、俺ってば荒事は苦手だし……まぁ、言い方によっては言葉も柔らかいのから痛いのまであるから、そこは使い分けしたけどさ」

 

具体的な説明はあえて省くけど姫が心配するような事にはなってないから、と言いたかったんだけど……明るく爽やかに言い切ったつもりのオレの言葉に対して、姫はまたもや困ったように軽く怒って「全然安心できないよ」と今度は視線で俺を咎める。そのお叱りを少しこそばゆい気持ちで受け取ってから、俺は彼女の理由を二人に打ち明けた。

 

「その編入生さんもさ、付き合ってる人がいたんだって。姫達と同じように《あの世界》で出会って恋人関係に発展して、二人で《現実世界》に帰ろうって頑張ってたらしい。ログアウトする瞬間まで一緒にいたんだけど……彼女は生還が遅れて、でも随分リハビリも頑張ったんだろうね、その彼にもう一度会うために。きっと相手も自分の事を懸命に探してると信じて……だから一刻も早く生還者達が集まっているこの学校に来たかったんだよ。《こっち》での名前や住んでる場所を知っていても部外者に生徒の情報は開示できないから。それで、まだリハビリが完了していないのに編入してきたんだ。でも……校内を探してみても彼の姿はなかったらしい」

「もしかして……」

「うん、彼も第二次生還者でさ。それが確認できたのがつい最近らしくて、ラッキーな事に入院している病院もわかったから早速会いに行ったって言ってた……でも」

「もう、いなかったの?」

「ちゃんといたよ…………彼が《あの世界》に囚われてる間もずっとお見舞いに通い続けていた幼馴染みの彼女と一緒に……」

「っ!」

 

息を呑むのと同時にカズに触れていた手がピクリ、と跳ねたけど、またすぐに姫は愛おしそうに頭を撫で始める。その手から何が伝わっているのかなんてわかるはずもなく、ただ俺は思ったままを言葉にし続けた。

 

「これはさ……多分、誰が悪いって話じゃないんだと思う。いきなりあんな状況に置かれたら誰かと寄り添い合っていないと希望を持ち続けるのは難しいし、《現実世界》に置いてきぼりにしてきた彼女がいつまでも待っていてくれるなんて確証もない……だから……」

 

俺はその後に続く最後の一言を、ほんの少し前、俺に告げてきた編入生の表情を思い出しながら一言一句違わずに、そしてきっと同じようなやるせない笑みを浮かべて姫に告げる。

 

「これは、どうしようもない事だったんだって諦めるしかない」

 

けど、今度は逆に姫の顔が納得できないとばかりに静かに歪んだ。

 

「そんなの……本当にそれでいいの?」

 

どうしてこの人はそんなにすぐに他人の事を、それも顔も名前も知らない学年も違う編入生で、しかも自分の大好きな人を侮辱した人間の為に真剣になっちゃうかなぁ……自分達と似た境遇だから肩入れする気持ちもわからなくはないけどさ。

 

「だって他にどうしようもないでしょ? 彼女と一緒にいる病室に乗り込んで《あの世界》では私が恋人だっんだって主張したところで、幼馴染みの彼女がその場所を譲ってくれるわけないし……姫がそんな気に病むことはないんだよ、編入生さんも誰かに言いたかったみたいで……話し終わったら随分とスッキリした表情になってたから、コレはコレで……あとはカズが乗り越えてくれれば丸く収まったって感じになるんじゃないかな?」

 

俺の顔をずっと凝視したまま「めでたし、めでたし」に落ち着かせようとしている台詞を聞き終えて、姫はぽそり、とひとつの単語を投げてきた。

 

「嘘」

「えっ?」

「佐々井君がそこまで事情を知って、話の聞き役で終わるはずないよ」

「ええっ……と、それはちょっと俺の事、買いかぶりすぎと言うか……俺は単にカズにひどい言葉を吐いた理由が知りたかっただけなんだから、その後のフォローまで面倒みる気は……」

「でも……何か言ってあげたんでしょ?」

「あー……、まあ、気休め程度のことは、ね」

「……うん、よかった。なら、きっと大丈夫ね」

「…………」

 

なんだろう……なんで姫はこんなに俺の事、信じてんの?、まだ出会って三ヶ月程の俺なんて個人的に付き合いがあるわけでもないし、有り体に言えば彼氏であるカズのちょっとばっか仲の良い友達で、自分にとっては「姫、姫」と事ある毎に積極的に話しかけてくる、この学校に数多いるファンのひとりにすぎないでしょ?、名前を覚えてもらってる分、ちょっとは親密度が高いかな、とは思ってるけどさぁ……。

姫からの大きすぎる信頼にビビりかけた俺の目の前で顔を背けているカズがつんつん、と栗色の長い髪を引っ張って姫の気を引く。すぐに姫は顔を傾けて耳をカズの口元に寄せた。そこで何を聞かされたのか、ふふっ、と軽く笑うと「大丈夫、私、人を見る目は小さい頃から養ってるから」と言い切ってから全てが納得出来たような落ち着きを見せ、今度は口元を緩ませたまま慈愛の表情で優しくカズの髪を梳き始める。

なんだか居たたまれなくなった俺はもうひとつ、編入生の新情報をさっさと告げてこの場を去ろうと決心した。

 

「その編入生さんだけどさ、夏休み中に関西へ戻るらしいよ」

「えっ?」

「生まれはこっちなんだけど中学に上がる時、関西に引っ越したんだって。たまたま親戚の家に来ていて《あの世界》に囚われたからリハビリが済んだら関西に戻る予定だったのに彼氏を探したくて夏休み前の数週間、なんとか親を説得してここに編入してきたって……そんなわけだから、カズっ」

 

俺は少し声を張り上げて未だ姫の膝を当たり前のように独占している友に呼びかける。

 

「夏休みに入るまではクラスメートだからなっ、仲良くしろとは言わないけど、あんまギクシャクすんなよっ。それと、お前の荷物、ここに置いてくから」

 

言いながら早足で二人に近づいて姫の傍にカズの荷物を置き、素早く姫に目配せをしてから漆黒の頭をコツンッ、と小突く。軽い衝撃の犯人をすぐさま悟ったカズはそれでも顔をこちらに向けることなく、はたかれた部分を手でさすってから俺に向かって追い払うようにシッ、シッ、と手を振った。友からの友情溢れる態度に肩をすくめて息を吐き出した俺はそれでも大人の対応を見せて声を荒げることなく既に二人から距離を取って「姫っ」とここに来た目的の友ではない呼び名を悪戯めいた笑顔で口にする。

 

「じゃあ、俺、戻るから。ああ、先生には上手いこと言っておいたから大丈夫。ただ……今週、カズは教室の掃除当番なんだよね。久里が代行してるから、今度あいつが当番の時、代わってやって、ってカズによぉーっく言っといて」

 

途端にクラス委員長気質の姫の瞳がキラリ、と輝いた。気のせいかカズの肩がプルッと震えたように見える。その二人の反応を満足げに認めた俺はもう一度「じゃあね」と手を振って気持ちの良い風の吹いている屋上を後にした。




お読みいただき、有り難うございました。
「第一次生還者」「第二次……」はもちろんオリジナル固有名詞です。
でも絶対、入学時期はズレますよね?……そして、きっと関西にも帰還者学校は
あるだろう、と思ってます。
佐々井君はゆるい天パなのでしょう(苦笑)
次回はそのまま「後編」となります。
(「後編」と言っても、この続きのその後、ではありませんが……)

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