ソードアート・オンライン《かさなる手、つながる想い》   作:ほしな まつり

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和人と明日奈達が通う帰還者学校での夏休み明けのお話です。
キリトのようにゲームクリアによって11月に《現実世界》へ生還した人達を「第一次生還者」、
そのまま《仮想世界》に囚われ、アスナのように翌年の1月に生還した約300人の
人達を「第二次生還者」とする独自設定をご了承ください。


姫ロス

 — 水曜日 —

 

「……うん、大丈夫。もう学校に着いたよ……平気だってば。説明会は一緒に来てもらったし。それより夜勤明けなんでしょ、気をつけて帰ってきてよっ。今日は入学式の後クラスメイトとの顔合わせだけで授業はないから、適当に買い物してお昼には帰るね」

 

ぽちっ、と通話を終わらせて携帯端末を鞄にしまう。

看護師をしている母は仕事のシフトの関係で今日の私の入学式に来られない事を未だに気に病んでいたようで、勤務が終わったと同時に病院からわざわざ連絡をくれたようだ。

「忘れ物はない?」とか「ちゃんと迷わずに学校までの道のりは覚えてる?」などなど十六歳の娘に対して少々心配性な部分が多めの母だが、女手一つで私を育ててくれた上に今年の初めまで《仮想世界》に囚われていた私は、母の中では未だ十四歳の娘感覚が抜けないのだろう。こっちはしっかり《あっちの世界》で二年間を生き抜いてきたから、それなりに精神的には成長していると思うのに、母にしてみればずっと寝ていた十四歳の娘が起きた途端十六歳になってました、と切り替えるのは難しいのだそうだ。

 

そうだよね、十代の二年間って結構長いよね

 

幸か不幸か自分の(アバター)容姿はこの二年間変化がなかったから実感が湧かなかったけど、目覚めてから初めて鏡を見た時の衝撃は結構大きかった。

なんせ栄養摂取は点滴からのみだったし、身体はもちろん顔だって表情筋とか動かしてないと十代であろうと色々と衰えるのだという事を実感した私は看護師である母からのアドバイス……とにかく身体を動かすっ、顔を動かすっ、感情を思いっきり表すっ、を徹底的に実践した。

もともと入院していた病院が母の勤務先だったから他の看護師さんや医師の先生達ともすぐにうち解けて、自分で言うのも何だけど持ち前の明るさを武器に病院内でのアイドル的存在になるべく日夜努力を重ね、お肌モチモチ若さピチピチの十六歳となっていざ天下無敵の女子高生へと変貌するはずだったのに……。

モチピチにはなったけど、相変わらず両手はすぐにプルプルするし両足はヨタヨタでなかなか思うように動いてくれない。

聞けば昨年末に《仮想世界》から解放された「第一次生還者」はほぼ普通の生活を送れるまでに回復していて、この四月からSAOサバイバーの救済処置の一つである帰還者学校への入学が可能らしい。

出来れば私も春からそこに通いたかったなぁ、と思うように動かない身体をベッドに横たえたまま、窓から見えた桜の花を眺めるしかなかったのは五ヶ月前の私だ。

あれからリハビリに励み、ついでに遅れに遅れていた学力を向上させるべく病院を退院した後も運動がてら図書館に通い勉強を頑張った。

そして、ついに夏休み明けにこの帰還者学校へ入学の運びとなったのだ。

 

な……長かった。あの二年間も長かったけど、こっちの五ヶ月間も長かった

 

半月ほど前、九月入学者を対象とした説明会で一回学校には来てるけど、あの時は夏休み中だったから一般の生徒はいなかったし、説明会に来た人間は当然全員が私服だったから親子っぽい二人組が多かったけど、生徒になる本人だけだったり、保護者のみだったり、判別不能な感じの人もいたし、とにかく普通の入学説明会と違って参加者の年齢に結構なばらつきがあった。

でも今日は違う……校舎に向かっている人達はそのほとんどが揃いの制服を着た生徒で、後は入学式の保護者席へと収まるだろう私服の人達だ。既に慣れた様子で何人か固まってお喋りをしながら登校しているのは四月入学を果たした「第一次生還者」の生徒達だろう。

私みたいにキョロキョロと周囲を観察しつつも、少し緊張気味の表情で歩いているのは今日からこの学校に通う編入生に違いない。

校門から適当な間隔に配置されている教師と思われる大人達が「編入生はそのまま体育館へ向かってください」と声をかけている。

まあ、わかっていた事だったけど体育館へと流れていく生徒の数はかなり少なくて、普通に校舎の下駄箱へと向かう生徒がほとんどだ。

「第二次生還者」と呼ばれる覚醒が遅れた人達は約三百人、その中からこの学校への通学を希望する者は年齢や住んでいる場所など、幾つかの条件を満たさなくてはいけないわけだから単純計算でひとクラスに一人程度の割合で編入するらしい。加えて男女比は圧倒的に女子が少ないので同じクラスになった女子とうまくやっていけるかどうか、まず一番最初の関門はそこだ。

 

確か三十人弱のクラスに女子が五、六人って言ってたはず

 

説明会で聞いた話を思い出しながら体育館に向かっていた所で母からの連絡が入ったのだ。

通話を終えて携帯端末を鞄にしまい、代わりに体育館履きを取り出す。どうやら靴は体育館の入り口で配られているビニール袋に入れ、帰りまで持ち歩く事になるらしい。

九月とは言え未だうだるような外気温の中、バス停からここまでの徒歩は初日の緊張が手伝っているのか思っていた以上に体力と気力を奪ってくれたらしく体育館から流れ出ている冷房の効いた空気が頬に涼しい。自然と緩んだ気分の中、靴を脱ごうと屈んだ時、体育館の角の向こうから男子の声が聞こえてきた。

 

「……うん……大丈夫だって……ちゃんと起きたから、って言うかもう学校だし……ああ、わかってる……」

 

おやおや?、漏れ聞こえてくる言葉から察するに、他にもうちの母親みたいな心配性の保護者を持つ生徒がいるみたい

 

少しにんまりと嬉しくなって脱ぎかけていた靴を素早く履き直し、声のする方の角から顔だけをそっ、と覗かせる。

するとそこには予想通り、ここの制服を着た男子生徒がちょうど携帯端末をポケットにしまう所だった。

しかしその男子生徒はちらり、と時間を確認してすぐに体育館から離れて行ってしまう。

 

あれっ?、編入生じゃないの?

 

私はちょっと不思議な雰囲気を持つ細身の彼の後ろ姿をただ静かに見送ったのだった。

 

 

 

 

 

無事に入学式を終え、在校生として同席していた「第一次生還者」と一緒に発表されたばかりの配属クラスへ移動する。このクラスに編入したのはやっぱり私ひとりで、窓際に固まっていた女子達が手招きで私を呼び寄せてくれた。

 

「女子が増えて嬉しいっ」

「これからよろしくね」

「わからない事があったら何でも聞いて」

 

抱いていた不安は拍子抜けするくらい的外れだったらしく、すぐに自分の中から消えて、代わりに私は教室に入ってきた時から感じていた疑問を聞いてみることにした。

 

「このクラスの男子って……なんか皆随分元気ないよね?」

 

そうなのだ、体育館で在校生と編入生、その保護者が一堂に会した時はざわざわと活気というか長期の夏休み明けで色々とテンションが上がっている感じだったのに、式が終わって各自が教室に戻る頃にはひそひそと男子を中心に声をひそめ合い難しい顔を並べていたと思ったら教室の席に着いた時には誰もが項垂れてぶつぶつと独り言だったり隣近所、小声で何かを話し合っている感じなのだ。

そんな私の問いに苦笑気味で答えてくれたのは最初に教室の入り口に立っていた私に向け手を振ってくれた女生徒だった。

 

「ああ……どうも姫がね、今週いっぱい学校に来ないらしくて。ただでさえ夏休み中、姫に会えなかった奴らには衝撃が強すぎたんじゃない?」

「姫?」

「そう、私達よりひとつ上のクラスの女子ですっごい美人さんなんだよ」

「それに成績もいいし運動神経も抜群だしね」

「へえぇっ、そんなスゴイ生徒がいるんだ」

「加えてスタイルも完璧。更に性格も良くて私達下級生女子には優しいし、乱暴な男子とかには毅然とした態度で意見してくれるしね、凄く頼りになる人でしかもマジでお金持ちのお嬢様」

「な……なんか、すごいね」

「でしょー。告白する男子も多いけど、女子を含めてこの学校の殆どの生徒にとっては憧れの存在って言うか……」

「そうそう。カリスマ性って言うのかな、あの笑顔には性別を超えてみんながうっとりしちゃうんだよねぇ」

「だから『姫』って呼ばれてるの?」

「うん、私達より下の学年の子達は『姫先輩』なんて呼んでるけど、うちのクラスには熱狂的なファンがいて……ほら、アイツ」

 

肩越しに指さされたその先には、もしかして泣いてるの?、と自分の目をこすりたくなるくらい顔をヨレヨレにした男子が自分の席の後ろの男子に向かって声を震わせている。

 

「かぁぁぁずぅぅぅっ、なんでなんだっ、どうしてなんだっ、俺が何をしたって言うんだぁ」

「別にお前が何かをしたせいじゃないだろ」

「俺がっ、俺がっ、どれだけ夏休みの終わりを待ち焦がれていたか、お前にわかるかっ」

「わからん」

「そうだろ、どうせお前は夏休みの間も俺みたいに『姫ロス』に苦しむ事なんかなかったんだろっ」

「『姫ロス』って……」

「折角夏休みが明けて姫に会えると思って張り切って登校したって言うのに来週まで会えないなんてあんまりだー」

 

うわぁっ、確かにこれは熱狂的って言うかもはや狂信的レベル?……ヘタなアイドルのファンより日常で会えちゃうもんだから抑えが効かないって言うか……はい、アブナイ奴認定

 

私の心の声が聞こえたみたいに目の前の女生徒が片手をひらひらと振った。

 

「ドン引くでしょ。まあ普段はあそこまでじゃないしクラスのムードメーカー的な気の良い奴だから。とにかくアイツが先輩の事を『姫』呼びしてるんで私達も自然と呼び捨てにしちゃってるんだよね」

「怒られたりは……しない?」

「まさか。全然大丈夫だよ。来週登校してきたら教えてあげるね……って言うかきっとそれこそ『姫ロス』状態の奴らが登校を待ち構えて群がるだろうから、すぐにわかると思うけど」

「へーっ、じゃ、月曜日をちょっと楽しみにしようっと」

 

一体どんな先輩なのか、怖いもの見たさにも似た興奮がむくむくと湧いてきて目を輝かせていると、その反対にいわゆる『姫ロス』で死んだ魚のような目の男子生徒達は呪文のごとく来週までのカウントダウンを「あと五日、あと五日かぁ」と始めている。

けれどそんな中、『姫ロス』と言うより『姫禁断症状』と言った方がしっくりくるさっきの男子生徒が後ろの机につっぷして悶え苦しんでいると、その机が自分の席であるらしい男子生徒が頬杖をついてシャーペンで彼の脳天をぐりぐりとほじり始めた。

 

「佐々、いい加減、自分の机で泣けよ」

「うるさいっ、せめてお前に嫌がらせをして少しでも気分を晴らすんだっ」

 

お子様か……

 

もはや哀れみに近い視線を送っていると、自分の机を『姫禁断症状』の男子生徒に占拠されている彼もまた冷めた目で友達の頭をほじり続けていて、その表情はこの教室内にいる他の男子達とは全く違っていることに気づく。

 

なんでだろう……この人は姫に会えなくて、がっかりしてないのかな?……

そう言えばアブナイ奴が言ってた……どうせお前は姫ロスに苦しむ事がない、とかなんとか……と言うことは……このクラス内、と言うよりこの学校内の男子生徒の殆どが苦しんでる『姫ロス』になってない……姫の事をなんとも思ってない……ってこと?

 

そう思うとどんどんと彼に興味が湧いてくる。

目の前の友を見る迷惑そうな目、と言うよりどうでもよさ気な目は真っ黒で、加えて今時の若者なら逆に染めないとそこまでは、と疑いたくなるような程髪の毛も真っ黒。前髪だけが少し長くて、その下の病弱感はないけど色白の肌とのコントラストがなんとなく目を引くと言うか……ああ、そうか、見た目が柔和な女顔だけにちょっと冷たく感じる目元とか笑わない口元なんかがアンバランスで、それで余計に目立っちゃうんだ。

方や感情を爆発させてる『姫ロス』のアブナイ奴と、もう一方は無表情に近い黒髪君とのコンビもアンバランスなんだよねぇ。

 

つい目が離せなくなって、睨むように観察している私に隣の女子がクスクスと笑いながら彼らの名前を教えてくれた。

 

「『姫ロス』でのたうちってるのが佐々井君。その被害者が桐ヶ谷君だよ」

 

ふむふむ、佐々井君に桐ヶ谷君ね。確認するように頭の中で繰り返して同時に彼らの顔をインプットする。既にクラスの女子の名前は覚えたから、男子の名前はまずあの二人からだ。

 

 

 

 

 

 — 木曜日 —

 

翌日の朝、まだまだ新鮮な気分で通学路を歩き校門をくぐる。

周囲は知らない生徒だらけの中、十数メートル先に昨日覚えたばかりの黒い髪を見つけた。一人で歩いている後ろ姿はなんだか近寄りがたくて、それは他の人も同じなのか誰も声をかけようとしない。

でもそんな周囲の反応なんて気にした様子もない桐ヶ谷君はスタスタと校舎に向かって歩いて…………いたと思ったら、急に向きを変えて昨日の私の様に体育館のある方向へと移動していく。今までよりも歩調を早めて、制服のズボンのポケットから携帯端末を取り出しながら体育館の裏手に付くと手の中の端末を耳に押し当てた。

ここなら人の目も気にしなくていいし、ちょうど日陰だから九月とは言え夏の日差しと変わらない日光も遮断出来る。

 

あれっ、もしかして昨日もこの場所で喋ってた人って……桐ヶ谷君?

 

思わず桐ヶ谷君の後を付けるような格好で体育館の角まで辿り着いた私は、やっぱり昨日と同じようにそこからチラリ、と顔を覗かせようとして思いとどまった。

 

今日も桐ヶ谷君のお母さんか誰かが昨日の私の母のように心配で電話をかけてきているのなら、それを覗き見とか、それは絶対によくないよね、うん。

 

それにしても、既に春からこの学校に通っている桐ヶ谷君を心配するなんて、随分心配性の人なんだなぁ、と思いながら、その場を立ち去ろうとした私の耳に、ほんの少し、風に乗って桐ヶ谷君の声が届く。

 

「……無理してないか?…………そっちの時間は…………」

 

うぬぬ?、親に対する言葉遣い……にしてはちょっと違うような……世に言うお友達親子な関係ってやつかな?

 

勝手な想像と都合の良い解釈を織り交ぜて私はちょっぴりコソコソと昇降口へ向かったのだった。

 

 

 

 

 

 — 金曜日 —

 

こうなってくるともう誰も天下御免の女子高生の好奇心を止める事は出来ない。

言っておくけど私は桐ヶ谷君のストーカーでもないし、覗きが趣味な人間でもない……と思いたい。ただ単純に、どうやら誰も気づいてないみたいだけど、桐ヶ谷君は毎朝、学校に着くと誰かと電話をしてるんですよ、といった自分だけの秘密みたいな物を確立したいだけなのだ。だからその内容を盗み聞きしてやろう、なんて悪趣味な事は考えていないわけで、とにかく今朝も同じ場所で桐ヶ谷君が通話をしている姿を確認すれば気が済むって言うか…………あれ?、なんだろう?、突き詰めると自分だけが知ってる桐ヶ谷君、みたいな特別を求めている?……うーん、深く考えるのはやめよう……これは単に乙女の純粋な好奇心のはず。

 

今朝は一本早い電車に乗って先に体育館の裏へと到着する。これで桐ヶ谷君が来なかったら限りなく空しい感じになるけど、三日続けて電話がかかってくるのかどうかを気にしながら、気にしていないふりで登校する方がよっぽど精神的に良くないしね。

当然、その場所にはまだ誰も居なくて、私はどこで桐ヶ谷君を待とうか、と周囲を見回した。

 

きっと、あっちから来るはずだから……

 

「あ……」

 

彼がやってくるだろう方向を確認した時だ、一昨日、昨日、と私が足を止めた体育館の角に冷ややかな視線を送ってくる桐ヶ谷君が立っている。

鞄を肩にかけたまま、半袖から伸びている腕を組んで、口をきつく結んだままの桐ヶ谷君は明らかに…………不機嫌かも。

 

「えっと…………おはよう」

 

そう言えば今の今まで言葉を交わした事、なかったんだった……

 

こんな場所だけど自己紹介から始めた方がいいのかな?、などと次の言葉を探していると桐ヶ谷君は私の挨拶を見事にスルーさせて、低い声で短い単語を投げかけてきた。

 

「何?、迷子?」

「はっ?」

 

えっ?、私、迷子だと思われてる?……確かにこの学校に通い始めてまだ三日目だけど、それって私が校門から昇降口までの一直線すら歩けない奴って思われてるって事だよね?

 

そう考えると桐ヶ谷君を待ち伏せようとしていた事なんてすっかり忘れて、元来の負けん気が顔を出す。

 

「失礼なっ。私はアインクラッドの雪山でだって森林の中でだって迷子になったことがないくらい方向感覚には自信があるのっ」

「へぇ」

 

言い返してくるとは思っていなかったのか、ちょっと意外そうに真っ黒な目を見開いた桐ヶ谷君の言葉は感心されているのか小馬鹿にされているのか、いまいちわかりづらい。

けど迷子になった事がないのは本当だ。砂漠でだって密林の中でだって迷わないっ、と宣言したいけど、残念ながらアインクラッドにはそんな感じのステージはなかった……いや、もっと高層の階に行けばあっのかもしれない。

とにかく小さい頃から方向感覚だけは良かったんだからっ…………っと、今、それって自慢げに言うことだったかな?

 

少し冷静になって自らの発言の是非を自問していると、さっきよりも微妙に雰囲気が軽くなったような桐ヶ谷君の口元から今度は単語じゃなくて文章が飛んでくる。

 

「雪山って……なんかのクエスト?」

 

おっ、桐ヶ谷君が食いついてきた。

《あの世界》での話題はタブーって聞いたけど、実際の学校生活では完全に箝口令がしかれているわけでもなくて、少人数単位の日常会話レベルならぽろぽろと笑える思い出話みたいに会話に混じってくる。

私は雪山登山も森林探検も当初の目的は叶わなかった事を思い出して、少し苦笑気味にぽりぽりと後頭部を掻いた。

 

「星をね……見たかったんだよね」

「星?」

「そう、私、星空見るのが好きなの。だから高い場所とか自然が多い場所に行けばもしかして見られないかなぁ、と思って……」

「星空だったら、アインクラッドの五層に……」

「あーっ、うん、それは知ってる。あそこでも何回か見たけど……私ね、一人で見上げるのが好きなんだよ」

 

子供の頃は母が夜勤の日は決まって夜空を一人で眺めた。別に寂しさを紛らわすとか、そんな感情はなかったと思うけど、不思議と夜、一人で見る空が好きだったのだ。月が大きくて明るい夜も、曇りで真っ暗な夜も好きだったけど、一番は星がたくさん見える日の夜空だった。

アインクラッドの空、と言うか天井は夜になると真っ黒だったから当然星の輝きなんてなくて、だから満天の星が見られるって言うレストランにも言ったけど周りに人がいる場所で見上げる夜空は何か違う気がして、それから私は星空を探し求めモンスターを避けながらあっちこっちを彷徨った。結局星が見える場所は見つけられないまま《あの世界》から放り出されたわけだけど。

あの頃の思い出に浸っていた私の耳に少し躊躇いがちな桐ヶ谷君の低い声が響く。

 

「オレは……流星なら見た、かな」

「ええっ!?、ホントっ?」

 

それってただの星空よりスゴイ経験だよっ

 

流星が見られる場所なんて情報、全然知らなかったなぁ、と今度は悔しさと羨ましさが膨れて私の苦笑を押しのけ、ついでに勢い込んで桐ヶ谷君の目の前まで迫り寄ると桐ヶ谷君はまさに夜空のように真っ黒な瞳を柔らかく細めて「ああ」と頷いてくれる。

 

「もっとも、オレが見たのは迷宮区の中だけどな」

 

その時の光景を思い出しているのはすぐにわかった。今まで……と言ってもたった三日間だけど、黒い瞳を見た事もないくらい優しい色で覆って、口元だって緩んで……あの無口、無愛想、無表情のイメージが強かった桐ヶ谷君が…………微笑んでる。

九月の気温のせいだけではなく自分の顔が熱くなった。

 

「でも、毎朝ここに星を探しに来てるわけじゃないんだろ?」

「へっ?」

「一昨日も昨日もここにいたよな?」

「ど、ど、ど……どうしてそれを!」

「オレの場合、《こっちの世界》でも索敵スキルには自信があるんだ」

 

それまでの純粋な微笑みが、ニヤリ、としか言い表し様がないほど悪戯っ子の笑みに変貌をとげている。

ここはひとつ素直に白状して謝るしかない。

 

「ごめんなさいっ、一昨日は偶然声が聞こえたからなんだけど、昨日は……その……」

 

後を付けました、ってゆーのはちょっと違うって言うか、もちろん客観的にはそうなんだけど、つい、思わず、出来心で、みたいな感じをわかって欲しいとゆーか……

 

その先に存在する感情まで行き着くことなく言葉を探している私に、桐ヶ谷君は突然「あ、悪い」と早口で話しかけてきた。

 

「もう三日目だからわかってると思うけど、オレ、これからちょっとここで通話したいんだ」

「あ……やっぱり今日もなんだ」

「まあ、今日で最後だけどな」

「そうなの?」

「ああ、週末には戻ってくるから」

「誰?、お母さん?」

 

私のしつこい追求に桐ヶ谷君は軽く笑って「母さんが帰ってくるのは週明けかな」と小声で言ってから、少し考え込むように宙を見つめた後、ゆっくりと私に視線を合わせてくる。

真正面から見つめられてその真っ黒な目の中に星のような輝きを発見した時だ、まるで私が夜空いっぱいの星々に両手を伸ばした時のような嬉しさと愛しさを込めた笑顔でそっと答えを教えてくれた。

 

「流星が、オレの所に落ちてくるんだ」

 

何を言われたのか理解出来ず一瞬の間が開いて、言葉の意味を問おうと口を開きかけた時、まさにタイミングを見計らったように桐ヶ谷君の鞄の中から無機質な電子音が鳴り響く。すると彼は予定通りと言わんばかりにすぐさま携帯端末を取り出し今まで聞いたことのない声で「アスナ?」と相手の名前らしき固有名詞を優しく口にした。

それからすぐに視線だけを私に移して片手を挙げる。

 

はいはい、ここから立ち去れってことね

 

当初の目的である三日連続で連絡は取るのか?、という疑問の検証は済んだわけだから私だってここにいる必要はない。

けど、なんだろう、なんか面白くないって言うか、さっきまで私と話してたのに電話がかかってきた途端、私の存在が急に空気みたいに薄れて、あの端末の向こうにいる「アスナ」って人に桐ヶ谷君の全部を持って行かれた気分だ。

もう彼の黒い瞳は私を映すことなく、ここには居ない「アスナ」って人を見つめている。

私はどうにも晴れない気分を抱えたまま、今日ばかりは意識的に彼の話し声を耳に入れないよう頭の中を大好きな星空の夜景を思い出す事にめいっぱい集中して、そっとその場を離れた。

 

 

 

 

 

 — 土曜日 —

 

「それでは秋編入のお二人さん、《現実世界》への生還おめでとう、リハビリお疲れ様でした、そして我が帰還者学校へようこそっ……カンパーイ!」

 

佐々井君の音頭取りで各自手に持っているグラスを高々と上げ「乾杯っ」と言ってから隣近所のグラス同士で、カチンッと音を立て合う。

カラオケボックスの飲み放題用に用意されているプラスチックグラスだから音が安っぽいのは致し方ない。

私もここ三日間ですっかりうち解けたクラスの女子達に囲まれ、まずは一杯目のアイスティーをごくごくと半分ほど飲み干した。

 

「うーっ、生き返ったぁ。土曜なのに電車が結構混んでてさ。あんまり冷房効いてなかったんだよね」

 

今日は隣のクラスと合同でパーティールームを借りての親睦カラオケ大会なのだ。クラスの皆が集まれる場所、と言う事で結局学校の最寄り駅にあるカラオケ店が会場となっている。

とりあえず喉を潤し終わった私は、明るいパーティールーム内をぐるり、と見回した。

同じクラスの男子生徒もだいたい顔は把握したから、見覚えのない顔は隣のクラスの男子なのだろう。いくら平日の登下校に使っている交通手段があるとは言え、わざわざ土曜日に集まってくれた人数としては結構な数だ。

 

「なんだか申し訳ないなぁ、編入生一人に……隣のクラスの人も入れて二人だけど、こんな会を計画してもらって……」

 

すると隣の友人が含み笑いで肩を揺らす。

 

「気にしなくていいよ。歓迎会も嘘じゃないけど、男子達の慰労会も含まれてるから」

「慰労会?」

「そう、姫がやっと明後日から学校に来るでしょ?」

「ああ、今まで『姫ロス』に堪え忍んだ自分達を労う的な?」

 

なるほど、だから隣のクラスは女子が不参加なのか。

隣のクラスの編入生は男子で……ちなみに顔は覚えていない。今、探してみてもピンと来る顔はないし、ポツンと浮いた奴もいないから、その男子も既にクラスに溶け込んでいるんだろう。

今回の会の目的が私とその男子の歓迎、兼、『姫ロス』の憂さ晴らしなら隣のクラスの女子が積極的に参加しないのも頷ける。

けれど、私の推測に向かい側の友が「違うよぅ」とおっとり口調で否定してきた。

 

なら、なんの慰労会?

 

首を傾げながら、なぜか目は自然と黒髪の男子を探してしまって……もうこのパーティールームに入ってから何度も確認したはずなのに、私の視線は私の言う事を聞いてくれない。こうなったらはっきりさせよう。そうすればこのそわそわも落ち着くに違いないから。

 

「……あのさ……佐々井君が仕切ってくれてるのに、仲の良い桐ヶ谷君は来てないの?」

 

佐々井君にかこつけた私の質問を聞いた途端、両隣の友達が同時に吹き出した。

 

へ?、なんで?、私、なんか可笑しい事言った?

 

「ふふっ……ご、ごめん……桐ヶ谷君は何か用事があるとかで来られないって聞いたよ」

「って言うか、桐ヶ谷君が不参加だから慰労会も兼ねてるんだよね」

 

ますます意味がわからない

 

左右からの同時攻撃に疑問符でしか応戦できない私のすぐ近くで、突然、佐々井君が吠えた。

 

「みんなっ、よくぞ今日まで堪え忍んだっ」

 

その言葉に男子達が一斉に「おーっ」と呼応する。そして、そこかしこから呪詛めいた愚痴の囁きが始まった。

 

「ほっんと、この三日間、機嫌悪かったよなぁ」

「にこりともしねーし」

「俺なんか、うっかり姫の事聞いたら視線で刺されるかと思った」

「まったくピリピリしやがってよう」

「普段独占してる奴の反動ってタチが悪いよな」

「お前だけじゃねーっ、つーのっ」

「どうせあいつは夏休み中も会ってたんだろ?」

「俺達の方がどんだけ長期間我慢してきたか、全然わかってないっ」

 

ここで佐々井君がまたもや声を張り上げる。

 

「隣のクラスの男子諸君にもうちの桐ヶ谷が多大なるご迷惑をおかけしたっ」

 

そこで一気にルーム内の男子の結束が固まりぶくぶくと増大していった。

 

「そうだっ、合同体育の授業の時なんか、桐ヶ谷のヤツ、目がマジなんだぞっ」

「クラスの対抗戦は授業の一環であってアイツの苛立ちのはけ口じゃないだろっ」

「俺達なんて同じクラスだから味方のはずなのに全く手加減がなかったっ」

 

もう個々には聞き取れないほど桐ヶ谷君への意見申し立てが続いている。やんややんやと異様な盛り上がりの中、私とその周りの女子だけがその光景をあきれ顔で眺めていた。そうしてこのパーティールーム内はマイクで思いの丈を歌い上げる猛者やら、アルコールはないはずなのにポロポロと涙を流す者、それを慰める者もいれば、つられて泣き出す者もいて、なにがなにやらカオス状態だ。

 

「……一体、なにがどうなってるの?」

 

とりあえず目の前のお菓子をつまみながら状況把握に努める。私と同じようにお菓子を口に放り込んだ友がモグモグと咀嚼しながら端的に答えを提供してくれた。

 

「要は一番の『姫ロス』が桐ヶ谷君だったってこと」

「ええーっ!?」

「この三日間、ひどかったもんねぇ」

「うん、私達女子は男子ほど被害が出てないけど」

「桐ヶ谷君に気ぃ遣って教室全体が緊張してたのは逆に面白かったぁ」

「私は別に何とも思わなかったけどな。どうせ月曜には元に戻るんでしょ」

「間違いないね」

 

妙に達観した様子の女友達が周囲の男子達よりずっと頼もしく見えて、私の開いたままの口からは「ほえぇ」と意味不明の音しか出てこない。放心状態に近い私の様子を見て、クスッ、と笑った友人は更なる説明を追加した。

 

「だからね、いつもの桐ヶ谷君はあんなに無愛想じゃないんだよ」

「そっ、全体的に穏やかな雰囲気だけど、割と喋るし表情だって豊かだし」

「この三日間が特別だったって事で……」

「……なんで?……だって桐ヶ谷君は『姫ロス』には……」

 

そうだ、彼と仲良しの佐々井君は言ってた、どうせ桐ヶ谷は『姫ロス』にはならないって……

 

「それは夏休み中の話。だって姫は桐ヶ谷君の彼女だもん」

 

は?????

 

「夏休み中もちょいちょい会ってたんじゃない?」

「校内でだってイチャこらしまくってるもんね」

 

もう思考がついていかない……桐ヶ谷君の彼女さん?……男子達だけじゃなく女子達からも高評価の『姫』とまで呼ばれるような人が桐ヶ谷君の彼女さん?

それに桐ヶ谷君は普段は全然無愛想な人じゃなくて、無口でもなくて、無表情でもないって…………私が見ていた桐ヶ谷君は姫がいない時の桐ヶ谷君って事で……ならいつもは…………っそうか、私が見た体育館裏の桐ヶ谷君がいつもの彼に近いのか…………だったらなんであの時だけは…………

 

『流星が、オレの所に落ちてくるんだ』

『アスナ?』

 

あの時、恋い焦がれるような切ない笑顔を見せた時の桐ヶ谷君の言葉が脳裏に浮かぶ。

 

「ねえ、姫の本名って……」

「あれ?、言ってなかったっけ?…………結城、明日奈さん、だよ」

 

なんとなく自覚しつつあった淡い恋心は、同時になんとなく予感していた彼にとってかけがえのない存在の名を知った所で見事に溶けて消えていった。脱力しきった私を放置したまま、友達からの姫情報は止まることなく耳に入ってくる。

 

「でもさ、何で姫、学校に来ないの?」

「それがね、姫のお母さんの論文が海外メディアで取り上げられたとかで、アメリカで特別講演するんだって。それで社会勉強兼スタッフとして同行してるらしいよ」

「あー、姫、バイリンガルだもんね」

「じゃあ週末まで海外かぁ」

「いいなー」

 

ちょっと待って……と言うことは毎朝、桐ヶ谷君は姫と国際電話してたって事だよね?

全然『姫ロス』じゃないよね?

ちゃんと毎日電話で喋ってたくせに『姫ロス』って…………どんだけ姫好きなの、桐ヶ谷君…………

 

 

 

 

 

夏休みが終わって学校が始まってもそこに明日奈がいない、そんな非日常のような日常に慣れずにいたオレは積極的に誰かと喋る気も起きず、無気力に近い状態でなんとなく時間をやり過ごしているだけの三日間を送っていた。よく覚えていないが、前の席の佐々だけが懲りもせず話しかけてきて、オレは適当にあしらって……記憶を辿ると佐々以外の人間と会話をした覚えがない。

三日間を振り返ってみれば、なぜかクラスの奴らがオレを避けていたようにも感じる。

理由はわからないが、とにかく放っておいてくれたのは有り難かった。

無理に喋ったり、笑ったりできる精神状態じゃなかったから…………ああ、でも昨日の朝は体育館裏で少し喋ったっけ。

相手は今月からクラスに編入してきたばかりの女子で、名前は……なんだったかな……とにかく学校初日にオレがあそこで明日奈と通話をしているのを見かけたらしく、次の日も来ていたし、昨日なんかオレより先に到着していた。

 

結局、あの女子は何がしたかったんだ?

 

八月下旬に京子さんと一緒に渡米した明日奈は毎日決まってあの時間に国際電話をくれた。時差を考えればこっちの日本時間に合わせてかけてくれていたのは明白で、明日奈の方は無理をしていたに違いない。

何度か「そっちだと電話をしているような時間じゃないんだろ?」とは言ってみたが、その度にころころと笑って「そんな時間だから電話できるんだよ」と言い返された。

日中は京子さんのスタッフと混じって講演の手伝いや、明日奈自身の見聞を広める為にと京子さんにあっちこっち連れ回されているらしい。

ならばきっとくたくたに疲れているだろうに、明日奈は欠かさず電話をくれたし、オレも「電話はいいよ」と言い出す事は出来なかった。

オレにとっては会いたくても会いに行かれない距離にいる彼女と、ほんの僅かな間、繋がる貴重な時間だったから。

それを編入してきたばかりの女子に気づかれたのは予想外だったが、彼女はまだ明日奈の存在さえ知らないのだから問題はないだろう。

と、そこまで思い出してみても……ダメだ、編入生の名前が出てこない。

 

こんな事、アスナが知ったらきっと柔らかな頬を軽く膨らませて「もうっ、キリトくんったら」と優しく怒られるんだろうな……

 

そんな表情を想像していると、人でごった返している空港の到着ロビーに更に新たな人の波が押し出されてくる。老若男女、年齢も性別も国籍さえもバラバラな人達が入国審査を終え、ひとかたまりとなって吐き出されてきた。

この中に居るのかどうかさえわからない一人を見つけ出すのは…………簡単なことだ。

 

「アスナっ」

 

見間違うはずもない栗色の髪が人混みの中で揺れていて、そこに向かって少し声を張り上げれば、かき消される事なく届いたオレの声に彼女が反応する。雑多な音が入り乱れる場所でも互いの姿、声は特別な物として認識できるからだ。

少し小走りになって人の群れをかき分けながら眩しい笑顔で「キリトくんっ」とオレの名を口にした明日奈がようやく腕の中に到着する。

 

やっと……流星が落ちてきた……

 

 

 

 

 

金曜日の朝、通話はいつものように挨拶から始まった。

 

「アスナ?」

『おはよう、キリトくん』

 

声に異変がないかを慎重に聞き取りつつオレは片手をあげて、この場にいる編入生に会話の終了を伝える。今からは明日奈との時間に集中させて欲しい。

オレの意をくみ取ってくれた編入生が静かに遠ざかって行くのを目の端で確認しながらオレも言葉を返した。

 

「おはよう、アスナ」

『うん、今日もちゃんと学校に到着してるみたいだね』

「わかるのか?」

『そりゃあ、わかるよ』

 

何からどう判断しているのか、オレにはさっぱりわからなかったが明日奈にとっては至極簡単な事らしい。

 

「週明けにはアスナも学校にいるんだよな」

『そうだね……月曜日は一緒にお昼食べられるから、お弁当のおかず、リクエストがあったら考えておいてね』

「帰国してすぐなんだから無理しなくても……」

『大丈夫だよ。私だけ一足先に明日の午後、帰国する事になったから』

「ホントか?」

『うん、お母さんは予定通り日曜の昼頃に帰国だけど、私は月曜日から学校でしょ、体調を整える為に一日早く帰国していいって』

「アスナひとりで?」

『そう、どうせお父さんも兄さんも仕事で日曜の夜にならないと帰宅しないし、土曜日は誰も居ないの。だから帰国して家に着いたら早速《A.L.O》にログインするね』

「……うちも母さんは週明けまで留守なんだ。スグも剣道の大会があって土曜が予選で日曜が本戦だから土日は会場近くで一泊するって…………アスナ、飛行機のフライトナンバー教えて」

『え?』

「空港まで迎えに行く」

『…………うん、ありがとう』

 

オレが迎えに行く意図を受け入れてくれた明日奈の返事に、思わず笑みがこぼれた。

 

 

 

 

 

「キ、キリトくん……」

 

明日奈の戸惑う声に頭の片隅では「そりゃあ、そうだよな」と同意しつつも彼女を抱きしめる己の腕は力を緩めようとはしなかった。

彼女は手荷物一つで帰ってきて「ほとんどの荷物はお母さんと共同で使っていた大型スーツケースの中なの」と説明した後、ちょっと申し訳なさそうに「だからお土産も月曜日まで待ってね」と優しい微笑みを向けてくれる。

オレは明日奈さえ無事に戻って来てくれればいいんだ、と伝える余裕もなく、抱擁を一時解くと身軽な彼女の手を引いて近くにあったコインロッカールームへと連れ込んだ。

ずらり、と並ぶロッカーの最奥まで彼女を引っ張って行き、そこでもう一度彼女の全身を強く抱きしめる。

機内での冷房を考慮したのだろう、半袖のカットソーの上に薄いカーディガンを羽織っているが、それでも柔らかな肌の弾力は十分に伝わってきて、明日奈の声、明日奈の匂い、それら全てがオレの内(なか)に浸透していった。

 

「もう少しだけ…………カラカラなんだ」

 

いつ誰がやって来るかもわからないロッカールームだ、加えてオレも明日奈もこの後の時間は十分にある。あえて今ここで明日奈を閉じ込めなくてもいい事くらい頭ではわかっていた。

わかってはいたが……到着ロビーで軽く触れてしまっただけでもうダメだった。すっかり乾ききっていたオレの魂が生命(いのち)の源泉とも言える明日奈を貪欲に求め始めてしまう。全身が明日奈を欲して止められない。

離れていた時間は同じはずなのにオレだけがこんなにも彼女を渇望しているのかと思うと少し情けない気がして、多分困った顔をしているだろう彼女の視線を受け止めるべく腕の力を抜くと、オレの肩に頬を寄せていた明日奈がそろり、と顔を上げる。

ただ抱きしめていただけなのに、少し久しぶりのせいか小さなかんばせは元来の色白さをどこかへ追いやり、すっかり紅潮しきっていた。

その色さえもオレの渇きを潤すように内(なか)へ内へと吸収されていく。

そしてゆっくりと明日奈の細い両腕がオレに向かって伸びてきて、オレの両頬を薄い手の平が包み込んだ。軽く固定するように顔を挟み込まれて、されるがままになっていると、桜色の唇が少し震えながら近づいてくる。

 

「私だって……充電したいもん」

 

ヒールを履いた明日奈のかかとが浮き上がったのがわかって、両手を腰の位置に回し華奢な身体を支えると、オレ達はゆっくりと互いを満たし合った。




お読みいただき、有り難うございました。
朝のほんの数分、端末ごしの会話ごときではキリト(和人)は満足できませんっ(笑)
無自覚にイライラを振りまいていただろう彼が、アスナが戻ってきたことでの
豹変ぶり(元に戻った姿)を週明けの月曜日に初目撃する事となる「第二次生還者」の
皆さん……ご愁傷様です、この学校にはイチャこらしまくるバカップルがいるんですよ。
次回は短めのモノを二本……一本は確実に短編の〈OS〉モノです、もう一本は
短い予定なんですけど……そう言って無駄に長くなる傾向にあるので……とにかく
二本お届けする予定です。

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