ソードアート・オンライン《かさなる手、つながる想い》 作:ほしな まつり
勝手に加筆・修正した部分もありますのでご了承ください。
なお、「円盤は購入したけど、実はまだ観ていないんです」という方は
ネタバレ、バレバレなので読まない方が……。
(そして早く円盤鑑賞しましょうっ)
前回の〈OS〉SSに続き、今回もキリト視点です。
『……いいよ……』
オレを見上げるアスナの栗色の目が優しさに溢れ、薄く開いた小さな唇がゆっくりと動く。
声を出さずに告げられた言葉もその意味も正確に読み取ってしまったオレは困惑と焦りを混ぜて己の情けなさに眉尻を落とした。
……いいよ……彼女にそう言わせてしまうくらい、オレはこんな状況でアスナを欲しているという事だ。
オレよりもオレの感情を読み取ることに長けている彼女に間違いはないのだろうが……。
「いや……さすがに…………マズいだろ……」
今までは彼女を自宅に送り届けてもそれは門の前までで……「寄っていく?」と半ば期待に満ちた目で誘われても頑なに断り続けてきたのだが、今日、東都工業大学の駐輪場で携帯端末越しに聞いたアスナの声はどこか頼りなく、加えて「外に行くのはちょっと怖い」などと聞いてしまったら自分の口はなんの心の準備も出来ていないまま自然に「オレがアスナの家に行くよ」と発していた。
手土産でも用意してくれば良かったかな、と気づいたのは既に結城家の敷居をまたいだ後で、アスナはいつものようにコロコロと笑い声をあげながら事も無げにこう言ったのだ。
「誰もいないから」
一瞬、返すべき言葉が見つからず、それどころか怒りにも近い驚きがオレの中を駆け巡る。
誰もいない?……こんな状態のアスナを家に一人で居させてるっていうのか?
あの鋼鉄の城に囚われていた二年間の記憶が抜け落ちて、更にそれ以降の記憶すら失う可能性もあると告げられ、どれほどの不安を抱えているか、そんな彼女を放っておく結城家の人達はそこまで自分達の娘より仕事の方が優先順位が上なのかと感情が高まった時、そんなオレの情動を素早く察知したアスナが苦笑気味に口元を緩めた。
「記憶の事はね、両親や兄には言ってないの」
「なっ……どうしてっ」
「言っても心配させるか迷惑をかけるだけでしょ?」
「だからって……」
「傍に居てもらっても記憶が戻るわけじゃないし……それになくした記憶の中に家族はいないから……」
「アスナ……」
どちらかと言うと《あの世界》に否定的なアスナの両親にとっては、その時の記憶の価値は彼女と大きくかけ離れているだろう事は容易に想像できる。記憶をなくした上にその価値すら軽く扱われたらと思うと言い出せないアスナの気持ちも理解できた。
でも、だからと言って外に出る事すら臆病になっている彼女がたった一人にされているという現状は…………ああ、だからか…………『ちょっと声を聞きたくて……』……端末の向こうから送られてきた彼女からの精一杯のSOS……記憶が薄れていくと自覚した時は深夜という時間帯にも関わらず連絡が来て、あの時は珍しく冷静さを欠いていたのだろう。
普段のアスナだったら絶対に取らないような行動にオレも疑問や困惑といった不安ばかりの気持ちでログインしたが、ほんの少しだけオレを頼ってくれたという事実に嬉しさも存在していた。しかし事態の深刻さが判明すると同時に、さすが、と言うべきかアスナはオレの前でも感情を乱す事をしなくなったのだ。
当然、笑顔は薄らいでいったし、口数も減ってはいったが、変化はそこまでで時折不安そうな表情は見せるもののそれをオレに言ってもどうにもならない、と理解で感情を制しているようだった。そんな様子を少しもどかしくも感じたが、だからと言って今のオレが無責任な言葉をかけるわけにもいかず、ただ心細くしている彼女の傍にいてやるぐらいしか出来ないのだが……。
彼女はオレを二階へと続く階段に案内しながらちょっと申し訳なさそうに「だから、次の検診の日も一緒に来てくれる?」と窺うような瞳を向けてくる。
もともと港北総合病院を教えたのはオレだったし倉橋医師とは今でも交流が続いているのだから否を唱える理由は一つも無い。だいたいアスナの記憶障害が判明してすぐに病院へ連れて行った時、倉橋医師は身内でもないオレをアスナの問診からメディキュボイドでの診察まで当たり前のように同席させてくれたのだから、既にオレの扱いは家族と同列だ。
快く了承の意を伝えたオレは「未来部屋」と称されていてもどことなくセルムブルグの彼女の部屋の雰囲気を併せ持つアスナの部屋へと案内された。お茶を煎れてくると言って部屋を出て行った間にアスナの日記を見つけてしまい、彼女の想いを知ったオレは戻ってきたアスナの身体を抱きしめつつそのままベッドへと押し倒す。
その先を望んでの行動ではなかったがこの体勢では何を言っても言い訳にしかならないだろう。何よりアスナの口の動きから伝わってきた言葉がオレの欲を証明している。
けれど…………と、オレの理性と常識が冷静に状況を判断した。
ここは初めて訪れた恋人の家の中なわけで、しかも未だ彼女のお母さんに挨拶を済ませていないオレが留守中に許可無く上がり、あまつさえアスナの部屋でそういう行為に及ぶというのは……何と言うか……やはりよろしくないだろう…………と思う……思うが…………。
このタイミングでオレの内なる葛藤をまたもや敏感に感じ取ったらしいアスナが乞うように「キリトくん」と震える声を絞り出す。
もうその声だけでオレは生唾をゴクリと飲み込み、身体中の感覚神経は過敏に反応を始めていた。
さっきまで彼女に覆いかぶさるように自らを密着させてはいたが、正直、同じようにしても直に素肌を重ねた場合とでは充足感がまるで違う。それは単に性欲が満たされるだけでなく、もっと身体の奥深く、もしかしたら心という領域がアスナの優しさやぬくもりによって包み込まれるような幸福感を得るからだろう。
そこでオレはふと思った。
もしもアスナがオレと同じようにオレと繋がる事で心が満たされるのだとしたら、少しでも今の不安な思いを軽くしてやれるのなら……身勝手とも取れる言い分かもしれないが、今のアスナの怯えている心をなんとかしてやりたくてオレは本能に抗うことをやめ、静かに彼女の唇を啄み始めた。
「ど……して?」
オレとしてはただアスナに気持ちよくなって欲しいと思って、殊更優しく軽めの愛撫を繰り返し、少しずつ時間をかけて彼女の甘く柔らかな身体を溶かしたのだが敏感なアスナは結局お決まりの様に泣き顔を晒し、オレの想いを受け入れた後、浅い息を落ち着かせながらも未だ舌っ足らずな口調で問いかけてくる。
「ん?、たまにはいいだろ。こんな風にゆっくり触れ合うのも……」
乾ききっていない頬の上を流れた涙を唇で吸い取ってからオレは少しすました顔で腕の中のアスナに笑いかけた。
それでもいつもよりは強すぎる快感を堪えるように顔を顰める回数は少なくて、その代わりずっと蕩けるような目で涙を零しつつ絶えず喘ぎ声を上げていたから、きっとオレの目論見は成功したと言っていいのだろう。
時折、オレからの弱い刺激がじれったかったのか、もっと、とせがむように「キリトくん」と呼ばれた時はこっちも理性が飛びそうになったが、最後にアスナが下から抱きついてきて、オレの首元にキスをするように顔を埋め「んーっ」と高い声を漏らしながら額や頬をぐりぐりとこすりつけてきたのは本当に危なかった。咄嗟にオレの決意とここがどこなのかを自分の中で再確認しなければ、つい「アスナ、もう一回」と口走っていたかもしれない。
彼女の方は泣き顔の中にも嬉しさと困惑を潜ませてさっきのような疑問を口にしてきたわけだが……これでアスナの不安定な心が少しでも満たされてくれればいい、そんな願いを隠しながら答えた言葉に彼女は首を横に振った。
「そ、じゃなくて……ど……うして、絶対に私の記憶を……取り戻すって……」
彼女と身体を重ねる前に誓ったオレの言葉の意味が納得出来なかったらしく、誘うように開いたままの唇が再度、更に詳しい問いかけを切れ切れに紡ぎ出す。
そっちの事か、とオレは今更ながらに質問の意味を理解して彼女の乱れた前髪を軽く整えてから、ずっとオレの答えを待っているはしばみ色を見つめ返した。
「オレには《あの二年間》の思い出があるけど、きっとアスナはこの先、何か不安を感じた時、それを記憶がないせいかもって一人で我慢して泣くだろ」
「……キリトくん」
「アスナは意外と泣き虫だからな」
オレだけが知っているアスナの一面を楽しそうに口にすれば、すぐに腕の中の柳眉が不本意と言わんばかりに動く。けれど泣き濡れたままの瞳でオレを見上げ、今なお上気している肌をオレに抱きしめられている状況ではその効果は彼女の意志とは違う方向に発揮されるばかりだ。
「そうだろ?」
否定の言葉など受け付けない、と伝える為に絶え間なく呼吸を繰り返していた桜桃を塞ぐ。声を発しようとしていたのか、それとも未だ収まらない息づかいを妨害されたせいなのかアスナは眉をピクリ、と跳ねかせたがそんな反応さえ愛しくて重ねるだけのつもりが、つい唇であわいをなぞってしまえば閉じていた唇が当たり前のように薄く開いた。
「んっ……」
鼻から漏れる小さな吐息さえもオレの全身を支配して感情と感覚を高ぶらせる。こんな存在に出会えた奇跡を本当の意味でオレはわかっていなかった。
ゆっくりと顔を起こしてそのまま彼女の隣へ身体をスライドさせる。するとそのオレを追いかけるようにアスナは横向きになってオレの胸元へ手の平と頬をすり寄せてきた。すがるような姿勢を受け止める為、オレも彼女の背中に手を伸ばして軽く引き寄せ、呼吸と気持ちを落ち着かせようと滑らかな肌を撫でる。
「アスナにとっては、苦しくて、辛くて、悲しい事の方が多かったかもしれない二年間だけど、それでもオレの知ってるアスナだったら、そんな思い出さえも忘れたい、とは絶対に思っていないはずだから……」
「……そう……かな?……」
オレの顎の下にあるアスナの表情は読めなかったが、記憶に異変を感じた時からどことなく気弱な口ぶりが多くなってしまった彼女に伝わるよう、確信を持って力強く頷き、ついでにそのまま顎の先で小さな頭のてっぺんを軽くこすった。
「臆病でごめん…………やっぱりオレは心のどこかでアスナと出会ったのがあの城でなかったら、あそこで一緒に過ごした日々がなくなったら、オレを受け入れてはくれないんじゃないか、って思ってたんだ」
自分自身でさえ情けないとしか言いようのない告白にアスナは肯定も否定もせずにオレの胸元でただ静かにオレの言葉に耳を傾けてくれている。
「けど……アスナの日記からアスナの気持ちを知って、オレ自身の気持ちに気づかされた」
オレの腕の中にあった栗色の髪がさらり、と揺れ、ゆっくりと少し不安げに揺れるはしばみ色が見上げるようにしてオレの視線と交じり合った。
「もしもアスナがオレの事を忘れてしまっても、きっとオレはアスナへの気持ちを失うことはないんだ。アスナが永遠に変わらないと言ってくれたように、オレも絶対に変わることはない。怖いのは変わる事じゃなくて無くす事で……アスナがそれを恐れているのなら、不本意に奪われたあの頃のオレへの気持ちは絶対に取り戻さなきゃ、だろ?」
「……キリトくん」
「だから……アスナへの気持ちは何があったとしても、ずっと変わらないよ……信じてくれ」
多分、今の彼女にはわからないだろう、綺麗なはしばみ色の瞳に大粒の涙を湛え、それでも輝くような笑顔が《あの世界》で初めて想いを交わした後にオレが「結婚しよう」と言った時、見せたものと同じ美しさだということに。
お読みいただき、有り難うございました。
このシーンに関しては自分なりに数パターン解釈・展開があったのですが
一番共感が得られるかな(?)、というルートで適当に誤魔化しながら
書いてみました(苦笑)
加えて私の中での別枠のボーダーラインがすっかりぼやけてます……。
確信犯と言えば確信犯のような、無自覚と言えば無自覚のような。
(一番タチの悪いやつですね、はい)