ソードアート・オンライン《かさなる手、つながる想い》 作:ほしな まつり
思います。
今回は和人と明日奈の息子、和真の目に映る「いつもの二人(両親)」と
いうお話です。
リビングのソファに座ってお気に入りの本を読んでいた時だ、この本は初めお母さんが僕に読んでくれてたけど、今年、小学生になった僕はもう自分で読めるようになっている。お昼ご飯のお片付けも終わったはずのキッチンからなんだかいい匂いが流れてきて、僕は何十回も読み返している、黒ずくめの勇者が長い旅をして、その度に仲間を増やして、悪い怪物に攫われた髪の長いお姫様を取り戻すっていうこの冒険物語は、何度読んでも夢中になっちゃうのに、そのいい匂いをかいだ途端、その読みかけの本をすぐに放り出してソファによじ登り、背もたれを両手でつかんで膝立ちの状態でキッチンの方に身を乗り出した。
「お母さんっ、今日、お父さん、帰ってくるの?」
この匂い、お父さんが大好きな『お母さん特製・いろいろたっぷりシチュー』の匂い。
このシチューをお母さんが作る時は絶対、夜にお父さんが帰ってくる。
お昼ごはんの食器を片付け終わって、そのまま晩ご飯の仕込みに入っていたお母さんは、ひょこっ、とキッチンから顔だけ覗かせて、嬉しそうに「ふふっ」って笑った。
「うん、和真くん。今朝ね、お父さんから連絡あったの。なんとしても今日中に帰ってみせるって」
「なんとしても」「帰ってみせる」……さっきまで読んでいた本に出てくる勇者も、お姫様の事を「なんとしても、取り戻してみせるっ」って何度も言ってる……力強くて、格好良いい台詞だ。それに魔法の鏡を使って遠くの人とちょっとだけお話できるお姫様だって、黒い勇者に「待っていてくれ、必ず迎えに行くから」って言われるととっても元気になって笑顔一杯になるんだ、ちょうど今のお母さんみたいに。
でも……今日中かぁ、もしかしたら僕が晩ご飯を食べる時間には間に合わないかもしれない……寝るまでには帰って来てくれるといいな……夜中に帰ってきても朝早くにお家を出ちゃうことが珍しくない僕のお父さんは、研究所っていう場所で難しいお仕事をしている。
難しいから、終わるまで何日もかかるんだってお母さんが教えてくれた。
あんまり難しくない時はちゃんと毎日、おうちに帰ってきてくれるけど、この前、最後に会った時は物々交換みたいに玄関先で洗濯物の入った紙袋をお母さんに渡して、代わりに新しいお洋服と肌着の入った鞄、それとお母さんが作ったお弁当を受け取ったお父さんは僕の頭に、グリッ、って手の平押し付けて『明日奈を頼んだぞ、和真』って言うから『お父さんこそ、ヨレヨレのボサボサだけど大丈夫?』って心配したら、はぁっ、って大きな溜め息ついて『今、修羅場なんだよ』ってもの凄い不機嫌な声で言われた。
『シュラバってなに?』って聞いたのと、お母さんが『和真くんにそういう言葉、まだ早いからっ』って眉毛をぴんっ、と吊り上げたのは同時で、でもお父さんは時間がなかったみたいで全然違う事を言った。
『タクシー待たせてあるから、見送りはここでいいよ…………明日奈』
お父さんと一緒に外まで出ようとしていたお母さんは名前を呼ばれてちょっとだけ背伸びをする。
あ、いってらっしゃいのほっぺチューだ。僕も保育園に通っていた時は、毎朝、お母さんとバイバイする時、かならずやってもらってた。
でも、お父さんは受け取った荷物を片手にまとめて持つと自由になった手でお母さんの顎をつかまえたまま、ほっぺたじゃなくてお口同士をくっつける。
ビックリしたお母さんが『んんっ!』て言って、慌ててお父さんの胸をポスッ、ポスッ、って叩くとチューが終わって、急いで振り返って真っ赤なほっぺをして僕を見るけど、僕ちゃんと知ってるよ、これはお父さんだけがお母さんにしていいチューなんだって。
今までに何回も見てるし、ほっぺにチューし合うより一回で済むし、ほっぺチューより仲良しになれるんだってお父さんが教えてくれたから、僕もお母さんとしていいのかな?、って思ったんだけど、ユイ姉に聞いたら『絶対にやめて下さい、和真くん』って珍しく真剣なお顔と声で言われた。
『あのチューは男の子がお嫁さんにしたい女の子か、お嫁さんになってくれた女の子にするチューなんです』って物知りのユイ姉が僕にもの凄く顔を近づけてきて、そんなに近くで喋らなくても、僕、聞こえるんだけど……だからお母さんとは出来ないチュー。
保育園生だった頃はお母さんをお嫁さんにしたいなぁ、って思ってたけど、そうしたら他の保育園のお友達の男の子もみんな『和真のママをお嫁さんにしたい』って言い出して、大げんかになった事がある。
たまたま、その日は急遽お父さんがお迎えに来てくれて、保育園の先生からケンカの原因を聞いたお父さんが今まで見た事もないくらい怖い顔で『明日奈を嫁に欲しいってほざいた園児全員呼んで来い』って言って…………あ、これ思い出すと涙でちゃうからダメなんだった。
これもユイ姉に聞いたら『軽いトラウマっになっちゃったんですね、和真くん』って困った笑顔で言われて『大丈夫ですよ、保育園でパパがやらかした騒動はママがきっちりパパを叱って、園にもお友達にも許してもらっていますから』ってホログラムだけど頭を撫でてくれた。
とにかく、僕のお父さんはお母さんの事が大好きで、お母さんもお父さんの事が大好きなのは…………ほら、珍しくお料理しながら鼻歌歌ってる。
本当はお歌もとっても上手なのに、普段は絶対に歌ったりしないから。
保育園の謝恩会で僕達卒園児と保護者が先生達にお歌のプレゼントをしようって決まって、練習した時、お歌を教えてくれたお友達のお母さんが驚いてたっけ。
そのお母さんは「せいがくか」っていう勉強をした人で、やっぱりとっても上手いんだけど、今でも週に一回、歌うのが好きな人達を集めて練習してて、是非、参加してみない?、ってお母さんを誘ってた。
お母さんは御礼を言ってから申し訳なさそうに断ってたけど、そんな風に上手なお母さんの鼻歌とカチャカチャお料理する音とを一緒に聴いてると、なんだか眠くなってくる。お母さんはお鍋の蓋を閉じると鼻歌を終わりにして「あとはじっくり煮込むだけね」って言ってキッチンから出てきた。
「あれ?、和真くん、眠くなっちゃった?」
「うん」
「じゃ、お昼寝する?」
「うん。お母さん、夕方、起こしてくれる?」
「そっか。土曜日だから和真くんが楽しみにしてるテレビ、あるもんね」
お母さんのほわん、ほわんな笑顔を見ていると思わず大きな欠伸まで出てくる。だけどその時、ガチャッてリビングのドアが開いて、のっそりと男の人が…………お父さんが入ってきた。
「和人くんっ」
「お父さんっ」
お母さんはお料理しながら鼻歌も歌ってたし、僕はうとうとしてたから玄関が開いたのも全然気づかなかったんだ。お父さんはこの前見た時よりもっとボロボロになってて、伸びすぎの前髪がお顔の半分を隠してて一瞬誰だかわかなんいくらいだった。でも黙ったまま、タッタッタッ、って大股に力強く真っ直ぐしっかりと一直線にお母さんの目の前に辿り着くと、ジッとお母さんの顔を見て……お母さんはすごく驚いてお目々を大きくしてたけど突進してきたお父さんにちょっとだけ口の端っこをヒクッ、ってさせてから「お、お帰りなさい、和人……くん?」って覗き込むように顔を近づけた。
そうしたら、いきなりガバッてお母さんに抱きついて、両腕でギュウッて抱きしめて、ほっぺをスリスリッてして、仕上げにそのほっぺに軽くチュッってしてから嬉しそうな声で「ただいま、明日奈」って言ったんだ。
僕も慌てて「お帰りなさいっ、お父さんっ」って声をかけたら、顔だけをこっちに向けて、ニヤッって笑ってから「ああ、和真、ただいま」ってお返事してくれる。
それからお母さんを抱きしめたまま、僕にこう言った。
「夕方まで明日奈はオレが貸し切るから、お前は一人で大丈夫だな」
「二人でお出かけしちゃうの?」
「いや、寝室にいる。和真、お前、オレが何日家を留守にしてたか分かってるか?」
「えっと……いち、に、さん……みっか?」
「はずれ。三日前は玄関先に寄っただけだからノーカンで正解は五日間だ。だから五日分、取り戻す」
「あっ、勇者とおんなじ台詞。お父さんが欲しいお母さんからの五日分ってなに?…………あ、チュー?」
「ふぇぇっ!?」
お父さんにぴたっりくっついてるお母さんから面白い声が飛び出すと、お父さんはにんまり笑って「それは正解」って頷くから僕は、あれ?って思って手の平を出した。
「お母さんがお父さんにするチューって、行ってらっしゃい、とお帰りなさいと……」
指を折って数を数えていく。
「そうだっ、あとおはようのチューだよね」
今度はお父さんが「うへっ?」って面白い声を出した。
「なっ、なんでお前が知ってるんだよ、和真っ」
「えー、だって僕も朝とかお昼寝から起きる時、お母さんにチューしてもらってるもん」
僕はその時を思い出して、たまらずに両手をギュッと握った。お父さんがしてもらえなかった五日分のチューをまとめて、ていう気持ちはとってもよくわかる。お母さんがチュッ、ってしてくれる瞬間、とっても良い匂いがするし、とっても嬉しい気持ちになれるから。だから保育園でバイバイする時も我慢できたし、お迎えに来てくれた時にしてくれるチューでとっても安したんだ。
僕は頭に浮かんだままの数字をお父さんに告げた。
「一日三回だから五日分だとチュー十五回かぁ。いいなぁ、お父さん」
「……ちょっとまて、和真。今の小学校は公立でも一年生にかけ算を教えるのか?」
「……かけ算、ってなに?」
「かけ算の定義知らなくて、どうして計算できるんだよ」
「計算なんてしてないよ。だって一日三回だから五日で十五回なの、当たり前でしょう?」
「あー、わかった、わかった。和真はそういうのを理屈じゃなく直感で理解するタイプか……明日奈みたいに概念から理解するタイプだと応用が効くんだけどな。こいつ、ピンとこない物はきっといつまでもピンとこないままだぞ」
呆れたような、それでいて同情って言うの?、そんな感じの目でお父さんが僕を見てくるとお母さんが、くすくす、と笑い声を立てる。
「和人くんみたいね。でもその代わりひらめきや発展力は強いと思うよ」
「かもしんないけどなぁ……とにかくだ、和真、夕方までオレや明日奈がそばにいなくても大丈夫だろ?」
「うん、僕、これからお昼寝するんだ」
お父さんが帰ってきてうっかり忘れそうになってたけど、やっぱり何だか頭の中がほわほわしてきた。
「でね、テレビの時間になったらお母さんに起こしてもらうの」
「それは無理だな」
「えーっ、なんで?、なんで無理ってわかるの?」
「断言してもいい。お前はアラームをセットするなり、ユイに起こしてもらうなりしろ」
「お母さんからチューを十五回してもらうのに、夕方までかからないでしょう?」
「五日分は色々とかかるんだよ」
「ちぇーっ……。ユイ姉、ユイ姉」
僕が呼ぶとすぐにユイ姉のホログラム映像がリビングに現れる。
「どうしました?、和真くん」
ユイ姉の姿は僕が生まれてから二回ほど外見がバージョンアップされてて、今は中学生のお姉さんって感じなんだ。
「僕、ソファでお昼寝するから起こしてくれる?」
「お安い御用です」
「でね、起こしてくれる時、お母さんみたいにチュッって…………やっぱりいいや」
「え?、和真くん?、ここならホログラム展開できるのでチューできますよ?、ねぇ、ねぇ、和真くん」
「うん、ありがと。でもいい。チューはお母さんのがいいんだ」
ちょっと寂しそうなユイ姉にはごめんなさい、だったけど、ホログラムだからとかじゃなくて、きっとチューしてもらって起きても、お母さんと違うなぁ、って寂しくなるのは嫌だったし、そーゆーのユイ姉はすぐ気がつくから、ユイ姉を悲しませるのも嫌だったんだ。
逆にお母さんはちょっとウルッとしたお目々で「……和真くん」って優しく僕を呼んでくれたけど、お父さんがその空気をぶち壊した。
「こらこら、和真っ、明日奈をほだすなっ……ユイ、和真には寝付くまで、おやすみのチューでもしまくってやれ」
「はいっ、わかりました、パパ」
ユイ姉が途端に元気になる。
それからお父さんはお母さんの腰を片手で引き寄せて、まるで悪い怪物がお姫様を攫うみたいにしてお母さんをリビングから連れ去っていっちゃったんだ。
夕方、ユイ姉と並んでソファに座ってテレビを見ていたらリビングのドアが開いた……お父さんだ。
お家でのんびりする時によく穿いている黒のスウェットパンツに上は裸んぼさんのまんまでタオルを首にかけているから、どうやらシャワーかお風呂上がりみたい。そのタオルで乾ききっていない髪をガシガシとこすりながら「お、和真、ちゃんと起きたのか」って言ってソファの後ろを通り過ぎようとしたら、ユイ姉が「パパっ、また痩せましたねっ」ってほっぺたを膨らませた。
「あぁ、明日奈にも言われた。仕方ないだろ、明日奈に作ってもらう弁当って二食分が限度だし」
「パパ……まさか、ママのお弁当以外、口にしてなかったんですか?」
「さすがにそれはないよ。適当にカロリーサポート飲料とか摂取してたから」
いつものお仕事だと『ユイ姉にお願い』すれば、ちょっとだけなら研究所のお父さんの様子を覗いてきてもらえるんだけど、とっても難しいお仕事の時は分厚くて高い『壁』がいくつも重なってるからユイ姉でも簡単に『覗き見』は出来ないんだ。だからお父さんがちゃんとご飯を食べてなかったって知ったユイ姉はますますほっぺたを赤くさせた。
「そんなのばっかりはダメですっ、パパ!」
「わかってるけどさ、胃を動かすより頭と手を動かす事で意識がいっぱいになってるって言うか……特に修羅場ん時は明日奈の弁当じゃないとわざわざ作業を中断してまで食事をする気にならないし、そもそも空腹を自覚しない……」
「パ〜パ〜」
滅多に聞かないユイ姉のお腹の底から響いてくるような怖い声だったけど、お父さんは、フッ、て笑って「そういうとこ、明日奈に似てるよなぁ」ってしみじみと言うと、途端にユイ姉のプンプンがしぼんでいく。
ユイ姉、お母さんに似てるって言われると嬉しくなっちゃうんだよね。
お父さんは思った事を言っただけだ、って言うけど、そう言われるとユイ姉はお父さんの事、怒れなくなって、悔しそうなんだけど、でもどこか嬉しそうで、それから「ズルイですっ、パパっ」って言うのがお決まりのパターンなんだ。
それにしても、お腹が空いてるのもわからなくなっちゃうくらいお父さんのお仕事が難しいのにはビックリだけど、お母さんのお弁当だけは特別なんだ、ってわかったら僕も嬉しくなって、それから今日の晩ご飯はいろいろたっぷりシチューをみんなで食べられるって思ったら、もっと嬉しくなって、だってみんな揃っての晩ご飯は……あれ、みんな?……お母さん?
「ねえ、お父さん。お母さんは?」
「ん?、ああ、明日奈ならオレと一緒に風呂に入ったけど、まだ休息が必要だったから寝室にいる」
「えー、じゃあ、今日、僕、お母さんと一緒にお風呂に入れないの?」
「そうだな。明日奈はもう入ったんだし。どっちみちここ数日はお前とは一緒に入れないから、オレが入ってやるよ」
って言う事はお父さん、しばらくお仕事お休みって事だよね。
やったー、そしたら途中まで一緒に組んでたゲープロ(ゲームプログラミング)の続き出来るかなぁ、あと《VRゲーム》で成人保護者同伴ならチャレンジできるクエストとか、お母さんだと絶対一緒に行ってくれないムシムシランドやホラーアドベンチャーにも行きたいし…………お父さんとやりたい事が頭の中にたくさん浮かんできて、まず何をお願いしようかと、僕はキッチンに移動していくお父さんの姿を目で追いかけた。
お父さんはコトコト煮込んでいる途中のお鍋の蓋を持ち上げて「やっぱり、この匂い、明日奈の特製シチューか」って嬉しそうにしてから蓋を戻して冷蔵庫を開ける。
お風呂上がりだから冷たいお茶のポットを取り出そうとして少し前屈みになった時、僕はお父さんの背中にある赤い傷に気がついた。
「お父さん、背中、どうしたの?、ケガしてるよ、痛い?」
「……ああ、これはいいんだ」
「でも赤くなってる。お薬つけてあげようか?」
お洋服を着ているはずなのにどうしてそんな所をケガするんだろう?、って、僕は全然が理由がわからなくて、お父さんの背中にある何かに引っかかれたみたいな細い傷は血は出てなかったけど、ケガしたばかりみたいに赤くなってたから心配したのに、隣にいたユイ姉が「大丈夫ですよ、和真くん」ってソファの上で僕に向かって正座をしながらお父さんを睨むっていう器用な事をしていた。
「パパのあの傷はママと仲良しの証拠なんです」
「仲良しなのにケガするの?」
「和真くんも大人になったらわかります」
「じゃあ、お母さんもケガしてるの?、だから寝室でお休みしてるの?」
「オレが明日奈を引っ掻くわけないだろ。まあ、違う方法で赤い痕はいくつもつけたけどな」
「パパっ、和真くんに余計な事は言わないで下さいっ」
結局、またユイ姉に怒られて、お父さんは両肩をすくめると冷蔵庫から取りだしたお茶をコップに注いでゴクゴク飲み干す。全く懲りてない様子のお父さんに溜め息をついたユイ姉は「それに……」と更に言葉を続けた。
「今週は和真くんの小学校の臨時保護者会やお仕事のトラブルも重なって、おまけに結城のお家からもお呼びがかかったりして、ママ、とっても忙しかったんですよ。なのにパパは帰ってくるなりママに無茶させてっ」
「あー、だからか。オレの不在もあって精神的に結構まいってたんだな。どうりでグズり始めるのがいつもより早いと……」
「パパっ!」
ユイ姉の大きな声を聞いてピタッ、っとお口を閉じたお父さんは、コップにもう一杯お茶を注いでからポットを冷蔵庫にしまった。それからそのコップを持って、そそそっ、と足音を立てず僕の側までやって来ると「……ユイ、寝室に行って明日奈も飲み物が欲しいか聞いてきてくれよ」って気まずそうに髪の毛をタオルで拭くふりをしながらユイ姉と目を合わせないでいると、お母さんが心配らしいユイ姉はお口をへの字に曲げたまま「わかりました」って行ってホログラムを消す。それまでユイ姉が座ってた場所に「はぁっ」って腰を降ろしたお父さんはテーブルの上に置いてあった本に気づくとコップを置いて、代わりにそれを手に取り表紙をじっくり眺めてから「へぇ、懐かしいな」って優しい声で言った。
「この本、和真が歩けるようになった頃、本屋に行った時にお前が自分で選んだヤツだ」
「そうなの?」
「覚えてないか……絵本じゃないから挿絵しかないし、話が長いからまだ早いだろ、って言ったんだけど、お前が離さなくってさ。きっと表紙が気に入ったんだろうな。明日奈が、自分が少しずつ読み聞かせするから、欲しいっ、て思う本は買ってあげたいな、って」
「うんっ、今でも一番好きな本だよ」
「勇者が怪物からお姫様を助け出すってやつだろ?」
「そうっ」
「でもさ、和真。この勇者は普通の人間だから、助け出せたのは仲間がいたからで、この物語のあともずっとお姫様を幸せになんて出来ると思うか?」
「……お父さん?」
「やっぱりいつもお姫様の側にいてお姫様を幸せに出来るのは王子様って決まってるんじゃ……」
「お父さん、この本、ちゃんと読んでないの?」
笑ってるのに、なんだか弱気なお父さんの言う事がどこかズレてて、僕は一生懸命口を動かした。
「勇者とお姫様はね、初めからお互いの事が好きだったんだよ。でもそれを知らない王様は他の国の王子様達にお願いしてさらわれたお姫様を助けに行ってもらうの。お姫様を助けたら結婚できるって約束だったけど、家来の兵士達を困らせてばかりの王子様やすぐに諦めて戻ってきちゃう王子様ばかりで誰も怪物のいる場所までたどり着けなかったんだ。けど勇者だけは本当にお姫様の事が好きだったから沢山の試練を乗り越えられたし、お姫様だって勇者の事が大好きだから自分がいる所を教える為に怪物の隙をついて魔法の鏡を手に入れる事が出来たんだ…………勇者だってお姫様だって、相手をとっても大事に思ってないとあんなに沢山の勇気は湧いてこないよ」
「でも、勇者は王子様じゃないんだ。王子様と結婚していればお姫様だってずっとお城で贅沢に暮らせただろ?」
確かに、他のお姫様がでてくる物語はだいたい王子様と結婚してお城に住んで幸せになりました、ってなってるから、やっぱりお姫様はお城に住みたいのかな?、って思った時、リビングのドアが開いて「そうとは限らないんじゃない?」ってお母さんの澄んだ声が飛び込んできた。
柔らかな生地のルームウェアワンピースを着ているお母さんは僕達のいるソファまでタタッ、てやって来て、お父さんの隣にすとんっ、て座ると「はい、シャツ。風邪ひいちゃうよ」ってお父さんに前開きのシャツを羽織らせてあげてそのまま背中に両手をほっぺたをくっつける。
「きっとお城で暮らすより、勇者のお嫁さんになった方が幸せって思うお姫様もいるよ」
「仕事が忙しい時は五日も家に帰ってこない勇者でもか?」
「うん、忙しいくせに毎日連絡くれたり、疲れてるのにタクシー飛ばしてわざわざ顔見に来てくれる勇者ならね」
「そんな面倒くさい勇者のお嫁さんになってくれる物好きなお姫様、なかなかいないだろ」
「一人くらい、いるんじゃないかな?、きっとお姫様の方も気が強くてもの凄く頑固かもしれないけど」
「なるほど。そうだな、怪物の所でも大人しく嘆いているだけのお姫様じゃないなら、そんな勇者と結婚してくれるかもしれないな」
お父さんは僕に本を渡すと振り返ってお母さんをふわり、と抱きしめる。お母さんはお父さんの腕の中でとっても嬉しそうな笑顔のまま「それにね……」って、ちょっと得意気にお口をカーブさせた。
「お城の豪華なお食事もいいけど、家族みんなで一緒に食べる特製シチューだって負けないくらい美味しいと思うの」
お母さんより少し遅れてリビングにホログラムでやって来たユイ姉も一緒に、お父さんと僕の三人は当然さ、ってニヤリ、と笑った。
お読みいただき、有り難うございました。
両親のイチャっぷりにはかなりの免疫がついている和真です(笑)
(ユイは和真以上に学習してますね)
恒例の「ウラ話」の方で、前回のキリ番記念投稿の「ウラ」と併せて
今回の「おまけ」も書きましたので、よければお立ち寄り下さい。
次回こそ、高校時代のお話をお届けできれば、と思います。