ソードアート・オンライン《かさなる手、つながる想い》   作:ほしな まつり

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帰還者学校に通っている頃の、和人の休日のお話です。


彼女のいない日

学校から帰って来て玄関の鍵を使い家に入る……洗面所の電気をつけ、手洗いうがいをすませ、また電気を消す……暑い季節はキッチンに寄って喉を潤したりもするが、そうでない時はそのまま二階の自室を目指し階段を上がる……部屋で着替えを済ませた後はその日によって色々だが一貫しているのは、玄関の扉を開けてからこれまで言葉を交わす相手には出会わない……それは和人にとってはごく当たり前の日常だった。

父親は長く海外赴任が続いており、母親が自分より早く帰宅しているなど、思わず明日の天気を心配してしまうそうになる。一見飽きっぽい性分に見える妹は、その実七歳の頃から打ち込んでいる剣道を中心に生活している為、放課後も毎日遅くまで練習をしている彼女には常に「おかえり」と言う立場だ。

家の中に自分ひとり……そんな状況を苦に思ったり寂しいと感じた事はあっただろうか?、と自分に問いかけてしまうほど、そんな感情は既に朧気ではるか遠くか、もともと存在しなかったのかさえ判断しようがない。

それに《あの世界》から生還して帰還者学校に通うようになってからは、家に誰も居ない、という状況の恩恵には少なからず浴しているのだから条件が変われば環境の見方も色々と変化するものなのだ。

だからこの三連休、和人は自分以外の家人が全員不在でも特にどうといった感慨はなかった。

普通の週末の状態が一日分長いだけだ。

逆に昨日、学校が終わって一旦家に戻った明日奈が荷物を持って泊まりに来てくれたので、久々に二人だけの蜜月の時間をゆっくりと過ごす事が出来、まさに、家に誰も居ない恩恵を受けたばかりである。

そうして今現在、やはり和人はひとりでリビングのソファに座り、壁にかかっている時計に目をやった。

そろそろ明日奈の乗った新幹線が仙台駅に着く頃だ。

幼い頃に訪れていた宮城の祖父母の家は既に存在しないらしく、年忌法要を営む事もないとかで明日奈は毎年祖父か祖母の命日近くに一人で墓参りをしているのだと言っていた。「今年は二年ぶりになるから色々と報告してくるね」と東京駅のホームで笑って手を振る姿を見送ったのが約二時間前。自宅に帰って来るなり昨日から一緒だった明日奈がいない分、なんとなく穴があいたような気分になってソファで放心していたのだが、いつまでもこうしているわけにもいかないだろうと腰を浮かせた時だった、来客を知らせる玄関のチャイムの音が室内に響く。インターフォン越しに「はい?」と応対してみれば、すぐさま聞き間違いではないものの、聞くとは思ってもみなかった声が耳に飛び込んできた。

 

「カズか?」

 

そして少し遠くなった声は「よかった、この家で合ってたぞ」と誰かに語りかけている。

細胞間のシグナル伝達であるシナプスさえフリーズしたのは一瞬で、和人は咄嗟に玄関に向かって走り出していた。

 

 

 

 

 

「ふつう……本当に……来るか?……」

 

玄関の扉を横に引いてみれば、そこにはしたり顔のクラスメイト兼同じネットワーク研究会の佐々井と他二名のやはりネト研仲間がどこか誇らしげに立っている。

 

「まあ、お前の利用している路線や駅は知ってたしな」

「そうそう、あとはちょちょいっ、と佐々が昨日のうちに担任を口八丁でたらしこみ……」

「駅からは地元っぽい人に聞いてみたり……」

「まあ、お前の端末からの通信履歴とかもぽんぽんっ、と辿ればだいたいの位置は……」

「そーそー、俺達、伊達にネト研じゃねーし」

 

桐ヶ谷家を探し当てた自分達の功績を笑顔で告げてくる友とは逆に和人の目は明らかに驚きから呆れへと変化していた。

 

「お前らな……それって軽く個人情報保護法違反だぞ……」

 

怒っているわけではないものの単純に我が家へようこそっ、といった歓迎の雰囲気がない事に少しばかり面白くない佐々井は、ふんっ、と胸を張って言い返す。

 

「フレンド登録してれば圏内だと居場所筒抜け生活を二年間も送って来た者同士、何を今更っ」

「そういう問題じゃないし、ここは《現実世界》だ」

 

あくまでも想定外の迷惑な来客扱いをするつもりらしく、未だ頑固に玄関先で立ちふさがっている和人に向かい、佐々井は戦法を変更すると共に声音も変えてみる。

 

「だってさ、カズ。お前この連休中、家に誰も居ないんだろ。そんなの俺だったら寂しくて絶えられないし、お前が家に一人ぽつん、といる光景を想像しただけで、いてもたってもいられなくてさっ」

「佐々……お前、昨日学校の教室で既に『遊びに行ってやろうか?』って言ってたよな。しかも担任に交渉したのも昨日なんだろ」

「だから、昨日のうちに想像したからお前に言っといたんだよ。今夜は俺達が泊まっていってやるからっ」

「はっ?」

「そうそう、夕食の材料も仕込んできたしな」

「ちょ、ちょっと待て」

「ネト研の合宿ってことで、合宿と言えばカレーだろ」

 

佐々井の後ろにいた仲間二人がスーパーの袋をこれ見よがしに持ち上げた。半透明のビニール袋の中にはニンジンやジャガイモ、カレールーの箱がぼんやりと透けて見えている。

 

「百歩譲ってうちで晩飯を食べて行くのはいいとしても、泊まるのは無理だぞ」

「なんでだよ」

「三人分の布団なんてないし……」

「あー、大丈夫、大丈夫。なんたってネト研の合宿だもんな」

「ああ、どうせ今晩は寝ないから」

「ちゃんと自分達の分のアミュスフィアやモバイルPC、バッテリーも持参してる。心配すんな」

 

三人三様で自分達の荷物を示している所を見ると本当にネト研ならではの私物を持って来たのだろう。その用意周到さに軽く目眩を覚えた和人は三人の決意をようやく諦めに近い感情で受け入れる覚悟を決め、渋々と「まあ、上がれよ」と玄関口から身を引く。そこでぱあっ、と笑顔になった三人は「お邪魔しまーす」と口々に告げて桐ヶ谷家に上がり込んだのだった。

 

 

 

 

 

三人をリビングに通し、和人は対面キッチンでグラスを四つ用意した。預かった食材の入ったスーパーの袋はそのまま作業台に置き、冷蔵庫から麦茶を取りだしている間、佐々井を始めメンバー達はしげしげと室内を観察している。

 

「うん、まあ、驚くほど普通だな」

「……一体、どんな家を想像してたんだ」

「ほら、庭に道場があったからさ、こう、もっと絵に描いたような純日本家屋的な?」

「そうそう、土間に囲炉裏に五右衛門風呂とか……」

 

さすがにそれは想像と言うより少し時代錯誤だろう、と軽く頬をヒクつかせて三人が腰を落ち着けたソファの向かいに座った和人は自分用に手にしていたグラスの縁に口を付け、麦茶をズズッと啜った。それに倣うように目の前の三人も出された冷たい麦茶を口に含む。

 

「あれ?」

「なんだ、これ」

「なんか……ウマい」

 

三人がそれぞれ驚きの目でグラスの中身を見つめる中、和人だけは訳知り顔で「あー……」と伸ばしてから空いている方の手の指でポリポリ、と頬を掻いた。

 

「それ、アスナが昨日作ってったやつなんだ」

「なんと!?」

「なんとっ、なんとっ!!」

「姫がっ?、昨日、ココにっ!!!」

 

大興奮のまま両手でグラスを握りしめている三人を見て「折角、冷えてる麦茶がぬるくなるぞ……」と呟いた和人はここ数十分で何回ついたかわからない溜め息をやっぱり堪えきれずに細く長く吐き出した。

 

「まぁ、理由はお前達と同じだよ。オレの食事を心配したアスナが料理を作りに来てくれたんだ。で、今飲んだのが粒タイプのハトムギを煎ってから煮出したハトムギ茶」

 

『ちょっとひと手間かけるだけで、味が違うでしょ?』

 

昨日、まだ冷める前の、逆に温茶としては適温の麦茶を味見し終わった時、空になった湯飲みを受け取りながら、にこり、と笑う明日奈は得意気にそう言っていたが、確かに味は違うし、断然こっちの方が美味しいと思うものの自分で作るなら麦茶パックをぽんっ、とジャグに放り込んで水を注ぎ、冷蔵庫のドアポケットに入れる以上の手間をかける気にはならないなぁ……、と心の内だけで本音を漏らした和人は目の前の恋人の眉尻が下がり、同時に告げられた言葉に驚く。

 

『って言ってもキリトくんは作らないでしょうから、空いているジャグ二本分作って冷蔵庫に入れておくね』

 

どうやら同じ作業工程の実行を求められていたわけではなかったらしい、と、ホッと胸を撫で下ろしたした和人だったが、声に出していない本心を見透かされては『有り難う、アスナ』という声もどこかぎこちない。けれど自分では作らないが、自分以外の誰かが、もっと言うなら料理上手の可愛い恋人が手間をかけて作ってくれた冷茶なら美味しくないはずがなく、出来上がったハトムギ茶は残りの休日二日間、自分が美味しく飲もうと思っていたのに、突然、と言うより突撃に近い形でやってきた同級生の男(ヤロー)三人は明日奈が作った冷茶だと聞いた途端、ゴクゴクともの凄い勢いでグラスの中身を飲み干し、声を揃えて「おかわりっ」と叫んだのだった。

 

 

 

 

 

二杯目のハトムギ茶もへらへらとだらしない笑顔で飲み終えた三人のうちの一人、主犯格である佐々井は、壁掛け時計で現在の時刻を確認すると「んーじゃ、そろそろ始めますか」と言って二人と和人を促した。

「おうっ」「そーだな」と同意を口にしながら立ち上がる三人を前に和人の頭上にはハテナマークがひょこっ、と飛び出る。

肝心のこの家の住人が立ち上がらない事にじれったさを感じたらしい佐々井が少々ぶっきらぼうな口調で和人を急かした。

 

「そろそろ始めないと晩飯、遅くなるだろ。米研いだり、野菜切ったり……言っとくけど、俺達、料理スキルは一ケタ台だからな。カズ、お前が頼みの綱だ」

 

やっぱり残りの二人が同意を示すように、うんうん、と頷く。

押しかけて来ておいて料理は不得手だからお前が頑張れ、と言われるとは思ってもみなかった和人は「はっ?」と目を見開いた。

 

「ちょっと待てよ。じゃあなんでカレー作る段取りになってるんだ?。適当に弁当でも買っくれば……」

「それじゃあ合宿感が出ないだろっ」

「そうだっ、そうだっ」

「合宿と言えばカレーライスだっ」

「……お前ら三人とも料理スキルか、その固定観念のどっちかを何とかしろ」

 

立ったまま壁のように一歩も譲らない姿勢は見事な団結力で、それでも理不尽な要求には毅然とした態度で臨まなければ、と和人も友人達をにらみ返す。

 

「だったらせめてカレーはレトルトで済ませるとか、カレーライスを食べる方法はいくらだってあっただろ」

「わかってないなー、カズ。あたふたしながら慣れない作業を全員で乗り越えてこそ真の友情が芽生えるんだってば」

「そうそう、とは言え俺達の普段の食事はすっかり親まかせ、コンビニまかせ、学食まかせだ」

「オレだって似たようなもんだけど。ま、オレの場合、親まかせの部分が多少、アスナまかせ、になってるくらいで」

「あーっ、そーゆーのはいちいち言うなっ。殺意を覚える」

 

これから真の友情を芽生えさせようという相手に向けるとは思えない暴言を吐いた友の肩を佐々井が慰めるように、とんとん、とあやした。

 

「とにかく、それでも、だ。カズ、お前、前に休みの日、家にいる時はほぼ『ぼっち飯』だって言ってただろ?」

「ああ、そうだな。母親も妹も、土日でも居ない事が多いし……」

「更に、そういう時は買いに出るのも面倒だから自分で適当な物を作って済ませる、とも言ってたよな?」

「よく覚えてるな……」

「それらの話を総合して、少なくともお前の料理スキルは俺達よりレベルが上だと判断した」

「……オレの『ぼっち飯』の定番は具無しペペロンチーノだぞ……」

 

あまり公にはしたくなかったが、さほどレベルの差はないのだと言いたくて得意料理の名を明かすと、一時の間はあったものの佐々井はゆっくりとひとつ頷いて片手の拳を高々と天井に向ける。

 

「よしっ、四人で一致団結してカレーライスを作ろうっ」

 

ここまで事態が進行してしまってはこれはもう作るしかないだろう、と覚悟を決めた和人は一呼吸送れて「おー……」と力弱く雄叫びを上げたのだった。

 

 

 

 

 

とりあえず和人が米を研いで炊飯器にセットしている間にあとの三人は持参した食材を取り出し、調理を開始する。

 

「ジャガイモだろ、ニンジンに玉ねぎ。あとはカレールー、完璧だな」

「カズ、皮むき器、あるか?」

「ピーラーなら一番上の引き出しに入ってる…………ところで、肉は?」

「ん?」

「だから、肉」

「ああっ、肉か……肉ね……」

「まさか…………肉なしカレーなのか?」

「貧乏くさいネーミングはやめてくれ。ベジタブルカレーって言えよ」

「最初はちゃんと買うつもりだったんだぞ」

「そうなんだ、けどさ……」

「けどな……」

「そうっ、豚か鶏か牛か、でモメてさ……うん、決して予算の問題とかじゃないから……」

 

三人全員が微妙に目を合わせず、思い思いの方向で宙を見上げれば、和人がぽそり、と「予算の問題なんだな」と真実を見破り「うーん、なんかあったかなぁ」と言いながら冷蔵庫を覗き込んだ。その言いように期待の眼で和人の背後から同じく桐ヶ谷家の冷蔵庫を覗いた三人は、その整然と並ぶ保存容器の美しさに「おおーっ」と感嘆の声を上げる。

 

「なんか、スゲーな。カズん家の冷蔵庫」

「中身が分かるようにラベルも完璧だし」

「あ、『ナスの煮浸し』がある。俺、ナス、好きなんだよ」

「『甘酢漬け』ってカレーに合いそうだな」

「おー、『ポテサラ』もあるし」

 

思い思いに冷蔵庫の中身を吟味している三人を牽制するかのように和人は両肩をいからせた。

 

「勝手な事言うなよ。手、出すなって」

「『ミートボール』発見っ。これカレーに入れればミートボールカレーになるっ」

「それはトマトソースに絡めるパスタ用で、明日の昼飯にしようと思ってたやつっ」

「んー、じゃあ……『つくね』っ、『つくね』があるしっ」

「ダメだ、それは軟骨が入っててショウガが効いてるアスナ特製でオレの好……物…………」

「へ?」

「え?」

「は?、……まかさ……もしかして……これ、全部……姫の作り置き…………なの……か?」

 

返答の代わりにパタンッ、と和人が冷蔵庫のドアを閉じ三人に背中を向けたまま動かない。もう絶対に冷蔵庫の中身は見せない、と語るその後ろ姿に三人はザクザクと容赦ない呆れの視線を刺し始めた。

 

「通い妻かよ」

「もしくは単身赴任の夫を支える出来た嫁か」

「なんかカレーの材料を買ってきた俺達が空しくなってくるよなぁ」

 

止むことなきひがみに近い感想は鋭い視線が突き刺さったままの背中をジリジリと焼いていく。これ以上は、と耐えきれなくなった和人は再びゆっくりと冷蔵庫の扉を動かすと「これは冷たいお茶漬けかうどんに乗せるつもりだったのに……」と言ってひとつの容器を取り出した。

蓋を開けると和風の鶏だし汁がゼラチン状に固まった中にそぎ切りにされた肉が埋まっている。

 

「蒸し鶏のもも肉。もう火は通ってるから常温に出しておけばそのままカレーのトッピングに使えるだろ」

 

提供された肉を見て三人の視線が一気に集まり、且つ喜色に染まった。

 

「うっわ、ぷるんぷるんだな、このつけ汁が固まったやつ」

「カレーの野菜を煮込む時にこのつけ汁も一緒に入れようぜ」

「いいな。料理上手な姫のことだから、この汁だけでも美味そうだし」

 

一旦蒸した鶏もも肉はふっくらと仕上がっており、更に味付けがしてあるつけ汁に一晩漬け込んだお陰で鶏肉には味が染み込んでいて、逆につけ汁には鶏の旨味が染み出している。明日奈の味つけを余すことなく堪能する意見を聞きその嬉しそうな様子を見れば、和人もこれはこれで良かったかな、と思い直して蒸し鶏の容器を佐々井に渡し「じゃ、さっさと作っちゃおう」と言って包丁やまな板の準備を始めた。

 

 

 

 

 

結局「俺達、ネト研だから」などと言って調理の途中、カレーの隠し味についてネット検索を始めた三人は煮込んでいるカレー鍋にインスタントコーヒーや蜂蜜、味噌、チョコレートといった食品を次々に投入し、結果、それらの味が全く隠れていない、かと言って渾然一体にもなっていない、カレー風味の何か、と表現するしかない料理を作り上げた。

それだけでも十分に美味しい明日奈が作ってくれた蒸し鶏も上からカレーもどきをかけられたお陰で繊細な味がすっかり台無しになっている。

予定では今日の夕飯は明日奈が仕込んでいってくれた豚肉を食べようと思っていたのだが……特製のピリ辛ダレが絡まって、あとは焼くだけになっている豚肉は明日の夜に回そう、と計画しつつ可能な限り蒸し鶏からカレーもどきを取り除いて口に運びながら和人はやるせない気持ちを肉と一緒にごくんっ、と飲み込んだのだった。

そうやって微妙な空気の中、夕食を終えた四人は後片付けを済ませると和人の案内で二階にある彼の私室へと居場所を移した。

客間から持って来た座布団の上に腰を降ろした三人に向け、飲み物と適当にお菓子でも持ってくる、と言い残して再び和人だけが階下へと下りていく。

改めて友の私室に落ち着いた三人は、ふぅっ、と息を吐き、ぽんっ、ぽんっ、と膨れた腹を撫でた。

 

「まっ、カレーはちょっと独創的な味になっちゃったけどな」

「けど当初の予定通り、あたふたしながら作るという目標は達成できたしな」

 

本来の目標は真の友情を芽生えさせる事であって、決してあたふたするのが目標ではなかったはずなのだが、そこにはあえて触れずにとにかく男四人でキッチンを右往左往した楽しい思い出に満足する。

 

「カレーの他は姫が作った麦茶を飲んで、ポテサラに甘酢漬け……デザート用にゼリーまで冷蔵庫に入ってたもんなぁ」

「おうっ、予想を遙かに超えて豪華な晩飯になった」

「ちょっとだけカズの視線が痛かったけどなっ」

「そんなんで怯むかよ。姫の手料理だぞ」

「食べられるチャンスなんてそうそうないし」

 

学校では週に数回とは言え昼休みの中庭を貸し切り状態にし、姫の手作り弁当と姫自身を独占しているヤツが彼女の作り置き惣菜を友人達に振る舞うくらい何て事ないだろっ、と三人は一様に「当然」と言った表情で互いに顔を見合わせ無言で頷いた。しかし次に佐々井が鼻から吐いた大きな息は満腹ゆえの苦しさからくるものではなかった。

 

「にしてもカズのヤツ、既に自分ちの台所を姫に使わせてるなんて、着実に外堀を埋めにかかってるよな」

「あー、それを言うなら既に内堀も埋まってる感じだと思う。俺、ちらっ、と見ちゃったんだけどさ。冷蔵庫のドアにメモがくっついてた」

「メモ?」

「『明日奈さんへ、卵、出来たら使っちゃってね。週明けに新しいのを買ってくるから』って……多分、あれ、カズのかーちゃんだろ」

「うぇっ、既に姑と嫁で良好な関係を築いちゃってる感が……」

「こりゃ、もう完全に埋まったな」

「ああ、埋まってる」

「って事はさ……」

 

冷蔵庫にマグネットでとめてあったメモを目聡く発見した男子が……ちなみにそのメモは彼の視線がメモへと注がれた途端、それに気づいた和人が引きちぎるようにして手の中に収めズボンのポケットに押し込んでしまった……お約束のようにキョロキョロと周囲を警戒し、且つ、階下から上がってくる足音がないことを確認してから声を潜める。

 

「既に桐ヶ谷家では姫の存在は公認されているわけだよな」

「……と考えるのが妥当だろ」

「姫は既に何回かこの家を訪れ、しかも台所の使用も自由なほど馴染んでいる、と」

「なんか、もう、揺るぎないな……くっそー、カズのやつ。カズのくせにっ」

「と言う事は他の部屋だって出入りしている可能性はかなり高いよな?」

「……例えば?」

「…………この部屋……とか?」

「………………この……カズの部屋……に?……姫が…………」

「のおおぉぉっっ」

 

それは英語で否定を表す「No」だったのか、魂の叫びだったのか、とにかく感情の発露をほとばしらせる友の声に仰天した両脇の二人は素早くその発生源である口に手の平で蓋をした。

 

「落ち着け、騒ぐな」

「気持ちはわかるが、今は堪えろ」

 

一瞬にして二重に口を塞がれた男子は叫び声と共に吐いた空気の補充が出来ず、息苦しさから逃れる為にコクコクと首を縦に振り、冷静さを取り戻す。

 

「ごめん、つい……」

「いや、わかるよ、わかるけどさ、ここはひとつ慎重に話を進めよう」

「だよな。考えてみれば姫とカズは付き合ってるわけだしな」

「だろ?、そりゃ、男からしたら付き合ってる彼女が自宅に来れば、当然自分の部屋に……連れ込むよな?」

「連れ込む、って言うな」

「連れ込まんのか?」

「……連れ込みたいけど……ま、その時の雰囲気とか?、状況にもよるな」

「状況……状況な……家には自分と彼女しかいなくて……彼女は既に何回もこの家に来ているからリラックスしていて……親兄弟は当分帰宅しない」

「うん、絶対連れ込む」

「のおおおぉぉぉっっっ」

 

叫声を聞いた途端、再び男子二人が計ったようなタイミングで自分達の間にいる友の口に今度は容赦なく叩きつけるような勢いで手の平をびたんっ、と密着させた。

 

「いい加減にしろ」

「ほんと、怒るぞ」

 

思わず吠えてしまった喉も多少痛いがそれ以上に唇がじんじん痺れている男子は自然とにじみ出てきた涙でじわり、と目を潤ませてもごもごと短い単語を呻く。それが謝罪の言葉らしいと判断した二人は、ふぅっ、と落とした溜め息と同時に手を離した。

 

「もうお前は自分の手で口を押さえてろ」

「それがいい。真ん中で俺達の話を聞くだけ。絶対に大声を出すな」

 

さすがに自分でも「もう大丈夫」という自信はないのだろう。素直に「そうする」と口にした男子は北関東にある有名な神社の彫刻のお猿さんのように自らの口の上に両手を重ねた。一方両側の二人はこれで安心、と気を取り直し会話を再開させる。

 

「……とまあ、仮に連れ込んだとしよう」

「仮に、な」

「そう、仮に、だ」

「まずい……」

「どうしたんだよ?」

「俺、連れ込んだ事ないから、この先、どうしたらいいかわかんね」

 

お猿さん化している真ん中男子も、うんうん、と激しく同意を表していた。

 

「……あー……そういう面でも同年代の男子と比べると二年のブランクはデカいよなぁ」

 

まずもって女性が圧倒的に少ない閉鎖的な世界に閉じ込められ、異性とそういった関係性に発展するチャンスも訪れず、その手の情報を得ることすら難しかった二年間を思うと自分達の恋愛面のスキルの低さを思い知らされる。けれど今悩んでも先には進まないのでそこは気持ちを切り替えて前向きな提案を試みた。

 

「その辺は各自スキルアップを目指すとして、今は自分がどう行動するか、じゃなくて姫とカズの話だろ」

「そっか……でもあの二人の行動予測なんて余計難易度上がってないか?」

「そうでもないさ。例の学校の昼休みの中庭の延長と思えば……」

「なるほど。だとすると……絶対二人でひっつくよな」

「ひっつくだろうな。それから……」

「それから…………」

「………………やばいっ、今、俺の頭の中は思春期絶好調の妄想が暴走したっ」

「やっべぇ、俺も……」

「んーっ、んーっ」

 

大人しく口を塞いでいたはずの真ん中男子が片方の腕を真っ直ぐ伸ばし和人のPCが乗っている机を指さしている。律儀に片手は口元を押さえたままで、それでもしきりと何かを訴えていた。

 

「んーっっ」

「いや、別に普通に話す分には構わないんだけど……」

「なんだよ?、なんか見つけたのか?」

 

よっこらしょ、と机に一番近い佐々井が立ち上がり、真ん中男子の人差し指が指し示す方向の延長線上を予測してみれば、そこにはちいさな髪留め用のゴムがある。思わず手を伸ばし、つまんで、鼻先まで持って来て、クンクンと匂いをかいだ佐々井は何とも言えない表情を二人に晒した。

 

「これ……姫のだ」

「マジかっ!。ってか佐々ぁ、お前さすがっつーより、そこまで来るとちょっとコワイわ」

「誤解すんなっ……まぁ、匂いもちょっとだけ残ってるけど髪の毛が一本からまってんの。ほら、こんなに長くて栗色」

「ああ、なるほど」

「……って事は、仮定が仮定じゃなくなったかもな」

 

意味ありげな視線を髪ゴムに集中させていた三人は各自この部屋に明日奈が連れ込まれる場面を想像する。示し合わせたわけでもないのに、和人がいかにも、といった悪役的笑みを浮かべているのは共通だ。

そして、ついに真ん中男子の口が開いた。

 

「カズめ、やっぱり昨日、この部屋に姫をっ」

「いや、まだその髪ゴムだけじゃ弱いな。他に物的証拠がないか探そうぜ」

「おうっ」

 

結局、最終的に何がしたいのかが有耶無耶なまま和人が明日奈を自室に連れ込んだかどうかを判定する事に夢中になった三人は部屋の各所に目を凝らし、匂いを嗅ぎ回る。とにかくありとあらゆる物を手に取ったり鼻を寄せたり、と調べていると、熱中していたせいで階下からの足音に気づかなかったのだろう、カチャリ、とドアが開き、目の前の光景の意味がわからずベットボトルとお菓子の袋を持った和人が立ち尽くしていた。

視線の先には三人並んで真ん中だった男子がベッドの上に座り込み、そこにあった枕を両手で持ち上げている。

 

「うほっ、カズ……」

「オレの枕……どうかしたか?」

「あー、うーん……なかなか良い枕だなっ」

「…………」

 

とりあえず部屋に入り、眉間に不可解さを表す皺を刻んだままテーブルに食糧を置いていると、持っていた枕をベッドに戻し、ついでにぽふっ、ぽふっ、と叩いて小声で「髪の毛はないし、匂いは……わかんないなー」と呟いた友の声が届いたらしく、「はぁ?」と和人の声が裏返った。

ぴく、ぴく、と片方の口の端を引きつらせて再び訝しげな目で友を見る。

 

「髪の毛とか匂い、って…………オレの?」

 

完全に不審者(ヘンタイ)を見る目つきに、折角芽生えたと思っている真の友情が泡となるのを焦った佐々井が握っていた手の平を開いた。

 

「違うってば、カズ。ほら、これ」

 

そこにはシンプルな明日奈の髪ゴム。

佐々井が握っていた物を見て今の今までこの三人が自分の部屋で何をしていたのかを察した和人がやっぱり呆れたように半眼で三人を見つめ返す。

 

「それはアスナの忘れ物だよ」

「んーなのわかってるよ。俺達が知りたいのはこの部屋で……」

 

佐々井の発言を遮るように和人は「料理を作ってる時」と声を被せた。

 

「へ?」

「だから、昨日、料理を作っている時に髪が邪魔だからそれでまとめてたんだ。帰る時に持ってくのを忘れたみたいだから、来週にでもアスナに返そうと思ってそこに置いといたんだけど……探してるかもしれないから、一応知らせとくか」

 

説明を聞いた途端、三人の顔が「なーんだぁ、そうだったのかぁ」と素直に緩む。その反応を確認してから和人は「オレの端末、下に置きっ放しだから取ってくるよ」と言って再び部屋を出て行った。

「なんだよー、誰だよー、妄想爆発させたヤツー」などと陽気な声が部屋から漏れ聞こえてくるのを背中で受けつつ階段を下りながら、ふぅっ、と小さく息を吐き出す。何とか誤魔化せたようだが、嘘は言っていない。

あの髪ゴムが明日奈の物である事も、昨日、料理を作ってくれている時に使用していたのも事実だ。ただ、その後、お風呂上がりの彼女の髪をまとめていたのもあのゴムで、けれどベッドへ横たわらせた時、いつものように髪を弄りたくてそれを外したのは和人だった。

触れて、吸って、時には甘噛みをして、ふにゃふにゃに溶けてしまうと自分を律する事が出来なくなった明日奈は脆くもぐずりだすので、髪を梳いてやって、涙を舐め取り、ひたすら甘やかすのが和人にとってはたまらない喜びなのだ。

いつもは冷静で優等生な彼女が自分の腕の中だけで見せる素直で子供のような表情を独り占めにし、誰に気兼ねすることなく時間をかけて存分に彼女を味わい尽くした昨晩を思い起こす。

ベッドのヘッドボードに背中を預けた姿勢の和人に明日奈が向かい合って腰を落とせば、羞恥で肌は上気して、はしばみ色の瞳には見る見るうちに透明の涙が溜まった。「ほら、アスナ、あと少し」と声を掛けるのだが「……もぅ……むり」と言うなり抱きつくように倒れ込んできて、その泣き顔と声、それに密着した結果、押し付けられた二つのふくらみに刺激されて和人の余裕が吹き飛ぶ。

また、それから少し経った後、彼女の荒い息づかいによってサラサラと背中から両肩へ流れ落ちる髪を眼下に眺めながら細い腰を支えて揺すると、それだけで折れてしまうのではないかと思うほど背をしならせて和人から贈られる快感に耐えきれずふるふる、と頭を振り涙を散らす紅顔を見たくて背後から「アスナ」と呼びかけ、振り向かせ、顔を近づければ、その行為はより深く彼女の内を抉り、あがる嬌声は和人に吸い取られる。

そうやってベッドの上でひとつになって熱を与え合い、抱き寄せたまま眠り、共に朝を迎えるのは《現実世界》では初めての事で、あの二十二層の森の家で過ごして以来の幸せに満ちた時間だった。

正直、明日奈の髪にあったゴムなど、外した途端、意識の外に追いやってしまったので、今日、彼女が新幹線に乗るのを見送り、帰宅してからベッドの下に落ちているのに気づくまで忘れていたのだ。きっと、少々朝寝坊の時間に起きた明日奈が耳まで真っ赤にして、まだ寝ぼけ眼の和人を無理矢理ベッドから追いだし、枕カバーとシーツを勢いよく剥いだ時に髪ゴムが吹っ飛んだのだろう。洗濯機が動いている間に朝食を済ませ、使った食器を和人が洗い終わって明日奈の様子を見に行けば、ちょうどシーツを干しているところで、やっぱり頬がほんのり色づいているのを目にして思わず後ろから抱きついてしまったのは不可抗力だったようだ。

その後は几帳面な明日奈らしく、きっちり掃除機までかけていったのだからあそこに彼女の痕跡など残っているはずがないのに、と和人は勝手に自分の部屋の捜索していた三人を思い出し、ふっ、と少しだけ意地悪な顔で微笑んだ。

今夜は仙台のホテルに宿泊しているはずで、夕方に合流予定の兄の浩一郎さんと久しぶりに夕食を食べるのだと楽しみにしていたようだし、何より明日奈の心の拠り所のひとつとなっている大好きな祖父母の墓参りなのだから、とあえて連絡はしなかったのだが……。

 

「まぁ、髪ゴムを部屋に忘れていった事だけ知らせておけば、時間のある時にアスナから返信がくるだろ」

 

リビングに置いてあった携帯端末で用件のみを送信した和人は、その後自室で男友達三人とPC談義に花を咲かせている時に明日奈からビデオ通話が入り、ホテルの部屋を背景に風呂上がりの恰好が画面に映し出された途端、ピッとサウンドオンリーに切り替えた瞬発力はさすが「黒の剣士」と言える早業だった。




お読みいただき、有り難うございました。
はい、『確信犯シリーズ』の新たな仲間ですね(苦笑)
もはや何作目になるのかは把握していませんが、既に隠れシリーズ化している
自覚はあります。
そして何回も書きますが、回想シーンのほんの数行分で別枠(R−18)タグを
付けるのはそれこそ詐欺行為だと思うので、厳密には別枠とわかっていても
「このくらい、いいデスよね?」と、しらをきる……というのが
『確信犯シリーズ』の定義なのです(冷や汗)
話変わりますが、一般的にパックをポンッの「麦茶」の原料は大麦(六条大麦)ですが
「ハトムギ茶」はハト麦なので「麦茶を丁寧に一手間かけて作る」イコール「ハトムギ茶になる」
わけではありませんっ。
本来なら本文中の「麦茶」「ハトムギ茶」表記を分けるべきなのですが…………
めんどくさ…………あっ、いえいえ、そこまではいいかなっ?、と(笑)
どっちも大きなくくりでは「ムギ茶」!
ややこしくしてスミマセン(謝っ)

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