ソードアート・オンライン《かさなる手、つながる想い》   作:ほしな まつり

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OLさん視点のお話です。


不可侵領域

お世辞にも広くて綺麗とは言えない会社の会議室では、椅子は全て取っ払らわれ、年季の入った長机の上にデリバリー料理の大皿がどーん、どーん、どーん、と並んでいる。そのデリバリー料理だってオシャレな盛り付けなんかしてなくて、これ、どこぞの冷凍食品をチンしただけじゃありません?、とか、いつだったか会員制の大型倉庫店で大量に売っているのをテレビで見た気がするんですけど、それをお皿に載せただけじゃありません?、とか、品数はそこそこあるけどどれもお財布に優しい料理ばかりだ。

ただでさえ食生活が乱れきっているとゆーのに、胃に優しい料理はないのっ?!、と目で検索してもサラダとトルティーヤくらいしか該当物が見当たらない。

うちの会社主催ではこれが限界なんだろうけど…………うん、ここ一週間ほど、連日連夜、栄養サポート系のゼリー飲料やらクッキーバーみたいなのが主食だったんだから贅沢は言うまい。何せ全て会社持ちの納会、タダで一食浮くと思えばそこはかとなく有り難みさえ湧いてくる。

それにしても「ざ・守銭奴」みたいな経理部長がよく許可してくれたもんだね、と思いながら、私は「もしかして、遠いご先祖様にタヌキがいらっしゃる?」と尋ねたくなるような体型の我が社の「タヌキ親父」のお腹周りを頭に浮かべた。もちろん「タヌキ親父」とは女子社員同士だけの経理部長を指す隠語だ。

年末と言うことも手伝って、ここ数日、何をしていたか記憶が朧気になるほどの仕事量をこなしていた私は、今、栄養不足に加え睡眠不足、ついでに体力不足だと言うのに、立食パーティー形式という名の、本当は狭くて椅子が置けないんだよね、な自社の納め会に参加している。

基本、社員全員参加という「おふれ」だったし、どうせ参加を辞退して一人暮らしの小さなアパートに戻ってもまともな食材の買い置きはない。帰る途中でスーパーに寄る体力も残ってないし……あ、明日の朝、食べる物ないな……きっと今晩は帰った途端、泥のように眠っちゃうだろうから、せめてこの納会で少しでも胃を満たしておこう、という腹づもりだ。

取り敢えず、今現在、誇張表現でも何でもなく文字通り社運を賭けて取り組んでいるプロジェクトがようやく試作段階一歩手前までこぎ着けた事で上役の機嫌もいいみたいだし、今なら明日の朝食分を包んで持ち帰っても怒られないかもしれない。

どこかに手頃なサイズの空いてる容器とラップないかな……と、周囲を見回した時、私のいるテーブルの対角線上から「おおっ」「へーっ」という感嘆の声が大きくあがった。

 

「あまり沢山はないんですけど……」

 

清涼感を含んでいる声の恐縮した言葉に自然と私の視線もそっちに動く。そこには三段構えの迫力のある重箱がたった今、風呂敷包みからその姿を現したところだった。

使い捨て容器ばかりが並んでいる長机の上に場違いなほど貫禄のある塗りのお重。それを取り囲み、今か今かと蓋が持ち上がるのを待ち構えているうちの社員ども。

きっと浦島太郎が玉手箱を開く時の期待度もこのくらいあったんだろうなぁ、とほのぼの思っていた私は、そこに現れた料理を見た途端、瞳に野生の光を宿した。

あそこっ、あそこに胃に優しい料理があるっ。

彩り野菜の湯葉巻きにスパニッシュオムレツ、小さめサイズのロールキャベツと山芋の磯部揚げ、それにトマトを豚肉で巻いて焼いたやつ……ああっ、あとはよく見えないっ、とにかく、間違いなく、今の私の胃が欲している料理の数々っ。

料理を目にした途端、ごくり、と唾を飲み込んだ社員達に後れをとるものかっ、と私は取り皿と割り箸を素早く掴み、寝不足のせいでよろつく足を叱咤激励しながらお重目指してダッシュした。私の他にもお財布に優しい方の料理を仕方なくつついていた社員達が重箱の中身に気づいて駆け寄ってくるのを横目で睨みつつ、ライバルが増える現況に更に闘志の火を燃やす。

当然だ、他の社員達だって勤務状態は私と大差ないはずだから胃が求める物は自ずとかぶってくる。

それにしてもちょっと意外だったのは、今回のプロジェクトで外部から招いた心理アドバイザーの彼女が料理を持参した事だ。

モデル並みのスタイル、芸能人並みの容貌、大学教授なみの知識、まさに出来る女、働く女性の理想像といった彼女は自分のアドバイザーという立ち位置を逸脱することなく、常に控えめに、それでいて的確な助言を私達に提供してくれた。噂によると児童心理学や犯罪心理学といった聞き覚えのある分野はもちろん、デザイン心理学とか環境心理学にまで精通していて、その学識は広く、深く、そして豊かだ。

うちの仕事を受ける前は地方都市の再開発事業で街作りのプランニングに関わっていたらしいし、かと思えば大型イベントのコンサルタントを務めた事もあるというマルチな働きを聞いた時にはさすがに「実はAI?」と半分本気で勘ぐったけど、お嬢様然とした立ち振る舞いの中に時折混ざる天然ぶりは彼女の人間味を更に魅力的にみせている。

そんな彼女だから左手の薬指に指輪があっても仕事第一、仕事優先、仕事が生きがい、みたいな仕事中心の生活なんだろうなぁ、と勝手に想像して、理解のある旦那さんなのか、はたまた既に冷え切った仲のか、でも彼女なら十分生きていけるよね、って思ってたから、正直、料理をするヒトのイメージがなかった。

そしてそんな彼女は今、華麗な箸さばきで殺気さえも帯びて突き出される周囲の箸先よりも早く、手にしていた取り皿にパパッ、と持参した料理各種を少量ずつ確保している。

その一瞬後、文字通り飢えた社員達がハイエナのごとく並べられた重箱に群がった。料理しか見えていない大柄男性社員の勢いづいた巨体が彼女の肩にぶつかり、彼女の唇から吐息のような小さな声が零れ出る。

 

「ぁっ」

 

咄嗟に料理をこぼさないよう取り皿を庇った彼女がバランスを崩した。華奢な身体が簡単によろめく。

つい届くはずのない手を伸ばしながら……今日の会議中もいつもの優しげな雰囲気の彼女だったけど、本当は私達と同じように少しの衝撃でもフラつくほどに疲れていたのかもしれない、とスローモーションで傾いていく彼女の姿を目で追いながら自分の口が「危ないっ」の「あ」の形になった時だ、彼女に背を向ける格好で隣の長机にいた男性がまるで見えていたかのように、くるり、と振り返り、両手で彼女の肩を支える。

 

「あ?」

 

「あ」の口は無駄にならなかった。

とんっ、と男性の胸元に背中を預ける形で転倒を免れた彼女は見るからに安心した様子で、ほっ、と息を吐き出している。受け止めた男性の方も大事に至らなかった事を知って肩の力を抜いたようだ。

けど、点になったままの私の目も「あ」の形に固まった口も元には戻らない。

だって、あの二人は今日の昼間の会議でお互いがアドバイザー的な立場だったにも関わらず、うちの社員達よりも熱いバトルを繰り広げていたからだ。

我が社が社運を賭けているプロジェクト……それは現代において各家庭にひとつ、ではなく、一人にひとつまで保有率が上がったVRマシンで簡単な健康チェックを行える装置を開発する事だった。大手の医療機器メーカーは競ってメディキュボイドの後継機を開発しているけど、ウチみたいな中小企業はそこまで大掛かりな物は作り出せない。だから治療用としてではなく日常で簡単に使ってもらえる検診用マシンの開発に着手したわけだ。

例えば、体調管理という面で基礎体温や血糖値を気にしたり、毎日血圧を測っているお年寄りだって少なくない。その測定結果が平常値と違えば原因は分からなくても体調不良の自覚は出るから日々の生活面を見直したり、病院に行こうかと考える人だっているだろう。そういう風に従来のVRマシンを装着するだけで簡単に身体の健康状態を数値化できるよう試行錯誤しているのだ。

本体はすでに普及しているVRマシンで出来る、のが売りだから要は新たな付属装置を製品化するのが目的なわけで、それで今回だけはVRマシンの開発プロジェクト側から特別に技術者さんにも意見を伺おうと参加していただき、ついでに納会にも参加して下さったのがその男性なわけで……はっきり言って初顔合わせした時は内心「わかっ」と驚いた。他社での開発商品の参考程度に呼ばれただけだもんね、きっとプロジェクトチームの下っ端さんなんだろう。

それでもチームの一員なんだから将来有望株なのは間違いなく、加えて見た目も良さげな人だったんで早速うちの女性社員とか、提携してるソフトの制作会社の女性達が我先にと名刺交換を求めてた。

私は……一応、これでも彼氏持ちなので、彼は鑑賞対象だな、と観察眼で見るだけで十分に満足…………いやいや仕事でお付き合いのある男性を鑑賞しちゃダメか?。

それに、そもそも彼、無愛想な草食系っぽくて私の好みのタイプとは正反対。技術職の人ってなんかこだわり強そうでズボラな私としては仕事の上なら信頼できるけどプライベートでのお付き合いは遠慮したいという先入観がある。

うちの父親がそんな感じの人なのだ……ああいう人は身内に一人いれば十分。

自分のテリトリーと言うか、譲れない分野だととことん我を通そうとする姿は一見頼もしく見えるけど、それに付き合わなきゃいけない家族としては、はいはい、また始まったよー、でスルー機能のスイッチをオンにするしかない。そういう所はやっぱりあの男性も同様で、昼間だって開発に携わった者として自分への挑戦だととらえたのか、アドバイザーの彼女さんとすっごい積極的に討論してて……

 

『この製品の場合、見た目はさして重要じゃないだろ』

『外観の事を言っているわけではありません。これはVRマシンを一種の医療用測定器としての役割を持たせる製品なんです。しかも実際操作するのは一般人、もっと言えばこれまではバーチャルショッピングやコミュニケーションツールといった一部の機能だけを集中的に使っていた年配の方もターゲット層なんですから、見てわかる操作性デザインは絶対的な条件です』

『そうは言ってもそれを重要視した為に性能が落ちたら意味ないと思うけど』

『何もデザインを最優先にする必要はありませんが、測定される数値も医療機関が求めるレベルの精密さは必要ないと思います』

『なんだか曖昧だな』

『例えば体温計で熱を測った場合、37,5度でも37,8度でも通常より高い事に変わりはなく、その対処法も変わることはないでしょう。それと同じと考えて下さい。それよりも見やすい表示だったりわかりやすい操作性の方が利用者の心理的には使いやすい器具としての印象が強く残り、結果、多くの購入者に長く使ってもらえる製品になります』

『逆にセッティングが面倒かもな。その辺りの見極めはここのチームが考える事だけどデータ処理の簡素化はマシン本体に干渉する場合もあるから方向性が決まったら、一応こっちにも教えて欲しい』

 

そんな感じでその後はウチの開発チームとの話し合いになって……流石に仕事の話だから私もスルー機能は起動させなかったけど、それまでは椅子に腰掛けて資料を見ながら聞いてんのかどうだか、な態度だった彼なのに……きっと彼も集中しちゃうと寝食忘れるタイプなんだろうな、と想像して、そんな人のテリトリーに入っても尚、怯まずに自分の意見を口にする彼女も格好良かったっ、と思い、ビジュアル的にもこの二人の口論って互いが真剣な表情だけに魅せられた部分も大きくて、ちょっと不謹慎だけど眼福、ご馳走様でした、と追想する。

けど、昼間の様子を思い出しながら視線はぼんやりと二人に固定したままになっていた私の目は理解不能な光景を激写してしまい、一気に意識が現実へと戻ってきた。

それはアドバイザーの彼女が死守した料理の乗っているお皿を自然な動作で技術者の男性に渡したからだ。

よろめいた事を支えてくれた御礼ならばもう少しやり取りがあってもいいのでは?、と思う程、当たり前のように皿が彼女から男性へと手渡しで移っていく。しかし、その様子を捉えていたのは私だけではなかった。

 

「あらっ、桐ヶ谷さんもそういう料理を召し上がるんですか?」

 

いつの間に移動して来たのか、二人の前に現れたのは今回、ウチと提携しているソフト開発会社の女性スタッフ、通称ハデ美様だ。確かご本名は可愛らしく「晴美」だったと思うけど、良く言えば大変化粧映えのするお顔立ちで、加えて服の好みに原色使いが多く、更にゴールドのアクセを常に着用しており、仕上げにお言葉遣いがとても高慢チックという……今度、酔った勢いで「キャラ、作りすぎですよーっ」と背中をバンバン叩いてやりたいお方だ。

そのハデ美様がお得意の見下し目線で技術者の桐ヶ谷さんが手にしている料理を一瞥し、次にその料理を持参した彼女を横目で見る。

 

「なんだかこれ見よがしな気がしてしまうのは私だけかしら?、まるで仕事が出来るだけじゃなくて、家庭的な面もあるってアピールしてるみたい」

 

少し高めのハデ美様の声が納会場所である会議室内に響き渡った。

一瞬にして皆が口を噤む。けど、アドバイザーの彼女はそんな雰囲気に飲まれる事なく綺麗な目を細めて微笑んだ。

 

「仕事が出来る、と評価して頂いて有り難う」

 

多分、彼女とハデ美様の年齢はそう変わらないだろう、ハデ美様の職場では後輩はもちろん同期の人達だって誰も彼女に面と向かって言い返えせないって聞いた事があるから、この反応はハデ美様にとっては新鮮、且つ、腹立たしてものに違いない。その証拠にアイブロウで描かれた芸術的な曲線が今はほぼ逆ハの字の一直線になっている。

 

「そうねっ、仕事はご一緒してますから。でもお料理を作っている所は誰も見てませんしね」

「どういう意味ですか?」

「別に疑っているわけじゃありませんけど、今はお惣菜なんて手軽に買えますし……」

「わざわざ買ってきた物を詰め直して持って来た、と?」

 

そこで彼女は、ふぅっ、と大きく息を吐いてから、軽く肩をすくめた。

 

「そうね」

 

肯定の言葉に場内が一瞬、ギョッとなる。

 

「貴女には私が何を言っても納得して貰えそうにないから……だったら誰が作ったのかなんて気にせず食べて下さい。この一週間、貴女を含めてここにいらっしゃる社員の皆さんはこのプロジェクトにかかりっきりで食事の時間も削ってたでしょう?」

「そうやって綺麗な顔で良い子ちゃんぶるのはやめで欲しいわっ。今日だってそこの桐ヶ谷さんに対して偉そうな口を利いてたくせに、今度は言い寄るみたいに料理を渡してっ」

 

あくまで冷静な彼女と完全に噴火したハデ美様、段々と会場内の空気がしらけていく。

だいたいさー、彼女は別に「これ、私が作ったのー」とか言いまくってたわけじゃないし、これまでの彼女を見てたら本当に私達の体調を気遣って料理を持って来てくれたんだって皆わかってるし、要するにわかってないのはアンタだけだよ、ハデ美様。そんなだから仕事はできんのに人望ないんだよ。

ハデ美様は提携関係にある会社の社員さんだけど、ここで黙ってたら今まで我が社の為に頑張ってくれたアドバイザーの彼女に申し訳ないっ、と私が足を踏み出し、一言、物申して差し上げようとした時、一瞬早く彼女の半歩前に桐ヶ谷さんが身体を被せる。

 

「偉そうな口……じゃなくて、彼女はちゃんと自分の立場で物を言っただけだ。オレは開発チームの一員としての意見があるから、互いに自分の考えを提示するのがこのプロジェクトのアドバイザーとしてのオレや彼女の役目だろ」

「っぐ」

 

正論を言われてハデ美様が悔しそうに唇を引き結んだ。

取り敢えずは会話が収まったようだと判断したウチの若い男性社員が「じゃっ、有り難くいただきますっ」と叫んでお重の中に箸を突っ込んだのを合図に、場は再び賑やかさを取り戻したのだった。

 

 

 

 

 

差し入れ争奪戦で美味しい戦利品を胃に収め、何とか空腹を脱した私はお手洗いで中座した納会に戻りながら、やっぱり持ち帰り分は無理だったなぁ、ともの凄い勢いで空になったお重の中身を名残惜しく思い出していたが、会場となっている会議室前の廊下にいる二人の男女を見て、思わず身を隠した。

なにやら親密そうに会話をしている雰囲気に自然と耳が大きくなる。事業部長直々のお小言の時は聞こえづらくなるのに……どうやら私の耳は時と場合に合わせて自在に大きさや聴力を変えられるらしい。

その大きくなった耳がそこにいる男性、桐ヶ谷さんの声を拾った。

 

「オレ達は部外者なんだからもう抜けてもいいんじゃないか?」

「んー、そうね……」

「このあとオレは研究所に戻る必要はないけど……」

「あ、私もそのまま帰れるよ」

「なら空の重箱を回収して出よう。出来れば、もうあの人に会いたくないし」

「もうっ、そんな事言って。久しぶりですごく喜んでくれてたじゃない」

「とにかく、今、中にいる一番上の人間は……開発部長か?、彼に挨拶すればオレ達は消えても問題ないだろ」

 

素直にこくん、と首を縦に振るアドバイザーの彼女を見て私は慌てた。

わーっ、ダメダメっ、なに簡単に桐ヶ谷さんに『お持ち帰り』されそうになっちゃってんですかっ、それにしても桐ヶ谷さんも意外と手が早いと言うか、これじゃ私の料理の持ち帰り計画よりよっぽどだよ。

急いで物陰から飛び出し、彼女を引き留めようとした私はまたもや一歩及ばず、桐ヶ谷さんは彼女の手をひいてスタスタと会議室へと戻っていってしまった。当然、室内がどよめく。そんな周囲の反応などものともせず目当ての開発部長の前まで一直線に進むと桐ヶ谷さんは彼女の手を繋いだままぺこり、と頭を下げた。

 

「今日は有り難うございました。オレ達はお先に帰らせていただきます」

「えっ?、あぁ、そうか。もう少し話がしたかったけど、うん、お疲れさまでした。今日は納会まで参加してくれて有り難う」

「いえ、こちらこそ楽しかったです。オレはもう直接こちらにお邪魔する事はないと思いますが、彼女の方は引き続き宜しくお願いします」

「こちらこそ、だよ。結城さんの知識や見識は今回のプロジェクトにおいて大変有意義だし、何より彼女が参加してくれてると場が活気づくからね、特に男性社員がはりきる」

 

茶目っ気たっぷりに笑う開発部長の言葉にアドバイザーの結城さんがふわりと笑って御礼を言い、続けて「途中で辞する非礼を……」とか何とか言ってる横で私の大きな耳は聞いた、桐ヶ谷さんがチッ、と小さく舌打ちする音と「指輪だけじゃ全然虫除けなってないのか」と忌々しそうに呟く声、それに対して「来年もよろしくね」などと呑気に口にしている部長に対して笑顔のままの結城さんが小声で「和人くんっ」と叱責する囁きを……。

なんだ、あれ?、と思った私は桐ヶ谷さんの言った「指輪」というキーワードに反応して結城さんの指にはまっているそれを見る。

いつも必ず着けている結婚指輪……あれがあるから既婚者なんだな、ってわかったし、けどその精力的な仕事ぶりから、夫婦関係どうなってるんだろう?、って余計なお世話的想像を勝手に膨らませていたわけだけどぉ……お?、おおっ!?……おんなじ指輪だ、おんなじ指輪がある……桐ヶ谷さんの指に……もちろん左手の薬指。

どういう事?、そういう事?

すると私の心の声が聞こえたの?、というタイミングでハデ美様が再び登場した。

 

「どういう事ですかっ、お二人でって……お二人はっ……」

 

その問いかけに桐ヶ谷さんは繋いでいた手を離し、その手を結城さんの腰に回して引き寄せ、自慢げな笑みをハデ美様に返す。

 

「どういう事って、夫婦だけど?」

「ふっ、ふっ……」

「改めまして、桐ヶ谷の妻です。今日は主人共々お世話になりました。私は旧姓のまま仕事をしているので、年明けからもこれまで通り『結城』と呼んで下さい」

 

ハデ美様の言葉にならない声を遮り、清々しい笑顔付きで二人の関係性を明かした結城さんが周囲への挨拶を済ませた後、手早く空のお重を風呂敷と一緒に紙袋に収め終わると、唖然としている社員達が見守る中、二人はさくさくと帰り支度を完了させ、並んで出口へと向かって行く。けれどどうにも収まりのつかないらしいハデ美様が二人の背に声を飛ばした。

 

「夫婦である事を隠して同じ仕事場に来るなんてっ」

 

非難めいた声に桐ヶ谷さんが振り返る。

 

「別に隠してたつもりはないけど、最初に夫婦だって明言すると変な先入観を持たれる可能性がありそうだったしな」

 

昼間の応酬を見てた人間ならこの二人が夫婦だなんて絶対に思わないよ、桐ヶ谷さん……。

 

「それに、オレ達が夫婦だって知ってて今回の指名をしてきたのはそっちだし……」

 

それは初耳だった。こんなハイスペックなご夫婦の知り合いがウチの社内にいるとはっ、意外とやるじゃないか、我が社。

驚きの嵐が吹き荒れている中、唯一ニコニコとこの状況を楽しんでいる風の開発部長以外、社員達は完全に石化している……どうやら部長は知ってた側の人間らしい、ならこの二人を指名したのは部長?。

私の脳内は寝不足を吹き飛ばす勢いで可動していて、そこに全エネルギーを使っているのか身体は相変わらず固まっている……あ、でも耳は絶対大きくなってると思うな、きっと過去最大。一言も聞き漏らすまいと、逆にこの場の全員の動きが止まっている事がありがたい。

 

「ああ、それと……」

 

何を言いかけたのか、桐ヶ谷さんが口を開いた途端、それまでより低めの声から何かを察したらしい結城さんが、ぐいっ、と旦那さんの腕を引っ張る。けど気持ちの収まりがつかなかったのは桐ヶ谷さんも同じだったらしい。ビシッ、と視線をハデ美様に定めると冷めた口調で言い放った。

 

「君が疑ってた料理、あれ、ちゃんとアスナが作った手料理だから」

「はい?」

 

突然言われた内容に理解がついていかなかったらしいハデ美様が珍しくもおマヌケ様な顔になっていらっしゃる。

 

「お陰で昨夜は下ごしらえをするから、ってなかなか寝室に来ないし、今朝は今朝で早くにベッドから抜け出すし……」

「和人くんっ」

 

きっと我慢出来なかったんだろう、こっちも珍しく結城さんが大きな声を出して……そうだよね、旦那さんに家での様子を暴露されるって結構照れくさいと言うか恥ずかしいよね。桐ヶ谷さんは自分でも言ってたように、今後はウチの社に顔を出すことはないんだろうけど、結城さんの方はこのプロジェクトの試作製品完了までは私達と一緒するんだから……って、ちょっと同情めいた気持ちになってると焦り顔のままの結城さんがそれでも綺麗な尊顔を桐ヶ谷さんに近づける。

 

「今朝、やっぱり起こしちゃってた?」

「ああ、この時期、触れていたぬくもりがなくなると結構寒いんだよな」

「ごめんね」

 

至極真面目に普通に会話してるそこの夫婦、最強かっ?。焦ってた原因はそっちなのか、結城さんっ!?。

桐ヶ谷さんの言葉から察するに、今朝、結城さんが抜け出したのはベッドはベッドでも、正確にはベッドで一緒に寝ていた桐ヶ谷さんの腕の中から、てなとこですよね?

一体、どこのどいつだ、この夫婦を名指ししたウチの腐れ社員は……開発部長か?、やっぱり開発部長なのかっ!?

今日の納会は料理と一緒に当然お酒も出てる。私は無事にアパートまで帰り着きたいから二杯目以降はソフトドリンクにしたけど、かなり出来上がってた社員達の浮かれ顔が可哀想なくらい煩悶の表情に一変してて、今にも何かを吐きそうな口元を懸命に堪えている姿は…………あ、ダメだ、感情があっちこっちに振り切れて、見てるだけで涙出そう。

けれどそこに一人の勇者が登場した。

 

「もう結構ですっ。お二人とも先にお帰りになるんですよねっ?、桐ヶ谷さん、有り難うございましたっ。我が社が担当してますソフトも基本部分が組み上がりましたらデータを送らせていただきますので、ご意見をお聞かせ下さいっ。あと結城さんもお疲れさまでしたっ。来年も宜しくお願い致しますっ。さあ、どうぞお帰り下さいっ」

 

すごいぞハデ美様っ、全ての語尾が跳ね上がってるっ。

でもお陰で結城さんは「はい、ではお先に失礼します。よいお年をお迎えください」と会釈して桐ヶ谷さんの肘に手を添え、一旦止めていた足を出口に向け動かそうとして……桐ヶ谷さんがついてこないもんだから、あれ?、と言った表情で振り返った。原因となっている桐ヶ谷さんはもう一度ハデ美様を見て、不敵に笑う。

 

「あ、ひとつ言い忘れた。さっきはアスナの『綺麗な顔』を褒めてくれて有り難う……ま、綺麗なのは顔だけじゃないけどな」

 

はぁーっ、どうやら桐ヶ谷さんは少し前にハデ美様が結城さんにぶつけた『綺麗な顔で良い子ちゃんぶる』発言を覚えていたらしい……覚えてたって言うか、忘れるなんて出来ずに内でグツグツと煮込んでいたっていうところかな。さすがのハデ美様も頬をヒクリと痙攣させ、まるであり得ない物を見るかのような目で桐ヶ谷さんを見つめている。一方、桐ヶ谷さんはハデ美様からのある意味熱い視線をさらり、とかわし、清々とした穏やかな瞳で隣の結城さんに「じゃ、行くか」と微笑みかけた。

ああ、あのやりきった表情はアレだ、自分のテリトリーを守り切った爽快さを含んだ安堵の顔だ、うちの父が家族を前に譲れない分野を語りきった時の顔とおんなじ。さしずめ桐ヶ谷さんの譲れないテリトリーの真ん中にいるのはあの結城さんなんだろう。

どこが無愛想な草食系?……自分の目のでっかい節穴っぷりにため息が出る。あれはいざとなったらがむしゃらな肉食獣に変化して猛火を瞳に宿すタイプだ。彼の許可なくそのテリトリーに足を踏み入れる事は出来ないし、もしかしたら覗いたただけで牙を剥かれるかもしれない。きっと彼のテリトリーから自由に行き来できるのは結城さん只一人。

じゃなきゃ彼女があんなに生き生きと仕事をしているはずないから。桐ヶ谷さんの腕の中で大人しく守られているだけの女性じゃないもんね、結城さん。

既に二人が出て行った後の会議室は妙な疲労感が漂っていて誰も彼もが……ああ、開発部長以外の人達はなんとも言えない顔で肩を落としている。

 

バタンッ

 

「おそうなりましたっ、いやぁ、やっと終わりましたわ…………随分、静かやな、どないしました?」

 

その静寂をぶち破る勢いでお腹をたゆんたゆんと揺らしながら笑顔の経理部長が飛び込んできた。

十二月だと言うのにジャケットも羽織らず、ワイシャツの袖をめくってハンカチで額の汗を拭っているところを見ると経理部の仕事納めが済んで走ってきたのだろう。この会社に務めるようになって何年目かは知らないけど、一向に関西弁の抜けないタヌキ親父はぐるり、と室内を見回すとワイシャツの襟の影で存在のよく見えない首を、それでも僅かに傾げた。

 

「あの二人、もうおらへんっ?」

 

あの二人?

今度は私が首を傾げると新しいプラスチックカップと冷えた缶ビールを持った開発部長がタヌキ親父にカップを手渡し、プシュッと缶を開けてビールを注ぐ。

 

「お疲れさまです。ささ、まずは一杯。彼らは今さっき帰ったんですよ。ほぼ入れ違いでしたね」

 

誘われるままにゴクゴクとビールをあおったタヌキ親父は早くも目の周りをほんのりと赤くさせ、ますますタヌキ顔になった。

 

「なんや、せっかく話が出来ると思ってましたのに。桐ヶ谷はんなんて昼間、アスナはんに連れられて、ペラッと挨拶しに来ただけでっせ」

「そうだったんですか?、こっちはご夫婦揃って色々な意見を出していただき、会議も白熱しましたよ」

「ならあの二人を口説き落とした甲斐がありますわー」

 

経理部長っ、あんたかーっ。

そんな丸っこい体型で昔話の常連みたいな顔してんのに、どこであんな超ド級に傍迷惑な夫婦とお知り合いになってくれちゃったんだっ。

私の内なる叫びなんて気づきもせずご機嫌な部長二人は互いにビールを注ぎあいっこしながら、わはは、わはは、と和やかに笑っている。

 

「アスナはんの方は個人交渉なんでどないかなりましたけど、桐ヶ谷はんの方は大変でしたわ。あそこの研究所のガードが固い固い。なんせあのVRマシン本体の開発プロジェクトリーダーやから簡単には貸し出しでけへん、言われましてな。そこを何とかって、最後にはアスナはんに泣きついたんですわ」

「それは、それは、ご苦労様でした。でもお陰で我が社の開発も順調に進み、良い物が出来そうです」

 

リーダー?……今、タヌキ親父は桐ヶ谷さんがあのマシン本体のメイン開発者って言うたんですかーっ……はっ、つい経理部長の話を聞いてると口調が移っちゃう……そんな事よかっ、あの若さでリーダー職とかマジあり得ないっ、あの夫婦ばりばり仕事しすぎっ、でもって公共の場でいちゃいちゃしすぎっ。

あまりに衝撃的な情報に身体の呪縛が解けた私は、そそっ、と部長二人の元に近寄った。

 

「すみません、お二人って桐ヶ谷さんや結城さんとどういうご関係なんです?」

 

ここまで来たらどんな答えが返ってこようが聞かずにはいられない。私の不躾な質問に対し、二人はちょっと顔を見合わせた後、うーん、と言葉を探し始めた。

 

「今から十五年程前になりますかね?」

「もう、そんなになりますかいな」

「私達はその時も同じ集団に所属してまして」

「平たく言うと、アスナはんはその時の上司ですわ」

 

じっ、上司!?……どんな答えでもっ、と、どすこい身構えていたつもりだったけど、結城さんがこの二人の上司!?……意味がわからん。

私の混乱を他所に二人は懐かしそうな顔で語り続けている。

 

「上司と言っても直属というわけではなかったんですが……」

「会社で言うたら彼女は副社長さんやなぁ」

「そうそう、それで桐ヶ谷君は……フリーター?」

「ははっ、せや、最強の黒いフリーターさんやったわ」

 

副社長にフリーター……色々と違いすぎる気がするけど……「その頃からあの二人は一緒だったんですか?」と聞けば親父二人はにんまり、と笑った。

 

「そうだね。いつも真剣に互いを想い合っている感じだった」

「お陰でえろう儲けせてもらいましたわ」

 

このタヌキ親父、根っからの守銭奴かっ。

結局、部長二人が教えてくれた思い出話はあまりよく理解出来なかったけど、ずっと前から桐ヶ谷さんのテリトリーに結城さんが存在してたのはよくわかった。

そしてもう会うことはないのかもしれないけど、もし、次に桐ヶ谷さんが自分のテリトリーを守ろうとする場面に遭遇したときは速攻でスルー機能のボタンを押そうと私は心に深く刻み込んだのだった。




お読みいただき、有り難うございました。
どなたか関西弁をご指南下さいっ(汗)、と急請したくなるほど
一番大変だった経理部長の台詞(苦笑)
「ここの関西弁、ちょっと違いますよ」など、ありましたら
ご一報頂けると助かります。

今年も《かさなる手、つながる想い》にお付き合いいただき
本当に有り難うございました。
アスナはんを見習って……「よいお年をお迎えください」
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