ソードアート・オンライン《かさなる手、つながる想い》   作:ほしな まつり

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『きみの笑顔が……』で書いた「校内祭」当日のお話です。いちを、そちらを読んでいただいて
からの方がわかりやすと思います。
前々からこの作品を投稿するなら十月と決めておりました(笑)


その先の約束(みらい)

静まりかえった校舎内とは対照的にグラウンドからは悲喜こもごもの男子生徒の声が、絶え間なく

この屋上にまで聞こえてくる。

『校内祭』最後を締める後夜祭の……メインイベントと言っていいだろう、フォークダンスに

おける運命の抽選会が行われているのだ。

ネット内の仮想空間に二年余りの間、約一万人分の魂を縛り付けた『SAO事件』。

その呪縛から解放された被害者の子供達だけが通うこの学校では、本日、生徒の自主的発案で

文化祭のようなお祭りが開催されていた。

そのラストを飾るイベントとして、一般来校者が引けた後、まだ夕暮れの日差しが校舎の窓を

あかね色に照らしている頃、基本的には全員参加の後夜祭が、そろそろ幕を開けようとしている。

 

ギギィッ……

 

校舎の屋上へと出る重たい扉がゆっくりと動いた。

閉まるのをその重さと勢いに任せ、すぐさまトトトトッと軽快な足音が一直線に近づいてくる。

その足音の主は無言のまま勢いも殺さずに、屋上の塀にもたれるように座り、制服のブレザーを

頭からかぶって居眠りを決めこんでいる生徒に抱きついた。

 

「うわっ!」

 

ブレザーの主が慌ててそれを払いのけると、豊かな栗色のかぐわしい長い髪が桐ヶ谷和人の胸元に

押し当てられている。

もちろん背中にはギュッと回された細い腕。

無意識に胸の上の小さな頭を抱きかかえようとして……和人は目の前のモコモコとした白い物体が

邪魔なことに気がついた。

しかもその物体はふたつ、ゆるやかに揺れている。

 

「……明日奈?」

 

その呼びかけに、少し間を置いてから抱きついた腕の力を抜いて結城明日奈がゆるりと顔を

あげ、和人を見上げるようにして、ほわんとした笑顔を見せた。

 

「和人くん、見つけた」

 

和人本人は別にかくれんぼをしていたつもりはなかったのだが……今の屋上には他に誰もいない

とは言え、恋人のいつもより積極的なふれあい方に戸惑いを感じながらも、微笑みを返した。

 

「ったく、オレじゃなかったらどうするつもりだったんだ?」

 

その言葉に少々機嫌を損ねたのか、おもむろに身体を起こして和人の前に座り直すと、

むぅっ、と口を尖らせながらプイッと横を向く。

 

「間違ったりしません」

 

真横を向いた動きに合わせて、白いモコモコも「みよんっ」と動いた。

彼女の機嫌を気にするより、どうしてもその動く物体に興味が向いてしまう和人は、人差し指を

立てて目の前の疑問を口にする。

 

「明日奈、それって……」

「ん?、これ?……ウサギ耳」

 

さして真剣に怒っていたわけではないようで、すぐに和人に向き直ると自分からは

見えるはずないウサギ耳をその瞳に映すように、軽く上目遣いをしてから、今度は和人に向けて

頷くように頭を上下に振った。

その動きに反応して、カチューシャから生えているウサギの白い耳が「ふにゅんっ、

ふにゅんっ」と前後に揺れる。

明日奈の白い肌とのコントラストも手伝って、全体的になかなか……いや、かなり可愛い

仕上がりになっていた。和人は口元が緩みそうになるのを必死にこらえ、手で覆い、

心情を隠すように少し早口で問いかける。

 

「なんで?、午前中はそんなの付けてなかっただろ?」

 

素直な疑問であり、当たり障りのない言葉を選んだつもりだったが、それを聞いた明日奈が

途端に眉を寄せる。

 

「……フォークダンス、仮装だよ?」

「はっ!?」

 

一瞬で和人の頬から緩みと赤みが消えた。

立て続けの予想外な質問と反応に、何かを感じ取った明日奈が冷ややかな視線を送ってくる。

 

「和人くん……ちゃんと在校生用のプログラム、見た?」

「……見た……つもりだった」

 

歯切れの、と言うより往生際の悪い返答に本人も苦笑いだ。

明日奈は、はぁーっ、と大きくため息をついてから「やっぱり」と小声で呟いている。

今回の『校内祭』実行委員を務めている身としては落胆を隠しきれない。

 

「あのプログラム、私の担当で一生懸命作ったのに……」

「ご、ごめん」

 

和人は後夜祭の内容に書いてあった「フォークダンス」の文字を見ただけで不参加を

即決していた。だいたいフォークダンスなど踊れるスキルも持ち合わせていないし、

明日奈の手を取れるなら、の思いもあったが、それ以上に他の男子生徒がその手を握る

光景を見るのは耐えられそうになかったのだ。

後夜祭終了後に各催事の片付けがあるので、帰るに帰れず、一人屋上で時間を潰していたと

いうわけで、当然フォークダンスの詳細など読んでもいなかった。

 

「一体誰が仮装フォークダンスなんか発案した……あ……もしかして……」

 

発案した生徒の顔が見てみたい、と思ったところで浮かんできたヤツが一人。

そいつも実行委員なので可能性は十分にあった……そして、その可能性を明日奈が即座に

100%に引き上げる。

 

「うん、佐々井くん」

 

ああぁ……と今度は和人が大きく息を吐き出す。

明日奈を「姫」と敬う彼女のファンクラブ会員であり、和人のクラスメイト兼同じ研究会

メンバーだった。

当初、後夜祭までは発案されていなかったのだが、佐々井がどうしてもやりたい、と

自分が担当になって全てを引き受けるから、と実行委員長の茅野に粘り強く交渉したのだ

という。

きっと誰もが思っただろう……「お前、自分が姫と踊りたいだけだろーが」と。

そしてその思いは多くの男子生徒も同じだったようで、わざわざ全員参加を謳わずとも

まさに今、グラウンドには屋上にいる二人以外の全校生徒が集結していた。

 

「でも、男女比が違いすぎるだろ。どうやるんだ?」

「……ホントーに読んでないのね……今やっている抽選会で男子生徒の三分の一の数の

アタリが入ってるから、それを引いた生徒が女子役にまわるのよ」

「うげっ……ああ、で、さっきからグラウンドから奇声が聞こえてきてるのか」

「まあ、そういうこと」

 

三分の一の確立で女子役に当たる危険を冒しても、女子と……更には明日奈と踊れる

かもしれない確率にかける男子がほとんどなのだろう。

そうでなければ和人のようにボイコットする生徒がもう少しいてもいいばすだ。

これは当たっても、ハズレても、思わず雄叫んでしまう男子の気持ちはよくわかる……

と言うか女子役はアタリではなくハズレではないだろうか。

これではちゃんと内容を読んでも不参加だな、と和人が自分の選択を再確認した後、

未だ校庭から響く喜声と嘆声を聞きながら彼女に問いかけた。

 

「で、明日奈はこんな所にいていいのか?」

 

ウサギ耳を付けているということは、ちゃんと後夜祭に参加するつもりなのだろうと

推測できる。それでなくとも実行委員なのだから、和人のように時間を潰している

暇などないはずだ。

明日奈は再び耳を「ほふんっ」と揺らしながら俯いた。

 

「……私はね、もう後夜祭が始まるから……校内に残っている生徒がいないかどうか……

確認してて……」

「それで白ウサギさんは校舎内はおろか、屋上までやってきたというわけか」

 

穏やかな微笑みと共に発せられた和人の言葉を聞き終わらないうちに、明日奈は下を

向いたまま、目の前の和人の胸にそっと顔を押し当てる。その肩を静かに受け止めてから、

和人は眉をひそめた。午前中、一緒に『校内祭』を回った時と比べて明らかに様子が

おかしい。

 

「……明日奈?……何かあったのか?」

 

 

 

 

 

「……姫、何かあった?」

 

同じ『校内祭』の実行委員を務めている佐々井が明日奈に声をかけた。

これから後夜祭の準備に移るため、佐々井と明日奈は放送室から運び出す放送機材の

チェックを行っている。

 

「えっ?」

 

突然の佐々井の言葉に明日奈は振り返った。

と同時に明日奈の表情を見た佐々井が苦笑いを浮かべる。

 

「あ、いいや、気にしないで。オレにはどうしてあげる事もできなさそうだし……」

 

そう言うと佐々井は少し考え込んでから時計を見て時間を確認した。

 

「そろそろ抽選会が始まるからさ、姫は校舎内に残っているヤツに声かけてきてよ。

……まあ、そんなヤツは一人くらいだろうけど」

 

含み笑いをしてから、明日奈が手にしていたフォークダンスの音源の入ったチップを

素早く奪い取る。

 

「後はオレがやっとくから」

「……でも」

「こっちは応援呼ぶから大丈夫。オレはさ……姫とフォークダンス踊りたかったけどさ……

踊りたかったんだけどさ……オレってば『全部引き受けます』って茅野さんに言っちゃった

から……茅野さんに……『なら、生徒の誘導はもちろん、司会進行も音楽のスイッチングも

任せていいんだね』って笑顔で言われてるんだよぅー」

 

言葉を重ねていくごとにどんどん俯く角度は深くなり、最後にはもの凄い猫背で

しゃがみ込み、床に崩れ落ちそうな勢いである。

 

「だからオレはダンスの輪にすら入れないし。だったら他のヤロー達と姫を踊らせる

くらいなら……さ……だから、行ってきて、姫」

「う……ん、でも見回ってから、ちゃんと校庭に行くよ。私だって実行委員なんだし」

 

明日奈が佐々井の様子を心配そうにのぞき込む。

 

「まあ……そんな事を言うところが姫だよなぁ」

 

顔をあげた佐々井が一瞬まぶしそうな表情となるが、すっくと立ち上がると大げさに

両腕を広げ、首を横に振った。

 

「今、自分がどんな顔してるかわかってないんだ」

 

ふうっ、と困ったように笑う佐々井を見て、明日奈は益々眉を寄せる。

 

「姫はこれから校舎内、見回って……ああ、ちゃんと屋上もね。そしたら多分いつもの

笑顔に戻せるヤツと遭遇するだろうから、しっかり元に戻ってきてよ。折角頑張った

『校内祭』だから、最後まで良い思い出にしたいってゆー、まあ、オレの

わがままだと思って……」

「佐々井くん……ヤツって?」

 

明日奈が戸惑っている間に、佐々井は足下の段ボールに顔を突っ込んで中身をゴソゴソと

漁りながら答えた。

 

「ん−……姫が、今、一番会いたいと思っているアイツ」

 

その言葉だけで、明日奈の顔がボンッと一瞬で沸騰したように赤くなる。

佐々井は取り出した白い物体を「ハイッ」と有無を言わさぬ勢いで明日奈に差し出した。

 

「実行委員の仮装はウサギ耳で統一することになってたから。これ頭に付けてけば絶対

喜ぶぜ、アイツ」

 

最後にウインクを決めると「付けて、付けて」と催促してくる。

明日奈が放送室内の鏡を見ながらウサギ耳付きのカチューシャを装着すると、佐々井は

満足げに頷いた。

 

「うんうん、姫のウサ耳姿を見たのはアイツの他にオレだけって、超レア」

 

佐々井が自ら扉を開け、従者のように一礼を捧げ、明日奈を廊下へと促した。

その前を肩をすぼめながら恐縮したように俯き、まだ頬に朱が残る明日奈が横切る。

小さな声で「いってきます」と言い残し、廊下に出るやいなや小走りに駆けだした姿を

佐々井はやはり満足げに見送ったのだ。

 

 

 

 

 

「……今日の午後、校内を様子を巡回している時に……」

 

和人の胸に頭を寄せたまま、明日奈が話し始めた。その細い肩に手を添えている和人は

無言で耳をそばだてる。

 

「茅野くんの……奥さんに会ったの」

 

今回の『校内祭』実行委員長を務める「茅野聡」は既婚者であり、すでに一児の父である

ことは明日奈も和人も承知していた。

 

「その時にね……私に……」

 

なかなか次の言葉が出せずにいることを感じた和人が、やさしく促す。

 

「明日奈に?」

 

明日奈は和人に預けていた身体を起こすと、自らウサギ耳の着いたカチューシャをはずして

隣に置き、俯いたまま話を続けた。

 

「『茅野の妻です』って挨拶してくれて……」

 

再び言葉が途切れる。明日奈は下を向いたまま呼吸さえ止めているかのように動かない。

彼女の心意がわからず、和人は軽く眉を寄せ、頷きながら相づちを打った。

 

「うん」

「…………」

 

完全な沈黙だ。

不安になった和人が彼女の様子を探ろうと身をかがめたその時、意を決したように顔を

上げて明日奈が微笑む。

 

「私もっ……私も一回だけ『妻です』って、名乗ったことあったなーって……えへっ」

 

ニコニコと笑う明日奈を見た途端、和人の表情が歪んだ。

咄嗟に自分の両手を明日奈の背中に回し、彼女の全身を自分の胸元へと引き寄せる。

明日奈は一瞬の事で感情だけが抜け落ちた笑顔のまま、気づいた時には和人の腕の中に

すっぽりと身体を預けていた。意識が追いつき現状に目を見開いたが、すぐさま

せつない声が降りてくる。

 

「無理に……笑わなくていいよ、明日奈」

 

その言葉が心に届くと、両の瞳から一筋の涙が流れ始めた。

激しく声を上げて泣きたいほど悲しくも辛いわけでもないのに、その流れは止まらなかった。

今まで溜めていた何かが和人の言葉とぬくもりで封が破れたように静かにとめどなく

あふれてくる。終わらない涙に明日奈自身が驚いていた。

 

「な……んで?」

「ずっと……我慢してたんだろ……自分で気づかなかったのか?」

 

背中にあった手がそっと明日奈の頭に触れ、やさしく撫でる。

確かにあの言葉を聞いてから、無性に和人に会いたい気持ちは膨らんでいたが、会った

ところで何が言いたいわけでもなかった。

ただ佐々井に「行ってきて」と言われ、思わず走り出してしまった自分がいただけだ。

 

なんとなく会いたかっただけ……なのに、なんで涙が……

 

「何かあったのか?」って聞かれて、どうして私はこんな話をしているんだろう……

 

目から流れる涙も、口からでる言葉も、まるで自分の言う事をきかず勝手なことを

している。話す理由も泣く理由もないのに。

 

「明日奈」

 

呼ばれて少し見上げれば二人きりの時にしか見せない穏やかで優しい笑顔が明日奈を

見つめていた。

戸惑いの上をあふれ続ける涙は頬を伝いキラキラと輝きながらこぼれ落ちていく。

その様子を見ながら、和人が囁いた。

 

「不安になった?」

 

不安?……なにが??

 

自分の言葉や涙の理由もわからないのに、和人までもが意味のわからないことを言う。

どうすればいいのか、今度こそ気持ちも泣いてしまいたいと弱気になった時、再び和人が

微笑んだ。

 

「ニシダさんを連れて、あの家に戻った時、明日奈が……『キリトの妻です』って言って

くれて……嬉しかった。結婚の事秘密にしてたから、名乗る機会、なかったもんな」

 

今はもう戻れない22層の森の家。その暮らしの中で起きた出来事は今でもハッキリと

思い出すことができる。

 

「……そうだね。たった一回だったけど、それでも……私も嬉しかった」

 

身近な友人達とシステムだけが知っている「夫婦」だった。

今更友人達に自己紹介をする必要はないのだから、今思えばあの一回は奇跡のような偶然

だったのだろう。

そんな夢のような関係もたった二週間で終わりを迎え、今は恋人同士という暫定的とも

思える立場にお互いを置いている。

「夫婦」が永久的なものと言い切ることは出来ないが、少なくとも「恋人」よりは確かな

繋がりを感じるられる気がした。

 

そうか……「妻です」って名乗れる、茅野くんの奥さんが……羨ましかったんだ……

 

以前は自分もその立場にいたのだから。

この先、自分はまたそう名乗れるようになるのだろうか?

こればかりは自分の努力しだい、気持ちしだい、とはいかない気がした。

あの森の家で彼に聞かれたことがある。

「オレ達の関係って、このゲームの中だけのことかな?」と……。

あの時は、少し……ほんの少しだけど腹が立った。

「私はもう一度キミと会って、また好きになるよ」と、自信を持って答えることが出来たのは、

それは自分だけのことだから。

和人くんの気持ちが信じられないわけではないけど……

 

考え込んでいるうちに、いつの間にか涙は止まっていた。

それさえ気づかず、僅かに眉を寄せ、弱々しい顔で彼を見つめていると、今、考えていた想いが

口からこぼれる。

 

「不安……なのかな?」

 

結局、自分でもわからないのだ。

自分を疑っているのか、彼を疑っているのか……疑ったところで未来はどうしようも

ないのに……そもそも、疑いたくもないのだから。

その問いに答えるように、目を細めた和人の顔が近づき、やさしく唇を重ねてくる。

口の隙間からこぼれた不安そのものをぬぐい去るように、ゆっくりと塞いで、何度も重ねて、

舌で丁寧に明日奈の薄い桜色の唇をなぞった。

その感触に名前の付けられない感情がふんわりと包み込まれる。

 

「……んっ……あふっ……」

 

僅かな吐息が漏れたのを合図のように、明日奈の背中と頭にあった和人の腕に力がこもる。

 

「ぁっン」

 

抱きしめられた途端、思わず反応してこぼれた声と入れ替えに、強く押しつけられた唇から和人の

舌が侵入した。先刻、明日奈の頭を撫でたようにしっとりと、それでいて力強く彼女を味わう。

最後に彼女のそれを包むように何度も絡ませて、明日奈が感覚に全てを委ねているのを感じると

口づけを解いた。

顔全体を紅潮させ、息を荒げている明日奈を再び胸元に抱き寄せる。

明日奈の息づかいを聞きながら、和人の鼓動も同じように早鐘を打っていた。

 

「……明日奈……オレに……どうして欲しい?……」

 

そう問われて、明日奈もまた荒い呼吸の中、素直に想いを伝える。

 

「……もう少しだけ……このままで……」

 

言葉はいらなかった。仮に言葉を欲してしまったら、きっと哀れなほどそれにしがみついて

しまうだろう。そして今度はその言葉を疑ってしまうかもしれない。

そんな風にはなりたくなかった。

最初から何かを言いたかったわけでも、何かを言って欲しかったわけでもないのだ。

いつもより必死にしがみついてきた明日奈が何を求めているのか、和人にはわかって

いたのかもしれない。

校庭からフォークダンスの音楽が微かに屋上まで流れてきた。

和人の胸に顔を埋めながら、明日奈がか細い声を紡ぐ。

 

「……また……わからなくなったら……こうしてくれる?」

「ああ」

 

もちろん、と言うようにやさしい笑みを浮かべて答える。するとやおら明日奈が顔をあげ、

いまだ頬に朱を残しながら言いにくそうな表情を向けた。

 

「……和人くんは……その……考えたり……する時は……ない?」

 

暗に言葉を含ませ問うてくる。

それに応じて、いかにもな真面目ぶった顔をして和人が頷いた。

 

「うん、そりゃあオレだって考えるさ。今度はちゃんとアレをしなくちゃいけないん

だよな−、とか」

「アレ?」

「そう、彰三さんの前で『お嬢さんをオレにください』って強制イベント」

 

聞いた途端、はしばみ色が大きく見開かれた。目の前の和人は恥ずかしそうに視線を

宙に泳がせている。照れ隠しなのか、すぐさま「それにっ」と言葉を続けた。

 

「今度は明日奈のウェディングドレス姿、楽しみだな−、とか」

「プッ……なにそれ」

 

思わず噴き出した明日奈が和人の腕のなかでクックッと声を出して笑っている。

その笑顔を見た和人もフッと安心したように微笑み、ギュッと抱きしめてから、明日奈の

額に唇を落とした。

 

「……よかった。いつもの笑顔だ」

 

笑い声が止まり、瞳を閉じた明日奈が和人の胸に頬をすり寄せる。

 

「心配させて……ゴメンね」

 

首を横に振ってそれに答えると、和人は明日奈の栗色の髪をゆっくりと梳き始めた。

 

「明日奈が感じるものも、なんとなくわかるよ。オレだってあの森の家で暮らしてた時より

もどかしいな、って思う事があるから。でもオレは……何て言うか……例えば旅をするのに

電車に乗っていれば必ず次の駅には着くだろ。そんな感覚で、もう明日奈とは一緒の

電車に乗ってて、そうすればいつか森の家と同じ駅にはたどり着くって、当たり前に

思ってるというか……。その駅は、まだ少し遠いけど、それはそれであの時見れなかった

景色を今、明日奈と一緒に見れる事が嬉しいんだ」

 

明日奈が漠然と危惧していた不確かな未来は、和人にとっては当然たどり着くべき未来なのかも

しれない。そんな和人の想いを受けて明日奈はこれからも旅路を共にするパートナーの背中に

両手を回す。

校庭から聞こえてくるフォークダンスの音楽はいつの間にか三回目のリピートに入っていた。

 

それにしても……と、明日奈はふと我に返り思案顔となった。

さっきの和人の言葉通りなら、彼の考え事は親への結婚の許可や、更に先の結婚式事と

いうことになる。明日奈としてはもっと前に最大イベントがあると思うのだが……果たして

彼は気づいているのだろうか。それとも既に《かの世界》で言ったから、とスルーするつもり

なのか……いやいや、それだけはちゃんと……欲しい……と強く思った。

プロポーズの言葉だけは……。

 




お読みいただき、有り難うございました。
やはりおままごとのような生活だったにしろ、プロポーズの言葉を口にして、それを承諾した
関係の二人が簡単に気持ちをリセットできるとは思えず書き始めた本作でしたが、書き進めて
いくうちに、この話だけではしんどくなってしまい、対となるべく話を同時進行で仕上げ
ました。自分の中では表裏一体的な二編です。
では、続いてその片編をどうぞ。

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