ソードアート・オンライン《かさなる手、つながる想い》   作:ほしな まつり

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和人と明日奈が結婚して数年経った頃のお話です。


理想と現実

「あれ?……遼…太郎?……か??」

 

イチかバチか、の気をふんだんに含み過ぎて、成分の殆どが空気みたいな覚束ない声を斜め後ろから吹きかけられた壷井遼太郎は手にしていたグラスをカウンターに置いて、んあぁ?、と口を半開きにし、胡乱な者を見る目つきで振り返った。

こんな最高級ホテルの最上階のラウンジで俺の名前を口にする奴がいるはずねぇっ、と断言している顔がみるみるうちに驚愕に変わる。

 

「聡史?!、聡史じゃねーかっ」

「あーっ、やっぱり遼太郎だぁ。うわっ、久しぶりだなぁ」

「おうっ、いつぶりだ?」

「えー……と、数年前の同窓会は……あ、悪ぃ…………その前だから……成人式か?」

 

遼太郎に聡史と呼ばれた青年は過去にあった同窓会を口にした途端、気まずい顔をしてから更に記憶を遡らせたらしい。その表情から旧友の言った同窓会が、自分が頭にナーヴギアを装着して病院のベッドの上にいた間に行われたんだろうと察した遼太郎は自ら明るく笑いかけた。

 

「なんだなんだ。俺が寝てる間に同窓会なんてやってやがったのかよっ」

「あ、ああ」

「なんも気にする必要はねーだろっ」

「いや、その同窓会でお前が昏睡状態だって知ってさ。だから次の年にあのデスゲームから解放されたって聞いて連絡を取ろうと思ったんだけど……お前、番号…………」

「あ、そうかっ…………俺一人暮らしだからよ、端末の支払いとかそのまま未納扱いになって、《現実世界》に戻ってみたら勝手に契約解除されてたんだ。だから再契約で番号変わっちまったんだよなぁ……」

「あーっ、なんだぁ、そうだったのかぁ……」

 

安心したように息を吐き出した聡史は互いが制服を着ていた頃の面影を匂わす、くしゃり、とした笑顔で素直に喜びを表す。

 

「あの事件が解決した後さ、色んな報道があっただろ。《現実世界》に適応できない人がそのまま違う病院に移ったとか、さ……」

 

約二年間、何の準備もないまま《現実世界》から隔離されたプレイヤー達は悲願のゲーム世界からの脱出が叶っても、すんなりと元の生活に戻れる人間ばかりではなかった。身体的に思うようにリハビリが進まないケースも含め、二年間のギャップによる戸惑いから逆に現実を受け入れられないケースも少なくなく、特に自分の最も身近にいたはずの人間が離れていってしまったり、仕事を失っていたりと心理的に立ち直るまで時間を要する人達は成人男性が多いと分析が出ていた。

その点、日頃は文句ばかり言っている遼太郎だが、恵まれた職場への感謝を忘れたことはない。それに《現実世界》でも変わらぬ絆を示してくれるギルメンや御徒町に集まる連中の存在の有り難さを噛みしめ満面の笑みを浮かべた。

 

「俺は色々とラッキーだったからよ。こっちに戻って来ても元気にやってるぜ」

「そっかぁ。なら、よかった…………ま、お前に限ってあの二年の間に《仮想世界》でカノジョが出来るなんてありえないしな。加えて《現実世界》に戻って来てこっちのカノジョと修羅場になる、とか『遼太郎なら絶対ないっ』って同窓会の時も話してたんだっ」

 

屈託なく笑う聡史に悪意がないのは明らかで、確かにそっち方面でのトラブルも「SAO事件」解決後、ワイドショーを賑やかせていたのは遼太郎も知っている。大半の、良識在る、とされるコメンテーターはゲーム感覚の恋愛とリアルの恋愛を混同させるなど大人のする事ではない、と半ば呆れ声で正論と疑わない言葉を吐いていたが、《あの世界》を必至に生き抜いたクラインにとっては簡単に容認も反論もできるものではなく、とりあえず自分の周辺ではそういった問題が起こっていない事をよしとするだけだった。

 

「って、なんで俺がVRでもリアルでもモテねぇ事になってんだよっ」

「なら、あの二年でできたのか?、カノジョ」

 

全く期待していない、むしろからかいたくて仕方ない声音で問われて、遼太郎は「ああ、そうだった、こういう奴だったよなぁ」と出会って数分で昔の関係性を取り戻した口調の友人へ拗ねた顔を晒す。

 

「わかりきってる事、聞くんじゃねーよ」

「だろ?」

 

再び顔をくしゃくしゃにして笑う聡史に遼太郎も懐かしさで顔がほころんだ。あの閉鎖された異常な空間でパートナーを得る意味の重さは《あの世界》にいた者でなければ理解できないだろうし、聡史が分かった風な口をきくつもりがないのも最初から伝わっていて、ただ、自分達の空白の時間を埋める為に選んだ話題が恋愛話というだけだ。

 

「そーいやお前だってVRゲームは結構やりこんでたよな?」

「ああ、なんせ俺の理想はゲーム世界でカノジョをゲットしてそのまま現実世界でゴールインする事だからなっ」

「高校ン時から語ってる夢、まーだ持ってンのか、お前は……」

「おうよっ。『初志貫徹』っ、『岩の上にも三年』だっ」

「そこは『岩』じゃなくて『石』だろ」

 

こじらせてんなぁ、と馬鹿な掛け合いで完全にかつての感覚を取り戻した遼太郎は《仮想世界》を合コン会場か出会い系コンテンツ扱いしている友に「時間あるか?」と空いている自分の隣席の座面をポンポンと手で叩く。

聡史はちらり、と手首を見て時間を確認してから「いいのか?」と言いながら腰を降ろした。

 

「遼太郎がこんな敷居の高いラウンジにいるなんて、本命のカノジョと待ち合わかも、って、実はほんの少し思った」

「はっ、まさか。アイツはこんなトコよりもっと気楽で賑やかな飲み屋の方が喜ぶぜ」

「ってことはちゃんとカノジョいんのかー。くそっ、遼太郎に先超されたっ……なんだよー、《あの世界》でもモテなかったって言ってたくせに」

「いや、《あっち》じゃモテなかったけどよ……まぁ、《あの世界》きっかけ、ってやつ、だな」

 

安地で偶然出会った美少女には思わずリアルの年齢と独身である事を口走ってしまったが、彼女の隣にいた黒い剣士(ダチ)に瞬殺されたしなぁ、と、にが痛い思い出を振り返って、それでも懐かしさに顔が緩む。迷宮区内でも攻撃は無効の場所で、しかも痛みを感じないゲーム内、それなのに腹に食い込んだ衝撃を「痛み」だと脳が誤認するほど拳に込められたアイツの感情なんて一発貰えばすぐに気付いた。

まぁ、そっから数日で「結婚したんです」と聞かされるとは予想してなかったけどなぁ、とその時の彼女の笑顔とヤツの視線を合わせてこずともにじみ出ていた嬉しさのオーラを思い出す。

 

「うわっ、なんだよ、そのキモい思い出し笑顔はっ、ノロケかっ」

「ちげーよっ」

「で、どんな感じの子だよ。美人系?、可愛い系?、俺はさ、一見クールビューティーなんだけど、俺にだけは甘えてくれるような子がいいんだよなぁ」

「そうかよ」

「髪はストレートのロングだな。ゲームのアバターだと奇抜なカラー設定を選ぶ子も多いけど、そこは控えめに薄茶とか水色とかでさ、ピンクなんてもってのほかだ」

「お前、俺にケンカ売ってんのか?」

 

僅かにヒクついている遼太郎の口の端に構わず聡史は喋り続けた。

 

「まあアバターは誰でもそこそこ整った容姿になるから、そこはあまりこだわらないさ。ゲーム内で見極めるのはその子の気質だ」

「おいっ、それ、昔、放課後の教室で延々聞かされたのと同じじゃないだろうな」

「覚えていてくれたのか、遼太郎。俺は嬉しい」

「って事は同じなんだな……」

「『初志貫徹』だっ、『崖の上にも三年』っ」

 

コイツ、確か学校の成績は良かったよなぁ、と残念な目で隣を見つめながら遼太郎は話題の転換を試みる。

 

「で、なに飲む?」

 

カウンター席に落ち着いたものの何もオーダーせずに話し込んでしまっている事に気づいた聡史が慌ててバーテンダーに手で合図を送った。話が途切れるのを待っていたのだろう、急かすことなくイヤな顔も見せずに落ち着いた笑顔で居心地の良い空間を作り出してくれるプロの仕事にホテルの格が伺えるというものだ。しかし聡史が頼んだ飲み物の名前を聞いて遼太郎は「えっ?」と疑問の声を飛ばす。

 

「酒、ダメなのか?」

「強いってほどじゃないけど、普段なら飲むよ。けどまだ仕事中なんだ」

 

そう言って両手で自動車のハンドルを回す仕草をみせた聡史は続けて「今夜は運転手でさ」と肩をすくめた。

 

「大宴会場にいる親父が少し風邪気味だから適当なところでピックアップして家に連れて帰んないと」

「それって、もしかして若手の起業家と業界トップの交流会ってやつか?」

「よく知ってんな、遼太郎」

「俺も少し前に聞いただけだ。お前の親父さんって弁護士だったよな?」

「まぁ、そこそこ大手の取締役になってる。で、俺は今そこのペーペーの新人弁護士。ボスの命令には逆らえない身さ」

 

おどけた顔をしてみせてはいるが、本当は親思いのヤツだって事を遼太郎は知っている。それよりも今は聡史が告げた仰天の単語が耳にこびりついていた。

 

「はっ、お前っ、ちゃんと高校ン時の宣言通り、弁護士になったのかっ」

「俺のモットーは『初志貫徹』だからなっ」

 

そうは言っても遼太郎と聡史が通っていた高校は進学校でも何でもない。いくら学年で上位の成績を修めていたとしても、それが全国区に通用する学力でないのは目の前の友人もわかっていただろう。親が弁護士でも自分は関係ないと口にしていた聡史が突然何が原因なのか「弁護士になる」と言いだしたのは高校生活も半ばを過ぎた頃だったろうか……理由までは明かしてくれなかったが「皆にそう言っておけば恥ずかしくて簡単には諦められないからさ」と笑っていた聡史の周りで「そんな夢みたいな話、口にする方が恥ずかしくないのか?」とあざ笑っていた奴らに今のこいつを見せてやりたいっ、と遼太郎は嬉しさを溢れさせ聡史の背をばんっばんっ、と叩いた。

 

「痛いって、遼太郎。だから後、貫徹するのはカノジョなんだっ」

 

ギュッと握った拳の前にバーテンダーがグラスを静かに置く。それを掴んだ聡史はそのグラスを遼太郎に向けた。

 

「じゃ、とりあえず再会を祝して」

「おうっ」

 

カチンッ、と音を鳴らし、互いにグラスの中身を一口飲み込むと喉が潤った事で思い出したのか、逸れたと思っていた話題が再び舞い戻ってくる。

 

「やっぱり食事は大事だよなぁ。料理上手、とまではいかなくても一緒に食べるなら楽しい方がいいし……遼太郎のカノジョさんは?」

「あ?、あー……どっちかってーと作るよりは食べるのが得意な方だな。なんでも美味そうに食う」

「いいね。俺も多少は料理するし」

「お前がっ?」

「そりゃね。弁護士なる為にバイトする時間があまり取れなかったから。赤貧の一人暮らしじゃ必要に迫られるんだよ、自炊が」

 

どうやら実家を出て、自活して司法試験の勉強していたらしい聡史は十代の頃の「親は関係ない」発言を貫いていたのだろう、変わらぬ部分を思わせる反面、料理をすると聞いてその変化もまた嬉しく感じた遼太郎だったがこれまでの友の理想像をつなぎ合わせると、ぬぬっ、と表情を一転させ、うーん、と唸り声を漏らした。

清楚なアバターで《仮想世界》で出会い、《現実世界》でも恋人となってそのままゴールインする。しかもカノジョが料理好きとくれば思い浮かぶ夫婦は一組しかいない。

 

「でもな、理想は理想のままにしといた方がいいと思うぞ、聡史。実際、そんな嫁さんがいたら色々面倒だからよぅ」

「なんでお前がそんな実感こもったアドバイスをするんだ?」

「いるんだよ、俺のダチに。しかもそいつ、ついさっきまでそこにいたんだ」

 

遼太郎はげんなりした様子で、ぴっ、ぴっ、と人差し指を使い聡史が座っているカウンタースツールを示した。

 

 

 

 

 

聡史が現れる一時間程前、最上階ラウンジの見事な夜景に一瞥もくれず、桐ヶ谷和人は「奢ってやるから」と呼び出した遼太郎を隣に座らせてバーカウンターの上で組み合わせた両手に視線を落としたまま重々しい口調で話を切り出した。

 

「アスナが……口をきいてくれないんだ」

「はぁっ?、ケンカか?、お前らが?……珍しいな、って言うかお前らでも険悪な感じになるんだな……」

 

ボス部屋攻略会議以外でよ、と和人が纏う重い空気を混ぜっ返そうとした言葉はその表情を見れば引っ込めざるをえない。そんな遼太郎の気遣いもお構いなしで、和人はひたすら自分の手を見つめていた。

 

「まあ、ちょっとした言い合いはあるけど、お互い譲る部分はわきまえてるし。意見が食い違う時はとことん話し合うからケンカらしいケンカはしない、な……」

 

こちらに顔を向けず思い詰めた様子の和人を見て、こりゃぁ本格的にマズい感じか?、と遼太郎もゴクリ、と唾を飲み込む。

 

「で?、原因は何なんだよ」

「実は……今、下の大宴会場で行われている交流会にアスナが事務所の所長と出席してるんだけど……」

「交流会?」

「若手の起業家と様々な業界トップとの交流会だよ」

 

若手の方は資金目当てだったり、ノウハウ目当てだったり、大企業の方は新しく柔軟なアイディアだったり、投資目的だったりと、総じてこれまでは触れ合う機会のなかった者同士が互いに刺激し合い人脈を広げようというのが目的らしい。とは言えここまでの会場を使っての交流会だ、既に会が発足して数年が経っており発起人達が最初にセッティングしたメンバーからの繋がりで広がっている交流会参加希望者は年々増えていて今ではその招待状にかなりのプレミアが付いている。

 

「そこにアスナが出席してんのか?……って言うかアスナは起業家でもねえし、業界のトップでもねえだろ」

 

遼太郎が知っている限り、彼女が所属している事務所も手広く仕事をすると言うよりは所長が自らスカウトした有能な人材のみの少数精鋭で丁寧かつ堅実な仕事方針のはずだ。今更方針転換で事業拡大をするとは考えにくいし、若手起業家へのアドバイスというのも職種柄違う気がする。アスナの場合なら実家がらみで出席してる方がしっくりくるけどな、と遼太郎が首を捻っていると、隣で、ふぅっ、と和人が一息吐いた。

 

「どっちでもないさ。アスナ達はノウハウの立場なんだ」

 

そう聞かされて、なるほど、と納得する。

悩みがあったり、問題が起きたりした時、自然と助言を請いたいと思わせる……単なるネットの検索結果のような知識だけではない、多角的にその人間に必要な情報を伝授してくれる存在という意味で明日奈は既に十代の頃からその片鱗を窺わせていた。

 

「事業主達にとっては見えていなかった弱点の指摘、今後起こりうるトラブルの回避、発想の転換……とにかくアスナからのアドバイスは仕事を成功へと導く女神の声、みたいなもんか。けど基本、単発の仕事はしないだろ?」

 

紹介制でのみ仕事を受ける明日奈だったが、それでも殆ど途切れる事なく依頼が詰まっているらしいのだから、相変わらずの有能ぶりである。

 

「ああ、最初はアスナが子供の頃から面識のあった大手グループの社長がアスナの事務所の所長とも知り合いで、だったら久しぶりに顔が見たいって誘われたらしいんだけど、交流会では仕事は受けない、って言っていたにもかかわらず……」

 

苦々しく唇を歪めた和人を見て遼太郎は察した。

 

「老若男女、群がったってわけか……」

 

それはもう鳥や虫に花に近寄るな、って言っているようなもんだろ、と遼太郎も苦笑いをするしかない。見た目だけでも一級品の貴重花だ、新たな人脈を築こうと集まっている者達が目に留めないわけがなく、吸い寄せられるように人だかりとなっただろう事は容易に想像がつく。

 

「去年の交流会の後、仕事上の付き合いとしてって結構しつこくしてきたヤツもいたらしいんだ」

「まぁ、アスナの性格上、仕事だからって言われると無視も出来ねえか」

「事務所の所長と一緒になんとか穏便に処理したらしいんだけど、何より精神的に結構しんどかったって後で聞かされて……」

「ならなんで今年も参加してんだよ」

「主催者側からどうしても、って頼まれたそうだ」

「なんだかんだ言ってアスナは甘いからなぁ。ならお前がアスナに付いててやりゃあいいんじゃ……」

 

この男の職場も業界内では最先端の研究所だ、招待状を手に入れるのは難しいことではないだろう、と遼太郎が今更に「何でこんなトコにいんだよ?」と問えば、やるせなさと哀れみのまじった息を大げさに吐かれた。

 

「オレの職場の母体は民間企業じゃない」

 

研究所だけなら民間からの研修者も一定数受け入れているし、一般企業の協賛も得ているが、大手を振って交流会の会場に足を踏み入れるのはさすがに問題になると言いたい和人は呆れた視線を遼太郎に送ってから、カウンターの上に置いてある携帯端末の画面をチラリと見る。そうは言ってもその交流会会場のホテルのラウンジまで来て、アルコールも飲まずにいるのだから何かあれば駆けつける気満々なのは丸わかりで、コイツは相変わらずアスナの事となるとまっしぐらだな、と遼太郎は薄く微笑んだ。

 

「で?、その交流会とお前らのケンカと、何の関係があんだよ」

 

そして、なんで俺は突然呼び出されたんだっ、とそこまで問い詰めたい気持ちを上等なウヰスキーを一口含んで一緒に飲み込む。せっかくのおごりだ、いい酒はゆっくりじっくり味わいたい。

しかし、問題の核心を聞かれると、いきなり和人は口ごもった。

 

「あー、だから……アスナと一緒に会場に入れないから……代わりに、だな……」

「代わりに?」

 

コイツの代役なんて……といくら考えても誰も浮かんでこない遼太郎の隣で「ごほっ」とわざとらしい咳払いをした和人は明後日の方向を向いたままポソリ、と呟く。

 

「わざとじゃないんだ……いつも気をつけてるし……アスナからも散々言われてるし」

「なんの話だ?」

「けど、オレの居ない場所で知らない連中がアスナに群がるのを想像したら……」

「だから、なんの話だよ」

「今思えば、オレの存在を主張できれば少しは牽制になる、って考えたのかもしれないけど、気付いたらアスナの首筋に……」

 

アルコールを飲んでいない和人の目元が如実に赤みが差している事に気づいた遼太郎は同時に和人の言葉の意味にも気付いて、お返しとばかりに大きく、大きく、溜め息をついた。

 

「相変わらず独占欲のつえぇヤツだなぁ」

 

要するに、どうやっても服装で隠せない場所に赤い所有印を付けたってことか…………と、正解に辿り着いた遼太郎は更にもう一口、美味いタダ酒を喉に流し込んだ。

 

「そりゃあアスナだって怒るだろ。キリト、お前が悪い」

「いや、普段ならそこまで怒らないんだ」

「はぁ?」

「もちろん、小言は言われる。少し涙目で、頬を染めて、唇を尖らせて……そりぁ、もう…………」

 

壮絶に可愛い顔なんだな……と、これまた正解に行き着いてしまった遼太郎は、俺が攻略会議でおちゃらけた時はアイスピックみたいな視線を突き刺さされたけどな、と懐かしくも痛々しい記憶を蘇らせる。

 

「じゃあ、何だって今回に限って口もきかない程怒ってんだよ」

「それが分からなくて、だからオレもなんだか意地になって今朝から顔も合わせずにいたんだ」

「お前らの場合、かなりの大事だな」

 

悩みなのかノロケなのかよく分からない相談事だったが、ここにきてようやく和人の深刻な表情に納得した遼太郎が、むむむっ、と考え込んだ。多分、和人としては、そこまで怒らなくても、という甘えと、自分の気持ちも理解してもらいたい欲求と、何も言ってくれない不満から明日奈と同じ無言の対抗策に出てしまったのだろうが元凶は和人である、ここはもうひたすら謝り倒す以外の道はないだろう、と諭そうとした時だ、和人が「けど……」と言って愛おしそうに、そっと端末の表面を撫でる。

 

「アスナが出掛けてからユイがこっそり教えてくれて。今夜の装いにはオレが贈ったアクセサリーを揃いで付けていくつもりだったって」

 

和人の言うアクセサリーとは毎年、明日奈の誕生日にひとつずつ買い足しているシリーズものだった。いつも誕生日のプレゼントに頭を悩ませていた和人に、明日奈の方からリクエストがあったとかで、一年目はペンダント、二年目はイヤリング、三年目はブレスレット、というふうに増えていくのを二人で楽しんでいたのだという。

遼太郎に言わせれば「お前の給金なら一回で全部買いそろえられるだろ」だったが、そこは「アスナがさ、ひとつずつがいい、って言うんだ」と和人の応えを聞いて、そういう慎ましい所もあっちこっちから好かれる要素だよなぁ、と微妙に腐った目になる。和人が言うには「それもあるけど、どのアクセサリーにするかはオレが選ぶから、毎年それを楽しみにするって」と追い打ちをかけられるような言葉をもらい、更に遼太郎のどんよりとした瞼が目の半分を覆っていった。

 

『ママ、言ってました。「ちょっと気が重いけど、頑張るっ、お仕事だもんね」って。それからジュエリーボックスを取り出して「それに、私にはキリトくんからもらったコレがあるし」って嬉しそうにペンダントやイヤリングを見てましたっ』

 

ユイが和人に話した明日奈の言葉を知れば、交流会に付けていくアクセサリーで気分を奮い立たせていたのは間違いなく、それを邪魔された明日奈が口もききたくないほど機嫌を損ねていたのは当然だろうと、カウンターに横並びで座っている男二人は揃って、はぁぁっ、と重い溜息をゆっくりと落とす。

 

「結局、全部お前が悪いンじゃねーか」

 

今、下の階で強張りそうな笑顔を浮かべながら相手の気分を害さないよう必死に対応している明日奈は柔らかなラインのデザイナーズスーツに身を包み、結婚指輪、それに和人から贈られたイヤリングとブレスレットを装着して首には何でもない淡色のスカーフを巻いている……あとひとつ、装備が整っていないせいか精彩を欠いている受け答えにつけ込んでくる輩が彼女を二重三重に取り囲み始めていた。

遼太郎からは見えない、反対側の和人の耳に『パパっ』と宴会場の防犯カメラ映像をハッキングしていたユイの緊迫した声がコードレスイヤフォン越しに飛び込んでくる。

 

『限界ですっ、もう捌ききれなくなりましたっ』

「すぐ行く」

 

触れていた画面をトンっ、とひと弾きして表示を落とした和人はカタンッ、とスツールから立ち上がりながら隣の遼太郎に「あと一杯、好きなの飲んでくれ」とだけ告げて素早く会計を済ませると、「遠慮しねーぞ」と送り出してくれる声に振り返りもせず片手を上げて応じ、足早にラウンジを出て行った。

 

「ったく、なんだよ。俺はアイツがスタンバってる間の暇つぶしに呼ばれたのかよ」

 

こうなれば自分の懐事情では絶対に手が出せない上等な美酒を飲んでやろう、と、どこぞの厳つい顔をしたバリトンボイスの禿頭ではなく、人好きのする静かな笑みを絶やさないバーテンダーを呼び寄せ、あれやこれやと酒の相談を始めたのだった。

 

 

 

 

 

「だからな、聡史、悪い事は言わねぇ。顔よし、スタイルよしで気立ても良くて機転も利くような、おつむの出来も超一流なんて女を嫁さんにしてみろ、面倒事がしょっちゅう起こるんだぞ」

 

隣の旧友を説得しようと、ズイッ、と真面目な顔を近づければ聡史は一瞬、ぽかん、と口を開けた後、破顔して、ぷっ、と盛大に噴き出した。

 

「りょ、遼太郎っ、なに言ってんだよ。そんな子、現実にいるわけないだろっ」

 

ケラケラと笑いが収まらない聡史の言葉を聞いて、今度は遼太郎の顔が時間を止める。

 

「俺の理想はそこまで非現実的じゃないさ。一緒に食事をするのが楽しくて、休みの日には同じVRゲームを楽しめるような気の合う子がいいって話だよ。なんだよさっきの…えっと、美人でスタイルも良くて性格も良くて……あとなんだっけ?、頭脳明晰な子だっけ?……すごいな、お前。聞いてるこっちが恥ずかしくなるぞ。そんな完璧な子、どこ探したらいるんだよ」

 

すぐ下の階にいるんだよ、と言いたいのを苦笑いで誤魔化した遼太郎は「だよなぁ」と渇いた声で流した。そんな理想の嫁さんなんてそうゴロゴロいるわけねぇもんなぁ、と行き過ぎた心配に自嘲が濃くなる。

そして現実は、もともとそんな理想すら抱いていなかったヤツがうっかり手にしてしまうものなのだ。それは偶然だったのか、必然だったのか、けれど一向に色あせる気配すらない美貌と聡明さを持つ女性と夫婦になったお陰で、いつまで経っても「自分のだっ」としがみつき、周りを威嚇し続けるのもご苦労様なことで……遼太郎はある意味「理想の夫婦」ともとれる二人が結婚してもう何年になるんだったかなぁ、と指を折り、今でも交際を申し込んでくる男がいるらしいからなぁ、と、こちらはこの前の居酒屋デートで又聞きした話を頭の中で反芻する。

しかし、そんな二人の惚気ともとれる行き違いが原因で遼太郎はこうして優雅な空間で高価な酒にありつけ、旧交を温める事まで出来たのだから「結果オーライだな」とひとり納得して聡史と新しい連絡先を交換しようと携帯端末を取り出したのであった。




お読みいただき、有り難うございました。
「崖の上にも三年」……自分で書いておいて「ポ○ョかっ」と
思いました(苦笑)
聡史のお父様は明日奈さん目当ての参加ではないと思います(笑)
息子にもあんなお嫁さんが見つかるといいなぁ、と眺めてるくらいで。

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