ソードアート・オンライン《かさなる手、つながる想い》   作:ほしな まつり

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続きまして、シノン視点です。


短編集・シノン編

ポーンポーン、とボールがバウンドするようなドアチャイムの音に私は素早く立ち上がった。

少し前までならこの安アパートを訪れる人なんているはずもなく、自分の部屋だというのに「こんな音だったんだ」と最近改めて気付いたくらいで、でも今日に限ってはこの音を聞くのは二回目になる。

一回目は今から三時間ほど前…………

 

 

 

 

 

『施錠はちゃんとしろよ』

『そうだよ、シノノン。女の子の一人暮らしなんだから、鍵は最低でもあと二つは必要じゃない?』

 

自宅の敷地内には剣道の道場まであるというキリトと都内の高級住宅街に住んでいる社長令嬢のアスナは私の小さな部屋にも躊躇わず届け物をしにやって来たけど、『お茶でも飲んでいけば?』という誘いには二人揃って玄関で首を横に振った。

 

『有り難う、シノノン。でも今日はそれを届けに来ただけだから』

『陽が落ちるのが早くなったしな、暗くなる前に戻るよ』

 

戻る……要するにキリトはこのままバイクでアスナを世田谷の自宅に送り届けるのではなく、もう一度川越の自分の家まで連れ帰るらしい。

 

『わざわざ来て貰って悪かったわ』

『そんな事ないよ。ちょうど困ってたの。シノノンが引き受けてくれて助かったんだから』

 

本当に花が綻ぶように笑う人っているのね、と初めて見た時から変わらないアスナの笑顔が真っ直ぐ私に向けられて、その威力は絶大で、この部屋のチャイム音よりももっと長く忘れていた私の笑顔をほんの少し引き出してくれる。

元より一人暮らし用の安くて狭いアパートだから玄関口には人一人しか立てるスペースがない。そこにアスナがいて、キリトは完全に閉まりきっていないドアから身体半分を覗かせて、早くアスナを連れ帰りたくてムズムズしているの、わかってるわよ。

わかっていないのはアスナくらいでしょ。

意外とそういう所はお嬢様育ちのせいなのか、元来の気質なのか、逆にそこに翻弄されているキリトをこっそり見るのは悪くないわね、なんて思ってしまうあたり、私も結構意地が悪いかも。

とにかくこれ以上引き留めると本当にキリトがヘソを曲げかねないし、そうなると以前頼んだBoBの助っ人もあやしくなってしまうから、私はもらった荷物を少し持ち上げて『これ、ほんとにご馳走様』とサヨナラの代わりにもう一回お礼を言った。

それなのにアスナは内緒話をするみたいにこちらに身を寄せてきて『今度はシノノンのお部屋に泊まりにきてもいい?』なんて聞いてくる。

すぐに浮かんだ言葉は「アスナ……あなた、普段、あんな家で暮らしてて私のこのボロアパートで寝られるの?」だったが、前にアスナとリズが遊びに来てくれた時の第一声も『うわぁ、きちんとしてるね、シノノン』で、単に物が少ない部屋なのよ、と思ってみても私はいつもの否定の言葉じゃなくて、消え入りそうな声で『あ、ありがとう』と返してしまって、やっぱり今回も『いいけど』と頭にあったのとは違う言葉が勝手に零れてしまった。

そこでさすがに痺れを切らしたキリトが『絶対ねっ』と嬉しそうに言っているアスナの手を引っ張ってようやく二人は帰っていったわけだが……今日、二回目のチャイムボタンを押したのはリズだ。

 

「いらっしゃい」

「おっじゃまっしまーす」

「道、大丈夫だった?」

 

以前、アスナとリズが来た時は昼間だったが、この辺は夜になると結構暗くて細い道も多いし慣れないと迷ったりする可能性も高い。

 

「うん、前にも来てるし…………わっ、いい匂いっ。っと、その前に、はい、これ」

 

鞄から取り出したのは私が《ダイシー・カフェ》に忘れていったメガネだ。

 

「助かったわ。取りに行ける時間なくて」

「ここの最寄り駅から私の家までは乗り換え一回だし、たまたま今日、エギルに用があったから。それよりシノンの方こそ、このメガネなくて大丈夫だったの?」

 

視力という点では伊達眼鏡だから問題はないけど、私がメガネをかけている理由を知っているリズは不安げにこっちを見つめてくる。

 

「ええ。これは休日用なの。学校にはまだいつものメガネじゃないとダメだけど、休みの日に《ダイシー・カフェ》を往復するくらいなら、特注品じゃなくても平気になってきたから」

「そっか、ならよかった」

 

その安心はこれが予備のメガネだったからか、それとも私の「防具」の必要性が少しだけ薄らいできたと知ったからなのか、きっと両方ね、と確信させるリズの笑顔はアスナとはまた違う威力があって、私が不安定になりかけると「慌てなくていいからね」と、ゆっくりのんびり落ち着かせてくれる。

休日用とはいえ在るはずの物がない落ち着かなさを解消できた私は受け取ったメガネをケースにしまってからリズを食卓に招いた。

 

「どうぞ座って。すぐに食べる?」

「もちろんっ。こんな匂い嗅いで我慢できるわけないでしょっ」

「たくさんあるから、って言っても私が作ったわけじゃないけど」

「ほーんと、アスナったら、これまた随分頑張ったわねぇ」

 

テーブルに並べてある料理はどれもさっきアスナとキリトが持って来てくれた物だ。

今日はアスナがキリトの家へいつものように料理を作りに行ったらしいのだけど、途中、買い物をした先で随分と食材をオマケしてもらったとかで、それが偶然にもキリトの母親が用意しておいてくれた食材と重なって、結果、どこかの運動部の合宿か学校給食か?、という量が出来上がってしまったらしい。

冷凍保存にもしたそうだが、それでも桐ヶ谷家の冷凍庫には入りきらず『迷惑じゃなかったら』とアスナから連絡がきたのである。

一人暮らしの身には助かるばかりで、それがアスナの手料理となれば逆に無料(タダ)で貰っていいの?、と気後れしてしまうくらいだったから、ちょうど忘れ物を届けに来てくれるというリズが一緒に食べてくれるなら私としてはとても有り難い。

鍋で温め直していたブラウンシチューを二人分お皿によそってテーブルに並べれば、いつもはスカスカの食卓が今晩は料理の豊富さと食べる人数が増えたせいで隙間もないくらいに賑わっている。

 

「アスナったら、食後用にフルーツタルトまで持って来たのよ」

「あの子……キリトの胃袋だけじゃなくて桐ヶ谷家全員の胃袋を掴んでいそうね……」

 

二人で向かい合わせになって座り、手を合わせて「いただきます」と言ってからお互い申し合わせたようにシチューを口に運ぶ。

 

「お肉、ほろほろでやわらかーい」

 

リズがまるで落ちるのを防ぐかのようにほっぺたに手を当てた。アスナが今晩は私が何も用意しなくていいようにと、さすがにこれは買ってきた物だと言っていたが、しっかりパンまで荷物の中に入れてきてくれたので、それをちぎって少しシチューに浸し味を染み込ませる。

パンの香ばしさとシチューの深い味を口の中で同時に感じているとリズが料理を見渡して「それにしても」と息を吐いた。

 

「なに、このメニュー。キリトの好物ばっかりじゃない」

 

多分、今頃、桐ヶ谷家でもキリトが舌鼓を打っているだろう。

だが、ここまでのレベルになるとアスナがキリトの好物を作っているのか、アスナの作った料理がキリトの好物になっているのか、判別は難しい。だいたい二人の食べ物に関しての唯一の相違はキリトがVRでゲテモノ食材をゲットしても絶対アスナは調理をしないという点くらいで、それだって冷静に考えれば、どうしても食べたいのなら多少の出費はかかるがプレイヤーレストランに食材を持ち込んで調理をしてもらえばいいだけの話だ。

結局、キリトはアスナが作った料理を食べたいのだと結論づけた私は次回のBoBで黒の剣士の手綱を握る人物に援護要請のOKをもらえた事に心強さを感じ、うんうん、と胸の内でほくそ笑む。けれど、そんな私の心中を察したようにリズが「あ、そうだ」と話しかけてきた。

 

「シノン、あんた、アスナの事、キリトの暴走制御役に、って次のBoBに誘ったでしょ」

「よく知ってるわね」

 

とは言ってみたが、アスナとリズは親友同士だし学校も同じなんだから、話が伝わっていても不思議じゃない。

 

「それ、諸刃の剣だから気をつけなさいよ」

「……どういう意味?」

「確かにキリトの暴走を食い止めるにはアスナが一番だけどね。逆にアスナに銃弾の一発でもかすってごらんなさい……アイツ、マジギレするから」

「…………」

 

ついさっきまでの心強さが一瞬にして灰になった気がした。




お読みいただき、有り難うございました。
キリトが暴走する制御装置でもあり、起動装置でもあるアスナさん……。

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