ソードアート・オンライン《かさなる手、つながる想い》   作:ほしな まつり

84 / 150
珍しく季節ネタでALOでのハロウィン・イベントですっ。


黒猫争奪戦

『それでは、今年の黒猫化種族の抽選を行いたいと思います』

 

ハロウィン・黒猫イベントの参加者達が熱い視線を送るモニター画面の向こうで、涼しげな表情のまま淡々と進行役を務めているのNPCの青年が巨大なジャック・オー・ランタンに真っ白な手袋をはめた手を優雅に突っ込んだ。

 

「キリトくんっ、抽選、始まったよ」

 

アスナの囁き声を受けたキリトのとんがり耳がもぞり、と反応を見せる。

 

「くぅぁっ……アレ、使い方、間違ってるだろ」

 

欠伸をしつつ呟いたキリトの寝ぼけ声を合図にその場にいた全員が苦い笑みを浮かべた。

今の時期はALO内も《現実世界》に倣ってハロウィン一色になっていて、今日は時間限定で開催される黒猫イベントの日だ。この一ヶ月はアバターのコスチュームや小物もハロウィン仕様にチェンジできたり、ショップで購入できたりと様々な方法で楽しめる。現にここ、キリトとアスナのホームとなっている《イグドラシル・シティ》の最上階の部屋もインテリア雑貨に留まらず、今日のために用意されたアスナ特製のパンプキンパイが盛り付けられている皿やカップの色形まですっかりハロウィンの装いだった。

それに今回のイベント開催を待ちわびていたのはアスナ達だけではない。今日ばかりはこのALOに集いし妖精達はこれから始まる抽選会の結果次第ですぐに行動を起こさねばならず、結果、立地的に最も時間的ロスが少ない中央都市に集まっている者が大半だが、中には自分の種族の領地でこの抽選会中継を見守っている者も少なくないらしい。

ともかく、抽選の公正を期する為にとGMが用意したホストの青年はドラムロールが鳴り響く中、思わせぶりにジャック・オー・ランタンの中をかき混ぜるように片手を動かしている。

それを見たキリトがまたもや冷やかしのような一言を零した。

 

「だから、アレ、本当ならローソクとか入ってるはずだよなぁ……」

 

確かに……本来、ハロウィンのジャック・オー・ランタンとは、中身をくりぬいて提灯になったカボチャのはずだが、そこはもう「ハロウィンだから」で押し切った感がヒシヒシとあって、執事然とした格好のNPCの青年は当然、何の疑問も抱いていない無表情で抽選のタイミングを図っている。

そして数秒後、ドラムロールが鳴り終わった後の空白に誰かがの喉がゴクリ、となった。

その為の無音時間さえも計算したように彼の腕がゆっくりとジャック・オー・ランタンの中から引き抜かれる。

その手につままれている一枚の紙は意思のない彼が選んだというのに、その紙を開いた瞬間、それまで完全なる無表情だった彼の口元が僅かばかり楽しげな曲線を描いた。しかしそれもすぐにかき消え、感情のない声がひとつの種族の名を告げる。

 

『今回の黒猫化は…水妖精族、ウンディーネです』

 

「ぇっ!」

 

隣に座っていたアスナの小さな驚きの声を聞くと同時に顔を向けたキリトだったが、そこに居たはずの可憐なウンディーネの姿は既に輪郭のみが朧気な光の粒子構成で残っていて、それすらもすぐに霧散した。

一拍遅れてリビングで一緒に抽選会の中継を観ていたリズ、クライン、リーファが立ち上がる。

 

「んーじゃ、私達はとりあえず〈三日月湾〉を目指しますか」

「だな。っにしても今年はウンディーネかぁ。競争率高ぇんじゃねーのか?」

「そーですよねぇ。ただでさえ支援系の魔法に強い種族なんですから」

「と言う事は、俺が黒猫ちゃんを捕まえて刀を振れば向かうところ敵なしになるわけだな」

「アンタにつかまるようなドジな黒猫がいれば、の話よね」

「そもそもハロウィンの仮装に刀って……クラインさんらしいというか……あっ、お兄、キリトくんっ、待ってよっ」

 

リーファの焦り声を受けたキリトはいつの間にかリビングを移動して外へと通じるドアを開き、その背中には既に羽根が出現していて、お喋りに興じている三人に無言の催促を告げていた。

 

「はいはい、そんなに急かさないでよ」

「今日ばかりは気流も穏やかで飛行移動にはハンデがない設定になってるって、レコンが言ってました」

「アイツは今日のイベント、参加してないの?」

「ははっ、猫アレルギーらしくて……」

「んぁ?、それって《リアル》でだろ?」

「なんか、《こっち》でも気分の問題で反応しちゃうらしいです」

 

それを聞いたリズとクラインが繊細そうなレコンがクシャミを連発する様を想像して納得する。

思わず和んでしまった三人に向け、キリトが高速で羽根を「ブァンッ」と音を立てて震わせた。

 

「あーっ、ごめんっ、て」

「キリトよう、マジで睨むなよ」

「じゃ、全速力で急ぎましょうっ」

「それってついて行けるのキリトくらいなんだから、ちょっとだけ手加減して、リーファ」

 

外に出てみれば数多の妖精達が次々に《イグドラシル・シティ》を飛び出し、一路、東のウンディーネ領を目指して降下を始めている。

その光景を見た四人はすぐさまキリトを先頭にその流れに乗るべく羽根を広げて飛び立った。

 

 

 

 

 

GMが用意したNPCが取り仕切る抽選会で選ばれた一種族が黒猫化をし、それを多種族の妖精達がパートナーとして同伴する事が参加条件になっている限定イベントや限定クエストといった大規模ハロウィン・イベントが行われるようになったのは、世界樹の頂上よりも高くに位置する空中都市イグドラシルシティが実装されてからだ。

猫化と言えば既に猫妖精族のケットシーが存在するが、このイベント中での黒猫とは魔法使いの傍らが相応しいまさに正真正銘全身を黒い毛並みでおおわれた四つ足獣の姿である。妖精アバターの外見の特徴は一切反映されず、誰も彼もが《現実世界》の仔猫サイズとなり、その意識もまた猫化にふさわしく本能での行動が強く表れる。

抽選の結果、猫化種族が発表されると、すぐに対象の妖精達は領地へと転送され猫となり自分達を求めてやって来る妖精達を迎えるのだが、そこは気ままな性質そのままに積極的にパートナー要請を受け入れようとする猫は皆無に近い。だから猫化に当たらなかった種の妖精達は必死になって猫の機嫌を取るのである。

そうやって何の気まぐれか、なにをもって判断するのか、黒猫がハロウィン・イベント限定パートナーとなる契約をすれば、その妖精は一時的ではあるがスキルの熟練度が一気に跳ね上がり、今まで味わったことのない無双感でイベントやクエストを楽しむ事が出来るのだ。

一方、イベント中、猫化したプレイヤーは終始夢を見ているような感覚で、その記憶は朧気にしか残らないらしい。だからこそ、他種族の同じパーティーメンバーと出会ってもすんなりパートナーと認めるとは限らないし、逆に見知らぬ者とペアを組んで限定クエストに挑む場合もある。予想外だったのはずっと領地内で自由奔放なネコライフを満喫してイベントを終える者も少なくなく、それはそれで満足だったというのだから、もはやハロウィン感はどこにもない。

 

「ねぇ、リーファ…こんなに急いで行っても猫化したアスナを探し出すのは不可能に近いわけでしょ?」

「…そうですねぇ…」

 

先頭を飛んでいるキリトに気を遣ってか、小声でぼやくリズに対してリーファもまた声を小さくして同意すると、リズは片手で口元を隠して内緒話をするようにリーファとの距離を少しだけ詰めた。

 

「だいたいキリトってば、さっき、抽選会が始まるまでは隣にいたアスナの肩にもたれて寝てたじゃないのっ」

「はい、だから私も、キリトくん、黒猫イベントには興味ないのかな、って思ってたんですけど……」

 

ハロウィン・イベント開催中は黒猫を伴っていなくても楽しめる催しが幾つも用意されている。低確率の黒猫獲得に無駄な時間を費やすより最初から黒猫を必要としない方向で楽しむ妖精達もいて、特に顕著なのはケットシーだ。自分達の容姿が猫化に似ているという理由もあるが、殆どがモンスターをテイムしている為、数時間限定でも違う動物をパートナーとする事に抵抗があるのだろう。

そもそも黒猫化をする妖精は九種族いる中の一種なので圧倒的に猫側の数が少ないわけで、更に契約の成立は準レアアイテム獲得のような確率だから、今、ウンディーネ領を目指している妖精達は最初からかなり強い意志を持っているはずだ。

そんな熱意を露ほども感じさせていなかったキリトが最高速度と言っていいスピードで飛行をしている理由と言えば……

 

「やっぱ、他のヤツがアスナとペアを組むのが面白くねーんだろーよ」

 

二人の会話をしっかり聞き取っていたらしいクラインが、やれやれ、と言った風に肩をすくめながらも「俺はもとからこのイベントに参加するつもりだったから構わねーけどな」と飛行速度を保ちながらウィンドウを開き、ハロウィングッズのショップから猫用の何かを購入したらしく、ユルドが引き落とされたSEが鳴っている。

 

「だーかーらー、見た目だけじゃどれがアスナかなんてわからないでしょっ」

 

今、ウンディーネ領にどれだけの黒猫がいると思ってるのよ、と今度はクラインにぼやき始めたリズも目的地が近くなったことでそれ以上の言葉は慎んだ。猫化抽選の結果予想が立てられない為、どの領地にもほぼ同距離の《イグドラシル・シティ》から駆けつける妖精達が圧倒的に多いが、いざウンディーネ領が近くなってみれば各地から飛んでくる妖精達も加わって綺麗な集中線を描いている。

キリト達は目的地であるウンディーネ領の〈三日月湾〉の湾岸に到着すると、とりあえず首都を目指して徒歩での移動を開始した。

周辺には数名ではあるがキリト達よりも先に到着したハロウィン仮装の妖精達が黒猫を見つけると手当たり次第に声を掛けたり、準備してきたニャンコ誘惑アイテムを駆使して気を引こうと躍起になっている。直接首都を目指している妖精達が頭上を飛んで行く様を眺めながら、クラインは先頭を歩くキリトに疑問を投げた。

 

「キリトーっ、俺達はこのまま歩きでいいのかよ?」

「ああ、ホームタウンにしてたセルムブルグとか森の家もそうだけど、アスナって割と水辺の場所が好きなんだ。だから多分、この辺りに……」

 

キリトが何かを確信している足取りのその先の岸辺には大きな樹木が並んでおり、根元では二人の男性妖精が声を張り上げている。

 

「おーい、黒猫ー、降りてこいって」

「いい仔だから。ほらっ、お菓子あるぞー」

 

手にもっているクッキーをブンッブンッと振ってアピールしている目線の先には木の枝葉で隠れて見えないが黒猫がいるのだろう。見事な枝振りと、密集して葉が生い茂っている為、羽根を使って飛んで黒猫まで近づくことが出来ないらしく、男達はしきりと地上から誘い文句を投げかけていた。

けれど一向に事態が進展しない事に業を煮やした一人があげていた腕をおろす。

 

「ありゃあ無理だな。ずっとこの木で昼寝でもするつもりだろ」

「さっきのやつらはこのクッキーでその辺を歩いていた猫を手なずけてたけどなぁ」

「早くしないとクエストの時間なくなるぜ。どっちにしろもう一匹見つけなきゃだし……」

「諦めて他の猫を探した方が早いか」

「けど、あの猫、いい感じだから惜しい気はするよな……」

「確かに。綺麗な猫だし」

 

なかなか諦めきれずに見上げているその先の猫はかなりの器量良しなのだろう、見目の良い黒猫ほどパートナーに及ぼす影響が強いというのがこのイベントの通説になっているせいか、男達は一抹の望みを掛けるようにもう一度両手で持ったクッキーを猫の視界に入れようと珍妙な踊りともとれる動きで手足をバタつかせていたが、やがて肩を落として首都方面へと飛び去っていった。

二人の姿が小さくなっていくのを見届けてからキリトはゆっくりとさっきまで男達が立っていた木の下へとやって来て上を見上げる。

地上から二メートル以上はあるだろうか、太い幹から伸びている枝の途中に真っ黒い猫が優雅に伏せていた。黒猫の居る位置より低い場所にも枝が縦横に伸びていて、そこに生えている葉の多さで全身は見えないが、それでも毛艶の見事さや体躯の曲線の滑らかさは十分に伝わってきて、その猫と一緒ならかなりのスキル上昇が期待できそうだ。

キリトより少し遅れて到着したクライン、リズ、リーファも枝葉の隙間から黒猫を見つけ興奮に声を高くする。

 

「いきなり上等な猫にぶち当たったな」

「でも、さっきの人達の誘いには全然反応してなかったみたいよ」

「私達も無理なんじゃ……?」

「あいつらは食いもんだっただろ。腹が減ってねぇのかもしれねえし、違うのを試してみようぜ」

 

クラインが言うが早いかストレージから先刻購入したらしい猫じゃらしを取り出す。

それを高々と掲げ、ついでに思いっきり背伸びまでして猫の視界に入れようと大きくゆぅらゆぅらと振ると、黒猫はチラリと気のない視線を寄越して、すぐに、ふぁぁっ、と大きな欠伸をしてから背を丸めてしまった。

 

「ちょっとっ、クラインっ。催眠術かけてどーすんのよっ」

「いやっ、そ、そんなつもりは……」

 

慌ててクラインから猫じゃらしを取り上げようとするリズの横ではリーファが「何かあるかな」とウインドウを出し、自分のストレージから猫の気を引けるような物がないかとスクロールを続けている。

そんな中、キリトが静かに両手を黒猫に向けて伸ばし、一言「おいで」と囁いた。

黒猫にその声が届いたのか、閉じてしまった瞼の片方だけを開いて声の主を見定めると次にもう片方の瞼も押し上げ、ジッ、とキリトを冷ややかに見つめてくる。小さな顔に大きな金色の瞳は吸い込まれそうな引力を宿していて、僅かばかりも逸らせない代わりに黒猫からの視線も真っ直ぐに受け止めたキリトは微動だにせず時を待った。そうしてキリトと黒猫はしばし視線を交わしていたが、動かないキリトに飽きたのか先に黒猫が伸びをしながら四本の足で立ち上がる。

腰を落とすジャンプの予備動作を見たリーファが思わず「あっ、逃げちゃうっ」と叫んだ。

黒猫はリーファの読み通り、まるで羽が生えているような身軽さでとんっ、と枝を飛び移り、その先端の枝葉が揺れる前に次の枝へ、そしてまた次の枝へと移動して、最後に……すぽっ、とキリトの腕の中に納まる。

キリト以外の三人が「えっ?」と目と口を丸くしている前で、黒猫は「みぅ、みぅ」と耳の後ろをキリトの胸にこすりつけていた。

多分、黒猫を抱いた瞬間にキリトにだけはパートナー獲得を知らせるSEが鳴り響いただろう。しかし、そのSEをかき消すほどの大音声を振りまいたのはクラインだ。

 

「はぁぁっ?、なんだよぉっ、そりゃないだろ。俺が一生懸命猫じゃらしを振ったから寄ってきたんじゃねーか。なんでキリトんトコに行くんだよ」

「まあ、まあ、落ち着きなさいよ……それにしても何も使わずに呼んだだけで黒猫と契約なんて、出来るのね」

「うわっ、近くで見ると、この仔、ほんっとに綺麗な猫ちゃんっ」

 

キリトの腕の中にいる黒猫は間近で見るとそれは見事な毛並みを有しており、真っ黒な毛はしっとりとした潤いとハチミツのような光沢を併せ持っている。こぶりな顔に大きな金色の瞳は宝石のような存在感で、それ自体が発光しているかのように煌めいていた。仔猫サイズの猫なのにどこか気品が漂っていて気軽に触れることを躊躇ってしまう雰囲気から、黒猫とキリトを取り囲んでやいのやいのと騒いでいるだけの三人に向けその中心人物は何の気負いも見せずにポツリと漏らす。

 

「ああ、だって、この猫、アスナだし」

「あ゛あ゛?」

「はい?」

「ええっ?」

 

形はそれぞれ違うが開きっぱなしの口のまま三人は更に、ずずいっ、と黒猫を覗き込んだ。

痛いくらいの視線のせいか、荒い鼻息のせいか、一番近くまで迫ってきた野武士顔に黒猫が目にも留まらぬ早さで爪を立てる。

「うおっ」と怯んだクラインだったが、おでこにうっすらと浮かんだ赤い三本線の傷からは当然痛みなどなく、その傷跡はすぐに消えてなくなり、黒猫の方は機嫌を損ねたようで未だに「ふぅ゛ぅ゛っ」と威嚇の声を伸ばして睨み付けていた。

 

「なんだ、なんだ、結構気が強ぇんだなぁ……」

 

調子を取り戻して、からかうように、にまり、と笑み、顎に手を当てて猫の攻撃範囲ギリギリの所で再び覗き込むクラインは黒猫の視線で何かを思い出したように小さく頷く。

 

「そうだ、この感じ。アインクラッドの攻略会議に寝坊で遅刻した時もこんな感じで副団長サンに……」

「クライン……」

 

呆れ声は小さすぎて、その場の誰のものかはわからなかったが、きっと全員が気持ちは同じだったろう。黒猫は攻撃の範囲外と悟るやいなや、相手にはしない、とばかりにプイッ、とクラインから顔を背けた。

 

「うーん……アスナさんってこんなにツンツンしてたっけ?、キリトくん」

 

リーファが思うアスナは、時折、感情のままに照れた笑顔や困り顔、慌て顔や思案顔と表情を変えるが、だいたいいつもは慈愛と余裕に満ちた微笑みを浮かべているイメージだ。自他共に認めるアスナの親友たるリズも「そうよねぇ」と首を捻っている。

けれど男衆は、わかっていないな君達……と言わんばかりに無言で首を横に振った。

 

「確かによぅ、今のアスナだったらツンツンのツの字もねぇけどよ、あの頃の副団長サマっつーたら『攻略の鬼』、まさに鬼、攻略会議の時なんざずっと鬼の形相だったよなぁ」

 

「な、キリト」と振ってくるクラインに、うっ、と僅かに声を詰まらせたキリトだったが全員の注目に耐えきれなかったのか「ま、まぁ…」と言葉を濁せば、すぐに黒猫の両耳がピンッ、と立ち、凜々しくも鋭い視線で、キッ、とキリトをひと睨みした後、ぴょんっ、とその腕から飛び出して次にリズのベイビーピンクの髪に軽々と着地する。驚きと頭の上に黒猫が移動してきた震動でヨロついたリズだったが、すぐにバランスをとって恐る恐る自分の頭に手を伸ばした。

 

「うほっ、すっべすべじゃないのぉ……あれ?、でも私のパートナーにはならないのね」

 

片手で猫を抱っこしたまま自分のウインドウを出したリズは猫マークが定着せずに点滅しているのを見てがっかりと肩を落とす。

 

「一回契約すると黒猫が望んだ時しか解除できないんです」

 

リズの腕の中でふみゅふみゅ、とヒゲの手入れをしている猫の頭をなでながら説明をしてくれたリーファもまた「くうーっ、この触り心地っ」と夢中になっていた。そのシステムは猫の取り合いを防ぐ為だが、単に自分の扱いが気に入らなければ他の契約候補者がいなくても猫は解除をしてしまうのでパートナーになったからといっても安心は出来ないという仕組みだ。

 

「でも点滅中はリズさんが仮パートナーなのでレベルは上がってるはずですから……」

「えっ?、ほんと?……わっ、ほんとだーっ」

 

早速自分のレベルを確認したリズが片手でガッツポーズを示し「ユグドラシル・シティに連れ帰りたいっ」と目を爛々と光らせているところを見ると鍛冶屋に関するスキルが上がったのだろう。けれど自分を見つめる瞳の狂気的な輝きにぞわり、と毛を逆立てた黒猫は「にゃっ」と短く鳴くと同時に、するりとリズの腕から抜け出して次にリーファの肩へと着地した。

すぐさまリーファも自分のウインドウを覗き込む。

 

「ぅわぁ、この風魔法、なかなかスキルが上がらなくて苦労してるのに……」

 

今度はリーファのウインドウに猫マークが点滅しているのは間違いなく、一時的とはいえよほど嬉しいのだろう、にまにまと嬉しそうな笑顔がこれでもか、と溢れて出ていた。

 

「このまま猫ちゃん借りてクエストやりたいなぁ……あ、とりあえず、今、一回だけ魔法使ってみてもいい?」

 

強請るような視線を兄であるキリトに向けるリーファだったが、キリトが反応を見せる前に、にょきっ、とクラインの手が伸びてきた。

 

「どれどれ?、そんなにスゲーのかよ」

 

猫の扱いに相応しく首根っこを掴もうとしたのか、細い首へと無遠慮に急速接近してきた手甲を察知した黒猫が再び「なぅっ」と不機嫌な声を浴びせかけリーファの肩から高くジャンプする。

あと少しというところで上質な毛並みに触れ損なった手は空しくも宙を掴み、クライン、リーファ、リズの三人の頭は黒猫を追って空にかかる虹のように大きな半円を描いた。

黒猫を虐めるつもりは毛頭なかったが、結果的に居心地の悪い思いをさせてしまった事は明白で、折角能力値の高い猫をパートナーと出来たのにあわやこのまま契約解除か?、と三人の顔に焦りが差した時、トテッ、と、かの猫が着地したのは……まさにデジャブか?、と見紛うほど平然と「おかえり、アスナ」と自分の元に戻って来た小さな存在を受け入れたキリトの腕の中だ。

 

「気は済んだのか?」

「み」

 

そのひと鳴きで意思の疎通が出来ているとは信じがたい光景だったが、それでも黒猫は落ち着いた様子でキリトの腕にいるし、契約解除はひとまず免れたらしいので三人は揃って安堵の息と共に肩の力を抜いた。

 

「ねぇ、一匹は契約できたんだし、もう、これでいいんじゃない?」

「う〜ん……ハロウィンの限定クエストだとそんなにえげつないのはなさそうだし、必要に応じて猫ちゃんを貸してもらえれば……」

「おうっ」

 

本当はクラインもリズも、リーファだって自分と契約してくれる黒猫を探したいのだが、今、キリトの胸元で再び耳の後ろをコシコシとこすっている猫以上にスキルアップを望める美猫との遭遇と契約如何といった諸々の事情を考慮すれば、さっきいたプレイヤー達も言っていたようにウンディーネが黒猫化している時間には限りがあるのである。黒猫との契約にこだわりすぎてイベントやクエストに挑めないのでは本末転倒だ。キリトの様子からして黒猫を貸すこと自体に拒否反応はなさそうなので、一匹の黒猫を複数の妖精達が共有するというやり方も珍しい事ではないし、と話がまとまりそうになった所でクラインが好奇心に口角を上げる。

 

「キリト。お前、ちょっとエクスキャリバー出してみろよ」

 

その提案が何を意味するかを誘ったリズとリーファの瞳が途端に期待で輝き始めた。

 

「そうよっ、その黒猫と契約してる状態で二本の剣を操ったらどうなるのっ」

「お願いっ、お兄ちゃんっ」

 

二人の少女妖精達のふたつの拳が興奮でグーになっているのとは真逆にキリトは黒猫の小さくて丸い頭に優しく手を当て「痒いのか?」と伺いながら後頭部に指先を潜らせ小刻みに弄っている。

そんなのんびりまったりの空気に穴を開けるように「キリトっ」とクラインが突っつくと、キリトは視線を黒猫から外さずに「断る」と短く返事を返した。

 

「なんでだよ、お前だってどのくらいスキルが上がるが確認しといた方がいいだろっ」

「オレはこのままアスナと《イグシティ》に戻るし」

「はぁ?、クエストやんねーのかよ?、だいたいそうは言ってもその黒猫がアスナだって証拠は……」

「アスナだよ」

 

クラインの声を遮って静かに断言するキリトに毛繕いをされてニャゴニャゴと満足そうにヒゲをピクつかせている黒猫をリズが改めて覗き込む。

 

「うーん、確かに美人さんよね、それは認めるわ。でも私達、ここに来てこの猫しか見てないわけだし……まぁ、他の猫と見比べたってアスナだって分かるとは思えないけど……」

 

少々面倒くささを含ませる小息を落としてからキリトは言葉少なに説明を始めた。

 

「オレを契約者に選んだだろ」

「それは、たまたまって言うか、偶然の可能性もあるじゃない。じゃあアンタはこの猫が自分と契約したからアスナだって言うの?」

「オレと契約しても、ちゃんとリズとリーファに仮契約を許したし」

「逆にクラインに懐かない頭の良さはアスナっぽいけど」

「んだとっ、リズ!」

 

急に荒げた声に驚いた黒猫がシッポの毛を逆立ててボワッ、と大きくすれば、すぐにキリトが緩く抱きしめて宥める。

 

「けどそれだけじゃ説得力に欠けるよ、お兄ちゃん」

「支援能力値の高さもあの子のスキルを考えれば分からなくはないけど、だからってアスナだって断定は……」

「そうだぜ、キリト。もっと明確に分かるような理由はねぇのかよ」

 

自分の周りでガヤガヤと言い合いをしている声が次第にホワイトノイズと化してきたのか、自分をしっかりと支えてくれている腕の安心感からか、黄金色の瞳がゆっくりと閉じていくのに気付いたキリトは、くすり、と意識を黒猫にだけ向けて微笑むと薄墨色の羽根を出現させた。

 

「別にオレは納得してもらわなくてもいいんだけどな」

 

極力振動を与えたくないのだろう、ふわりと浮き上がったキリトの腕の中ではもうすっかり身を委ねきった黒猫が、スー、スー、と軽やかな寝息を立てている。

 

「あんまり言うとアスナに怒られるんだけど……今なら大丈夫か」

 

腕を持ち上げて仔猫の寝顔を確認したキリトは猫化している間の記憶が朧気だという情報を思い出して僅かに眼を細めた。

 

「最初に見た時からわかってたさ」

「最初、って木を見上げた時から、ってこと?」

「ああ」

「あんなちょっとしか見えてなかったのに!?」

「瞳の輝きも、顔を背ける角度も、それに身体の線がアスナだったから」

 

キリトの言葉に回線の処理が追いつかないのか、三人はラグったように完全停止した。

 

「ここまで近くにいれば間違えるはずないアスナの匂いも……」

 

そう言って鼻先を黒猫に近づけたキリトは大きく深く息を吸い込むと満足そうに頷いてから「そういうわけで木から飛び降りてきた時に確信したんだ」と告げると「じゃ、あとは頑張れよ」と言い残して先刻飛んで来た空の道を引き返していった。

置いてきぼりを食った三人はあんぐり、と口を開けたままキリトが見えなくなるまでその背を眺め、黒い点がなくなった時点で我に返る。

 

「ええーっ、なによっ、あれっ」

「結局、あの猫、ほんとにアスナだったのか?」

「ってゆーかお兄ちゃん、黒猫イベント、やっぱり興味なかったんだ……」

「なら俺達と一緒に抽選映像なんて見るなって話だよなぁっ、紛らわしいったらねぇ」

「あー、それはきっとアレね。アスナが楽しみにしてたから。あの子、猫か犬か、って聞かれたら犬らしいんだけど、基本的に動物好きなのよ。だから今日のイベントも楽しみにしてて……キリトは付き合うつもりだったんでしょ」

「じゃあ、楽しみにしてた本人がその猫になっちまったってのか」

「キリトにしてみたら、これ幸い、だったんじゃないの?」

「そうですね。アスナさんを《イグシティ》の部屋に連れ帰ったら、のんびり一緒にうたた寝でもするつもりでしょうから」

 

リーファの想像に誰一人として異論を唱える者はいなかった。




お読みいただき、有り難うございました。
で、結局「争奪」もしてないし……。
ハロウィン・イベントにも参加しないし……。
きっと取り残された三人がこれから必死に黒猫を追いかけるのだと
思います(苦笑)

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。