ソードアート・オンライン《かさなる手、つながる想い》   作:ほしな まつり

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SAO「ユナイタル・リングⅡ」の発刊を祝しまして
【いつもの二人】シリーズをお届けしたいと思います。
今回は既に結婚して二人の子供もいる和人視点です。


【いつもの二人】家庭の味

明日奈に倣ってゆっくりと風呂につかり、身体の芯まで温まって疲れを取ったオレは僅かに酩酊したような気分を内に残したままリビングのソファに座っている妻の隣へと腰掛けた。

と同時に無意識に「ふぅっ」と息を吐き出せば明日奈が視線を手元から逸らさずに、クスッ、と笑う。

 

「お疲れさま、そんなに気の張る食事会だったの?」

「別に……そういうわけでもないけど……」

 

二十代後半に手がけたプロジェクトで老舗ホテルの大宴会場を借りきっての関連企業までも含めた盛大な公式発表記念パーティーに出席して以来、なぜか場所をホテルの食事会にすればオレが出席するというデマが浸透してしまい、今夜も昨年にオープンしかばかりの煌びやかな外資系ホテルでフレンチをセッティングされたオレは半ば強制的に上からの指示でレストランに赴き、前菜からデザートまでを口に運び続けた後、ようやく開放されて我が家に戻って来たというわけだ。

レストランの食事が口に合わないというわけではない。

十代の頃から続くオレの代表料理「具無しペペロンチーノ」でも舌は満足しているのだから、そこいらのファストフードだって十分に美味しいと感じる味覚は持っているし、それがフランスの三つ星レストランから引き抜いてきたシェフのコース料理ともなれば言わずもがなである。いわゆる、家庭では再現できない味、という物があるのもわかっているから今日の晩餐はまさしくその部類だったんだろう。

芽衣が生まれる前は明日奈にせがまれて和真と家族三人、何度かホテルに食事に行った事もある。

すると決まって料理を口にした明日奈の『この味、どうしたら出せるのかなぁ』と呟きながら考え込んでいるその表情は、まさに味覚再生エンジンに与えるパラメータを解析しているそれで、オレと和真は同時に肩をすくませながらこっそり顔を見合わせたものだ。

芽衣の、今はまだ幼いが故の予期せぬ突飛な行動がもう少し落ち着けば、今夜のホテルに家族で行くのもいいな、と明日奈の喜ぶ顔を想像しながら、そろり、と手を伸ばし隣の細い腰を軽く引き寄せる。

けれどオレが隣に座った時点でこの行為は想定内だったらしく、彼女は何のリアクションも見せずにただ黙々と両手を動かし続けていた。

流石にこの程度で驚く事はないと思っていたし、嫌がられたらそれはそれでショックだが、これと言った反応がなにもないのも面白くない。

さっきから規則的に動き続けている彼女の両手が原因なのだと、その動きを妨げない程度に軽く細い肩に顔を乗せ上から睨むと僅かな負荷に一瞬手の動きが乱れたがすぐに調子を取り戻し、まるでなかったかのようなスムーズさで再び彼女の白い手は編み棒を踊らせている。

 

「なに編んでるんだ?」

「うん、寒くなってきたから芽衣ちゃんが制服のスカートの中に履く……」

「……いわゆる、毛糸のパンツ、ってやつ?」

「…………そう」

「で、この色と柄は芽衣のリクエストなのか?」

「…………うん。私もね、本当にコレでいいの?、って聞いたんだけど……」

「さすがにこれは既製品じゃ、なさそうだしな……」

「そうなのよね。芽衣ちゃん、今、あの歌が大のお気に入りだから」

 

明日奈の言葉で私立の幼等部に在学中の娘が、最近よく歌っている歌を思い出し、オレは「あー」と納得と苦笑いを同時に吐いた。現実世界でもそこそこ裁縫スキルのある明日奈だから実現可能となってしまった毛糸のパンツは目にも鮮やかな黄色と黒の配色が絶妙のバランスで亀裂模様に交差している。

 

「なぁ、明日奈。最近、家族で外食してないよな」

「ん?、んー……そう言われてみれば、そうかも」

「明日奈が働いていた頃は外で待ち合わせて食べに行ったり……」

「そうだったね。和真くんを保育園からそのまま連れて行くから、途中でお洋服着替えたりして」

「今は芽衣がいるからなぁ……アイツ、なんであんなに落ち着きがないんだ?」

「そこは好奇心旺盛って言ってあげて。好奇心の塊みたいなキリトくんの娘だもん」

「うっ……で、でも、好奇心ならアスナだって負けてないだろっ」

「じゃ、私達二人の娘だから、ってことで」

 

やっと明日奈がオレの顔を見て、ふわり、と微笑んでくれる。その笑顔を見るだけで全てが丸く収まってしまうのだからオレも単純だ。

 

「それ、まだ頑張るのか?」

 

言外にそろそろ寝室への誘いを含ませてみれば明日奈はやっと手の動きを止めて、ふっ、と一呼吸置いてから両手で編み棒を目の高さまで持ち上げる。当然、それまで編んできた成果である黄色と黒の毛糸面がだらり、と垂れ下がるわけで、それを眺めた明日奈は出来具合に満足したのか、うんうん、と頭を二回振った。

 

「とりあえず今日はここまでていいかな……」

 

作業の終了を予感させる声にオレが思わず目を輝かせた時だ、リビングへと近づいてくる不穏な歌声がオレ達夫婦の鼓膜を震わせた。

 

「……にぃーっ、のパンツは、い〜いパンツぅー……」

 

うっ、と思った時には既に遅く、バタンッ、と豪快な勢いでリビングのドアは開け放たれ、ご機嫌な歌声と表情の芽衣はソファに座る明日奈を見つけると歌う音量そのままに「おかあさーんっ」と叫んだ。子供特有の高音に怯むことなく、少し眉尻を下げた明日奈は穏やかに笑いかける。

 

「どうしたの?、芽衣ちゃん」

 

芽衣のすぐ後ろから付いて来た和真だけは間が悪い事をわかっているのだろう、困り果てた顔つきで故意にオレと視線を合わせようとしない。だいたい芽衣はそろそろ寝る時間のはずで、多分、オレが不在の時は明日奈が寝かしつけているのだろうが、その時間にオレが家に居る時の寝付かせ役は兄である和真と決まっている。

寝る前の挨拶に来たのならさっさと終わらせろ、と伝える為に明日奈の腰に回した手にキュッ、と力を込めて、こちらを見ずとも伝わるほどに睨み付けてやれば明日奈譲りで勘の良い和真の両肩が、びくっ、と強張った。

 

「ほ、ほらっ、芽衣っ、父さんと母さんにおやすみなさいを言いに来たんだろ。早く言って寝るぞ」

「うんっ……お父さんっ、お母さんっ、ぅおーーーっ」

 

なぜか「お」を伸ばし続けている芽衣の眼がどんどんと輝き始める。

 

「おにのパンツだーっ」

 

両手で万歳をした芽衣が明日奈の膝元にべたっ、としがみついてくる。オレは反射的に、取られまいっという本能が働いて更に明日奈を抱き寄せようと力を入れてしまい、結果、彼女の喉元から「きゅぇっ」とカエルのような声が飛び出してきた。

 

「かっ、母さんっ、大丈夫っ!?」

 

慌てて和真まで駆け寄ってきて、二人掛けのソファを中心に家族が勢揃いする。

嬉しさを抑えきれない芽衣はその感情の発露を母親の膝を抱きしめる事にしたらしく、明日奈の膝の上に身を乗り上げて目の前に広げられた黄色と黒の模様を一心に見つめている。

娘に両足をすっかり固定され、オレにウエストを締め上げられる形となった明日奈はさすがに軽く苦笑いになって背後に立つ和真へ「だ、大丈夫」と信憑性の薄い声を吐いていた。

落ち着きを取り戻した和真は、芽衣と張り合うようにして明日奈にひっついているオレに一瞥を投げてくるが、オレは芽衣と違ってすぐに力を抜いたし、今は夫婦の時間であってそこに割って入って来たのはお前達なんだからオレに比は無いと、堂々と視線を返す。

それで諦めたように……決して、呆れたように、ではない……鼻から軽く息を抜いた和真は明日奈ごしに芽衣へと呼びかけた。

 

「芽衣、おやすみなさいの他にお願い、あるんだろ?」

「そうだった!」

 

鬼のパンツ柄の毛糸のパンツに感情が振り切れていた為に忘れていたらしい何かを思い出したのか、目と口を丸くさせたままの芽衣は毛糸から大好きな母親へと顔を上げる。

 

「あのねっ、あのねっ、お母さんっ、オオタニさんのパンケーキが食べたいっ」

「え゛っ!?、今から?」

 

おやすみなさい、を言いに来る時刻に何を言い出すのかと、ギョッとしたのはオレだけじゃなかったようで再度和真が慌てて口出しをしてきた。

 

「芽衣っ、『いつ・どこで・だれに・なにを』の『いつ』が抜けてるっ」

「あ、そーか」

 

直情的な行動が多い芽衣は言葉も同じくまずは伝えたい事が最優先だ。とは言え相手は幼児なんだからある程度は仕方ないが、芽衣の場合、今の段階で気をつけてやらないと今後もそのまま直球言語で突き進む可能性を大いに孕んでいる為、言葉のコミュニケーションについては和真に限らずオレも明日奈もその都度丁寧に接するよう心がけている。これまた明日奈譲りだろう、面倒見の良い和真はユイと相談した結果、芽衣の言語伝達能力の向上においては『いつ・どこで・だれに・なにを』を求める事にしたらしい。既にトップダウン型AIとしては世界的にもトップレベルの存在となっているユイと中学生男子がリビングでうんうん唸りながらひねり出した案だ、少なくとも間違ってはいないだろう。

ちなみにその時のホログラム映像のユイと和真が正座で膝を突き合わせて悩んでいる姿を傍観者に徹して微笑ましそうに見ていた明日奈は、芽衣の育児を通してユイと和真の成長を促しているのだから見事なものだ。

そんなかいがあってか普段だったら言葉の組み立てもまずまずの芽衣が今のように願望最優先なのは気分が高揚している証拠で、やっぱりこの個性溢れるデザインの毛糸のパンツがよほど嬉しいんだろうな、と力が抜けたオレは再び、とん、と明日奈の肩に顎をのせた。

 

「大谷さんのパンケーキ?、誰だ?、大谷さんて」

 

オレが把握していないだけで芽衣の同級生の名前だろうか?、と故意に明日奈の頬へ、すりっ、と顔を傾ける。けれどオレの素朴な疑問という脇道など完全無視で芽衣は次の要望に向けまっしぐらだ。

 

「今じゃないよっ。明日のブ……ブラシ?、ブラシに作ってっ、お母さんっ。あとテイさんのポテトサラダもっ」

「ブラシ、じゃなくてブランチだよ、芽衣」

 

すかさず和真のフォローが入る。

しかしオレの頭の中は増大したハテナマークの処理に追われてそれどころではない……丁さん?、今度は中国系の人なのか?、なのにポテトサラダ?

作ってはならぬ、食してはならぬ、の決まりはないだろうが中華のサラダと言えばイメージ的にはごま油や酢醤油ベースのドレッシングで春雨やキュウリを味付けした物ではないだろうか?、そして大谷さんと丁さんの関係性はあるのか?、更にここが一番重要な部分だが、産まれてからずっと明日奈の手料理を食べ続けている芽衣が二品も他者の味をリクエストするなんて、その二人は一体何者なんだ?、と頭を捻りながら、すりすり、と明日奈の頬へ額をこすりつけていると背後の和真がわざとらしい咳払いでオレに警告してくる。

さすがに芽衣の前ではここまでが限度だ、オレだってわかっている。だいたい明日奈が容認しているんだからお前にとやかく言われる事ではないはずだ、と視線を投げればいち早く感知した和真はそれを避けるように、サッとオレとは反対側の明日奈の傍らへ上体を屈めた。

 

「父さんが休みの日は母さんも少し寝坊するだろ。だから明日はいっそブランチにして母さんもゆっくりして欲しいんだ」

「え!?…うっ……うん、それは、嬉しいんだけど……」

 

父親が休日の朝は母親が起きられない理由をわかってるんだろうな、と思わせる中学生の息子の発言に明日奈の頬が一気に染まる。

 

「あと俺からもリクエスト。もちろん手伝うからオークラのプレーンオムレツもメニューに入れてよ」

「和真くんはチーズ入りにした方が好きでしょう?」

 

髪色が同じせいか雰囲気の似通った二人が至近距離で嬉しそうに微笑み合う光景は妻と息子でなければ眼福と表していいのだろうが、今はお前までも大倉さんという名前付きメニューを望むのか、と疎外感で自然と眉間に皺が寄った。そんなオレの表情の変化に気付かないままの明日奈は膝の上の芽衣と自分のすぐ横に顔を突き出している和真の交互を見てから頼もしさ溢れる笑顔を返す。

 

「じゃあ明日のブランチはパンケーキにポテトサラダ、それにオムレツね」

「わーいっ」

 

編みかけの毛糸の鬼のパンツを発見した時のように芽衣は両手を挙げて緩みきった口元と目元で喜びを表し、和真も嬉しそうに目を細め、「うん」と言ってから妹に就寝を促した。

 

「じゃあ芽衣、俺達は上にあがろう」

「うんっ。おやすみなさいっ、お父さん、お母さん」

「ああ、おやすみ、芽衣」

「おやすみなさい、芽衣ちゃん」

 

芽衣に手招きをして自分の傍に呼び寄せた和真もオレ達に向け「おやすみ」と言ってから妹に付き従うようにしてリビングを出て行く。その後ろ姿に「おやすみ」「おやすみなさい、和真くん。芽衣ちゃんをお願いね」と声をかけ終わればリビングは再びオレ達だけの空間だ。けれど廊下からは興奮気味の芽衣の声がここまで届いてくる。

 

『桜花(おうか)ちゃんね、この前オオタニさんに行ったんだってー。だから芽衣もパンケーキ、食べたくなって……」

 

階段を上っていく足音と共に声も小さくなっていって可聴範囲からも子供達の気配が消えると、明日奈がクスッと笑った。

 

「あの分じゃ、なかなか寝付かないかも」

「和真がなんとかするだろ」

 

会話をしつつ毛糸や編み棒を片付けようとしている明日奈の意識を全てこちらへ集める為に腰に回している両手で彼女を身体ごと抱き寄せる。「ん?」とオレに対し疑問の声をあげた明日奈が振り返る前にさらに隙間を無くさんと彼女の耳元まで口を寄せた。

 

「大谷さんや丁さんて誰なんだ?」

「え?……あ、和人くんは知らなかったのね」

「知ってるわけないだろ」

 

申し訳ないが芽衣の交友関係は全く把握していない。ぼんやり覚えてるのはさっき名前が聞こえていた「桜花ちゃん」くらいだ。

 

「それに和真が言ってた大倉っていうのも……」

 

そっちはあいつの友人関係か?……何にしても、こうも人名が付いた料理ばかりリクエストしてくるのはなぜなんだ?、と、いくら考えても答えのでない疑問に早々に白旗を揚げ、オレは答えを求めるために明日奈の耳朶に唇で触れる。

 

「明日奈」

「ひゃぅっ」

 

耳の弱い明日奈が肩を震わせながら息を飲む。それから「もうっ」と小さな憤りを口にしてから、ぽすっ、とオレに身を預けてきた。しっかりと抱き留めてから正解を待つ。

 

「芽衣ちゃんが丁寧に『さん』付けしてるだけで、リクエストされたのはホテルニューオータニのパンケーキと帝国ホテルのポテトサラダよ。ちなみに和真くんが言ってたのはホテルオークラのオムレツ」

「は?」

「芽衣ちゃんのクラスの子がハイクラスのホテルで食事をしたって自慢したらしくて。でも芽衣ちゃんが気になるのはホテルよりもそこでの食事だって言うから、それなら近い物が私にも作れるかな、って」

「それで……作ったのか?」

「うん。とりあえずそのホテルクラスの名物って言われてるのを一品ずつ。手に入りにくい食材はなかったし、私も小さい頃から何度か食べて味は覚えてたから。それ以来、芽衣ちゃんも和真くんも、時々ああやってリクエストしてくれるの」

 

事もなげに日本の御三家と呼ばれる老舗ホテル伝統レシピの味を再現したと告げてくる明日奈の笑顔は《あの世界》でオレの指に醤油をひとたらししてくれた時のように何の気負いもない。あの成果だってやろうと思えばいくらでも自分の利益に繋がったはずなのに、彼女はそれを使ってオレに食事を作り、ニシダさんにも気軽に分けていた。多分アルゴが情報操作をしてくれたお陰とほぼ同じタイミングでオレ達が二十二層に雲隠れをしたせいで大事にはならなかったが、醤油の再現という偉業は《あの世界》での革命と言ってもいいだろう。

同様にホテルの味の再現も明日奈は子供達に食べさせたい一心で行ったのは間違いなく……ただ、それをオレが今まで知らなかった事だけがどうにも納得しかねるが、明日にはオレも味わえるのだから良しとしよう。

明日のブランチへの期待を抱きつつ今度はこれからの行為の始まりを告げるように彼女の耳全体を軽く甘噛みしながら誘いを直接吹き込む。

 

「なら、子供達の了承も得たことだし、明日の朝はゆっくり出来るんだから、何の気がかりもないよな」

 

弄んでいる耳がみるみるうちに赤く熟れていくのを間近で見ながらオレはニヤリと微笑んだ。




お読みいただき、有り難うございました。
がっつりホテル名を出してしまいましたが……大丈夫かな?
ウラ話は通常投稿とまとめます。

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