ソードアート・オンライン《かさなる手、つながる想い》   作:ほしな まつり

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すみませんっ、投稿日、大幅にズレました!
それでも今年最後なのでなんとか……(苦笑)
和人と明日奈が帰還者学校に通っている時のお話です。



見学会

デスゲームから生還した十代の若者達の受け皿として政府が用意した通称、帰還者学校……そこに週末なら居るはずのない教師と生徒達の姿が今日に限っては集団で校内を移動していた。

 

「では、教職員の方々はこのまま真っ直ぐ僕に付いて来てください」

 

カウンセリングルームの案内を終えた後、次の段取りを告げた茅野はすぐ傍にいる教師達よりも堂々とした振る舞いで今回のホスト役を務めている。その声でそれまで一団となっていた人間達は制服姿とそうではない姿の二つに別れた。本来ならば制服の集団に属するはずの茅野と数名の生徒達は事前の打ち合わせ通り生徒達のグループを結城明日奈に任せ、自分達は自校の教師らと共にこの訪問を希望してきた都内でも有名な私立大学付属高校の教師達を導くべく、大人集団の先頭に立つ。

 

「そちらの生徒会の方々は結城さんが案内しますから」

「結城明日奈と申します。宜しくお願いします」

 

それまで集団の最後尾近くに控えていた明日奈が普段ならこの校内で目にするはずのないデザインの制服を着た数名に微笑んだ。とは言え都心で生まれ育ち、自分の親がそれなりに教育熱心で加えて両親の社会的地位も高いとなれば当然目にした事のある制服であるし、耳にした事のある学校名の生徒達である。特に明日奈にとっては中等部を卒業した後の進学先の候補として名前が挙がっていただけに僅かだが思うところもあった。

それに数ヶ月前、個人的にこの附属高校に赴き大学の公開模試を受けていたのだから、ひょっとしたら向こうの校舎ですれ違った生徒がこの中にいるかもしれない、と不思議な縁さえ感じていたほどだ。

とは言え今回は生徒会という組織が存在しないこの学校への見学要請という事で、学校側から頼まれた案内役をきちんと全うすべく、持ち前の優等生気質を十二分に発揮して担当となっている有名私立校の生徒会役員達と共に教職員達とは違う方向へと案内を始めようとした時だ、今まで一番後ろを面倒くさそうな顔で付いて来ていた黒髪の男子生徒がのんびりと手を上げた。

 

「えっと……オレはどっちに付いてったら?」

「ああ、君は結城さんの方をお願いするよ」

 

すかさず茅野が笑顔で答えるが、明日奈の内心は「割り振ってあったのに、もうっ」と穏やかではない。しかし、そんな感情は微塵も見せずに「では、生徒会の皆さんはこちらへどうぞ」と角を曲がりつつその男子生徒をチラリ、と振り返ってみると、相変わらず眠たそうな表情ではあるがちゃんと列の最後尾に付いて来ている。

明日奈はひとまず男子生徒を意識から外して案内役に徹しようと、相手校の生徒会長に笑顔を向けた。

 

「統廃合で閉校後、すぐに帰還者学校となる事が決まった校舎なので放置されていた期間はほぼありません。それに私達が使いやすいよう色々と最新設備も導入されています。けれど一般教室にはほとんど手を入れていないので、そこは緒ノ宮会長の学校の方が遙かに好環境だと思いますが」

「いやいや、我が校も伝統と言う名の老朽化が些か目立ってきているから……それで?、これからは生徒達だけでどこへ?」

 

今回来校した私立大付属高校の生徒会長緒ノ宮は先導役の明日奈の隣をさり気なくキープしてエスコートさながらの仕草を見せる。昨今、私立か公立かという線引きで校則の自由度は測れないが洗練されたデザインの制服に身を包んだ緒ノ宮は緩いパーマのかかっている前髪をかき上げて、明日奈よりも高い身長を持てあますように腰を屈め、顔を近づけてきた。

素早い反応で、サッ、と一歩前に出た明日奈は完璧な笑顔を保ったまま相手校の生徒会役員達全員と今回の見学会の応対に駆り出された自校の生徒達を見回して皆に届くよう懐かしき副団長よろしく広く声を行き渡らせる。

 

「では、これから『調理室』にご案内します」

 

 

 

 

 

『調理室』に続き『化学実験室』でも高校生が使うにしてはかなりハイレベルな器具が設置されている事に緒ノ宮達は素直に感嘆の声を漏らした。案内した教室ごとに、その特別教室をよく使用している生徒達が中心となって来校した生徒達に説明を行ったのだが、今回は緒ノ宮達生徒会側が事前に見学希望の教室を申請していたので彼らも色々と下準備をしてきており活発な質疑応答が交わされている。その様子を教室の入り口で明日奈が静かに見守っていると音も無くその緒ノ宮が近づいてきた。

 

「……確かに、ここまでの設備が揃っているなら一般の生徒でも転校を考えたくなる気持ちがわかるな」

「数は少ないけど後期からの編入生の中に《あのゲーム》からの帰還者ではない生徒もいます。ただ、閉校予定の学校でしたから校舎全体はかなり年代物ですが」

「修復よりも添加をとったわけだ」

「長期的な運営予定ではないので」

「だとしても少々例外的だが完全単位制のモデルケースとしても注目されていたはず……」

 

一時期、何回かメディアに取り上げられた事を言っているのだろう。ただ、その報道は純粋にカリキュラムの紹介と言うよりは二年間もゲーム世界の虜囚となっていた十代の少年少女が今度はひとつの学校という世界に隔離されている様子にスポットを当てた編集となっていた。

 

「そうですね。私達にとってもこの学校のカリキュラムは個々に対応してくれるので助かる部分もあるけれど、逆に観察され実験されている気分にもなります……」

「こうやって見学にやってくる人間を受け入れなくちゃならないし?」

「あ、気分を悪くされたらごめんなさい」

「構わないさ。実際その通りだ。結城さんは知っているかな?、僕の父親はうちの学校の創設者であり現在の総理事長なんだ。僕も将来的には後を継ぎたいと考えている。この学校のように年齢に関わらず授業が選べるのは実に先進的だと思ってね。是非自分の目で見てみたかったんだ」

 

自信に満ちあふれた緒ノ宮の言葉に明日奈は尊敬を込めた素直な笑みを返した。

 

「自分の進路をしっかり考えて行動してるんですね」

「親の敷いたレールが自分の望むレールと重なっていただけさ」

「そのレールをちゃんと二本だと認識している所が緒ノ宮会長の素晴らしい所だと思います」

「……うん、有り難う、結城さん……」

「アー……結城さん、ちょっと失礼」

 

更にもう一歩、彼女との距離を縮めようとした緒ノ宮を遮るように、ついさっきまで化学実験室の窓際で手持ち無沙汰に室内を見回していた黒髪の男子生徒が明日奈の名を呼びながら駆け寄ってくる。

 

「どうしたの?、キリ、ヶ谷くん」

「どうもカフェテリアに設置したモニターの調子が悪いらしい。ちょっと来てくれって……」

 

片手に携帯端末を握っているところをみると直接、和人に連絡が入ったらしい。

明日奈達生徒グループはこれからもうひとつ特別教室を回った後カフェテリアで教職員達と合流し、そこでお茶を飲みながらの意見交換会を予定している。その際に使うモニターに不具合が出たのだろう。

学校側から和人に電気通信機器トラブルの救援要請がかかるのはいつもの事なので明日奈はすぐに「ここはいいから」と送り出す。

和人は一瞬だけ物言いたげな瞳を明日奈とその隣の緒ノ宮に向けるが、諦めたように調理室を出て行った。

その真意を受け取りきれずに明日奈は小首をかしげるが和人の後ろ姿を見つめている自分の横顔に注いでくる痛いくらいの視線に気付き、取り繕うように早口になる。

 

「あっ、ごめんなさい。何のお話でしたっけ?」

「ちょっと気になったんだけど、歳の違う生徒が同じ授業を受けているとやはり上下関係は希薄になるのかな?、例えば言葉遣いとか、呼び方とか」

「うーん、全員が全員そうとは限りません。ただ、私達はほとんどの生徒が四月の一斉入学なので、先輩後輩の意識は薄いと思います」

「なるほど……先程の男子生徒は同い年?」

「…いえ、ひとつ下ですけど」

「それでも君の事は『先輩』ではなく『さん』付けで呼ぶわけだ」

「えっと……この学校では年上の生徒に対して『先輩』を付ける方が珍しいんです。私の場合、中等部の子達からは『先輩』を付けて呼ばれたりもしますけど」

 

どうにも苦笑いになってしまうのは、それが『結城先輩』ではなく『姫先輩』だからだ。

 

「入学当初は《仮想世界》でのキャラネーム呼びはマナー違反と言う事で禁止されていましたが、今ではだいぶ緩和されています。本人が嫌でなければキャラネームも一種のあだ名のような物だと思いますし、その人を示す言葉に違いありませんから」

 

そこまで会話をしてから明日奈はふと時間に気付いて「ごめんなさい。余計なお喋りをしてしまいました」と謝ると化学実験室内の生徒達に移動を呼びかけた。そして一行は次の目的地である『ライブラリー』へと向かったのである。

 

 

 

 

 

「結城さん、君ともう少し二人で話がしたいんだ」

 

悪戯が成功した時のような笑顔は見慣れているはずなのに、人が違うと随分違って見えるのね、と少々呑気な感想を抱いている明日奈は緒ノ宮と二人きり、ライブラリーの狭い個室に閉じ込められていた……いや正確に云えば、不本意に閉じ込められているのは明日奈だけで、緒ノ宮は明日奈を閉じ込めた側の人間である。

ここはもともと広すぎた図書室の半分にフリーに使えるPCが十数台設置されていたのだが、帰還者学校として使用する際に防音壁で一台ずつスペースを確保してネカフェのような空間に作り替えた特別教室だ。

『ライブラリー』と呼ばれているここを案内し終え、いざ合流地点のカフェテリアへと移動していた時、緒ノ宮が「忘れ物をした」と明日奈を呼び止めたのが数分前。

他の生徒達にはそのままカフェテリアに向かってもらい緒ノ宮と明日奈だけがライブラリーへ引き返したのだが、「ここかな?」と、呟く緒ノ宮に続いて個室に入った明日奈は一緒に忘れ物を探そうという段階になって彼が何を忘れたのかを知らずにいた事に気づき「何を忘れたんですか?」と尋ねたところ、カチャリ、と内側から鍵をかけられてしまったのだ。

扉を背にして立つ緒ノ宮は悪びれる様子もなく変わらない笑顔で本心を告げ明日奈を見つめている。

一方、明日奈もこの状況に焦る気持ちは全くないのか、緒ノ宮の表情を冷静に観察していた。

 

「なら、忘れ物と言うのは?」

「うん、嘘だね」

「……とりあえず、その点は安心しました」

 

一旦肩の力を抜いた明日奈は改めて目の前の緒ノ宮に向かい合い対応に考えを巡らせるが、すぐに大声を上げる事も力尽くでどうにかしようとする事も得策ではないと判断を下す。四方が防音壁に囲まれているとは言え利用者はヘッドフォンを着用するのでそこまで完璧な遮音効果ではないにしろ、廊下まで声が届くかは微妙な所だし、《現実世界》では同年代の男子をねじ伏せられる程の筋力値もないからだ。ここで抵抗しなくてもカフェテリアに戻るのが遅くなればいずれは誰かが様子を見に来るはずで、当然緒ノ宮もそれはわかった上での行動だろう。ならば相手に意向に従うのが一番穏便に済むと考えた明日奈だったが、それでも些か緊張しているのか、こくり、と唾を飲み込む。

この狭い空間で会話以上の何かを求められる事などないと頭ではわかっているのに、その可能性がほんの少し頭をよぎっただけで知らずに両手を握りしめてしまうのは鳥籠に閉じ込められた記憶のせいだ。

やっぱり不意打ちで異性と二人きりになるとまだ強張るのね、と客観的な判断を下せる部分に気持ちを持ち直した明日奈は己に「大丈夫」と半ば暗示を掛けて笑顔を作った。

 

「お話、とは?」

「少し前になるけど、結城さん、君はうちの高校で公開模試を受けたよね?」

 

いきなり色気のない話を振られて明日奈はパチパチと瞬きを繰り返すが、逆にその話題が緊張を解かして緒ノ宮の質問に「ええ」と返事をする。

緒ノ宮達の高校名を聞いた時に思い出してもいたが、その模試は明日奈の意志ではなく母親である京子が勝手に申し込んだものだ。

帰還者学校に通い続ける条件として、京子は時折、抜き打ちテストのように明日奈の学力を試す為の模試をセッティングするのである。いつも実施日前日に告げられるので予定が入っている場合は本当に困るのだが、この模試の時は丸一日をかけて対策に取り組み結果も合格点だったはず、と数ヶ月前の出来事を肯定した。ただ、模試会場となっていた緒ノ宮会長の高校の生徒も三年生は全員受験していたらしく、明日奈は外部生として随分目立っていた覚えがある。

 

「大学の付属校なのに模試受験を課すのも少し珍しいけど、希望者全員がそのまま大学に上がれるわけではないし。あの模試の点数も内部進学の加点になるんだ。だから生徒達は定期テスト同様、真剣に受けるわけで……」

 

そういう事だったのか、と今更ながらに教室内に満ちていた硬い空気の理由を知って明日奈は頷いた。明日奈自身は特に誰とも会話することなくいつものように淡々と模試を受けるだけだったが、周囲の生徒達は進学に影響するとなればプレッシャーもかかっていただろう。

 

「あの模試の結果、結城さんは二位のグループに入っていたと記憶してるんだけど?」

「そうですね。前日の朝に母から公開模試を受けるよう言い渡されたので努力はしたんですが一問、ミスをしました」

「…………前日に言われて受けた模試でその成績か……それ、絶対うちの生徒達には言わない方がいいな」

「けど、あの模試は満点で一位の人が二十人以上いましたよね?」

 

朧気な記憶だが、一位の二十数名の中に緒ノ宮の名前もあったはずだ。

 

「当たり前さ。僕を始めうちの生徒達は半月以上前から準備してるんだから…………君ならデスゲームから解放された後、この学校に入学しなくても大丈夫だっただろうに」

 

確か京子が用意していた自分の編入先に緒ノ宮の学校名が印刷されて封筒があった事を思い出した明日奈は曖昧な笑みを浮かべた。

 

「けど、今日、ご覧頂いた通り、この学校も魅力的なんですよ」

 

最大の理由は他にあるのだが、それはわざわざ言わなくてもいいだろう、と明日奈が緒ノ宮との話が公開模試の件だっのかとすっかり気を許した時だ、化学実験室の時のように彼がスッ、と踏みだし距離を詰めてくる。ただし今回はそこに割って入ってくる和人の声はない。

 

「まぁ構わない。どうせ高校生という肩書きもあと一年はないし。僕はこのまま内部進学で大学に上がって教育学部を卒業した後、他の大学で経営学を学びなおす。学校の経営にはどちらも不可欠だからね。その後、実際の教育現場で経験を積んでゆくゆくは自分の教育理念に基づく学校経営をするつもりなんだ…………そこに結城さん、君も加わってくれないか?」

「え?、私ですか?」

 

突然の申し出に明日奈の声が動揺で揺れた。明日奈が考えている将来はどのような職に就こうとも根本に流れているのは自分にとって特別な人を支えたいという強い願いだ。教育や経営という分野に興味がないわけではないが今日初めて面識を持ち言葉を交わした相手と将来の話というのは急すぎるとしか思えず、困惑の気持ちしか出てこない。

しかし緒ノ宮はそんな明日奈の思いを持ち前の行動力で引き込もうというのか、戸惑いさえも安心に変えそうな頼もしい声でまたもや予想外の内容を告げてきた。

 

「僕と結城さんなら公私ともに良いパートナーになれると思うんだ。僕は外見の容姿、内面の性格、それに学力、運動能力…自分次第で変えられる所は全て努力しているしそれなりの成果は伴っていると思う。加えてこれは僕の力ではないけど親の社会的地位も悪くない。僕は今まで自分の望む人生を歩むために全力を注いできたし、今のところ思い通りの人生を進んでいる自信もある。だからそろそろ伴侶となってくれる人を、とを考え始めた頃に模試会場であるうちの学校で君を見かけてその美貌、立ち居振る舞いに自然と目が離せなくなった。それにあの模試結果だ。更に今日、案内役を務めていた時の統率力や対応力……結城さん、まさに君は僕の理想だ。僕は自分が望んだ女性には同様にその人からも望んでもらえるような男となるべく自分を磨いてきたつもりだ。どうだろう、取り敢えず互いをわかり合う関係から始めてみないか?」

 

怒涛のごとき迫力で紡がれる言葉と共に一歩、また一歩と近づいてくる緒ノ宮の圧に明日奈はスペース最奥まで後退し、背中に壁が触れた所で、ふぅっ、と息を吐き、あえて微笑みかける。

 

「……わかり合う関係……それはつまり…………お友達ですね」

「え?、あ、いや……僕は将来を見越した関係をっ」

 

再び雄弁に語り始めようとする緒ノ宮を明日奈のはっきりとした声が遮断した。

 

「私も将来緒ノ宮会長の教育理念がどんな物になるのかとても興味がありますし、十代で築いた友情がずっと続くのって素敵だと思います」

「……ウソだ…………ここまで揃っている僕に結城さんが友情以上の感情を抱いてくれないなんて……」

 

それまで輝き煌めいていた緒ノ宮の瞳は陰り、愕然とした口はうっすらと開いたままだ。自分がこれ程の好意を示したというのに肝心の相手からは相応の好意が得られない事が理解不能なのだろう。今まで経験したことのない事態に対処できずただ瞬きを繰り返しているだけの緒ノ宮に対し明日奈は懸命すぎる彼の純粋さに好感を持つが、その願いを聞き入れる事は到底出来ない。

結果、思考が停止している緒ノ宮とそれを見てただ静かに微笑んでいる明日奈という微妙な空間が出来上がっていた。

しかしそんな間の抜けた空気は突然ドンッ、ドンッ、ドンッと外側から扉を乱暴に叩く音と「アスナっ」と叫ぶ悲痛な声に打ち破られる。

緒ノ宮と明日奈は揃ってビクリ、と身体を震わせるが一足先に冷静さを取り戻したのは明日奈だった。

 

「緒ノ宮会長、こちらへ」

「へ!?」

「内開きのドアが壊れますから」

「なっ!!」

 

ぎょっ、として背後にある扉へと緒ノ宮が振り返ったその時、バキッともの凄い音がして鍵が壊れ飛び、抑制の外れた扉が勢いよく内側に押し開かれる。運良くその扉をすんでの所でかわした緒ノ宮は「ひっ」と情けない声をあげて二歩、三歩と後ろによろめき、意図せずに明日奈のいる方へ身体が寄ってしまった途端、いきなり正面からグッと腕を掴まれた。

あぅっ、と呻くと同時に強引にその腕を引かれて個室の外まで放り出される。

状況が掴めないまま強い力に翻弄された緒ノ宮が足をもつれさせたもののなんとか持ちこたえれば、今の今まで自分がいた場所には明日奈を背に庇うようにして立つ黒髪の男子生徒がこっちを睨み付けていた。

一方、和人に守られるようにして個室の奥に立っている明日奈もまた頬に手を当てて困り笑顔で緒ノ宮を見ている。

 

「大丈夫か?、アスナ」

「うん、大丈夫じゃないのはここの扉よね。でも、来てくれて有り難う、キリトくん」

「どっ、どういう事なんだっ、結城さんっ」

「緒ノ宮会長、今日説明した通りです。この学校に追加設置された電子機器は最新の物が多いけれど、ここの扉の鍵などは元々校舎内で使われていた資材の再利用なので既に耐久性も低くなっていて、それに鍵自体が簡単な掛け金式だから……」

 

男子高校生一人の力で容易に蹴破れてしまうんです、と説明するアスナの言葉に緒ノ宮は首をぶんっ、ぶんっ、と振って否を唱えた。

 

「そうじゃないっ……」

 

ゆっくりと持ち上がる緒ノ宮の片手が明日奈の一点を指さす。頬に触れていない方の明日奈の手はしっかりと和人の腕にしがみついていた。

 

「私は彼の傍が一番安心なんです。絶対に守ってくれるから」

 

揺らぐ事などあり得ないと感じさせる信頼の声に緒ノ宮の声が驚きで掠れる。

 

「そ…の、男子生徒より……僕の、方が…劣っているのか?」

「いいえ、緒ノ宮会長。会長がさっき言っていた見た目、性格、学力、運動能力、その他においてここにいるキリトくんの方が全て優秀だとは言いません」

 

キッパリと宣言する明日奈の言葉に少しだけ和人の眉間に皺が寄る。けれど明日奈は気付く事なく緒ノ宮を真っ直ぐ見つめたままだ。

 

「自分を磨く努力を怠らない会長の強い意志や行動力は賞賛に値しますし尊敬もしますが、だからと言って必ず友情以上の感情を抱くとは限らないんです…………だって、好きになったら、きっとそういう物がなくても、もう、どうしようもないでしょう?」

 

今まで自分に想いを打ち明けてくれた女子は皆必ず緒ノ宮の容姿だったり、性格だったり、学校の成績だったりとそれまで自分が努力した結果に惹かれたと言ってくれていたのに、それが必要ない物のように感じた緒ノ宮はがっくりと肩を落とした。打ちのめされ、言葉もなく項垂れてしまった緒ノ宮に明日奈の優しげな声が響いてくる。

 

「大丈夫です、会長。なりたい自分になる為に磨き続けて下さい。そういう所が緒ノ宮会長らしさなんだと思います」

「僕……らしさ?」

「ええ。今まで頑張ってきたんですから。自分が進みたい道を進むために」

「う、ん…………うん、そうだな。結城さんとはひとまず友情を続ける事にして……」

 

どうやら納得の方向に収まりつつある緒ノ宮の見て、和人は小声で「ひとまずってなんだよ」と不機嫌な声を漏らすが、ぎゅっ、と明日奈に腕を引かれて口を閉じた。

 

「では緒ノ宮会長、先にカフェテリアに行っててください。ここを少し片付けてから私達もすぐに向かいます」

 

場所はわかりますか?、と聞かれた緒ノ宮は素直に「ああ、わかる」と答えたがまだショックが抜け切れていないのだろう、幾分ふらつきながらライブラリーを出て行く。その後ろ姿が完全に消えたところで和人と明日奈はそろって大きく息を吐いた。

未だ自分の後ろにひっついている明日奈に向かい和人が首を巡らせて「アスナ」と呼びかければ、彼女は途端に背筋をピンッと伸ばし、慌てて「ごめんね」と謝ってくる。

 

「別にキリトくんを侮辱したつもりはないんだけどっ」

 

どうやら先程の、和人が緒ノ宮より優秀ではない発言で気を悪くさせたのだと思っている明日奈は懸命に言葉を重ねるが、それに対して和人はゆるく頭を振った。

 

「そうじゃなくて、本当に大丈夫なのか?」

「え?」

「手、震えてる……」

 

自分の腕を掴んでいる白くて細い手が小刻みに揺れている事を視線を落とすことで指摘した和人は明日奈に向き直り、その手をゆっくりとはがして今度は明日奈ごと包み込む。和人の胸元に頬をすり寄せた明日奈は嗅ぎ慣れた匂いに安堵して「うん、大丈夫」と暗示ではなく心からの言葉を告げた。

ゆるく抱きしめてみて本当に震えているのは手だけなんだと確認した和人だったが、それでも問いかけずにはいられない。

 

「アイツに何かされたわけじゃないんだな?」

「二人きりになった時はちょっと驚いたけど、緒ノ宮会長、真っ直ぐな人だから。本当に話をしてただけ」

「こんな事になるなら傍を離れるんじゃなかった」

「あら、見学に来られた皆さんを案内している間、『桐ヶ谷くん』はずっと退屈そうに見えたけど?」

「退屈じゃなくて、アスナのこと『結城さん』って呼ばなきゃいけないのが嫌だったんだよ」

「仕方ないでしょ?…他校の生徒の前なんだし」

 

加えて今日、訪問者の対応で登校している生徒達には名字を呼び合うようにと学校側から指示が出ている。明日奈の場合は本名でもあるわけだが、緒ノ宮に話した通り校内ではキャラネームで呼ばれている生徒もいる為、デスゲームでの情報を無闇に漏らさない対策だろう。

 

「私はちょっと新鮮で楽しいけどなぁ、『桐ヶ谷くん』って呼ぶの」

「オレは出会ってからずっと『アスナ』って呼んでるから……なんか他人行儀って言うか……」

 

実際他人なのだが、そう思ってくれると言うことは既に和人にとって自分は身内同然の存在なのだと感じた明日奈の口元が嬉しげに緩む。いつの間にか手の震えも収まっていた。

 

「それはそうと、あの鍵、どうしよっか……」

 

和人の腕の中に収まりながら、そろりと視線を流せば開け放たれたままの扉の縁に項垂れたようにひしゃげた鍵の一部がぶら下がっているのが見える。明日奈に言われて同じように自分のしでかした結果を視界の端に収めた和人は予想される反応を見越して、今度はギュッと力強く押さえつけるように腕に力を込めた。

 

「うん、この校舎、古いもんなぁ」

「え!?、ちょっ、ちょっとっ、キリトくんっ、何言って……」

「ここの鍵もネジが緩んでたんだろうなぁ」

「ネジ云々の状態じゃないじゃないっ」

「まあまあ、後でオレがちゃんと付け替えておくから」

 

校舎内の機器修繕の経験がある和人は備品のありかも把握済みだ。これ以上は何を言っても無駄だと悟った明日奈は抵抗を諦め、最後に「忘れないでね」とだけ釘を刺して話を切り替える。

 

「それじゃあ、そろそろ私達もカフェテリアに行きましょうか?、桐ヶ谷くん」

「へーい、そうですね、結城さん」

 

見上げるようにして自分に向かい笑いかけてくる明日奈に対し、一気にうんざりとした表情に転じた和人は脱力ついでに、コツンとおでこを突き合わせたのだった。




お読みいただき、有り難うございました。
そして、今年も一年お付き合いいただき、有り難うございました。
また来年も宜しくお願いします。

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