ソードアート・オンライン《かさなる手、つながる想い》   作:ほしな まつり

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『その先の約束(みらい)』を迎えるまでのメインの二人と、そうでない方々のお話です。
【番外編】ということで今回の語り手はあのお方がいきなりの大抜擢。
結城家の皆様、オールキャストでご登場いただき感謝・感激です。


【番外編】ふたりの約束(みらい)

我が家の応接室では沈黙が続いていた。

俺、「結城浩一郎」の隣には父の「彰三」がソファにゆったりと座り、目を閉じている。

センターテーブルを挟んで、父の向かいに腰を下ろしているのは、珍しく、なのだろう、

お世辞にも着慣れているとは言えないスーツ姿の「桐ヶ谷和人」君が緊張した面持ちで背筋を

伸ばしていた。

 

コンッ、コンッ

 

その沈黙を破るようにノックの音がし、続いて妹の「明日奈」が「失礼します」と言って、盆に

茶器を乗せ入室してくる。

家の近くの公園あたりで待ち合わせていたのか、十五分程前に「ちょっと迎えに行って来ます」と

告げて家を出た明日奈は、ほどなくして桐ヶ谷君を伴い戻ってきた。

そのまま予定通りに彼を応接室に通し、オレは書斎にいた父に声をかけ、二人揃ってこの部屋に

入り着座したのだが……部屋に入った時、桐ヶ谷君は立ち上がり「お邪魔しています」と

頭を下げ、それに対して父が「まあまあ、座って」と座を勧めたきりの状態が今も続いている。

お互い何のためにここにいるのかはわかりきっているはずで……一体いつまでこの沈黙が続くの

だろうか。

俺は密かに小さく溜め息を漏らした。

 

 

 

 

 

昨晩、珍しくリビングで酒を飲んでいる父に声をかけられた。

「お前も一緒に飲まないか」と。

翌日の事を思うと、酒でも飲まなければやっていられないのだろうと考え、素直に父の

誘いにのった。変に気を遣って関係ない話題を持ち出す気にもなれず、しばらくは互いに

無言で飲んでいたのだが、父がポツリと漏らした。

 

「もう、随分と前から明日奈は桐ヶ谷君に持って行かれたようなものだがなぁ」

 

「持っていかれた」という表現を聞いて、この人も娘を持つ父なのだな、と内心苦笑して

しまった。

高校を出た後の明日奈は、自分の意志でもあったがアメリカまで桐ヶ谷君について行き、

帰国後はこの自宅で暮らしていた。時間が許す限り彼とは現実でも仮想でも行動を共に

しているらしい。

遅かれ早かれ、その日が来るのは父も母もわかっていたことだろう。

 

「明日だけど、俺も同席していいんですか?」

「ああ、構わんさ。明日奈が言っていたが、出来るならお前も一緒に、と言うのが桐ヶ谷君の

希望だそうだ。あいにくと京子がいないしな」

 

そうなのだ。我が家は父と母が揃って家にいる時間がほとんどない。父と母の予定を合わせ、

そこに桐ヶ谷君と明日奈の予定も合わせるのは不可能に近かった。

あまり先延ばしに出来る話でもないことは、母も見越していたのだろう。ここ数日仕事の為に

母は家を空けているが、逆に明日は父が半日家に居られる貴重な日という事で、母の了解を

得て、明日、桐ヶ谷君が来訪することになっている。

 

「……父さんだって、わかっていたでしょう」

 

見れば、先ほどからグラスの中身が全く減っていない。

 

「わかっては……いたが……いよいよ印籠を渡される気分だ」

 

そう言いざま、一気にグラスの中身を口に流し込んだ。

 

「なら、お酒はそれくらいにして、明日になって体調不良で桐ヶ谷君には会えない、なんて

言ったら明日奈に怒られますよ」

 

グラスを父の手から奪いテーブルに置き「さあ、もう寝ましょう」と言って父の腕を取り

寝室まで付き添った。

 

 

 

 

 

明日奈がまず客人である桐ヶ谷君へと茶菓を供している間、俺はちらりと父の様子を伺う。

どうやら昨晩の酒が残っていて気分が悪い、というわけでもなさそうだ。単にこの後の

展開を出来るだけ先延ばしにしたいがためのだんまりだろう。

この調子では数ヶ月後に執り行われるであろう式まで、ちゃんと出来るのだろうか。

社会人としての父は素直に尊敬すべき人物だが、父親となると、その姿には不安を覚える。

今日はたまたま俺が休みをとっていたからいいものの、これは一回母と相談しておいた方が

よいのでは……と思案している間に、俺の前にも茶菓が置かれ、明日奈が盆を小脇にして

一時退座すべく一歩下がった時、桐ヶ谷君が小声で「明日奈」とやさしく妹の名を呼んだ。

空いている自分の隣の席をトントンと軽く指で叩く。

今でもそんな風に妹の名を呼んでくれている事に胸が温かくなった。

明日奈は少し恥ずかしそうに頬を染めながらも、微笑んで招かれた場所に腰をおろす。

その様子を僅かに笑みを浮かべながら見ていた桐ヶ谷君は、明日奈が落ち着いたのを

確認して口元を引き締めた。

 

「本日はお忙しいところ、お時間を作っていただき、有り難うございます」

 

桐ヶ谷君が頭を下げるのとほぼ同時に明日奈も頭を下げる。

父が覚悟を決めたように黙ったまま目を開けた。

室内に緊張が満ちる。

俺は桐ヶ谷君に初めて会った時の事を思い出していた。

 

 

 

 

 

『SAO事件』が起きて二年以上、鋼鉄の城に囚われていたプレイヤー達が解放されてもなお、

約三〇〇人が目を覚まさぬままの不可解な状態が二ヶ月程続いていた二〇二五年一月……

俺は父を乗せて明日奈が入院している所沢の病院へと夜中に車を走らせていた。

病院から父の携帯端末に、明日奈が目をさました、と連絡があったからだ。

とほぼ同時に警察からは父が後見人をしている須郷伸之が逮捕されたという連絡も入っていた。

奇しくも須郷が逮捕された場所は明日奈の病院の駐車場ということで、車が病院に着いた後、

父は俺に先に明日奈の病室に行くよう指示をだしてから事件現場に向かった。

 

病室に入り、カーテンをそっと引くと……病院からの連絡は間違いだったのでは、と

思わせるほど明日奈は静かに眠っていた。

しかし、枕の上には何の拘束もない丁寧にケアされた栗色の髪のみが広がっている。

思わず駆け寄ると、その足音に反応して明日奈のベッドの横に腰を掛け、ベッドの端に頭を

乗せていた少年がおもむろに顔をあげた。

眠っていたのだろうか、何回か目をしばたたかせると驚いたように「誰ですか?」と尋ねて

くる。

こちらも驚いて「あ……明日奈の兄ですが」と答えると、ホッと安心したような表情になり、

立ち上がった。いや、正確には立ち上がろうとして、出来なかった。

彼の右手がベッドから離れず、かくんっ、と身体が傾いたのに自ら驚いて、その手に視線を

落とす。同時に俺も彼の手を見つめると……そこにはしっかりと繋がれた明日奈の左手があった。

この二年以上、ただベッドの上に力なく投げ出されていた手とは違う、その意志を感じる

仕草を見て俺は震えながら妹の傍に駆け寄った。

 

「……明日奈、……明日奈っ」

 

俺の様子を見て、慌てたように彼が言葉をかけてくる。

 

「あの、まだ耳がよく聞こえてないので……」

 

そう言って、妹と繋がっているその手に少し力を込め、軽く揺さぶった。そして俺には

「聞こえていない」と言ったにも関わらず「明日奈」と囁く。

俺より小さな声で妹の名を口にするその声は……大事な宝物をそっと優しく撫でる

ようだった。

手からのぬくもりとその声に導かれるように明日奈が身じろぐ。

ゆっくりと瞼が開き、ぱちぱちと睫毛を震わせる。ぼんやりとした表情が俺を認めた途端、

瞳に光が宿った。

 

「明日奈……」

「兄さん……」

 

ゆっくりと微笑みながら紡いだ小さくてたどたどしい声が耳に届く。

 

「ずっと……ナーヴギアを独り占めして……ごめんなさい」

「……明日奈……本当だよ、俺がどれだけお前に見せるんじゃなかったって後悔したか……」

 

例え明日奈の耳が聞き取れていなくとも、言葉は溢れてきた。

その後、担当医と共に病室に入ってきた父に、彼を紹介されたのが最初の出会いだったのだ。

 

 

 

 

 

「オレ……いえ、ボクは今の研修期間が終われば半年後には洋上の研究室での勤務が

決まっています。居住地も同じ施設内になります」

 

暗に洋上の施設名を伏せたまま桐ヶ谷君は話をしていたが、父もオレもそれが何を指して

いるのかはわかっていた。だが、あえて口を挟むことはしない。

 

「そこで始まるこれからを、明日奈……さんと一緒に歩んでいきたいんです」

 

……あの言葉が、ついにここまでたどり着いたんだな……と思った。

 

 

 

 

 

次に俺が桐ヶ谷君に会ったのは……明日奈に転院の話をした時だ。

桐ヶ谷君は明日奈が目覚める前から随分と足繁く見舞いに通ってくれていたそうだが、

俺は仕事があった為、そう度々病院を訪れることは出来なかった。

病院が都内ではなく所沢という場所なのも理由の一つにあっただろう。

明日奈が《現実世界》に生還して十日ほどが過ぎた頃、俺は時間を作って一人で明日奈の

病室を訪れていた。

《SAO事件》が起こった当初、明日奈は東京の自宅に近い病院に入院させるつもりでいた。

しかし当時、父と繋がりのある病院は個室が空いておらず、やむを得ずこの病院に

運んだわけなのだが、意識が戻った今、出来るだけ近くに、というのが両親の希望だった。

多忙な両親に代わり俺が転院の話をしに来たのだが、その話をした途端、妹は激しく首を横に

振った。

 

「絶対にイヤ……ここの先生やナースさん達とも折角仲良くなったのに……」

「……お前が嫌がる本当の理由は、桐ヶ谷君との距離が離れるからじゃないのか?……

彼に甘えてばかりはダメだ」

 

ベッドの上で半身を起こした姿勢の明日奈は折れそうな細い指で布団を固く握り締めたまま

黙ってしまった。図星だったか……と思い、少し可愛そうな気持ちになるが、最も重要な

転院の理由を告げる。

 

「お前は知らないだろうが『アーガス』から『SAOサーバ』の管理を引き継いだ

『レクト』のCEOの娘が『SAO事件』の被害者だって事がマスコミにバレてる。

未だにお前の姿を追っている記者がいるんだよ。ここじゃなくて、もっと管理や警備の

しっかりした病院に移った方がお前も安全なんだ」

「……警備が厳重の?」

「ああ、そうだ。外から誰にも見られないし、お前がいるって知られることもない」

「……また……私を……閉じ込めるの?」

「!?」

 

明日奈の瞳からポロポロと涙があふれ出した途端に両手で耳を塞ぎ「イヤッ、イヤッ」と全身で

拒否反応を示す。激しく上身体を左右に揺するのにあわせ、栗色の長い髪が広がった。何度も

繰り返し続ける否定の言葉は嗚咽で乱れ、布団の中で折り曲げた膝はガクガクと痙攣を

起こしている。

ほとんどパニック状態だ。俺は慌てて明日奈の両肩を押さえた。

 

「落ち着け、明日奈」

「イヤッ、もう一人は……イヤ……」

 

俺の腕を振り払い、何かを求めるように片手を伸ばす。

 

「助けて……キリトくん……」

「アスナッ」

 

いつの間に病室に来ていたのか、桐ヶ谷君がカーテンの向こうから飛び出し、明日奈に

向かってその手をつかもうと自らの手を伸ばした。しかし二人の手が繋がる前に明日奈が

急に声を詰まらせ、胸元を掴んで身体を屈する。桐ヶ谷君は折れるように倒れ込む

明日奈を片手で支えると、もう一方の手で素早くナースコールのボタンを押した。

すぐさま『結城さん、どうされました?』と応答が入る。

彼が緊迫した面持ちながらも、冷静に状況を伝えた。

 

「すみません、興奮して、胸部に痛みを訴えています」

『すぐに行きますっ』

「明日奈、オレに体重かけて、ゆっくり息して……大丈夫、一人にはしないから」

 

そう言われても明日奈は前屈みの体勢のまま、時折呼吸を止め、耐えられなくなると

ハァッ、ハァッと短い息を連続で押し出し、また呼吸を止める、を繰り返していた。

 

「明日奈、痛くても呼吸をしてくれ。止めると負荷がかかる」

 

泣いているのか?、と思わせるほど悲痛な声で言葉をかけながら明日奈の背中をさする。

明日奈も彼の腕にもたれたまま、なんとか頷いて理解を示していたが、垂れた髪のせいで

その表情は読み取れず、痙攣は全身に広がっていた。

俺は振り払われた状態のまま、目の前の二人をただ見つめることしか出来ずにいる。

すぐさま医師とナースがやってきて、明日奈に処置を始めたところで俺は呪縛が解けた

ように意識を持ち直し、心配そうにしている桐ヶ谷君の腕をつかんで病室の端まで

連れていった。

俺も彼もしばらく落ち着きなく明日奈への処置を見ていたが、妹に触れていた医師達の

手が引いていくのと同時に彼女の呼吸が整えられていくのを見て、ひと安心とばかりに

ほぼ同時に長く息を吐き出し、肩をおろす。

偶然にも同じ動作をした俺に気づいた桐ヶ谷君が話しかけてきた。

 

「よかった。落ち着いたみたいですね……すみません、立ち聞きするつもりはなかったん

ですが……」

「その前に、さっきは有り難う。それと立ち聞きの事は気にしないでくれ、どのみち君にも

話さなければならない事だ」

「……あの、転院は……決まった話、ですか?」

「うちの親の中では決定事項だね」

「それは、結城さんの為にも賛成しかねます」

 

処置を終え、鎮静剤が効いて眠った明日奈を確認してから医師達が退出する。一人残って

いた担当ナースが電子カルテを両手に抱えたまま話に割り込んできた。少し怒ったように俺達に

近づいてくる。

 

「結城さん、今回みたいにパニック障害を起こすの、初めてではないんです」

 

その言葉を聞いて俺も隣の彼も息をのんだ。

 

「夜になると、時々こんな風に……まだ内臓の機能は弱ったままなので心臓や肺への過度の

負担は痛みを引き起こします。発見が遅れれば一大事になるんです。結城さんは何度も

『一人にしないで』ってうなされてました。こんな状態の結城さんの転院は危険です」

「なら、なおのこと二十四時間完全管理の病院に移した方が安全じゃないのか?」

「それでは根本的な解決になりません。結城さん……彼がお見舞いに来てくれた夜は

ちゃんと眠れるんです。安心した寝顔で……私達ナースが嬉しくなるような寝顔なんです」

 

若いナースは一瞬、視線を桐ヶ谷君に向け微笑んだが、すぐさま俺を睨んでくる。

桐ヶ谷君が再び俺に向き直った。

 

「明日奈は一度だってさっきみたいに『一人にしないで』とオレを頼った事はありません。

自分一人だけが意識を持ち、囚われていた《あの世界》で……多分、ずっと言いたかった

言葉なんです。それを今まで我慢して……」

「そうですっ。パニック障害の事も、彼が来てくれれば眠れる事も、絶対に内緒にして

おいて欲しいって、一人で頑張って……」

 

二人がオレに詰め寄ってきた。しかしそう簡単に譲るわけにはいかない。

 

「なら、今、君はその内緒事を俺達に漏らしてる、という事だな。そんな病院にいたら

マスコミに嗅ぎつけられるのも時間の問題だ」

「それはっ……」

 

一瞬言いよどんだナースが僅かな逡巡の後、表情を和らげた。

 

「私の弟も『SAO事件』の被害者なんです。去年の末にやっと戻ってきて。それで

弟が言うには《あの世界》でとっても可愛いアイドルみたいな女の子の剣士がいたって。

強くて、みんなの憧れで、彼女がいてくれればいつか現実に戻れるんじゃないかって

希望を持たせてくれた、そんな存在で……笑っちゃいますよね、こっちは毎日心配ばかり

してたっていうのに、弟は《あの世界》でアイドルの追っかけしてたんですよ。でも、

その子のお陰で弟は自殺するのを思いとどまったんです。だったら少しくらい恩返し

したいじゃないですか」

 

本名をキャラネームに使った妹のゲーム初心者ならではの所業も意外なところで味方を

増やすんだな……と思いながら俺は肩の力を抜いた。

 

「わかったよ。まぁ……無理矢理転院させて毎日泣き暮らされても困るし。でも万が

一にでも明日奈の存在が外部に知られたら、その時は妹の意志は関係なく転院させる」

「あ……有り難うございますっ」

 

ナースは勢いよく深々と一礼するともう一度明日奈の様子を確認してから退室した。

ホッとした声が隣からも向けられる。

 

「有り難うございます」

「君から礼を言われるのも……ちょっと複雑な気分だな」

 

揶揄するように返せば、すぐさまトーンの落ちた声で「すみません」と詫びてきた。

あのゲームをクリアした英雄と聞いていたが、意外にも内気な性格らしい。

先ほどの明日奈への対応とはまた印象が違う。

 

「でも、明日奈の転院と君との関係は別問題だよ。父から聞いたけど《あの世界》で

妹と一緒に暮らしていたからといって、その関係が現実でも許されるとは思わないで欲しい。

ゲームの世界はあくまでもゲームだ。これから君も明日奈も現実で生きていく。

ゲームクリアというひとつの目標に向かってみんなが暮らしている世界ではなく、ね。

それぞれが自分の目標を持つだろう。そこに向かって色々な経験をして色々な出会いが

ある……言いたい事、わかるかな?」

「はい」

「妹もそれがわかっているから、君に全てを打ち明けなかったんだろう」

「……それは、違うと思います」

 

それまで俺の話を静かに受け入れていた桐ヶ谷君がハッキリと言い放つ。

 

「彼女の思いは違うと思います。彼女はオレなんかよりずっと強いから……。でも

その強さの裏には脆い部分もあって。オレは彼女のそんなところを守れるように

なりたいんです……今はまだ何を言っても信じてはもらえないと思いますが……いつか、

必ず《この世界》でも同じ道を歩んでいけるようにしてみせます」

 

真摯な眼差しに気圧されそうになった。まだ少年と言える容貌の彼がなぜそこまで強く

いられるのか。単に現実を知らないだけなのか……それならそれで、その時を見てみたい、と

思った。それでもなお、彼は妹の手を離さずにいられるのだろうか。

賭け……とも言えよう。

親が知ったら大激怒だな、と思う。それでも今の明日奈には彼が必要なのだ。

 

「とりあえず、俺はこれから両親を説得するよ、明日奈のためにね。君の言う『いつか』が

くるのだとしたら……とても楽しみだ」

 

 

 

 

 

「お嬢さんを……明日奈さんを……オレに……ください」

 

あの時と同じ深黒の瞳から熱誠の眼差しが父に向けられた。

黙していた父が大きくひとつ息を吐く。

 

「……もう、明日奈はほとんど君のものじゃないか。それが……完全に私の手から

離れるのだな……」

 

隣で居住まいを正す姿を見て、俺も軽く座り直し改めて彼を見つめた。

 

「桐ヶ谷君、娘を……明日奈をよろしく頼みます」

 

 

 

 

 

…………五ヶ月後…………

 

ホテル内の教会で誓いの儀式を終え、明日奈と桐ヶ谷君は庭園に移動した。

その間に親族はホテルへと戻り集合写真を撮るまでの間、思い思いの時間を過ごしている。

四半刻程前に見たウエディングドレス姿を思い返し、我が妹ながら……という身内贔屓が

あるのは自覚しているが、桐ヶ谷君の隣で彼女はとても綺麗だった。

 

「桐ヶ谷家、結城家のご親族の皆様、お集まり下さい」

 

スタッフの声に反応して散在している両家の家族・親類が集まってくる。

改めて京都の結城本家から足を運んでくれた親戚に頭を下げていると、母が早足に近づいて

きた。

 

「ちょっと、浩一郎」

 

軽く腕を引っ張ってくる。親戚に軽く会釈をしてから、二人で廊下の隅に移動すると、

母は笑顔ひとつなくイライラと眉を寄せていた。

 

「どうしたんですか?」

 

そう問うと、素早く周囲を見回してから声を潜ませ顔を寄せてくる。

 

「彰三さんが……」

「父さんが?」

「……トイレに籠もってるのよ」

「は?」

 

何の聞き間違いかと思ったが、隣の母はやれやれと言った風に額に手を当てて、頭を

振っている。

 

「教会で明日奈の姿を見て感極まったのか、さっきから出てこないの。ちょっと

様子を見てきてちょうだい。私はスタッフに話してくるから」

 

そう言って「後は全て頼んだわよ」の意味だろう、俺の腕をポンポンと叩くと、すぐさま

スタッフの元へと行ってしまった。

はぁーっ、とひと息吐き出さずにはいられない。

やはり最後の最後でこうきたか、と五ヶ月前の予感めいたものを思い出す。

主役の明日奈達をそうそう待たせるわけにもいかないだろう。

俺は急いで男性トイレへと踏み出した。

 

 




お読みいただき、有り難うございました。
『たどり着いた約束(みらい)』で、スタッフのインカムに入った指示の原因が書けてスッキリ
しました。それにしても「オレに……ください」は予想以上に重かったです。和人も真剣なあまり
一人称が「オレ」に戻っちゃってますね。
和人の勤務地が「洋上」なのは、今回のみの暫定的な(私的)設定です。「洋上」だと色々
縛りが出るので今後、自分の首を絞めかねませんから。でも一番説得力があるので使って
しまいました。
では、次回はイレギュラーですが珍しく年中イベントものを時期に合わせて十月末にお届け
出来れば、と思っています(というか、しないと一年寝かせることになってしまう……
間に合わせます……きっと)

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