ソードアート・オンライン《かさなる手、つながる想い》   作:ほしな まつり

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ご本家(原作)さまの24巻の発売を祝しまして
【いつもの二人】シリーズを今回はキリト視点でお届けしたいと思います。


【いつもの二人】赤と白

パチパチ、と数回瞬きを繰り返して視界をクリアーにすると周囲の様子が霧が晴れたように鮮明になる。

今までに何百回も…もしくは何千回かもしれない、この感覚を経験している身としては何の問題も無いはずなのに、視覚が認識する周囲の景色からもたらされた驚きと混乱にオレは思わず「ぅぇっ!?」と小さな声を漏らしてしまった。

いつもなら《ALO》にログインしたオレの目に映る最初の景色は二十二層のログハウス内のリビングで……アスナと二人でもう一度あの家を購入した後、ログイン時の基本設定にしているからだ……それなのに今、オレの足は木製の床ではなく地面を踏みしめ、左右に首を振れば舗装すらされていない、いわゆる田舎道が延びていて、ついでに言うとNPCはもちろんプレイヤーらしき人影すら存在していない。けれど「ココハドコナンダ?」というお決まりの台詞を吐く前にオレは見覚えのある針葉樹を見つけて自分の現在位置を把握した。

ログハウスと同様に新生アインクラッドでも記憶通りに再生されている杉の木のような大木の根っこにはやはりうっすらとした細い道が分岐している。

やっぱり……ここはログハウスに通じる道だ。

自分の意識がデスゲームの世界に囚われて半年ほどが経った頃、まさかその一年半後に新婚生活を送ることになる家がこの先にあるなんて夢にも思わず、単に好奇心の赴くまま足を踏み入れた道の始まり。《ALO》に新生アインクラッドの二十二層が実装された後はログハウスに直接ログインするか、飛んで行くかだったから道の存在すら忘れかけていたが、この道もちゃんと復元されてたんだなぁ、と思うと様々な感情がわき上がる。

けれど、いくらオレが常日頃からアスナに「うっかりさん」だの「ぼんやりさん」と評されていても今の状況を「ま、いっか」ととらえる程脳みそ日向ぼっこ状態ではない。

この前アスナは『美味しそうなリンゴが売ってたの』と腕にかかえた何個かの真っ赤なリンゴを見せてくれて『何を作るんです?』とうずうずしているオレに得意気に笑い『リンゴ煮とカスタードソースを挟んだミルフィーユにしようかな?』と教えてくれたのだ。

《現実世界》ではもちろん、《こっちの世界》でもお菓子作りはかなり高度な料理スキルが求められる。

ミルフィーユの作り方など当然知らないオレだが出来上がりの繊細な感じから作業工程が大変なのは想像出来た。だから今日はアスナがそのミルフィーユを作ってくれる日で、オレは大変心待ちにしていたと言うのにログハウスにログイン出来ないなんてどこのゲームの神様の悪戯なのか、それともカーディナル・システムの気まぐれと言うべきか……。

とにかくこんな場所でのんびりしている余裕はない。

一刻も早くログハウスに向かわなくてはっ、とオレはロングコートは裾をはためかせ懐かしきその道を駆け出した。

 

 

 

 

 

道の周囲もあの頃のままで、あの二週間の間に何度かアスナと手を繋いで往復したなぁ、という感慨は視線の先に現れた見慣れない箱によって消し去られる。道脇の草むらに置かれているのは一点の曇りもないガラス製の大きな箱。蓋はないが壁面が周囲の景色や陽光を反射して中身が見えづらい。

しかしオレはその箱の中身よりもその周囲にうずくまっている数名の人影に気付き、走る速度を落とした。

この場所をアスナとの新婚生活の場に選んだのは強大なモンスターがポップせず、訪れるプレイヤーもほとんど居ないからだ。時折釣り師(フィッシャーマン)を見かけるものの、それは湖畔限定だし森に入ってくる木工細工師(ウッドクラフター)も一人か、多くて二、三人で行動しているのが常だ。それなのにガラスの箱の傍にいるのがNPCなのかプレイヤーなのかは判断ではないが少なくとも五人以上はいる。そいつらが全員ガラス箱を取り囲んで草むらの上に座り込み、中身を覗き込んでいるとわかったのはオレの足が既に駆け足から忍び足に変わった頃だった。

それでも隠蔽スキルを使用していたわけではないから静かに近づくオレの気配に気付いた一人が顔を上げる……と、オレもそいつの顔を見て、オレ達は同じような表情で互いに見つめ合い、そして互いの名前の二文字を口にした。

 

「佐々……」

「カズ……」

 

は?、なんで?、どうしてここに佐々井がいるんだ?

頭の中がハテナマークで埋め尽くされる。パニックを起こしている自覚はあるのにそれを当然と受け止めている自分もいて「ああ、そうか」と遅れて理解が追いついた。

帰還者学校の生徒は全員《SAO》のアカウントを持っている元プレイヤーなんだからクラインやエギルのようにそのままステータス移行によって《ALO》でも《現実世界》の容姿のキャラ設定が可能になる。ならここでは……

 

「コトハ…って呼ぶべきなのか?」

「うわーっ、なんか違和感しかないっ。えっ?、なに?、じゃあ俺も……キリト?」

 

なるほど、確かにもの凄い違和感だ。

《仮想世界》に限らず今や《現実世界》でもオレの事を「キリト」と呼ぶ人間の方が圧倒的に多いせいか……この名を一番口にしてくれる人物は両方の世界で同じ名前なので全く違和感がないのが今は心底羨ましい……逆に本名からの呼称でしかオレを呼んだ事の無い学校の友人からいきなり「キリト」と呼ばれるとどうにもむず痒さがこみ上げてくる。

 

「いや、出来たら今だけでも『カズ』呼びで……」

「うん、俺も『佐々』でいーわ……って、そんな事言ってる場合じゃなかったっ、カズっ、姫っ、姫がっっ」

 

姫?、佐々が姫と呼ぶ人物と言えばアスナしかいないわけで、再びガラスの箱の縁を両手で握りしめ、中を覗き込んでいる佐々につられるように、それこそこんな森の中では違和感しかない箱の中身に視線を移動させるとそこには……

 

「……アスナっ!?」

 

妙な既視感がオレを襲う。

規格外の美しさと真っ直ぐな清らかさを放ちながら静かに眠り続けている少女はアスナに間違いない。

眠っているとわかるのは白磁の肌にほんのりと色づいている頬、ふっくらと柔らかな唇に長い睫毛、光の加減によっては飴色にも見える栗色の髪が眩しいほど生命力を放っていて、純白の薄衣を纏っていてもわかる綺麗な曲線の胸元が規則正しい上下運動を繰り返しているからだ。

その光景が《現実世界》のあの病室で彼女の手を握る事しか出来ない無力さを味わい続けた記憶と重なって、息を呑む。

けれどその胸元から下に視線を流すと腹部に乗っているアスナの両手は血のように真っ赤なリンゴを握っていて、そこには一口囓った痕跡が残っている。

 

「リンゴ?」

 

途端にオレの思考は連想ゲームよろしく「リンゴのミルフィーユ」を思い浮かべるが、それを踏み倒す勢いで佐々が泣きわめいた。

 

「カズーっ、どうしようっっ。姫が俺達の知らない間に毒リンゴ食べちゃったよー」

「は?、毒リンゴ?……って事は、麻痺毒状態っなのか?。それならポーションを飲ませるか、ほっといても少し待てば回復するだろ?」

 

確かに麻痺状態で動けない間に危害を加えられる危険性は軽視できないが、だからってわざわざ棺みたいな箱に入れる必要はないと思うし、それよりも気になるのは佐々が言った「俺達の知らない間」という意味だ。

 

「大体お前、どうしてこの場所を知ってるんだよ。アスナに聞いたのか?」

 

佐々井と明日奈は学校でオレを通じて多少の交流はあるようだから二十二層のログハウスの存在を聞かされていても不思議はないのだが、それだったらアスナの性格上、オレに話すだろうし……何よりアスナが無警戒に麻痺毒のリンゴを食べてしまったというならオレこそが「知らない間に」と言っていい立場だろう。

だが、佐々はオレの質問にキョトンとした顔をしてから少し偉そうに胸を張った。

 

「ふふんっ、俺達七人はな、姫と一緒にこの森で暮らしてるのさっ」

「はあ?」

 

待て、待て、待て……ここでアスナと一緒に暮らしていたのはオレのはずで、それだってこの城からログアウト出来ない時の話で、それに七人って…………そう思って見れば佐々と同じように箱にしがみついている何人かに見覚えがあって、オレはその正体を確かめるべくゆっくりと口を開いた。

 

「佐々、お前達七人のメンバー構成って……」

「モチロン、姫のファンクラブ会員だっ」

「それで、アスナがお前達と暮らすようになったきっかけは?」

「なんかなー、姫ってば母親とケンカしてお城を飛び出てきたらしいんだ。そんで元々この森にいた俺達と出会ったんだよなー」

 

その答えでオレは一つの仮説に辿り着く。

 

「ちなみに、佐々、お前の誕生日は?」

「……そんなん教えられっかよー」

 

本物の佐々なら喜んでオレに誕生日を教えただろう。更に「何?、なんかくれんの?、何がいっかなぁ」くらいの事は言ってのけるヤツだ。それなのに自分の誕生日をはぐらかす意味は…………知らないのだ、自分の誕生日を……それは、オレが佐々の誕生日を知らないから。

要するに、ここは進行中のクエストの一場面であり、登場人物はオレの知識を投影したキャラ設定になっているらしい。当然、アスナも佐々もファンクラブの面々もオレの頭の中から引っ張り出された情報を元に出来上がっているただの幻影なのだ。

一体、いつ、何をきっかけに始まったのかは分からないが、このクエストの元ネタはだいたい想像がついた。

森の中で眠る「姫」とその周りでわちゃわちゃしている奴らが七人いるなら「白雪姫」……「姫」と言えばオレの中ではアスナ一択だし、アスナを「姫」と呼ぶ連中と言えば筆頭は佐々だから配役としては適任と言えよう。

だとすればガラスの棺の中のアスナを目覚めさせればクエスト終了か……と思った時、ふと、森の中で眠るのは「眠れる森の美女」もあったな、とかなり古い記憶が呼び起こされた。

小さい頃、母親に頼まれて留守番中のスグとその手の童話を何冊が読んだ思い出がある。

しかし、どちらも森の中で横たわっている「姫」という共通項以外オレの記憶力は定かではなく、蘇生方法の違いなんて全くわからない。ただ「リンゴ」が小道具として用いられるのは「白雪姫」だった……よな?、くらいの自信はある。

とりあえず深い眠りについている「お姫さま」を目覚めさせる方法が「解毒ポーションを飲ませる」でないことは確かだ。

物語の内容を思い出す気配すらないオレの焦りが移ったのか、佐々が痺れを切らしたように「あぁぁぅぅっ」と苛ついた声を上げた。

 

「俺達は早く森の奥に行かなきゃならないってのにっ」

 

どうやら佐々達は佐々達で他にやる事があるらしく、しきりにアスナとさっきまでオレが目指していた道の奥を交互に見比べている。

 

「森の奥に、何かあるのか?」

「オオカミがいるんだよ。真っ黒いヤツが一匹」

「オオカミ?……」

 

二十二層の森で大型獣の類いは見たことがなかったが、クエスト中ならポップするのかもしれない。アスナを目覚めさせる条件として、そのオオカミを倒す必要があるのだろうか?

でも「白雪姫」にオオカミなんて出てきたっけ?、と傾けた耳元に佐々は表情を険しくして顔を近づけてきた。

 

「実はな、カズ。この奥にある家にケープを被っている女の子がその黒いオオカミと一緒に住んでるんだ」

 

ケープ……ケープ……オレの知識や経験から言うなら「ケープ」と言えば「フーデッドケープ」なわけで、それを被っていた頃のアスナをオレはこっそり「《赤ずきんちゃん》時代」と呼んでいたのだが…………このクエストは「赤ずきんちゃん」も混じってるってわけか。

軽く溜め息混じりの息を吐きながらも、だけど待てよ?、と思う。「赤ずきんちゃん」では森の中の家に住んでいるのは彼女のおばあさんのはずだろう?。さすがにそのくらいの童話知識は持ち合わせている。

それなのに森の中で暮らしているのがケープを被っている少女となれば……それはアスナの可能性が高く、一緒に住んでる?、黒い?……あれ?

 

「オオカミと一緒に暮らすなんて、女の子がそのオオカミに食べられちゃうだろ?、でも姫もこのままにしておけないしっ。だから早く姫を起こさなきゃって、みんなで困ってたんだ」

「ちなみにこのお姫様を起こす方法は?」

「んーなのキスに決まってんだろ?、キスだよ、キッス!、唇にちゅっ、てすんだよっ……でもさ、姫にキスなんて、したいようなしちゃいけないような?、だからって誰かにどうぞ、って譲るのも悔しいしさ、結局俺達七人で誰が姫にキスするか、ずーっと決まんないんだけど、どうしたらいいと思う?、カズ」

「……誰もしなくていい。アスナとキスするのはオ…………」

 

 

 

 

 

「……トくん、キリトくんっ、キリトくんてば!……先に食べちゃうよ?」

 

少し拗ねたような呆れたような声はすっかり耳に馴染んだ口調で、その中に優しさを感じながらオレはゆっくりと瞼を押し上げた。

食べちゃう?……なにを?……それよりもアスナとキスって…………アスナにキスするのは…………

揺り椅子に身体を預けているオレの視界いっぱいに見えるのは鼻先が触れそうな距離にある大きな瑠璃色の瞳に真っ直ぐな鼻梁、そして僅かに突き出された艶やかな唇で、オレは何も考えず片手を持ち上げて彼女の後頭部に回し、その唇を引き寄せつつ自身も迎えに顎を上げれば「んッ!?」っと鼻にかかった吐息のような甘い声が耳を擽る。

よかった……誰にも先を越されなくて……これでアスナは眠りから目覚めて…………けれど睫毛さえ交差しそうな距離にあるアスナの瞳は既に目一杯見開かれていて、オレは「あれ?」と思いつつも抗いがたいその感触を貪り続けた。

佐々は「ちゅっ」とすればいいと言っていたが、瑞々しい弾力の心地よさにすぐには離れがたくなってしまう。アスナを知るまでは唇がこんなにも繊細に本能を揺さぶる感覚を拾う器官とは思いもよらなかった。

指先や手の平が彼女のきめ細やかさや柔らかさ、湿感、温もりを感じるのと同様に唇でも同じ快感を受け取れるとわかってからアスナと唇を重ねる頻度は増し、時間が長くなっている自覚はある。でもそれはオレだけの一方的な想いなんかじゃない事はアスナの反応からもわかっているので更に彼女を味わうべく舌先で唇のあわいを突こうとした時だ。抱き寄せていた手の力が知らないうちに緩んでいたらしい……すっ、と頭を引いてオレの腕の中から抜け出したアスナは、背筋をピンッと伸ばして腰に手を当てご立腹の体勢でオレを睨み付ける…………睨み付けてはいるが、その瞳はうるうると潤んでいるし、顔全体は真っ赤なので可愛いしかない。

 

「もうっ、いきなりどうしたの?!…ミルフィーユ、出来たから起こしたのにっ」

 

そうだった、リンゴのミルフィーユ……言われてようやく嗅覚を目覚めさせてみるが、今の今までアスナとほぼ密着状態だったから、彼女の残り香しかしない。

 

「うーん、ミルフィーユは食べたい。食べたいけど……」

 

幸にもこの世界の食べ物は耐久値が切れる寸前まで出来たて状態を保っていられるんだから……森の家に住んでいる《赤ずきんちゃん》は一緒に暮らしている《黒いオオカミ》に食べられちゃうらしいし……オレは勢いよく揺り椅子から立ち上がると《赤ずきんちゃん》ならぬアスナを抱き上げ「今はもっと食べたいものが」と呟いて奥の部屋へと運び込んだのだった。




お読みいただき、有り難うございました。
森の中にはいろんな童話の登場人物達が隠れ住んで(?)いるわけです。
ウラ話は15日にまとめます。

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