ソードアート・オンライン《かさなる手、つながる想い》   作:ほしな まつり

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帰還者学校に通っている頃のお話です。
雰囲気的には《現実世界》で同じ学校に通い始めて
半年以内くらいの感じで……。


言葉にして届けよう

放課後……一緒に帰る約束をしていた明日奈は急いで二人が待つ教室へと向かっていた。早足で目的の教室に近づき開いたままの扉に辿り着いて中を覗いたちょうどその時、明日奈に背を向けた位置で彼女を待っている和人と里香が並んで座っているのを見つけて、声を掛けようと口を開けばそれよりも先に和人の声が飛び込んできた。

 

「リズ…って可愛いよな」

 

えっ?……と一瞬で身体が凍り付く。

頭の中が真っ白になる、という表現があるが、今の明日奈の頭の中は白という色さえない虚無の空間だった。何もない空っぽの中を今聞いた和人の声だけがいつまでも残響となって消えずに彷徨っている。それをどう処理していいのかもわからないまま彼女は本能的に踵を返し、全速力でその場から逃げ出した。

 

 

 

 

 

 

可愛い……ちょうど今日のお昼休みに明日奈は自分に対してではなく、その言葉を聞いていた。

和人と一緒にお弁当を食べる日ではなかったので自分の教室で里香やクラスメイトの女子達と机を囲んでいた時。

『それにしても随分思い切ったわね』と里香が告げた先はサンドイッチを食べていた女生徒で、先週末までは明日奈ほどではないけれど、それでも胸元近くまであったセミロングヘアが今はバッサリとショートヘアになっていた。更にゆるふわパーマをかけた彼女は頬で揺れている毛先をくるんっ、と指先で遊んでから『うんっ』と嬉しそうに頷いたのだ。

 

『彼に相談したら「ショートも似合うんじゃないかな」って言ってくれたから』

 

すぐさま彼女の隣から『で、その彼氏にはもう見せたの?』の質問が滑り込んでくる。

 

『すぐに端末の画面越しに見せたよー』

『そしたら?』

『へへっ…「うん、やっぱり短いのも可愛い」っだって』

『うほっ、彼氏、大学生だっけ?』

『はぁー、「可愛い」なんて普通に言えるのはやっぱり年上の余裕ってやつ?』

 

すると里香が『年上だから、とは限らないんじゃない?』と食べかけのおにぎりを左右に振った。

 

『年上だって言わないヤツは言わないし、年下だって言うヤツは言うでしょ』

『それもそっか』

 

妙に納得した雰囲気が流れて話題は次へと移っていったのである。

 

 

 

 

 

「はいっ、やり直しっ。なんなのキリト、その無表情はっ」

「……いや、そうは言っても」

「だいたい隣にいる私に『可愛い』って言うのに、何で前向いたまんまなのよっ、顔見てないじゃないのっ」

「わざわざ見なくても顔は知ってるし……」

「そういう問題じゃないっ」

 

明日奈を待つ間、今日の昼休みの話題を思い出した里香が和人にした質問がきっかけで始まった訓練は難航を極めていた。

里香が予想した通り「普段から明日奈の事『可愛い』とか『綺麗』とか言ってあげてるの?」という問いに和人は鳩が豆鉄砲を食ったみたいな表情で固まり、さらーっ、と視線を逸らしたのである。

里香は気付いていたのだ、髪を切った級友がその髪型を彼氏から褒められた事を打ち明けた時、ほんの一瞬親友の表情が沈んだ事を。そして放課後、運良く和人と二人だけになったので聞いてみれば案の定である。

そこで明日奈が教室に戻ってくるまでに私で練習しなさい、と自分に「可愛い」を言うよう強要してみれば、どう見てもどう聞いても及第点にはほど遠い結果だったのだ。

 

「面と向かって言うの、苦手なんだよ」

 

ほとほと弱り切った声で和人が後頭部を掻いているがここで手心を加えるような里香ではない。

 

「面と向かって言わなきゃ誰に言ってるのかわかんないでしょーがっ」

「だいたい明日奈だったら『可愛い』なんて散々言われ慣れてるし……」

「ちょっとキリト…今…『明日奈だったら』って言ったわね」

「あ……」

 

他意のない言葉だったのは明白だが、捉えようによっては明日奈と里香の違いを表現したようにも聞こえてしまう事実に後から気付いた和人は口を「あ」の形で凍らせたまま言い訳も見つからずに里香からの冷たい視線を受け続けた。

数秒間和人を睨んでいた里香だったがまるっきりの嘘でもない為「はーっ」と深く息を吐き出す事で和人の失言を流す。

 

「わかってるわよ私だって。明日奈と二人で出掛けると周囲の視線はあの子に吸い寄せられて、その後に小さく『可愛い』とか『綺麗』って呟かれるのはお決まりだもの」

「そうそう、オレと一緒の時もそんな感じだし」

「だからよっ」

「へ?!」

 

そんな簡単な事もわからないの?、と言わんばかりの顔がズイッ、と寄ってくる。

 

「アンタだって、あのデスゲームをクリアした英雄って言われた事、ない?」

 

里香の問いかけに、僅かに和人の全身が強張った。彼の事を皮肉めいた声で「英雄くん」と呼んだ男の所行は忘れたくても忘れられないが、それは里香のあずかり知らない事なのですぐに表情を緩め少々芝居がかった仕草で「うーん」と考え込む。

 

「まあ、本当に数回、なら……」

「でしょ?…例えばそれが偶然《ALO》で出会った元《SAO》プレイヤーに言われるのとアスナに言われるの、どう?、同じ?」

 

今度は考える時間は一秒も必要としなかった。すぐに「同じじゃない」と答えてから実際に呼ばれたあの時に思いを馳せる。

『きみは私のヒーロー』……自分はひとりじゃ何も成せない鍍金の勇者だと思い知らされた心さえ彼女からの言葉だけで前向きになれるのだからその重みは絶大だ。なるほど、と内心で頷いていたのがバレたのか、里香が「やっとわかったか」と言いたげに呆れ顔を寄越す。

 

「だーかーらー、アンタがこの手の言葉を言うのに苦手意識があるとか言ってる場合じゃないのよっ。別に毎日言えって言ってるんじゃないんだからっ、他の男にアスナを取られてもいいのっ!」

「うぇっ!?」

 

明日奈が他の男に言い寄られるのをある程度黙認しているのは彼女の心が簡単には揺らがないと信じているからで、「可愛い」や「綺麗だ」といったありきたりの賛辞にいたっては挨拶みたいなもんだろうと思っていた和人だったが、確かに里香の言い分も一理ある、と考え直してから「それでもなぁ」と、そっと溜め息をついた。

 

「やっぱり直接言うのはさ……」

 

徐々に声が小さくなっていく和人の態度に業を煮やした里香が野生の猛獣のようにグワッ、と噛みつかんばかりの大口を開けた時、同時に互いの携帯端末からメッセージの着信音が流れる。一転して、おや?、と互いに驚きと疑問の目を合わせてから取りだした端末画面を見た二人はこちらも同時に同じ単語を口にした。

 

「アスナからだ」

「アスナからだわ」

 

そこには母親からの急な呼び出しで一緒に帰れなくなった旨の同一文章がコピー送信されており、それを読んだ二人はまたもや顔を見合わせて数秒、先に後里香がなんとも気まずげな声を出した。

 

「っと……じゃ、駅まで一緒に帰る?」

「んー、悪いけど少しパソコンルームに寄ってくよ」

 

これ以上帰り道まで里香相手に褒め言葉の練習をさせられてはかなわないと思ったのか、はたまた里香と二人きりで駅までの道を歩くことに僅かな抵抗があったからなのかは分からないが、里香の方も和人の返事にどことなくホッとしたような顔になって「それじゃあ、また明日ね」と言って先にイスから立ち上がり鞄を手にする。

けれど一言釘を刺しておかないと気が済まなかったのか「わかってる?、今度アスナにちゃんと言うのよ」と人差し指でロックオンしてきた。それをまともに顔の正面で受けた和人は少し仰け反ったまま「うっ」と声を詰まらせ、両手をホールドアップした状態で「わ、わかった」と頷く。

手を振りながら教室を出て行く里香に和人も手を振り返しながら、それでもポツリと「苦手なんだけどなぁ」と苦笑いをしたのだった。

 

 

 

 

 

苦手なんだろうな、って思ってたのに…………和人と里香に一緒に帰れなくなったと連絡した明日奈は、教室から逃げ出した勢いのまま放課後も利用可能なライブラリーの個室でひっそりと溜め息をついていた。

いちを母の京子から呼び出しがあったのは嘘ではない。ただ、そのやり取りは既に昼休みの間に終わっていて、和人や里香と一緒に学校を出ても間に合う時間だったので明日奈としては予定通り二人と下校してから途中の駅で行き先を変えるつもりだったのだ。

けれど自分の居ない所で里香を「可愛い」と言った和人の声を聞いてしまった為、とてもではないがあの後平然と二人に接する自信がなかったからライブラリーに駆け込んでメールを打ったのである。

このまま帰ればもしかしたら一緒に帰る二人の姿を目撃してしまうかも、と考え、しばらくここで過ごそうと据え置きのPCをいじってはみたものの、以前から視聴してみたかった講義内容も画面から流れてくるだけで全く頭に入ってこなかった。

そのままBGMのように映像を再生し続けた明日奈だったが、ぼんやりと目に映していた画面がいつの間にかエンディングを迎えている事に気付いて時計を確認する。

もうライブラリーの利用時間も終わりの頃だ。まだ予定の場所に向かうには少し早いが他に校内で時間を潰せる場所も思いつかなかったので緩慢な動きで明日奈は昇降口に向かおうとどこか虚ろな目のまま廊下に出た。既に大半の生徒は下校した後だから不自然な様子の彼女を見とがめる者は誰もいない。オートパイロット状態のように単調に足を動かし続けているせいで校内のどこを歩いているのか認識しないまま明日奈の頭の中では少し前に見た二人の姿と和人の声が未だに再生を繰り返していた。

 

『リズって可愛いよな』

 

別におかしな点はどこにもない。明日奈だって自分の親友が可愛い事はとっくに知っているのだから。いつも明るく真っ直ぐで一生懸命で一途で頑張り屋さんの親友は自分なんかよりよっぽど強くて可愛くて眩しい存在だ。

だからもし親友の事をよく知らないまま「可愛くない」と評する人がいれば絶対腹が立つだろうし、むしろ「可愛い」と言われるなら、それは当然で嬉しいはずなのに……その気持ちがそれよりもっと大きくて重い感情に覆い隠されてしまっている心が苦しくて、その感情の正体がわからないまま、里香への「可愛い」を素直に受け入れられない自分に嫌悪感すら抱いて明日奈は無意識に顔をしかめた。

その時、通り過ぎようとしたどこかの教室の扉がガラッと開き、中から出てきた生徒が「おっと」と明日奈との追突を回避する。

 

「あれ?、アスナ」

 

いるはずのない人物、聞くはずのない声に彼女の足が止まり肩がビクリと跳ね上がった。一拍遅れてゆっくりと声の主へ振り向く。

 

「キ…キリトくん……帰ったんじゃ?」

 

なぜか「リズと一緒に」という言葉は声に出来なかった。

 

「それはこっちのセリフだろ……どうしたんだ?、顔色悪くないか?」

 

当たり前のように手を握られ、引き寄せられ、今、和人が出てきたばかりのパソコンルームに招き入れられる。有無を言わせない素早さで出入り口近くにあったイスへと座らされた明日奈は、自分の手を離さないまま目の前に片肘を突いて見上げてくる和人の顔を直視出来ず視線を逸らした。

そこで明日奈のいつもとは違う様子に気付いた和人は内心で首をひねりながら「アスナ?」と呼びかけてみるが、彼女は一向にこちらを見ようとはしない。怒らせてわざとツンッと逸らされる事はあるがこんな風に気まずげに避けられた経験のない和人の中でなぜか里香の言葉が浮かび上がった。

 

『他の男にアスナを取られてもいいの!』

 

ゴクリ、と唾を飲み込んで合わない視線のまま問いかける。

 

「一緒に帰れないってメールもらったけど……」

「う、うん」

「オレじゃなくて……誰か他のヤツと帰るつもりだった?」

「え!?」

 

予想もしていなかった質問に思わず明日奈が和人を見れば、そこにはしゅんっ、と項垂れたような弱々しい黒の瞳が上目遣いで答えを待っていた。

 

「違うの、そうじゃなくて……」

「オレと一緒に帰りたくなかったんだろ?」

 

明日奈は心の中でもう一度「そうじゃないのっ」と叫んだ。素直に言えば里香を「可愛い」と言っていた和人のそばで普通に振る舞える自信が無かったからだが、それを言ってしまうと故意ではないが立ち聞きしたことがバレてしまう。それにその後逃げ出した理由については明日奈の中でまだ気持ちの整理がついていないのでただ首をフルフルと横に振るしか出来なかった。

それを返答の拒否と捉えた和人が包んでいた明日奈の手を逃がさないとばかりに握りしめる。

 

「京子さんに呼ばれたんじゃなかったのか…」

「それは本当っ」

「それは?」

 

しまった、とばかりに手で口元をおさえようとしたが、そもそも和人に拘束されていて叶わない。

いつもなら適当に誤魔化そうとする和人の言動を諫めるのが明日奈の役目なのに、今は完全に立場が逆転していた。

苦しげに眉を歪めている明日奈を見つめている和人の表情もまた固く困惑に満ちている。そんな顔をさせたくなくて、明日奈はふぅっ、と小さく息を吐くと「ごめんね」とまずは謝罪の言葉を口にした。

 

「でも呼び出されたのは本当」

 

ちらり、とパソコンルームの時計に視線を移した明日奈を見て和人が少し慌てたように「えっ、それじゃあ…」と腰を浮かせようとすると、明日奈が「でも、まだ時間は大丈夫」と薄く微笑む。

 

「約束通りキリトくんやリズと一緒に帰っても時間はかなり余るはずだったから、途中でお茶でもして調整しようと思ってたし」

「なんだ、言ってくれればそのくらい付き合ったのに……」

「うん、ありがと」

 

でも、それはリズも誘って?……そんな不確定な未来にさえ怯えてしまう自分の情けなさに明日奈の瞳が潤んだ。それに気付いた和人が明日奈の不可解な反応に疑問を持つ。

 

「アスナ、何かあったのか?……オレには話せないこと?」

「そうじゃないんだけど、私もうまく説明できないって言うか……」

 

その言葉に和人はえっ!?、と目に焦りを滲ませた。明日奈はいつだって自分に対しては感情を偽りなく見せてくれたから、それが伝えられない言うことは自分にとって受け入れがたい内容なのか?!、と推測する。

明日奈が自分を避け、その理由がハッキリとは言えないと、どこかよそよそしささえ感じられるぎこちない態度で涙ぐんでいて……正直、和人は悪戯をしかけるのが好きだ。対象者は明日奈に限った事ではないが、特に明日奈に対してはその反応を見るのが大好きな自覚はある。

悔しそうに柔らかい頬を膨らませる姿も、怒って艶やかな唇を尖らせる姿も、驚いて綺麗なはしばみ色の瞳を丸くする姿も、恥ずかしさから目元を薄い朱に染める姿も、困って細い眉をハの字にする姿も、どれも全てが和人にとっては明日奈の可愛い仕草なのだ。それなのに、今は和人に言えない感情のせいで彼女の目には透明な膜が張って鮮やかなヘイゼル色をぼやかしている。

それでも彼女の涙はどこまでも美しくて、こんな時なのに和人は吸い寄せられるように顔を近づけ、それを拒むように顎を引いた明日奈の目から涙がこぼれ落ちると、頬を伝い落ちる前に唇で堰き止めた。

いつもと変わらない柔らかくて弾力のある感触を押し付けた唇で拾い、ついた彼女の涙を舌で舐めとる。けれどその涙の原因を知らされていない和人の心に歓喜は湧いてこなかった。それどころかこんな風に触れる権利が自分から他の誰かへと移ってしまう可能性に戦慄さえ覚えて正直な胸の内を吐露する。

 

「オレ……アスナが喜ぶような言葉とか思いつかなくて……」

 

突然何を言い出すのかと、少しキョトンとした目で明日奈が盗み見るようにそっと顔を向ければ、今度はすぐ目の前の和人の方が視線をそらしたままそれでもポツポツと言葉を紡いでいく。

 

「アスナが『可愛い』とか、そんなのオレにとっては今更だし……」

 

ぽわっ、と彼女の頬に赤みがさした事に気付かない和人はこっそり「怒った顔や泣いた顔が可愛いと思ってるなんて言わない方がいいよな」と内で区切りを付けた。中庭で昼食の待ち合わせをしてる時、気付かない間に観察されていた事を知ってむくれる顔が見たくて声をかけないでいるのだと知られたらお弁当を作って貰えなくなるかも、と頭の片隅で余計な心配までする。

それに明日奈が綺麗な事はその顔にとどまらず、それこそ全てを知り尽くしている和人が一番感じ入っている言葉で、例えばシーツの上に無造作に広がる髪の流線すら計算されたように美しいのだから他のヤツらのように単純に顔の造作だけで使ってはいけない言葉だ。

だからどんな言葉を伝えれば明日奈が嬉しいのかわからないし、そもそも面と向かって恋人を褒めるという行為自体が和人にとってはアインクラッド百層への壁より高い難題だ。そのくせ余計な事は口走ってしまうから、よく明日奈からもお小言を頂戴するわけだが…………「確かに、苦手とか言ってる場合じゃないか」と覚悟を決めたように和人が明日奈へと向き直る。

 

「それでも、オレはアスナの一番近くにいたいんだ」

 

それは一点の曇りもなく和人の心からの声と言葉で、それを受け止めた明日奈の瞳は和人から「可愛い」以上の言葉を貰えた事で大きく瞠目してからすぐに細まり緩いカーブで嬉しさを表した。

 

「うん、私だっていつもキリトくんの一番近くにいるからね」

 

同じ気持ちを返してくれた明日奈が今までの強張りを解いて、和人の大好きなふにゃり、とした笑顔を浮かべる。その笑顔を見られて和人も安心したのか、今度は答えを貰えるだろうか、と再び同じ疑問を口にした。

 

「それで…なんで一緒に帰れないって…」

「あっ、あのねっ」

 

そこは追求してほしくない明日奈が慌てて話題転換の口火を切る。

 

「クラスメイトの女の子が髪を切ったの。それで私も……」

 

伺うように和人を見た明日奈は「短いのも似合うかもな」くらいの言葉を軽く期待しただけでそれほど本気だったわけでもないのに、いきなり顔面に制服を押し付けられて「うぷっ」と声を詰まらせた。突然の事で目を白黒させたが、どうやら素早く立ち上がった和人に頭を抱え込まれたのだと理解した頃「いやだ」と短く低い声が直接響いてくる。

 

「……そりゃあ、アスナがどうしても切りたいなら仕方ないけど、迷ってるならオレはこのまま長いほうがいい」

 

デートの時、服装やアクセサリーに関しては積極的に感想を言わない和人が自分の髪型にここまで強い希望を持っていたとは思っていなくて、腕の中で少し苦しいのも我慢して「キ、リトくん……」と呼びかけたが、当の和人はそんな明日奈の声も聞こえていないのか、小さな頭を抱きしめたまま「まさか……」とだらしなく口を開いた。

 

「誰かに切った方が可愛い、とか言われたのか?」

 

さっきから言葉の端々に出てくる仮想人物は一体なんのかしら?、と首を傾げたいところだが、そこはがっちり和人にホールドされているので諦め、代わりに明日奈は開放された両手をそっと和人の背に回す。抱きしめ返すのかと思われたその手はすぐに高速でポフッ、ポフッ、と二回動いた……タップアウトだ。

急いで腕の力を弱めた和人の胸元から「ぱぅっ」と大きく息を吸い込む明日奈の顔が出てくる。

 

「悪い、アスナ。つい力が……」

「だ、だい、じょう…ぶ……だけど、なんでさっきから私がキリトくんより他の人を気にしているみたいに聞くの?」

 

ちょっぴり、むうぅっ、と唇を尖らせ不機顔で訴えると、それを見た和人がなぜか口元を手で押さえながら明後日の方向を見て、はぁっ、と悩ましげな息を吐き出した。それから「うう゛っ」と声の調子を整えつつ気持ちを落ち着かせ、小声で「こーゆーとこだよなぁ」とひとりごちる。

頭の上から落ちてきた小さな言葉が思わず出てしまった本音だと直感した明日奈は、自分の言い方が可愛くなくて落胆させたのだと思い和人の腕の中で俯いた。

きっとリズだったらもっと違う言葉を選ぶのだろう、とこちらも弱々しく本音がこぼれ落ちる。

 

「リズは……可愛いものね」

 

明日奈の声ならどんなに掠れていても拾う和人の耳がぴくり、と反応した。

 

「リズ?」

「うん、リズって……可愛いでしょ?」

 

あまり何度も言わせないで欲しい、と更に声を小さくして、ついでにおでこで和人の胸をぐりぐりと押してみる。なぜここにきてリズの名前が出てくるのかわからない和人だったが、それよりも明日奈からのマーキングのような仕草に今度は声にすら出来ず「勘弁してください」と彼女を落ち着かせるように背中をそっと撫でた。

 

「えっと…リズ?、リズが可愛いって話だったよな?」

 

ぐりぐりを止めた明日奈が無言の肯定でおでこを、うりっ、とこすりつけてくる。

 

「う゛っ……リ、リズな……うーん、全然知らない奴が『可愛くない』って言ってたら気分は悪いけど、オレ個人としては、もうリズはリズだし……」

 

どうやら和人の中では里香に「可愛い女の子」というタグは付いていないらしい。

すんなり「可愛い」を肯定して欲しかったのか、そうではなかったのかもよくわからない明日奈だったが困ったように眉根を寄せている和人の反応を見て、あれ?、と混乱する。今の和人の言い方も嘘偽りないものだと確信できるが、里香と教室で二人きりの時に告げていた「可愛いよな」もまた本心からの声だと断言できるからだ。

すると今度は和人の方から「可愛い、って言えばさ」と話をふってきた。

 

「さっき教室でアスナを待ってる時、リズからアスナに『可愛い』とか言ってるの?、って聞かれて……」

 

どうやら親友も昼食での会話で「可愛い」という単語が頭に引っかかっていたらしい、と理解した明日奈だったが、そこから自分と比べれば里香の方が可愛いと和人が思ったなら、と想像して思わず耳を塞ぎたい衝動に駆られる。しかし抱きしめられている上に今度は頭上に和人が顎を乗せてきたせいで再び全く身動きがとれない状況に陥っていた。

 

「とりあえずリズに向かって『可愛い』って言う練習をさせられたんだけど、なかなか上手く言えなくて……」

 

そこで明日奈は驚きで固まる。

 

「リズが『私の笑顔とか、可愛いでしょうっ』ってもの凄い迫力で言うから、その場を乗り切る為にアスナがユイと遊んでる時やリズとお喋りしてる時の笑顔を思い出して……」

 

明日奈の心臓がどくんっ、と大きく跳ねた。

 

「だから『リズと一緒に笑ってる時のアスナって可愛いよな』って思いながら、『リズ…って可愛いよな』って……うわっ、アスナ!?」

 

今度こそ、きゅぅぅっ、と明日奈にしがみつかれ頬をすりすりと寄せられた和人は一瞬慌てふためいたものの「もうこれはオレのせいじゃないな」とどこか達観したように遠い目になった後、自分が思う彼女の「可愛い」を引き出すべく明日奈が母親との待ち合わせに間に合う時間までパソコンルームに閉じ込めたのだった。




お読みいただき、有り難うございました。
結局二人共、ずばっ、とストレートには告げていないですね。
タイトルの「言葉にして届けよう」は、何とかして言わせようと
頑張った私(筆者)が二人に言いたかった言葉です(苦笑)
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