ソードアート・オンライン《かさなる手、つながる想い》   作:ほしな まつり

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和人と明日奈が帰還者学校に通っている頃のデート話(?)です。


想い、想われ……

週末を挟んだ四連休と言う事で東京から電車を乗り継ぎ一時間ちょっと。少し足を伸ばし初めて降りた駅から手を繋いで、初めて訪れた街中を二人で歩く。「なんだか新しい階層に一番乗りした気分だよ」と隣で笑う明日奈の言葉に和人が苦笑いで答えたのは同じ感想を抱いていたからなのか……とは言えここで生活をしているのは《仮想世界》のNPCではなくて《現実世界》の人間達なのだが、見た事のない景色と見ず知らずの人達という点ではあまり違いはないのかもしれない。

駅前から続く商店街は土産物を扱う店より地元の住民が日常的に利用する類の店の方が多くて、もしここで暮らしていたらあちこちの店に立ち寄って買い物をしたりそこの店主と顔なじみになったりと、その行為は都心のデパートで全ての買い物を済ませるのが当たり前の明日奈にとってはより《向こうの世界》に近い感覚だろう。

 

「街並みも綺麗ね」

 

キョロキョロと観光しながらの明日奈が言うとおり、建ち並ぶ商店の中には歴史を感じさせる店構えも多いが、かといって古く寂れた印象はなく、長い年月で培ってきた趣のある落ち着いた佇まいである。

既に商店街を歩くだけでちょっとした観光になったわけだが、今日の目的はこの先にある水族館だ。

連休突入直前、ふとした会話がきっかけで「水族館…行ったことないの」と何とも言えない表情で笑う明日奈はすぐに「博物館や美術館はあっちこっち行ったよ」と捕捉してきたので、和人は「それって国内の?」と浮かんだ疑問をギュウッと元の場所に押し込んで「じゃあ、どこか行ってみるか?」と誘いの言葉に変換したのだった。

都内のいわゆる「デートにオオスメ!」的な水族館を選ばなかったのはせっかく時間はたっぷりあるわけだし、日帰り小旅行気分を味わいたかったからと、和人には理由がもうひとつある。それは出来るだけ人目を気にしたくなかったのだ。

かつて、まだアスナが赤と白を基調とした騎士装を身に纏いキリトに対してもツンツンプリプリしていた頃、ひょんな事からキリトにゴハンを奢る事になった時、NPCレストランへ向かう間も店内を移動する間も彼女には数え切れない程の視線が集中していた。その時は「大変だなぁ」と他人事気分だったキリトも今やその少女は自分の恋人なのである。しかも無自覚に愛らしい笑顔を振りまくというオマケ付きだ。きっと知名度が高くて入場客の多い水族館に連れて行こうものなら明日奈の周囲にいる男性客(ヤロー共)全員に和人は「魚を見ろっ」と声を飛ばしたくなるだろう。

だから駅前の商店街同様にちょっと古いが地元住民によって支えられているこぢんまりとした水族館にやって来たというわけだ。ただ明日奈にとって初めの水族館がここでいいのか?、というほんの少しの申し訳なさは抱いていた和人だったが、到着して手作り感満載の入場ゲートを見た時の明日奈は「かわいいっ」とはしばみ色を輝かせて、「初めての水族館がキリトくんと一緒で、それにこんなに心のこもった素敵な場所だなんて」と繋いでいた手をきゅっと握ったのだった。

 

 

 

 

 

それから昼食を挟んで数時間後、明日奈と一緒に水族館を楽しんだ和人は一人で館内の壁に寄りかかり案内パンフを見ながら「だいたい全部観たなぁ」と呟いていた。もともとそれほど広くない水族館だ。予想通り混み具合もそれ程ではなかったからのんびり移動しながらゆっくり一つ一つの水槽を眺める事ができた。知識欲旺盛な明日奈は丁寧にそれぞれの解説を読み、実物と比較して終始楽しそうに水槽を覗き込み、時には中の生物に喋りかけて……和人としてはアクリルガラスの向こう側の生き物達よりそんな明日奈の姿を眺めている時間の方が長かったかもしれない。

今後の予定は決めておらず、さて、これからどうしようか?、とパンフレットをポケットに突っ込んだ和人が周囲を見回した時……「え!?、カズ??」と聞き慣れた声が耳に届いて顔を向ければ、そこには大きく目と口を開いた佐々井が立っていた。

 

「佐々、なんでっ?!」

 

不特定多数の男達からの視線を避けるべくわざわざ地方の小規模水族館を選んだと言うのに、よりによって同じ学校の友人に出くわすなんてどんな確率なのか、と神様の悪戯に文句を言いいたい気分の和人だったが、方や佐々井の方は喜色満面の笑みで小走りに近寄ってくる。

 

「まさかここで会うとはなー」

「それはお互い様だろ」

「俺はさ、中学ん時の担任が定年退職してこの近くに隠居したって聞いたから会いにきたんだ。で、帰る途中で水族館見つけて寄ったんだけど……」

 

普段の佐々井からは想像できないくらい義理堅い理由に意外だ、という意味を込めて「へえぇ」と返せば、それこそ意外に軽く照れた顔で「俺が昏睡状態の時も定期的に病院まで見舞いに来てくれた先生なんだよ」と打ち明けてきた。

 

「定年前、最後に担任したクラスで俺だけちゃんと卒業できなかったの、気にしてたって聞いたから」

 

それを言うなら今、帰還者学校に通っている生徒達は全員元の学校を卒業しないまま新たな学校生活を送っているわけだが……約二年前、中学生ないし高校生の若者達が《SAO》というデスゲームに囚われてしまった時、彼らが病院に収容された時点で学校側はその生徒を長欠扱いにした。残念なことにゲームクリア前に《SAO》から離脱した者は《現実世界》への生還は叶わなかった為、昏睡状態が一年を過ぎた頃には保護者の方も復学を考える気持ちは次第に小さくなっていったのだと言う。結局その後、sao生還者(サバイバー)と呼ばれた内の十代の子達は無事に虜囚の身から解放されたとは言え二年の年月経過は学年によっては級友達が元の学校から既に卒業しているケースもあり、それでなくても《現実世界》に適応するのに必死で母校の様子など過去を気にする余裕のある者は少なかっただろう。

ならば連休を利用してわざわざかつてのクラス担任を訪ねるなど普段のおちゃらけた言動の多い佐々井からは考えられない優等生ぶりだが、本人は認めたがらないものの実は周囲の小さな変化も当たり前のように気付く目聡くて優しい性格だと理解している和人としては理由さえ知ってしまえばそれ程イメージからかけ離れた行動ではない。

 

「ってことは後ろにいるのは中学ん時の?」

 

佐々井の少し後ろからこちらを覗くように身を傾けている少女がいて、ジッと警戒心を露わに見つめてくる様子は人慣れしていない仔ネコのようだ。

 

「藤緒(ふじお)、こっち来て挨拶しろよ。お前も知ってるヤツだから」

 

は?!、と和人が佐々井の言葉の意味を問おうと声を出す前に、緩いウェーブのかかった髪を器用に編み込んでいる少女が少し緊張した面持ちで佐々井の隣に並んだ。

 

「えっと…佐々の幼馴染みで中学まで一緒だった那須野藤緒(なすのふじお)よ」

 

あちこちにレースがあしらわれた薄いオレンジ色のチェニックシャツの袖口からは色白の細腕が、シャツの裾とほぼ重なっているチェック柄のミニスカートから下はこれまたほっそりとした足が伸びていて、佐々井の同級と言うなら和人とも同い年のはずだが一見すると珪子のクラスメイトと言われても不思議ではないくらい細身な少女が細い声で名を口にする。

そしてつい無遠慮にジロジロと和人が眺めてしまったせいか、やっぱり警戒心の抜けない視線で軽く睨んできた。

 

「ごめんな、カズ。こいつもの凄い人見知りさんだから。おまけに今、片割れがいないんで……」

「佐々、余計なこと言わなくていい。それで?、この人が佐々が今通ってる学校のクラスメイトなの?」

「そ。桐ヶ谷和人。俺や久里と同じクラスで同じ『ネト研』仲間さ」

「ども、桐ヶ谷です」

 

とりあえず自らも名乗って自己紹介を終わらせようとする和人の顔を那須野藤緒は更にジィィッと睨み付けてくる。

 

「みっちゃんと同じクラスの桐ヶ谷、カズ…トって……あっ、もしかして『姫ちゃん』て呼んでる子の!?」

「俺は認めたくないんだけどねー。なんか姫の彼氏っぽい生き物らしい」

「なんでお前に認めてもらわなきゃならないんだ」

 

更に言えば「彼氏っぽい」「生き物らしい」とはあまりにも不確定要素が多すぎる。佐々井のは言い方ではっきり冗談と分かるし普段の交友もあって笑って受け流せるが、明日奈信者の中には本当に和人を彼氏と認めない者もいて、まぁ、その辺は「アスナがオレを恋人って認めてくれてればいいんだし」と割り切っている和人である。

しかし和人が明日奈の恋人と知った途端、藤緒は今までの消極的な態度から一転して佐々井よりも前に出てしげしげと初対面の相手を観察し始めた。

 

「へぇぇ、この人が……みっちゃんの言ってた……そっかぁ」

 

少し下の角度から見上げるようにして和人の前身を眺める様はまるで敵か味方かを匂いで判断しようとしている野生動物のようで、その意図を図りかねている和人は思わず身体を仰け反らせる。

なんとなく言葉による意思の疎通が難しそうな相手だと判断した和人は佐々井に視線で救援要請を請うが、頼りの佐々井は諦めたように溜め息を吐き、頭を横に振っていた。

するといつの間にかかなりの至近距離にまで近づいていた藤緒が挑戦的な目で「ねぇ」と話しかけてくる。

 

「君の彼女、美人なんでしょ?」

「え?」

 

聞き返したのは明日奈が美人かどうかを迷ったからではなく、いきなりの質問内容に驚いたからだが、和人が肯定を提示する前に後ろから佐々井が冷静に返答した。

 

「藤緒、姫はただの美人じゃなくて、もっのすごい美人だから」

 

その答えに振り返りもせず「ふーん」と唇を尖らせた藤緒はすぐに自信たっぷりの笑顔に転じる。

 

「私も結構可愛い方だと思うんだけど?、どう?」

 

どう?、と聞かれ、今日初めて会った友人の幼馴染みに向かって否を唱えるのはNGな事くらいの社交性は持ち合わせている和人は客観的に見ても少し強気な仔猫といった感じの少女の顔は可愛いと言えるだろう、と自分の好みはさておきコクコクと頷いた。

すると少し満足したように目を細めた藤緒が次の質問をぶつけてくる。

 

「ああ、あと、頭も良いんだっけ?、その彼女」

 

なぜ会ったこともないはずの明日奈と張り合うような質問ばかりしてくるのかは理解出来ないが、今度は佐々井が答える前に和人が「ああ」と認めたものの捕捉とばかりにやはり後方から声が飛んできた。

 

「単純な学力でも全国模試で常に上位に入ってるからな、姫は。知識は豊富だし回転は速いし察しも良いし向かうところ敵なしって感じだよなー」

 

自分が「ああ」で済ませてしまった明日奈の優秀さが佐々井の口にかかると本当に桁外れなレベルなのがよくわかるなぁ、と素直に感心している和人の目の前で藤緒が憮然とした面持ちに急変する。

 

「あっそ。でも私だって校内の学力テスト順位なら全科目上位に入ってるし」

「相変わらず負けず嫌いの性格は変わってないんだなぁ。あの進学校で上位なんてすげーけど、ちなみに貴雄(たかお)は?」

 

何かを刺激されたように、ぱっ、と藤緒は佐々井に振り返り、焦りとも怒りともとれる声を突き刺した。

 

「あいつは更に上位よっ。佐々、あんた知ってて聞いてない?!」

「ガッコー違うんだから知ってるわけないだろー。でも貴雄って昔っから全然勉強してるように見えないのに成績良いよなぁ」

「ホントにねっ」

「あいつ、一体いつ勉強してるんだ?、って聞いても藤緒はいつも『わかんない』だしなっ」

「同じ家に住んでたってわかんない事もあるのっ」

 

ポンポンと言い合っている二人の会話で聞き捨てならない部分があって、和人が自然と頭の角度を斜めに変えた時、佐々井の後ろから「お前ら、何してんの?」と線の細い少年がやってくる。

 

「おー、貴雄、おかえり。トイレ、混んでたのか?、こいつさ、偶然ここで会った俺の今の学校の友達。藤緒に紹介してたんだ」

 

紹介?……どっちかって言うと問い詰められてた感じなんだけど、という感想が顔に出ていたのか、苦笑いの和人と彼の目の前にいる藤緒のあまりにも近い距離感に佐々井よりもずっと真面目な性格なのだろう、表情を歪めた貴雄は「藤緒」と少しの呆れを含ませて彼女の肩に手を置き、数歩後退させた。

 

「お前はまた後先考えずに……佐々もちゃんと藤緒を止めてくれよ」

「俺の言うことなんか聞かないって」

「ホントに満重(みつしげ)がいないとお前達は……」

「それは違うぞ貴雄、そもそもここに久里(くり)がいればこんな事態にはなってない」

「とにかく…………藤緒がご迷惑を…えっと…」

 

和人に謝罪をしたものの名前がわからずに戸惑う貴雄が問うように瞳を泳がせたので、すかさず佐々井が「和人だよ。桐ヶ谷和人」と二回目になる名の披露をする。

それを噛み砕くように「桐ヶ谷くんね」と認識した後、「あ、もしかして、君、満重とも友達?」と問いかけてきた。しかし聞き覚えのない「満重」と言う重々しい名前に和人が再び頭を傾けそうになった時、ここでのハブ的存在の佐々井がガシガシと頭を雑に掻いて「あ゛ーっ」と叫んだ。

 

「情報が錯綜して収拾がつかなくなってきてるっ。まずは基礎知識を共有するぞっ……カズ、こいつらは二人共俺の幼馴染みで中学まで一緒の友達。でもってよく見て貰えれば気付くだろうけど双子の姉と弟」

 

教えてもらって「そうか」と、なんとなく胸の奥底で漂っていたもやもやが霧散した。性別が違っていたせいですぐに分からなかったが二人が並んでいると確かに雰囲気と言うか根っこの部分で共通している何かがあるように思える。後から登場した少年は藤緒の弟とは言え歳は同じだから和人とも同い年なのに骨格は双子として似てしまうものなのか、和人が親近感を覚えるほどに細身で、身長も和人より低い。

 

「那須野貴雄(なすのたかお)だよ。本当にごめん、藤緒が失礼な態度をとっただろ?」

「桐ヶ谷和人だ。大丈夫さ。少し驚いたけど…」

「藤緒は満重も一緒に来られるはずだったのがドタキャンになって機嫌が悪いんだ。これでも普段はもうちょっと落ち着きがあるんだけど」

 

「身内贔屓かな?」と小さく笑う貴雄に佐々が「藤緒に落ち着きなんてどこ探せば出てくるんだよ」と言った後、すぐに「二人ともっ」と完全にお怒りモードの藤緒が目を吊り上げている。

 

「なんだよー、藤緒がいきなりカズに噛みついたのが悪いんだろ」

「やっぱり俺がトイレに行っている間に……」

「うん、そうだな、貴雄がトイレから帰ってくるのが遅かったせいだな」

「だって混んでたんだよ」

 

男性トイレが混んでるなら女性トイレはもっとだろうと予想して和人はさっきから会話の端々に出てくる覚えのない名前の正体を聞き、早々に開放してもらおう、と自ら話しかけた。

 

「満重(みつしげ)って誰なんだ?」

 

そして最初に佐々井が藤緒に対して和人の事を「知っているヤツ」と言った事とも関係しているのだろうか?、と思いつつ素直に出した疑問に、それを聞いた三人が一斉に「え?」と言った面持ちで固まる。

 

「カズ……お前、それマジで言ってる?、いや言ってるな、これは……うーん、そっかー、アイツのこと『みっちゃん』とか『満重』って呼ぶの、今の学校にいないもんなぁ」

「もったいぶらずに教えろ」

 

そしてお前達は早くどっかに行ってくれ、の願いが届いたのかあっさりと佐々井は回答を告げた。

 

「久里だよ。アイツのフルネーム『久里満重(くりみつしげ)』。俺と那須野姉弟と久里は幼馴染み四人組なのさ」

 

満重が久里の名前…と聞いて恥ずかしい程身近な人間についての質問をしてしまった自分に今度は和人の方が「あれ?」と気まずい笑いで誤魔化すが、やはりいくら考えても久里の下の名前は今の今まで覚えておらず「やっぱり俺の記憶力って偏ってるんだな」と確信を得てから、それでさっき藤緒が言っていた明日奈の『姫ちゃん』呼びに納得する。

 

「それでアスナの事、色々知ってたのか」

「貴雄が久里に学校の様子を聞いた時にさ、まぁ、あいつ、見た物聞いた事を片っ端からペラペラ喋るタイプじゃないだろ?」

 

そこで佐々井を除く三人が揃って首を縦に振った。きっと内心では「ペラペラタイプはお前だ」とも揃って思っているだろう。

 

「そんな久里が話題にした中に姫が出てきたんだよ」

 

久里の話の何十倍も佐々井が補足をしたんだろうな、とは簡単に想像出来て「そういう事か」と和人の疑問が解消したところで思い出したように藤緒が「そうよっ、その彼女の話っ」と和人の前へ一歩踏み出す。

 

「確か料理も得意なのよね、その『姫』って子」

 

咄嗟に「姫、じゃなくてアスナだ」と出そうになった声を飲み込んだ。

那須野姉弟が久里の事を下の名前で呼ぶように、久里と佐々井は明日奈の事を『姫』呼びするのが普通だから、多分藤緒は『姫』の本名を知らないのだ。ならばこれ以上明日奈の情報は開示しないのが良策と思い直した和人はこの問答の早期決着を目指してわざとそっけなく「そうだな」と返した。

どうせこれまでのパターンだと次には自分も料理が出来ると言ってくるのだろうが、料理の腕前はゲームと違って差別化や数値化は無理だから互いに料理上手で終わるはずだ、と和人が予想した通り藤緒は「私も一通りは作れるけど、洋食ならかなり自信あるんだ」と得意気な笑顔になる。

 

「ハンバーグとかパスタ、エビフライやオムライス…」

「なんかお子様ランチメニューだな」

「黙って、佐々。満重の好物なんだから」

 

胸を張る藤緒の後ろで佐々井と貴雄が何やらヒソヒソと囁いているが、それに構わず藤緒は「そうだっ」と自信満々に微笑んだ。

 

「煮込み料理なんかもよく作るけど……例えば…シチューとかね」

 

思わず和人の眉がピクリと反応する。それを見逃さなかった藤緒は益々目を細め、まさにニヤリ、と言う表現が相応しい唇になった。

 

「あ、君、シチュー好きなんだ。今度みっちゃんの家においでよ。うち近いから作って持ってってあげる」

「それってただ久里に食べさせたいだけだよな?」

「だから黙って、佐々。折角藤緒が満重ん家に行く口実作りを頑張ってるんだから」

「んーなの口実なんて作んなくたって……」

「私の手料理、美味しいよ」

 

藤緒が上目遣いで和人の顔に近づいていき、もう少しで触れようかという時、いきなり違う方向から和人の片方の腕がグイッと引っ張られるが本人は驚きもせずに「うげっ」と身体をやじろべえのように傾け、そのまま腕にしがみついてきた存在に向かって「おかえり」と平然に声をかける。けれどそれに応じる事なく澄んだ叫び声は真っ直ぐ藤緒へと飛んで行った。

 

「私のお料理だってとっても美味しいんだからっ!」

 

トイレから戻ってきた明日奈が和人の片腕を抱えたまま、こちらも仔猫なら毛を逆立てているだろう勢いで藤緒に向かって威嚇している。突然この場に現れ、当たり前のように和人に寄り添う美少女に幼馴染みの三人が目を見開いた。

 

「誰っ?!」

「誰っ?!」

「姫ー!!」

 

双子達の揃った声にかぶせるように佐々井の喜声が放たれる。

 

「やっぱりカズと一緒に来てたんだぁ。コイツが一人で水族館はないと思ってたんだけどさ」

 

和人を見つけた時より数十倍輝く笑顔で手を振ってくる佐々井の声を聞いても明日奈は藤緒から視線を外さずに固い声のまま挨拶をした。

 

「こんにちは、佐々井くん。こちらの双子さん達はお友達なの?」

 

一瞬で二人を双子と見破るあたりはさすが明日奈の観察眼と言うべきか、佐々井ひとりを除いて和人さえも驚きで目を丸くしている。

けれどすぐに立ち直った藤緒は明日奈からの鋭い眼差しに正々堂々受けて立とうと力を込めて見返しつつ、こちらも冷静な声で「ああ、あなたね」と彼女の正体に気づき、ふっ、と笑った。

 

「確かに佐々の言う通り、かなりの美人ね」

「ホントだね。それじゃあこの人が満重が言っていた『姫ちゃん』さんか」

 

納得するタイミングさえ一緒の双子に明日奈がほんの少し警戒を解く。

 

「満重、って……久里くんよね?」

 

今度は和人が感心したように「おお」と賞賛の声を上げた。

 

「アスナは覚えてたんだ、久里の名前」

「うん、随分前に聞いたと思うよ」

「さすがだな。オレはアスナに関する事以外だとあんまりなんだよなぁ」

 

一般的に考えれば直すべき短所なのだろうが明日奈本人にしてみたら怒ることの出来ない和人の一面になってしまう。けれど嬉し恥ずかしで少しだけ緩んだ口元はすぐにツンッとした尖り型に戻ってしまった。

 

「でも、なんで佐々井くんのお友達がキ、和人くんに手料理をふるまう話になってるのっ?」

 

いちを疑問形になっているが藤緒の向こうにいる佐々井に向けた明日奈の表情にいつもの優しげな雰囲気は皆無だ。けれどそれさえもレアだと言いたげな佐々井は鋭い視線と声の両方を独り占めしてご満悦らしく「実はさ……」と事の次第を説明した。

フロアボスの攻略会議で見たようなオーラを纏ったアスナを前にしても臆すること無く言葉を紡ぐ佐々井はさすが『交渉屋のコトハ』と讃えるべきだろう。

状況を飲み込んだ明日奈がもう一度藤緒と目を合わせて「那須野さんは…」と話しかけると、すかさず彼女が「藤緒でいい。貴雄もいるし」と少々ぶっきらぼうに言い放つ。

 

「じゃあ藤緒さん…あなた、和人くんに手料理を食べさせる目的は何?」

 

和人への害心を疑っているのか、真意を探るべく再び警戒の色を濃くし始めたはしばみ色の瞳は先程よりもずっと鋭く冷たかった。無邪気な嫉妬心で放たれるようなただ熱いだけの視線ではなく、細く固く確実に急所に突き刺さるような目でジッと見つめられて本気で焦った藤緒は追い詰められたように突破口を探すべく周囲を見回すが逃げ道はないし、助け舟もやって来ないと観念してゆっくりと口を動かす。

 

「だって……みっちゃんが…あなたの作ったのが美味しかった、って……」

「え?……私、久里くんにお料理したこと、あったかな?」

 

久里を愛称で呼ぶ藤緒の声がどことなく泣きそうに不満げで、一気に臨戦態勢を解いた明日奈だったが、すぐには心当たりが出てこず、問いかけるようにしがみついている腕の先へ顔を向ける。すると「アスナに関する事」だったせいか和人が「あ…あれかもな」と覚えのある記憶を口にした。

 

「学校側から暑くなる前に、って『ネト研』が校内の機器点検を依頼された時、遅くまでかかるって言ったら、アスナが差し入れしてくれた事があっただろ?……えっと、パウンドケーキみたいなやつを色々」

「お野菜やソーセージを入れたケークサレね。あとバナナブレッドも作ったはず」

「そう、それそれ。バナナの方、なんかやたら久里が食べてた」

 

和人と明日奈の会話を聞いていた貴雄がポソリと隣の佐々井に「満重、バナナ味、好きなんだよね」と呟くと、佐々井もまた「あいつ、カフェテリアの自販機でバナナ・オレばっか飲んでるし」と少々げんなりした声で顔を見合わせる。

 

「でも、久里くんが私の料理を褒めてくれた事と藤緒さんが和人君に料理を食べさせたい事はどう関係するの?」

 

明日奈は所有権を主張するように再びギュウッと和人の腕を抱きしめた。絶対に渡さないから、と射貫くような視線の容赦ない突き技を受けて狼狽えた藤緒は「それは……」と答えを詰まらせたが、すぐに意を決してよろけそうになる足を踏ん張り両手を固く握りしめて大きく上下に振った。

 

「みっちゃんが私以外の人が作った料理を褒めてるの初めて聞いたのっ。だからその…『姫ちゃん』って人の彼氏が私の料理の方が美味しいって言ってくれれば、私はその人……要するにあなたより料理上手って証明されるでしょっ」

 

その後下を向いて「あなた、頭も良いって聞いたのに、そんな事もわからないのっ」と悔し紛れに零している藤緒の頭へ左右からガシッと佐々井と貴雄の手が乗ると、そのままグイッと下に圧がかかり同時に二人が頭を下げる。

 

「ごめんっ、姫」

「ごめんなさいっ、姫ちゃんさん」

「うわっ、ちょっ、いきなり何っ」

 

佐々井と貴雄がまるで双子のように揃って明日奈に謝罪の言葉を発しているその真ん中で無理矢理頭を押し下げられた藤緒だけがもがいて両手をバタつかせていた。

 

「久里の事になると斜め後ろに走り出すのは昔からだけど、これはもう逆走だぞ、藤緒」

「とにかく藤緒も桐ヶ谷くんや姫ちゃんさんに謝って」

「なんでよっ、私の料理の腕はあんた達だって知ってるでしょっ」

「そういう問題じゃないって」

「本当にうちの藤緒が重ね重ね失礼な事を」

 

藤緒を諭す佐々井に、藤緒の頭を押さえながら和人と明日奈に謝罪する貴雄、未だに抵抗している藤緒の三人を見て毒気を抜かれた明日奈が思わず「ぷゅっ」と噴き出す。

 

「…姫?」

「姫ちゃんさん?」

「仲が良いのね」

 

ふわり、と全てを包み込んでしまうような優しい笑顔に佐々井はもちろん、貴雄までもが頬を淡く染めて明日奈を見ていると、うっかり腕の力が抜けたらしく藤緒がえいっ、と顔を上げて「じゃあ、私のシチューっ」と誘いの言葉を投げ終わるより先に、和人の手が明日奈の腕から抜けだし、逆に彼女の頭を捕らえてその笑みをこれ以上晒すまいと自分に押し付けた。

 

「悪いけど……いくら君の料理が美味しくても、オレにとっての一番はアスナの料理なんだ」

「は?」

 

ずっと言葉少なに応対されていた藤緒だったから和人の発言の大胆さに思わず聞き返すような一言しか出てこなかったせいで更に追撃の台詞を打ち込まれるはめになる。

 

「だから、オレは美味しい料理じゃなくてアスナの料理が好きなんだよ。もちろん客観的に見てもアスナはすごく料理が上手いんだけど、もし君とアスナが同じ料理を作ったら、君の方が高級な食材や調味料を使ったとしてもやっぱりアスナの方が美味しいと思うだろうし、そもそもアスナだったらその差を挽回するような工夫をするし、オレの味の好みなんかも知ってるし……」

「キ、キリトくん……」

「カズ……」

「桐ヶ谷くん……」

 

既に藤緒に対して発していると言うよりは思うままにとめどなく言葉を紡いでいる和人の胸元から嬉しいけど恥ずかしくて少し困った明日奈の声と、完全に降参状態の佐々井と貴雄の声が重なった後、それを総括するように藤緒が震える声で「もうっ、わかったわよっ」と場を締めくくった。

 

「結局、料理でも私はこの人に勝てないんだ……」

 

ネコ耳があればぺたり、と閉じてしまいそうなくらい気落ちしている藤緒にポンッと肩を叩いた佐々井が「今更だけどさ」と言葉をかける。

 

「カズが昼休みに姫と弁当を食べにいそいそと教室を出た後、時々久里が言ってるんだ…『最近、ふぅちゃんのご飯食べてないなぁ』って。アイツも自発的に食べたいって思うのは藤緒の料理だけなんだろ。だから昔みたいに『ご飯作るけど食べる?』って誘えば喜ぶと思うよ」

 

柔らかな声の後「まぁ、お前も忙しいだろうから無理しない程度で」と藤緒も気遣うのが佐々井らしい。

 

「そうそう。桐ヶ谷くんの好みは知らなくても満重の好物を一番理解してるのは藤緒だしね。だいたい満重と佐々が帰還者学校に通うって知らせに来た時『学校は違っちゃうけどこれからもずっと一緒だよ』って満重、言ってたよね?、で、藤緒も『私の一番はいつもみっちゃんだから』とか返事してただろ?、だからもう完全にくっついたんだって思ってたんだけど……」

「それな、オレもその認識だったわ。だいたいお前達一日おきくらいの頻度で連絡取り合ってるだろ?」

「な、仲良しだったら、それくらい、する…かも……とか…思ったり……」

「藤緒はさ、うちの高校の仲いい男友達とそんな事してる?」

「するわけないでしょっ」

「お前さぁ、頭も良い方だし、見た目も良い方だし、そこそこ何でもそつなくこなすくせに、なんでそーなの?。それでさ、今日の事を久里に報告すると『ふぅちゃんはそういう子だからねぇ』っで終わるんだよ。昔っからそうだよ。俺が周りにあれこれ説明して、貴雄が謝って…」

「そう言えばそうだったな。そんなやり取り、二年間出来なかったから忘れかけてた」

「二年間してなくても、やれるね、私達」

「いや、そこは二年の間で成長しておいてくれよ」

 

脱力して両肩を落としている佐々井に「じゃあ、そろそろ」と頃合いを見計らった和人から声がかかる。

見れば幼馴染み達が小気味よい会話を交わしている間、ずっと栗色の髪を梳いていたのだろう、三人の会話の微笑ましさと相まって明日奈の目が気持ち良さげに溶けていた。

 

「なんか晩飯にアスナのシチューが食べたくなってきたし…ちょっと早いけど買い物して戻ろう。煮込むのに時間、かかるだろ?」

「そうだね。あ、でも帰りに途中の商店街で気になったお店に寄ってもいい?」

 

地元ならではの食材があるかもしれないから、と当然のように和人からの夕食メニューのリクエストに応じようとしている明日奈へ「姫っ!?」と素っ頓狂な声を佐々井が発する。

ところがその声を華麗に聞き流した明日奈は和人の隣でもう会わないかもしれない双子達に「もしよかったら、だけど…」とひとつの提案をした。

 

「前に私が作ったバナナブレッドのレシピ、見る?、それを元に藤緒さんが久里くん好みの味にアレンジすればもっと美味しくなるんじゃないかな?」

「いいの?!」

「うん。粉の配合も参考になると思うし、普通はあまり使わないメープルシロップや糖蜜で甘みを付けたから試してみて」

「わかった。あ、有り難う」

「有り難うごさいますっ。こんなにご迷惑をおかけした藤緒に……」

 

似通った二人の瞳に僅かばかり心酔の色が混じり込んでいる。

 

「えっと…佐々井くんを通せばいい?」

 

明日奈の迷いに分かりやすくパッ、と顔を輝かせた佐々井だったが「もちろんっ」と答える寸前に「それよりも」と和人の声が滑り込んできた。

 

「直接の方がやりとりしたい時、楽だろ?」

 

明日奈や藤緒の為、と涼しい顔で助言しているが、さっきまでは双子達に明日奈の本名すら明かさずに済ませようとしていた和人だ、これ以上明日奈に自分の友人とは言え他の男と接触させまいとする魂胆が佐々井には見え見えでつい「お前なぁ」と文句を言いそうになるが隣の藤緒が珍しく嬉しそうな声で「色々聞きたいっ」と宣言したので水を差すわけにもいかず、ぐっ、と堪える。

 

「ほら、アスナ。待ってるから連絡先の交換しちゃえよ」

 

和人に文字通り背中を押された明日奈と貴雄に送り出された藤緒が互いに歩み寄り、端末を取り出して楽しそうに喋りながら交流する姿はまさに眼福の光景だった。

 

「レシピは自分の部屋にあるノートを見ないと正確な数字がわからないから、明日の夜にでも送るね」

 

和人の元へと戻り端末を仕舞いながら告げた明日奈の言葉に、単純に「うんっ」と返した藤緒とは違い、貴雄は少々苦笑いで気付かないふりをするが、佐々井は遠慮無く「カズっ」と声を張り上げる。

つまりは今日中に明日奈は自分の家には帰らないと示唆しているわけで、その原因であるだろう和人は佐々井と顔を合わせないようにして「じゃあな」と小さく告げ、引っ張るようにして明日奈を連れ去ったのであった。




お読みいただき、有り難うございました。
タイトルの「想い、想われ……」は和人と明日奈でもあり、
久里と藤緒の事でもあります。
ただ、久里と藤緒カップルに関しては
「わかりやすいってゆーか、わかりにくいってゆーか」な
二人です……(苦笑)

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