黄瀬くんは、それほど私の事を好いてはいないのだろう。
中学生も終わりに差し掛かる頃、私はそういった結論に達した。
黄瀬涼太とは一応、私の彼氏である。いや、『だった』というべきか。一応、というのは私もイマイチ自信が持てないからだ。
電話は全くと言っていい程しないし、メールは用がある時に一通か二通のやり取り。デートだって三ヶ月に一回、するかしないかである。
黄瀬涼太という少年は、私とは正反対の人だった。人は平等である、なんていうけれど、悲しいかな学校という箱庭の中にはヒエラルキーというものが確かに存在しているのだ。
私こと月島花梨(つきしまかりん)は平凡で地味な女子生徒、黄瀬くんは非凡で学校中の女子の憧れという立ち位置。量産型ザクとWゼロカスタムくらいの違いはある。
格差があり過ぎるにも程があるが、これが現実なのだ。他の女子よりもアドバンテージがあるとすれば、黄瀬くんと小学校から中学までずっと一緒、という事くらいか。
黄瀬くんは小学校の頃から格別の美形だったが、中学生になり更にその美貌に磨きが掛かった。今では学業の傍ら、モデル業をこなす程のイケメンである。
バスケを始めれば、あれよあれよと強豪である帝光バスケ部のレギュラーになり、なおかつキセキの世代と呼ばれる程の実力者という、華やかな人間に成長した。
もし私が男だったら『イケメンは帰れコルァ!』と理不尽にキレそうな程のハイスペックボーイである。神様は不公平だとも、ええ。
これで頭も良ければ速やかに刺殺するところだったが、学力の方はそこそこだった。命拾いしたな。
そんな黄瀬くんは案の定というか、女子に凄く人気がある。『女子バスケ部の誰それさんが黄瀬くんに告白してOKされた』だの、『隣のクラスの美少女と黄瀬がデートしていた』だの、あちらこちらで浮き名を流しているのだ。お盛んである。
今時の若い子ってやあね、なんて生暖かい目で見る私も、残念ながら同い年の女子だった。しかも、噂の中心は私の彼氏様だというのだから目も当てられない。
何でも軽くこなしてしまう天才肌で、華やかな美貌の黄瀬くん。青春を謳歌しまくっていて『俺って今輝いてるぜ!』という調子こいたイケメ……、完璧超人である彼が何故、地味でパッとしない平凡女である私と付き合おうと思ったのか。未だに謎である。
嫌われてはいないけれど、特別に愛されてもいない。彼氏彼女とは名ばかりの関係で、周囲にはもう既に自然消滅しているものだと思われていた。
別れ話をしたわけではないが、向こうはもう別れたものと思っているかもしれないのだ。私から「別れよう」と言ったところで、「は? もう付き合ってねえっスよ?」と言われる可能性も、なきにしもあらず。切ねえ。
そんな曖昧な関係に終止符を打ったのは私の方だ。
私だって黄瀬くんが所謂『浮気』と呼べる行為をすれば傷付くし、女の子に囲まれている彼を見れば嫉妬だってする。
けれど黄瀬くんは『束縛しない私が好き』と言って付き合い始めたのだから、今更『寂しい』とか『私だけを見て』とか、そんな事を言えるわけがなかった。彼が自分より他の女の子を優先したって、知らん顔をして物分かりの良い彼女を演じるしかなかったのだ。正直、疲れる。
だから卒業式の日、ただ一言、「別れましょう」と告げたのだ。
私の別れ台詞に黄瀬くんは、やけにあっさりと「いいっスよ」と返した。それから追い討ちのように「もう用事はないっスよね? これからクラスメートと約束があるんで」と、にこやかに笑いながら宣い、手を振って去っていったわけだ。
曰く、『もう飽きたからいい』らしい。『思ったより、つまらなかった』というニュアンスの言葉も頂戴してしまって、私としては「はあ、すみませんでした」としか言いようがなかった。このイケメン、調子こいてるってばよ。
黄瀬くんの綺麗な後ろ姿を見送りながら、清々しさに驚きを通り越して感動すら覚えてしまいそうだった。つまり私は、彼にとってその程度の人間だったという事だ。
しかし不思議と、私も悲しくはなかった。肩の荷が降りたというか何というか、強がりでも何でもなく解放感に包まれたのである。
そうして、私の不器用な初恋は終わったのだ。
*
二度目の恋は、意外にすんなりと訪れた。
黄瀬くんとは違う高校に進学した私。そこで運命の出会いが待っていたのだ。
同じクラスの火神大我くん。日直の時に重い荷物を運んでいたところ、通り掛かった大我君が「運ぶから全部貸せよ」と、すんなりと荷物を持ってくれたという、ありふれた切っ掛けだった。今時、少女漫画でもないぜ。
しかし、その後の私の行動は、我ながら驚く程に迅速だった。
まず火神君を『大我君』と呼ぶ許可をガクガクブルブルしながらも、得る事に成功したのだ。
なんというか、勢いで押し切った感はある。「何で?」と不思議そうな顔をする大我君に、何て言ったら良いかわからず――「ク、ク、クラスメイトだし、いい名前だから呼びたいと思って!」と、顔を真っ赤にしながら挙動不審な態度を取ってしまった。
そんな私に対して、大我君は存外あっさりと「別にいいぜ、呼んでも」と返したわけである。
淡白な反応に、拍子抜けしてしまった思い出は記憶に新しい。アメリカ帰りって、すげえよ。余裕綽々じゃねえか、マジパネエよ。
そして大我君がバスケ部所属だと知ったら、その足でバスケ部のマネージャーになり、共通の話題を増やすためにバスケと名のつくあらゆるものについて勉強する毎日だ。
大我君がおしとやかな女の子が好みだと風の便りで聞いた日には、淑やかに楚々と振る舞う事を決めた。元から大人しいと言われる方だったので、これぐらいのイメージ修正は誤差の範囲内である。
少しでも力になりたくて、部活中は必死にマネージャー業に専念しているわけだ。仕事はしっかりやりますよ、そりゃあ。
入部してみたら先輩達も皆いい人ばかりで、すぐにバスケ部が大好きになった。好きといってもラブではないです、ライクの方ですよ。安心して下さい。私、大我君一筋なので。
皆が好きだから、気持ち良くバスケに打ち込んで欲しい。私はリコ先輩みたいに有能じゃないけれど、微力ながら練習し易い環境を作りたいと思っている。その為に日夜、学んでいる最中なのだ。
夜遅くまで部活の毎日。部活が終わった後は、授業中に居眠りが多い大我君に勉強を教えてあげられるように、帰ってからの予習復習も欠かさない。
毎日が大我君を中心に回っている。自分でも、自分がこんなに積極的な人間だとは知らなかった。恋って凄い。
今日も今日とて、委員会の後に部活へと走る。体育館に着くと、いつもと様子が違った。
まず目についたのは女子の大群。体育館に入りきらず、外まで女子の群れが流れている。
キャアキャアと大量の黄色い声が風に乗って聞こえてきた。
……おかしい。明らかに、おかしい。うちの部で一番モテる伊月先輩でも、ここまで大量に女子が押し寄せてくる事はない。
はっ、まさか大我君の良さに皆が気付いたのか!? と一瞬、焦ったが、どうやら違うようだった。良かった、ライバルが増えなくて。
覗いてみると女子の壁の隙間から、ちらほらと見える金髪。あれは、まさか……いや、まさかね、うん。
正直、会いたくない人間ランキングぶっちぎり一位の人物が『金髪』というキーワードで連想され、その姿が頭を鮮明によぎり、私の脳は全力で逃避行動に入った。ヤツがいるわけがない、と無理矢理自分を納得させる。
こっそり体育館に入ると、金髪は「5分待ってもらっていいスか?」と言いながら群がる女子達に愛想良く笑い、サインに応じていた。
聞き覚えのある声に、恐る恐る顔を向ける。うわあー……やっぱり、黄瀬くんだった。幸い、こちらには気付いていない。
よし、このまま知らん顔していよう。私はあの金髪とは他人、初対面……今こそ硝子の仮面を被るのよ、私!
素知らぬ顔でリコ先輩の側まで行く。小声で「委員会終わりました」と報告すると「花梨ちゃん、お疲れ様!」と返された。その声がちょっと大きかったので、「しーっ!」と慌てて人差し指を口元へやる。
静かに、とジェスチャーする私にリコ先輩は怪訝そうな顔をした。あああ、そこの金髪に存在を気付かれたくないんです。私はモブ、ただのマネージャーAなのだよ。
誤魔化すように笑いながら「ジャージに着替えてきます」とコソコソ抜け出し、戻って来た時には女子の群れが消えていた。
おそらく黄瀬くんがお帰り頂けるよう、お願いしたのだろう。さすが女子の扱いが上手い、と普通に感心してしまった。
「やっぱ黒子っちください」
体育館に入った直後、そんな声が聞こえた。驚いて足を止めてしまう。
最初に視界に入ったのは体育館の床に尻餅をついた大我くん。黄瀬くんと勝負でもしたのだろうか。けれど表情から察するに、結果は芳しくないようだ。
黄瀬くんは大我くんには目もくれず、黒子くんに「海常おいでよ。また一緒にバスケやろう」と告げた。『誰がお前に、うちの子をやるかボケェ!』と口走りそうになって、慌てて口をつぐむ。私はおしとやかな女子、楚々とした女子……。
部員の影にコッソリ隠れていると、黄瀬くんが黒子くんに振られてキャンキャン吠えていた。ざまあ、とか思ってないよホントだよ。いや、ちょっとは思いました。
黄瀬くんは普段は笑顔で他人に壁を作っているくせに、自分の認めた人には執着する方だ。私には、そんな事なかった。と言うと未練がましくて、なんだか悔しい。
多分、私も黄瀬くんにとっては『顔しか見てないバカ女』の一人だったんだろうなあと、そう思うと少し悲しくなる。
顔じゃなかったんだよ、むしろ顔は緑間くんみたいなインテリ系が好きだったわ。って、あれ、私は何で黄瀬くんと付き合ったんだっけ。
どうやら『好き』という気持ちは理屈じゃないらしい。
「あ」
昔の事を思い出していると、バッチリと目が合ってしまった。
はからずも見つめ合う形となった黄瀬くんと私に、部員の皆も注目する。ざわざわと、「知り合い?」とか「月島も帝光だったっけ?」とか疑問の声が飛んだ。
「花梨」
彼はまだ私のことを、名前で呼んでくれるらしい。いやいや、黄瀬くんと私は他人だ。今こそ硝子の仮面を被る時ですよね、そうですよね月影先生!
「どちら様でしょうか。花梨という方なんて私には皆目検討がつきません。多分おそらく人違いではないでしょうか、ええ、そうですよね」
そうだと言って! 三百円あげるから!!
「明らかに、月島花梨っスよね」
「……はい」
誤魔化しきれなかった。
私は視線を左右に泳がし、結局、「お久しぶりです」とだけ素っ気なく返す。上手い言葉が見付からない。
もし、ここでボケろとカンペを出されても私のボキャブラリーのなさとチキンハートでは無理だ。
「花梨も誠凛だったんスね」
「ええ、まあ、そうです。家から近かったんで」
「何で教えてくれなかったんスか」
「えっと……言うタイミングがなかったので」
私の進路なんか君には関係なかっただろうと言いたかったが、ぐっと堪えた。
「知り合いか?」
「小学校から中学校まで一緒だった元クラスメイトです。それ以上でもそれ以下でもないです」
大我くんに尋ねられて即答する。大我くんにはっ、大我くんだけには聞かれたくないんだ!
「えー、冷たいじゃないスか。俺と花梨は……」
「黙れ金髪、鼻フックでクラッシュすんぞ」
「キャラ変わってないっスか!?」
しまった。本音が出てしまった。
「すみません。黄瀬くんに振り撒く愛想はなかったので、つい」
「相変わらず正直っスね。昔みたいに涼太って呼んでもいいのに」
「いつの話ですか。名前で呼んだのは小学生までだったでしょうが。というか久しぶりに会ったにも関わらず異常に馴れ馴れしくて不愉快なんだが。何なの? バカなの? 殴られたいの?」
「落ち着け、花梨」
「はい、落ち着きます!」
大我くんに「落ち着け」なんて言われたら従うしかないじゃないか。私は貞淑な妻でいたい。
黄瀬くんは私の態度に、ははあん、と何か察したような顔をした。何だあれ腹立つ。
黄瀬くんが、にこりと笑った。
「花梨と俺は、付き合ってたんスよ」
体育館が静寂に包まれる。
「ええーーっ!?」
全員が絶叫した。
確かに、冴えない普通の女子高生と、今をときめくイケメンモデルでは釣り合いが取れない。少女漫画じゃあるまいし。
「俺は、まだ好きっスよ」
嘘だろう、この野郎。嘘臭いと視線に込めて訴えると、黄瀬くんは照れ臭そうに笑った。
「嘘じゃないっス。花梨といた時が一番良かったなあって」
そりゃあ好き勝手やってたからな。
体育館内がざわざわしている。誰かが「これって、より戻そうとかいう雰囲気じゃね?」と小声言った。他人は気楽でいいなと心底、そう思う。
「やり直そう」
まるで三流ドラマのような台詞だが、黄瀬くんが言うと様になっているのだから凄い。アイドル顔負けの目映い笑顔で、彼は私を見ている。
黄瀬くんの甘い言葉に私は、微笑んだ。
「丁重にお断り致します」
「……は?」
黄瀬くんが信じられないといった顔をする。
「え、普通にお断りしたんですが」
「何でっ?」
「音楽性の違いです。私達、目指す音楽が違い過ぎたんだよ」
「何スか、それ」
「いや、一度言ってみたかっただけです」
強いて言えば、やり直そう、が上から目線でイラッとした。この俺が言ってんだから断るわけないだろ?、みたいな。そんな副音声が聞こえたわけである。そーゆーところが苛立たしいのに、彼は全然わかっていない。
「私は黄瀬くんが好きじゃないので、お付き合いは出来ません」
つまり、そういうことだ。
*
そして迎えた練習試合の日。
大我くんの顔は明らかに寝不足だったが、私は気にしない。通常ならば『遠足前の小学生か! 睡眠ナメんな、強制的に寝かせたろかオラァ!』とツッコむところだが、『そんな大我くんも素敵!』と思ってしまう辺り恋する乙女であるが故だ。
恋する乙女パワーすげえと自分でも思う。「ちょっとテンション上がりすぎて寝れなかっただけだ」とぶっきらぼうに言う大我くんにキュンキュンしつつ、列の最後尾を歩いていた時だった。
見慣れた金髪が行く手を阻んでいた。
「どもっス。今日は皆さん、よろしくっス」
野生の黄色いキセキが現れた!
と、脳内でテロップが流れる。選択肢は『戦う』『逃げる』『無視する』の三つ。おおっと、『とりあえず埋める』コマンドはない模様です。月島花梨選手、悩む! ここはテレフォンを使う場面かっ!
「花梨ちゃん、大丈夫? 具合でも悪い?」
「いえ、平気です!」
自分でも訳のわからない思考を垂れ流していると、リコ先輩に心配されてしまった。
やだリコ先輩ったら優しい。そんなに優しくされたら私、余裕で惚れてしまうじゃないか。大我くん一筋の筈なのに、大人のエスカレーターを上ってしまう……!
一人悶々としていると黄瀬くんは片手を軽く上げ、「広いんでお迎えにあがりました」と爽やかな笑顔で宣っていた。すまん、今の私は君に、ときめきなメモリアル出来ない。
「黒子っち~。あんなアッサリ、フるから……毎晩枕を濡らしてんスよ、も~……」
案の定、黄瀬くんは黒子くんに絡んでいる。黒子くんはいつもの無表情ながら、ウゼェという気持ちが微かに窺えた。
ううむ、黄瀬くんがちょっと可哀想に思えてきた。ここは一つ、軽く挨拶でも――。
「女の子にもフラれたことないんスよ~?」
顔面にペンキ缶投げつけたろか。