昔の人もよく言っていたが、時が経つのは本当に早いものである。
順調に、とは言い辛いが強豪揃いの大会を勝ち進んできた誠凛高校バスケ部。あの緑間くんがいる秀徳にも先ほど勝ち、チームも勢いづいてきた。
しかしながら、部員の皆は王者二連戦で疲労困憊。大我くんに至っては立つのも難しい状態だった。みんな本当に、頑張っていたから仕方ない。
必死に食らい付いていく皆は泣きたいくらい素敵だった。というか、私は泣いた。号泣である。
先輩達は困ったように「お前はホント、よく泣くな」と笑いながら、頭をわしわし撫でてきた。しかも全員である。お陰様で頭が大変なことになった。
そんなこんなで部員達は、今や歩くのも難しいくらい疲弊している。恥ずかしながら私も応援で声を張り上げ過ぎて、喉がガラガラだった。水を飲みたい。
いや、まあ私の応援なんかあってもなくても変わりないだろうけど、盛り上がるかなあと。皆、頑張ってたよ。感動したよ。
リコ先輩もゾンビ状態の部員を見て、どうしたものかという顔をする。
「でも、いつまでもここにいるわけにもいかないし……とりあえず、どっか一番近いお店に入ろう!」
リコ先輩の言葉に全員が頷いた。異を唱えるものはいない。
長々と控え室に居座るわけにもいかず、私達はとりあえず近くの店へと向かう運びになった。
「火神君は、だれかおんぶしてって!」
「じゃあ私が!」
「いや無理だろ!?」
「じゃあジャンケンで決めよう!」
「それなら私も!」
「いや、だから無理だって!!」
立てない大我くんを誰が背負うかジャンケンに私も参戦希望したが、すげなく却下される。いけると思ったんだ、愛の力で。
*
「すみませーん」
やって来たのは、どこにでもあるようなお好み焼き屋だった。
外は土砂降りの雨。傘を畳みながら店に入ると、だいぶ席は人で埋まっていた。会社帰りや学校帰り、たくさんの人で店内は賑わっている。
ジャンケンの結果、大我くんは黒子くんが背負うことになったが、なかなかに無理があった。途中で落とされてドロドロになった大我くんは、「黒子テメェ覚えとけよコラ……」と大変ご立腹である。
黒子くんと大我くんの体格差を見れば初めからこうなると分かっていたと思うんだが、先輩達も何故止めなかったんだ。面白いからか。
「ん?」
大我くんが一つの席に目を止め、声をあげる。
「黄瀬と笠松!?」
「ちっス」
「呼びすてかオイ!!」
まさかの黄瀬くん登場だった。
気まずい。最後に会った時は黄瀬くんは泣いていて、私はただただオロオロしているだけで……なんというか、微妙な別れ方をしたので非常に気まずい。
私は空気、私は空気なのよ。と、自分で自分に言い聞かせながら水戸部先輩の影に隠れていると、「花梨っち!」と声をかけられた。花梨っちって何ぞ。呼び方変わってんぞ。
何を言えばいいかわからず、控えめに会釈する。
「どうも、その節はお世話に……」
「こっち座らないっスか?」
「聞けよ」
マイペースか!
「というか『っち』って何なの。何でいきなりフレンドリーなの。私は戸惑っているんだよ空気読めよ。前までその辺の石ころと変わらない対応だったじゃない。変わり身早過ぎて流石の私も引いたんですけどどうすればいいの」
「ちょっと落ち着け、花梨」
「はい、落ち着きます大我くん!」
私は良妻である。大我くんが落ち着けというのなら落ち着くしかないじゃないか。
小金井先輩が「月島ちゃん、たまに激しいよな」と呟いた。おっと、いけない。私は淑やかな女である。
先輩達の後について座敷へ座ろうと思ったら、気を利かせた店員さんがヨソから椅子を持ってきてくれた。バカな、明らかに私に対して言っている!
おそらく一番近かった為か、店員さんに席を勧められてしまった。なぜ座敷組にくっついて行かなかったんだ私、と行動の遅さが悔やまれる。
笑顔で「こちらへどうぞ」と、席へ促す店員さん。私は半ば強制的に、今をときめくモデルさんと相席させられたわけだった。ありがとうよ、チクショウ。
せめてもの抵抗で大我くんにピッタリ寄り添うように座ると、黄瀬くんが「ええ~、そっちっスか~?」と残念そうに口を尖らせた。
しかし可愛くない。美形だから何でも許されると思ったら大間違いなんだからね!
こうして先輩や降旗くん達は座敷の方へ。笠松さんの隣に大我くんと私。私の正面に黒子くん、その隣に黄瀬くん、という席になった。
「なんなんスか、このメンツは……そして火神っち、なんでドロドロだったんスか」
「あぶれたんだよ。ドロはほっとけよ。っち付けんな」
会話する大我くんと黄瀬くんの二人に、笠松さんが「食わねーとコゲんぞ」冷静に突っ込む。しかし笠松さんは何故、私と目を合わせようとしないのだろうか。
じぃっと見つめると、顔を真っ赤にして逸らされた。なんか、女子が苦手っぽい……と思う私である。多分、間違っていない。
大我くんと黒子くんにお冷やを次ぎ、ついでに「お水、いりますか?」と尋ねる。お冷やのボトルを手に持つ私に、笠松さんは「オ、オウ」と若干固まりながら返事を返してくれた。
「黄瀬くんは……、いいや」
「何で!?」
「席、遠いし。いるんだったら自分でどうぞ」
「何か花梨っち、昔と比べて冷たくないスか?」
「え、前々からこんなんですけど」
私は尽くす女だが、黄瀬くんとは尽くす以前に距離が離れすぎていた。
私との約束よりも他の女子との約束を優先させるわ、たまのデートを『モデルの仕事』やら『バスケの練習』やら『他の女子達と遊びに行く』やらでドタキャンするわ。
前者二つは分かるが最後のは何だと言いたい。「友達との付き合いも大事だから」と、さも『花梨は分かってくれるっスよね?』という顔で言われたら私は頷くしかなかった。せこい。
しかし言い返さない辺り、私も若かったと思う。今ならボロクソに言える気がするんだぜ。
「まあ、黄瀬くんの方が酷かったんで」
「え~? 俺、花梨っちのこと大事にしてたじゃないっスか!」
「金髪お前、いい加減にしないと頭カチ割ちますよ」
「笑顔でっ!?」
今より若かりし黄瀬くんの悪行を数えると、それはもうキリがない。私という彼女がいながら平気で他の子とキ、キスしたり、誘われたからと言ってデートしたりと、やりたい放題だった。全くもって破廉恥な。
「お前は誠意が足りないです」
「そんなことないっスよ!」
「いや、あるだろ黄瀬」
「そうですね」
「笠松センパイに黒子っちまで!?」
ほら見たことか。
「よし、じゃあ……カンパー……」
皆それぞれ飲み物を手に、乾杯しようとした時だ。
「すまっせーん」
ガラッと店の戸が開き、満員状態の店内に二人連れの客が入ってきた。
「おっちゃん二人、空いて……ん?」
時が止まった。
*
店に入ってきた二人連れは、何の因果か先ほど戦ったばかりの緑間くんと高尾くんだった。
高尾くんは笠松さんを見つけると声をあげる。
「もしかして海常の笠松さん!?」
「なんで知ってんだ?」
「月バスで見たんで!! 全国でも好PGとして有名人じゃないすか」
同じポジションとして話聞きてーなあ!!、とはしゃぐ高尾くん。しかも高尾くんはそのまま笠松さんを連れ、座敷の方へ移動してしまった。素早い。
――そして笠松さんが座っていた席には、何故か緑間くんが座ることになった。
祝勝会ムードから一転、ピリピリとした空気が走る。
外野はワクワクとした顔をこちらに向けていた。気楽だな!
この面子に紛れ込んだ私の居たたまれなさを、誰か切実に察して欲しい。大我くんの隣は嬉しいけどっ、でも……!
「……とりあえず何か頼みませんか」
お腹へりました、という黒子くんの一言で少しだけ空気が変わった。
注文を取りにきた店員さんに、それぞれ食べたいものを伝える。大我くんの胃袋は今日も絶好調だった。
「いか玉ブタ玉ミックス玉たこ玉ブタキムチ玉……」
「なんの呪文っスかそれ!?」
「頼みすぎなのだよ!!」
「大丈夫です。火神君一人で食べますから」
「ホントに人間か!?」
失礼な。
ジューッとお好み焼きが焼ける音と匂いがする。しかし我々、というかキセキの世代三人組に会話はない。
「緑間っち、ホラ、コゲるっすよ?」
「食べるような気分なはずないだろう」
「負けて悔しいのは分かるっスけど……ホラ! 昨日の敵はなんとやらっス」
「負かされたのはついさっきなのだよ!」
ごもっともである。
「むしろオマエがヘラヘラ同席している方が理解に苦しむのだよ。一度負けた相手だろう」
「そりゃあ……」
緑間くんの辛辣な台詞を気にした風もなく、黄瀬くんはニヒルに笑う。
「当然リベンジするっスよ。インターハイの舞台でね」
黄瀬くんが真っ直ぐな目で、そう言ってのけた。あの時、大我くんを甘く見ていたであろう黄瀬くんはもう居ない。
その様は思わずドキリとする程に、格好良かった。き、黄瀬くんのくせに……!
「次は負けねぇっスよ」
前までの黄瀬くんとは違って見える。挑戦的な黄瀬くんの視線に大我くんはお好み焼きを飲み込み、
「ハッ、望むとこだよ」
と、不敵に笑った。
「黄瀬……前と少し変わったな」
「そースか?」
「目が……変なのだよ」
「変!?」
緑間くんも同じ事を思ったようだ。あんまりといえばあんまりな言い種に、黄瀬くんが地味にショックを受けていた。
ああ、黄瀬くんはただ戻っただけなのだ。あの頃に――。
キセキ三人組が話している間は、口を挟める雰囲気ではない。というわけで私と大我くんは普通に食事中である。だって、お腹空いた。
途中、緑間くんの頭にお好み焼きがヒットした時には笑いの神が降りてきたかと……いや、何でもないです。どうやら高尾くんが手を滑らしたらしい。
高尾くんが怒った緑間くんに引きずられていく最中も、私は笑いを堪えるのに必死だった。危ない危ない。はしたなく爆笑するところだったじゃないか。
「花梨」
「はい、大我くん」
「サンキュ」
「あ、口元が汚れてるよ」
「ん」
空っぽになった大我くんのグラスに、水のお代わりを注ぐ。グラスの結露で濡れたテーブルを拭き、ソースが跳ねた大我くんの口元をティッシュで拭い――、甲斐甲斐しく世話を焼く私に全員が注目していたらしい。大我くんに夢中で気が付かなかった。大我くんはといえば、お好み焼きに夢中である。
「んぐ……うめえ。そういえばお前、お好み焼きは作れんの?」
「プロには敵わないけど、人並みには作れるよ」
「じゃあ今度、作ってくれよ」
「え、部屋に行っていいの?」
「今更だろ」
「うん。作りに行くね!」
また大我くんの部屋に行く約束を取り付けてしまった。なんたる幸運。お好み焼き様々である。
何故か周りがザワッとしていたが。私と大我くんは会話を楽しみつつ、お好み焼きを頬張る。「部屋って!?」とか「『今更』って何があった!?」とか先輩達が騒ぐ声も聞こえなかった。
にへにへしながらお好み焼きを口に運ぶ。大我くんの隣、幸せだなあ。
「つーか……花梨、それだけで足りんのかよ」
大我くんは私の頼んだエビ玉を見て、眉根を寄せた。大我くんは私の食生活を心配してくれているらしい。
私としては一般女子として普通の量なのだが、大我くん的には『有り得ないほど少食』なのだとか。学校でも、お弁当を食べていると「弁当小さくねえか?」とパンを分けてくれたりする。大我くん、優しい。
「足りるよー」
「ほら、もっと食え」
大我くんは箸で自分のお好み焼きを切り分けると、私の口に突っ込んだ。たまに、こんなこともある。
まるで夫婦みたい、とか脳内で騒いでいると「いい加減にするのだよ!」と緑間くんがキレた。
「さっきからイチャイチャイチャイチャと、ウザいのだよ!」
「そうっスよ! ていうか夫婦みたいな会話じゃないすか!?」
やだ、そんな照れる!
顔を赤くする私に対して、大我くんはワケが分からないといった顔をする。
天然気味な大我くんは、私に普通の友人として接しているつもりだ。私も今は親しい友人という位置に収まっているが、このままじゃ終わらない。じわりじわりと長期戦で距離を縮めていく作戦なのである。
「何なんすか二人は!」
「何って、友達じゃねーの?」
「友達にしては会話が親密過ぎるっスよ!」
「黄瀬くんには関係ないよね、大我くん」
お返しに、私のお好み焼きも大我くんの口に運ぶ。大我くんは自然に口を開け、モグモグと咀嚼した。
「ほら、また『あーん』って!」
喚く黄瀬くんに黒子くんが「いつもの事です」と、マイペースにお好み焼きをひっくり返しながら言う。
「月島……お前、キャラ変わってないか?」
「え、変わってないよ」
「……そうか」
私は今も昔も尽くす女なのですよ、緑間くん。
「そういえば花梨っち、いつの間にメアド変えたんスか?」
「だいぶ前です。卒業式の後に変えました」
「何で俺だけ敬語なのか気になるんスけど……。花梨っちにメール送ったら、エラーで返ってくるんすよね」
「僕は月島さんのメールアドレス知ってますよ。よくメールするので」
黒子くんの台詞に頷く。
「黒子くんのオススメの本って結構、私もハマるんだよね。この間の名探偵シリーズも楽しかったよ。続編出ないのかな?」
「来月に出るそうですよ」
「え、そうなんだ! 楽しみだね」
「あの作者さんはよく発売延期になるので、まだ確定はしてませんけど」
「確かに、途中で止めてる作品も多いよね。執筆に飽きたとかで」
ほのぼのと本の事について語る私達を、黄瀬くんが止めた。
「……緑間っちは?」
「俺も、たまにメールしているのだよ」
「緑間くんとはテスト前によくメールするよね」
「俺だけ知らないんスけど……!」
私は口の中の物を飲み込み、あっさりと告げる。
「や、黄瀬くんのアドレス綺麗サッパリ消しちゃって」
「何で!?」
「私は過去を振り返らない女です」
「何すか、そのドヤ顔!」
別れたあの日、どうせもう連絡することもないだろうと消してしまった。実際、今までメールしなくても困らなかったわけだし別に知らなくてもいいんじゃないかと思う。しかし黄瀬くんは吠えた。
「じゃあ今、メアド交換しましょうよ」
「えー……うん、いいです、よ」
「ほらほら、嫌そうな顔しないで!」
半ば強引に携帯を奪われ、赤外線で黄瀬くんとアドレスを交換させられた。ああ、またアドレス帳に『黄瀬涼太』の名前が……悔しい。
あの頃の私は、アドレス帳に表示されるこの名前が憎くて愛しかった。鳴らない電話も返って来ないメールも意味がないものなのに、私はただずっと待っていた気がする。
「今度は消さないで下さいっスよ」
「善処します」
黄瀬くんの笑顔――それを見る度に、私はあの頃の夢見る気持ちを思い出していく。もう戻らないのに、滑稽だ。
心なしか重くなったように感じる携帯を、私はスカートのポケットに突っ込んだのだった。
「俺、メールするんで」
そう縋るような目で見られると弱い。嘘だ、有り得ない、あの黄瀬くんが。と、私の脳内はすごいことになっている。
複雑な顔をする私に、黄瀬くんは爽やかに笑っていた。