「それで、逃げたんスか」
久しぶりに部活のない休日。ファミレスでお昼を食べながら、私は先日の事を黄瀬君に相談していた。黄瀬君はドリア、私はオムライスである。
窓際の席に座り、かれこれ三十分はグダグダと話していた。恋愛経験豊富な黄瀬君なら何か良いアドバイスをしてくれるに違いないと思ったのだ。
「いや、あの、逃げたといいますか……」
「逃げたんスよね」
「……お、おう」
結論を言うと、そうだった。黄瀬君の呆れたような視線が気まずくて、視線を逸らす。
黄瀬君は「それ、敵前逃亡じゃないっスか」とか「何やってんスか、もー」とか言いながらスプーンをぶらぶらとさせた。行儀悪いぞ。
「で、火神っちの事は諦めるんスか?」
黄瀬君がそう言い、ドリアを口に入れる。それから「熱っ」とその綺麗な顔を顰めた。ふーふーする姿は不覚にも可愛く思える。
アレックスさんに会ってからといういうもの、私は徹底的に大我君を避けていた。大我君は何か話し掛けて来ようとするのだが、声を掛けられる前に迅速に逃げる日々だ。部活中も常に無言で黙々と仕事をする私に、先輩達も何か言いたそうな顔をしていた。けれど気付かない振りをする私である。
「俺的には諦めてくれた方が好都合っスけど」
黄瀬君はドリンクバーのアイスコーヒーを口にし、「そしたら俺に振り向いてくれるチャンスが増えるでしょ?」と目を細めた。黄瀬君の大人っぽい表情に思わず顔が赤くなってしまう。
私は黄瀬君のストレートな好意にドキドキしつつ、けれど何と言っていいかも分からないのでただオムライスを口に運んだ。黄瀬君も私の返事を期待していないのか、スマホを弄りながら食事を進める。行儀が悪いぞ。
結論から言うと、私は大我君を諦め切れない。まだ好きだ。愛していると言っても過言ではない。しかしあのアレックスさんの美貌とプロポーションを一度目にしたら、私なんかが敵う筈がないと後ろ向きな考えが頭を過ぎるのだ。
大我君もアレックスさんを大事に思っているのが分かってしまって、ああもう、勝ち目がない。大我君とアレックスさんの、長年で築かれたあの信頼関係には勝てないと思う。年月の差はどうやっても埋めようがないのだ。もし、もしも、大我君がアレックスさんを好きだと思っていたら私に付け入る隙なんてない。
溜め息を漏らす私の手の上に、黄瀬君の手が重なる。黄瀬君の手は当たり前だけど私より大きい。男と女の違いを見せ付けられてドキドキしていると、黄瀬君は優しく私の手を握った。
「俺にしとかないっスか?」
「え、え?」
「俺ならもう、花梨っちを不安にさせない」
まるでバスケの試合中みたいに真剣な眼だ。黄瀬君の双眸に目を逸らせず、見詰め合う。心臓の鼓動が速くなるのが分かった。
「黄瀬君……」
「あーあ、今日のトコは時間切れみたいっスね」
ふいに、テーブルに影が落ちる。黄瀬君が頬杖をつき、挑発的な顔で窓の外を見た。誰かがこちらを見ているような、強烈な視線を感じる。
恐る恐る視線を向けると、大我君が張り付くように窓の外にいた。思わず「ひっ」と小さく悲鳴を漏らしてしまう。驚き過ぎて心臓が口から出るかと思った。正真正銘、私はビビリである。
「た、た、大我君!?」
大我君はロードワークの最中なのかジャージ姿で、偶然、ここを通りかかったようだ。
驚く私に対して大我君は窓越しに何か言う。分厚いガラスのせいで、いまいち大我君の声が聞き取れないが。口の動きや大我君の形相から想像するに多分、そこで待ってろとかそういう類の台詞だろう。
しかしながら私は今、平常心で大我君と顔を合わせる自信がない。絶対に泣いてしまう。慌てて逃げようとするけれど、強く握られた黄瀬君の手が邪魔で動けなかった。
「き、黄瀬君、手を……」
離して、と言いかけた時だ。時遅く「花梨!」と私の名前を呼ぶ大我君の声が間近で聞こえた。ジーザス。ギギ、と油の切れた絡繰人形みたいに鈍い動作で顔を上げると、私達の席の横に怖い顔をした大我君が立っていた。
「黄瀬、テメェ……」
「火神っち、久しぶりっスね」
しっかりと繋がれた黄瀬君と私の手を見て、大我君が怒気を露にする。眉間に皺を寄せる大我君とは逆で、黄瀬君は余裕たっぷりの表情で笑った。
黄瀬君は大我君に見せ付けるように、私の手の甲にキスを落とす。まるで王子様みたいな所作で、それは洗練されていて、私は思わず黄瀬君に見惚れてしまった。本当に気障な仕草が似合う人だ。そんな私の顔は赤いんだろうと、自分でも分かった。
「黄瀬……!」
大我君が反射的に黄瀬君の手を私から払い除ける。私は大我君の反応に驚いて、目を丸くした。対する黄瀬君は大我君の怒っている原因に心当たりがあるのか、挑発するように鼻を鳴らす。
「何で火神っちが怒るんスか? 彼氏でも何でもないんでしょ?」
冷たい黄瀬君の眼。神経を逆撫でするようなその態度に大我君がキッと目をつり上げる。私だったら泣いてしまいそうな程の大我君の迫力にも負けず、黄瀬君は嘲笑した。口許は笑ったまま、けれど鋭い目付きで大我君を睨み付ける。
「俺は花梨っちが好きだ」
「な……っ」
「だから邪魔しないで欲しいっス」
黄瀬君の堂々とした発言に大我君は無言になった。それから少しの沈黙が訪れる。……気まずい。話の中心は私のようで、しかし話にも着いていけず、私はただオロオロと大我君と黄瀬君の顔を交互に見る事しか出来なかった。簡単に口を挟める空気ではない。
オムライスもとうに食べ終わっており、私は借りてきた猫のように大人しくアイスティーを呑んだ。ふいに大我君が何か吹っ切れたように、ははっと笑った。
「邪魔するに決まってんだろ」
大我君の不敵な笑みに、今度は黄瀬君が眉を顰める。大我君はその野生の虎のような眼で、私と黄瀬君を見据えた。
「俺は花梨が好きだ」
黄瀬君の目が驚きで丸くなる。私は大我君の口から発せられた言葉が信じられず、硬直した。嘘。でも、今、好きだって言った?
「だから黄瀬にも、誰にも渡すつもりはねーよ。バスケでも花梨の事でも、俺は負けねえ」
まるで夢みたいだ。熱い大我君の台詞に黄瀬君が笑った。
「火神っちってホント、鈍いんスね。花梨っちが誰を好きかなんて一目瞭然っしょ」
「は?」
「良かったっスね、花梨っち」
怪訝な顔をする大我君を放置して、黄瀬君は私に微笑んだ。それから領収書を手に取ると、「後はごゆっくり」と去っていく。え、あれ、ここで二人っきりにされても気まずいんだが。
「あっ、お金! 私が払うから!」
「いいんスよ。お祝いって事で、ね?」
慌てて席を立とうとすると、笑顔で制される。黄瀬君は私に慣れた様子でウインクすると、今度こそ去っていった。
大我君は黄瀬君の背中を少しの間眺めて、「何だったんだ、アイツ」と怪訝そうに漏らす。しばらくして黄瀬君の姿が見えなくなると、私の席の向かい側にどっかりと座った。
「花梨」
「は、はい! 何でしょうか!?」
私の名前を呼ぶ大我君に、びくりと大袈裟に肩を震わせる私。大我君は話したい事がある、と私の目を見詰めた。
「その前に、何でずっと避けてんだ?」
ドキリとする。やはりと言うか何と言うか、私が避けているのに鈍感な大我君も流石に気付いていたらしい。「えっと、あの……」と言葉を選ぶ私に大我君は「怒らねえからハッキリ言えよ」と促す。
……言えない。アレックスさんにキスされる大我君にショックを受けたなんて言えるわけがなくて、私は俯いた。
彼女でも何でもないのに、アレックスさんとベタベタしないでなんて言えるわけがない。キスしないで、部屋に入れないで、私だけを見て、なんて。醜くて、気持ち悪い。
嫉妬に塗れた汚い自分の心を大我君には知られたくないと思う。この気持ちは重いし、迷惑だ。大我君だって困るだろう。
「……アレックスの事か?」
「!?」
図星を差されて、思わず顔を上げてしまった。大我君は「やっぱりな」と溜め息を吐く。
「ち、違わないけど……」
「アレックスとは何でもねーよ。ただの師匠だし、それこそ姉弟みたいなもんだぜ」
「でも、キス……してたし」
「あー……そうか、向こうじゃ挨拶みたいなもんだしな」
こっちじゃ大ごとになるのか、と大我君は納得したように頷いた。アメリカって凄い。挨拶がキスなら、私、挨拶の度に死にそうになる。
「つまりキスに驚いたのか、お前」
「え、あ、うん……まあ、嫉妬してしまったといいますか……」
「嫉妬? 何でだ?」
大我君が擬音を付けるならキョトン、といった顔をした。まさか、未だに私の気持ちに気付いていないのか。
どんだけ色恋沙汰に鈍いんだ、この人。そんな所も素敵だけども!
「わ、私、大我君が好き、だから」
もじもじとそう発言する私に大我君は、「は?」と大きく目を見開いた。その心底驚いた様子を見て、ああ、やっぱり気付いていなかったのかと感心してしまった私である。鈍い。
「はっ、えっ、お前、黄瀬が好きなんじゃ……!」
「ち、違うよ! 私は大我君が、好き!」
遂に告白してしまった。大我君は私の一世一代の告白に本当に驚いた様子で、カチンコチンに固まってしまっている。
「マジかよ……」
大我君がテーブルの上に突っ伏した。何故か、ぐったりとした様子である。「今まで俺が柄にもなく、どんだけ悩んだか……」とか「黄瀬から奪う気満々だったんだぜ」とか呟く大我君に、何だか申し訳ない気持ちになった。しかし気付かない大我君も大我君だと思うんだ。
「ご、ごめんね」
謝ると、花梨、と名前を呼ばれた。
「何?」
首を傾げる。大我君は体を起き上がらせると、何か言いにくそうな様子で頭をガシガシと掻いた。
「あー……その、カッコ悪いとこ見しちまったけど、俺、花梨の事が好きだ」
赤い顔で告白されて、こちらもカアッと顔が熱を持つ。好きな人に好きだと言われて、夢みたいだ。
泣きそうな顔で、じっと大我君を見詰める。だから……、と大我君が言葉を続けた。
「俺と付き合って、下さい」
緊張した面の大我君に、胸がキュンと締め付けられる。
「喜んで」
そう返すと、大我君は嬉しそうに笑った。
*
そうして私と大我君は幸せなお付き合いを始めた、のだが。
「花梨っち!」
校門前でニコニコと私を待つ黄瀬君の姿に肩の力が抜けてしまう。ずり、と肩に掛けていたスクールバッグがずり落ちた。私の隣を歩いていた大我君はといえば、今を時めくイケメンモデルの登場に嫌そうに眉を顰めている。
大我君と付き合い始めたという事は、間接的に黄瀬君を振ってしまったわけで。もう今までみたいに黄瀬君と会えなくなるかもしれないと少し心配していたのだが、黄瀬君は平然とした顔をしている。
「放課後デート行きましょ!」
更に、あろう事かそう言いながら私に抱きついてきた。それより、デートって……。
「オイ、黄瀬!」
私に親しげに抱きつく黄瀬君を大我君が引き離した。黄瀬君は「何するんスか、もー」と不満気な表情を浮かべている。
「何って……お前、花梨は俺の彼女だって知ってんだろーが」
「でも俺、諦めるとは言ってないんで」
黄瀬君がさらりとそう宣った。黄瀬君が簡単に引き下がるとは思っていなかったけど、まさか、こう来るとは。
呆れて言葉も出ない大我君と私に気付いているのかいないのか、黄瀬君は私に向かって眩しい笑顔を向ける。
「いつでも俺に乗り換え大歓迎っスよ!」
「させるか!」
私の両手を握る黄瀬君の腰を大我君が蹴った。「痛いっスよ!」と吠える黄瀬君に、「知るか!」と返す大我君。
私の騒がしい日常はまだまだ続きそうだと、大声で口論する二人を見ながらそう予感したのだった。
end