「う……」
どれ程の時が流れた事だろうか。
ようやく俺は目を覚ました。
「ここは…」
周り全てが紫色に染まって見える。
「ここはホド、なのか?」
自分達が今までいた研究所という事を示す物さえ、どこにも見当たらなかった。
あるのは、紫色に染まった空と泥の海。
俺はその泥の海に浮かぶ僅かな大地の上にて辛うじて立っていると言えた。
「ハイルさん、気がついたんですね」
「ヴァン!? お前こそ大丈夫か!」
「はい…僕はどうにか。でも、母上が…」
力なく答えるヴァンの傍にはファミリアリカ様がぐったりとして横たわっていた。
俺はすぐさま脈や瞳孔を測って正常かどうか調べた。
「…軽い脳震盪、いわば気絶状態になっただけだ。命に別状はない」
「本当ですか、よかった…」
「ヴァン、どうしたんだ。どこか苦しい所があるのか?」
「違うんです…そういう訳じゃないんです……」
母親の無事を知ってか言葉では喜んでるのに、表情には全くと言っていいほど覇気が伺えなかった。
それもその筈、周りが周りなのだから。
紫に包まれる世界、転がる無数の死体――。
地獄の光景とはまさに現状を指しているんだろう。
遠目で凝らしてみても、見渡す限りは死が似合う紫の世界。
「こいつはもしや、瘴気か?」
【瘴気】
この紫色を帯びた気体は人間を始めとするあらゆる生物に対し毒性を持つ。
短時間、あるいは少量を吸い込んでも害は無いが、長期間に渡って多量に吸い込むと、体内に蓄積した障気が臓器の機能不全を引き起こし、やがて死に至らしめる。
瘴気の発生は一種の鉱脈における毒素成分が地中にて自然反応を起こし、それがガス圧によって生じた亀裂から吹き出す物とされてきた。
歴史学的視点から述べれば、嘗て世界を大分化させた譜術戦争によって引き起こされた地殻変動が全ての始まりと論ずる書誌を目にした事もあったが、結局の所、完璧な真相解明には至ってないとの事だった。
それなのに、『これ』は一体…。
「何なんだここは…」
障気でけぶる空はぼんやりと輝き、時折として雷が閃いている。
「水が空から大量に降り注いでいる――いや、『落ちて』来ているのか? すると、俺達はあそこから落ちてきたというのか。それも大地ごと」
「大地が崩落したんです。――せいで…」
「…ヴァン?」
「全て、僕の…せい、なんだ……」
「…落ち付け、ヴァン」
「ホドは…僕が…滅ぼしてしまったんだ…僕の、力…で……」
「…おい」
「全部全部、何もかも…もう…もう――ッ!!」
「…………」
そうだった、預言が――この崩落はヴァンによって引き起こされた物と。
ヴァンは今、罪悪感に潰され掛かっている。精神が危ういな。
あまり刺激はしない方がいい。
「とにかく、この状況をどうすればいいかよく考えよう。詳しい話はそれからだ」
「う、ぅぅ……」
顔を俯きながらもヴァンは俺の言葉に賛同してくれた。
泣いているんだろう。そりゃあ泣きたくなるだろう、こんな事になれば誰だって。
危なっかしいヴァンの背中を擦って宥めるかのように安心感を与えてやる。
泥の海――ここにあるのはそれだけかと思われた光景に一つの違和感が目に入った。
「何だ、船?」
何隻かの船が泥に揺られてこちらに進んでくる。
もしかして、他にも生存者がいて船共々一緒に。
いや、あんな高さからだ。普通じゃまず助からない。
じゃあ、あの船に乗っているのは誰なんだ?
――今は疑問を抱いている場合じゃないな。
「おーい! ここだ、助けてくれッ!!!」
ふと足元の大地を見てみると、少し前と比べて水面が近づいているのに気が付く。
思った通り、この大地は沈みかかっている!
沈み切る前に離れないと、折角拾った命が無駄になる。
――くっそ、気付いてくれ!
そんな俺の声が届いたのかどうか知らないが、船は当初の予定と変わらずこちらに向かって来る。
そして、とうとう船は俺達の傍で停泊した。
「よし、これで一応安心だな。ヴァン、歩けるか?」
「う、うん」
「お前のお母さんは俺が運ぶ。それと、まだ歩くのが辛ければ肩を貸してやるが、それでいいか?」
正直、俺も怪我や疲労が蓄積していて身体がガタついているものの、この中では一番余力はあるつもりだ。
船は斜路を伸ばし、沈みかけたこの大地を陸として繋ぐと、向こうから人が降りてきた。
数は十人程、俺達の前に立ち並んだ。
「生存者がいるとは…何という奇跡だ」
「あんた達は誰だ? 服装から見てホドの住人という訳ではなさそうだな」
「そう警戒する事はない。我々はここ魔界(クリフォト)にある唯一の町――ユリアシティの者だ。この堕ちた大地――ホドの調査団としてつい先ほど赴いた所だった」
「魔界、ユリアシティ…両方とも聞いたことが無い言葉だ」
「我々の存在は外郭大地に存在するダアトなる都市、そこのローレライ教団に所属する上層部の身にしか知られておらん。お前達が知らぬのも無理は無かろうにて」
「外郭大地…駄目だな、何が何だかこんがらがってきた」
「とにかく共に参るがいい、一先ずは我々の故郷ユリアシティにて話を聞こう」
俺達はそうして、何人かに支えられながらも船に足を運んで行った。
怪しい連中だが、今はこれに甘える事にした。
船の中は不気味に薄暗い。音素灯の譜石が豆電球のような灯りを発している。
俺達が乗船すると同時、船は動き出す。
「おーいヴァン、どこ行ったんだ」
船の中は自由に行動して良いとユリアシティとやらの住人から許可をもらった俺は甲板で人探しをしていた。
船の一室に気絶したファミリアリカ様を寝かし付けた後、ふと気がつけばヴァンがどこにも見当たらなかったからだ。
今のあいつは何をどう思っているのだろうか。
絶望――その感情を俺はよく知っている。実際経験済みだ。
何気なく物陰となる甲板の隅を探してみた所、狙ったかのように膝を抱えて蹲るヴァンが見つかった。
上の空という表情だ。地平線の彼方へと続く紫の世界をボゥッと眺めていた。
俺は静かにその隣に座った。
「隣、もらうぞ」
「…………」
「本当に今日は、その…色々あったな。人生で一番長い日って気分だ」
「…うん」
相変わらず、ヴァンの返事は弱々しかった。
「…ヴァン、何があった」
「…………」
「喋りたくない、か。じゃあいい、無理に話してもらっても後味が悪いしな」
いじらしい程に話は一向に進まなかった。
全てにおいてヴァンの行動が消極的だ。
実際、俺もどうすればいいか考え切れていない。
たとえ自分の知る星の記憶を話そうが、何の価値はないだろう。
――お前のした事は元から決まっていた事だ、だから気にするな?
そんな事実、ただこの子を傷つけるだけだ。
「…ハイルさん」
「何だ?」
「罪って、赦される物なんですか?」
「…難しい質問だな」
思えば、『あの出来事』はまだ俺の中で決着が付かないままだった。
「唯、俺に言えるとすれば――」
――決して忘れて楽になる事も、目を背けて逃げ出す事も出来ない。
――罪というのはそういう『責任』をいうんだと思う。