雪が降り注いでいる。
世界で最も美しく、最も儚い宝石だ。
見る者によって様々な物へと変わる天からの贈り物。
帆を張って緩やかに風を受け、海路をのんびりと進んで行く定期船。
その甲板にて胡坐をかいて気力を無くした目を地平線の彼方へ向ける姿が一人。
俺の心は視界に映る曇った空を反映した海そのものだった。
「…………」
ホドが崩落したのは俺がフェレス島を発ってから約二時間後だったらしい。
フェレス島の人々は戦火が及ぼされる危険性は限りなく低いと知らされていたため、警戒が薄かった。
仮に俺と同時に避難してたとしても、島人全員が避難の準備等に使う時間を考えれば約一時間前。本土に着くまでは更に一時間以上。
しかも、津波の高さは島の高さを考えて50m以上。
船に乗っていたとしても飲み込まれる。
よって生存率――。
「…0に近い、てか?」
思い付きたくなかった、考えたくもなかった。
希望なんて誰ももたらしちゃくれない。
「…糞」
甲板床へと拳を振り下ろす。
何度も何度も、痛みさえ忘れて…。
「糞ったれッ!!」
このどうしようもない結末を前にどう判断したら良いか心が追い付かない。
「パパー、見て見て雪だよ!」
「本当だ、そろそろケテルブルクに着く頃じゃないかな?」
初めは甲板にいるのは俺一人だった。何せここでは寒冷な空気に肌を晒すため、普通なら船内に籠るからだ。
今この場に来たどこぞやの父子は大方、客室の窓から雪が降るのを見たから、直接目にしてみたいと考えたんだろう。
空から降り注ぐ雪を目にして興奮しているのが見えた。
そういえば、俺は父さんや母さんには殆ど我儘を言った事は無かったな。
子供らしく振舞い、仮面を被る日々。
別に冷めた生活ではなかったが、その頃に必要な物といえばオールドラントを知るため、知識として必要最低限の物くらいしか欲する物は無かった。
今思えば、他人から見ればつまらない奴に見えたのかもしれない。
ノワール達の言う通りなんだろうか。
――もう、今更…だが……。
「ははは…」
両親か…。前世でも病院で働くようになってからは全然顔を合わせた事すら無かったな。
人生二度に渡って親不孝もんだよ、俺は。
――もう何も残っちゃいない。
己自身を哂いながら眼から一筋の涙を流した。
「えーそろそろ到着いたします、船を降りる準備はお早めにお願いします」
船員がいつの間にか甲板の入り口に立っていた。
どうやら船室に居ない人間を探して到着の知らせをわざわざ伝えに来てくれたらしい。
大したサービス精神だ。
「…ケテルブルクか」
たしか、銀世界と呼ばれる雪国の街だった筈だ。
昔、ホドへ初めて家族で旅行に行く際、別の旅行パンフレットにケテルブルクの物があったのを見た事があった。
俺は一通り、主要な町については頭に入れている。
考え無しでこの船に乗ったが、乗ってしまったものは仕方がない。
少しはどうするべきか考えざるを得ない。
近づいて来る一面真っ白な大陸の向こう側には音素暖炉や音素灯の光が住宅から漏れる景色が見えてくる。
嘗て前世で旅行へ行った北海道の景色に少し似ているとふと頭に浮かんだ。
船から降りた後、今日の宿を探す訳でもなく俺はケテルブルクの店舗を見物したりして時間を潰していた。
ホドやフェレス島のような賑わいは無くとも、ここは立派な屋敷や店がある。
そういや、ここはマルクト貴族の別荘も多く建てられているって聞いた事もある。
中でも一番有名なのはケテルブルク宮殿だろう。
歴代マルクト皇族御用達な別荘だったが、今は老朽化が進んで記念建造物と化した観光名所となっている。
あんまり需要があるとは思えないがな…。
にも関わらずケテルブルクは全体的には何と言うか…田舎っぽい。
俺の結論としてはこんな感じだった。
「…というか、向こう側にある屋敷がある意味別物って感じだよな」
中でも別格な大きさを誇る屋敷がひっそりと佇んでいる。
この街における違和感の正体としてはこれが挙げられた。
船から降りる際、観光目的で来ていた乗客に聞いた所、なんでも現皇帝の眼を付けられている重要な人物が住んでるとの噂らしいが…。
詳しい事は分からん。あの屋敷だけが全て知ってる事だろうし。
「ふぅ…」
一先ず俺は近くにあったベンチに座った。
雪が降り積もっていた為か座所は冷え切っており、冷たい感触を我慢しつつも腰を降ろした。
肘を両膝に立て、両手を軽く平で重ね、そこに顎を乗せる。
この体勢で出来る楽な姿勢だ。
俺の視線の先にはこの町に住む子供達が広場で遊んでいる光景。
そこには雪合戦やカマクラを作ってたり、雪玉を大きくしたりと色々な遊びが繰り広げられていた。
その光景は微笑ましく、少し微笑が浮かんだ。
「…子供、か」
そういえば、俺は結婚なんて考える暇もないくらい突っ走ってきた。
最後にたどり着いた戦場では幾人もの出会いを医者として通じてきた。
その中で子供達とも色々触れ合ったりしていたな。
例えば、勉強を教えてあげたり、美味しい物について教えてあげたりと色々やった。
嫌がる素振りなんて全く見せなかったさ。
皆、勉強や新しい事を知る事がとても大好きな子達ばかり。
前世での俺の故郷に居る『今時の』ガキ共にはありえない話だよな。
正直、あの国には大人の癖にこの子供に教わるべき事が多く居るって事実。
押し付けられる物ではなく、自然と身に付く筈の道徳が欠落しているっていう酷い話だ。
生きるという行為を正直嘗めているとしか言いようがないからな。
でも、あの子達は知りたい事がたくさんあった。
まるで『知りたくない事』こそ存在しないってみたいだった。
今思えば、皆本当に良い子達ばかりだった。
なのに、どうして彼らは『あんな場所』で…あんな時代に生まれてきてしまったのだろうか。
実は、彼らの中には亡くなった者も少なくは無かったんだよ。
病気で、戦火で、怪我で――。
ある日は地雷で両足どころか下半身を失った子達――。
時には枯葉剤による影響で生まれて来てしまったシャム双生児達――。
生きる希望も未来も『身勝手な大人達』によって唐突に奪われた子達を俺は沢山見続けてきた。
そんな俺が救えたのは2、3割程度でしかなかった。
限界があった。一人で何でも出来るとは考えては無かったが、それこそが悔しい事実だった。
病で永く生きられないかもしれないと嘗て宣告された事もあった俺も所詮、恵まれた人間として生まれ育った類。
恵まれていなければ、凡人としてそのまま生を終えていたかもしれない人間。
「俺だって結局は偉くもなんともない、唯の人間だよ…」
誰かの支えがあるからこそ人は成長していく。
その支えが大きければ大きいほど…。
だけど、その大きさゆえに道を外す者もいるのが現実。
世界はどうしてこうも複雑なのだろうか。
「世界は常に残酷だ…誰か一人の為に働きかける事はない…だから、自分自身が動かなければならないってどこかで聞いたっけ」
――忘れるな、この苦しみを…。
――刻みつけろ、この痛みを…。
――二度と神に誓うな、己に誓えッ!
「それこそが…本当の……」
「ブ――」
葛藤し続ける中、足元にふと違和感を感じ取った。
どうやら何かが俺の足元を小突いているみたいだ。
「あん?」
思わず視線を下へと降ろしてみると――。
「ブ――!」
『ブウサギ』と呼ばれている生き物がいた。
体格から見るにまだ子供のようだ。
おまけに首にはリボン、胴体には服を着せているとなると、誰かが飼っているペットだろうか?
ブウサギをペットにするなんて珍しい奴がいたもんだ。
こいつ等、普通は食肉用の家畜として買われる生き物なのに。
とりあえずそのブウサギを手で軽く持ち上げ、膝の上に乗せてやった。
「どうしたんだお前、飼い主から逸れたのか?」
「ブ~~…」
「…そうか、大丈夫だ。きっとお前の飼い主は探し出してくれるよ。だから安心しておきな」
「ブ――!」
正直、このブウサギが発する言葉(鳴き声)は分からないが、何やら以心伝心したためか、なんとなく程度に言っている事は感じ取れる気がする。
――しばらく面倒見てやっておくとするか。
なら見つかるまで見守っているぐらい良いだろう。
でもホント、こいつの飼い主は誰なんだ?
ちょっと顔を見てみたい気もするな。
「てんめえぇぇぇ――――ッ!! 俺のネフリーに何しようとしてやがんだあぁぁぁ――――ッ!!!」
ちょっくらブウサギを膝に乗せるのに楽な姿勢がいまいち決まらず、四苦八苦していた所、何やら叫び声が聞こえてきた。
若干苦しそうなのか、軽く暴れるブウサギを抱きかかえながら辺りを見渡してみるが、声の主らしき人物は見当たらない。
ならばまだ探してない背後――後ろへと目を向けてみた。
そんな俺の目に映ったのは…。
雪と泥に塗れた靴の裏によるドアップであった。