深淵の異端者   作:Jastice

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第32話 虎に遭遇したらマタタビを与えてから逃げるのが効果的である

 青々とした苔のこびり付いた岩壁が自然の迷路を形作り、群生する樹が立派な彩りを飾るテオルの森。

 本来、この地には中心にてグランコクマへと続く検門がそびえ立っており、何者もこれをくぐる事が正規の通行手段となっている。

 故に不正侵入を企てる輩を徹底して排除すべく、外路となる道という道には常にマルクト兵が見張る陸地側の防壁だ。

 自然の迷路である分、土地勘を持たぬ者にとっては攻略難度を飛躍的に上げる役割を持つ訳で、相当厭らしいといえる。

 

「見つかったか?」

「変わらずの結果です。ここら一帯に逃げ込んだと情報は入っているのですが…」

「引き続き第二と第四は捜索を続けろ。第三は師団長の不調により、今は迂闊に動かせない状態にある」

「了解しました」

 

 普段とは違う規模での増援。

 大勢の鎧が擦れて激しく音を立てながら離れていった。

 

「しかし、向こうも安心しては居られん筈だ。テオルの森の奥深くには我々マルクト兵でさえ手こずる強力な魔物もまた数多く生息する。根を上げるのも時間の問題だろう」

 

 

――――――――――――――――――――

 

 

「あつつ…火傷と切傷が一度に両方か……」

 

 俺はカーティス少佐の譜術によって受けた傷跡を治癒譜術で応急処置していた。

 無論、見つかるなんてヘマを起こさないよう、敢えて巨木の上に位置してだ。

 太枝が座るにはちょうど良い平面となっており、手元にある荷物を並べておく事も出来る広さだった。

 

「…今の内に狙撃譜銃を組み立てておくか」

 

 この森はそこらの雑木林とは訳が違う。

 フレスベルグやライガといった魔物の上位種が生息していると聞いている。

 仮にそれ等が群れで襲って来られたら――その時は間違いなく俺は魔物共の胃袋に収まっているに違いない。

 武力という名の対策は立てる越した事は無い。

 

「ネジに引き金に安全装置に――と…」

 

 一つ一つとパーツを順番に組み立てていく。

 ベルケンドで最初に修理を終えた頃から何度も練習を重ねてきた。

 今では一分以内で組み立てを完了できるくらいに。

 

 上部と下部の二つに纏めて後は結合して完成の所、物音が聞こえてくる。

 

「ここら辺はまだ調べてはいないそうだ」

「では、我々第二師団はこの辺りを中心に捜索を開始する。散開!」

 

「「「ハ――――ッ!!!」」」

 

 

「…意外に早いな。ここまで来ているとは…」

 

 極力、物音は立てない方が良いだろう。

 葉が擦れる音だけで気付かれる可能性があるかも知れないからな

 

 俺は少し顔を出すようにして太枝から下の様子を覗いていた。

 

「反逆者シュヴェールは譜術の手練れであると報告されている。発見時にはむやみに近寄らないのが得策といえる」

 

 おいこら、俺は猛犬注意のレッテル付きな大型犬か何かか?

 何にせよ、せいぜい隅々まで探しておけ。

 俺は高みの見物とさせてもらうからよ。

 

「よし、完成!」

 

 こうしている間に狙撃譜銃の組み立てが完了した。

 最後に照準器の調整として一発撃ち込みたい所だが、音が出る時点でNGだ。

 

「それにしても、静かになったな…」

 

 検門から遙かに離れ、奥深くへと潜ったテオルの森は人の手が加えられていない分、鬱蒼とした雑草が生い茂っていた。

 今潜むために利用するこの巨木にも何やら訳の分からぬ蔓状植物が幾重にも巻き付いている有様。

 あの燦々と降り注ぐ陽光溢れるテオルの森とは到底思えない。

 薄暗くじめじめとした樹海という名の方が似合う。

 

 本来、テオルの森はマルクトの主要領土となるルグニカ大陸の四分の一を占める広大な土地だ。

 環境の保全・魔物の脅威が一番の理由であるが、人の手による開拓状況は不変という結論を保っている。

 というのも、テオルの森の反対側――西側にはローレライ教団が聖獣として崇め、保護条約を二国で結んでいるチーグルが住む土地――チーグルの森がある事でややこしい事になっているんだがな。

 フーブラス川の上流で境目があるんだが、下手に手を加えようものならばダアトに御小言を頂きかねんからマルクトも慎重になってるとか…。

 預言詠んでもらってる手前、面倒臭そうな政治が絡んでいるんだろうな。

 

「はっきし言って内政干渉ギリギリなラインだよな…」

 

 本当に、宗教国家というのは政治に影響力を持つようになるとかなりややこしくなるもんだ。

 全ては前世での歴史が物語っている。代表的な物としては『十字軍』だな。

 七回も『神の思し召しなままに』を口実に進軍して、結局目的は達成されなかったが、今まで敵として見ていた側から得た副産物の方が有意義だと評価される皮肉的な結末。

 宗教的な意義なんてまるっきし関係なく、普通に交流を進めていけば無駄に血を流す必要がなかったと後世で論じられる始末だ。

 

 ――花より団子ならぬ、神より文化。

 

 思想の統一化なんてもんに力を入れるより、一人一人の長所を伸ばす事に専念した方が真に世の中のためになるってもんさ。

 

「ワイヤーガンの手入れでもしとくかな?」

 

 少々暇となった俺はケースに入っている手入れ道具を取り出そうとする。

 

 

「うぎゃああぁぁぁ――――ッ!!!」

 

 

 ――悲鳴?

 何が起きている? 何やら尋常ではない様子だな。

 

「…………」

 

 だけど、俺は逃亡者の身だ。

 態々危険を冒す行動は避ける必要がある。

 

 ――すまないな。

 

 悲運にぶつかったのは運命として諦めてくれ。

 

「…………」

 

 そう、これでいいんだ…これで……。

 

 

――――――――――――――――――――

 

 

「げぼぉッ!」

「た、態勢を立て直せ! 散り散りになると一人に集中して攻撃されるぞ!」

「だ…だめです! 毛皮が分厚くて刃が通りません!」

「譜術だ、譜術を使え!」

「うわあぁぁぁッ!!」

 

 なんて事だ。

 まさか、ライガの集団に出くわしてしまうとは!?

 まずい、もうすでに七人がやられてしまった。

 全滅もあり得なくない。絶体絶命だ。

 

「避けろ!」

「…………ッ!?」

 

「グオォォォ――――ッ!!!」

 

 一瞬、気を反らしていた私の隙を突くかのようにライガの一匹が丸太のような腕に付いた爪で引き裂こうと振り下ろしてきた。

 

「う…く……ッ!!」

 

 私はそれに反応し、すぐさま横に飛んで回避を図った。

 何とか成功してその爪は空を切る。

 

「あ"あ"ぁ"ぁ"あ"あ"あ"ぁ"ぁ"ぁ"ッ!!!!!」

 

 一人、また一人と減っていく。

 

 ある者は硬質な爪で…。

 またある者は強靭な牙で…。

 そのまたある者は屈強な体躯で…。

 

「ぐ……ッ!」

 

 次々と相応しい死を与えられていく。

 気がつくと、生き残ったのは私一人だけとなっていた。

 

「グアゥッ!!」

 

 左から爪の一撃。それを何とか剣で防ぐが、ライガの一撃一撃は酷く重い衝撃であり、細見な身体である私にはどうも受けきれない。

 

 ――どうにかして退くしかない、何としてでも生き残らなくてはッ!

 

 だが私の切実な思いをあざ笑うかのように、よろめいた所を脇から別のライガが襲い掛かった。

 

「う"ぁ"――ッ!?」

 

 しまった! 左手を噛みつかれ――。

 

 認識するよりも先に身体が宙へと放り投げられる感覚に襲われた。

 

「があぁぁぁ――――ッ!!」

 

 私は噛みつかれた左手から振り回されるがまま、勢いよく樹木に叩きつけられ、転がって行

った。

 

 ――もう駄目だ…。

 

 三匹ものライガ達を一人で相手するには私では実力不足だった…。

 

「う…うぅ……」

 

 あちこちと痛めつけられた全身が麻痺する。

 これではしばらく立ち上がれない。

 

 だが、『奴等』は待ってはくれない。

 

 三匹のライガが私を囲み出した。

 唸りを上げて舌舐めずりをしている。

 ライガ達にとって私はもはや食するだけの餌でしかないようだ…。

 

「これまで…か……」

 

 もはや逃げられない。

 私は覚悟を決め、眼を静かに閉じて死を覚悟した。

 その答えに応じるかのようにライガ達は口を開け、私に牙を突き立てようと飛びかかってきた。

 

「グァゥッ!?」

 

 鈍い音が響く。

 来る筈の痛みが一向にやってこないのを不審に思い、満身創痍にも関わらず遠退きかけた意識を根性で持ち堪え、視界を維持した。

 

 視界一面に映るのはたなびく白い布。

 微かな隙間の下からは二本の足を覗かせ、さらに奥には顔を泥で汚した先ほど飛びかかってきた筈のライガの姿。

 視線を上に動かそうにも、首さえ満足に動かせず、目の前にいる存在が何者かも確認が出来ない。

 

 こうしている内、破裂音が耳に入った。

 

「ギャンッ!?」

 

 いつの間にかライガの首筋に何かが刺さっていた。

 

「…その食事、待ったと言わせてもらおうか?」

 

 声からして男。

 正体を少しづつ探る私を他所に、二匹目のライガが男を敵討ちといわんばかりに襲い掛かった。

 だがこれも叶わず。男は何と空高く飛び上がり、ライガの特攻を回避せしめたのだ。

 そのまま男はライガの背へと勢いよく降り立った。

 まだ顔ははっきり見えない。

 

 そのまま男は右手に持つ物をライガの首筋に押し付けるや、また破裂音が響き渡った。

 

「ギャゥッ!!」

 

 その途端、ライガは暴れ出した。

 それに転じて男はライガの背から素早く降り立ち、残った最後のライガに長い棒状のような物を向けた。

 

「退け、命を粗末にするな」

「ガルルルッ!!」

 

 男の言葉はライガには通用しない。

 尾を立て、毛を逆立て、威嚇をし続ける。

 まだまだ戦えるぞと鼓舞しているかのようだった。

 

「…もう一度言うぞ、退け」

「グオォォォ――――ッ!!!」

 

 やはり言葉は通じない。

 ライガは本能のまま、男を咬み殺そうと突撃してきた。

 これに対し、男は長い棒状の物を上へと向けるや――。

 

 ――耳がつんざく程の炸裂音を辺り一面に覆い尽くした。

 

「――――ッ!?」

 

 これにはさすがのライガも驚いてその場に立ち止まった。

 次には飛び退いて距離を取り始めるくらいだ。

 

 男はライガに対する警戒を怠らぬまま、横たわる私の元へ近寄るや、私の身体を肩で担ぎ出した。

 いきなりの事に私は混乱したが、生憎この身は激痛で動けぬ身。

 男に成すがままにされるしかない。

 

 私は流れるがまま、男の行動によって空へと一緒に飛び去って行った。

 

「グオォォォ――――ッ!!!!!」

 

 後に残ったのは悔しそうに咆哮を上げるライガの姿。

 

 ――助かった…。

 

 安心感に包まれるや、私は遂に意識を失った。

 

 

――――――――――――――――――――

 

 

「おーいしっかりしろー」

「ぅ…ぁ……」

 

 助け出せたのはこいつ一人だけか。

 残りの九人はすでに事切れていたからな。

 

「ふむ、左手には咬み痕と背中に軽い打撲か…」

 

 だけど、あの時たとえ全員が生きていたとしても、全てを助けられなかっただろう。

 ワイヤーガンは重量200kgまでしか持ち上げられないからだ。

 俺の体重が65kgだからあと二人は持ち上げれる計算になるが、それは生身の場合に限った話。

 鎧を着込んだマルクト兵ならば重量は大幅な誤差を生じる筈だ。

 ワイヤーの張力は強力だが、肝心な譜業が出力不足。

 今度改良するとしたらここが挙げられるな。

 

 それに、麻酔銃の方も魔物用ではなく人間用に濃度を調整してある。

 あの時、ライガ相手に使ってみたが、本来なら効果が出る時間が過ぎてもピンピンしていた。

 不明確な状況に立ち向かうよりも、今回としては三十六計逃げるに如かずだ。

 

 まぁ、どちらにせよ生き残り自体が一人だった。

 一人しか助けられなかったのには変わりない。

 

「私は…生きてるのか……?」

 

 お、ようやく目が覚めたか。

 

「残念だが、お前以外は全滅だ」

「それにお前は――何故、助けた…私とお前は…の、筈…だ……」

「…別に気まぐれだ」

「気まぐれ、だと…」

「あーあ、俺ってばどうしてこうも非情になり切れんのかねぇ…消毒するぞ」

 

 俺は用意した消毒液でマルクト兵の左手を消毒し始めた。

 

「~~~~ッ!!?」

「我慢しろ、動物の牙ってのは雑菌だらけなんだ。一度感染を引き起こしたらかなり大変な事になる物もあるから今の内に洗い流しておいた方が良い」

 

 その例として狂犬病があるが、オールドラントにはそういう類の病気に関して詳しい情報は載っていない。

 病原菌自体が存在しないのか、ただ見つかっていないのか…。

 何にせよ、ワクチンが無い以上は彼の運そのものに祈るしかあるまい。 

 

「命を司りし女神の抱擁を、≪キュア≫!!」

 

 傷が深そうに見えるが、腱はやられてないので中級の治癒譜術で十分だろう。

 淡い光がマルクト兵の腕に照らされるや、傷は既にすっかり無くなっていた。

 

「腕はもう大丈夫だろう。一応調べて見たが神経の損傷も無しだ。背中の打撲も安静にしておけばまた兵士として復帰できる程度だ」

「…………」

「…やれやれ、そろそろ離れた方がいいか」

 

 まだこちらに気付かれては無さそうだが、何人かの青い姿がチラチラと見えてくる。

 

 ――別隊のマルクト兵達だ。

 

「…私は何も見なかった。ライガに襲われて命からがら逃げ伸びた。だからこそここにいる」

「ん…?」

「これが全てだ。私はお前を『見ていない』」

「…見逃してくれるのか?」

「何の話をしている。私はお前など知らない。さっさと行け」

「それはありがたい。貸し一つだな。そうだな…いつかは分からないが、もしもお前がまた死にそうな目に合って大怪我をしたら、一度だけ手術しに来てやるよ」

「…期待せずに待っている」

 

 

――――――――――――――――――――

 

 

 反逆者として我々が追っていた男はあっという間に姿を消した。

 私はそのまま木に背を預けていると、しばらくして別行動をしていた第四師団の班員がやって来ていた。

 

「どうした、何があった!?」

「お前は、確か…第二師団の先行隊メンバーか?」

「おーい、誰か担架を運んで来い。救護者発見だ!」

 

 こうして、私は生還を果たした。

 この後、テオルの森に設置されていた作戦司令本部のテントへ連れてこられ、仲間に見送られながら怪我人用のベッドへと運ばれた。

 

「まだ若くて軍に入って間もないのに災難だったな」

「いえ…貴重な体験だったと思ってます」

「ハッハッハ! そうだな、何事も経験ってのは大事な事だ」

 

 年配の兵士に見守られながら、マルクト軍の軍医による診断が始まっていく。

 

「それより司令本部へ被害状況を伝えないといけない。生存者であるお前の所属と名前をまず教えてくれ」

 

 私は報告書を片手に立つ彼へと向かって伝える。

 愛する私の故郷――マルクトに尽くすべく、使命を携えて軍の門を叩いた証を…。

 

「マルクト帝国軍第二師団所属…アスラン・フリングスです……」

 

 

 これは、のちに将校となるある若き兵士のほんの一出来事ーー。

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