Fate/off the Record   作:十字

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Note. 2 地に這う主と天駆ける従者<Rider>

 鳥になりたいと思った。

 

 煩わしい規律に縛られることもなく、

 周囲との関係に悩まされることもなく、

 己の無能さを呪わなくても生きてゆけるような。

 

 それは陳腐な願いかもしれなかったが、少年は確かに、空を飛び去ってゆく鳥を羨望の眼差しで見送っていた。

「いいよなぁ……」

 ……空ばかりを見続けていれば、そのうち飛んで行けたりはしないだろうか? そんな思春期の悩みをそのまま形にしたかのような夢想に耽っていた彼の意識は、強烈な揺さぶりを受けて現実に引き戻された。

「すまーん! シンジ、そのボール取ってもらえないか?」

 原因は、頭へのサッカーボールの命中。いたた、と頭をなでさすりながらも、少年――間桐慎二はボールをクラスメイトの男子の下へ放る。

 今は体育の授業中。サッカーの試合で、慎二は補欠として待機しているところだった。補欠なのにチームの試合を見ていなかったのだから、ボールがぶつかったのも自業自得というものだ。そう思ってサッカーボールの行方を目で追おうとした慎二の耳に、聞きたくない言葉が飛び込んでくる。

「だから言ったろー? ワカメは避けられるほど運動神経ねえって」

「ハイ俺の勝ちー! 帰り奢れよ?」

「ちっくしょう……ホントクソだなワカメの奴。今度ぶつけるときは俺がやるわ」

「どうせまた避けられないっしょwww それもう賭けになんなくね?」

 彼らは楽しそうに、本当に楽しそうに話しながらサッカーを続けていた。

 一体何がそんなに面白いのだろう? 人をコケにするのは、彼らにとってそんなにも楽しいことなのだろうか。

 ……きっとそうなのだろう。

 何故なら、こんなものはもう何度も繰り返されてきた光景で別段珍しいことでもないからだ。

 

 教科書の数ページだけが破かれていたこともあった。

 椅子が隠され、代わりにゴミ箱が置いてあったこともあった。

 痴漢呼ばわりされて職員室まで連れて行かれたこともあった。

 

 彼らは日課の如く新しい嫌がらせを考え、その都度慎二に対して実行した。他のクラスメイトはたいてい、それを見てニヤニヤと笑うか、哀れみの視線を向ける。教師たちは概ね慎二に同情的だったが、苛めの阻止に動いたことは今のところなかった。

 他人を憎もうとは思わない。いじめをするような人間はどこにでもいて、特別な悪人というわけではない。

 恨むべくは自分の無能さだった。

 

 勉強しているはずなのに頭は悪く、

 運動も本気でやっていても並以下で、

 特技は存在せず、人付き合いも上手くいかない。

 体型はろくに筋肉もないひょろ長で、髪はクセ毛のせいで気味悪くのた打ち回っている。

 

 こんな、典型的な苛められっ子を体で現したような状態では嫌がらせされて当然だ。

 鳥になりたいと願うのは、そんな地に這いつくばるような自分の姿があまりに醜く、正視できないから。

 そう、本当に醜い。

 これでは自分はまるで、あの蟲のように……

「おい、慎二! 授業終わってるぞ」

「……あ、は、はいっ!」

 慌てて回りを見渡すと、既にほとんど誰もいない。呆れ顔の体育教師がこちらを見ているだけだった。

「全くお前は……。そんなだからクラスのやつらと打ち解けられないんだぞ」

「はい……すみません」

「まあいい。ボールの片付けだけしておいてくれ」

「はい、わかりました……」

 ……結局、一つのサッカーボールに描かれた自分の顔と「クズ」という落書きを消してボールを片付け終わる頃にはホームルームは終了しており、慎二は無断早退という扱いになっていた。

 

 

 

 今日は特に上手くいかない日だった。

 そう思って落胆しながら歩いていたら、気が付いたときにはもう家の前だった。

 間桐の家は不必要なほど広い屋敷で、これもクラスメイトには「ワカメには勿体ない」とよく言われている。別に慎二も好き好んで暮らしている訳ではなかったが、かといって気軽に引越しなどできそうもない。

 それでも、慎二は学校よりは自分の家が好きだった。いじめっ子がいないのも勿論理由の一つだが、もっと大きな理由がある。

 自宅なら、思う存分趣味に興じられるからだ。日々の唯一の楽しみである趣味に。

 家の扉を開け、いくつかの部屋を素通りして台所で飲み物だけ取ると、慎二はいそいそと自室に向かった。

「あれ? 兄さん、帰ってきてたんですね」

 が、その途中である人物に出くわした。

 全体的に整った容姿に大人しそうな目尻、綺麗に揃えられた髪を持つ、どこかの令嬢のような少女。

 彼女の名は間桐桜。慎二の義妹にあたる人物である。

「あ、ああ。……ついさっきね」

「そうですか……あっ!」

 慎二のことをまじまじと眺めていた桜は何かに気付いたらしく、ちょっと待っていてください! と言うと、いそいそとリビングのほうへ歩いていく。

「……頭にたんこぶができていますよ。これで冷やしてください」

 そう言って桜が持って来たのは冷水で冷やしたタオルだった。どうやら、体育のときのアレがこぶになってしまっていたらしい。

「ありがとう、桜。……でも、そんなに気を使ってくれなくていいよ。僕の場合、こんなのは日常茶飯事だからさ」

 言いながらタオルを受け取ると、

「だから駄目なんじゃないですか!!!!」

 大目玉を食らった。

「全くもう、兄さんはいつもいつも……。もっと自分で自分を大事にして下さいよ――」

 ああ。これは説教モードだ、と慎二は心の中で思う。この状態になった桜はしばらく慎二を開放してくれない。本当ははやく自室に篭りたいところだったが、無論悪いのは桜ではなく自分だ。であれば彼女の厚意を無下にするわけにもいかない。桜の気が収まるまで、少しの間このままいようと慎二が決意したその時。

「……本当に、兄さんがそんなだから、私が気を使うはめになってるんですからね!」

 その一言で、慎二の思考が完全に停止した。

「……桜」

 自分がグズなせいで、桜に無理に気を遣わせている。それは、つまり、

「……なんですか、兄さん? 何か言い分があるんですか?」

 自分が、自分という醜いモノが、桜を貶めているということ。自分という駄目人間が、桜の足枷になっているということ。

 

――そう。まるであのとき桜を蹂躙していた、汚らわしい蟲達のように。

 

「桜ごめんよ! ごめん! ごめん! ごめんごめんごめんごめんごめん!!!!! 僕がクズでごめん! 僕が醜くてごめん! 桜の邪魔にしかならなくて、お荷物にしかならなくてごめん!!!!!」

「兄さっ――」

「ごめん!」

 桜から逃げるようにして走り、自室に飛び込む。

 扉を閉め、すばやく鍵を掛けてから扉を背にして床に座ると、そこでようやく、少しばかり気が落ち着いた。

 

 

 

「兄さん……」

 桜は少しばかりの間、部屋の前で止まっていたようだったが、やがて諦めたのか遠ざかってゆく足音が聞こえてきた。

 その音を聞いて、ようやく胸のざわつきが完全に消える。心が静まり、冷静な思考力が戻ってくる。

「はっ……」

 どうしようもない自嘲の溜め息が漏れた。

 何ということだろう。自分はクラスのいじめっ子どころか、妹相手ですら逃げ回るほどに情けない存在なのか。

「ははは……」

 乾いた笑いが部屋に響き、開け放たれた窓から外に漏れていった。

 自棄になって投げた足に、何か尖ったものが触れる。疑問から膝辺りに向いていた目線をずらして足元まで辿ると、その正体に、慎二はもはや神に見放されたのかと再び絶望した。

 落ちていたのは小さな模型だ。飛行機、それも一昔前の軍用航空機の模型。

 それは慎二の宝物の一つにして、彼の趣味そのものだった。

 人を乗せて自在に空を飛び回り、武器で敵対者を屠っていく戦闘機や爆撃機は、慎二からしてみれば「自分が絶対に持ち得ない憧れの塊」なのだ。だから、例え小さな玩具であろうと、それを持っていることで慎二の気はいくらか安らいだし、どれも買ったその日から夢中になって組み立てた。

 今足元に転がっているのは一昨日買ったばかりのものだ。組み立て途中だったものが先ほど部屋に飛び込んだ衝撃で落ちてしまったのだろう。そのときは全く気にする余裕もなかったが、結果を見ればますます自己嫌悪に陥ってしまう。……本当に、僕は何て愚かなのだろうか。

「……はあ。これは僕じゃ直せないかもしれないな……」

 手にとって具合を確かめてみると、主翼部にひび割れが入ってしまっていた。見えるところのひび割れはよほど綺麗に修復できないと目立ってしまうので、どうしても完成度に影響してきてしまう。

「かといって、新しく買うってのは勿体無いよな。とりあえず完成させて……あれ?」

 さっきまで動揺の連続だったので、全く気付かなかったのだが。

 いつの間にか、手の甲に妙な模様が描かれていた。

「……ふーん」

 が、慎二がそれを疑問に思ったのは一瞬だけだった。

 当然、その正体――令呪と呼ばれる、聖杯戦争への参加権にしてサーヴァントへの絶対命令権――を瞬時に看破したわけではない。

 ただ、「いつの間にかあいつらにイタズラされていたんだな」と思っただけである。

「擦っても落ちないってことは油性ペンか。確か、油なんかを塗ればある程度落ちたような気がするな」

 以前いたずらされたときのことを思い出し、台所に目的のものを取りに行こうと腰を上げる。

 と。開け放たれていた窓の外から、きゃあ、という小さな悲鳴が聞こえた。

 女の悲鳴が。……いや。

 間桐桜の悲鳴が。

「――っ!!」

 考える余裕などなかった。

 模型を持っていることすら忘れ、気が付いたときには窓から跳んでいた。

 10メートルほどの自由落下と着地。足元は芝地だったが、それでも足首に鋭い痛みが走る。

「き、きゃああ!」

 その真横で、再び桜が悲鳴を上げた。急いで声の方を向くと、そこには――

「に、兄さん……何をしてるんですか……?」

 こちらを向いて、目を丸くしたまま固まった桜が立っていた。

 ……そして。

 それだけなら良かったのだが。

 そう、それだけなら安心して終わりだったのだが。

「何だ、喚び出されたと思ったら、いきなりマスターが窓から飛び降りはじめるとは、これは一体どういうことだね?」

 もう一人。

 慎二の傍に、楽しそうな顔をした軍服姿の男が佇んでいて。

「まあ何にせよ、度胸があるのはいいことだ。……それに飛び降りるのは私も嫌いではないな。お互い、良いパートナーを引けたということではないかね?」

 唖然とする慎二の目の前に、右手を差し伸べてくるのだった。

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