その逃避は儚く現実に敗れる。   作:藍川 悠山

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 とある寮の一室。

 駆逐艦に属する少女が三人、姦しくもなくそれぞれくつろいでいた。一人は畳に大の字で寝そべりながら天井をつまらなそうに眺め、一人は備え付けの机で書類の作成に勤しみ、一人は二人の間のちゃぶ台に鏡を置き、その二つに分かれた長い髪を整えている。

 

「あー、退屈ー……」

 

 寝そべっていた少女──白露がふと呟く。

 そんな彼女が視界に入っていた髪の手入れをしていた少女──村雨が返答する。

 

「遠征から帰ってきたばかりなんだから退屈くらいでいいんじゃない?」

 

「その退屈な遠征から帰ってきたのに退屈だからぼやいてんのー!」

 

「退屈だったら時雨ちゃんのお手伝いをしてあげたら?」

 

 その言葉を聞いて、机に向かっていた少女──時雨が振り向く。

 

「白露、手伝ってくれるのかい?」

 

「書類作成は手が疲れるからやだ」

 

「だろうね。僕としても再提出するハメになるだろうから遠慮するよ」

 

「む、あたしだって報告書くらいは書けるよ。それも一番早くね!」

 

「そのせいで字が汚くなってリテイクをもらうんだよ。一番にこだわるなら誰よりも綺麗な字を目指して欲しいな」

 

「綺麗かどうかなんて、そんなはっきりしない一番に興味はない!」

 

 仰向けのまま断言する白露を尻目に、時雨は肩をすくませつつ机に向き直った。

 

「遠征がもう少しやりがいのある仕事ならなー。そもそも安全な海路で行く輸送船を護衛する必要なんてないじゃん」

 

「あら、海上護衛もやりがいのある仕事じゃない。制海権がほとんど掌握されている中で絶対に安全な海路なんてないんだから私達の護衛は必要よ、きっと」

 

「村雨の言う通りだね。確保されている海路が数えるほどしかない以上、一つたりとも失う訳にはいかないよ。ましてや、この国は輸入に頼らなければ生活が成り立たないほどの人口を抱えている。比較的安全な空輸も費用に対して運搬量が見合ってないし、安定した供給を得るには船による運輸が必要不可欠。僕等の遠征は決してやりがいのない仕事ではないし、退屈なものでもないよ」

 

 二人に背を向けて書類を作成する時雨はつらつらと言葉を並べた。自分の発言を完膚無きまでに否定された白露はいじけたように口を尖らせるが、納得のできる言葉だった為、下手な反論はしなかった。そんな彼女を見て、村雨は苦笑を零す。

 

「ま、私達の頑張りでこの国に住んでる人達が生活出来ているなら、それに勝る意義はないわね。直接敵を撃たなくても、艦娘としての使命を果たせているんだから」

 

 生まれた時から戦いを運命付けられた彼女達。けれど殺し合いだけが自分達の戦いではないと、村雨はその想いを言葉に乗せた。

 

「二人の言う事もわかるけどさ、でもやっぱり深海棲艦と戦う事があたし達の本質でしょ」

 

 白露が上体を起こしながら言う。村雨の言わんとする事は理解していた。だが、その考えを理解上で真っ向から斬り捨てる。

 

「深海棲艦がいなくなれば世界はもっと豊かになる。皆幸せになる。……艦娘にはそれを実現できる力があって、その為に生命を賭ける覚悟だってある。だからあたしは戦いたいって思うよ」

 

 先程までのだらけた態度はなく、けれど真剣になり切らない表情で彼女は断言した。

 対する反応はない。時雨は黙々と報告書をまとめ、村雨は言い切った白露へとやわらかな視線を向ける。彼女の言葉はその実、他の二人の根底にもあるものだった。

 

 “叶うなら、この手で未来を切り開きたい”と、そう切に願う。

 

「その役目はきっと僕等の妹が担ってくれるさ」

 

 書類に走らせる手を止めて時雨が不意に呟く。言われて白露は思案する。

 

「あっ、そういえば夕立が三水戦にいるんだっけ!」

 

 すっかり忘れていたとばかりに白露はハッとする。一番艦として姉妹の現状くらいは把握しておくべきではないかと二人は思ったが、基本的に目の前の事しか見えていない真っ直ぐな彼女の性格を知っている為、あえて言及はしなかった。

 

「夕立は戦歴がまだ浅いのに前線組なんて提督も冒険するなー」

 

「所属している駆逐隊のメンバーも実戦経験の少ない子達みたいだね。集中運用して戦力として仕上げるつもりなんじゃないかな」

 

「ふーん。で、どうなの? 活躍してる?」

 

「目立った活躍は聞かないね。先日のW島攻略戦で隊全体での戦果は挙げたらしいけど。……夕立の事は村雨の方が詳しいんじゃないかな」

 

 そこまで言って時雨は振り向く。報告書は既に完成していた。

 

「僕や白露と違って血縁関係にある“本当の姉妹”だ。それも双子なんだからさ」

 

 実の姉ならば戦場に赴く妹に無関心という事はないだろう。そう時雨は言う。

 その言葉に村雨は困った様に笑みを浮かべた。

 

「私もそこまで詳しい訳じゃないわよ。特にあの子は勉強以外ならほっといても器用にこなすタイプだもの。戦闘の事で心配はあんまりしてないから、特別調べてもいないわ」

 

「確かにね。目立った活躍もないけど、被弾もほとんどなかったはずだ」

 

「時雨、よく知ってるね。まるでその場にいたみたいじゃん」

 

「その場にはいなかったけど、主だった作戦に参加した人の戦闘詳報には目を通してるからね」

 

「相変わらずマメだよね、時雨ってば」

 

「白露、最前線の情報を把握するのは普通の事だよ。せっかく提督が僕等にも公開しているんだから活用しない手はないじゃないか」

 

 キミは戦いたいという割に戦いに無頓着過ぎると僕は常々思うよ、と時雨は溜め息と共に目を閉じる。

 

「えー、自分が参加していない作戦の戦闘詳報なんて見てもつまんないじゃん! ね、村雨もそう思うでしょ?」

 

「ごめんね、白露ちゃん。むしろ自分が参加していない戦闘詳報こそ見ておくべきだと思う。流石に私も簡単にだけど目を通してるし、他の遠征組もちゃんと把握してるわよ」

 

「えっ、まさかサボってるのあたしだけ……?」

 

 「恐らく」「多分ね」と白露以外の二人は同時に頷いた。その事実に白露は「マジか……、今度から見てみます」と小さく反省した。

 

 白露が静かになったのを確認して、微妙な笑みを浮かべる村雨は口を開く。

 

「心配してるのはどちらかといえば人間関係の方かな。ほら、W島の戦いで駆逐艦が一人沈んだでしょ?」

 

 如月だね、と時雨が補足する。白露もその事は知っていたようで静かに頷いていた。三人にとって如月は親しい間柄ではなかったが、まったく知らない人物でもない。顔を合わす事もあれば、言葉を交わした回数だって少なくなかった。深い悲しみがある訳ではないが、しかし、仲間を失った寂しさは確かにあった。

 

「沈んだその子は夕立と同じ駆逐隊に所属している睦月ちゃんと仲が良くてね。そのせいでどうも仲間内の空気が良くない感じみたいなのよ」

 

「なるほど、友達を失った仲間に対する接し方がわからなくてギクシャクしてるんだね」

 

「私が見た所感では、だけど。……あの子は歯に衣着せないから慰めたりとかすごい苦手だし、かといって遠慮なく現実を突き付けるほど空気が読めない訳でもないだろうから、結局何も言えない感じになってると思うのよ」

 

 村雨は深く溜め息を吐く。その姿は姉というより母親のそれである。そんな村雨に苦笑しながら白露が言う。

 

「睦月と言えば、さっき遠征から帰って来た時、港にいたよね? 何もするでもなく、ぼーっと海を見つめてさ」

 

「よく港に立ち寄る朝潮型の友達の話だと、如月が戦没してから時間があればずっとそうしてるらしい。たぶん、彼女が帰ってくるのを待っているんじゃないかな」

 

 徒労でしかないけどさ──と、誰にも聞こえないように時雨は呟いた。

 

「なんで? 捜索はとっくにうち切られて轟沈確定なんでしょ?」

 

 あっけらかんと疑問を投げ掛ける白露に、村雨は目を伏せて答える。

 

「諦めきれないのよ。或いは現実を受け止めきれないんでしょ」

 

「うーん、わっかんないなぁー。悲しくて塞ぎ込むってのならわかるけど、死んでないって思い込むのはちょっと違う気がする」

 

「キミは良くも悪くも切り替えが早くてはっきりしてるからね。その性格は戦士向けで艦娘としては良いものだと思うけど、普通はそう簡単に割り切れないものさ」

 

「時雨ぇ、それって褒めてんの? それとも貶してんの?」

 

「最大の賛辞だよ。羨ましいくらいに」

 

 そう言って時雨は肩を竦め、対して白露は不満そうに鼻を鳴らした。時雨としては本心からの言葉だったが、白露には素直に届かなかったようだ。

 

「時雨ちゃんは白露ちゃんにだけ意地悪よね」

 

「違うね、村雨! これは辛辣って言うんだよ!」

 

「ま、昔からキミの突飛な言動に振り回されてきた幼馴染の特権だね」

 

「幼馴染の前に、一番艦でおねーちゃんなんだからちょっとは敬ってよ!」

 

「敬ってほしいんだったら、もう少し落ち着いた振舞いをしてほしいな。キミの落着きの無さで僕がどれだけ被害を被った事か……」

 

 途端に時雨の瞳に陰が宿る。

 

「な、なんだよ、あたしが時雨にどんな被害を与えたっていうのさ」

 

「……あれはまだ幼稚園児だった時、なんにでも興味を示したキミは平賀さん家の犬にちょっかいを出して、僕を巻き込んで追いかけ回された挙句、キミだけ木に登って助かって、僕は自分より大きい犬に襲われたっていう事件があったじゃないか」

 

「でも幸い噛み付かれたりとかはしなかったじゃん。犬が同族と思ってじゃれついてきたとかで。やっぱ時雨はラッキーだね!」

 

「身体中、唾液でべとべとになってお気に入りの服が二度と着れないものになったけどね……!」

 

「そ、そんな昔の事はお互い忘れよう、そうしよう」

 

「キミが忘れても、僕だけはずっと覚えているから……」

 

「たった一度の過ちじゃんか、ここは若気の至りと──」

 

「──311」

 

「……その数字は?」

 

「キミのせいで僕が被害を受けた出来事の数。全て、一部始終を覚えているよ。今ここで念仏のように列挙してあげようか?」

 

「ひぃっ!! なんたる陰湿オーラ!!」

 

 時雨が放つ負のエネルギーに耐えかねた白露はすかさず村雨の背後へと身体を隠した。まあまあ──となだめる村雨の困った笑顔を受けて、時雨はやれやれ──と脱力する。

 

「ともあれ睦月の事は夕立じゃあどうにもならないだろうね。彼女の心を解かせるのはもう一人のメンバーである吹雪くらいじゃないかな。二人は仲も良いって聞くからね」

 

「最悪、時が経てば嫌でも認めるしかなくなるわ。悲しい話だけれど、時間ってそういうものだもの」

 

「そうだね。……尤も、傷が癒えるまで待っている時間が彼女にあればの話だけど」

 

 時雨は無感情に呟く。そこに同情はなかった。

 

「僕等が護衛してきた輸送船の中身を見たかい?」

 

 白露と村雨の二人は揃って首を横に振る。

 二人にとって何度も繰り返した護衛任務だ。積荷に対して特別な関心などなかった。しかし、時雨にとって“護衛する船が何を積んでいるのか”──その事柄に対する関心は強かった。けれどそこに理由はなく、ただ頭の中でちらつく何かに促されるように気付けばいつも確認していた。そして桜の花がない事に不思議な安堵を覚えていた。

 

「ほとんどが武装や資源で、日用品は最小限のものしかなかった。つまり──」

 

「──……反攻作戦はまだまだ続くって訳だ。必然的に三水戦の仕事も増えて、睦月がゆっくりしてる時間もないと」

 

 未だ村雨の背後に隠れる白露の言葉に、時雨は呆れつつ頷く。

 

「睦月自身も今戦場に身を置くのは辛いだろうし、なにより不安定な状態にある彼女が作戦にどんな影響を与えるかわからない。一人の不和で艦隊が瓦解する恐れもある。もっと言えば身近な仲間が被害に遭う可能性が高い。……村雨が心配しているのは、そういう事なんじゃないかな?」 

 

「…………」

 

 村雨は何も言わない。けれど沈黙は肯定であった。

 現在の睦月は同情の対象でありながら、妹を脅かす不安要素でもある。同情の念は尽きないが、同時に煩わしさを感じていた。

 

「ごめん、キミの立場からは言葉にし辛かったね」

 

「ううん、いいの。おかげで自分の気持ちがはっきりしたから。まぁ気持ちがはっきりわかっても、私に出来る事なんてないんだけど」

 

「うん、部外者ではどうにもできない問題だ。結局は当事者達で解決するしかないさ──っと」

 

 そう言って時雨は立ち上がる。手には書き上げた報告書が握られていた。

 

「それじゃ僕はこれを提出してくるよ」

 

「はい、いってらっしゃい」

 

 頷いて時雨は部屋から出て行った。村雨の背後に隠れていた白露はそれでようやく解放された。

 

「ふぅー、やっと自由になれた」

 

「身から出た錆だけどね、白露ちゃん」

 

 不都合な事は聞こえていないのか、白露は村雨の言葉を無視しておもむろに立ち上がる。

 

「さて、暇だし散歩でもしてくるよ。村雨もいっしょする?」

 

「うーん……、遠慮しておく。なんかゆっくりしたい気分」

 

「そっか、了解」

 

 笑顔で頷いて、白露もまた部屋から出て行った。

 一人残された村雨は小さく息を吐くと、窓から窺える快晴の空を見上げて目を細めた。

 

 

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