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「長門秘書艦、遠征報告書を提出致します」
「御苦労。仕事が早くて助かる」
提督室まで赴いた時雨は、不在だった提督の代理として秘書艦である戦艦長門へと報告書を提出した。これにて彼女達が所属する駆逐隊の遠征任務は完了となった。
「…………」
役目を終えた時雨だったが、すぐに退出する事はせず、じっと長門の顔を見つめている。
「なんだ、他に何か要件でもあるのか?」
「いいや。ただ……お疲れみたいだなと思って」
「疲れ? そんな事は──」
──ない、と言い掛けて言葉に詰まる。彼女を見つめる時雨の青い瞳は、些細な虚偽など見透かすように透き通っていた。そんな目に観念したのか、長門は力を込めていた肩を脱力させる。
「……いや、まぁ少しな。心配されるほど疲弊しているように見えたか?」
「ううん、そんな事はないよ。なんとなく覇気が薄い気がしただけ。普段の貴方はもう少し力強い雰囲気があるからね」
「そうか。どちらにしろ、疲労を悟られるとは私もまだまだだな。以後気をつけるとしよう」
長門はそう言って腕を組み、不敵に笑う。その後ろではいつも行動を共にしている戦艦陸奥が「あらあら、また気を張っちゃって」と心配しつつも、愛おしそうな笑みを浮かべていた。
「この頃攻略作戦が続いているけど、作戦指揮官として気苦労が絶えないようだね」
「ああ。だが私は任された責務に従事するだけだ。例え被害が出ようと、止まる事は許されない」
「……如月の件を気にしているなら、僕は貴方に非はないと思うよ。勿論作戦立案をした提督にも。深海棲艦の予想外の行動と、厳しい言い方をすれば如月自身の油断が直接的な原因だ」
「非はなくとも責はある。予想外を予想できなかった時点で、私の落ち度だよ」
時雨の透き通った青の瞳に、長門は凛とした赤の瞳を返す。その瞳は責任感と強い意思を感じさせるものだった。故に時雨は瞳を閉じて応える。
「貴方相手に下手な気遣いはいらなかったね」
「ああ、いらん世話だな。だが感謝はしよう」
うん、と頷いて時雨は瞳を開けた。開けた視界の先には長門ではなく陸奥の顔があった。突然近くで顔を覗きこまれて、時雨は内心驚いたものの表情を崩す事はなかった。
「相変わらずアナタは物怖じしないのねぇ。長門と面と向かってお喋りすると、だいたいの駆逐艦は委縮しちゃうものなんだけど。ほら、この人ったら見ての通り威圧的な堅物じゃない? 駆逐艦の子にはそれが怖いみたいなのよね。まぁ島風ちゃんや不知火ちゃんあたりは例外だけど」
「おい陸奥、余計な事を言うな」
「あら、事実じゃない」
「……秘書艦として威厳は必要だ」
「怖がられて傷付いてるクセに」
「くっ……!」
図星を突かれて顔を歪ませる長門を見て、陸奥は楽しそうに笑顔を浮かべる。仲睦まじい二人の雰囲気につられて時雨も小さく笑みを浮かべた。
「共に戦ってる仲間を怖いとは思わないよ、僕は」
そして答える。
時雨の言葉に二人は目を丸くする。けれど、次の瞬間にはいつも通りの澄ました顔に戻っていた。
「あらあら、嬉しい事を言ってくれるわね」
「フッ、戦場に出ず指示だけを下す我々を共に戦う仲間と呼ぶか」
「僕ももっぱら遠征で主戦場にはいないけど、それでもいっしょに戦ってるつもりさ。皆がそれぞれの場所で、同じ志を持って戦ってる。そういうのを仲間っていうんじゃないかな」
「ええ、その通りね」
「多少聞こえが良過ぎるがな」
三者三様に笑みを浮かべたその時、デスクに設置された電話が音を鳴らした。瞬時に気持ちを切り替えた長門が不在の提督に代わり受話器へ手を伸ばした。
「こちら提督室、秘書艦の長門だ。提督は不在──ああ、大淀か。どうした」
二度三度、長門は電話の声に頷くと頭痛に耐えるようにこめかみへと指を添えた。
「……わかった。不安しかないが、金剛達に任せてくれ。ああ、見つかり次第出撃だ」
手短に返答を済ませ、長門は受話器を戻した。すかさず陸奥が口を開く。
「どうしたの?」
「……またも島風が任務を忘れて行方不明らしい」
「あらまた? あの子、実力はあるのにマイペースだからねぇ」
「あの自由奔放さをマイペースの一言で済ませたくはないがな。まったくとんだ問題児だ」
深い深い溜め息を吐く長門を見て、時雨は苦笑を零す。
「どうやら作戦指揮をする以前にも気苦労の種が多いみたいだね」
「ああ、むしろこちら側の問題で頭が痛い。そもそも我が鎮守府には癖の強い艦娘がこぞって集まっているからな。大本営の嫌がらせとすら疑ってしまうほどだ」
「あはは、僕は管理職じゃなくてよかったよ。……それで出撃って話だけど、どんな作戦なんだい?」
「……、まぁお前に隠す必要もないか。資源を確保すると同時に、資源を狙う深海棲艦の迎撃を行う小規模戦だ」
「出撃編成は?」
「なんだ、やけに食い付くな。金剛型四隻と島風、吹雪からなる高速艦隊を予定している。これで満足か?」
「うん、ありがとう」
吹雪が編成されているが、睦月と夕立には出撃命令が出ていない事に、時雨はとりあえずの安堵を得た。
「それにしても吹雪は配属されてから連続で出撃しているけれど、そんな酷使して大丈夫なのかい? ここに来るまで実戦経験がなかったって聞いたけど」
「可能な限りの休息は与えている。初戦は肝を冷やされたが、今では戦力として数えられる程度には成長した。これまでの働きが概ね期待通りである事も踏まえ、問題ないと判断した。異論はあるか?」
「ううん、ちょっとした疑問だったから聞いただけだよ。疑問ついでに聞きたいんだけど、貴方個人から見て吹雪ってどんな子なのかな? 僕は遠目から見た程度の認識しかないから、少し気になるんだ」
「私個人の意見か……」
うむ、と頷いて長門は腕を組み直す。
「そうだな。確かに経験が少なく特別秀でた才覚もないが、勤勉で実直、目標に対する向上心と根性もある。錬度と自信さえ身に付けば信頼のおける護衛戦力に成長してくれるだろうという期待が持てる艦娘……だろうか」
「なるほど、見た目通りの子みたいだね」
「多少夢見がちな娘だがな」
「それも見た目通りさ。……それじゃ僕は行くよ。時間を取らせてすまなかったね」
「構わんさ。お前との会話は有意義だ」
そう、よかった、と時雨は返答し、陸奥に会釈をすると提督室から退出した。そんな時雨を見送った二人の表情は対象的だった。陸奥は微笑ましそうに笑みを浮かべ、長門は腕を組んだまま難しそうな顔をしていた。
「あら、アナタがそんな難しそうな顔をするなんて、まぁ珍しくはないけど、どうしたの?」
「……たまにアイツのような目をした艦娘がいる。異なる世界を見つめているような者がな。その瞳を見る度に吸い込まれそうになってゾッとするんだ。……頭の中で、何か、巨大な光が広がって──」
長門の頬を一筋の汗が伝う。表情はいつしか苦悶に変わっていた。そんな彼女の汗を陸奥は優しく拭った。
「きっと疲れてるのよ。アナタ、この頃無理してるもの」
「……そう、だな。金剛達が戻るまで少し休ませてもらう」
「ええ、雑務は引き受けるわ」
そうして長門も提督室から退出する。二人が去った提督室のドアを見つめ、陸奥は静かに呟いた。
「……あの子には、この世界がどう映っているのかしらね」