その逃避は儚く現実に敗れる。   作:藍川 悠山

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 自分だけしかいない部屋で村雨は読書に没頭しつつ、時折お茶を啜っていた。趣味を嗜みながら、同時に身体を休める。正しい余暇の使い方である。

 

「…………ごくり」

 

 読んでいた小説が最大の盛り上がりをみせ、自然とページをめくる手が早くなった──その時、勢いよく部屋のドアが開かれた。

 

「失礼するっぽい!」

 

 元気よく発せられた声と共に、一人の少女が部屋へと転がり込んできた。少女は室内をきょろきょろ見回して、今は村雨しかいない事を確認した。

 

「他の二人はいないっぽい? ま、お姉ちゃんがいればいいや」

 

 そんな事を言いながら少女──夕立は村雨がいるちゃぶ台の前に遠慮なく座る。

 いいところを邪魔された村雨だったが、他ならぬ妹の来訪を邪険にする訳にもいかず、不本意ながら本を閉じると溜め息混じりに「どうしたの?」と問い掛けた。

 

「うん、宿題を手伝ってほしいっぽい!」

 

「宿題は一人でやるものよ」

 

 妹の要望を村雨はばっさり切り捨てた。読書を邪魔されて不機嫌だから──ではなく、村雨は夕立を甘やかさないようにしているからである。

 

「でも足柄先生ってばとても一人じゃできない量の宿題を出してくるんだよ! これはイジメっぽい!」

 

「どうせサボりにサボった宿題をまとめて出されただけでしょ」

 

「うっ……! でもでも、可愛い妹の為にお姉ちゃんが救いの手を差し伸べる事をわたしは要求するっぽい!」

 

「双子の姉と妹なんて形骸的なものじゃない。姉だからって妹の世話しないといけない訳じゃないわ」

 

「うっ、ううぅ! ピンチっぽいんだよぉ、お姉ちゃーん! 明日までにやっておかないと、また宿題増やされるっぽいから、お願い手伝ってー!」

 

 夕立はちゃぶ台の向こう側にいる村雨へと泣き付く。慣れた手つきでちゃぶ台の上に置かれたお茶を避難させる村雨にとって、このやり取りはもはや恒例となった出来事だった。つまりはいつもの事。さして珍しくもなく、夕立は主に勉強方面で困ったら姉を頼ってくるのである。そして抱き付かれたら最後、村雨に拒否権はない。甘やかさないという決意が無意味なほどに、村雨は夕立に甘いのだ。

 

「はぁ……、仕方ないわね。半分だけやってあげる」

 

「やったー! お姉ちゃん大好きっぽい!」

 

「そこは大好きと断言してほしいわね」

 

 村雨は微笑みながら夕立が持ってきた山のような宿題の半分を請け負う。残りの半分を夕立が担当すると、二人は早速課題に取り掛かった。

 

「…………」

 

「……む、……ん? …………あー」

 

 スラスラと進めていく村雨に対して、夕立の進行速度は極めて遅かった。けれど、懸命に問題と格闘して表情がコロコロ変わる妹の様子は村雨にとって楽しいものだった。

 

「お友達とはどう? 仲良くやってる?」

 

「んー? うん、まー、仲良いって思うっぽい」

 

「歯切れが悪いわね。……睦月ちゃんの事でギクシャクしてるんでしょ」

 

 夕立の眉が僅かに動く。

 

「なんでわかるっぽい?」

 

「人間関係って傍から見ていた方がよくわかったりするものよ」

 

「ふぅん。……じゃあお姉ちゃんだったら、睦月ちゃんを元気にしてあげられるっぽい?」

 

 村雨は静かに首を横に振る。

 

「無理よ。問題がわかっても、答える資格がないもの」

 

「どういうこと?」

 

「仲良くないと言葉は届かないってこと」

 

「……でも。でも、仲良いと今度は何も言えなくなるっぽい」

 

 宿題に鉛筆を走らせながら夕立は目を伏せる。

 

「傷付けちゃうんじゃないかって思うと、怖くて、何も言えないっぽい」

 

「いいじゃない、それで。友達を思いやってこその考えだもの。誰も夕立を責めないよ」

 

「…………」

 

「……友達が苦しんでるのに、何もしてあげられないのは悔しい?」

 

 村雨は夕立の表情を読んで代弁する。夕立はゆっくりと頷いた。

 

「えりゃ」

 

「ぽいぃっ!?」

 

 なので村雨は項垂れた夕立の頭頂部を鉛筆の先端で突いた。幸い宿題によって鉛筆の芯は丸くなっていたので刺さる事はなかった。

 

「な、なにするっぽい! 頭のてっぺん押したら下痢になる──」

 

「いつもの夕立でいなさい」

 

「──ぽ……い……」

 

「それがきっと貴女のしてあげられる事よ」

 

 そう言って一度だけ笑顔を向けると、村雨は再び宿題の消化に取り掛かった。不意を突かれた夕立は、まだ突かれた名残のある頭頂部を撫でる。自分で撫でているのに、不思議と目の前の姉に頭を撫でられているような錯覚を覚えた。

 

「ぽいっ!」

 

 それで彼女は笑顔を取り戻した。

 

 

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