その逃避は儚く現実に敗れる。   作:藍川 悠山

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「おーい時雨ー! 時雨ってばー! こっちこっちー!」

 

 自分を呼び止める声が聴こえ、提督室を出て鎮守府内を散策していた時雨はその声の方へと顔を向ける。そこには部屋に置いてきたと思っていた白露が周りの目も考えず手を振っていた。無邪気と言えば聞こえはいいが、傍から見れば迷惑以外のなにものでもない。主に大声で名前を連呼される時雨本人にとって。

 

「…………」

 

 無視する訳にもいかず、時雨は白露がいるグラウンドの方へと足を向けた。

 

「キミはいつでも騒がしいくらい元気いっぱいだね、白露」

 

「勿論! あたしはいつだっていっちばーん元気だよ!」

 

 皮肉が通じないのを熟知している時雨はこれ以上言及しなかった。

 

「それでどうしたの?」

 

「あ、そうそう。なんか面白そうな事になってたから呼んだんだ」

 

 ほらあっち、と白露が指をさす。指差したのはグラウンドの中央。そこに建てられた舞台だった。時雨が見回してみれば、他の艦娘達も集まってきて、グラウンドの舞台を注視している。

 

「あそこにいるのって……」

 

「うん、金剛さん達と那珂ちゃんだね。アイドル対決するんだって」

 

「……なんだ、いつもの事じゃないか」

 

 ただ一つ、いつもと違う点があるとすれば、金剛姉妹側にいる吹雪が巻き込まれている点であった。見るからに嫌々タンバリンを担当している。

 

「彼女も苦労するね」

 

 そう呟く時雨だったが、恐らく島風を誘き寄せる為の茶番だろう事を察した彼女は同情しなかった。心の中でエールを送りつつ、時雨はグラウンドから離れていった。そんな時雨を白露が制止する。

 

「あれ、見ていかないの? ここから面白い所だよ?」

 

「どうせ長くは続かないよ。回りくどい方法じゃ、島風は捕まらないからね」

 

「は? なんで島風? あっ、ちょ、時雨ってば──」

 

 白露の制止の言葉を無視して、時雨はグラウンドを離れた。そのまま彼女は港に向かう。目的らしい目的はない。けれど理由らしい理由はあった。逡巡していた考えを解決する為に、彼女はその場所を目指した。

 

 そして辿り着く。そこには案の定──というより、やはり一人の少女が佇んでいた。

 

「…………はぁ」

 

 辿り着いた途端、時雨は溜め息を吐いた。それは目の前の少女に対してではなく、自分に向けたものだった。

 

「僕に何が出来るって言うんだ」

 

 様子を見に来たはいいものの、自分が彼女にしてあげられる事は何もない。元より彼女を心配などしてはおらず、自分の心配は妹達に向けられたものだ。だから彼女に関わる資格すら自分にはない。その事を重々承知していながら、しかし、時雨はひたすらに海を見つめる少女の背中を見つめ続けた。

 

「…………っ」

 

 不意に視界がチラついた。頭の中でザリザリと音が鳴る。──佇む船と青い空。ただ一隻、傷付いた身体を癒す自分の姿。

 

「──違う。あれは僕じゃない。僕はそんな寂しさを知らない」

 

 不意に心がざわついた。胸の奥でドクンと何かが叫ぶ。──帰らない姉妹達。たった一隻の駆逐隊。それでも自分は海をゆく。

 

「──違う。これは僕じゃない。僕はこんな悲しみを知らない」

 

 不意に世界が揺らいだ。目の前で音もなく地獄が広がる。──差し伸べられた手。立ち昇る火柱。闇に溶ける仲間。歪められた事実。

 

「──違う。どれも僕じゃない。僕はあんな痛みを知らない」

 

 次の瞬間には覚める夢。けれど鮮明に焼き付いた記憶が、自分の知らない光景が、チラついては消えていく。目を閉じて、押し寄せる記憶の濁流をただただ受け止める。既に何度も経験している時雨は、淡々とそれが治まるのを待った。

 

「……やっぱり、来るんじゃなかったな」

 

 こうなる事は薄々気付いていた。彼女の姿を見れば、きっと刺激を受けると知っていた。ではなぜ自分はここに来たのだろうと自問する。答えはあっさり判明した。

 

「その逃避に意味はないって“僕”は知っているのか」

 

 認めよう。その逃避を、いつかの自分は経験している。だから例え傷付けるだけの結果になろうと黙っていられない。時雨は心中でそう呟く。後悔する事になると確信した上で、帰らぬ人を待つ少女へと歩み寄った。

 

「やあ、こんなところで何をしているんだい」

 

 海を見つめる少女──駆逐艦睦月の斜め後ろに立って、時雨は声を掛ける。けれど、それは問い掛けるような口調ではなかった。

 

 声に反応して睦月はゆっくりと振り向く。振り向いた先には見慣れた白露型が着る黒い制服。だが、睦月がよく知る人物ではない事は声色から判断できていた。故に時雨を確認したその表情には微かな戸惑いが滲んでいた。

 

「こんにちは、時雨……ちゃん」

 

「うん、こんにちは、睦月」

 

 呼び慣れない名前を探り探り口にする睦月に、同じく呼び慣れない名前をはっきり口にする時雨。特別親しくもない両者には明確な心の距離が存在していた。心が触れ合う事はない。

 

「こんなところで海を眺めているよりも、もっと賑やかな場所の方がキミには似合うよ。丁度グラウンドで那珂ちゃんが盛り上がってるんだ。そっちに行こう。きっと楽しいよ」

 

 遠くで聞こえる溌剌とした歌声に耳を向けながら、時雨は特に感情を込める事なく淡泊に言う。そんな時雨の声色に違和感を感じながら、睦月は振り返った上体を再び海へと向けた。

 

「ごめんなさい。私、ここで如月ちゃんが帰ってくるのを待ってあげてないといけないから──」

 

 ささやかな笑みを浮かべながら睦月は言葉を吐き出す。そんな彼女に時雨は突き付ける。

 

「──いなくなった人はいくら待っても帰ってこないよ」

 

 そのあまりにも無遠慮な一言を突き付ける。

 

 途端に睦月の双肩が強張る。沸き上がるのは激情。配慮のない正論に対して、僅かな希望を信じる彼女の心が軋みをあげる。思わず開きかける口と、叫びだしそうになる言葉。それを必死に抑え込んで、激情を消化する。眉間にしわが寄るほど瞳を強く瞑って、その露見した傷口から懸命に目を背けた。

 

「……きっと、帰ってきます。如月ちゃんはきっと帰ってくる」

 

 それだけをなんとか絞り出す。決して激情をぶつける事なく、誰も傷付けない言葉を睦月は紡ぐ。その言葉は優しさからではなく、恐れから生じたもの。本来怒りを抱くべき願いを否定する一言を、そして沸き上がる激情を、彼女は呑み込んだ。それはつまり、本人自身もその望みを本当に信じている訳ではないという事。本心を覆い隠す自己暗示に他ならない。

 

「その望みはあまりに薄いよ」

 

「でもゼロじゃないです」

 

「ゼロじゃないだけだ。キミは懸命に彼女を捜索した仲間達の判断を疑うのかい」

 

「そんなこと……。私は、ただ信じてるだけで……」

 

 時雨は睦月に視線を向けない。睦月が向き合う海の彼方を、時雨もまた見つめた。

 慰めはない。叱咤もない。心を動かすのは熱量だ。相手を想う熱のある言葉。或いは抱き締めた時に与える体温。または誰かの為に流す涙の温かさ。そんな“熱”を自分は彼女に対して持ち合わせていない。だから彼女にしてあげられる事はない。それは自分ではない誰かの役目だ。

 

 承知している事を反芻する。けれど時雨は言葉にする。彼女を楽にしない言葉を突き付ける。出来かけたカサブタをひっかくように、傷を覆い隠す霧を払う。

 

 「僕達に悲しんでいる暇は少ししかない。戦いは常にあって、悲しみは冗談みたいにやってくる。なのに事実から目を背けて、悲しんであげられる僅かな時間を浪費するのは愚かだよ」

 

「…………」

 

 睦月は言葉を無くす。反して時雨の言葉は増していく。

 

「友達の吹雪が今日出撃するそうだよ。金剛達が一緒だけど、万が一はある。どうせここで誰かの帰りを待つのなら、彼女の無事を祈った方がいいんじゃないかな。いなくなった人よりも、今いる人を優先すべきだと僕は思うよ」

 

「…………」

 

「それともキミはまた誰かがいなくなっても、ここで待ってるだけなのかい。きっと帰ってくると言って、周りに気を使わせて、自分だけは楽でいつづけるつもりなのかい。このまま──」

 

 ふと視界の端で睦月の肩が震えた。それで時雨は視線を向けてしまう。

 彼女は肩を震わせている。けれど涙している訳ではない。その寸前で堪えている。心ない言葉に傷付いて、震えていた。

 

 時雨は冷や水を浴びたように我に返る。

 

 違う。そういうつもりじゃない。彼女を責めたかった訳じゃない。ただ現実から目を背けるのは無意味だと教えたかっただけなのに……、なのに彼女の姿はいつかの自分を連想させる。それが酷く腹立たしい。自身の根底にある何かが、魂と呼ぶべき何かが、衝動と共に沸き上がってきて──

 

「──ぁ、っ」

 

 時雨はその衝動を辛うじて制御する。続きそうになった言葉を呑み込んで、ごめん、と謝ろうとしたが、それも違うと謝罪すら呑み込んだ。

 

 違う。自分だけ楽になろうとするな。こうなってしまった以上、互いに傷付くしかない。この場合、投げ掛ける言葉は──

 

「キミは、このままでいいのかい?」

 

 ──彼女自身に委ねるべきだ。

 

 時雨は初めて睦月の方へと言葉を問い掛けた。威圧感のない、その代わりに優しさもない声色で、その言葉は睦月へと届いた。

 

「…………」

 

 睦月の返答はない。けれど、ゆっくりと時雨の方へ振り向いた。二人の視線がようやく交差する。

 

「…………」

「…………」

 

 交差した視線はすぐに外れた。互いに後ろめたさから視線を外した。あまりに短いアイコンタクト。通じる想いなどあるはずもない。唯一、これ以上の関わりが何も生まない事を時雨だけが察した。

 

 時雨は静かに踵を返し、睦月は海へと視線を戻す。

 

「アナタは──」

 

 海の彼方を見つめる睦月のつまった声で、時雨はその足を止めた。そして続きを待つ。互いに背中を向けて、しばしの静寂。聞こえるのは波の音のみ。

 

「アナタは、親しい誰かを失った事があるんですか?」

 

 睦月がようやく言葉を紡ぐ。それはささやかな反論のような問い掛けだった。

 彼女に問われ、時雨の脳裏に記憶が廻る。目にした覚えのない光景。船が沈み、人が死に、世界は黒と赤に染まる。体験した事のない記憶を知識として時雨は受け入れた。

 

「幸運な事に、“僕”はないよ。けど、このままでいるのが苦しいって事は知ってる」

 

 振り返る事なく言い残し、時雨は今度こそ睦月の傍を離れていった。

 残された睦月は時雨の言葉を繰り返し、その震える肩を抱く。彼女にとって大半は受け入れられるものではなかったけれど、それでも確かに一石は投じられた。

 

「……このままは苦しいよ。でも、それを認めるのは、もっと……痛い。……痛いよ、如月ちゃん」

 

 時雨が残した問い掛けだけは彼女の心の湖面に波紋として広がった。

 

 

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