その逃避は儚く現実に敗れる。   作:藍川 悠山

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 港から寮へと時雨は歩く。その表情は暗く、足取りは重い。遅い足取りに合わせて、一人の影が彼女の隣に並んだ。

 

「睦月の事は部外者じゃ解決できないんじゃなかったっけ?」

 

「……白露か。なんだ見てたんだ」

 

「なーんかすっきりしない顔してたからね。おねーちゃんとして草葉の陰で見守ってたのさ」

 

 白露は相も変わらず快活な笑顔を時雨に向ける。そんな顔を見てると悩んでいるのが馬鹿らしく思えて、少しだけ肩の力が抜けた気がした。

 

「それでどう? 上手くいった?」

 

「キミには上手くいったように見えるのかい?」

 

「アハハッ、ぜんぜん見えないね! そっか、上手くいかなかったかー」

 

「上手くいかないどころか、完全に失敗だよ。余計に傷を深くしてしまったかもしれない。覚悟していたけど、自己嫌悪してしまうよ」

 

 あんな事を言うつもりじゃなかったのに──時雨はそう呟くと足を止めて、最寄りの壁に身体を預けた。そして深い溜め息を吐く。それに付き合うように白露も時雨の隣の壁に身体を寄り掛けた。

 

「ありゃまぁ、思った以上に凹んでる。ま、自分に出来ない事をやろうとするなんて時雨らしくない事やったんだから自業自得だね」

 

「本当……、ぜんぜん僕らしくない」

 

 うなだれて目を閉じる。瞼の裏にはいつかの記憶がチラついては消えていく。

 

「まだ、くすぶってる」

 

「時雨、また昔の記憶が見えるの?」

 

「うん……。この頃は頻繁に」

 

「あたしは見た事ないからわかんないけど、それって辛いの?」

 

「いいや。生まれた時から付き合ってきたんだ、今更だよ。……でも時折思うんだ。僕は徐々に僕じゃなくなってきているんじゃないか、だんだん僕は僕のままじゃいられなくなるんじゃないかって、そんな事を考える時がある」

 

 目を開けた時雨は他人事のように、そんな事を呟いた。そこに不安と呼べる感情はなく、どうしてなんだろうね、という疑問だけが浮かんでいた。

 

 問われた白露は目を丸くして、さも当然のように返答する。

 

「何言ってんの、時雨。人って自分も知らない内に変わっていくモノじゃん。前世の記憶とか関係なし。そんなのはね、当たり前なんだよ。そんでどれだけ変わっても、変わらなくても、時雨は時雨だし、あたしはあたしだよ。そこに疑う余地はないね!」

 

 そう言い切って胸を張る。完全論破してやったぜ、と誇るような堂々としたものだった。

 

「ああ、キミの言う事は基本的に正しい」

 

 だから時雨も納得する。

 単純明快、快刀乱麻。ごちゃごちゃした悩みなどシンプルな理屈でふっ飛ばす。それが時雨のよく知る白露という幼馴染であり、かけがえのない姉妹艦だった。彼女に何度悩まされ、そして何度救われたか。思い返せば果てがない。

 

 そこでと思い至る。あの睦月という少女は、こういう存在を失ったのかと。

 

「そうか、なるほど。それはなかなかキツイものがあるね」

 

「ん? なんか言った?」

 

「いいや、何も。……ねぇ白露。もしも僕が沈んだら、キミだったらどうする?」

 

 縁起でもないなー、と笑いながら白露は考える。思案した時間は極めて短かった。

 

「うーん、そうだなー……。とりあえず超泣くね。ミイラみたいに干乾びるくらい。誰よりも一番泣いて、誰よりも一番悲しんで、そんで誰よりも一番先に笑えてると思う。ほら、一番仲がいいあたしが立ち直らないと、いつまでも皆時雨の事を引き摺ったままになっちゃうじゃん? そういうの、時雨が一番嫌な事でしょ?」

 

 時雨が嫌な事はしないよ──そう白露は言った。実に彼女らしい優先事項に時雨は溜まらず笑みを零す。

 

「キミらしいね。自分が僕の一番の友達と思ってる自意識過剰なところが特に」

 

「な、なんだよー! 別に間違ってないでしょ!」

 

「僕はこう見えても交友関係広いからね。一番って言われるとなかなか悩ましい」 

 

「一番じゃなきゃ嫌だから、あたしが一番でいいの! はい決定!」

 

「強引だね、まったく」

 

 そう言いつつも満更でもなさそうに時雨は笑う。

 

「じゃあ時雨は、あたしが沈んだらどう思う?」

 

「キミが沈んだら?」

 

 ふと古い記憶が脳裏にチラついた。

 

「……そうだね。駆逐艦というのは炸薬を持っているせいか、ものすごい爆発を起こすものなんだなぁ、って妙に感心しちゃうかもね」

 

「なんであたし爆死前提なの!?」

 

「冗談だよ。さぁ部屋に帰ろう。今日は余計な事をしたせいで疲れちゃったよ」

 

「ちょっと時雨! ちゃんと答えないのはずるいって!」

 

「さてね」

 

 イタズラな笑みを浮かべながら時雨は歩き出す。ふくれる白露を尻目に、自分は幸運だと改めて思った。

 

 

 

 -『その逃避は儚く現実に敗れる』完-

 

 

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