「コーヒーとかいうのは何だ」
事務所の扉が訪問者を隠すなり、人の姿のBが聞いてきた。表情は訝しげそのもので、訪問者が帰り際、アミとBに耳打ちしてきたことが関連しているのだろう。
そういえば元はデジモンだ、知らなくとも無理はあるまい。アミは素直に答える。
「こっちの世界ではポピュラーな飲み物です。茶色がかった黒の液体で苦味があるんですけど、でも芳醇な香りが楽しめるものですよ。どれかというと嗜好品としての傾向が強くて、栄養はそこまで考慮されないというか」
「黒い液体、か。それの『色』と……おい、『固形物』は普通入れるのか」
「え? ……どうでしょう? 私は砂糖——甘味をつけるものくらいなら小さい頃に入れてましたけど、それ以外に塊っぽいものは思いつきませんね」
そこまでアミが説明すると、Bは目を素早く巡らせた。探偵っぽいな、なんて彼女は暢気に考えつつ、あの又吉という男性よろしくBもどうしたのだろうかと首を傾げた。
「やれやれ、キミたちEDENからの帰りが遅いから心配していたが。この様子なら調査に同行してもらっても問題なさそうだな」
そこに事務所の奥から杏子がやってきた。車のキーを手にしており、すぐに出立できるよう準備万端だった。
「アミお前、今度から説明は端折らず要点を掴んでしろ。『デジモン助けをしたら巻き込まれて結果的に仲間が増えた』で誰が分かると思ってる」
「自分なりにまとめた結果なんですけど……」
「ふふ、これから報告のスキルも上がっていくことになるかも知れないぞ?」
Bの指摘にしょげそうになったアミへ、杏子が素敵な微笑を浮かべて事務所の扉を開く。
「では出発するとしよう——『EDEN症候群』と【カミシロ・エンタープライズ】についての調査の為に、セントラル病院へ」
アミは表情を引き締めて頷き、杏子へ続いた。これからあらゆる分からないことが、分かってくるかも知れない。
「知らん場所には流石に連れて行かれるしかないか」
Bの呟きの意味は、まだアミには思案の外だった。
“正攻法”を試みる、と病院の受付に向かう杏子は、それではどうすればいいかと問うたアミへ情報収集をするよう言った。
「聞き込み調査は、探偵行動の基本中の基本なのだよ」
そう語り、杏子は最終的にアミを“助手候補”と呼んだ。そうして楽しみだ、と笑い受付へと去っていった。連れてこられたセントラル病院のエントランスで、Bと共に取り残されることになった。
「開業医で伝記とか、赤いほっぺって、何でしょう?」
「それを俺に聞くのか」
Bに訪ねてみたが、Bも怪訝な顔をするばかりで知らないようだった。考えてみればデジモンであるBが、恐らく人間の文学作品や隠喩表現などについて知見がある訳もないのだった。
それにしても、Bは助手候補とは形容されなかった。
「あくまで探偵として役立ち働くべきはお前ということだ。つまり、必要とされるのはお前の能力だ」
疑問を抱いたアミに、Bは静かに口にした。アミの能力とは、すなわちコネクトジャンプとかのことだろうか。Bが語る所によると、Bもネットまでならどうにかなるが、アミのコネクトジャンプ程の自由度は無いとのことだった。よく分からない。
『そうだな。アミの能力は我々の出来るネット移動とはまたかけ離れたもののようだ』
と、デジヴァイスから小さなウィンドウが立ち上がり、白くて丸いくず餅のようなものが映し出された。同時にもう一つウィンドウが現れ、耳の長い動物のようなものも出てきた。
『その能力って、元々アミが持ってたものじゃないんでしょ?』
「うん。あ、そうだ。テリアモンもポヨモンも、私のデジヴァイスの中でも平気?」
『割と居心地いいかもね。これなら前みたいにはぐれることもないし、万事おっけーだね』
『そうだな。それと事情とあの又吉という刑事の話も聞かせて貰ったが……もしかすると、アミは究極のレアケースかも知れない』
半透明ことポヨモンの言葉は少し謎めいていた。対して動物っぽい方、テリアモンも何かしら分かりかけていることがあるらしく、『んー、だね』と同意していた。
究極のレアケースと形容されたが、しかし一体何のことだろうか。
「だからお前は異質なんだ。仕事しないのか助手候補」
Bの言葉を受けて、アミはとりあえず周囲を窺う。清潔で広々とした白を基調とした空間には老若男女問わず大勢の人がいる。立っていたり設置された椅子に座っていたりとそれぞれに過ごしている。
『仕事の邪魔はしないようにしよう。ではまた後で』
『またネットワークとか行ったらちゃんと呼んでよね』
ポヨモンとテリアモンのウィンドウが消えて、いよいよ開幕と行きそうだった。
誰に話を聞くべきか。アミは吟味しようとして前方に目をやり、ふと一つの光景に気がついた。
窓からうっすらと差す日差しの中、看護師の制服を着た女性と一人の少女がいた。看護師の言葉を少女がどこか虚ろげに無言で受け、言づてを終えたと言った風に看護師がすぐに去っていく。
残った少女が、アミの方へ顔を向けた。
静かな雰囲気の少女だ。段をつけた漆黒の髪を肩胛骨あたりまで伸ばし、前髪の分け目から大きくも少し閉じ気味の憂いのある黒眼が覗いている。細い顔に揃ったパーツは一つ一つが清楚な空気を醸しだし、細い体には黒と白で統一されたミニワンピースと黒タイツを身につけ一層落ち着いた様相だ。
少女はモノトーンのリボンをつけた腕を引いて、もう一方の手を少しだけさまよわせた。
「……?」
アミはどうしてか、少女から目が離せなかった。何処かで会ったことがあるだろうかと内心首を捻るが、別段見覚えがあるということでもない。
だが、少女を見つめてしまう。その姿から目が逸らせない。そして少女もアミに目線を合わせたまま、無言だ。
……段々居心地が悪くなってきた。
「っ、こんにちは!」
雑踏の中の沈黙に耐えきれず、アミはとにかく笑顔で挨拶をした。こんな時に限ってBも何も言ってくれない。
しかし、やはり少女は無言だった。そこで少女の背後のエレベーターが到着し、扉が開く。少女は名残惜しさも何も感じさせないままエレベーターへ乗り込み、扉の奥へと消えていった。
「うーん?」
アミは首を傾げるしかなかった。今の少女は何だったのだろう、誰だったのだろう。知っているような、知らないような。
「お前何してるんだ」
と、ようやっと声がかかってアミはそちらを見た。アミと似た青年の姿をしたBが、僅かに片眉を下げている。
「何だったんだろう?」
「……」
Bは何か意地悪を言うかと思いきや、アミの目線の方を同じく見て顎に手を添えた。
「とにかく、そろそろ動かないと職務怠慢と言われるぞ」
アミは少女が乗ったエレベーターが気になって仕方なかったが、怠慢の言葉に頭が切り替わった。
「じゃあ聞き込みをしなきゃ」
「特別病棟とかいうのは、ある階の可能性が高い」
「えっ、聞いてきてくれたんですか!?」
「これを見ていたら噂が聞こえた」
Bは院内の地図が記されたパンフレットを差し出してきた。明らかな日本語で説明がそれぞれのフロアにされている。
「タクミさんって、そういえばどうして日本語の読み書きが出来るんですか?」
「ある意味ではお前のおかげと言っておく。この階に特別病棟と書いてあるが、ここは以前迷い込んだ奴によると警備が置かれていたとのことだ」
アミはBの言葉の意味を考えるのは後にして、一つの階の説明書きを読む。重症患者専用フロアとされており、一見すると怪しい部分は無いようにも見える。
「警備、となると気になりますね」
「又吉の話では隔離施設だともあったからな。一般人を通さないようにしてあるなら確率は相当だ。行くか」
Bは言うが早いか、エレベーターの方へと歩き出す。歩幅の違いから置いてけぼりを喰らいかけつつ、アミも小走りに追いかける。
「意外ですね」
「ん?」
「タクミさんが手助けしてくれるなんて」
アミは想像もしていなかったと笑ってみた。
「相変わらずの花畑な脳内だな」
するとBは呆れた顔で割と隠喩的な表現をしてみせてくれた。アミがどういう意味だと目を見張ると、Bは更に顔から表情を消してしまった。
「結果としてお前の手助けになっただけに過ぎない。俺はただ、さっさとこの案件を終わらせたいからしているだけだ」
……ブリザード並の冷たい実態にアミは落ち込みつつ、エレベーターのボタンを操作した。
ネットワークを抜けて、杏子から情報収集の依頼通信を受けたのが今さっき。そしてアミが、ガラスの向こうにあるベッドに寝かされた自分の肉体を見つけたのが、たった今だった。
「……幽体離脱ってこんな感じなんでしょうか?」
「俺が知るか」
Bはにべもない言い方をしながらも、自らの肉体を鏡に張り付いて眺めるアミをひっぺがそうとはしなかった。それはもしかすると、表には出さないアミのショックを感じ取っていてくれているということかも知れない。
ベッドの上でチューブや配線を繋がれ、呼吸器で口を覆った自分は、一見するとただ眠っているだけのように穏やかな様子だった。放っておけばその内起きるんじゃないかと思えてしまうくらいだった。
だが、このままでは起きることはないのだとアミは悟っていた。今ここに肉体と遊離した半電脳体となっている中身がいることが、何よりの証拠だった。
「やっぱり私もEDEN症候群なんですね」
「だろうな。ただ、そのデータがこうして自由に動き回っているという事例はこれまでに無いのだろう」
「どうして私はこうなったんでしょう」
「それを解明する一端を今から回収しに行くのだろうが」
アミはようやくBへと目線を移した。やはりその顔に感情らしいものは見られないが、急かさずにいてくれるあたりは気遣いをしているのかも分からない。
「……そうですね。見ててもあそこに戻れる感じしませんし」
『っていうか、戻れるかもって思ってたんだ』
ウィンドウがアミの目の前に現れ、何とも言えない顔をしたテリアモンが出てくる。ついでにもう一つウィンドウが立ち上がりポヨモンが難しい顔を見せた。
『ふむ、これ程に患者数が多いとは。それでも情報統制を可能としているとなると、やはりあの企業が背後にいるとしか思えないな』
「【カミシロ・エンタープライズ】? それにしてもポヨモンも人間のことについて情報通だね」
『伊達に長くハッキング生活を送ってはいなかったということだよ、アミ』
ポヨモンはどこか油断を許さない微笑みを浮かべた。こういう所を見せられると、ポヨモンのハッカー所属歴が大変気になってくる。
「そろそろ行くぞ」
Bが横の扉へと向かい、アミも二体に挨拶をしてウィンドウを閉じ続く。ロックがかかっていないのか、重厚そうな扉はあっさりと開いてアミたちを招き入れた。
整然として仕事場らしい空間だった。いくつもの棚やダンボールに事務用品が揃っており、机が前方の壁に沿って一列に並べられ、それぞれにファイルや書類、パソコンがまとめて置かれている。
「研究施設って、もっと大きいのかと思ってました」
「それも含めて妙だな。……どこをどうするか」
Bは内部をざっと見回している。流石に人間の仕事環境などについての知見も無いようだ。言語や一部知識はあるのに人間生活は知らないこのちぐはぐさは何だろうか。
「あ、あれとかどうでしょう?」
アミも見回してみて、一つ電源のついたパソコンを見つけた。近づいてマウスを操作し、「File:001」とあるドキュメントを開く。
「あっ、これですよきっと! 【EDEN症候群について】って題名ですし」
アミは小さくガッツポーズをし、カーソルを下へ動かし文書を読んでいく。
「ふんふん……この意識不明とかのあたりは又吉さんの話と一緒ですね」
「それだけあの刑事とやらが情報を掴んでいたということだろうな」
その言葉の成り立ちから変遷までを辿り、それから最後に長期の昏睡で死亡する例もあるとまで認めた。
「えっ……これ、やっぱり私早く戻らないとまずいんじゃ」
「かも知れないな」
ぞわぞわと嫌な寒気が背筋を這い回るのを感じつつ、アミはその後のファイルも全て読み通す。
「治療法はまだ不明、でもやっぱり【カミシロ】が関わってるみたいですね」
「この分だと相手の大きさと、情報握られているせいで強く出られていないようだがな」
アミは全てのファイルをデジヴァイスにコピーし、すぐに杏子へ送信した。これで少なくともとっかかりは手に入れたことになる。
「もういいな。帰るぞ」
そしてBはやはり早急に動き出す。デジモンという生体も意識も違う相手に思うのもおかしいかも知れないが、しかしこんなに多くの人が大変な目に遭い、更に家族も悲しんでいるのだ。そのことを何とも思わないのだろうか。
どうしてそんなに、ドライでいられるのだろう。アミの心に寂しい気持ちが蟠る。それを隠してBに続く。
だが通路に出た瞬間、アミは固まった。
「どうして、あなたが……!?」
あの黒髪の少女が、二人のすぐ目の前で驚愕の表情を浮かべていたのだから。