寛仁が車を停めたのは、端から見ても治安が良いとは言えない東京のほんの片隅だった。道中で目を醒ましたコルネリエには、とてもではないが『車を売っている』ような雰囲気がある場所には映らない。
BMW M4としては目立つ、リバティーウォーク製ボディキットで固められた車体は文字通りに悪目立ちし、周囲をたちまち柄の悪い人間たちに囲まれた。
「アンダーグラウンドだね、随分とさ」
理佐から借り受けたトカレフ改を抜き出し、撃鉄を引き起こそうと指をかけるとその手を寛仁に止められた。
「待てコルネリエ。ここでドンパチはダメだ」
「なんでさ? かなりヤバイ状況じゃん」
「この先――見えてる路地の向こうから漏れる光に用事がありそうね、停めた位置から推測すると」
リータがクオーターパネルから路地裏を見据えて呟く。
エンジンを止め、どこかへ連絡し始めた寛仁は暫しの通話の後に車を降りる。路地裏からやってきたのは、数人の屈強な男たち。
車内からではその会話の内容は判りにくいが、どうやら路地裏へ全員を連れていくらしい。
寛仁の合図で車を降りた三人は、男たちの後に付いて路地裏を進んでいく。その先にあったのは、一件のクラブ。場所は人気もなく、柄も悪い。こんなところでは客も寄り付かないだろうが、それでもそのクラブはきらびやかに営業していた。
「武器を預けろ。預けない者を店に入れるわけにはいかん」
「コルネリエ、足になる車が欲しかったら従ってくれ」
AK-12を手にした男に合わせ、寛仁は彼らへ手持ちの武器を手渡していく。
得体の知れない人間、組織めいた何かに武器を預けるなど本来ならばあり得ない。だが、それを寛仁が知らないハズはない。
(車無くなるのは、昼寝無しの次くらいにはキツいしな……。ダメならリータと素手で切り抜けてくるしか無い、か)
内心で諦めたコルネリエは、ホルスターに収まったトカレフ改を引き抜いて手中で翻し、門番のような男たちへ手渡した。
大剣――というよりは、形状的にもはやパルチザンとも言えるが――はそもそも車に積めなかったので持ってきていない。これでコルネリエも、リータもルーツィアも同じくクリアだ。
「ついてこい。隊長の元へ案内する。見ない顔がいるから言っておくが、余計な真似はするなよ」
「あたしが信用ならないと、そういいたい訳?」
「そうだ。お前だってそうだろう? 同じことだ」
さらりと言葉を返されてしまったコルネリエ。納得はいかないが、納得するしかない。
漸くコルネリエとリータの二人は、寛仁たちと共にクラブ内部へ入り込む。
店の中は外の治安の悪さや立地も関係なしに、なかなかどうして騒がしさこそあれど“無法地帯”という印象を持てない。むしろ、法治されているのかと問いたくなる程に“出来すぎた”店だった。
踊る客たちの間を抜けていく間も、ライフルを抱えた男たちに客は全く動じない。まるで日常茶飯事の事態を見るように、スルーしていく。
「ここだ。少し待て」
男たちが止まったのは、オーナールームの前。コルネリエが寛仁の顔を見遣ると、彼はまばたきで『目的地』とサインを送ってくる。
この先で何が起こるかわからない。男たちは日本語とは別な言語で会話しているようで、コルネリエにはさっぱり。だが、リータはうっすらと理解しているようだった。
「ロシア語ね。ボスと話してるのかな……理解はしきれないけど、何となくそんな気がする」
「そういやあんた、ウクライナ語圏の研究所か。まあいいや、なるようになるしかないってねー」
扉が開かれ、ついてきた男たちを置いてコルネリエたちは部屋へ入る。扉は閉じられ、目の前にはホワイトハウスの
周囲にはライフルを手にした軽装の男たち。真ん中には、黒いブラウスに身を包む女が椅子に腰掛けて待ち構えている。
「……新しい友達か? 寛仁」
「ああ。コルネリエとリータだ」
寛仁が二人を紹介すると、女の切れ長な眼がコルネリエ達へ向けられる。肝が据わっていなければ、目線だけでその辺りのヤンチャ程度は射殺せるような圧力さえ、それにはあった。
「リータ? コルネリエ? 片方は
「オーナーさん、何かあたしたちについて知ってそうだね。悪いけどそれ、聴かせてもらうよ」
つかつかとデスクへと歩み寄っていくコルネリエへ、護衛についていたのだろう男たちの一人から拳銃が突き付けられた。
『それ以上動くな』という
一瞬の緊張が走ったその後、一斉にライフルやサブマシンガンがコルネリエへ向けられても彼女は引かなかった。目の前の初めて会う女が自分達の秘密を握っている可能性がある――そちらの方が彼女にとって重要だった。
だが、女も女で眉ひとつ動かさず片手を上げて従える護衛達を制し真っ直ぐに照星の向こうからコルネリエを見つめていた。
「秘密か……。確かに私は
「なんでアンタがそんな事知ってる?」
コルネリエが問うと、女は小さく笑ってから答えた。
「ドイツの研究所がコルネリエ――という名を知ったのは今だが……研究対象に滅ぼされてから、調査のため本国の武偵局が入った際我が同志たちも派遣していてな。そこにある情報は持っているし、ミーツェの馬鹿者が捕まった時の主な情報提供も私がした」
「言うならば、ソイツも協力者だ。裏側の……だけどな」
寛仁の言葉を背に受けて、コルネリエはMP-446のトリガーから指を離す。
「アンタ――何者だ?」
「アヴトーチヤ=ホロシロフ。これでも元スペツナズで良いところまでは行った人間でな。まあ、誇る気もない過去だが――」
一瞬、コルネリエの手首に捻られるような痛みが走る。気付いた時には拳銃は奪い取られ、仕返しとでもいいたげにホロシロフと名乗った女が代わりにコルネリエの眉間へ銃口を向けていた。
「――本領でないお前達を制するのは容易いぞ。私は構わないが、仲間には手を出すな」
「へえ、冷徹そうな元ロシアのスペツナズが仲間のヘマを助けるって?」
「それが嫌で抜けてきた。今はここで好きにやらせてもらってるさ。話があるんだろう、“オモチャ遊び”はここまでにしよう。私にもまだ仕事があるんだ」
MP-446を手捷く翻し、部下へ渡したホロシロフは再び椅子へと腰を預ける。腕を組み、左手の人差し指でとんとんと右腕をノックし始めた彼女は苛立ちを見せ始めているかのようだった。
話は寛仁が切り出した。今の状況で、コルネリエがまともな対話を行えるとは思えなかったからだ。事情を聞いたコルネリエは『ふむ』と暫しそのまま腕を組み、それから思い出したかのように口を開く。
「なるほど。車か――なら最近入ったのが、一台ある。買い手も付かないし、好きにしていいぞ。……おい、住所を渡してやれ」
「はっ!」
ホロシロフの指示に部下の一人が敬礼で応え、メモ用紙につらつらと何かを書き記していく。
「隊長の計らいだ、持っていけ」
寛仁が受け取り、コルネリエに手渡されたのは一見の中古車屋の住所だった。とはいえ、車好きなら見ればわかるような『解体所』のおまけまでついている。
「いい車が見つかると良いな、武偵」
「ソイツはどうも、ゴッドマザー」
ホロシロフになんのプレッシャーも受けなかったのは、コルネリエたちが最初かもしれない。三人が部屋から去ったあと、ホロシロフは楽しげに机をなぞって手遊ぶ。
いい駒が増えた、と。ホロシロフはそう考えていた。
バーに戻った三人は、すっかりやさぐれたルーツィアに遭遇。部屋には置いていかれ、話題にもされずホロシロフの知り合いだからと無理矢理オレンジジュースを注文して、バーテンに愚痴をこぼしていた。
騒がしいクラブとはいえ、その一角のバーだ。だがその様相は、店主に絡む酔っぱらい。まるで居酒屋の一風景だった。
しかし、行き場は決まった。中古車屋兼廃車工場。そこでコルネリエの新しい車を探すことに決め、四人はクラブを後にする。