「へぇ、今は浅葱って言う名前なのね」
「うん、素敵な名前でしょ?」
特に何か悪いことをした覚えもないのに、妖夢と幽々子から脅かされた。急に脅かされるのは苦手な私。一回目はなんとか我慢した。滅茶苦茶驚いたし、たぶん半分泣いていたけどそれでも我慢した。でも二回目は無理でした。泣きました。
優しい言葉をかけてからの不意打ち。そりゃあ泣くに決まっている。むしろ泣く以外どうしろと言うのだ。
私を脅かした二人は泣いている私にちゃんと謝ってくれた。もう少しくらい拗ねてやろうかとも思ったけれど、私は心が広いからちゃんと許してあげたのだ。
幽々子とは昔からの知り合い。ちょっと意地悪なところもあるけれど、だいたいは優しい。だからだいたいの幽々子は好きだ。でも、さっきの幽々子は好きじゃない。
「ええ、素敵な名前ね」
私の言葉を受け、クスクスと笑ってくれた幽々子。こうやって笑ってくれるからやっぱり幽々子のことは好きだ。いつもいつもこうなら良いのになぁ……
「ごめんなさいね。貴女を見るとつい」
それが私は困るのだ。私は怖がりじゃあなく、ただのビッがりだけど急に『わぁっ!』ってやられちゃうともう泣くしかない。だって私には抵抗する力なんて無いもの。
念の為にもう一度言っておこう。私は臆病とか怖がりとかそう言う類ではない。
「そう言えば浅葱はいつ起きたのよ? どうせならもっと早く来れば良かったのに」
そんなことを言われても、幽々子が此処に住んでいることなどすっかり忘れていたんだ。此処に着いた時、なんか見覚えのある場所だなぁ。とは思ったけれど、幽々子が此処に住んでいることまでは思い出せなかった。
「ん~……世界が赤くなっちゃった時だったかなぁ」
そう言えば、私って今回はどれくらい寝ていたんだろう?
「ああ、あの異変の時だったのね。それで、そんな浅葱は此処へ何をしに来たの?」
ああ、そうだ。すっかり頭から抜けていた。私は別に脅かされに来たわけじゃあないのだ。
此処へ来た理由がちゃんとあるのだ。
そうだ、確か私は――
あれ? ……なんで私来たんだっけ?
やべぇ、全く思い出せない。しまったなぁ……『わぁっ!』ってやられたからだと思うけど、まさか忘れてしまうとは。
ん~……うん、まぁいいか。たぶん忘れてしまう程度の理由だったのだろう。それにこうして幽々子ともまた会えたのだ。それだけで充分。
「うん、忘れちゃった」
「ふふっ相変わらずね、貴女は」
そんな私を見て幽々子はまたくすくすと笑った。
うむうむ、良い笑顔じゃあないか。暖かい空気に満開の桜。此処は良い場所だね。
そして満開の桜を見回していて一つのことに気付いた。
「あれ? ねぇ幽々子。あの桜、なんで咲いているの?」
一本の大きな桜の木を指差し、幽々子に尋ねる。そろそろ八分咲きと言ったところかな。
残念な記憶力しか私は持ち合わせていないけれど、そのことははっきりと覚えている。あの桜は咲かない桜だった。
「春度を集めたからよ。私も詳しくは知らないのだけどね、どうやらあの桜――西行妖の下には誰かがいるらしいの。それであの西行妖が満開になると、その眠っている人が起きるから頑張って咲かそうとしているのよ」
へぇ、そうだったのか。そう言えば以前紫もあの桜について何かを言っていた気がする。ん~……なんだったかなぁ。
「やっぱり春は皆で楽しみたいもの。だから、その眠っている人にも起きてもらいたい。どう? 素敵なことだと思わない?」
あの桜が咲けば眠っている人は起きる。
だから咲かす。皆で春を楽しみたいから。
それは――
「うん、素敵なことだね!」
何か大切なことを忘れている気もするけれど、やっぱり春は皆で楽しみたい。それが素敵じゃないはずがない。
「ふふっ、もし満開になったらその眠っている人も、今は眠っている紫も、皆で一緒にお花見でもしましょうか。せっかく浅葱も起きているのだし。だから浅葱もあの西行妖を咲かすために、協力してもらえないかしら?」
おおー、皆でお花見か。そりゃあ楽しみだ。きっと素敵なお花見になるのだろう。うむ、この時期に起きてくれて正解だったね。
でもなぁ、協力と言っても……
「私は何も手伝えないよ?」
春度なんて持っていないもん。私が持っている物と言えば穢れくらい。それならいくらでもあるけれど、穢れを撒いたらたぶん桜は枯れる。そして土地が死ぬ。それはちょっと笑えない。穢れを吸って咲く花など優曇華くらいだ。
「大丈夫よ、浅葱は居るだけで良いの。それだけで私は頑張ろうと思えるから」
そうなの? よくわからないけれど、それなら私は精一杯応援しよう。
ふふん、皆でお花見かぁ。そりゃあなんとも楽しみじゃあないか。
そんな素敵なお花見のことを考えてしまったせいか、やっぱり私は旅立った。
――――――――――
「えと、幽々子様? 浅葱さんとはどのような関係なのですか?」
縁側に腰掛け楽しそうにプラプラと足を揺らしている浅葱さん。幽々子様と親しい関係にあることはわかるけれど、どんな人なのか全くわからない。だって見た目や性格はただの怖がりな女の子だもん。特別な力だって全く感じないし。
「そうねぇ……私の大切な人、かしら」
浅葱さんに優しい眼差しを向けながら幽々子様はそう答えた。
幽々子様は時たま難しいことを言う。今回だって、私には幽々子様の言葉の意味を理解することはできなかった。
大切な人、か……
きっと私にとって大切な人は幽々子様なのだろう。だからと言って、幽々子様の大切な人が私になれば良いとまでは思わない。そりゃあそうなら嬉しいけど。
私にも幽々子様以外に大切な人はできるのでしょうか?
「……浅葱はね、凄く純粋なのよ。ちょっと心配になってしまうほど純粋で単純なの。私には考えられないほどの大きな闇を抱えているはずなのに、浅葱は笑う。心から、嬉しそうに。そんな浅葱に何度も助けられたわ。まぁ、本人には自覚が無いようだけどね」
大きな闇、ですか……
正直、そんなふうには全く見えなかった。今だって私たちの声が聞こえないほど、ただただ楽しそうに足をプラプラさせているし。てか、あの人何やってるんだろう。
「何者なんですか? 浅葱さんって」
「それがねぇ、私にも良くわからないのよ。いつの間にか私の側にいて、いつの間にか寝てしまって、またいつの間にか側にいる。そんな不思議な人。紫は浅葱のことをもう少し知っているらしいけれど、私は良くわからないわ。でも別にそれは良いの。浅葱がどんな存在だろうと大切な人に違いはないのだから」
そんな幽々子様の言葉を聞き、余計にわからなくなってしまった。
ただなんとなく、浅葱さんのことは詳しく知らない方が良いんじゃないかって思ってしまう。だって、きっと知ったら飲み込まれてしまうこともあるから。
なんとも不思議な人だ。
でも確かに、浅葱さんを見ていると少しだけ心が洗われたように感じる。それはあれだけの純粋さのせいだろうか。
ああ、そう言えば浅葱さんにまだお茶をお出ししていなかった。
あの様子では私の声が届くかはわからないけれど、幽々子様にとって大切な人なのだ。しっかりとおもてなしをしなければ。
だから、お茶の準備をしようかと思った時だった。
パリンッ――と、何かの割れるような甲高い音が響いた。
「……張っていた結界が破られたわね。誰かしら? まぁ、良いお客さんではなさそうだけど。妖夢」
「はい、わかりました。様子を見てきます」
「お願いね。もう少しで西行妖が咲いてくれる。もう少し、もう少しなのに……う~ん、なかなか上手くはいかないものねぇ」
西行妖の様子は八分咲きと言ったところ。
はぁ、招かれざる客人ですか。ちょうど良いですし、そのはた迷惑な客人が持っている春度を戴くとしましょうか。
半人前だと良く言われるけれど、私だって弱いわけじゃない。スパスパっと倒させてもらおう。
壊されたと思われる結界のあった場所へ行くと、見事に何もなくなっていた。これは酷い。結構強い結界なはずなんだけどなぁ。
う~ん、今は紫様も眠っていますし、修理はどうしようか?
そして、この結界を破った人物は何処に……
「浅葱のね……泣く声が聞こえたのよ」
声が、聞こえた。
そんな静かな声が急に私の後ろから。
っつ! 私が見逃していたの? そしていつの間に?
楼観剣を抜き、直ぐ様臨戦態勢へ。私の思っていた以上に相手は強いらしい。
声のした方を向くと、紅白の服を来た黒髪の少女が立っていた。
しかし、浅葱さんの泣く声が聞こえたってどう言うことだろうか。やっぱり浅葱さんの知り合いなのかな?
「此処は冥界よ。貴方のように、生きている人間が来て良い場所じゃない」
「そんなことはどうでも良いの。それよりも……あんた? 私の浅葱を泣かせたのは」
瞬間――空気が震えた。
あっ、これちょっとマズイかも。
何この人、マジ怖い。なんで人間からドス黒い妖気みたいなのが出ているの? あと目の色が明らかにおかしい。それに“私の浅葱”って……
困ったなぁ。せ、せめて時間稼ぎくらいは!
「家で待っていろと言った浅葱が、どうして此処に居るのかわからないし、私はこの終わらない冬の異変を解決する必要もある。でも、もうそんなことはどうでも良いの。そんなこと以上にやらなきゃいけないことができたから……浅葱の泣く声もあの泣き顔も全部、全部私の物」
――返してもらうわよ。
ちょっと何を言ってるのかわからないし、私はそんなに悪くはない気もする。
でも絶対会話にならないよなぁ。止まらないよなぁ……
すみません幽々子様。
私じゃこれ、無理です。
歪んだ愛ってのも素敵なものね