そよそよと吹く風には微かな桜の香りが乗っていた。
春が訪れ一斉に咲いた桜。きっと散ってしまう時だって一斉に散るだろう。それは儚くも素敵なこと。後腐れなく、清々しいほどに潔い。いつ見たって君たちは綺麗だねぇ。
時刻は丑三つ時くらいだと思う。草木だって寝てしまい、静かな時間がゆっくりと流れる。レミリアとかなら今が一番良い時間かもしれないけれど、多くの人間はこの時間になると寝てしまう。だから今は静かな時間。
でもそれを寂しいと感じることはなく、この静かな時間は気に入ってたりもする。真っ暗な空へ昇った月が満開となった桜を薄く照らす。月と桜と。それはこの時期にしか見ることのできない幻想的な景色。
そんな幻想的な景色を、いつもの縁側へくたりと横になってぼーっと眺めてみる。そよそよと吹く風に誘われてひらひらと花びらが舞い落ちる。そんな景色は何時何時迄も眺めていたいものです。
「今晩は、浅葱」
ぼーっと見ていた景色の先へ、いつもの日傘を持った紫が立っていた。
そう言えば、どうして君はいつも日傘を差しているんだろうね。今は太陽なんて出てはいないのに。
「や、紫。おっすおっす」
それにしても、そっかぁ。紫も起きてくれたのか。
紫はお寝坊さんだからもうちょっとかかるかと思っていたよ。ふふん、けれども紫も起きてくれたようだし、良しとしよう。
……うん。良かった。まだ私は寝ていない。
「一人寂しくお花見?」
「今はね。でもさっきまではもう一人いたんだよ」
ちょいと前に何処かへ行ってしまったけれど、それまでは二人でのんびりとお酒を飲んでいたもの。あの子も寂しがり屋だからなぁ。私が一緒に居てあげたのだ。一人ぽっちは寂しいもんね。
「あら、誰と一緒だったの?」
「ちっちゃいのと一緒だった」
でも、明日はまたお花見をやるみたいだし、お酒の香りに誘われてきっとあの子も来てくれるだろう。最初のお花見の時だってそうだったし。
「貴女より小さいの?」
「うん、私の方がちょっと勝ってる」
ちゃんと比べたことはないけれど、たぶん私の方が大きい。もしかしたら私の方が小さいかもしれないけれど、気分は私が勝っているのだ。
「ああ、なるほど。そうだったのね。私も久しぶりに会いたかったわ」
そりゃあ残念だ。でもね、紫がお寝坊さんだからいけないと私は思うんだ。私もよく寝坊をしてしまうから、その気持ちはわからなくもないけどさ。一度寝ちゃうとなかなか起きてくれないもんね。仕方無いね。
「せっかく良い桜が咲いているのだし、一杯どう?」
桜の下にいた紫がふわりと飛び、私の隣へ来てから言った。その手にはいつの間にか一本のお酒と二つの盃。なんだか最近はずっとお酒を飲んでいる気もするけれど――
「うむ、有り難くいただこう」
こんなにも桜が綺麗なんだもの。お酒に誘われてしまうのも仕方無いね。
「うぃ~、ひっく」
「何を言っているのよ……」
酔っぱらった真似。一度やってみたかったんだ。でもこれ、あんまり面白くないね。
私は酔うことができないから、酔うことのできる皆が少しだけ羨ましかったんです。酔うってどう言う気分なんだろうね? きっと凄く素敵なことだと思うんだけどなぁ。
「……ねぇ浅葱」
「うん? どしたの?」
お酒は美味しい。例え酔うことができなくとも、あの吟醸香や仄かな果実香は私を掴んでくる。ホント、誰が作ってくれたのかわからないけれど有り難いものだ。
「今回はどれくらい起きていられそう?」
……どれくらい、かぁ。
一度寝てしまうとなかなか起きてくれないこの体質。そのせいで、今までもちゃんと別れることのできない奴が沢山いた。丈夫な体を持つはずの妖怪だって永い時を越えられない。そんな別れはいつだって私が寝ている時だ。
私は変わらない奴で、皆は変わってしまう奴だから。
「ん~……やっぱり私にもわからないかなぁ。もしかしたら、次の瞬間には寝ているかもしれない。でも、もしかしたらあと数年は起きていられるかもしれない」
別れは突然に訪れる。
私が寝てしまうと言うことによって。
それに慣れると言うことない。別れは何時だって寂しいし、何時だって悲しいもの。だから起きている今くらいは寂しくないよう、悲しくならないよう頑張ってみようと思うんだ。
それくらいしか私にはできないから。
「そう……どうにか起きていることはできないの? ほら夜はちゃんと寝るとか。私みたいに冬の間は寝るとかして……」
「無理だよ。私は穢れだもの。君たちとはやっぱり違う」
私がそう言うと紫は酷く悲しそうな顔をしてしまった。
ああ、マズい。いらないことを言ってしまった。ち、違うんだよ? 私は決して君を悲しませようと思っていたわけじゃあなくてね? ただ本当のことを言っただけで……
だって……嘘をつくのは良くないもの。
「ほ、ほら、でも私が寝てしまってもきっとまた会えるよ。どれくらいの時間寝ちゃうかわからないけれど、きっときっと大丈夫だから」
――大丈夫だから、そんな悲しそうな顔をしないでもらえると私は嬉しいな。
そうやってわたわたとなんとか言い訳を落としていると、紫に抱きしめられた。
紫の顔は見えない。でも笑ってくれていたら嬉しいな。
私は器用な方じゃあないから、こんな時なんて声をかけて良いのかがわからなかった。
私は穢れだ。本当なら、嫌われ追い出されなければいけない存在。けれどもそんな私を紫は“大切な人”と言ってくれる。だからそんな紫へなんとか恩返しをしたいなぁ。とは思っているけれど、残念な私の頭では何をして良いのかはやっぱりわからなかった。
「あら? この首輪はどうしたの?」
どれくらいの時間抱きしめられていたのかわからないけれど、漸く悲しい顔じゃない紫へ戻ってくれた。うむうむ、やっぱり君はその顔の方が素敵だよ。
悲しい顔をされてしまうと、私はどうして良いのかわからなくなっちゃうから、どうかそのままの君でいてくれたら私は嬉しいな。
「私はね嫌がったんだけど、霊夢に無理矢理つけさせられた」
でも、私だって頑張ったんだ。抵抗なんてできないはずの私は頑張った。
その結果、なんとかあの丈夫な紐をつけさせることだけは免れたのだ。まぁ、ただただ全力で泣いただけなんだけどさ。
「無理矢理ねぇ。浅葱ならいつでも外すことはできるでしょうに」
う~ん、まぁそれくらいなら私でもできるけれど、それをしてしまうと――
「霊夢が悲しんじゃうから、私はこれをつけておくことにするよ」
そりゃあ、首輪なんて畜生がつける様な物は好きじゃあない。でもこれをつけないと霊夢が悲しそうな顔をするから私はぐっと我慢するのだ。
ふふん、霊夢はまだまだ子供だからね。大人な私が我慢するのだ。
「相変わらずね、貴女は」
そりゃあ変わらない奴だもの。
それに霊夢には沢山の恩がある。紅魔館のことから始まり、博麗神社でも沢山の恩ができた。霊夢は私に意地悪することもあるけれど、だいたいの霊夢は優しい。
別に全部の恩を返そうとか思ってはいないけれど、私にできる霊夢のためになることは頑張ってやりたいのだ。できることは少ないけれど、なんとか頑張りたいのだ。
「ああ、そうだ紫」
「どうしたの?」
せっかく紫が起きたのだ。忘れないうちに伝えないといけない。
「幽々子がね。私と紫と幽々子の三人で一緒にお花見しようって言っていたよ」
「あら、それは楽しみね」
うむ、私も楽しみだ。博麗神社では沢山お花見をしたけれど、幽々子のところではあまりしていない。彼処の桜も綺麗だしなぁ。
きっと素敵なお花見となってくれるはず。
「浅葱、最後の一杯よ」
あらぁ、もうそんなに減っていたのか。
楽しいことは直ぐに終わっちゃうし仕方無いね。
「「乾杯」」
挙げた二つの盃。
最後と聞くと寂しくなってしまうから、私は噛み締めるようにその一杯を味わった。
春。それは出会いと別れの季節。
けれども、別れが来るのはもう少し後になってくれれば良いなぁ。な~んて私は思うのです