久遠&猛田   作:ザコプロ

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第1話

 鋭い金属音と共に白球は高々と打ち上げられた。皆の視線が空高くへと吸い寄せられる。ボールは勢いよく、軌道は一直線に、遥か遠くの彼方へと伸びていった。やがて球は点となって雲に紛れた。陽は隠れていたが隙間から光が差し込んでいて、それを突き抜けるようにしてどこまでも進んでいった。一度は誰もがそれを見失った。

 しかししばらくすると速度を失い始め、やがて空中で動きを止めた。そしてゆっくりと降下し始めた。あそこだと声を上げる者、指差す者が出てきた。点が段々と形を取り戻し、赤い縫い目を露わにする。無造作に回転していたが落ちて来る軌道は真っ直ぐ素直だった。風も吹いていない。遮るものは何もない。皆の注目も次第に地面へと近付く。

 友沢が手を上げる。マウンドの少し前方へと歩み寄り、落下点を探り、位置を調整する。そして両手で包みこむように、大事に、ボールをグラブへと収めた。ぱすんと乾いた音がする。それに覆いかぶさるように、歓声がわっと上がった。

「そこまで」監督が高らかに宣言した。「この勝負、友沢の勝利だ!」

 また歓声が上がった。友沢は勝利の余韻に浸ることも、歓声に酔うこともなく、ポーカーフェイスを崩さなかった。目を閉じ、一息つき、頭の中でだけで拳を握りしめた。表には出さない。

 そのままバッターボックスへ近付く。そこでは勝負に負けた彼が、バットを強く握り締めたまま天を仰いでいた。悔しそうに口元を歪ませている。

「おい」

 返事はない。

「終わったぞ」

 目を合わせてもくれない。

「今日から俺が帝王だ」

 カカシのように突っ立ったままだ。

「門桜マリさんはもらってくぞ」

「嫌だ!」

 予期していなかった大声が友沢の鼓膜に響いた。思わず耳を塞ぐ。過剰な反応はまるで雄たけびだった。目元が涙ぐんでいる。これでは何で悔しがっているのか分からない。

 しかしおかげでようやく身体の緊張がほぐれたようだった。彼はバットの先で頭を叩いた。ゴツンと、ヘルメットがうめき声のような音を立てた。

「畜生、今日のところはこれで勘弁してやる」

「悪役みたいな捨て台詞だな。だから負けたんじゃないか」

「うまいこと言わなくていいよ。余計虚しくなった」

 フッと鼻で笑われたのを気にせずにはいられない。

「でもいいか、近い内にまた帝王勝負挑むからな。次はオレの完全勝利で決めるぞ。見てろよ、全球ホームランにしてやる」

「望むところだ」

 最後にまた「覚えてろよ」とだけ吐き捨てると彼はウェイティングサークルに置いてある荷物を取りに向かった。それを合図に観衆もまばらになり始める。部室へ戻る者、練習に戻る者、帰路へつく者、その中からいくつかの影が二人の元へ向かった。

「友沢先輩おめでとうございます」

 なついた声で久遠が友沢に話し掛けて来た。友沢の好きなドリンクをタオルと一緒に渡す。

「ありがとう」

「今回は完勝でしたね。さすが友沢先輩」

「そうかもな」

 答えながら友沢は、何度か危うい場面があったのを思い出した。ヒットにされてもおかしくない当たりがいくつかあったように思えた。判定次第では負けていたかもしれない。少なくともアイツの気合いが充満していたこの場で手加減をする余裕などはなかったなと思いながら、バットの手入れをしている彼の方を向いた。

「じゃあ新生帝王にさっそくお願いなんですが、投手陣への指示を下さい。皆に伝えておきますから」

「お前が指示を欲しいだけだろう」

「あ、ばれてました? えへへ」

 見てみると背中に回した手にグラブとボールを隠し持っていた。どうやら帝王勝負した直後だというのに自分のピッチングを見てもらうつもりだったらしい。抜け目のない後輩だ。「分かった、後でな」とだけ言うと一旦部室へ戻ろうとする。

 そこでまた別の影とすれ違った。勝負に敗れた元帝王の彼の元へ近付いてきた矢部と猛田だ。

「惜しかったでやんす。勿体ないでやんす」

「先輩ドンマイッス! 最後のアレは打ち損じちゃいけないような絶好の甘々ボールな気がしたッスけど気にしちゃいけないッス!」

「あぁ、もうやかましいな。落ち込んでるんだから少しは励ましてくれよ!」

 対照的に騒がしい野手陣だ。この三人が外野を守っている時は落ち着かない、投手の皆が口を揃えてそう言うのも頷ける。

「でもいいさ、絶対すぐに奪い返す」

「さすが先輩!」

「当たり前さ。負けっぱなしは俺の性に合わねえ。この後素振り千回いくけど猛田も来るか?」

「もちろんお供するッス」

「よしきた。矢部くんも来るかい?」

 やる気に満ちた声で尋ねる。だが近くにいたはずの矢部の返事が返ってこなかった。

「矢部くん?」

「ああ、そうでやんすね、行くでやんす」

 不審に思った彼は振り返った。矢部は手元のノートに目を落としていたらしい、ちょうど向き合ったところで目が合った。何かを書き込んでいたようだった。

「何だいそれは?」

「これでやんすか? これはこれまでの帝王勝負の記録でやんす」

「記録っていうと、配球とか勝敗とか、そういったのッスか?」

「そうでやんす。オイラ、入学してからの全部の勝負の記録をつけてきてたでやんす」

「へぇ。そんなの作ってたんだ。全然知らなかったよ。見せて見せて」

「いいでやんすよ」

「俺も見たいッス」

 三人の顔が小さなページの前に群がる。字こそ汚くて読み辛かったがそこにはマネージャー顔負けの細かいデータがびっしりと書き込まれていた。先程までの勝負の詳細ももう既にそこにあった。

「凄いよ矢部くん。こんな細かいところまで書いてあるぞ。こいつ、こんな癖があったのか。確かに帝王勝負の時だけやたらと投げ急ぐ気はしてたよ」

「このデータを参考に、いつかオイラが帝王の座に立つんでやんす」

「でも矢部先輩、この前先輩に『モグラとモゲラ』で勝負を挑んでましたよね? しかも負けたし」

「しょ、勝算はあったでやんす」

「データ関係ないじゃん」

 それでもデータの価値はなかなかのものだった。情報通と呼ばれるだけのことはある。彼独自の視点から作られたそれを読んでいると今まで見えなかったところまではっきりと見えてきた。

「何だかこれを見てるだけで次の勝負は負ける気がしなくなってくるよ」

「フフン、オイラに感謝でやんすよ。滅多に見せない、というか他人に見せたのは初めてでやんすから」

 ただひたすら感心し、こんな勝負あったな、と懐かしみながら彼はページを捲っていった。ご丁寧にモグラとモゲラの勝負についてのページまであった。『イカサマを使ったのではないか』などと不本意なことも含め、多く分析してあった。

 見返して見ると帝王勝負は結構な回数、行われているようだった。ノートの半分以上が既に埋められている。もしかしたら引退までに二冊目にいくかもしれない。そしてやけに彼自身と友沢の名前を目にした。他の部員、矢部や猛田や久遠、既に部にいない蛇島などの名前もあったが大体が負けている。僅差にしろ大差にしろ、結果だけを見ればほとんど彼と友沢が帝王を独占していた。

「というかこれ、オレと友沢が交互で帝王やってるじゃないか」

 眺めている内に、引っかかっていた違和感がふと形になった。

「本当でやんすか?」

「マジマジ。ほら、ここでオレが帝王になって、二人挑戦したけど負けて、次に友沢が挑戦して来て交替してる。一回挟んでオレに負けて、今回また友沢が帝王になったでしょ」指差しながら追っていく。

「本当だ。気付かなかった」

「帝王って言っても普段はオレが野手陣のリーダー、友沢が投手陣のリーダーみたいな感じでやってるからかもな。オレも今まで気付かなかったよ」

「しかしこうして見ると、交替のインターバル短いでやんすね」

「確かに」

 早い時で翌日には交替している。このことは彼はよく覚えていた。あまりにも負けたのが悔しかったので大金をはたいて根性パワリンDXを三本一気飲みした時のことだ。

 大体二週間も経てば、長くても一ヶ月も経てば交替していた。奇妙なことに、二人が勝負すると必ず交替が起きていた。辿ってみると昨年の秋に友沢が蛇島を引きずりおろし、年明けに彼が台頭し始めてからずっとこのパターンは続いていた。

「そう、だから困っているのだ」

 そこへ威厳のある声が割って入って来た。どこかへ行ったと思っていた監督のものだと気付き、途端に緊張が走る。

「どういうことです?」

「確かに帝王は我が野球部トップの証、一番強い者がなるべき称号だ。だが同時に帝王はキャプテンの座でもある。これ程頻繁に帝王を交替されてはチームとして成り立たなくなってしまうのだ」

 しかし伝統あるこのシステムを安易に止める訳にはいけない。今は各々のリーダーという立ち位置で黙認しているが、帝王は我が野球部の強さの象徴。実質帝王が二人いるような状況など認める訳にはいかない、と続けた。

「大丈夫ですよ。これからオレが二連勝、いや負けなければいいだけです」

「それをしたことも保障もないから困ってるのだ」

 唸る他ない。システム上起こり得ることだがここまでのことは監督にとっても初めての経験だったらしい。

「俺も気になっていたんだ」と更に割り入って来たのは友沢だった。後ろに久遠もついている。「正直、こんなにコロコロ変わられては俺も落ち着かない」

「同感だね。一丁、ハッキリとさせた方がスッキリする」

 ふむ、と監督は相槌を打つ。

「となるとやはり、直接対決以外で決着を付けるしかないか」

「つまり?」

「走塁や守備や、他の勝負にするということだ。例えばの話だがな」

 なるほど、と皆が頷く。

「妙案でやんすね」

「先輩方が納得いくならそれがいいんじゃないですか?」

 二人の目が合う。異論はなさそうだった。

「欲を言えば、野球の技術ももちろんだがキャプテンとしての素養も競えるものが望ましいな」

「難しいですね」

「キャプテンに必要なものって何スかね」

 皆して口を閉じ考え込む。途端に静かになった。グラウンドの外を車が走り抜け、音が小さくなっていくのが聞こえる。しばらくして誰かがぼそりと「カリスマ?」と呟いた。

「勝負にならないでやんす。友沢くんの圧勝でやんす」

「酷い言いようだな」

「アバウトなものは駄目だ。ハッキリと形に出るものでないといかん」

 そうは言われても、と皆が同じことを思った。文句なしの案などそう簡単に浮かぶものではない。

 トンボが通り過ぎた。時間がとても長く感じられた。良い案が浮かぶまで解散できないような雰囲気が次第に漂い始めていた。

「指導力、なんてどうでしょう」

 ふと、また誰かが呟いた。皆が同時に声のする方を向いた。一同に注目を浴びて、久遠の顔の赤みが増す。

「あ、あの、やっぱりキャプテンって、チームを勝たせる能力が必要かな、って。だとすると皆をレベルアップさせる指導力って、大事かなって、思ったんです、けど」

 おどおどした声だった。久遠の性格がよく分かる。だが内容は的を射ていた。

「なるほど、確かに大事だな」監督の言葉に久遠の表情が明るくなる。「だがまだアバウトだな」

「指導を受けた人達が勝負して決めるってのはどうスかね。もちろん直接対決で」

 今度は猛田だった。

「面白いが本人達がぶつからない勝負とは如何なものか」

「いいじゃないですか。オレは賛成ですよ」

「本気か? 友沢は」

「いいですよ。負ける気もしないですし」

 言ったな友沢、と彼が喰らい付く。終わったばかりだというのに、また勝負を挑みそうな勢いだった。まぁまぁ、と矢部がなだめている。

 監督はすぐには決断できなかった。果たしてこのような勝負で勝った者が帝王の称号にふさわしいと言えるのかがどうしても引っ掛かっていた。だが本人達はやる気満々のようだった。状況を何とかしなければならない焦りもあった。期待もあった。些細なきっかけでも事態は好転するかもしれない。幸い大会までまだ期間はある。試すとしたら今しかない。

「いいだろう。では二人は、次の帝王勝負までに代理人を立てるように」

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