バルセロナ講和会議が開催されている頃、満州ではトロツキー氏が極東エルサレム共和国の建国を宣言。ロンメルが解放したユダヤ人は在独大使の大島浩に変わって新たに就いた杉原千畝が日本行のビザを発行。シベリア鉄道を使って極東へとユダヤ人は移動していった。
―オーステルリッツ駅―
「お待ちしていました、斉藤中将殿。」
「陸軍じゃないから殿はいらんぞ。」
「いえ、今や貴方は救国の英雄です。殿は付けるべきかと。」
「まあ、好きにすればいい。終戦工作、ご苦労だった。」
「ありがとうございます。」
各国はの講和大使はバルセロナにて講和会議の最中だった。斉藤が欧州に来た目的はパリの視察だった。
「フランスは無条件解放され、フランス人は舞い戻ってきております。明日は解放記念パレードがあるそうですよ。」
「日本からも視察団が来るそうだ。私は個人的な視察だから特に見る理由もない。」
―バルセロナ―
「我が日本は朝鮮と日本を結ぶ大陸海底トンネルの開通を目指しています。そして、この戦争で被った被害の復興支援にも積極的に参加します。」
米内は講和会議にて積極的な意見を言い続けた。世界政府(現在の国連と似たようなもの)をハワイに造り、常任理事国に日本・中国・蘇連・英国・米国・独国の6か国が就くこと。極東大アジア同盟など、日本に有利な条件を出し続けた。
無論、英国と米国は強硬に反対した。フランスなどの他国は枢軸連盟のお陰で独立できたので文句も言えなかった。
「米国とイギリスの植民地政策は酷いものです。現地住民を完全に奴隷以下の扱いしかしていない。お陰で、独立意識を芽生えさせるのは簡単でしたよ。我が国は奴隷的扱いなどしません。」
米国と英国は日本がばら撒いた植民地の現状に目を疑い、内政庁などに抗議が殺到しているのが現状だった。それに、日本はユダヤ人国家を建てるなど、国際世論は一気に親日派に傾いてきている。
欧州植民地の代表として印度独立運動家で、自由印度仮政府首長のスバス・チャンドラ・ボースも欧州の植民地政策の酷さを物語、英国と米国、阿蘭陀、仏蘭西は立場が非常に危うい状況だった。もはや、譲歩するしかなく
「日本の言い分を認めます。」
と、言った。
―パリ―
「パリ市内は確実に復興が進んでいますね。」
フォルクスワーゲンに乗って市内を回る斉藤と亀井は復興を続けている市民の姿を見て感心する。。
「戦争は終わって、爆撃機の飛んでくる心配は無いのだ。少しずつ、復興されて元の街並みに戻るだろう。」
仏蘭西に舞い戻り、首相となったシャルル・ド・ゴールはフランス復興を呼びかけ、少しずつ復興が進んでいる。日本も、解放記念パレード終了後、復興支援部隊をフランスに送るつもりだった。
「ヴィシーフランス政府は倒れ、再び首都はパリになった。これは、フランス人にとっては喜ばしい事だろう。」
「フランスの復興には予想では3年かかると言う事だ。米国は6年、英国は8年。ソ連は9年といったところだ。」
「富嶽が爆撃しましたからね。しかも、広範囲に。」
「ちょっと、やりすぎたと思っているよ。」
モスクワは瓦礫の山で、臨時政府がヤロスラヴリに置かれ、行政等を行っている。
「直に講和会議も終わるだろう。」
「はい。」
「明日はパレードだ。ゆっくりと楽しんでいけばいいだろう。」
「はい。」
二人は、泊まる予定のホテルに着き、個室へと入って行ったのだった。