幻想小咄   作:殺多鴉

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生きているのではない。死んでいないだけだ


夜雀屋台と吸血鬼

 斜めに傾いだ欠けた月が、煌々と光輝を放ち、薄い霧に覆われた夜空。星々と共に空を彩る夜半過ぎ。

 本日は、人里から迷いの竹林まで伸びる道の途中で営業をしている夜雀の屋台にて、紅色の吸血鬼幼女(レミリア・スカーレット)その従者(十六夜咲夜)がカウンターに腰掛けていた。

 レミリアは薄い碧の髪を肩に掛かる程度に短く切り揃え、それを()かしもせずにその儘に。

咲夜は銀色のボブカットを三つ編みにして、先に緑色のリボンを付けている。青と白のメイド服を着込み、主の傍に侍る姿は常に氷の刃の様に鋭いのだが、今日に限ってはその目を柔らかく綻ばせている。

 レミリアはその深紅の双眸で以って、屋台の主の夜雀(ミスティア・ローレライ)の緋の双眸を捉える。

 彼女は頭上に紫と似たナイトキャップを被っており、半袖とラップアラウンドスカートを着用している。愛嬌のある丸い輪郭の顔立ちは、絵画の一枚であると錯覚を覚える程に端整。

 そして何より目を引くのが、骨組みに皮を張った蝙蝠の様な奇妙なシルエットの翼。ルーミアやチルノや魔理沙もそうだが、この幻想郷の文明には些かそぐわないその様相である。

 彼女達は既に幾つかの徳利を空けているが、誰にも酒に酔った様子は無い。

 同じく月夜を愛する妖怪として、レミリアがお忍びでこの屋台へ通い、談笑する様になったのはつい最近の事だ。

 紅魔館では決して飲む事のない日本酒を水の様に煽りつつ、吸血鬼の少女は屋台のテーブルに両肘を付き真剣な表情で重々しく言葉を紡ぐ。

 

「最近、私のカリスマが減って来ている気がするの」

 

 レミリアからの議題は、聞き間違いかと錯覚するほど実に下らない内容だった。

 心を許した者にしか晒さない彼女のこういった部分が見られる事を、果たして幸運と取るべきか、面倒と取るべきか。

 

「それは災難ですね」

 

 ミスティアは営業用の笑顔を崩さぬままに、炭で熱された網の上に所狭しと並べられたヤツメウナギの蒲焼きを慣れた手付きで引っ繰り返す。

 

「なんとおいたわしい! お嬢様の深いお嘆きを察して胸が押し潰されんばかりです!」

 

 レミリアの左隣に座る咲夜が全身を使ってその胸中を表現しているが、仕草が大げさ過ぎてどう好意的に解釈しても莫迦にしているとしか見えなかった。

レミリアはそんな従者の姿を見ても、不貞腐れた様にそっぽを向き、ちびちびと熱燗を煽るだけ。咲夜とてレミリアが本気で悩んでいたらこんな冗談は言わないし、何よりレミリアは自分の悩み事を表に出さない人物だ。自分の妹の事を考え、数百年も孤独に苦悩する程には。

 空になった皿や徳利を片付けながら、女将のミスティアが追加の熱燗を二人の前に置いてにっこりと微笑んだ。

 咲夜は子供の様に拗ねてしまった自分の主を宥めつつ、紅魔館の二人は出された皿に手を付ける。

 咲夜の前に出されたのはヤツメウナギのつみれが入った吸い物だ。湯気と共に出汁の香りが立ち上る。

 咲夜はつみれの一つを箸で摘み、口へと運ぶ。ほう、と漏れ出る声。

 

「本当に美味しいわね、ここの店は」

「ありがとうございます」

 

 皮、肉、内蔵。ヤツメウナギの全身をまとめてすり潰したつくね団子の一つを、箸を使って口に運ぶ咲夜。

一方のレミリアが注文したのは、ヤツメウナギの蒲焼きだ。甘辛いタレが染み込み、炭火で芯まで焼き上げられた極上の一品に舌鼓を打つ。

 談笑しながら料理を楽しむレミリアと咲夜を見て、ミスティアは炭火焼きに使っていた大きめの団扇で口元を隠し、幸せそうに目を細める。

混沌とした面子でありながら、少女たちは客と女将という不文律を犯す事なく屋台での一時を楽しんでいた。

 美味い酒と美味い飯があれば、争う気も削がれるというもの。誠に、食事とは偉大である。

 

「ミスティア、串をもう二つ頂戴」

「はーい」

 

 風が吹いて、屋台の暖簾が揺れる。笹の葉さらさら、毛筆で文字が書かれた提灯。竹の隙間からぽう、と漏れる屋台の明かりと笑い声。

 脹脛(ふくらはぎ)に届く程の長い白髪を揺らし、不良の様に少し背を丸め、両手をポケットに突っ込むスタイルで歩く少女が、チラリと目線を向けてから近付く事無く通り過ぎていく。

 

 

 辺りもすっかり暗くなり、人の時間から(あやかし)の時間に変わる。人間は陽の下で笑い、妖怪は月の下で謳う。夜。それは妖怪の時間の始まりを意味している。

 

「ねぇ、ミスティア」

「なんでしょう」

「このお屋台、()()は扱わないの?」

 

 何本目かになる徳利を傾けて小さな杯へと注ぎながら、本当に何気ない口調でレミリアはミスティアへと質問する。

 

「ミスティアも、いける口でしょう?」

 

 レミリアは幼さとあどけなさが残る顔をニヤリと歪ませる。

 レミリアは吸血鬼、咲夜は人間そしてミスティアは妖怪だ。

 妖怪は、例外無く人間を食らう。

 

「え、えーっと……ウチは、というか私は、()()を扱わない事にしてるんですよ」

「それはどうして?」

 

 レミリアは右手に持った竹串を揺ら揺らと振りながらミスティアに尋ねる。

 放っておけば勝手に増える家畜を相手に、何を遠慮などする必要があるというのか。

 畏れのみで生きていける妖怪とはいえ、長く()()を断てば身体は弱り衰えていくばかりだ。

 それは最悪、己の死にすら繋がりかねない。

 恐ろしい程に自分勝手で、絶対的に傲慢不遜。レミリアの言葉は絶対的な王者の立場からの言葉だ。

 咲夜はレミリアの言葉に顔色一つ変えない。同じ人間として生まれながら、強大な力を持った故に迫害され続けた咲夜に取って、文字通りに何の力も持たない人間など有象無象と変わらないのだろう。

 レミリアの質問にミスティアは微笑で返す。

 

「約束を。この屋台の前の持ち主と、約束をしたんです」

 

 その()()とやらを、誰かに教える気はないのだろう。そんな雰囲気を滲ませながら、大事な過去を懐かしむように夜雀が淡く微笑む。空気が変わる。

 それまでは比較的穏やかだと言えた屋台の雰囲気が、一気に別の存在によって塗り潰されていく。

 尚も追及しようとするレミリアを流石に咲夜が咎め、レミリアは口一杯に頬張って租借していた三本分の蒲焼きを喉奥へと飲み込み首を傾げた。

 

「さぁ、この話はお終い」

 

 空元気でも、元気は元気。大きく声を出した屋台の女将が気丈な笑顔を作ってみせる。

 夜はまだ始まったばかり。

 

 

 これは、何処にでも転がっている昔話の一つ。

 四国の山奥地。道無き道を人の力で切り開いて作られた人工の獣道。真夜中の山道には勿論明かりなどあるはずもなく。背の低い広葉樹に覆い隠された道を照らすのは、通行人の裸提灯と月明り。

 カラコロと下駄を鳴らして、提灯を持った男が道を急ぐ。

 

――チン―――チン――チン―――

 

 両足を止める事無く交互に動かしていた男は、妙な音に気付いて足を止めた。振り返り、殆ど木の葉に隠された月を拝む。

 鈴が石畳を転がる音の様な。硝子玉が砕ける音の様な。男の耳には今まで聞いた事の無い鳥の鳴き声が聞こえていた。

 木々が騒めく音と共に聞こえる鳴き声に、いい音だな、と男は足を止め目を閉じて聞き惚れる。(しばら)くしてから男が(おもむろ)に正面を向き直すと、先程まで灯っていたはずの提灯の光が目に入らない。

 

――チン―――チン――チン―――

 

 慌てて目を擦り、瞼を開けたり閉じたりを繰り返してみるが、それでも見える景色は暗闇一色から変わらない。

 全てが闇に閉ざされた世界で、雀の鳴き声に似た(さえず)りが響く。

 音は波となって耳を打ち、男の両目を歌と云う名の呪いで深く深く浸食していく。

 鳥目などと云う生易しい症状では無い。男の両目は完全に光を拾う術を奪われていた。

 ただその方が男にとって幸せだったのかもしれない。もし、彼の眼が見えていたら。背中から桃色の翼を生やした妖怪の爪で、なます切りにされた自分の身体を見てどんな悲鳴を上げていたのだろう。

 

 

同じ四国の山奥地。道無き道を人の力で切り開いて作られた人工の獣道。真夜中の山道には勿論明かりなどあるはずもなく。背の低い広葉樹に覆い隠された道を照らすのは、通行人が引く屋台の明かりと月の光。

 ガラゴロと音を立てて、青年が車輪付きの屋台を引いていく。屋台の号は“夜雀亭”。

 別の平地に出来た太い道。殆どの人間が賑やかな大通りを好んで選び、この山道に近付く人は、時間の流れに比例して減少していった。

 周囲の皆から変わり者と呼ばれていた青年は、生まれた故郷(まち)を離れ、人の誰も通らぬ山道でガラゴロと屋台を引いていた。

 同じ山道で、人間に飢えていた雀の妖怪は、樹の枝に座る自分の眼下をゴロガラと動く木製の車を見つけた。屋台の号は“夜雀亭”。屋台から立ち上る料理の残り香に釣られて、人間に、食事に飢えていた雀の妖怪は、蠱惑的な微笑を湛えたままにフラフラと青年に近付いた。

 

 

 ただ食うだけだった妖怪は、屋台を営む青年から料理を教わった。

 甘くて、辛くて、しょっぱくて。“美味しい”を、“もっと美味しく”出来る人間の生み出した素晴らしい文化を知った。

 しかし、青年の隣に立ち、青年の手で均一な大きさに揃えられていく食材を眺めながら、ぼんやりと別の事を考える時もあった。

 人間を料理したらさぞ美味しいだろう。そんな事だ。青年が作り出す数々の料理を味わい、作り方を少しずつ覚えながら、その感情は徐々に強くなっていった。

 包丁が規則的にまな板を叩く音が止まる。どうしたのかとミスティアは自分の目線より高い場所にある青年の顔を見上げた。

 

「僕には夢があるんだ」

 

 その声は小さいながらも確かな決意を籠めた声だった。

 日本一の料理人として名を馳せる。君も僕と一緒に来てくれるかい? 青年はそう言って私の頭を大きな手で撫でた。記憶の中には(くすぐ)ったそうに首を(すく)めてはにかむ私が居る。

 私の頭を少し乱暴に撫でる青年の大きな(てのひら)は、何度も包丁を握り、炭の火に当てられて固くなっていた。

 その青年が死んでしまって、夢を私が引き継いだ。

 だって、人間は何も言わずに死んだから。()()なんて勿論していない。

 だって、その人間を食ったのは。その人間を、「もっと美味しく」なる様に料理したのは……。

 

 











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