幻想小咄   作:殺多鴉

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「希望とは達成困難なものだよ」
「達成困難なものが(ことごと)く希望だとは限らないけどね」








古道具屋と羊飼い

 昼下がりの幻想郷。

 手付かずの自然の上に陽の光がさんさんと降り注ぎ、木の葉の隙間を抜けた光が空中に幾つも帯を描く。

 遠くで鳴く蝉の声が聞こえる。

 土を踏み固めただけの道の上には誰の足跡も無い。この辺りまでは人間が訪れる事は殆ど無いのだ。

 道無き道を進むと(ようや)く不思議な建物の店が見えてくる。廃屋と言う程でもないが、明らかに人が来なさそうな小屋がそこには佇んでいた。魔法の"森"の"近"く、霧雨と森を合わせて"霖"。こんな単純な名前を名乗る主人が居る店。

 古道具屋「香霖堂(こうりんどう)」はそこにあった。

 

 

 カランカランと云う音と共に香霖堂に一人の客が来店する。

 店主はカウンターの奥に腰掛けたまま、目線を向ける事すらない。大抵、来訪者の方から騒がしく喋り始める上に、客でもないからだ。

 

「おや? 誰も居ないのかい?」

「ん? あぁ、小町か。いらっしゃい。今日もサボりかい?」

 

 予想が外れた店主が慌てて目を入口へ向けると、そこには赤い髪の毛を二つに結んだ死神が立っていた。名を小野塚(おのづか)小町(こまち)という。店主が無縁塚で物拾いをしている時に、サボっていた(本人は否定しているが)彼女と偶然知り合ったのだ。それからというもの、彼女は時々店主の店へも遊びに来るようになった。

 その代わり、と言うのもどうかと思うが、彼女は必ず何かを買って帰っていく良心的な客でもある。

 店主の言葉に小町と呼ばれた少女は照れた様に笑って首を横に振る。それから手に持っていた風呂敷包みを目の高さまで掲げてみせた。

 中身が何かがかは分からないが、板状の何かが入っている事だけは分かる。

 

「上司の使ってた浄玻璃(じょうはり)の鏡が割れちゃってね。捨てるのも勿体無いから売りに来たんだけど」

「浄玻璃の鏡と言うと、閻魔が地獄で善悪の見極めに使うと言われているあの鏡かい?」

 

 浄玻璃の鏡とは、閻魔が亡者を裁くとき、善悪の見きわめに使用する、地獄に存在するとされる鏡である。

 閻魔王庁に置かれており、この鏡には亡者の生前の一挙手一投足が映し出されるため、いかなる隠し事も出来ない。主に亡者が生前に犯した罪の様子がはっきりと映し出される。

 もしこれで嘘を吐いている事が判明した場合、舌を抜かれてしまうという。また、これで映し出されるのは亡者自身の人生のみならず、その人生が他人にどんな影響を及ぼしたか、またその者のことを他人がどんな風に考えていたか、といった事までが分かるともいう。

 

「人間達の間ではそういう話が広まっているらしいね」

 

 小町はカウンターの上に、風呂敷に包まれた荷物を置いた。恐らくこの中身が浄玻璃の鏡だろう。

 

「けど、この鏡は死者を罰する為じゃなくて、彼等に自分の罪を見せることで反省を促す為のものなのさ 」

 

 あたいも上司からちょっと聞いただけなんだけどね、と小町は付け加える。それを聞いて店主は合点がいった。

 自分の行いを他人の視点から見ると、自分では目にも付かなかった汚点が浮かび上がるように見えてくる。人間と云うのは短い人生を這い上がって生きていく為に、他人の欠点が目に付きやすいように作られているのだ。

 詳しい事は見れば分かる、と店主は考えた。森近(もりちか)霖之助(りんのすけ)と云うこの店主。「道具の名前と用途が判る程度の能力」を持つが、実は名称と用途がわかっても使用方法がわからないのだ。

 まぁ、道具なんて用途さえわかれば何とかなるもんだが。

 森近はカウンターに置かれた風呂敷を手早く解き、中身を改めた。金色の金属細工で装飾された鏡が陽の光を受けて輝く。磨き抜かれた鏡面には数箇所の(ひび)が入ってしまっており、上から覗き込んだ森近の顔を歪に映し出した。

 罅こそ入ってはいるが使えない事もない。それに森近の古道具屋は半ば趣味のような物。売り物にならなくても大した問題ではない。現に店に置いてある品の大半は森近のコレクションだ。

 

「それではお値段ですが……」

 

 森近はカウンターの下から十露盤(そろばん)を取り出してパチパチと弾く。それから森近が告げた値段を聞いて、小町は納得した様に頷いた。

 

「それでは証文を……」

「ちょっと待った。その値段、証文に書く時にちょっとだけ額を減らしてくれないかい?」

 

 森近は動かそうとしていた万年筆の先を止め、小町に向き直った。眼鏡の弦を上に押し上げてから小町に尋ねる。

 

「一応聞くけど何故だい?」

「あたい達死神は薄給激務なんだ。こういう所でちょっとでも小遣い稼ぎをして於かないと」

 

 ダメかな?と小町は上目遣いであざとく尋ねるが、森近は反応すらせずに証文に正しい値段を書き付けた。(わざ)とらしくしょんぼりした顔をする小町にも、森近は態度を変える事は無い。ちょっと面倒臭そうな顔をするだけである。

 

「閻魔の部下であろう死神が嘘を吐こうとするなんて、地獄も変わったものだね」

 

 森近が証文を渡しながら森近が皮肉を言うと、小町は笑ってそれに返した。

 

「あたいは小遣いが手に入る。上司はゴミの処理が出来る。森近はコレクションが増える。誰にも迷惑は掛けていないさ」

 

 小町は死神でありながら小悪魔の様にニッコリ笑う。

 

「あたいは人を貶めたり傷付けたりする嘘は絶対に吐かないよ」

「そうかい」

 

 森近は話を切り上げるように適当に返事を返すと、カウンターの下から金を取り出して小町の手のひらに乗せた。

 分からない事は考えない。森近がこの店を始めるにあたって真っ先に決めた事だ。

 やれやれと溜息を吐いて、森近はカウンターの端に伏せて置いていた本を取ろうとしたが、伸ばした手は空気を掴んだ。

 本は少し高い所に浮いていたのだ。

 

「今日は何を読んでいるんだ? 香霖」

 

 小町ではない黒い影が言った。森近が最初に予想していた来訪者が来たらしい。今朝から茶碗が欠けたりと嫌な予感はしていたんだ。

 

「あのなぁ。いつも言っている事だが……」

「カウンターに腰掛けるな、だろ?」

 

 いつの間に店に入って来たのかカウンターに腰掛け、手にした本のページをパラパラと眺めている黒い服を着た少女は霧雨(きりさめ)魔理沙(まりさ)。ちょっと言葉遣いが独特な魔法使いだ。

 幻想郷の護り主、博麗の巫女である霊夢と仲が良い。よく店に来るが用が有るのか無いのか分からない。

 

「今日は何の用だ? 魔理沙」

「この本、まるで内容が分からないな。おっと、用は無いが帰らないぜ」

 

 用は無いのか、魔理沙は埃くらい払えよな、と言いながらカウンターに座り直した。

 

「それじゃ、用は済んだしあたいは帰るよ。じゃあね森近」

「ああ。またの御来店を」

 

 そう言うと小町は先程貰った金を懐に入れて店を出て行った。開閉する扉の動きに合わせて蝉時雨の音が大きくなって、再び小さくなる。

 カランカランと云う音と共に扉が閉まると、カウンターの上に座っていた魔理沙は手に持っていた本をカウンターに放り投げ、ヒョイと飛び降りた。その足で森近に近付き、森近の背中に抱き着く。

 

「なぁ、香霖。そこ座ってもいいか?」

 

 小町が居た時とは打って変わった囁き声で魔理沙は尋ねる。耳元に唇を近付け話す魔理沙にも、森近は大した反応は無い。

 

「別に構わないけど、僕の読書の邪魔だけはしないでくれよ?」

「……この鈍感め」

「何か言ったかい、魔理沙」

「……何でもないぜ」

 

 何やら不機嫌そうな表情を浮かべて魔理沙は森近の膝の上に腰掛ける。森近が何となく魔理沙の頭を撫でると、魔理沙は座ったまま森近を見上げて満面の笑みを浮かべた。

 この暑い中態々(わざわざ)引っ付いてくる理由を考えながら、森近はカウンターの上に投げられた本を手に取り、読書を再開するのだった。

 

 

 幻想郷の人里から離れた魔法の森。その森のすぐ近くに森近の店「香霖堂」はある。

 つまり人間の住む場所と魔物のそれの丁度中間の場所だ。

 この場所なら人間相手にも妖怪相手にも商売が出来ると考えていたが、実際はどちらからも「客」が来る事は(ほとん)ど無かった。

 まぁ賑やかなのが何人か来る事はあるのだが……。

 

「ちょっと霖之助さん。聞いているの?」

「ああ。聞いてないよ」

「それでね、さっきの話なんだけど……」

 

 これだ。目の前の赤い少女は人の話を聞かない。少女の名前は博麗(はくれい)霊夢(れいむ)と云う。

 幻想郷唯一の巫女だが、本当に巫女か疑わしい行動も取る。

 霊夢は店の物は勝手に持って行く、服の修繕や道具の作成も依頼する。彼女の持っている大幣(おおぬさ)、要するにお祓い棒も森近が用意した物だ。

 

「……それで、神社の裏にこんな物が落ちてたのよ」

 

 霊夢が背中の背負子(しょいこ)から取り出したのは、黒い帯が円形に巻かれた何かだ。帯の幅はそこまで広くなく、しかし大量に巻かれているので、遠目には黒色の皿のようにも見える。

 森近は霊夢から手渡されたそれを天井のランプに透かしてみたり、息を吹きかけてみたりしていたが、やがてゆっくりと黒色の円盤をカウンターに置くと黙って首を横に振った。

 

「駄目だね。やっぱり使い方は分かりそうにない」

「それで、これはなんて名前なの?」

「名前はシネフィルム。景色を記録する為の道具らしい」

 

 森近の返答に気の抜けた返事をして、霊夢は再びシネフィルムを取り上げた。今度は霊夢がシネフィルムを弄り回す。

 

「あんまり迂闊に触らないでくれよ? それはもう大事な商品だ」

「まだ霖之助さんは私にお金を払っていないじゃないの。だからこれはまだ私の物よ」

「霊夢。君はどれだけツケが溜まっているとおもってるんだい?」

 

 それじゃあコレでチャラね。言って霊夢はシネフィルムをカウンターに戻す。森近はやれやれと溜息を吐いて何も言わなかった。言った所で変わらないからである。

 

「霖之助さん。さっきその黒いのを光に(かざ)した時に四角い何かが見えたんだけど……」

 

 霊夢に言われて森近はシネフィルムを今度は窓の外へ翳す。しかしやはり最初に見た時と何も変わらず黒い円盤のままだ。四角なんてどこにも見えない。

 疑問に思った森近が説明を求めて霊夢を見ると、霊夢は何が可笑しいのか口元を隠して笑っていた。

 

「ごめんなさい。霖之助さんの表情が面白くって」

 

 霊夢は笑い過ぎて目尻に浮いた涙を手の甲で拭った。いつも何処か()()()()()彼女がここまで笑うなんて珍しい。白い頬をほんのり桜色に染めて笑う彼女は、いつものイメージとは違う一面を森近に見せた。

 それでどうなるというと何もならないのだが。

 

「説明が足りなかったわね。円盤じゃなくて、その帯に見えたのよ」

 

 この円盤は巻物の要領で作られているらしい。帯の先はすぐに見つかった。帯の端を手に持って光に(かざ)すと、確かに霊夢の言っていたような四角が見える。それも似たような模様の四角が帯の中に連続して描かれている。

 気になった森近は店の奥から柄の付いた丸い硝子(ガラス)の板を持ち出してきた。

 

「これは虫眼鏡と呼ばれる道具だ。物を拡大して見る時に使うらしい」

 

 使えそうだから持ってきたんだ、と森近は言った。そのまま虫眼鏡でシネフィルムを叩いたり、団扇(うちわ)のように扇いだりしていたが、硝子の場所で風景が歪む事に気付くと、それをフィルムの帯の四角へ向けた。

 帯の四角が普通に目を近付けて見る時の何倍も大きく見える。

 霊夢も横から森近と頬が触れそうな距離まで近付いて横から覗き込む。

 

「同じ模様なのかと思ったけど、どうやら少しずつ違う模様になっているみたいだ」

「そうね。それで霖之助さん。何か分かった?」

「ある程度の事はね」

 

 森近はカウンターの端に積み上げられた本の塔から一冊の本を引っ張り抜く。

 

「霖之助さん、これは?」

「僕が付けている日記だよ」

 

 森近は万年筆を手に取ると、表紙を捲り(ページ)の左下に適当な模様を描いた。そのまま中を見る事はせずに次の頁を捲り、また同じような模様を左下に描く。

 

「何をしてるの?」

「そのうち分かるよ、霊夢」

 

 (しばら)くの間、店内に紙を捲る音と何かを書き込む音が続く。森近が万年筆を置いたのは書き始めから十分以上経過してからだった。

 

「まず始めに時間の流れ、について説明しよう」

 

 万年筆をペン立てに仕舞い、森近は霊夢へと向き直る。霊夢もカウンターに両手を着いたまま森近へ顔を向けた。

 

「時間というものは連続性のある流れのようなものでなく、その時間ごとに区切られた一つの平面を積み重ねたものなんだ」

 

 丁度この日記のようにね、と森近は日記の頁を開いて先程の落書きを霊夢に見せるが、霊夢は良く分かっていない時の表情だ。

 

「時間と時間との間には断絶がある。それは限りなく零に近い断絶だけど。だから時間と時間の間には本質的に連続性がない」

 

 森近は頁を二、三枚捲ってから、今度はそれを一気に捲った。左隅に描かれた落書きがまるで生き物のように動き出して見える。しかし長くは続かず日記は(たちま)ち最後の頁まで辿り着く。同時に落書きの動きも止まってしまった。

 

「つまり時間と云うのは写真の積み重ねのような物なのかしら」

「そういう物だろうね。その積み重ねと積み重ねの間の時間はそれこそ極限まで小さいから誰も気付かないけどね」

 

 霊夢も段々と森近の言いたい事分かってきたらしい。森近は自分の含蓄と推理を確信して霊夢に言った。

 

「つまりこのシネフィルムは、写真を幾枚にも積み重ねる事によって、動く写真を撮る事が出来る道具だと推測できるのさ」

「写真と云うからには見る事も出来るのよね?」

「僕の能力は名前と用途は分かるけれど、使い方は分からないからね。出来るかもしれないけれど、僕には出来ないよ」

 

 森近は近くの棚にシネフィルムを仕舞った。使い方が分からない道具は売り物になる。後で適当な値札を書いて貼って於こう。

 

 

 外の世界の物であるストーブがしゅんしゅんと音を立てている。

 よく分からないボタンが沢山付いているのだが、押しても何も起こらなかったので、使い方は完全森近のオリジナルである。

 最近は火の勢いが強過ぎる事もあり、少々危険だ。

 窓の外を見ると、眩しい位の白色が森近の目に飛び込んでくる。

 幻想郷の今日。季節は完全に冬になっていた。

 森近は足をストーブへ向け、やたらと厚い本を読んでいる。窓は完全に締め切られ、暖かい空気を逃しはしない。

 ……トントントン、と。扉を叩く音が森近の耳に届いた。森近は動く事への億劫さと、冷たい空気を室内へ入れてしまう事への億劫さを抱えて取り敢えず扉を開ける。

 自分の知り合いの中で、店の扉を態々(わざわざ)叩くような知り合いは客しかいない。お客様は神様とも言うし、神様を招き入れない訳にはいかないだろう。

 そう思い森近が扉を開けると、そこには予想外の人物が立っていた。

 

「よ、よう……香霖」

「魔理沙じゃないか。どうしたんだい?」

 

 魔法の森の木にやられたのか、帽子の鍔や肩にぼた雪を乗せ、肩を抱いて震えている魔理沙を森近は店内に招き入れた。

 森近は魔理沙に温かいお茶を飲ませて様子を見る。落ち着いて考えてみれば魔理沙が態々ノックをするなんて異常事態だ。魔理沙に何かあったのかもしれない。変なキノコを食べたとか。

 森近が魔理沙に掛ける布団を取りに奥の部屋へ向かおうとすると、背後で魔理沙が立ち上がる気配がした。

 

「香霖」

 

 と言って、魔理沙は霖之助に背後から抱き着く。

 霖之助は魔理沙のが当たっている事を気にしながら、魔理沙を押して遠ざけた。

 

「一体どうしたんだい」

 

 霖之助は魔理沙にそう聞くと、頬を赤らめた魔理沙は、ブロンドの髪を指で弄りながら恥ずかしそうに口を開いた。

 

「今日はさ、なんていうか……。気分がいいんだ」

「で、気分がいいついでに、僕の店の商品を盗みに来た……と」

 

 態々寒い中ご苦労様だね、と呆れながらに霖之助は魔理沙に聞いた。魔理沙は俯いて何も答えない。

 図星だったかと、早くも奥の部屋へ消えていこうとする森近に魔理沙は意図的に近付いた。

 魔理沙の髪からほのかに香る、女性らしい香りが霖之助の鼻を通る。

 

「今日は何も盗まないぜ。それに……いいもの持ってきたんだ」

 

 魔理沙は頭に乗せている魔女帽子(ウィッチハット)から、可愛らしく装飾された紙袋を取り出した。

 

「ほら、これマフラー」

 

 魔理沙がそう言って紙袋から取り出したのは、青と白を基調にして編まれた暖かそうなマフラーだった。

 霖之助はマフラーを受け取ると、御礼を言わずに、まず魔理沙を疑った。

 

「これ……、どうしたんだ?」

「私が作ったんだぜ」

 

 魔理沙は、やはり顔を赤らめながら、このマフラーが魔理沙による正真正銘の手作りである事を伝えた。

 その顔は紛れもなく恋する少女の顔だ。

 しかし森近はそれには敢えて触れない。表情も変わらないままだ。

 

「これ着けてたら外でも寒くないだろ?香霖は寒がりだからな」

「本当に魔理沙が作ったのか?」

「アリスに教わった所もあるけど、ちゃんと私の手作り……」

 

 手作りで作ったんだ。と魔理沙が言い終わるのを遮って、霖之助は魔理沙に最悪な言葉を言い放った。

 

「どうせ、何処かからの盗み物だろう?」

 

 森近はカウンターの上に無造作にマフラーを放り投げ、溜息を一つ吐いた。

 また、彼女は同じ過ちを繰り返すのか。もう…、呆れを通り過ごして悲しくなる。

 魔理沙からマフラーを貰った嬉しさよりも、昔から何も変わらない魔理沙に対しての悲しみが勝った。

 

「えっ……。違っ、本当に……」

「君も成長したらどうだい? していい事と悪い事くらい分かるだろ?」

 

 確かに魔理沙の収集癖や口調は森近にも原因の一端がある。でも森近は魔理沙にそんな風な犯罪者になって欲しくなかった。

 魔理沙と森近は長い付き合いだ。森近が怒れば、少しは反省するだろうと、そう思っていた。

 魔理沙は泣いていた。

 小声で魔理沙は呟きながら、大粒の涙を零した。

 

「……霖……の……ばか……」

「ん?」

「香霖の馬鹿ぁ!!」

 

 魔理沙はそう言うと、飛ぶ事すら忘れて、走って香霖堂の外に出て行ってしまった。彼女が走る度に白い雪が勢い良く舞い、魔理沙の姿を隠す。

 舞い上がった雪が晴れた時、そこにはもう魔理沙の姿は無かった。

 

「……なんだったんだ?」

 

 思い当たる節がない森近は、首を傾げた。

 自分は正しかった。

 魔理沙を傷付ける要素など、微塵もなかったはず。じゃあ、何故彼女は、魔理沙は泣いて此処を出て行ってしまったのか。

 森近には分からなかった。

 いや、知らなかったというべきか。

 森近の想像以上に魔理沙が森近に想いを寄せていた事を。

 故に、魔理沙にとっては森近にここまで言われた事がショックだった。

 

「森近。あんた見事に乙女心を踏みにじったね」

 

 開けっ放しの扉の影から、赤い髪の死神が、森近の行動の全てに呆れながら、森近の目の前に現れた。

 その眼には森近が見てわかる程、激しい怒りが渦巻いていた。

 

「小町?それは一体どういう……」

 

 パンッ。

 渇いた音が辺りに響き渡る。

 

「森近って本当に馬鹿なんだね。思い出してみなよ、マフラーを渡した時の魔理沙の嬉しそうな顔。あれが嘘付いてる顔に見えるのかい?」

 

 今に思えば……。と森近は頭の中で記憶を巻き戻した。

 泣き出してしまった魔理沙。いや、それよりも前だった。

 満面の笑みを浮かべ自分にマフラーを手渡した時のあの顔。

 そう、あの顔だ。

 

「しかし……」

 

 だがそれでも森近は躊躇(ためら)う。

 

「恋心は千差万別だ。誰にでも訪れる可能性がある。いつか僕にもそんな相手が現れるのかもしれない」

 

 けれども僕は半妖なんだ。

 妖怪からは半端者として扱われる。人里では白い目で見られる。そこに僕の勝手で魔理沙を巻き込むわけにはいかない。

 確かに小町の言う通り恋や愛というのは難しく思えて極めて単純だ。冷静に考えばすぐに分かる事なのに、渦中に居ると分からなくなってしまう事なんて山のようにある。

 だけど僕は半人半妖、人が人と付き合うのなら誰も文句は言わないだろう。だが人間と妖怪ならどうなる。周りに何かしら言われて、二人共不幸になる事もある。

 魔理沙が好意を寄せている事など知っていた。気付きたくなかった。姪のように接していた魔理沙が自分の背中を追い続けている事など。

 

「人が人を愛する気持ちは同じものであって全く違うものだから。自分だけの形で自分らしく幸せだと思えればそれでいい 」

「言いたい事はそれだけかい?」

「恋は下心、愛は真心。一時の恋情に振り回されるのは僕にとっても魔理沙にとっても良くない事だ」

 

 違うかい、小町。

 森近が言い終わっても、小町は燃える様な赤の瞳を森近に向けたままだ。

 

「あくまであたいの考えだという予防線を張って話すとね、恋から愛へと移行するのも多々ある事だよ」

 

 小町は森近が許せなかった。

 小町は死神だ。故に死んだ人間の魂はたくさん見てきている。中でも愛しい人への想いを抱えたまま死んだ魂と云うのは、それはもう見ていられないものだった。

 自覚がありながら付かず離れずの距離を取るなんて、小町が許す筈がない。

 

「でも恋は本質的には相手のことを考えないものさ。相手の事情を省みずこちら側から理想を見出して恋をする。

それに対して愛は自己犠牲的に相手の事を第一に考えるものだと思うんだ。

相手の全てを受け入れて、なお変わらない思いこそが愛なのさ」

「それなら、今の魔理沙の抱く気持ちは恋心なんじゃないか?」

 

 そうかもしれないね。小町は森近に同意する。

 

「でもね愛や恋の大きさに違いなんて無いんだよ。どちらも相手のことを深く想うんだから」

 

 森近の動きが止まる。

 

「愛の中に生まれた思いが恋と名付けられた、その時から一つの特別だ」

 

 森近は何も言えなかった。

 

「あたいにとって恋とは、愛する人達の中でも特別な存在に抱く思いなんだよ。森近」

 

 

「僕はつくづく馬鹿な男だよ」

「自分の過去と現在を受け入れて、自分の行いをちゃんと省みるなら、それは進歩の過程だ。でも、同じ事を繰り返すなら、それは停滞でしかない」

 

 腕を組んだ小町の表情は険しかった。

 それ程に、小町は霖之助に怒っていた。

 

「小町、すまなかった」

「……いいから早く行ってあげたらどうなんだい!」

「あぁ、行ってくるよ」

 

 そう言ってマフラーを引っ掴み森近は駆けて行った。

 その姿を見送ってから、小町が香霖堂を出ると、慌てて建物の影に隠れる赤い服の少女を見つけた。

 小町は一瞬だけ申し訳なさそうな表情を浮かべると、彼岸から自分までの距離を操り、その場から霞のように消えた。

 赤い巫女服の少女は、自分で編んだ手袋を包みの紙袋ごと胸に抱いて押し潰した。服が濡れるのにも関わらず、背中を壁に預けたままズルズルと雪の上に座り込む。

 

「霖之助さん、頑張りなさいよ……」

 

 涙が一つ、零れ落ちた。

 

 

  珍しく霧が晴れその全貌を覗かせる霧の湖。月は満月とは言えないが、何かに(かじ)られたような綺麗に欠けた下弦の月。雲一つ無い星がよく見える良い夜空だ。

 先まで駆けていた所為で周囲を漂う細かな雪が煙のよう見える。時たま視界で混ざり、一瞬だけ月が朧月のようにも見える。

 寒さで凍っているのか波紋の立たない綺麗な夜の湖には、空と同じ形の月が鏡のように写っている。

 何も話さず、隣で両膝を抱え座る魔法使いの少女も、この景色に目を奪われているのだろうか。

  今この場にいるのは、森近と魔理沙のみ。今はお互いに言葉を発することは無く、ただ黙って俯いている。

 気不味さからか、早くこの場から立ち去ってしまいたいと思ってしまうのは、森近の心の中に恐れがあるからだろうか。

 ……しかし、逃げ帰る訳にはいかない。

 

「……。名前と用途は見つけたのか?」

「……ああ」

「聞かせて欲しいぜ」

「勿論。だけどその前に、多少の言い訳をさせほしい」

 

 言い訳、という言葉に一瞬体を動かしたが、魔理沙は黙って森近に続きを促した。きっと、話を聞いてくれるのだろう。

 森近は正面を見据え、魔理沙は下を向いている。どちらも決して隣を見ることは無い。

 普段は平気なのに、こう二人切りになると、お互いを見つめることに対して途端に恥ずかしさが込み上げてくる。

 真冬だというのに全身が熱い。少し口を動かそうとしただけで喉がカラカラに渇く。

 一度胸元に手を当て、少しだけ逸る気持ちを落ち着かせてから森近は口を開いた。

 

「本当に悪かった。一番近くにいたからこそ、魔理沙の気持ちに気付かなかったんだと思う。…正直、魔理沙に甘えてた」

「ホントだぜ……。…………ゎ、たしだ、って……女の子、なんだから……な……!」

「……!」

 

 魔理沙は抱き抱えた膝頭に額を乗せながら、顔を森近から背けている。ただ、小さな体と声が震えているから、泣いていることはすぐに分かった。

 たった二尺程度しか離れていないというのに手が動かず、決して触れることが出来ない。どんな言葉をかければいいのか分からない。

 何もしてやることが出来ない自分が、本当にもどかしい。

 

「私の、こと……嫌い…って、そぅなんだって、……」

「……。魔理沙、顔を見せてくれ」

「……ゃ……」

「いいから!」

「ぁっ……!」

 

 体勢を無理矢理動かし、こちらへと顔を向けさせた。強引になんて、あまり僕のキャラではないけれど……。こんな時くらいはいいだろう。

 抵抗を見せた魔理沙も一度視線を合わせると泣き顔を隠すことも無く、見つめ続けてくれている。

 一旦深呼吸をし、心の中で、吐き出すための言葉を作り出す。

 魔理沙に伝えなきゃならない……。僕の、正直な気持ちを。

 

「僕はこんな性格だから、何度も魔理沙を苦しませてしまうのかもしれない。けど、直すつもりも無いんだ。

僕はこんな自分を誇りに思ってるし、それに…きっとこんな僕だから、魔理沙は僕を好きになってくれたんだと思うから」

「……」

「考えや行動は、解らなくてもいい。それでもただ一つだけ……。一つだけ魔理沙に覚えておいて欲しいことがある。

僕は魔理沙の事が好きだ。その気持ちだけは、絶対に変わらない」

「……香霖」

「……これが今の僕の、精一杯の答えだ」

 

 言いたいことだけ言って、森近は魔理沙から顔を逸らした。何というか……やっぱり、恥ずかしい。

 これが今の森近の限界。魔理沙がどう思ってくれたかは分からないが、それでも出来る限りのことは全てした。

 やはり、僕は素直な気持ちをぶつけるのは苦手のようだ。もっと巧く言葉を使えれば良いのにと常々思う。

 まぁ、何にしても後は魔理沙の気持ち次第。どんな返答を貰おうと、森近にはただ受け入れるだけしか出来ない。

 

「……はぁ。なんで香霖みたいな奴を好きになっちまったんだろうな……」

「……」

「無精で、女誑しで、節操無しで……本当にどうしようもない奴だぜ」

 

 無精であることは間違っていないし否定する気もないが、女誑しと節操無しは身に覚えが無い。寧ろ魔理沙のことで悩んでいる自分は一途なくらいだと思っているが……。

 周りから見れば違うのだろうか。自信があるわけでもなく、今の立場を思うと森近は強く反論出来なかった。

 

「でも、お前の言う通り、そんな香霖のことが私は好きなんだ。さっきの言葉……信じてもいいんだよな?」

「ああ。魔理沙が好きだってことは嘘じゃない」

「少しはお前の気持ちを傾けさせることが出来たんだな……。漸く一歩前進した気分だぜ」

 

 魔理沙は森近の手を引いて、急に立ち上がった。

 森近を見つめるその瞳に涙はもう見られない。代わりに目立っているのは紅潮したその頬。

 ……しかしそれはお互い様なのだろう。当然自分で見えはしないが、多分、今は僕も顔を赤くしていることだと思う。

 何故なら。

 

「その証を見せて欲しいんだぜ」

 

 目の前の魔理沙が、笑いながらそう言って…、静かに目を閉じたから。

 何を期待されているのかなんて、いくら鈍感な森近でも分かる。取るべき行為は唯一つ、なの、だが……。

 魔理沙にも聞こえてるんじゃないかと思うくらいに、心臓が大きく音を鳴り響かせている。

 あまりにもドキドキし過ぎて、このまま破れてしまうんじゃないだろうかと錯覚させる。

 ……全く落ち着かない。だけど、躊躇うことも、もう無いはずだ。

 ここまで来て後戻りなど出来ない。

 お互いに目を閉じたまま軽く触れ合う唇。ただ、身体の一部を押し付け合うだけの行為に、これほど快楽を感じられるものだろうか。しかし、麻痺した心はただ行為を受け止める。

 

「私の……初めて、だぜ」

 

 唇を離した魔理沙は、目尻に涙を貯めて森近に微笑んだ。

 

 

 もしも人から、なぜ彼は彼女を愛したのかと問い詰められたら、「それは彼が彼であったから、彼女が彼女であったから」と答える以外には、何とも言いようがないように思う。

 森近と魔理沙の接吻後、博麗神社で一人で泣いていた霊夢を慰めてから、あたいは彼岸に戻ってきた。

 

「今回はちょっと濁りが残っちゃったね…。やっぱりあたいに説教とかは向いてないのかなぁ」

 

 肩に担いだ大鎌を揺らしながらいつもの仕事場、彼岸を小町はぶらついていた。

 霧で白く薄暗い河原には彼岸花と呼ばれる赤い花が咲き誇り、景色としては充分に綺麗だと言える。唯、そこを取り巻く雰囲気だけが、生きた人間をひたすらに遠ざけている。

 

「はぁ……。何か嫌んなっちゃうなぁ」

「どうしたんですか? 小町」

 

 いつも能天気な小町が沈んだ表情を浮かべているのを見て、四季は真っ黒に染まっていた笏を一旦仕舞って問い掛ける。

 

「いえ、ただちょっと。今回はあたいに責任があるようなものなので……」

 

 四季は小町の返答にちょっと驚いた様な表情を浮かべてから、顎に手を当てて考え始めた。気が付けば二人の足は既に止まっている。

 

「貴女が何をしてきたのかは知りませんが、万人が納得出来る解答を出すのは不可能な事です。最終的に頼るのは、やはり自分の良心ですよ」

「そうですよね……」

「貴女がその時最善だと思った事を実行したのであれば、何も気に病む必要はありません」

 

 小町の表情は暗いままだ。四季も流石にそろそろ小町が心配になってきた。

 

「そういえば四季様。お尋ねしたい事があるのですが」

「何でしょう」

 

 小町は平坦な声と調子で四季に尋ねた。

 

「四季様は今までに恋をした事はありますか?」

「いえ。私はそういうものに興味がありませんから」

「あたいはありますよ。あたいが船頭を初めてすぐの頃ですね。彼岸に迷い込んできた男が居たんです」

 

 あたいは大好きでしたよ。そいつの事が。

 

 異種族間の恋。幻想郷の無い時代にそんな物が認められる訳もなく、彼は村の掟によって殺された。小町は彼が死ぬ瞬間を遠くから見つめる事しか出来なかった。

 思い出して零れそうになる涙を手の甲で拭う小町に、四季は何も言わずにただ寄り添っていた。

 あたいは此処、三途の川で仕事をしている死神だ。と言っても人を殺したりするのでは無く、三途の川の岸から岸へと舟を渡す、所謂船頭という仕事をしている。

 

 此れは彼岸へと渡す死神と、幻想の住人の御伽話。
















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