幻想小咄   作:殺多鴉

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「好きな人に振り向いてもらうにはどうしたらいいんだ!」
「後ろから呼んでみれば?」



千年恋慕と今の記憶

 人間より昔からこの地に住み着いている妖怪が多く住む場所。 

 通常、幻想郷で「山」と言った場合はこの妖怪の山のことを指す。 

 幻想郷の伝統マスゴミ、烏天狗の射命丸文(しゃめいまるあや)、幻想郷の妖怪核弾頭、変態河童技術班の河城(かわしろ)にとり、忠犬もみもみ犬走椛(いぬばしりもみじ)念写女子校生(ハーミットパープル)、北海道ほたてもとい、姫海棠(ひめかいどう)はたて、片腕有角の説教婆、茨木歌仙(いばらきかせん)が棲んでいるのはこの妖怪の山である。 

 ここに住む妖怪達は、人間や麓の妖怪とは別の社会を築いており、幻想郷のパワーバランスの一角を担っている。特に天狗や河童は外の世界に匹敵するか、それ以上の技術力を持っており、天狗は写真・印刷・出版の技術、河童は鉄鋼や建築・道具の作成などの技術を持つ。その為、この山に攻め入る妖怪は居ない。 

 山の妖怪は幻想郷のどの種族よりも陽気で仲間意識も高く、高度な技術と相まって近未来的で豊かな生活を送っているという。ただ、その仲間意識の高さから、余所者に対する風当たりは強く、山の侵入者に対しては、相手が何であれ全力で追い返されてしまう。特に天狗は、味方が敵に襲われると確実に敵対姿勢を取る。これは排他的かつ利己的な者の多い他の妖怪には見られない特徴だ。 

 また、かつては鬼や(さとり)も妖怪の山に住んでいた。鬼の立場は天狗の上司に当たる。 

 それを復活させて人間と新たな歴史を築いていこうとしたのが鬼である萃香の本来の目的であるが、 当の萃香は博麗神社に入り浸って現在も暇人生活を送っている……。

 

 

「今私、射命丸文は守矢神社に来ております! 果たして本日はどんな宴会芸が行われるのか! 非常に楽しみですね! ね、妖夢さん」

「えっ!? あ、は、はい」

 

 使い込まれた跡のある手帳を左手に、右手で万年筆をマイクの様に口元に近付けながら、文は声高らかに妖夢(ようむ)へと話し掛ける。突然話し掛けられた妖夢は、隣の烏天狗に驚きながらも、律儀に返事を返した。

 現在守矢神社では八雲紫(やくもゆかり)の主催に依って山の妖怪達の宴会が催されていた。その情報を嗅ぎ付け嵐の様に現れた文と、白玉楼のエンゲル係数を一手に引き受ける悪食亡霊(グラトニー)西行寺幽々子(さいぎょうじゆゆこ)とその従者、白玉楼の庭師兼剣術指南兼炊事係。うっかりみょん侍こと魂魄妖夢(こんぱくようむ)

 守矢神社は本来幻想郷の外にあったが、信仰が得られなくなったため神社ならびに神社近くの湖ごと幻想郷に引っ越してきた神社だ。

 エクストリーム引越しで常識に捕らわれない幻想入りをした一人と二柱。最初は周囲の環境に怯えこそあったが、今ではすっかり幻想郷に溶け込み、魔理沙や霊夢が分社を建てたりもしている。また、妖怪の山にあるため人間の参拝は殆ど無いが、山の妖怪から信仰を集めている。

 博麗神社より裕福らしい。

 

「そう云えば聞きましたか妖夢さぁん。今回の宴会芸で最も面白くなかった人は裸で盆踊りだそうですよ?」

「今決めましたよね、それ!?」

「そんな事はないですよぉ?」

 

 腰を踊り子の様にくねくねと振りながら、ねっとりした鬱陶しい物言いで文は言う。

 

「ですよねー? ()()()?」

 

 文が満面の笑みで後ろを振り返り、妖夢も文の目線を追って文の背中側を見る。

 

「つまらなかったら全裸ね?」

 

 桃色を基調にしたふわふわした服に身を包み、扇を優雅に口に当てて笑う幽々子。

 

「どっちに転んでも楽しみだからね」

 

 神出鬼没の大妖怪。隙間の賢者。いつの間に居たのか、珍しく従者を連れず一人で来たらしい八雲紫。

 

(いささ)かはしたない気もするが……これも祭りの楽しみと云うものか」

 

 腕を組み、目を瞑ってゆっくりと頷く守矢ファミリーの大黒御柱、守矢神社の一柱。ガンキャノン横綱こと八坂神奈子(やさかかなこ)

 

「今日は無礼講だよ無礼講!」

 

 両手を上げて子供の様にけろけろと笑っているのが、守矢神社に住まう神様、二柱のもう一神。祟りの象徴である、ミシャグジを統括する土着神の頂点。バイオレンスケロちゃん事、洩矢諏訪子(もりやすわこ)

 

「貴方達は審査するつもり満々ですよね!?」

 

 神社の縁側に腰掛け、宴会芸の開始を今か今かと心待ちにしている四人を見て、妖夢はそのまま抜け落ちてしまうのではないかと思う程がっくり肩を落とした。

 

「しかし罰ゲームは裸で盆踊りと云う事ですが」

「絶対はしたないですよね、止めた方が良いですよね……」

 

 気力をゴッソリ削られた妖夢が何やら言い出した文の顔を見る。

 

「この私の甘いスウぃートな我儘バデぃーを期待している皆様には申し訳無いのですが、本日の私は司会と云う事で」

 

 言いながらも文は自分の周囲に能力で風を巻き上げ、光の粒子を漂わせる。片目を閉じて、ついでとばかりに胸を強調するポーズを取るのがあざとい。

 しかし妖夢は文のちょっとした言葉に希望を見出しかけていた。文の言葉を信じるなら、進行役を務めていれば宴会芸には出演しなくても良いかもしれない。

 目に光が戻った妖夢が、項垂れていた顔を上げて文に話し掛ける。

 

「でしたら今司会をしている私も」

「本日の宴会芸は妖夢さんに先陣を切ってお手本を見せてもらいましょう!」

「む、無理ですよ!?」

「大丈夫大丈夫、ですよねー? 皆さん?」

 

 文が満面の笑みで後ろを振り返り、妖夢も文の目線を追って文の背中側を見る。

 

「つまらなかったら全裸ね?」

 

 口元を扇で隠してはいるが、それでも笑う目元と細かく揺れる肩が隠し切れない幽々子。

 

「どっちに転んでも楽しみだからね」

 

 胡散臭い笑みをぺたりと顔に貼り付け、慌てふためく妖夢を目を細めて見ている紫。

 

台詞(セリフ)さっきと全く同じじゃないですか!」

 

 頭から湯気を立ち上らせそうな勢いで怒る妖夢を見ても、審査員役一同はむくれている子供を見る様な態度を崩さない。

 

「ニュアンスが違うのよニュアンスが」

「その通り。全ての事象に於いて全く同じ物など存在しないわ」

「森羅万象、生生流転。此の世の理だな」

「何かそれっぽい言葉で誤魔化してませんか!?」

 

 幽々子が人差し指を立てて可愛く言えば、紫が口調だけは真面目に乗っかり、神奈子は無駄に難解な言い回しで三者三様に妖夢を弄る。それに律儀に突っ込む妖夢を見て文は万年筆を片手に大笑いしていた。

 あくまでも宴会芸に参加しない姿勢を貫く妖夢に、文は更に発破を掛ける。

 

「あやや? あちらの二人はあんなにもやる気ですよ?」

 

 文が万年筆で指し示す方には、幻想郷の異変製造機(トラブルメイカー)、守矢ファミリーの鉄砲玉、ミラクルフルーツ2Pカラーこと東風谷早苗(こちやさなえ)と、神社の縁側から引き摺り出される諏訪子の姿があった。

 早苗は肩の空いた緑色の巫女服の袖を捲り上げ、突然の出来事に大きな目を開けたり閉じたりして困惑する諏訪子に声を掛ける。

 

「よーし諏訪子様! 私達、頑張りましょうね!」

 

 そのまま肩を勢い良く回し、気合充分な早苗を見て、諏訪子は早苗の意図を悟った。

 早苗は諏訪子を宴会芸に引き摺り出すつもりだ。諏訪子の市女笠に付いた目玉も大きく見開かれている。

 

「ちょっと待って早苗! 私がやるの!?」

「当然じゃないですか! 神奈子様が審査員をやるのですから、諏訪子様が神遊びしないでどうなさるんですか」

 

 至極当たり前の事だと言わんばかりの早苗の言葉に、諏訪子は両手を前に突き出して反論する。

 

「確かに分からなくもない理屈だけど! ほら! 私、神様だよ!?」

「尚の事です。妖怪の皆さんをぎゃふんと言わせましょう!」

「えええ!!」

 

 外の世界でならば通用した理屈かもしれないが、ここは幻想郷。

 この閉ざされた世界は妖怪も神様も人間も全てが平等に平和に暮らす事を目的とした楽園なのだ。そこに畏怖や信仰の差はあれど。

 僅かな望みを掛けて諏訪子は涙で潤んだ目を神奈子に向ける。諏訪子の目線に気付いた神奈子は、大きく破顔した。

 

「期待してるよー。早苗ー。諏訪子ー」

「神奈子ぉ! 裏切り者ぉ!」

 

 手をひらひらと振り、口元を抑えて諏訪子の目線から逃れる様に顔を背ける。

 悲しみに耐えているのかと諏訪子は思ったが、その肩が細かく振動している事が諏訪子に神奈子が笑いを堪えているだけだと悟らせる。

 口元を隠す手を一度退かせば、ほんのり朱に染まった頬と、両端が上がった唇が露わになるだろう。

 

「それに、無礼講って仰ったのは諏訪子様じゃないですか」

「あ……。あぁぁぁ! 忘れてたぁぁぁぁぁ!」

 

 更に自分の何気無い発言が自らの首を絞めていた事に気付かされる。(わざわい)の元は何時だって口から出るものなのだ。

 

「さぁ諏訪子様。こっちですよー」

「うわぁぁぁん! けろー! けろぉー!」

 

 壺装束の襟元を掴まれ、ズルズルと地面を引き摺られる諏訪子と、素晴らしい宴会芸でも思い付いたのか特大の笑顔を浮かべて神社の裏へと消えていく早苗。

 妖夢は悟りを開いた表情で二人が消えていった方向を見つめていた。

 

「下克上みたいですね……」

 

 その言葉を聞いた文は、右手に持った万年筆を器用にクルクルと指先で回しながら妖夢に語り掛ける。

 

「世の中は常に弱肉強食なのです。下の者は常に上を狙う。それは上を蹴落として頂点に立とうとする事」

 

 文は回していた万年筆をビシッと掴み直して止める。その筆先を空高く向け、それから妖夢の眼前に突き付けた。

 

「謂わば真理なのです!」

「ほほーう……。だったらお前にも来てもらおうか」

 

 誰かの声と共に、文の体が巨大な手に掴まれる。その手から腕へと視線を這わせ、終着点に居たのは唇の片側だけを持ち上げて笑っている青色の河童。

 先程の巨大な腕、開発者曰くのびーるアームを緑色のバックパックから生やし、腕組みをしているにとり。

 

「にとりさん? あの……、何ですかこれは」

 

 文は自分を掴んでいる握り拳から抜け出そうと全身に力を籠めるが、僅かに金属が軋むような音が出るだけで、アームが開く気配は全く無い。

 

「あっちでお前の部下やら同僚やらが、ここぞとばかりに待機しているぞ」

「はえ!?」

 

 文を拘束するアームの力を更に上げながら、にとりは不敵に笑う。

 

「今日は山の神が認めた無礼講。つまり山の上下も無くなると云う事だ!」

 

 文の脳裏に蘇るのは、先程の土着神の言葉。ギチギチと身体を締め付けるアームが軋む音に負けじと文は叫ぶ。

 

「にとりさんやめて計画壊れる! 司会と云う立場を利用して安全地帯から皆さんの芸を酷評しゲラゲラ笑うつもりの私の計画が!」

「やっぱり笑うつもりだったんじゃないですか!」

 

 妖夢が文の計画を顔を熟れた果実の様に真っ赤にしながら批判する。

 そんな事は今更だ知った事では無い、とばかりに手足をバタバタと動かし、何とかしてアームから逃れようと藻掻く文を、にとりは巧みにアームを操作して逃さない。

 

「その役目は私達がしっかり受け継いだわ」

「大人しくゲラゲラ酷評されなさいね」

 

 守矢神社の縁側から紫と幽々子に仲良く見送られ、にとりは文を天狗の集団の方へと力任せに引き摺り込む。

 引き摺られながらの文の目に映るのは、ニヤニヤと笑う女の上司に、ライバルの痴態が見られると楽しげな同僚達。巨大な盃を片手に薄っすらとした笑みを貼り付けた大天狗。

 遠くの方に、人混みに紛れて一瞬だけだが、耳を伏せて申し訳無さそうに手を合わせる部下の椛と友人のはたての姿が見えた。

 助けを乞おうと文は口を開くが、しかし彼女等もその人混みに紛れる様に溶けていく。

 

「あああああああもうやだああああああ!!!!」

 

 三十代の小学生の様な悲鳴を残して、文と天狗達と河童は森の奥へと消えていった。

 守矢神社の境内に一人残された妖夢は、幽々子達に届くか届かないかの小さな声で呟く。

 

「いいんですかね……?」

「楽しくなって来たじゃない? 妖夢も早く相方を探さないと」

 

 ほんわかと楽し気に微笑みながら、幽々子は妖夢を急かす。

 

「しかし相方……、ですか……。そういえばさっき下剋上って……」

 

 妖夢は自分の主を目の端に入れながら、先程の文やにとり、諏訪子の言葉を脳内で反芻する。数瞬の逡巡の後、妖夢の心は決まった。目付きを剣士のそれに変え、幽々子を見据える。

 

「今日は藍を連れて来なくて正解だったわ」

 

 妖夢の纏う雰囲気の変化から考えを察したのか、紫はそんな言葉を吐き出しながら、友人に憐れむ様な目を向ける。

 紫の言葉に戸惑う幽々子の前に、妖夢はすっくと立ちはだかる。

 

「私の相方は決定しました」

「あの、妖夢。もしかして」

「その、もしかして、です」

 

 何時もの仔犬の様な可愛さを持った従者とは全くの別人だ。有無を言わさぬ口調で告げられ、幽々子の背中を妙な冷や汗が伝う。

 妖夢の宴会芸だ。刀を使う事はほぼ決定事項。一振りで幽霊十匹分の殺傷力を持つ楼観剣が掠ったりすれば、冥界の支配者たる幽々子と云えども幻想郷から再び死にかねない。

 幽々子の口角が電流を流した様に不規則に細かく上がる。

 

「何だか強気ね妖夢」

「頑張りましょうね、幽々子様」

 

 桜が咲いた様な満面の笑みで微笑みかけられ、幽々子は妖夢に何も言えなくなってしまう。

 最後に救いを求める様に顔を向けた守矢神社の審査員席では、紫が両手で顔を覆って笑っていた。その隣に座る神奈子は、早々と友人を見捨てた紫をチラリと見てから、拳を口に当て咳払いを一つ。

 

「審査員は私と、八雲紫に任せて於きなさい」

「えええ! 裏切者ぉ!」

 

 涙目での幽々子の本気の訴えに、神奈子もまた紫と同じ様に笑い出した。

 

「幽々子様と宴会芸……。楽しみですねぇ」

「妖夢……。痛い芸はやめましょうね?」

 

 不気味に微笑みながら不穏な雰囲気を醸し出す妖夢が、幽々子の不安を更に煽る。

 

「大丈夫です。綺麗に斬れれば痛みはありませんから!」

 

 死刑宣告にも等しいその言葉で、亡霊の幽々子は生気を吸い取られたような顔付きになる。

 妖夢は幽々子の襟首を掴んで引き摺り、自分の主を地面との摩擦で砂だらけにしながら、彼女達もまた守矢神社の裏手へと消えて行った。

 

 

 ガチャガチャと宴会芸の準備で騒がしい神社の裏手とは対照的に、神社の縁側に座る紫と神奈子の間には、親しい者でも迂闊に割り込むのを躊躇う様な、そんな雰囲気が漂っていた。

 しかしそれはピリピリした物ではなく、既に退役した老軍人が、部下の訓練を肴に語り合う様な、穏やかでありながら張り詰めた空気だ。

 手の中で小さな盃を転がしながら、神奈子は呟く。

 

「これは随分派手な催し物になってきたものだね」

「丁度良かったでしょ?」

 

 神奈子の方を見ぬまま、口元を扇子で隠して告げられた言葉に、神奈子は核心を付かれたのか少しばかり動揺する。

 しかし表面には出さずに知らぬ顔で紫に尋ね返す。

 

「何が、と訊いてもいいかな」

 

 神奈子の隣に座る妖怪の賢者は、やはり口元を扇子で隠し、目だけを少し細めた。

 

「自分達の判断で外の世界を棄てて幻想郷に来て。早苗が幸せになる可能性、その芽を摘んだかもしれない事」

 

 二人の周囲にだけ結界が張られたかの如く静寂が訪れる。

 実際には僅かな、感覚では永遠にも感じられた虚を破ったのは神奈子の言葉だ。唇を殆ど動かさずに小さな声で言葉を紡ぐ。

 

「そう、だな。私はまだ後悔しているのかもしれない。早苗の友達にも、寂しい思いをさせた様だからね」

「それに関しては、問題無いのだけれど」

 

 何処か後悔を含んだ口振り。しかし外の世界への情は紫には無い。

 終わりのある無限を生きる妖怪にとって、人間の寿命は取るに足らぬ程に儚く短い。

 落ちる木の葉に感傷を覚える事はあっても、その感傷に浸る為に樹を植える者は存在しない。

 顔を苦々しげに歪めたままの神奈子を見て、紫は小さく溜息を吐く。確かに、と前置きしてから紫は語り出す。

 

「決断には常に痛みが伴うのは確か。そしてそれは記憶が一度抹消されない限りは決して拭えるものじゃないわ」

「経験、かな」

 

 紫の語り出しの声が少し震えた様な気がした。それに気付いた神奈子は思考をする。

 彼女にも(かつ)て何かしらがあったのか。例えば自分の大切な人との決別等が。

 僅かに探りを入れた神奈子の言葉に、紫は表情の変化を見せぬまま、平坦に言う。

 

「どうかしら、ごめんなさい。妖怪は記憶をそれ程大切にしないのよ」

 

 紫はカラカラと笑う。

 

「私達の記憶は大体六十年で一巡するものなのよ」

 

 妖怪の記憶は干支と強い関わりがある。

 干支は本来、甲・乙・丙・丁・戊・己・庚・辛・壬・癸の十干と、子・丑・寅・卯・辰・巳・午・未・申・酉・戌・亥の十二支を組み合わせたものを言い、六十通りの組み合わせがある。

 六十年で干支が一回りし、生まれ年の干支に戻る。元の()に戻る事から本卦還(ほんけがえ)りとも言う。

 「本卦」とは易の用語で、六十年に一度の、生まれ年と同じ干支の事だ。つまり「本卦還り」は、生まれた年と同じ干支になる事。

 人間で言えば満六十歳、要するに還暦を意味する。

 紫の返答に、神奈子は静かに答える。

 

「そしてどんなに長命な妖怪でも、歴史になっていく。そう云う事か」

「神様がどうなるかは分からないけれど」

 

 紫は(けが)れを知らぬ少女の様に笑う。

 砂と石の境内を野良猫が足早に通り去る。それを見送ってから、神奈子も紫と同じ様に、目を合わせず前を向いたまま答えた。

 

「神はとっくに神話だよ。外の世界ではね」

 

 幾ら望んでも取り返しの付かぬ物もある。数多の戦乱と幾重の飢餓。洩矢の大国は半ば自分の所為で滅びてしまった。

 

「そうね」

 

 紫の淡白な返事が神奈子の胸に重く乗し掛かる。

 

「だけど」

 

 思わずうつむいてしまったら顔を上げ、紫の方を見やると、紫は扇子で口元を隠す事なく神奈子の方を向いていた。妖怪の口元は、神様を励ます様に笑みの形を作っている。

 

「神話は、今でも根強く残っているわ」

 

 悲観する事では無い。自分より年下の妖怪に慰められた神奈子。

 

「なんだ、今日は妙に気が利くじゃないか」

 

 口を曲げて憎まれ口を叩くのが精一杯の反抗だ。

 しかし神奈子の表情は直ぐに変わった。思い詰めた様な表情から憑物が落ちた様な表情へと。

 

「……いや、そう云う事か」

「何かしら?」

 

 尋ねる紫に、神奈子は確信を持って告げる。

 

「記憶を失ったとしても、気持ちが失われる訳ではない。確か、君とあの幽霊の姫君は、友人だったね」

 

 神奈子の言葉に紫は(しばら)く表情を失った。気が付けば騒がしかったはずの神社裏の音は既に息を潜めている。

 紫はそれに気付き、更に自身を真直ぐに見詰めている神奈子に気付き、それから不意に破顔した。

 

「貴女の推理力も侮れない様ね」

「神は何でも御見通し。そう云う事になっているのさ」

 

 紫の言葉を聞いて、(ようや)く緊張が解けた、と神奈子は知らず知らずに肩に入っていた力を抜く。

 

「だとしたら私が今何をして欲しいのかも、御見通しなのかしら?」

 

 紫は何時も通りの妖しい胡散臭い眼付きで神奈子に問い掛ける。神奈子は紫の言いたい事を察したのか、相槌を一つ。虚空から見るからに価値の高そうな酒瓶を取り出した。

 

「この酒を、妖怪の賢者殿に酌しようと思うよ」

 

 何かあっても水ではなく酒に流すのが幻想郷の宴会だ。

 神奈子の言葉に、紫は胡散臭い笑みを湛えたまま、夥しい量の目玉が覗くスキマから紅い盃を取り出した。

 

「ありがたくお酌されて貰うわ」

 

 神奈子は紫の盃に酒を並々と注ぎ、自らの盃にも注ぐ。

 

「それでは。友人達の芸を見ながら、楽しい神遊びと洒落込もうじゃないか」

 

 宴は始まったばかりだ。

 

 

 宴会は少数の犠牲を生みながらも大盛況に終わった。宴会芸先陣を切った文とにとりは、宴会が終わった今まさに(ねぐら)へと帰る真最中だ。

 既に陽は落ち掛け、紅と黄を混ぜた様な光が妖怪の山全体に降り注ぎ、木々の葉の隙間を縫って入った光の柱が彼女達を橙色に斑に照らし出していた。

 隣を歩く背の小さな友人に歩幅を合わせて歩きながら、文は今日の宴会芸を思い出して苦笑いをした。

 

「あやや……、まさか河童最新鋭の道具達で(くすぐ)られまくるとは……」

「お前の笑い顔や苦しむ顔、色っぽい顔やらが皆に受けてたから、罰ゲームにならなくて良かったじゃないか」

 

 当然だと言わんばかりのにとりの反応に、文は再び苦笑い。

 

「これはこれで記事になりませんかね?天狗の美少女の痴態! みたいな」

「逞しいな……」

 

 熱い記者魂を見せる文に、今度はにとりが苦笑い。

 

「それは兎も角、今日は楽しめましたね」

「まぁ、そうだな」

 

 思い出すだけでも思わず噴き出してしまいそうになる。早苗と諏訪子が見せた勢いだけは尋常では無く派手だったコラボ宴会芸、妖夢と幽々子チームが見せた息を飲む様な剣捌き、飛び入り参加した他の山の妖怪や神様も混ざって、これまでで指折り数える程の規模の大宴会だった。

 

「何だかんだで彼女等は仲良しですからねー、我々の様に!」

「やめろよぉ! くっ付くなぁ!」

 

 文は後ろから覆い被さる様ににとりに抱き着く。にとりも口では嫌だと言っているが、内心そこまで嫌っていない事は、声の調子で文には分かった。

 それが文には少し嬉しい。

 

「っていうか、何で歩いて帰ってるんだ? 飛んで帰ればいいだろ?」

「それもそうですねー」

 

 (ようや)く離れた文から(わざ)とらしく顔を背けてにとりは言う。

 空を飛んだ方が天狗は早い。幻想郷最速と呼ばれる烏天狗の文なら尚更だ。

 当然の疑問に、文は照れた様に頬を軽く掻きながら答える。

 

「もうそろそろ河童の池にも近い川の様ですし」

 

 会話に気を取られていて気付かなかったのか、確かに文の言う通り、耳を澄ませば流れる水の音が聞こえる。

 それに辺りの風景には確かに見覚えがあった。私の家の近くだな、と、にとりは思う。

 

「あれ?」

 

 同時に沸き上がる文の行動への驚き。にとりの足が止まる。

 

「もしかして、送ってくれたのか?」

「さぁて、どうでしょうかね」

 

 文は歯の長い一本下駄で器用に身体を反転させる。後ろを向かれてしまい、更に文を挟んで半分以上沈んだ夕焼けがある為にとりから彼女の表情は見えない。

 

「お前は直ぐそうやってはぐらかすから……」

 

 にとりの澄んだ水色の服と対照的に、にとりの顔は橙色と朱色に染まる。

 その、なんだ。と口籠ってから小さな声でポロリと零れた言葉は、風で揺れる葉の音に掻き消された。

 

「お礼も言い辛いじゃないか……」

「おおっと!」

「眩しっ!」

 

 にとりの変化に気付いた文は、神速でカメラを取り出し、パシャパシャとカメラのフラッシュを嵐の様ににとりに浴びせ掛ける。

 そのまま目を閉じてカメラを愛おしそうに胸に押し当てる。しかし一秒も過ぎない内に、表情をコロリと変え、にとりに対してニヒっと道化の様に笑う。

 

「にとりさんの可愛い照れ顔ゲットです!明日の新聞に使わせて貰いまーす!」

「って、こらぁ!」

「それではそれでは、翌日の新聞を届ける際に御逢いしましょう!」

 

 (おど)ける様に敬礼一つ。それから周囲に風と木の葉を巻き上げ、その場から逃げ去る様に飛び去る文。にとりはもう追い付けない。

 

 

 すっかり陽の落ちた妖怪の山。橙色の太陽の代わりに出て来たのは、巨大な獣に齧られた様に欠けた月。細められた眼の様にも見えれば、笑みを模った唇の様にも見える。

 守矢神社の縁側には、市女笠を被った少女と、背中に注連縄を背負った女性が肩を並べて座っている。床の間に引かれた布団では、早苗がむにゃむにゃと何かを呟きながら眠りに落ちていた。

 早苗の規則正しい寝息を背中で聞きながら、諏訪子は隣に座る神奈子に話し掛ける。

 

「早苗すっかり寝ちゃったよ」

「こんなに(はしゃ)いだのは久し振りだから、疲れたんだろうさ」

「そうかもしれないね」

 

 縁側から脚だけを伸ばし、上へ下へと楽し気に振る諏訪子の姿は、何千年と云う時を生きてきた土着神には到底見えないだろう。

 神奈子は諏訪子の隣で胡坐をかいたまま、後ろに手を着き幼女の様に月を眺める諏訪子に語り掛ける。

 

「諏訪子こそ疲れてるんじゃないか?」

「まぁ、眠いのも確かだけどさ」

「ん?」

 

 意味深な言葉に神奈子は訊き返す。

 諏訪子は神奈子の顔を一瞬見てから、再び夜空に浮かぶ月へと視線を戻した。

 

「何となく一緒に居てやりたい友達も居るからね」

「……そうか」

 

 何気無い調子で呟かれた言葉に、神奈子は今日の紫との語らいを思い出す。

 神奈子の目が自然と細められる。

 

「一人だけで責任を背負おうとするのは、神奈子の悪い癖だと思うよ。昔っから、ってか出逢った頃からその癖は変わってない」

「そんなつもりはないんだけれども」

 

 神奈子は否定する。そんな神奈子の反応に、諏訪子は見た目にそぐわぬ聖母の様な表情を浮かべた。

 ううん、と首を横に振り、再び神奈子へと言葉を紡ぐ。

 

「昔だって、私の王国の人を皆背負おうとして、結局出来なかったでしょ? その時と同じで良いんだよ。私は何時も一緒に居るんだから、一緒に背負えば良いんだよ。皆の信仰も、人々の幸せも。早苗の幸せも、ね」

「母は強し、と云う事か」

「ふふっ。土着神『ケロちゃん風雨に負けず』ぅ」

 

 けろけろと朗らかに笑いながら、諏訪子は隣に座る友人に抱き着く。

 (もた)れ掛かる様に跳び付いてきた諏訪子を、神奈子は(しっか)りと胸に受け止める。

 

「そっか、そうだな……。少し気にし過ぎて居たのかもしれないな」

「そうそう。神奈子は気にし過ぎ。私の事もちゃんと頼って良いんだからね?」

 

 諏訪子の表情の中に、何処か寂しさが見え隠れしている。此処で拒絶の選択肢を選ぶことは、何かとても大切なものを失ってしまう様な、そんな気がしてしまった。

 諏訪子は真直ぐに神奈子を見上げ、神奈子は目を瞑りながら、静かに諏訪子の頭を撫で続ける。

 

「ああ」

 

 勿論だとも。神奈子は心の中で強く、自分の答えを再確認する。

 

「さて諏訪子。それじゃあ付き合って貰おうかな」

「そう思って。私の取って置きを、持って来たよ」

 

 諏訪子は起き上がり、自身の影の中から酒瓶を引っ張り出す。

 何かあったら水ではなく酒に流すのが幻想郷流だ。

 

「このまま。ここで元気に楽しく、育ってもらえればいいさ」

「そうだね。それじゃあ、はい」

 

 掲げられた盃の中には、空に浮かぶ月がゆらゆらと映る。

 

「ああ」

「乾杯」

 

 二人だけの静かな宴会で、二人の神は、二つの盃を合わせた。

 

 

 冥界の夜は昼と殆ど変わらない。何時でも気温は涼しく、常に空は濁った灰色一色。

 夜になると月が上るが、(またた)く星が出ない鼠色の空は何処か味気無い。

 幽々子は疲れて寝てしまった妖夢を背負いながらフワフワと、紫はスキマの縁に腰掛けたまま器用に隙間だけを動かして、白玉楼へと続く長い石階段を(のぼ)っていた。

 光の差し込まない灰色の空を、白い尾を引きながら飛ぶ人魂。幽々子の移動に伴って、石段脇の燈籠(とうろう)が、独りでに灯っては消える。目の前には永遠に咲く事の無い巨大な桜の樹が(そび)え立っていた。

 幽々子は肩から出る妖夢の頭を撫でながら、そんな従者の様を咎める様に言う。

 

「もう、本当に妖夢ったら」

「可愛かったじゃない」

 

 紫の言うのは今日の宴会芸の事だろう。

 幽々子の予想通り、妖夢の宴会芸は刀を使った物だった。身体を麻縄で括られた幽々子の頭の上に乗せた林檎を、妖夢が一刀両断すると云う単純な物、しかし妖夢が目隠しをして宴会芸に望んだ事には体温の低い亡霊姫の肝が更に冷えた。

 使った林檎と麻縄は守矢神社の風祝から貰ったのだという。

 

「紫はあの恐怖を味わっていないから、そんな悠長な事が言えるのよ」

 

 本気で怒っている訳ではなく、淑女の様にあざとく、子供の様に可愛く拗ねて文句を垂れているだけだ。

 紫もそんな友人を宥めつつ、片目を開いて幽々子に話し掛ける。

 

「幽々子なら、あそこから抜け出す方法は幾らでもあったでしょう?」

「そこで抜け出しちゃう様な、空気の読めない事出来ないわ」

 

 宴会は楽しむ為の物。そこに水を注す様な無粋な真似はしないのが暗黙の了解だ。勿論それを分かっている幽々子は、紫を真似る様に、自らの扇で口元を隠して笑う。

 

「そう云う所が優しいわよね。幽々子は」

「紫にそんな事言われたくないわ」

「何の事かしら?」

 

 間髪入れずに言い返した幽々子に紫は素知らぬ顔で聞き返す。

 幽々子はずり落ちて来た妖夢をもう一度背負い直し、ニッコリと微笑んだまま紫の核心を突く。

 

「しらばっくれても無駄よ。今回の事は全部、誰かの為なんでしょ?」

「それは正解でもあり、不正解でもあるわ。だって全ては自分の為だもの」

 

 相変わらずの胡散臭い笑み。本心を隠す為の笑顔の仮面も、口元を覆い隠す扇も古い友人である幽々子には通じない。

 

「情けは人の為ならず。紫のは何時もそう。そんなんだから胡散臭い妖怪だって言われるのよ」

「そうかもしれないわね」

「まぁ、いいけど。私も楽しめたし。妖夢も楽しんでいたみたいだし」

 

 背中で寝息を立てる妖夢の頬を、プニプニと指で突っ突きながら幽々子は紫に微笑む。

 紫は気の抜けた声で幽々子に相槌を打つと、樽から滲み出す水の様に、ゆっくりと語り出す。

 

「結局それが全てよ。どんな事だって楽しまないと損だと云う事」

 

 妖夢を背負ったまま器用に幽々子が振り向いた。目だけで話の続きを促された紫は、更に言の葉を紡ぐ。

 

「全ての事象は楽しむ為にこそあるの。それを忘れる事は、心を忘れる事に等しい。だから忙しいという字は、心を亡くす、そう書くのよ」

「どんな事も楽しめって、それは傲慢な考え方だと思うわ」

「そうかしら?」

 

 幽々子の問い掛けにも紫は表情を笑みの形から変えぬまま。

 そうよ、と返事をしてから幽々子は更に続ける。

 

「それに、幽霊に向かって『亡くす』、だなんてそれこそナンセンスよ」

 

 もう一度背中の妖夢を背負い直す。刀と刀が触れ合って音を立てるが、妖夢が起きる気配はなさそうだ。

 

「現にこうやって亡くなった後も、私はこうして楽しく暮らしているじゃない」

「そうだったわね」

 

 そんな妖夢の頭を撫でながら、幽々子は記憶が無い程古くからの友人に笑い掛ける。

 

「そう云う事。そう云う事だから、貴女はスキマに隠した風神の取って置きのお酒を、私に提供すべきなのよ」

「あら。泣き喚いていたから気付いていないと思ったのに。目敏いのね」

「私が食べ物やお酒の事を、見逃す筈がないでしょう?」

 

 紫は何も言わずに、目を瞑った。

 それから紫は徐ろに目の前に手を伸ばし、スキマを開く。目玉が蔓延る空間へ躊躇無く腕を突っ込み、引き抜いた時には、その手に一つの酒瓶が握られていた。

 瞑った目を再び開く。

 

「それもそうね。それじゃあ、ここで月でも見て呑み直そうかしら」

「酒の肴は、何にする?」

「そうねぇ。それじゃあ」

 

 冥界の夜空は何時でも濁った鼠色一色。

 見上げた空に上った月は満月には程遠い、欠けた貝殻の破片の様な三日月。月以外が何も光らぬ灰色の空は、まるで灰色の絵の具で塗り潰された様にも見える。

 白い尾を靡かせ宙を飛ぶ人魂。目の前には永遠に咲く事の無い巨大な桜の樹が(そび)え立っていた。

 その下に眠る愛しい友人は、紫が『死に誘う能力』を封印を施した際に、ありとあらゆる記憶を失くしてしまった。

 

「『思い出』、というのはどうかしら」

「ええ、のんびり聞かせてもらうわね」

 

 

 

 

 




 



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