「何度か申し上げた通り、彼が本来持つはずの恐怖や幸福などの強い感情は、すべて私の存在と共に、彼の心の奥底に封じられていますから」
「どうにかしてあげたいのですが、まだ私の力ではどうにも。いやはや、申し訳ない」
クリスマス休暇が終わって学校に戻ってきた生徒を一番驚かせた情報は、ハリーとエドガーがファイアボルトを手に入れたということだろう。
国際試合級の箒で、プロ御用達の一品を、ただの学生……しかも三年生が使うなんて。
グリフィンドールやハッフルパフは、自分の寮の選手がファイアボルトを手にしたことを、さながらクィディッチ杯を手にしたことのように喜んだ。
レイブンクローやスリザリンは、当然それが面白くなく、何かにつけては「箒が良くても乗り手次第」だの「不正な手で得たのではないか」だのと囁き合ったが、その程度ではどちらのチームの気概を削ぐこともできなかった。
むしろ彼らが気を落としたのは……。
「分解? ファイアボルトを?」
「そう。ハーマイオニーが、これはブラックから送られたものだからって、マクゴナガルに告げ口して、それで。分解したりして、呪いがかけられてないか調べるんだってさ」
「それは……災難だったね」
「まったくだ! ハーマイオニーのお節介がなかったら、僕だってファイアボルトに乗せてもらえてたのにさ! まったく、今年は彼女といるとロクなことがないよ。スキャバーズだって襲われるし」
エドガーのファイアボルトは製作者から直々に送られたものだった。
事の経緯を説明すると、エイブル・スパドモアなる箒職人の息子で、同じく職人のランドルフが新たな箒を極秘で開発することになった。
何せ極秘だったので目立つ人物はテスターにできない。すると、父がかねてよりの友人の孫が学校でクィディッチ選手になったから、彼をテスターにすればいいと薦めたのだ。――その友人は信頼できるし、孫の方も飛行に関しては非凡な才能を持つから、と。
ランドルフは頷き、父の友人の孫をテスターにした。その孫こそがエドガーであり、彼が今まで使ってきた試作品の完成形がファイアボルトだったのだ。ランドルフは今まで開発に協力してくれたお礼にと、わざわざエドガー用に調整したファイアボルトを送ってくれたのだ。
それに対してハリーの箒は送り主不明。したがって、呪いの有無を確かめるために先生たちが取り上げてしまったのだ。この事はグリフィンドールだけではなく、同じ箒を有することである種の仲間意識が生まれていたハッフルパフすらも気落ちさせた。
現在進行形で命が狙われている以上、先生たちやハーマイオニーが神経質になるのは仕方がない。しかし、ハリーとロンは納得しなかった。否、少しくらいはわかっていただろうけど、目の前の
「ハーマイオニーってば――」
「ハリー、ストップ。それからロンもだけど、彼女を責めるのはお門違いだよ。ハーマイオニーは心配してやってくれたことなんだ。きみたちに嫌われることを覚悟して、ハリーの身の安全を優先したんだ。それって、すごく仲間思いの行動だと思わない?」
「――エドガーは、箒があるからそんなことを言えるんだ!」
「あ、ハリー!」
大声と共に駆けだそうとするハリーを引き留めようと、エドガーが腕を掴んだが、ハリーはそれを思い切り振り払った。エドガーが傷ついたような顔をするので一瞬良心が痛んだけど、それに気づかなかったふりをして、ハリーは走り去っていった。
後に残ったのは、腕を宙に彷徨わせるエドガーと、ぽかんとした顔のロンだけ。
「……怒らせたみたい」
「そうみたいだ。……あー、その、大丈夫?」
「うん。……何か悪いこと言っちゃったかな」
「ハリーは君に味方してほしかったんだ。その、僕も。だけど君がハーマイオニーの肩を持つから、あんな感じになっちゃったんだと思う」
「そっか。ごめん、気が付かなくて。ハリーにもそう伝えておいてくれる?」
「あ、うん。……ところでさ、目の前に怒っている人がいると、逆に冷静になるのってなんでだろうね」
「……さあ?」
学校は次の週から始まった。
震えるような寒空の下で行われた魔法生物飼育学の授業では、ハグリッドが大きな焚き火の中に
占い学では、トレローニー先生は今度は手相を教えはじめたが、エドガーの生命線が二度も切れていることを、あの大きな目と独特な声で伝えた他、同じ教室にいたハリーにも、これまで見た手相の中で一番生命線が短いことを告げていた。
エドガーは別に占いの結果なんて気にしていなかった。それよりも、授業の後でハリーに声をかけようとしたところ、ハリーはわざと他の生徒に声を掛けてエドガーを無視したことのほうが気になった。どうやらまだあの日のことを許してもらえていないようだ。
闇の魔術に対する防衛術の授業が終わったあと、エドガーは個別にルーピン先生に呼び出された。そこで、木曜日の夜八時から、魔法史の教室で吸魂鬼祓いの訓練を始めることを伝えられた。
この報告はエドガーを喜ばせる反面、困らせもした。この訓練はハリーと一緒に受けることになっている。その彼とは今(一方的な)喧嘩中だったので、顔を合わせるのがはばかられたのだ。
とはいえ先生が時間を削って教えてくれるのだから、そんなことで彼の手を煩わせるわけにはいかない。
そういうことで木曜日の夜八時、エドガーはハッフルパフ寮を抜け出して魔法史の教室に向かった。
着いたときにはまだ教室は真っ暗で、誰もいなかった。杖で灯りを付けて待っているとハリーがやってきたが、彼は何も言わずにそっぽを向いて、教室の向こう側に行ってしまった。それから五分ほどあとに、荷造り用の大きな箱を抱えたルーピン先生が現れて、机の上によいしょと下ろした。
「あ、ボガート?」
「その通り。火曜日からずっと探したら、幸い、こいつがフィルチさんの書類棚に潜んでいたんだ。本物の吸魂鬼に一番近いのはこれだ。君たちをみたら、こいつは吸魂鬼に変身するから、それで練習できるだろう」
厳密には吸魂鬼に近い誰かだけど、とエドガーは言いたくなったが、こらえた。
「さて……わたしがこれから君たちに教える呪文は、非常に高度な魔法だ――いわゆるO.W.L資格をはるかに超える。『
「どんな力を持っているのですか?」
ハリーが不安げに聞いた。
「そう、呪文が上手く効けば、守護霊が出てくる。いわば吸魂鬼を祓う者――保護者だ。これが使用者と吸魂鬼との間で盾になってくれる。
守護霊は一種のプラスのエネルギーで、吸魂鬼はまさにそれを貪り食らって生きる――希望、幸福、生きようとする意欲などを――しかし守護霊は本物の人間なら感じる絶望というものを感じることができない。だから吸魂鬼は守護霊を傷つけることもできない。ただし、一言言っておかないといけないが、この呪文は一人前の魔法使いでさえてこずるほどに高度だ。君たちにはまだ難しいかもしれない」
「守護霊ってどんな姿をしているのですか?」
「それを造り出す魔法使いによって、一つひとつが違うものになる」
「どうやって造り出すのですか?」
「呪文を唱えるんだ。何か一つ、一番幸せだった想い出を、渾身の力で思いつめた時に、初めてその呪文が効く」
ハリーがルーピン先生に質問を投げ続ける間、エドガーはずっと記憶を辿って、幸せな想い出を探していた。
ホグワーツに来たこと? 違う。ここに来れたことは嬉しいけど、それが一番の幸せかと聞かれると、閉口せざるを得ない。
それじゃあ友達との出会い? 確かに、ザカリアスをはじめとして、ここでたくさんの友達と出会うことができた。それは確かに嬉しいけど……でもまだ、足りない気がする。
幸せ――幸せって、いったいなんだ? その問いが生まれた瞬間、エドガーはあることに気づいてしまった。すなわち、自分は幸福を感じたことがないのではないか、ということだ。
恐怖を知らないと思ったら、今度は幸福だなんて。エドガーはため息交じりに力なく笑った。
「わかりました」
そうしている間にも、ハリーは自分の幸福な想い出を見つけたようで、さっそく呪文を実践することになった。
「いいかい。呪文はこうだ――エクスペクト・パトローナム、守護霊よ来たれ!」
ハリーが同じ呪文を唱えると、杖の先から、何かが急に噴き出した。一筋の銀色の煙のようなものだ。
「先生、見えましたか? 何か、出てきた!」
「よくできた。さて、エドガーはどうする? やってみるかい?」
「すみません、まだ準備が出来ていなくて……」
「そうか。焦らなくていい、しっかりと準備をするんだ。それじゃあハリー、君は吸魂鬼で練習してみよう」
「はい」
結局その日は、ハリーが三度目に吸魂鬼を追い払うことに成功したが、エドガーは何もできないまま終わった。
ハリーが先に教室を出て行き、エドガーも少し時間を空けて教室を出ようとしたが、そこをルーピン先生に止められた。
何もできなかった自分に呆れて、次から来なくていいと言われるのだろうか。そう思って、恐る恐る振り返って、できるだけ先生の目を見ないようにしてまくし立てた。
「エドガー」
「あー、あの。ボガートの授業の時に少しだけ話した気がするんですけど、おれってあまり強い感情が生まれたことってなくて。恐怖とか怒りとか、その、幸福とかもあまり。それで、ええと」
「わかっているよ。大丈夫」
エドガーはぽかんとした顔になった。視線を上にあげると、穏やかな表情が目に入った。……どうやら、訓練から追い出されることはなさそうだ。
「それよりも、お礼が言いたかったんだ」
「お礼? はて、何のことでしょう」
「この間の、満月の日」
「……」
クリスマスの日、エドガーはクラウディアに案内を頼み、ホグズミードにある叫びの屋敷に向かった。そこには物憂げな表情で変身を待つルーピン先生がいて、二人の姿を見るなりひどく動揺して、冷静さを欠いた声で早く帰るようにと叫んだ。ここに来たことは誰にも言わないから、と。
そこでエドガーは、帰るでもなく、反論するでもなく、ただ変身した。その日登録されたばかりの動物もどきの能力で、灰色の瞳を持った真っ黒な獅子に。
戸惑うルーピン先生に事の次第を説明したのはクラウディアだった。
「いつもは事務所で丸まっているのに、今日はこっちなんだな」
「たまには気分を変えようと思ってね。それよりも……」
「ああ、驚いただろう、リーマス。またおまえの白髪が増えそうだな」
「……どうして、エドガーがここに?」
「簡単だ。おまえが人狼だと見抜いたんだ」
ルーピン先生は「そうか」とため息をついた。
いつか自分の事務所で、ハリーとエドガーの前で脱狼薬を飲んだことがある。専門知識のない三年生だからわからないだろうと思っての行動だったが、どういうわけかエドガーは何かに気づいた顔をしていた。
わかるはずがない。その時はそうやって自分を納得させたが、まさか本当に、脱狼薬だと気づかれていたなんて。
「大方トリカブトの匂いでも嗅ぎ分けたんだろう。エドガーは鼻が利くからな」
「……それで、人狼になったところを捕まえて、先生方に報告を?」
「こいつがそんなことをすると思うか? このお人好しはな、この姿なら一緒にいられるはずだからと、自ら望んでここに来たんだ」
「……」
牡鹿、犬、ネズミ。ルーピン先生の脳裏にはいつかの友人たちの姿が並んだ。
少し遅れて、穏やかな表情を浮かべて微笑む男性の姿も。
「どうだ? 変身したおまえはこいつを襲うか?」
「いいや、襲わない……けど、どうしてこんなことを?」
「言ったとおりだ。こいつは……いや、こいつの家系はこういうお人好しばかりなんだ。だから、わたしを家族として迎え入れた。だから、こうして、ここにいる」
「……まったく、滅茶苦茶な子だなあ」
「だろう。だからもう諦めろ。エドガーはこう見えて頑固な一面もあるから、何を言ったって引き下がらないさ。ここは生徒に花を持たせると思って我慢してくれ」
「こういうところがグレアムに、お父さんにそっくりだよ」
「ほう、こいつの父と知り合いか?」
「ああ。一つ上の先輩だった。エドガーと同じでお人好しで、時々こういう無茶なことをする人だったよ。本当に……似ている」
「ほら、言っただろう。お人好しの家系だと。……そうだ、忘れるところだった。エドガーからの伝言だ。
『ここにはホグワーツの生徒はいません。いるのはライオンと吸血鬼の少女だけです。だから、エドガー・クロックフォードはここで何があったかなんて知りません。なぜなら、エドガーはハッフルパフ寮で読書をしている最中ですから』
……だ、そうだ。さあ、そろそろ月が出る。今夜はこの不吉な面子で夜を明かそうじゃないか。安心しろ。エドガー……おっと、こいつはただのライオンだったな。このライオンには傷一つ付けさせない。こいつのためにも、おまえのためにも」
それから、真っ暗になるまでは屋敷の中で待機して、人が寝静まった時間になってから無人のホグズミードに繰り出して、三人で気ままな散歩を楽しんだ。
そのことはもちろん、エドガーは覚えている。けれど、知らない顔をした。
「人違いじゃありませんか? 満月の日、おれは談話室で本を読んでいました」
「そういうところ、本当にお父さんの生き写しだ。……エドガー。僕はね、おそらく君よりも君のことを知っている。けれど、今はすべてを話すことはできない。ただ、これだけは信じてほしいんだ。――君の性格は、何度も言うけどお父さんにそっくりだ。お人好しなところも、穏やかそうに見えて頑固なところも、動物が大好きなところも」
+
ロンがスキャバーズを預かってもらえないかと尋ねてきた。エドガーは了承したものの、引き渡しの際にスキャバーズがエドガーの指に強く噛みついて出血させたので、ロンの判断でこの話は流れることになった。
「君を傷つけたら、君のファンの子たちになんて言えばいいかわからないからね」らしいが、エドガーにはよく意味がわからなかった。ファンなんて、聞いたことがない。
それよりも、噛まれた時に振り払ったりせず、「ほら、怖くない怖くない」と微笑んだ結果、スキャバーズが指を放して、申し訳なさそうに体を摺り寄せてくれたことの方が嬉しかった。信頼してもらえたような気がして。
知らぬ間に一月が過ぎ、二月になった。
この間に、レイブンクロー対スリザリン戦で僅差でスリザリンが勝ったり、エドガーがハーマイオニーの鞄に検知不可能拡大呪文をかけたり、二人でバックビーク裁判の資料集めをしたり、ルーピン先生の訓練が数回行われたりした。前二つはともかくとして、後ろ二つがいまいち揮わないことがエドガーを悩ませた。
それだけではない。未だにエドガーはハリーに口を聞いてもらっていなかった。ロンが言うには「本当は仲直りがしたいけど、きっかけがないからハリーも足踏みしている」らしいが……いったいどんなきっかけがあればいいのやら。
「――それは『吸魂鬼の
「えっ――殺す――?」
「いや、そうじゃない。もっとひどい。魂がなくても生きられる。脳や心臓が動いていればね。しかし、もはや自分が誰なのかもわからない。ただ――存在するだけの、空っぽの抜け殻になるんだ。魂は永遠に戻らず……失われる。シリウス・ブラックを待ち受ける運命がそれだ」
四週目の吸魂鬼防衛術訓練で、エドガーはルーピン先生が用意してくれたバタービールを飲みながら、ルーピン先生とハリーの会話を聞いていた。
一回目の訓練以来、エドガーは幸福な想い出を探すことが課題になっていた。しかしこの日も、エドガーは幸福な想い出を見つけることができなかった。いや、幸福だと感じられた瞬間を見つけることができなかった。最初に自覚した通り、エドガーはいくつかの重要な感情が表面に出てこないのだ。まるで心の奥底に封じられたように。
(……心の奥底にいる何か、か)
以前、組み分け帽子とダンブルドア先生に言われたことを思い出す。
シャワールームでの殺人シーンが特徴的なある映画では、犯人の男の中に本人の人格と母親の人格が同居していて、彼は時には母親の人格に支配されることもあった。他の人格が存在しているという自覚がないだけで、自分は彼と似た状態なのではないか。つまり――多重人格。これなら、覚えのない知識や記憶の存在にも納得できる。
(その場合、肝心なのは『誰』がいるかなんだけど……)
それを確かめる術を、エドガーは知らない。何せ人の考えていることを見透かしてしまう帽子と老人がわからないと言うくらいなのだから。
「さあ、今日はここまでにしよう。ハリー、土曜日の試合、応援しているよ」
「はい。それじゃあ、また」
終了の合図があって、またハリーは足早に去っていった。その様子をルーピン先生が心配そうに見つめている。
「エドガー、まだハリーと?」
「はい。先生にはご迷惑をおかけしています。……この雰囲気、やりづらいでしょ?」
「まあ、ね。でも、喧嘩をするなら若いうちがいい。その方が言いたいことも言えるだろうし。大人になってからだと、聞きたいことも聞けなくなるし、タイミングが悪いとすれ違ったままになる。そうして、大切なものを失うんだ」
「……体験談のように言いますね」
ルーピン先生は曖昧に笑った。
「そろそろ君も戻った方がいい。帰りが遅いとみんなが心配する」
「はい。ありがとうございました」
エドガーは最後に残っていたバタービールを飲み干して、部屋を出た。
部屋を出たところで、ハリーが待ち構えていた。手にはピカピカの箒――ファイアボルトが握られていて、顔には嬉しそうな、申し訳なさそうな、複雑な表情が浮かんでいる。
「……エドガー」
「なんだか久しぶりだね。箒、返してもらったんだ」
「うん。エドガー、その、ごめん。僕、せっかく手に入れたファイアボルトが取られて……告げ口したハーマイオニーが許せなくて……君に味方してほしかったのにしてくれなくて……エドガーはファイアボルトを問題なく使えるから羨ましくて……それで、ごちゃごちゃになっちゃって」
「おれも、配慮が足りなかったよ。ごめんね」
「エドガーは悪くないよ。僕が一人で突っ走っていただけだから。それで、その……」
「ハリー。明日、速さ比べしようか」
「……うん!」
ファイアボルトの返却をきっかけに、二人は仲直りをした。
さてその翌日、ハリーが箒と一緒に持ってきたのは、とうとうスキャバーズがクルックシャンクスに食べられてしまったという衝撃的な情報だった。
男の子は喧嘩しなさいって、ばっちゃが言ってた。
大した喧嘩ではないし、ハリーの方が一方的だったけど。
あ、前話で後書きに「詳しく書く」と書いた夜のお散歩は、もちろんこの回のそれじゃありません。そもそも散歩していないし。
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