完全に美波との喧嘩を
もう午後の授業なんてどうでもいい。
とにかく一人になりたかった。
── 消えてしまいたい ──
ただそれだけを思い、当てもなく
自分がどこを歩いているのかも分かっていなかった。
「明久」
……こいつに話し掛けられるまでは。
「なんだ……雄二か」
あれ……そういえばここは……? 体育館の横か。
薄暗くて
「ダチに向かって『なんだ』はねぇだろ」
雄二が続けて話し掛けてくる。
でも今は誰とも話したくない。
「……それは悪かったね」
「お前こそなんだその顔は。まるで死んだ魚のような目をしてるな」
「……どんな顔をしようが僕の勝手だろ」
「島田と何があった」
「……」
「ダンマリかよ。まぁお前らの関係がどうなろうと興味は無いがな」
「……ならほっといてくれよ」
「そうはいかねぇ。俺はお前に用がある」
「僕は用なんてないよ」
「お前になくても俺にはあるんだよ」
「……」
何だよ……。一人になりたいのに……。話したくないのに……。
なんでコイツは僕に絡んでくるんだよ!
「だからほっといてくれって言ってんだろ! 僕に構わないでくれ!」
「あァ? なんだと?」
「雄二に僕の何が分かるってんだよ!!」
「明久! テメェいつまで腑抜けてやがる!!」
雄二が僕の胸倉を強く掴み、大声で怒鳴る。
僕はそれに抵抗する気力も無かった。
「……悪いかよ」
「あぁ悪いね! テメェがそんなんだから島田も愛想を尽かしたんじゃねぇのか!」
「……そうさ。僕は前代未聞の大バカさ。だから僕なんかと一緒じゃ美波も楽しくないんだろ」
「っ──!!」
胸倉を掴まれたまま逆の手で思いっきり殴られた。
その衝撃で僕の体はふっ飛び、背中をしたたかに打ち付けた。
幸い、反射的に受け身を取ったので頭は打たずに済んだようだ。
「何……すんだよ……」
ゆっくりと体を起こすと、殴られた所がジンジンと痛み始める。
口元を拭いながら雄二に目を向けると、あいつは目を吊り上げ、握った拳を震わせていた。
「確かにお前は普通人間が持ってなきゃいけねぇモンをなんにも持ってねぇ底抜けのバカだ! けどな! お前には一つだけ普通の人間が欲しがっても簡単にゃ手に入らねぇモンがあったんだよ! だが今のお前にはそれすらねぇ!」
雄二が僕に向かって大声でまくし立てている。
コイツ……何を言ってるんだろう。意味が分からない。
「俺が唯一認めたモンを無くしちまったお前はただムカつくだけの存在でしかねぇんだよ!!」
「……何言ってんだよ……雄二……」
「立て! 明久! 俺が思い出させてやる! かかってこい!」
……
「……あぁ……そうかい」
くそっ……。
……いいだろう。今は暴れたい気分だ。
憂さ晴らしに付き合ってもらうぞ!
「望む所だ!!」
「来い! 明久!」
雄二が上着を脱ぎ、ボクシングスタイルの構えを取る。
僕も上着を脱ぎ捨て──
「先手必勝!」
同時に殴り掛かった。
意表を付く先制の右ストレート。
「おっと」
だが雄二は体を左に
「なかなかいい攻撃じゃねぇか」
「よくかわしたな雄二。でも勝負は──」
突き出した右拳をそのまま雄二に振り向け、
「これからだ!」
裏拳を打ち込む。
雄二はこれを屈んでかわし、余裕の笑みを浮かべる。
「隙だらけだぜ!」
振り抜いた僕の腕にクロスさせるように雄二がアッパーを放つ。
その拳は僕の顎をかすめた。
慌てて距離を取り、体勢を立て直す僕。
さすが雄二だ。戦い慣れている。
「へへ……当らないね。そんなナマクラ」
「ほう。言ってくれるじゃねぇか明久。今のはわざと外したんだがな」
ハッタリ──と思いたいが、雄二の顔には余裕がある。恐らく本当だろう。
きっとこちらの出方を伺っているんだ。戦いを有利に運ぶために。
しかし勢いで殴り合いを始めてしまったが、どうしたものか……。
何の作戦も無しに雄二に勝てるとは思えない。
「どうした。それまでか。なら次はこっちから行くぜ!」
考えているうちに雄二の素早い拳が襲い来る。
「くっ……」
ダメだ! かわしきれない!
僕は堪らず腕でガードした。
だが雄二はお構いなしにガードの上から何度も拳を叩き込んでくる。
「どうした明久! 打ち返してみろ!!」
「く、くそっ……」
僕はどう見ても劣勢だった。
そもそも体格や腕力で劣る僕が真正面から打ち合って勝てるはずもない。
このまま拳を受け続けていたら間違いなく僕の負けだ。
僕は再び距離を取り、間合いを計った。
一旦離れて大きく息をつく僕。
だがあいつの攻撃で僕の呼吸は乱れはじめていた。
これ対して雄二は疲れた様子も無く、不敵な笑みを口元に浮かべている。
「なんだ。もうギブアップか?」
「そんなわけないだろ。これからが本領発揮さ」
「……そう来なくちゃな」
大きく距離を取り、睨み合う僕と雄二。
……単純に殴り掛かってもダメだ。
あいつのリーチは僕より長い。こちらの攻撃が届く前に反撃されてしまうだろう。
何か手を考えないと……。
「なぁ明久。お前とは去年もこうしてやりあったな」
不意に雄二が昔を懐かしむような口調で言い出した。
去年か。確かにやりあった。
「あぁ、そうだね。けど──――去年の僕と同じと思うなよ!」
僕だってあれから成長している!
今でも力はヤツに劣るかもしれない。
でも、戦いは力だけじゃない!
力一杯地面を蹴り、一気に距離を詰める。
僕には自慢の素早さがある!
この取り得を活かせば勝ち目はある!
「そうだな。確かに去年とは違うようだ」
低い姿勢で雄二めがけて猛然とダッシュする僕。
この体勢なら拳は当てにくいはず。
そして懐に飛び込んでしまえば──!
「去年より――」
あと少しでヤツに届く! と思った瞬間、視界の隅に黒い影が現れた。
「っ──!」
危険を察知した僕はそれを咄嗟に左腕で受け止める。
だがその重たい影はこのガードをものともせず、僕を体ごと吹き飛ばした。
走る勢いそのままに地面に叩き付けられ、転がる僕の体。
「ぐ……ぁ……」
い……今のは……蹴りか……っ!
ボクシングスタイルだと思って……油断した……。
この作戦もヤツには通用……しないのか……。
くそ……。う……腕が……痺れる……。
腕と共に肩がズキズキと痛み出す。どうも今ので肩を打ったらしい。
痛みを堪えながら上半身を起こすと、雄二が見下すように言葉を吐いた。
「──お前は弱くなった」
「な……なんだとォ……!!」
「今のお前には信念がねぇんだよ! 去年の方がずっと手強かったぜ!」
「何をわけの分からないことを!」
肩や腕の痛みに耐えながら立ち上がり、やけくそ気味に左拳を突き出す。
「うぐっ……」
この拳も雄二をとらえることはできず、腹部に鈍い痛みが走る。
カウンターでボディーに一発もらってしまった。
「なんだその攻撃は! まるで腰が入ってねぇぞ!」
「くっ……! うらぁぁあ!」
渾身の右フックが空を切る。
勢い余って
「オラどうした明久ァ! お前の力はこんなもんか!」
「な……なめるなぁっ!!」
振り返りざまに左の拳を繰り出す。
それも軽く避けられ、足を引っ掛けられた。
つんのめり、うつ伏せに倒れ込む僕。
「なめてんのはテメェだ! お前は気持ちで既に負けてんだよ! そんな腑抜けた拳が俺に当たるとでも思ってんのか!!」
「うるさいっ!! 貴様なんかに僕の気持ちが分かってたまるか!!」
「あぁ分かんねえな! いつまでもウジウジしやがって! ムカつくんだよ!! この臆病モンが!!」
「だっ……! 黙れぇぇーっ!!」
雄二の言葉に僕は完全に頭に血が上ってしまった。
頭が真っ白になり、無我夢中でヤツに飛び掛かる。
だが雄二は軽いフットワークでそれをいとも簡単に避ける。
「鈍くせぇぞ! 去年のお前のスピードはこんなもんじゃなかったぜ!」
なんなんだよコイツ! 去年去年としつこく言いやがって!
去年が何だってんだよ!
「悔しかったら一発でも当ててみせやがれ!」
「これなら――どうだぁぁっ!!」
ボディ――と見せかけて顔面だッ!!
一瞬、雄二の驚いた表情が見えた。
取った!!
「っしゃあ!」
ガツッ! と、鈍い音がした。
雄二の顔面を捉えた――
「甘いな。明久」
「なん……で……」
――はずだった。
僕は拳に激しい痛みを感じ、膝から崩れ落ちた。
「インパクトの瞬間、お前の拳に頭突きを合わせた。喧嘩の常套手段だ。覚えておけ」
「く……そ――っ」
直後、腹部に強烈な痛みを感じて僕は体を横たえた。
ダメだ……コイツには勝てない……。
『去年――れと――――せ。そう──お前──……』
薄れ行く意識の中、雄二が何かを言っている気がした。
だが意識がもうろうとして理解できなかった。
僕はそのまま気を失った。
………………
…………
……