余計な時間を食ってしまった。急ごう。きっと教室で美波が待ってる。
ん? そういえば校舎に入ってからFFF団を見ないな。
ひょっとしてさっきの鉄人に全員捕まったのか?
もし全員が捕まったのであればこれ以上のチャンスは無い。よし、今のうちに美波と脱出だ!
と思いながらふと窓の外に目をやると、校門付近に二つのマント姿の人影が見えた。
なんだ……やっぱり全員捕まったわけじゃじゃないのか。
きっとああして僕や美波が出てくるのを待ち構えているのだろう。
あの様子だと裏門も押さえられているだろうな……。
僕らの勝利条件は脱出するか時間切れかのどちらか。
今の状況からすれば、どこかに隠れて時間切れを待つ方が得策だろうか。
とにかく美波と合流しよう。
僕はFクラスの前に着くと扉に手をかけた。すると扉はすんなり開きはじめる。
あれ? 美波が立て篭っていると思ったけど……違うのか?
疑問を感じつつ扉を開けると……。
「……」
一瞬、教室の中の光景が理解出来なかった。
そこで待っていたのは美波ではなかった。
あったのは一組の男女の姿。
一人は大きな胸とふわっとした長い髪が特徴的な女の子。姫路さんだ。
もう一人は高い身長にツンツンと立てた短い髪。そしてブサイクな面構え。こっちは雄二だ。
Fクラスの教室なのだから、この二人がここにいることになんら不思議はない。
問題はその光景だ。
二人はちゃぶ台を挟んで向き合って座っていた。
姫路さんは”らんらん”と目を輝かせながら雄二の顔を見つめている。
それに対して雄二は顔を引きつらせ、血の気の引いた青い顔をしている。
えっと……。
──── 姫路さんが雄二に迫っている!? ────
なななんて場面に出くわしてしまったんだ!!
まさか二人がそんな関係だったなんて!!
僕は慌てて扉を閉めようとした。
ところがその扉は閉まり切らず、途中で妙な抵抗を感じた。
何事かと見れると、その扉からは四本の指が出ていた。
!?
「いよう明久ァ……いいところで会ったなァ。ずいぶん元気そうじゃねェか……」
閉めかけた扉をこじ開けながら雄二が言う。その扉の陰から現れた顔は鬼気迫るものがあった。
ヤ、ヤバイ! 消される!? 僕の存在が消される!
「ぼぼぼ僕は何も見て無いよ! 安心してよ! 霧島さんに言ったりしないからさ!」
「あァ? 何を言ってるんだお前は。状況をよく見てみろ」
「じょ、状況ったって……」
年頃の男女が教室で二人っきりで……。
姫路さんが雄二を期待の眼差しでじっと見つめていて……。
雄二の方は──
……
「雄二? 何それ」
ヤツの手の上には、赤茶色の手の平サイズのカップに盛り上がるキツネ色の物体。
その上には小麦色をした極薄の小さな板状のものが散りばめられていて、総合的に見ると、それはまるで焼きたてのカップケーキのように見える。
「お前にはこれが何に見える」
「何って……そりゃあ──じゃ! 僕はこれで!」
危険を察知した僕は雄二に背を向けて駆け出した。
間違いない! あれは必殺料理人の秘密兵器だ! すぐにこの場を離れなければ命が危ない!
「まぁ待てよ明久。そう慌てて帰るなよ」
逃げ出そうとする僕の肩を雄二が掴む。
それはもうギリギリと音を立てんばかりの強い力で。
「放してよ雄二! 君は前途ある若者の命をこんなところで散らしていいと思っているのか!?」
「何が『前途ある若者』だ! お前の場合『前途多難なバカ者』だろ!」
巧いことを言う。
なんて関心してる場合じゃない!?
いつのまにか教室に引きずり込まれちゃってるじゃないか!
「は、放せ雄二! 僕はのんびりしてる暇は無いんだ!! 後のことは君に任せるよ!」
「フザけんな! いつものパターンならこれはお前の役目だろ! 大人しく俺のためにその命を捧げろ!」
「嫌だよ! なんで僕が雄二のために死ななきゃならないのさ!」
「いつも役に立ってねぇんだからこんな時くらい俺の役に立ってみせろ!」
「だからなんで雄二のために僕が──」
「あの~……」
!
「ひ、姫路!?」
「死ぬとか散るとかってなんのことですか?」
「いやその、えぇと……それは……」
どうしよう……正直に言えば姫路さんを傷付けてしまうし……。
かといって咄嗟に言い訳なんて思いつかないし……。
(雄二、どうしよう……)
(姫路を悲しませたくないだろ? なんとか誤魔化せ)
(そ、そんなこと言ったって何にも思いつかないよ)
(ったく、役に立たねぇな……)
いつものようにアイコンタクトで雄二と話し、僕は音を上げる。
すると雄二は落ち着いた声で姫路さんに説明しだした。
「それはな姫路、オー・ヘンリーの『最後の一葉』の話をしていたんだ。お前も知ってるだろ?」
本当に話していたかのように真顔で誤魔化す雄二。
よくこんな顔で言えるよなコイツ……。
「そっ、そうなんだよ! 秀吉が演劇でやったらしくてね!」
でも僕の知ってる名前をあげてくれて助かった。
知らないものだったら話を合わせることもできなかったよ。
「あ、はい、知ってますよ。とっても感動的な自己犠牲の物語ですよね。木下君がジョアンナ役ですか?」
「っ……あー……詳しくは聞いてないが多分そうじゃないか?」
「そうですよね、木下君は女の子の役が似合いますものね。ふふ……」
やれやれ……なんとか姫路さんを傷付けずに済んだようだ。
ナイスだ雄二。今回ばかりは感謝するよ。
「ところで姫路、明久がどうしてもお前のケーキが欲しいと言ってるんだが」
前言撤回!! 史上最悪のクソ野郎だコイツ!!
「ななな何を言ってるのさ雄二! 姫路さんが雄二のために作った物を僕が貰うわけにいかないじゃないか!」
「あ、これは坂本君だけのために作ったわけじゃないんです。翔子ちゃんが一緒に練習しようって誘ってくれて、さっき調理実習室で作ったものなんです」
「へ? そうなの?」
「はいっ、それでお料理が上手な坂本君に味見をしてもらおうと思って持ってきたんです」
「な~んだ。そうだったのかぁ~」
「そうなんですよ。もちろん明久君の分もありますよ」
え゛っ? ……今なんか聞こえちゃいけない台詞が耳に入ってきたような?
ははっ、気のせいだよね。きっと僕の耳がおかしいんだ。
もう一度聞いてみれば別の言葉が返ってくるさ。うん、そうに決まってる。
だがそう自分に言い聞かせる僕の目の前で、姫路さんは腕に掛けているバスケットからカップケーキを取り出していた。
そして満面の笑みを浮かべながらそれを僕に差し出してきた。
「はい、どうぞっ」
その眩しいくらいの笑顔とは対照的に、手にしているケーキからは死の香りが漂ってくる。
これを受け取ったら終わりだ……! 何か……何か逃げる方法は……!
「明久君? 甘いものは嫌いですか……?」
うぐっ……。
「そっ! そんなことはないよ! いやぁおいしそうだなぁ! ありがとう姫路さん!」
姫路さんの悲しそうな目を見てしまった僕は受け取るしかなかった。
ついに僕は差し出される劇物を受け取ってしまった……。
ヤバイよ……どうしようコレ……。
受け取った以上、食べないと姫路さん悲しむよね……。
でも僕もここで命を落とすわけにはいかないんだ。早く美波と合流しないと……!
ハッ! そうだ!
「と、ところで姫路さん、一つ気になることがあるんだけど」
「はい? なんですか?」
「このカップケーキにはどんな材料を使ったのかな?」
「……知りたいですか?」
「うん! とっても!」
材料が分かれば……!
何が入っているか分かれば対処も早くできるはずだ!
「ふふ……それはですね……」
「うんうん」
「食べてからのお楽しみですっ!」
ダメだ……もう助からない……。
片目を瞑り、とっても可愛らしい仕草を見せる姫路さん。
だが僕にはその頭に黒い悪魔の触覚が生えているように思えた。
「明久、お前のケーキは俺のより小さいみたいだな。俺のと交換してやるよ。俺はあんまり腹が減ってないからな」
そう言って雄二が持っているケーキを押し付けてくる。
コイツ、少しでも摂取量を減らして自分だけ助かろうってんだな? そうは行くか!
「いや、いいよ! 僕もそんなにお腹空いてるわけじゃないからさ! 大きいのは雄二に譲るよ!」
「お前、昼飯無かったんじゃないのか? やせ我慢はよくないぞ?」
くそっ……見られていたか。
確かに今日はお弁当が無かったからお腹は空いている。
だがこのケーキは腹を満たす以前に命にかかわる!
「やせ我慢なんてしてないよ! 僕は塩水生活で鍛えていたからね! お昼ご飯くらい食べなくてもそんなにお腹が減らないようになってるのさ!」
「そういうのは鍛えてるって言わねえんだよ!」
「いいから僕に構わずそっちのを食べなよ! 僕は雄二と言い争ってる暇は────もがっ!!?」
「譲ってやるって言ってんだろ! 人の厚意は素直に受け取るもんだぜ!」
雄二が僕の口にケーキを無理やり押し込んでくる。
やられた! 殺人兵器が僕の口の中に!?
「や、やめ──むぐっ」
「姫路の愛情たっぷりのケーキだ。よーく味わって食いやがれ!」
く……なんて力だコイツ……。撥ね除けられない……!
抵抗を試みるも雄二の力には及ばず、僕はついにその物体の全てを口の中に押し込まれてしまった。
あぁ……もうダメだ……。
ごめん美波……もう生きて君に会えそうにないよ……。
こんな劇物が口の中に……こんなにふわふわと柔らかくてメープルシロップの甘みとスライスアーモンドのパリパリとした食感が──
ゴクン
……
……?
……あれ? 何も起こらない……?
それどころかこのケーキ、とってもおいしい!?
「雄二! どうなってるの!? おいしいよコレ!」
「何ィ!? そんなバカな!?」
どういうことなんだ!? いつもなら口に入れた瞬間に魂が抜け出すくらいなのに!
まさか僕の中に毒に対する完全な耐性が出来たのか?
いや、急に僕の体にそんな変化が訪れたとは思えない。
ということは姫路さんがついに普通の料理ができるようになったということか!?
きっとそうだ! そうに違いない!
やった! これでもう姫路さんの手料理に怯えなくていいんだね!
「姫路さん! 凄いじゃないか! おいしいよコレ!」
「本当ですか!? ありがとうございます! 明久君っ!」
「こいつは驚いたな……。明久、お前本当になんともないのか?」
「何言ってるのさ雄二。こんなにおいしいケーキに対して失礼じゃないか」
手足に痺れはない。呼吸も正常だ。体のどこにも異常は無い。
やっぱりこれは普通のカップケーキだ。
いや、普通どころかとってもおいしいケーキだ。
まさか姫路さんの料理を安心して食べられる日が来るなんて思わなかったよ。
あぁ……命の危険に脅かされない日々って素晴らし──
「実はこれの作り方、翔子ちゃんに教わったんです。それにちょっと隠し味を加えてみたんですけど、どうでしたか?」
──え? 隠し味?
と、嫌な予感がしたその時、
「見つけたぞ吉井!」
「こんなところにいやがったか! もう逃がさねぇぜ!」
教室のもう一つの扉の方から男子生徒の声がした。
しまった! FFF団だ! すっかり忘れていた!
くそっ! ここで捕まるわけにはいかないっ!
咄嗟にすぐ横の扉から逃げ出そうとすると、
「おっと。こっちは通行止だぜ」
「ぐ……」
黒いマスクの怪しい人物が出口の向こうで僕を待ち構えていた。
出口を二つとも押さえられてしまったか……。
彼らはじりじりと距離を詰め、僕を教室の中へと戻していく。
「姫路さん! 危ないから吉井から離れるんだ!」
「えっ? 何がですか?」
「吉井! 俺たちの勝ちだな! 観念し──? なんだお前、その手に持っている物は」
取り囲む黒マントの男のうち一人が僕を手の指差して問う。
「ん? コレ? これは姫路さんの手作りケーキだけど……」
「なんだと貴様ッ! 姫路さんからも愛情料理を貰っているのか!? 許せん! そいつを俺によこせ!」
「だ、ダメだよ! せっかく姫路さんの食べら──」
「貰ったぜ!」
取られないようにケーキを後ろに隠すと、後ろに回っていた一人が僕の手からケーキを奪い去ってしまった。
「何をするんだ! 返せよ!」
取り返そうと手を伸ばすと、今度は後ろから突き飛ばされてしまった。
よろめいて机に掴まる僕。
振り向くと三人のFFF団員は奪い合いの喧嘩をはじめていた。
「テメェふざけんな! それは俺んだ! よこせ!」
「嫌なこった! こいつは俺が貰うんだ! 姫路さんの愛は俺のもんだ!」
「貴様に姫路さんの手料理なんて釣り合わねぇんだよ! よこせ! そのケーキは俺にこそ相応しい!」
「なんだとテメェ!」
「上等だコラ! 誰が姫路さんに相応しいか思い知らせてやるぜ!」
どうやら彼らにとっては僕を捕えることより姫路さんのケーキの方が大事らしい。
まぁ気持ちは分かるけどさ。
けどこれは好都合だ。今のうちにさっさと逃げてしまおう。
忍び足でソロリソロリとその場を離れる僕。
だがその時、僕の横を姫路さんが駆け抜けて行った。
そして姫路さんは彼らの前まで行くと、
「皆さん喧嘩しないでください! ケーキならまだありますから!」
と、彼女にしては珍しく大きな声を張り上げた。
FFF団の三人はその声に驚いたのか、喧嘩をピタリと止めた。
「皆さん仲良くしてくださいね。喧嘩をする人にはあげませんよ?」
「「「はーい」」」
すっかり大人しくなり、仔犬のように従順なFFF団。
姫路さんはバスケットを手に取って彼らの方へ歩み寄る。
「はい、どうぞ」
「ありがとう姫路さん!」
「はい」
「おおお……美味そうだ!」
「どうぞ召し上がれ」
「ありがたく頂戴します!」
そして姫路さんは一人一人にケーキを手渡していく。
やっぱり優しいなぁ姫路さん。
こんな恵まれないFFF団にも平等に接してくれるなんてさ。
僕は関心してその様子を見守っていた。
すると、そこへもう一人の訪問者が現れた。