「できたっ!」
「……ん……?」
急に美波が声を上げ、僕は目を覚ました。
いつの間にかウトウトしていたようだ。
「できたって……何が?」
「お待たせアキ」
どうやら終わったようだ。
「あぁ、終わったんだね」
「うんっ。アキ、右手を出して」
満面の笑みを浮かべながら美波が言う。
「右手? こう?」
僕は言われるがままに右手を差し出してみた。
すると美波は後ろからベージュ色の何かを取り出し、僕の右手を覆うように被せた。
「うん。ぴったりね」
「? ……これは?」
僕の右手には毛糸の手袋がはめられている。
サイズも丁度良く、指を動かしてみるとしっくりと来る。
「クリスマスプレゼントよ」
「へ? クリスマス?」
クリスマス……クリスマス……?
「あっ……! もっ、もしかして今日って二十五日!?」
「違うわよ。今日は二十四日。クリスマスイブよ」
「あ、そっか、クリスマスイブか……」
喧嘩のことですっかり忘れてた……。
「忘れてたの? アンタってホント忘れっぽいわね」
「い、いやほら! 昨日あんなことがあったし、今日だってずっとどうやって仲直りしようって考えてたり、午後は午後で清水さんたちとあんなことになっちゃったし、だから……その……ゴメン……」
「別に謝らなくていいのよ。アキのことだから忘れてるかもって思ってたし」
「そんなぁ……」
「ふふ……それ、一生懸命編んだんだからね。どこかに引っ掛けたりするんじゃないわよ?」
ん? 編んだ?
言われて再び手袋をよく見てみる。
きめ細かく編み込まれたベージュ色の手袋。
しかしよく見ると所々編み目に不揃いな箇所があり、苦労の跡が伺える。
手の甲の部分には、赤い毛糸で小さく”MINAMI”という文字が編み込まれていた。
これは……手編みの……手袋?
「でもなんとか間に合ってよかったわ。補習授業なんか無ければもっと余裕をもってできたのに」
「へっ? ちょ、ちょっと待って美波、もしかしてずっとこれを作ってたの?」
「そうよ? 編み方の勉強をしながらだから大変だったんだからね?」
「え? 勉強……って……もしかして姫路さんにも教えてもらえない勉強って……」
「これのことよ」
そう言いながら美波は鞄から一冊の本を取り出し、僕に見せた。
『編み物 入門』
その本にはそんなタイトルが書かれていた。
「編み物……? あ、あれ? おかしいな。じゃあ葉月ちゃんが言ってたのって何だったんだろう……?」
「葉月? 葉月が何か言ったの?」
「一昨日の夜に葉月ちゃんから相談されたんだよ。美波が朝まで勉強してるから助けてほしいって」
「そうね。確かに朝まで勉強してたわ。だって補習授業なんかあったから時間が足りなかったんだもの。でも編み方の勉強よ?」
「で、でも両手に鉛筆を持って勉強してたって……」
「はぁ? 何言ってるのよ。そんなことできるわけないじゃない。バカね、常識で考えなさいよ」
「えっ? あれ? でも葉月ちゃんがそう言って……あれ……?」
「あっ……分かった。きっとこれのことね」
美波は再び鞄に手を入れてゴソゴソと探ると、二本の棒状のものを取り出した。
「葉月ったらこれを鉛筆と見間違えたのね」
これは……編み棒?
「なんだ、そうだったのか……」
「まさか葉月がそんな勘違いをするなんてね。でもアンタも気付きなさいよね」
「ご、ゴメン……」
そうか、そういうことだったのか……。
やっとすべてが理解できた。
葉月ちゃんが言うように、美波は期末テストが終わってからずっと勉強をしていたんだ。
でもそれは姫路さんの言ったとおり学校の科目じゃなくて、この編み方の勉強だったんだ。
確かにこれは姫路さんにも手伝えないことかもしれない。
だからあの時、姫路さんの申し出を断ったんだ。
もともと美波の頭の中には今日までの予定が組まれていたのだろう。
それが補習授業なんてものが割り込んで来て、予定が狂ってしまったんだ。
だからこれを今日までに完成させるには徹夜するしかなかった。
つまりそういうことだったんだ……。
……
一体何をやっていたんだろう、僕は……。
帰り道、眠そうにしていた美波の姿。
美波のことを心配して僕に助けを求めた葉月ちゃんの姿。
そして昨日の夕方。喧嘩になってしまった時の美波の悲しそうな顔。
この四日間の出来事が一気に頭の中を駆け巡る。
僕は姫路さんに協力してもらえば美波も楽になるのだと思い込んでいた。
でも、そうじゃなかったんだ。
僕のために一生懸命こんな物を作ってくれていたのに……。
あんなになるまで寝る時間を削って……。
あんなに無理をして……。
机に向かって懸命に編んでいる美波の姿が脳裏に浮かぶ。
同時に胸が締め付けられるような感覚が襲ってくる。
きっと毎晩眠い目を擦りながら作ってくれていたのだろう。
それなのに……あんな喧嘩をしてしまって……。
なんてバカなことをしたんだ……。
次第に頭が熱くなってきて、胸の辺りがぞわぞわする。
「……っ……く……」
寒気にも似たその感覚に僕は戸惑い、歯を食い縛っていた。
「アキ? 泣いてるの?」
!
美波に言われて気付いた。
いつの間にか僕の両目からは熱いものが溢れてきていた。
「ち、違うよ! そんなわけないじゃんか! 風が冷たくて目に染みただけだよ!」
僕は美波に背を向け、袖で目元を
だがそれでも熱い液体は止まらず、頬を伝って流れ落ちた。
「アキ……」
なんで……嬉しいのに……こんなに嬉しいのに……涙が溢れてくるんだよ……。
「……ずっと黙ってて、ごめんね」
美波はそう言いながら僕の背中に体を寄せる。
「それから……心配してくれて、ありがと」
「心配するに……決まってるじゃないか……」
「うん……」
「だから……お願いだよ……もうこんな無理は……しないでよ……」
「それは……約束できないかな」
「ならその時は……僕が……! 止めてみせる……!」
「……アキにできるかしらね」
「できるさ!」
「ぁ……」
僕は美波に向き直り、ぎゅっと強く抱き締めた。
華奢な美波の体は僕の両腕の中にしっかりと納まる。
もうこんな辛い思いをしたくない──させたくない!
僕のために美波が頑張ってくれたのは嬉しい。けど、そのために無理はしてほしくない。
昨日は気付かずに喧嘩になってしまった。
こんなに立派な手袋を作ってくれていたのに。こんな素敵なプレゼントを……。
──プレゼント?
「そっ、そうだ! プレゼント!」
クリスマスプレゼントは交換するもの。
美波がくれたプレゼントにお返しをしなければならない。
けど、今日が二十四日であることすら忘れていた僕にその準備があるはずもなかった。
何か無いかと念のため鞄を開いてみると──
『折り目の付いていない教科書』
『真っ白なノート』
『ペンケース』
『漫画』
『携帯ゲーム機』
『ゲームソフト』
『DVD』
ダメだこんなのじゃ……。
「ごめん美波。何にもあげられる物が無いや……」
「? どういうこと?」
「だってクリスマスプレゼントって交換するものだろう?」
「あっ、ううん。ウチはもう貰ったからいいの」
「へ? 何かあげたっけ? ……あ! もしかしてあのネックレスのこと? あれはお詫びの印というかなんというか……と、とにかくクリスマスプレゼントとは違うんだ!」
「分かってるわ。だってこれをくれたのって一カ月以上も前じゃない」
美波が胸元に手を添えて答える。
「あ……それもそうか」
「これとは別に貰ってるの」
「別に……?」
おかしいな。何かあげたっけ? 僕が忘れてるだけか?
いや、そんなことは無いと思うけど……。
「それはね」
美波はそう言いながら僕の肩に頬を寄せてきた。
そしてこう付け加えた。
「ここにあるの」
ここ……って?
もしかしてこの上着? 寒いからこのジャケットが欲しいってこと?
……そんなわけないか。
「あのね、アキ」
「うん?」
「空気っていうのはね、人が生きていく上で絶対に必要な物なのよ」
「生きていく上で……そうだね」
「だからね、ウチにとってアキはね……」
「うん」
「……」
?
「僕は?」
「……」
美波は目を閉じ、それ以上何も言わなかった。
黙って僕の左腕に抱きつき、幸せそうに笑みを浮かべていた。
僕は自他共に認めるバカだ。
けど、こんな僕でも美波の言いたいことは分かった。
空気というのは昼休みに美波が僕に言った言葉だ。
きっとあの時の言葉を訂正したかったのだろう。
それもただ謝るのではなく、別の解釈を与えることで。
そう。空気は人が生きていく上で必要不可欠なもの。
つまり……。
──美波は僕を必要としてくれている。
つまりそう言いたかったんだと思う。
僕はこの想いに応えなくちゃいけない。
「美波」
「うん」
「僕、がんばるよ。美波を幸せにできる大人になれるように」
「うん……」
「僕、変わってもいいよね?」
「……ダメ」
「だ、ダメなんだ……そっか……」
「嘘。いいよ。ただし……」
「ただし?」
「ウチを離さないって約束だけは……ずっと守ること」
「……あぁ、もちろんさ」
街灯の灯りが美波の瞳を輝かせる。
その潤んだ大きな瞳は僕の顔が映り込んでいるように錯覚するほど、じっと僕の目を見つめている。
僕はその吸い込まれそうなくらい綺麗な瞳に目と心を奪われてしまった。
「「……」」
胸が詰まるような感覚が僕の口を
美波はそんな僕に何かを言いたそうな眼差しを向ける。
島田美波。僕の一番大切な人。
美波はこんな僕を必要だと言ってくれた。
言葉にこそしていないが、向ける眼差しがそう言っている。
でもそれは僕も同じ。
美波は僕にとっても欠かせない存在なんだ。
僕たちはお互いの目を見つめ合ううちに、いつしか顔を寄せ合っていた。
「アキ……」
美波が小さく囁き、潤んだ瞳を静かに閉じる。
拒む理由は何も無い。僕だってこの胸の奥から湧き上がる熱い想いを伝えたい。
僕もゆっくりと目を閉じ、更に顔を寄せていく。
やがて唇同士が触れ合い、柔らかくて熱いくらいの美波の唇の感触が伝わってくる。
僕は息を止め、この口づけに想いのすべてを込めた。
──── 愛してる ────
と。
「メリークリスマス。美波」
「メリークリスマス。アキ」
クリスマスを祝う言葉を掛け合い、僕たちは再び見つめ合う。
再び街灯の灯が美波の満面の笑みを明るく照らす。
僕は堪らなく
美波はこれ以上無いくらいに幸せそうな笑みを作り、僕の肩に頭を
今日はクリスマスイブ。
夜空に雪が舞うようなロマンチックな光景は無く、ただ冷たい風が吹き抜け、頬を切る。
僕は今、恋をしている。
目の前の素敵な女の子に。
掛け替えの無い、僕の一番大切な人に。
だからこんなに冷たい風の夜でも心が熱く、胸がドキドキと高鳴っているんだ。
美波の心が籠もったこの手袋。
最高のプレゼントであることは間違いない。
けれど、それよりもっと素敵な、僕にとっての一番のクリスマスプレゼント。
それは今この瞬間。
美波が一緒にいてくれること。
この時が永遠であってほしい。
僕は心からそう願った。