「吉井。この答えを書いてみろ」
「……」
「吉井。聞いているのか吉井!」
「おい明久。鉄人が呼んでるぞ。返事をしたほうがいいんじゃねえのか?」
「ほぇ? ……あ」
雄二の声でようやく自分の目の前にそびえ立つものに気付いた。鉄人だ。
どうやら僕は鉄人に指名されていたらしい。
「吉井。何をぼんやりしているんだ。この問題を答えろと言ってるんだ」
「……えっと……分かりません……」
「ハァ……お前、問題を聞いていなかったな?」
もともと授業なんてほとんど聞いていなかった。
でもこの時間は本当に何も耳に入っていなかった。
さっきのことが頭から離れなくて……。
「……すいません……」
「しょうがない奴だ。それじゃあ須川、答えてみろ」
「えっ!? お、俺ッスか!?」
「なんだ、お前も聞いていなかったのか?」
「先生! 俺を吉井と一緒にしないでください! 俺はただ答えが分からないだけです!」
「馬鹿者! それでは同じことだ! まったく……お前らを教えるのは骨が折れるな……。姫路、模範解答を見せてやれ」
追加の補習だとでも言われるかと思ったけど、鉄人は僕に何も罰を下さなかった。
僕がまだ悩んでいることを知ってのことだろうか。
本来ならば見逃してくれたことに感謝しなければならない。
けど、僕の頭はさっきのことで一杯だった。
黒板の前では指名を受けた姫路さんが解答を書いている。
隣を見ると美波が虚ろな目を教科書に向けていた。
僕も手に持っている教科書に目を向け──いや。教科書の前の空間をぼんやりと眺めながら、再び物思いに耽った。
……
きっと美波は久保君と勉強してるんだ。
だから僕や姫路さんと一緒にできないんだ。
久保くんは学年主席の霧島さんと争うほど頭がいい。
それに背も高いし、キリッとした眼鏡が似合うハンサム顔だ。
何度か話した感じでは優しくて、性格も良さそうだ。
それに対して僕はFクラスの中でも底辺に近いバカで『観察処分者』の保持者でもある。
正直言って容姿にも自信は無い。
僕が久保くんより劣っているのは誰が見ても明らかだ。
美波だって僕みたいなバカと一緒にいるより、久保くんみたいな優秀な人と一緒の方が勉強も捗るだろう。
それが美波のためなら……僕は……。
……
はは……バカだなぁ僕は……。
前から分かってたじゃないか。
僕と美波じゃ釣り合わないなんてさ……。
☆
「この科目はここまでだ。補習授業は昼休みを挟んであと一科目で終わりだ。気を抜くなよ」
「「ぃよっしゃぁ!!」」
鉄人の言葉に部屋中から歓声があがる。
どうやら四時間目が終わったようだ。
補習は残り一時間らしい。
「ただし! 朝にも言ったが一人でも逃げる者がいたら全員追加補習だ。肝に銘じておけ! では一時間の休憩とする」
鉄人は威嚇するようにそう言い残し、教室を去っていった。
昼休みか。お弁当は無いしな……。
何気なく上着のポケットに手を当ててみると、カサリとお菓子袋が音を立てた。
……
これを渡してもう一度美波と話そうと思ったけど……。
もういいか……。
美波はきっと久保君と……。
「明久よ。昼ご飯はどうしたのじゃ?」
「……あ」
いつの間にか秀吉が僕の席の前に来ていた。
「島田と弁当を作り合っておったのではないのか?」
「それは……」
「んむ? 今日は無いのかの」
「……」
僕は答えられなかった。
美波の異変。昨日の喧嘩。さっきAクラス前で見たこと。
秀吉に突っ込んで聞かれたことでそれら全てが一気に頭の中を駆け巡る。
僕の頭はもうパンク寸前だった。
「放っておけよ秀吉。今のそいつには何を話しても無駄だぜ」
そこへ後ろの雄二から冷たく突き放すような言葉が投げ掛けられる。
――僕の頭の中で何かがはじけた。
「っ……!」
「あっ! 待つのじゃ明久よ! どこへ行くのじゃ! 明久よ!」
その場にいるのが堪らなく辛かった。
とにかくここを離れて一人になりたかった。
僕は秀吉の制止を振り切って、逃げた。