八神クリニックへようこそ! 作:ナンジェイ
オレの住んでいる海鳴市は、文字通り海が隣接した湾岸都市だ。臨海公園では気持ちのいい潮風が吹き、夕陽が落ちた頃の景色の何足る美しい事か。過ごしやすく絶景箇所も多いため、デートスポットに選ばれる事も少なくない。
休診日の今日。何故か仕事場のクリニックにいたオレとシャマルは午後まで書類仕事を行い、気が付けば職場をあとにして妹を迎えに図書館へと赴いていた。と言うわけで現在目の前には巨大な図書館があるわけで……
「相変わらず広いな。そして土曜日にも関わらず文学少年、少女の何足る多い事か」
「読書はとても良い事だと思いますよ。語彙力を身に付ける一番の方法だと私は思います」
「まあ、そうだろうな……」
館内へ入り、あちらこちらで本を貸し出したり読み耽る少年少女達を、微笑ましく眺めながらシャマルと二人話をしていた。確かに読書は教養を身に付けるのに打ってつけだが、チミ達『蜘蛛の足』とか『銀河鉄道の朝』とか難しい本ばかり読みすぎじゃないですかね? 個人的には『ノーマルハンド輝』とか『ホワイトジャック』とか解りやすい医学関係の本をお薦めしたいんだが。
「確かそれってお兄さんの好きな漫画でしたよね、どうやったらそれで医師免許取れるんですか……」
おっと気付かない内に心の声が漏れていたらしい、何故かオレの本心にシャマルが呆れているがどうしてだ? 良いじゃん『ノーマルハンド輝』、良いじゃん『ホワイトジャック』、漫画馬鹿にすんなよ! ……ただ一言言わせてもらいますと、シャマルさんオレ大学行って医師免許取るためにそれ相応の勉強しましたからね?
彼女から理不尽な評価を受けていると、図書館の一画で仲良く話しながら本を読んでいる茶髪の少女と赤い髪の少女を発見した。茶髪の少女が座っているのは車椅子……見付けたな。
「よ、随分盛り上がってるみたいだな?」
「あ、兄ちゃんや! こんな時間にどないしたん?」
「兄貴、はやてが薦めてくれたこの本面白いぞ!」
声をかけてみると、不思議そうな顔で見詰めてくるはやての隣、本を片手に赤い髪の少女……ヴィータが勢いよく飛び込んできた。ああ、嬉しそうなヴィータかわええ……彼女はシャマル含めて特別な事情があるのだが、兎に角オレの自慢の家族です。特にヴィータは我が家の癒しとなっています。
そしてそんな風に笑顔のヴィータを撫でながら癒されていると、シャマルが何とか言い訳を考えてくれて、はやてに説明してくれたようだ。ありがとうシャマル、とても気絶している婆さん放り出したなんて言えないもんね。いや、今日は一人も患者がいなかったんだ……そうだったそうだった!
「ふーん……兄ちゃんが問題起こさずに仕事をしたってのは、ちょう違和感あるんやけど……まあ、ええか。たまには真面目にするやろうし」
シャマルの説明を聞いたらしい我が妹からは絶賛疑惑の目を向けられております……ああ、やっぱり信用ないのねオレ。これ兄貴としてどうなの? 世間一般のお兄さん達はどうやって兄の威厳を見せているのか聞いてみたい……
あんまり談笑していると周りの人間にも迷惑なので、会話も程々に何冊かはやての借りたい本を手に受付を済ませ、図書館をあとにする。
「さて、少し早いが今日は家で寛ぐか」
「あ、待って兄ちゃん。冷蔵庫の中減ってきたから、今日お買い物済ませときたいんやけど……」
帰宅すべく車椅子を押していると、はやてが顔を後ろに向けて此方を見上げてきた。時間もまだまだあるし、はやての言う通り買い物をしてから帰る事にするか。
道中、ヴィータがはやてにおやつをおねだりして許可をもらった後の笑顔の眩しい事眩しい事。はやてやシャマルもその様子に笑みをこぼし、オレもつられて笑っていた。やっぱりヴィータは我が家の癒しやで……
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オレが医者を志した理由、それは我が妹はやてが車椅子生活をしているのと何ら無関係ではない。時は六年前、オレが当時高校最後の生活を過ごしていた頃にまで遡る。
親父とお袋は事故で前年に他界し、家族はオレとはやての二人きりでの生活。それでもお金は両親が充分な額を遺してくれ、後見人としてある人物が名乗り出てくれたため施設へ移る事もなく、オレ達自身の希望もあって家での生活を続けていた。
当時三才ながらはやては聡く、我が儘を言わない出来た妹だったが、それでも三才児だ。オレが学校に行っている間は心細いだろうし、だからこそ妹を寂しがらせないために毎日授業が終わって真っ直ぐ帰路へと着いていた。
そして、その日も──何でもない一日の筈だった。
「にいちゃん……あしが、うごかへんねん」
家の玄関を開け、いつもなら飛び付いてくるはやてが目の前で倒れていた。その時は理解が追い付かない中、慌ててはやてを抱えて病院へ連れて行ったもんだ。今思えば冷静に救急車を手配するべきだったな。
夕暮れ時。市内で一番大きな病院へ駆け込み、緊急検査を受けて判明した事実は、理不尽極まりないものだった。
「一通り検査を行いましたが……何処にも異状は見当たりません。原因不明の麻痺による、半身不随です」
「妹は……歩けるようになるんですよね?」
「現状では判断できません。ただ、私共も妹さんの病状を改善できるように尽力致します。一先ず、本日は入院をしていただいて──」
あの時は担当の石田先生に申し訳ないくらい暴言を吐いたと思う。そう言えば、その事をまだ彼女には謝っていなかったか。今度お詫びの品と一緒に顔を出しておこう。
病院では原因不明と言われ、実質治らない不治の病と宣告されたようなもの。この時オレは誓った、コイツらが治せないならオレがはやてを治してやるんだって。オレ自身の手で、妹の足を動かせるようにしてやると。
当時は既に進学か就職かを決める時期を迎えており、卒業後は声を掛けてもらっていた工場に勤める予定だったが、それを断って急遽進学へ変更した。必死に勉強をして、何とか医学部に進学出来たのは奇跡に近かったか。
ただ、知識を身に付けていく中で……オレを襲ったのは何も出来ないという無力さだった。調べれば調べるほど、勉強をすればするほど原因が分からない。はやてや当時バイトをしていた喫茶店の人達に支えてもらっていなかったら、挫折して今も心が折れたままだっただろう。
そして無事に医学部を卒業し、医師免許を取得して、研修やらなんやら済ませて今オレはここにいる。
「兄ちゃんの医者になった理由が、『看護婦さんとあんな事やこんな事したい!』やねんで? 全く我が兄ながら情けないわ……」
「あはは……それはここ一月で充分理解できました」
……人が折角それらしい泣ける理由を語っていたのに、水を差すような事言わないでくれませんかね? いや、看護婦さんと夢のような一時をって考えてたのは確かだけど……でもはやての足を治したくて医者を志したのは本当だよ!
「兄貴、はやてとシャマルが話してるのって何の事だ?」
止めてヴィータ、その純粋無垢な瞳でこっちを見上げないで……可愛いから許すけども。因みにはやてが話しているその理由は件の石田先生含め海鳴総合病院の人の殆どに知れ渡っています、八神クリニックにオレとシャマル以外いないのはそのため。良い給料出しますんで誰か来てくれませんかね?
「まあ、こんな兄ちゃんでも良いところは沢山あるんやけどな……」
臨時募集の貼り紙出しても町で声を掛けても逃げられるし……ん? 今はやてが何か言ったような気がするが……気のせいか。でもはやてとシャマルは二人して何でオレを見て笑ってるんですかね……
あれか、家族の中でもオレは笑い者なのか。何か泣きたくなってきた……あと仲間外れになったと思ったのか、服の袖を引っ張ってきて寂しそうな表情のヴィータかわええ。
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「王の帰還である!」
買い物も無事に済まし、我が家へと帰ってきました。八神家の扉を開き、仁王立ちで玄関にて待ち構えます。はやては呆れた様子でシャマルは苦笑いだけど、これしないと帰った気にならないんだよ。
暫くその場で立ち尽くしていると、奥からドタバタと足音を響いてくる。そして……桃色の髪をポニーテールに纏めた女性が傍へ駆け寄り、目の前で片膝を着いて頭を垂れる。
「お戻りになられましたか、主はやてと兄上。ご無事で何よりです」
「ただいま、留守番おおきにな」
「苦しゅうないぞ、顔を上げいシグナムよ」
「はっ!」
厳格っぽい雰囲気を出しながら返すと、彼女は凛とした表情で立ち上がった。因みにこの女性は、シグナムという名前の自称剣士だ。シャマルやヴィータと同じく、とある事情で我が家に住んでいる。いちいち真面目な性格なので、毎回こうやって返してくれるのは有難い。そのお陰でオレがスベらずに済むので今後も続けてほしい。
満足のいくやり取りに一人頷いていると、突然シグナムがオレの隣に立っているヴィータへ鋭い視線を向け始めた。どうやらヴィータとその手に持ったお菓子に視線がいっているようだ。
「また主と兄上にお菓子をねだったな……いい加減にしろ、ヴィータ。それでもヴォルケンリッターに属する鉄槌の騎士か?」
「うるせぇ! はやてが良いって言ったんだからいいだろ!」
シグナムの威厳に満ちた声に、ヴィータはオレの背に隠れながら言い返していた。もう、なんでこの子はいちいち行動が可愛いんですかね? はやての足の麻痺の次に原因不明なんだが。
シャマルがシグナムを宥めつつ、オレは車椅子から手を離して五人とも家の中を進んでいく。リビングに着くとシャマルは買い物袋片手にはやてと冷蔵庫へ、オレとヴィータとシグナムの三人はソファーに腰を下ろした。
「お戻りになられたか……今日はまた随分と早いご帰還ですな」
「ああ、仕事も早く切り上げてな……って、シグナム今喋ったか?」
「いえ、私は何も」
「ヴィータ、の話し方じゃなかったよな?」
「? アタシは何も話してないぞ」
え? じゃあ一体今のは誰が? はやてもシャマルも台所だし、他に人がいるはず……
辺りを見渡してみるが、リビングにはオレを含めた三人しかいない。何だ、やっぱり空耳か。テレビでもつけよう。
「夜にならないと面白い番組もないか……ん?」
番組表を眺めていると、突然足元でもぞもぞと動くので気になって視線を下に。何だ、ザフィーラじゃないか……因みにザフィーラはうちで飼っている大型犬で、白いたてがみが特徴の青い犬です。個人的には赤いつぶらな瞳がお気に入り……どうした? お腹でも空いたか?
「いえ、お戻りが早かったので何かあったのかと」
「何だ、そんなこと、か……」
「? どうなされた?」
「シャベッタァァァァァ!」
ごめんなさい、ザフィーラさん。貴方が喋る事は知っているけど言わないといけない気がして。
我が家の犬は喋ります、これはヴィータの可愛さの次に原因不明。医学の何と無力な事か……