八神クリニックへようこそ!   作:ナンジェイ

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カルテ7

 

 

 

 今日は八神クリニックの休診日である。そして、我が妹はやての定期検診の日でもある。シャマル達に買い物や留守番を頼み、現在兄妹水入らずで海鳴市の総合病院へ訪れていた。

 

 そこでだ。どうして医者のお前が診ないのかという疑問が生まれるだろう。先に答えておくが、ただ単に設備の優劣で総合病院へ検診に行かせているだけだ。検査結果は細かいデータまで提供させてもらっているし、日常生活でもはやての足には常に気を配っている。僅かな変化を見逃さず、また治すために原因の追究も怠らない。半身不随の原因と完治を目指し、その辺りはこれからも総合病院と連携を図っていく予定だ。

 

 そして、はやてが看護師に連れられて検査へと向かう最中。オレはある女性と話すべく、一人診察室の扉を開いた。

 

 

「久し振りね、松。取り敢えず席に座りなさい」

 

 

 クルリと椅子を反転させ、此方に振り向いたその青髪の女性の名は石田幸恵。ここ海鳴市の女性医師であり、はやての主治医を担当する人物。研修でここにいた時に世話になった人であり、誰とでも分け隔てなく接する事のできる、他人の悩み事にも親身になって相談に乗ってくれる非常に出来た人だ。

 

 普段ははやてを院内に送って外で待つオレだが、今日は彼女と話をするために入りたくもないこの病院へわざわざ出向いた。一先ず手に持った袋を渡し、戸惑いを見せる石田先生へ頭を下げる。

 

 

「ちょ、ちょっと。いきなりどうしたの?」

 

 

「六年前の件を、まだ謝っていない事に気付きまして。今更ですけど頭を下げさせてください」

 

 

──三才の子の足すら治せないで医者? 冗談も大概にしろよ、全員研修医からやり直せよ……ッ!──

 

 

 六年前、この場所で彼女へ言い放った言葉を思い返し、下げていた頭をより深く落とす。仮にも診察してもらっていた立場のオレが、怒りと動揺で我を失っていたとはいえ言っていい言葉ではなかった。今でも思うがあれはない、正直自分の神経を疑うレベルの暴言だ。

 

 医者という職業の難しさを知らなかった、それに子供の戯れ言だと殆どの人は許してくれるだろう。けれど、オレ自身が医師としての職務を全うしている今、やはり周りが許してくれたとしても、オレが許すわけにはいかない。少なくとも、彼女に許しを乞うまでは。

 

 

「本当に今更よ。あれで先生、医師としての自信ちょっと無くしちゃったんだから」

 

 

「いや、返す言葉もありません」

 

 

「ふふ……冗談よ。でも、あの少年が今では立派な開業医か。人生って何があるか分からないものね」

 

 

 頭を上げてと、彼女のその声に深く下げていた頭を上げ、石田先生の顔を視界に捉える。にこやかなその笑みは当時も今もそのままで、変わらずオレ達兄妹の事を見守ってくれていたんだと思わせた。

 

 余りこういった話ばかりしているとお互いに気が滅入ると、話も無理矢理そらして次にオレが研修医の頃の話題へと移る。

 

 

「そんな事より、貴方がここにいた頃の方が私は頭を抱えさせられたわよ?」

 

 

「え? 結構病院に貢献出来たと思いますし、迷惑掛けたつもりもないですけど」

 

 

「貴方ねぇ……『一時間の奇跡』の件は言い逃れ出来ないわよ?」

 

 

 石田先生のジト目が突き刺さる。ああ、あれがあったか。いや、確かにあれはやり過ぎた。と言うか身の程知らずにも程があった。石田先生初め当時の院長にはめちゃくちゃ怒られたし、現場視察に来ていた学会の人の計らいがなかったら医師を続けられているか微妙なところだ。

 

 虚血性心疾患という病気をご存知だろうか。冠動脈の閉塞などが原因で、心臓の筋肉へ充分な量の血液が送られないこの病気だが、その治療法の一つとして冠動脈バイパス手術という方法がある。

 

 別の動脈から血管を繋げ、閉塞した箇所にバイパスを設けて血流改善を図るこの術式。これが心臓動いたまま行うからやりにくいのなんのってもんじゃない。おまけに作業は数ミリ単位の血管を結合する精密さを要す。うん、研修医が初めて執刀する手術(オペ)じゃないね(白目

 

 元々心臓外科の先生が執刀医を担当していたんだけど、手術当日に食あたりで倒れてしまった。他の先生も何名かいたけど、みんなして執刀医を務める事を渋った。その理由が、当時八十二才という高齢患者の体力が余りにも無さすぎるからというもの。

 

 開胸手術は患者の体力を消耗する。それに冠動脈バイパス手術となると長時間を要する事もある手術。本来担当していた先生は心臓外科医でも有名な人で、その手術を二時間程で行う事の出来る名医だった。他の人は頑張っても四時間は超える、患者の体力が無いって聞いたらそりゃあ誰もやりたくない。誰だって患者を自分の手術で死なせたくないからだ。

 

 そこでオレが名乗りをあげた。心臓外科と脳外科は専攻していたし、多分なんとかなるって思ったから。そして終わってみたら一時間の最速タイム、あの時の拍手喝采は気持ちが良かった事を覚えている。

 

 

「誰も執刀しないんだったら、オレがやるしかないって思いまして。原因の分かってる病気も治せないで、はやての足を治せるかよって調子に乗りました。反省しています」

 

 

「全くよ。名目上は専門医でもない私が執刀医にさせられたから、マスコミやら医学会の人達の対応で忙しかったし。認定医の研修勧められた時はどうしようかと思ったじゃない」

 

 

「いいじゃないですか。当時『神の手を持つ美人女医!』とか、『海鳴総合病院が誇る可憐なメス使い』なんて特集されたんでしょ?」

 

 

「いいわけないでしょ! その手の記事は全部取り下げてもらったわよ、内密に貴方が執刀医を務めたって教えてね」

 

 

 なん……だと……!? もしかして、総合病院辞めて開業する時に色んな所から誘いやらなんやら来たのはそれが理由なのか!? いや、おかしいとは思ってたよ? 確かに開業するには若いけど、それだけで取材があんなに来るとは思わなかったから。そういう事だったのね……

 

 えっと、じゃあ……今もたまに海外から誘いが来るのはそれが理由?

 

 

「そうなんじゃない? 貴方みたいな人材、うちを含めて何処の病院だって喉から手が出るほど欲しいわよ。脳に循環器系、身体のあらゆる部位から精神疾患まで殆どの専門分野を一人で診ているの貴方くらいよ?」

 

 

 人差し指をピンと立てて、石田先生は笑みをこぼしていた。そ、そうだったのか。意外とオレって優秀だったのか……もう少し自重しなければ。取り敢えずうちのクリニックの看板に書いてある『診療科全部』っていうやつ作り変えよう。

 

 ただ、総合病院の近くでオレが開業したのは彼女達にとっても都合がいいらしい。

 

 

「貴方が患者の病状から的確に原因を見つけてくれるから、推薦でうちに来ても迷う事なく診察出来るのはありがたいわ。余計な手間が省けるし」

 

 

「そこら辺はこれからも良きお付き合いをお願いします」

 

 

「ふふ……此方こそ、八神医院長?」

 

 

 あの、からかうのやめてもらえませんかね? いやまあ普通に言ってるのかもしれないけど、この人が言うとなんか含みがあるからバカにされてる気が……

 

 そんなこんなで世間話も程々に、石田先生と別れていつも通り病院の外ではやての検査が終わるのを待ちます。途中院内の看護師達を引き抜こうと声を掛けたけど悉く断られました。

 

 ……オレめげないもん(涙

 

 

 

ーーーーーーーー

 

 

 

「はやてさん、体調の方はどう?」

 

 

「はい。足が動かへん事以外は調子ええです」

 

 

 一通りの検査を終えて診察室に戻り、今度は担当医の石田先生の診察タイムへと移る。腕を大きく振って自分が元気な姿をアピールすると、石田先生はにこりと微笑んで頭を撫でてくれた。

 

 先生の手はとても優しくて、こうして撫でてもらうと胸がぽかぽかと温かくなる。そうやな……兄ちゃんの次くらいに気持ちがええかも。

 

 

「……ごめんなさい、はやてさん」

 

 

「え? 急に謝るやなんて、石田先生どないしたんですか?」

 

 

「はやてさんはこうして頑張ってくれてるのに、私達は結果を残してあげられない。あれからもう六年も経つのに……」

 

 

 突然石田先生が頭を下げたので何事かと思ったんやけど、そのあとの言葉を聞いて更に驚いた。いつも私を元気付けようと励ましてくれる先生が、急に弱気な発言をしたからや。

 

 今まで私の石田先生に対する印象は、優しくて、強くて、頼もしい女性やなって感じやった。大人になったら私もこの人のような女性になれるんやろうか、そんな憧れも少なからずある。でも、今の先生からは全然力強さを感じない。

 

 最近何か悩むような事でもあったんやろか? ……あ、もしかして。

 

 

「先生、もしかしてうちのバカ兄が何か言ったんですか?」

 

 

 今日は珍しく兄ちゃんが一緒に病院の中へ入った。そして、私が検査に向かう途中でここへ入っていく兄ちゃんの姿も見えた。もしかしたら、もしかしなくても兄ちゃんが石田先生に失礼な事を言ったのかもしれん。

 

 何か兄ちゃん総合病院に敵意丸出しやし、いつか看護師全員引き抜いてやる! とか訳の分からん事も言うてたし。

 

 

「そうね……松に関係する事は確かね」

 

 

 ほらやっぱり。兄ちゃん石田先生に失礼な事言うたんや、全くあのバカ兄ときたら……! 今日の兄ちゃんの夕飯はカップラーメンで決まりやな、慈悲はないで。寧ろカップラーメン出すだけでもありがたく思ってもらわんとな。

 

 そんな風に一人勝手に献立を決めていると、私の顔が不機嫌になっている事に気付いたのか。石田先生が少し慌てて声を上げた。

 

 

「ええっと、松が悪い訳じゃないの。私が勝手に劣等感を抱いてるだけなのよ」

 

 

「劣等感……ですか?」

 

 

「ええ。もし松がはやてさんの担当医だったら、今頃足も治ってるんじゃないのかなって……先生がこんな事言っちゃ駄目よね」

 

 

 本当に今日の石田先生はどうしたんやろか? 終始表情は暗いし、その誤魔化すような苦笑いには私もちょっと心苦しさを覚える。

 

 大人の女性がたまに見せる弱さはギャップ萌えするなんていう話を聞いた事はあるけど、今の先生の様子は何か違う。ここは普段お世話になっとる身として、励ましてあげな!

 

 

「先生は何か勘違いしてませんか?」

 

 

「……え?」

 

 

「私は兄ちゃんが医者としてどのくらいの腕なんかーとかは分からへんけど、少なくとも石田先生がうちの兄に劣ってるとは思いません。だって、兄ちゃんは担当医の先生以上に私を診てくれとるし、その兄ちゃんが未だに治せへんもん……先生が治せなくても、それが兄ちゃんに劣ってるっていう理由にはならない、って私は思います」

 

 

 石田先生にはちょっと悪いけど、本当は兄ちゃんが世界で一番のお医者さんやと私は思っとる。私の足を治してくれるのは兄ちゃんや、そんな期待があるのは今も昔も変わらへん。

 

 でも、先生が私の足を治せていない現状が、兄ちゃんより劣ってる理由っていうのはどう考えてもおかしい。寧ろ私が知っている中では、兄ちゃんよりも石田先生の方が真摯に診てくれてるんやないやろか。

 

 

「やから……その、元気出してください。先生が元気やないと、治るもんも治らんと思います」

 

 

 あ、これは流石に生意気やったやろか。慌てて自分の口を手で塞ぐが、言ってしまった後なのでもう遅い。先生ちょっと驚いとるし、生意気言うなって怒られるかも。

 

 なんて一人心配していたのも束の間、不意に頭を撫でられました。

 

 

「ふふ……そうよね、私がここで落ち込んでても仕方無いわよね」

 

 

「えへへ……やっと先生笑ってくれました。やっぱり先生にはいつもそうやって笑っていてもらわんと」

 

 

「この……九才児が生意気だぞ?」

 

 

 おでこをピンってつつかれたけど、私にはそれがありがとうって言ってるように感じた。石田先生にはいつも足の事でお世話になっとるから、今日は少しでもその恩を返せたやろか?

 

 

──看護師さん看護師さん、明日からオレのクリニックで働かない?──

 

 

──ええっと……遠慮します──

 

 

──何で!? こんな総合病院のどこがいいんだよ!──

 

 

「あ、あのバカ兄……!」

 

 

「あはは……あの子も相変わらずね」

 

 

 は、恥ずかしい……妹もおるんやからちょっとは遠慮せぇや! 誰が白昼堂々勧誘する馬鹿がおるか!

 

 駄目や、馬鹿につける薬は無いとはこの事や……やっぱり今日は兄ちゃんだけ夕飯カップラーメンやな。

 

 

 

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