Fate/eternal rising [another saga] 作:Gヘッド
やっとこさ、終わりました、第一ルート。まぁ、相変わらず最後までゆるゆるなので、ぜひ楽しんでいただけたら光栄です。
「うっ、もう食べられない……」
たらふく食べたセイギは苦しそうに箸を置いた。顔色を悪くして、痩せた身体から膨らんだ腹をゆっくりとさする。
「いや、食いすぎだろ、オメェ。少食のくせにバカみたいに食いやがって」
「う〜ん、そうなんだけど……、これ残したらきっとヨウの明日の朝食になるでしょ?それはなんか勿体ない気がして……」
こいつはどこまで失礼な野郎なのだろうか。そもそも作ったのは俺なのに、何をほざいていると問いただしたい。
と、思うものの、そんなことしたら口の強いセイギにコテンパンにされることは百も承知。そんな無意味なことは俺のガラスのハートにヒビがはいるので絶対やらない。
俺は席を立ち、鍋に蓋をしてコンロの上に置いた。明日の朝、ちょっと火で温めて食べよう。セイギには悪いが、明日も堪能させてもらおうか。
彼は使った食器を台所まで持ってきてくれた。
「おう、サンキュ」
と言っておきながら、なんだかんだ飯を用意してやったのだからそれくらいセイギが仕事するのは当たり前だと感じていた。まぁ、これぐらいのことはやってくれないと、どう絞めあげようかと思っていたところだったのだが。
しかし、思いがけないことに彼は皿を台所まで持ってきたら、そのついでか食器を洗い始めたのだ。
「洗うよ」
などと笑顔で言いながら、スポンジに洗剤を少々馴染ませていた。
「え?どういう風の吹き回し?だってお前、今までいつも俺に食器を洗わせてたじゃねーか」
そう、彼はいつも俺の家で飯を食うときは常に王様気分なのである。彼が俺の家で飯を食ったあとは必ずと言っていいぐらいにそのようなていたらくぶりである。テレビを見ていたり、俺の部屋から漫画を勝手に持ってきて読み漁ったりと、さながら俺を下僕のように扱うのである。
それが、今まさにこの瞬間、彼は俺の隣で食器を洗っている。
「貴様、何を企んでいる」
「何も企んでないからね。怒るよ」
彼は表層に笑顔を浮かべた。ああ、その笑顔は恐ろしい。なんと面の皮が厚い男か。
二人で使った皿を丁寧に洗う。たわいもない会話をしながら黙々と手を動かす。今日学校で起きたこと、相手が知らないようなこと、下ネタに天気、学業や趣味。特に価値のない、ごく普通の過ぎ行く人生の中で目もくれないような寝たら次の日には忘れていることを笑いながら話した。
それはいつもならどうとでもない会話なのに、とても懐かしく感じた。久しくこのような状況を設けていなかったからだろう。明日の自分たちの生があることを祈り続けているのとは違う、安寧がそこにあった。
そう、その安らかな日々はどこか少し歯痒いものでもある。どうしてなのか、それはなんとなくだが知っている。この一瞬一瞬を無駄にしているような気がしてならないからだ。
皿を洗う手をふと止めた。蛇口から垂れ出る水の柱が手に当たり、不規則な放物線を描きながら流れてゆく。冷たい冬の水はナイフのように尖った痛みを与えてくるのだが、そんな痛みがあまり感じなかった。
こんな俺、意味あるのかな。
頭の中でポッとそんな考えが浮かんでしまった。そんなことはないと思いながらも、それを否定する手立てがなく、首を横に振るだけしかできそうもない。
「ねぇ、ヨウさ、つまらなそうだよね」
セイギは俺の顔から察したのか、はたまた心情を知っていたのか、いきなりそんなことを言ってきた。
「まぁ、確かにな。つまんねぇな」
「やっぱ?で、具体的には、何がつまらないの?」
何がつまらないのか、それは確かに考えたことはないな。何であろうか。
こうやって皿を洗っていることか?いや、これはいつもの日常的な作業であり、やりたいかと言われればそうではないが、別に苦ではない。ならば、こうしてセイギと話していることか?いや、それも違う。セイギと話すことは嫌いではないし、むしろ好きだ。自分の心の中を見透かされている感覚はするが、それでもどこか気が楽になる。とすれば、何だ?自分が自分であることか?ああ、確かにそれは一理ある。セイバーとのことと言い、自分のクズさ加減には驚いた。救いようもない。俺はもう一生、こんなクソみたいな俺のまま過ごさなければならないのだから。だが、だからと言って、俺は俺が嫌いではない。もちろん、好きでもないが、俺はこんな俺でいることを内心諦めてるし、もう受け入れている。多分、つまらないと思っていたのなら、それは遠回りな拒絶だ。
では何だろうか。何がつまらないのか。
「……分かんね、もう全部がつまんねぇ」
「え?全部?アハハ、ヨウらしいね」
「俺らしいか?結構適当に答えたんだけど」
「うん、そういうところも、全部」
う〜ん、やはりいけ好かない。この男みたいなやつはやっぱり得意ではない。
「なぁ、じゃあ、逆に聞くけど俺らしいって何だ?」
突然だが、気になってしまった。彼に俺らしいと言われた。感覚的に理解はできるのだが、言葉として理解ができない。
彼はいきなり哲学的な質問をした俺をクスリとバカにするように笑う。
「フハハッ、いきなり難しいことを聞くね。まぁ、そこもヨウらしいんだけどさ」
彼は洗い物が終わったのか、水を止めた。近くの手拭きタオルで手についた水を拭う。
「どうだろうね、僕も分かんないや」
「おいおい、まじ、そういうの求めてないから」
「いや、でも、なんかさ、『あっ、ヨウだなぁ〜』って感じるんだよ。それこそ、こう感覚的に」
身振り手振りで彼は表現しようとするが、正直全然分からない。
「ああ、まぁ、強いて言うなら、ずっと考え続けているところかな。ずっと、ずっと、ずぅっとね」
「考え続けている?」
「うん、こんなバカで勉強出来なさそうなボケェって顔してんのに」
「おい、テメェ、殺すぞ」
「常に自分の中で自問自答をしているんだ。他の人ならすぐに終わってしまったり、考えもしないようなことをずっと深く考えている。しかも、その内容は決まって他人のこと。自分のことは深く考えないし、どうでもいいって思ってるだろうけど、誰かのことは全力で思考を注いでいる。自分に興味がないってわけじゃないだろうけど、多分ヨウは他人が大事に思えてしまうんだよ」
「他人が大事か。本当にこの俺がそんな風に見えるか?そしたら、お前の目は節穴だぞ」
「うん、そうかもしれない。だって、少なくとも僕にはそう見えるから。だから、いつも言ってるじゃん。ヨウはさ、優しいって。常に相手のことを考えているんだから」
「そうか、それはありがたいな。そう思えてもらえているのなら」
俺は彼の意見には賛同はしたくなかった。俺が優しいとか、そういうのはまじで天変地異並みのものである。
だが、確かに他人のことは気にしてしまう。それは否めない。それは俺がそういう性なのだ。多分、俺は家族とかそういう人が記憶の中にあんまりいないから、そうやって他人に対しての接し方が下手なんだろう。だから、他人のことを常に考えてしまう。必要以上に。
今の俺には彼の意見を否定する
「でもさ、だからこそさ、思うんだよね。優しいから、優しすぎるから、ヨウは自分の行く先を他人に左右されるんだ。自分の意思や願望なんて二の次で、絶対に相手に合わせるんだ、ヨウは。僕はそんなヨウの生き方が気に食わないよ、自分の進む道くらい、自分で行けよって思っちゃうから」
その言葉には怒りというより、むしろ悲しみのような感情が含まれているように思えた。
「……すまん」
なぜ謝っているのだろう。ただ、彼のその双眸に対しての罪悪感が心のどこかにあって、それに俺は口を動かされていた。
彼は俺の謝罪に困り顔を見せる。
「別に、謝れってわけじゃないよ。ただ、もう少し、自分に興味を持ってもいいんじゃないの。自分には価値があって、だからここにいるんだって思ってほしい。少なくとも僕はそれを英霊たちから学んだつもりだよ」
彼のその言葉には力がこもっていた。自信、いや、義務のようなものを背負っているのだろう、彼は。生きるということに関して。脱落していった過去の人間に対しての自分なりの答えを彼は得たんだ。例えそれが涙にまみれながら掴み取ったものだとしても、それは彼のこれからの人生を照らすものとなるだろう。
「ねぇ、ヨウは何を得たの?」
彼の言葉は常に俺の心中の核心を突いてくる。そこはあまり触れたくはなかったのだが。
ああ、しかし、今ここで考えなければ、もう多分一生考えることもないだろう。そしたら、今日までの日々が泡沫となって消えてしまうようなことと一緒である。
考えよう、自分はこの聖杯戦争で何を得たのかを。この人生でもう二度と起きないであろう聖杯戦争で果たして俺はどのように変わったのか。
そして、辿り着いた答えがこれだった。
「……好きな人ができた」
何とも的外れな返答だろう。人生を糧になるような何を得たのかと彼は訊いたのに、その返答はさすがにないなと発言した俺自身も思った。
しかし、彼は嗤わなかった。軽く微笑み返すとこう言った。
「うん、だろうね。セイバーでしょ?分かるって、そんなこと」
予想外の反応だった。もっと驚くのかと思ってはいたのだが、ああ、そうか、そこも見抜かれていたというわけか。
「俺、やっぱ、お前のこと嫌いだわ」
「えっへ?何で?今の流れでそういう風になるかな?」
彼は俺が嫌いと言ったのに落ち込む様子はなく、逆に喜んでいた。捻くれた男である。
捻くれた、いい奴である。
「ありがとうな」
ぼそっと独り言のように呟いた。それは別にたいした言葉ではないのだが、今ここで言わねばならないと感じたのだ。あの時、セイバーに言えなかったような、あんなことだけはもう二度と犯したくないから。だから、今の俺の気持ちを素直に表してみようと思う。
そうだな、この聖杯戦争で学んだことはそんなもんかな。
しかし、セイギは言っている方も聞いている方も恥ずかしくなるような感謝の言葉を鼻で笑った。
「え?どうしたの?気持ち悪い」
「ああ、やっぱ、お前のこと嫌いだわ」
そうだ、彼はこういう奴だったな。上げてから落とすタイプ。
控えめに言って、死んでほしい。
彼は台ふきんを水で軽くゆすぎ、両手でギュッと水を絞り出してテーブルの上を拭き出した。なんか今日の彼の行動は少し変である。いつもなら俺にしろと偉そうに命令するだけの彼が自らテーブルを拭くなどとは。明日は降水確率が低かったが雨でも降るのだろうか。
まぁ、彼も俺と同じく隣にいたアサシンを失ったわけだし、相手のことを考える重要性とかも身に染みてくれたのだろうか。それならばそれでいいのだが。
う〜ん、だがしかし、彼からは少しも悲しいオーラを感じられない。相手のことが大事だと気付いたのなら、少しは悲しそうな姿を見せてもいいのではないだろうか。思えば俺が見た今日の彼は一日中笑顔である。もちろん、その笑顔が優しく素晴らしい笑顔などではないものの、そこに悲しみという感情は混じってなどいなかった。
どうなのであろうか。彼は悲しみを感じているのだろうか。どうして悲しむ様子を俺の目の前で見せないのか。俺にその姿を見せまいと努力でもしているのか、はたまたそもそも胸の痛みを感じないようなクソ野郎なのか。
それが気になってしょうがない。どうも彼の笑顔の存在に違和感しか感じない。
「なぁ、セイギ。お前さ、アサシンがいなくなって悲しくないのか?」
彼はその質問にピタリと身体の動きを一瞬止めたが、またテーブルを拭く動作を続けた。
「う〜ん、そこんとこどうなんだろうね。悲しいのかね、僕は。あんまり、そういう感じはないかな」
その返答は少し意外だった。彼だってアサシンに対して何かしらの想いは抱いていたはずである。それが恋心であれ、信頼であれ、友情であれ、彼と彼女の仲は決して悪くはなかったはずだ。
「あ、でも、やっぱり悲しいかな。だって、僕、アサシンのこと好きだったしね」
「ですよね〜、お前とアサシン、どうせそんな関係だろうなって思ってたよ……」
「あれ?思ってたより食いつきが悪い?もうちょっと話に乗ってくるのかと思ってたんだけど」
「いや、さすがにそこまで突っ込んだ話はやめとこうかと思ってた。傷を抉ったら悪いし」
「お、やっさしー」
「まぁ、天下一の優男だからな」
「あっ、自分で言うのはちょっと、気持ち悪いかな」
「オッケー、夕食代三千円を払ってもらおうか」
「値上がりがひどい」
彼は苦しそうな顔をしながら自分の財布の中を覗き、そこから硬貨を一枚取り出した。
「はい、五百円」
「おい、三千円だぞ」
「大丈夫大丈夫、五百円分の価値しかなかったから」
この男、本当にいつか殺してやろう。
彼は自分の作業が終わると、川の水がが流れていくようにテレビの前のソファにダイブし、そのまま猫のように丸くなった形で寝転がった。
「ああぁ〜、疲れたぁ〜。結構重労働」
「いや、そうでもないけどね。っていうか、お前、他人の家でもよくくつろげるな」
「まぁ、僕の家みたいなものだし」
「ああ、そうですか」
俺も洗い物を終え、自分のズボンで手を拭いた。そして、食器棚から皿を二枚取り出す。その皿をテーブルに置いた。
その時、俺はふと彼を見た。彼はじっと静かに天井の木目を見つめていた。
「ねぇ」
彼は突然話しかけてきた。
「なに?」
「ヨウはさ、寂しい?」
まさか、同じ質問を返されるとは思わなかった。
彼の質問に俺は言葉を詰まらせた。寂しいか。その問いに関する答えはまだ完全に出てはいないからだ。だが、無言のままは俺が嫌だった。だから、苦し紛れに何となく頭に浮かんだ言葉を紡ぎ合わせた。
「……俺は、あいつがいなくても、まぁやってけるし……。だから、寂しいけど、でも言うほどってわけじゃ、ねぇって言うか……なんつーか」
ちぐはぐなまとまりのない答えだった。頭の中で考えていたことをいざ言葉に形を変えるとなるととても難しい。でも、適切な言葉なんて選んでるひまなんてないからとりあえず流れに乗せて話してたら、自分でも言っている意味がよく分からなくなった。っていうか、そもそも彼の質問にちゃんと返せてない。
彼は自然消滅した俺の話に理解を示すように相槌を打ってくれた。そして、「だろうね、そんな感じだろうなって思ってた」と見透かしていたアピールをしてきた。
彼は深く息を吐いた。心の中にある何かつっかえているものを取り払うかのようであった。そして、折り曲げていた足を広げる。ソファからはみ出していた。
「僕は、多分、ヨウとは違うかなー。いや、違うってわけじゃないんだけど……、まぁ、半分違うってところかな」
彼は伸びをする。腕と足先をできるだけ遠くまでピンと伸ばした。
「僕はさ、アサシンがいなくなって寂しいんだけどさ、でも、彼女とお別れできたから。腹は決めたよ。それに、僕はちゃんと言えたからね。彼女に好きだって。だから、少し寂しいけど、それでも頑張れる気がするよ、この平和な日常をね」
彼の口調は実に穏やかだった。その声に荒さはない。悲しみを帯びてはいても、決して絶望は感じられなかった。穏やかだが、意志の力に触れた。
ああ、そうか、彼は受け入れたのだ。受け入れることができたのだ。俺たちが欲していたはずの日常は大事な誰かがいない平和な日常だったのに、それでも彼は涙を飲みながら受け入れたのだ。
彼は後ろを見ることを諦め、大切な人に愛の言葉を囁いて、前へと進むのだ。それは俺とは確かに違う、彼なりの彼らしいことだと思う。
今、彼はソファの背もたれのせいで頭頂部しか見えないが、どんな顔をしているのかは何となく理解できた。
彼は強い、背中の大きな男である。
しかし、彼のことを考えていると、どうも俺と比較してしまう。彼はやりきったのだ、今朝までの聖杯戦争で悔いのないようにやりきった。
そして、俺はそんな彼とは対照的にまだ前へと進めていない。まだ彼女のことを考えてしまう。もう彼女は過去へと帰ったはずなのに、もう会えないのに、それでも考えてしまうのだ。
もしも、あの時、彼女に俺の気持ちを伝えられたのなら、どれほど良かっただろうかと。
苦しい、息苦しいのだ。息を吐いて吸うだけでヤスリで擦られた肺を血をにじませながら無理やりにでも動かさなければならない。歩く足は石のように重く、地球の重力が急に何倍にもなったのではないかと感じるくらいだ。
「ねぇ、ヨウはさ、会いたい?セイバーと」
何を言い出すのかと思えば、そんなことか。
「ああ、会いたい。会って、この不完全燃焼の気持ちを吐き出してやるんだ。好きだって、彼女に伝えたい」
「ハハッ、中々に情熱的ダネ」
「そうじゃねぇと、まじ、俺死ぬわ」
半分冗談、半分は本気。そんな心意気である。
俺は冷蔵庫からセイギが買ってきてくれたケーキの箱を取り出した。
「おい、セイギ。お前、何食う?お前が買ってきたんだから、先にお前が選べよ」
俺はそう言いながらケーキの箱を開けた。中にはショートケーキとショコラケーキが入っていた。
ちなみに、このショコラケーキは結構好みである。表層はチョコ色に染められたスポンジの上に同色のショコラパウダーがまぶしてあり、甘さ控えめの生クリームと刻まれたナッツがスポンジに何重にも渡って挟まれている。一方、ショートケーキは何層にも分かれた卵色のスポンジの層の間に甘く口の中で溶け出す生クリームと赤いルビーのようなカットされたイチゴが顔を覗かせている。そして、表層はスポンジの上に生クリームの白化粧が塗られ、頂上の中央にはショートケーキのシンボルともいうべきイチゴ丸々一個がちょこんと白い座布団の上に座っている。
おお、これは美味そうだ。だが、しかし……。
「え?このチョイス、嫌がらせ?」
彼のケーキのチョイスには疑問があった。そもそも、俺はショートケーキよりショコラケーキ派である。甘ったるい生クリームより軽い生クリームの方が好きなタイプである。しかし、セイギはそもそもショートケーキが食べられない。だって、彼はイチゴが嫌いだから。歯にイチゴの種が挟まるのが気にくわないという理由で彼はイチゴが嫌いなのである。
ということはつまり、俺がショートケーキを食べなければいけないのだ。自分が大好きなショコラケーキを相手に譲って。
もちろん、彼だって俺の好みは知っているはずである。こんな腐れ縁なのだから。
だとしたら、この男、相当タチが悪い。というか、わざとだとしか考えられない。上げて落とすタイプの彼だが、さすがにこれはひどい。
「何?どうしたの?神妙な顔つきで」
彼はニタニタと嫌な笑みを浮かべながら、こっちにやって来た。俺は彼にこのことを話したら、彼はグーサインを堂々と作った。
「うん、僕はケーキいいや、いらない!」
「え?いらない?」
「うん、いらない。僕は食べない。それは、ヨウと彼女の分だよ」
「お前は?食わないの?」
彼は深く頷いた。
「だってお腹いっぱいになってるだろうって見越してケーキは二個にしておいたんだ。僕の分を抜いてね。だから、彼女と食べて」
彼はそう言うと、ポンポンと俺の肩をわざとらしく叩いた。ニヤリとした上から目線のその表情がなんであれ、俺は軽くイラっと感じた。
そして、セイギは食事のときに自分が座っていた席の背もたれにかけていたコートを羽織った。
「ん?どこ行くんだ?」
そんな彼に尋ねると、彼はあっけらかんとした顔で「帰る」と言い出したのだ。俺はそんな彼の行動に困惑を隠せない。
「え?ちょ、それマジ?」
「うん、マジだよ」
「いや、だって、聖杯戦争の反省会みたいなもんだろ?それなのに、飯食って、ケーキを置いてって帰るだけ?」
「そうだよ。まったく、ヨウはマジメなんだから。反省会なんて言ったって所詮そんなもんだよ。まぁ、後に来る彼女はその反省会目当てなんだけどね」
彼がそう俺に説明していざリビングから出ようというとき、インターホンが鳴った。来客の知らせの音を聞くと、彼は呆れたようなため息を吐いた。
「やっと押したよ」
その言葉が何なのか、聞こうと思ったのだが、彼はそれよりも先に玄関へと向かってしまった。俺も彼の後ろをついていこうかと思ったが、ケーキの箱がテーブルの上に出しっぱなしなので、それを冷蔵庫にしまってから見送りぐらいはしようと考えた。
「んじゃ、帰るからねー」
と思ったのだが、セイギのやつ、俺のことを一切待つ気がないらしい。
「おい、お前、少し待てって」
と言ってみたのだが、玄関の扉がガラガラと開いた音がした。
だぁ〜、こんちきしょう。まったく、人を少しくらい待ったっていいだろ。
俺は少し雑にケーキの箱を冷蔵庫に入れて、玄関の方へ向う。外からはセイギの笑い声が聞こえた。
「アハハ、何それ」
結構気兼ねなく話しているようであった。しかし、セイギと雪方は別に旧知の仲というわけではないはずだったはず。俺が知らぬ間にあの二人の仲は良いものとなっていたのだろうか。
靴を履く。かかとを立ったまま直して、軽くトントンと地面に足先を打ち付けた。そして、ガラリと玄関の扉を開ける。
「おい、セイギ、少しは俺のこと、待てよ」
頭をポリポリと掻きながら、彼の行動に呆れ顔でいた。
「おい、お前なぁ……、……え」
だが、すぐに俺の表情は変わった。そして、目の前の光景を見た俺は絶句した。自分の身体の時が止まったかのように、ピタリと動けなくなる。呼吸も止まり、まばたきも忘れた。心臓の鼓動だけが早鐘を打ち、こめかみを通る血管の脈が痛みを生み出し、じわりと目の奥が燃えるような感覚に襲われた。
「その、ヨウ……」
玄関の前でセイギの隣に一人の少女が佇んでいた。両手を腹に置き、人差し指と人差し指で小さな糸車を回すような仕草をしている。出会い頭に俺と目が会ったものの、すぐに気まずそうに顔をそらし、一拍間を置いてから、キュッと唇を引いた。目を深く閉じて、開いた。そして、また俺の方に視線を向ける。
また彼女の目と目が会った。しかも、今度は永く、苦しいくらいに濃密に。
目を奪われ、言葉を失う。何も言えなかった。眼前の状況に俺の頭は完全にフリーズして、まるで自分が真っ白な何もない広い部屋に連れてこられたかのような感覚に陥った。
ただ、どうしてか、俺の口は動いた。言葉は失っているのに、猫が動くものに目を向けてしまうような、蜘蛛が糸で縄張りを示すような、必然的かつ無意識に行うことが俺にも起きてしまった。そこに思考も感情もない、彼女がいるから、俺は呼んだのだ。
「セイバー」
小さな声だった。何気なく鼻歌交じりに口ずさむような声で、俺は姿を見せた彼女の名を呼んだ。
彼女は硬く強張っていた表情を少し緩ませた。目を細く閉じ、少しえくぼをつくる。首を少し曲げ、恥ずかしそうに照れながら、俺より少し大きな声で返事をした。
「はい……」
その彼女の声は俺の足をくじかせた。喜び、安堵、驚嘆、いろんな思いが俺の中で混じり合った。
「なんでいるんだよ……、お前さ」
口から漏れた。色んな思いがかき混ぜられて胸が耐え切れずに潰れそうで、腹の底から湧き上がってくる何かを抑えながら俺はそう尋ねた。
彼女はその言葉に肩をすくめた。
「……私がいてはダメでしたか?」
顔を背きながらも笑顔を作る。そんな彼女の姿は俺の胸にさらに釘を打ち込んだ。
「そんなことない。いや、そうじゃないんだ、そうじゃなくて、何故ここにお前がいる?俺はてっきり、お前が、帰ったのかと思った。過去に、お前がいるべき場所に……」
俺を残して。そんなこと、言えなかった。言えっこない。恥ずかしくて、説明なんてしたくなかった。
彼女は腰につけていた麻袋を手に取った。そして、その袋の中から何かを取り出した。それは鉄がひどく錆びたような色をした汚らしい茶色の破片だった。陶器のようなものの破片だろう。形が丸みを帯びている部分もあれば、尖っているところもある。
「これは聖杯の破片です。私、願いを叶えて、受肉したんですよ。そしたら、この聖杯は使い物にならなくなっちゃったのか、土塊みたいになっちゃいました」
彼女は破片を親指と人指し指の腹で軽くつまみ擦ると破片は簡単に砕け、玄関前の敷石の隙間に落ちた。
俺は彼女の言葉が理解できず、動揺を隠せなかった。
「えっ?どういうことだよ、だって、お前、過去に戻るんじゃなかったのかよ、なんでそんなことに聖杯を使っちまったんだよ。お前、やり直すこと、できたんだぞ?」
俺はこんなことを言いながら、内心自分がいかにめんどくさい男であるかを理解せざるを得なかった。彼女が受肉したのでずっと彼女がこの世界にいるのだということに嬉しくなってもいいと思う。だって俺は彼女が好きなのだから。なのに、なぜ俺はそれを素直に言えないのか。いや、それだけではない。なぜ彼女の行為を批判したのか。彼女が自分で選んだ道で、俺も本来なら嬉しいはずの選択なのに、どうしてこうも腑に落ちないのか。俺はつくづくめんどくさい男である。どうして、今、この場面でそこまで喜びを感じられないのか。
彼女は俺の追求に言葉を濁した。
「それは……、ヨウが……」
また俺の目から視線をそらし、言葉をこもらせた。
「す……、す……」
「す?」
「す……、き、って言ったから」
「ん?ああ。そうだな、言ったな」
確かに言ったな。あれ?いつ言ったんだっけ?あ〜、そういや、なんか言ったね、大声で。朝日を目の前に感動的な告白はいたしましたよ。
ええ、そうでした。言いました、好きだって。
……んんん?あれれ?ちょっと待てよ?なんでそれをセイバーは知っている?いや、だって、そのことは誰にも言ってないし……。
「……え?セイバーさん、つかぬ事をお訊きしますが、まさかあなた、あの時、私の告白を聞いておられました?」
彼女は顔をリンゴのように赤く染めながらゆっくりと首を縦に振った。その瞬間、彼女の顔の火照りが俺にも感染ったかのように、自分の顔もぶわっと火が出るほど熱みを帯びた。その熱は俺の脳の思考回路さえも途切れさせ、状況の理解を遅らせた。
「え、えええ、えっ?なんで、え?聞いてたの?マジで?嘘でしょ?えっ?ガチ?本気、え、は、え?え?」
もうまったく頭が回らない。目の前に百万円が落ちていても手に取れないほどに、もうわけがわからないのだ。そんな中、唯一分かることといえば、今死ぬほど恥ずかしいことと、セイギが横でニタニタとほくそ笑んでいることだ。
動揺と思考、恥ずかしさとセイギに対する苛立ちが混ざりに混ざって、もうとりあえず全てが謎である。認識、知覚、その他諸々の身体の機能が一瞬マジでシャットアウトして、目の前が真っ暗になったのだ。
彼女は事態を理解できない俺に手を差し伸べた。
「あの、実はあの時、私、聞いてたんです。ヨウの本音を」
「は?だって、お前、あの時には、もう消えてたじゃねーか」
「あ、そのことなんですけど、別に消えてたわけじゃないんですよ。隠れてたんです、木の陰に」
え?それはどういうことであろうか。いや、言葉は分かるのだが、意味を飲み込むことができない。一種の拒絶である。
「隠れてた……?」
「あ、はい。その、私がヨウに告白したのに、返事がもらえなくて……それでちょっと悔しかったんです。いや、振るのなら、振ってもらってよかったんです。そうすれば、未練なんてなくなるから。でも、あの時、ヨウは何も言わなかった」
確かにあの時、俺は彼女の告白に対して名言を避けた。好きだとも言っていないし、振ってもいない。ありがとうと感謝の言葉を述べただけに止まっている。
「なので、なんとなくその消化不良気味の気分を楽にしようと、驚かせようと思ったんです。ヨウの驚いた顔を見て、それで終わりにしようと。だから、一度木陰に隠れてヨウの視界から一旦消えて、後ろからウワァッて驚かせようと……。それで、隠れたら……」
俺の好きって言えばよかった発言を聞いてしまったということか。俺は彼女がいなくなったから悲しみとやるせなさのドン底に落ちていたのに、実はあの時、すぐ近くにお前がいたのか。
そうかそうか。
え、待って。それって死ぬほど恥ずかしくない?いや、え、何?なんて言うの?あの、え?マジで?
彼女が近くにいないとばかり思っていた俺がボソッと呟いた恋の告白は彼女に聞かれていただと?
「……死にたい」
「いや、そんなショックを受けることじゃないでしょう!」
「いや、もう、無理だ。ああ、泡になりたい」
もう全てが終わったような感覚に陥る。恥ずかしいとか悔しいとかそんな感情を超えた、もう言葉としては表すことのできない部類の衝撃が俺のガラスのハートを微粒子レベルまで粉砕した。
セイギは深刻な事態に陥った俺を指でさしてまるで王様が物乞いをする憐れな民を蔑むように笑った。
「アッハッハ!ヨウのプライドズタボロだね!かわいそうッ!」
全然かわいそうとか思ってないだろ、こいつって思うような素晴らしい笑顔。その笑顔のセンターにフルパワーで投げた硬式のストレートなボールを当ててやりたい気分である。こいつ絶対にいい死に方をしない奴だ。
しかし、いちいちセイギにかまっていたら、俺のこの大切な感動の再会の場面がただのコメディな一面になってしまう。それは気分的に避けたい。もっと互いに涙を流しながら、会いたかったよ、ジュリエット……、私もあなたに会いたかったわ、ロミオ……みたいなシーンがいい。
が、しかし、俺のこの計画を阻止しかねない面倒な奴がもう一人いた。
「でも、別に悲しむことはないですよ。ほら、だって私たち、そ、相思相愛じゃないですか」
何言ってんだこいつ、浮かれやがって。俺がどれだけ悲しみに暮れたと思ってんだ。はっ倒すぞ。
「まったく、お前らは分かってねぇなぁ。あれだよ、感動的な再会にしようぜ!」
「十分感動的じゃないですか」
「違う!これじゃ、なんか質素!」
「なんか、ヨウ、おかしくなっちゃいました。いつもならめんどくさいとか言っているのに」
「確かにめんどくさいけど、やるときゃやるんだよ!分かってねぇな!ってか、何で俺がこんな思いしなきゃならねぇんだ?もっと、いい気持ちにさせてくれよ!俺に恥ずかしさとか抱かせるな!」
「ヨウらしくていいと思いますよ」
「いや、こんなの俺じゃない。断じてクールな俺なんかじゃない」
「ヨウはクールなんかじゃ……」
「お前は黙っとれ」
俺は自分の足先にかかるくらい大きなため息を吐いた。この二人には悩まされる。まったく俺ってなんてかわいそうな奴なのか。
俺は視線を彼女が持っている使用済みの聖杯の袋に移した。
「なぁ、お前、本当に受肉したのか?過去に戻らなくて良かったのか?」
どうしてもこれだけは訊いておきたかった。彼女がどれだけ俺のことを恋しく思ってくれていようと、本来の彼女にとって居場所はここではない。それは多分彼女にとって辛い運命となってしまうかもしれない。それを承知の上で彼女は今を生きるのかと、尋ねた。
彼女はその質問に思わずどぎまぎとしたが、彼女の根底にあるものは重いようで、今のは愚問であったと悟らせるような雰囲気を放った。
「はい、私は確かに受肉しました。それに私は後悔なんてしてません。それはもちろん、ヨウとまだ一緒にいたかったっていう理由もあるんですけど、それよりももっと大事なことを思ったから、私は受肉しました。それは、本当に過去に戻っていいのかなってことです」
「何だ?過去に戻るのが怖くなったのか?」
「そういうわけじゃないんです。その、過去を直すことって本当にしていいことなんでしょうか。私自身、ずっとそのことを考えてました。それは過去を改変することの是非などではなく、私が私を否定していいのかと思ったからなんです」
過去を改変する。彼女は不運という運命の流れに揉みくちゃにされた英霊だ。だから、彼女は不運からの脱却を掲げるが、だがやはりそれは自身の否定であると捉えることもできる。あの時のことをなかったことに、あの場所であんなことが起こればいいのに、などという希望で過去を変えることは、その者が今まで歩んできた過去を駄作と見做し、価値が劣るものだとしているのと同義である。
「私、それが少し嫌だなって感じたんです。まあ、以前の私ならそんな些細なことに気なんか止めることなんてなかったんですけど、今の私はそんなことしたくないんです。確かに私の生前はあまり良いものではなかった。今でもあの時の哀しみは思い出したくありません」
彼女は力強く握りこぶしを作る。
「それでも、私はこの人生が価値のないものだとは一切思いません。嫌なことに何度も出会った。でも、それ以上に色々な人に出会った。そして、教えてくれた。ヨウの母親のようだった人が、私を陰から見守ってくれていた人が、私に聖杯をくれた人が、意味をくれた、このモノクロなつまらない苦痛に満ち溢れた世界に彩りをくれた。笑顔は温かい、愛は苦しい、憎むことは必然でかわいそうで、許すことは相手だけではなく自分も救うのだと知りました。今の私は幸せです。地獄のような過去があっても、それを遥かに上回る素晴らしい今がある。なので、私は自分を否定することを諦めました」
笑いかけてきた。
「そして、そんな原因を生み出したのはあなた、ヨウなんです。あなたに出会えたから、私は変わった」
ああ、彼女は変わった。大いに変わったとも。誰も信じない彼女は信じれる人になった。過去を許せなかった彼女は許せる人になった。疑う目をしていた彼女は柔らかい目に変わった。振るう剣は眩い銀の光を描き、地を踏む足の裏は力強く、その闘志は、その心意気はまさに人々から讃えられし英雄だ。可憐で精悍な戦乙女とはこのことか。
彼女はにこりと歯を見せ笑う。
「だから、私はあなたを好きになったのです」
照れを隠すための笑顔はやはり太陽のように眩しい。じわりと胸が焼けるようである。全身を巡る血が熱湯なのではないかと思えるほど、指の先までヒリヒリと痛み、煮えたぎるような感覚がした。
俺はそんな彼女の顔を見るのが少しつらくなったので、くるりと体の向きを変えて、家の中へ向かう。
「えええっ?ちょっとどこ行くんですか?」
彼女の恥ずかしい言葉に対し、何も返答がなかったので、彼女は若干興奮気味に俺を呼び止めた。
「あ?家の中に入るんだよ、さみぃ」
「えっ……?あ、はい」
彼女は何が理解できなかったのか、声を一瞬漏らしたが、その声を飲み込み、か細い声で返事をした。
そして、彼女の足音は聞こえない。
どうしたものかと、俺は振り返る。彼女は両手でスカートを少し強く握り、俯いていた。
「あの、私は……」
何が言いたいのか、なんとなくだが分かった。彼女の性格上、その言葉の次に出る言葉を察した。
俺も俺だが、彼女も彼女である。二人して性格がめんどくさい。
「どうした、ほら、入るぞ」
俺は彼女に家の中へ入るよう催促する。すると、彼女は驚喜した。望外な結果に小躍りをするようなウキウキとした心持ちを顔全面に表す。
「はい!」
いつにも増して黄色い声だ。冬の夜空の下で水と油くらい合わないくらい喜びと希望に満ち溢れた彼女の存在が光り輝く。
彼女は軽やかな足音をたて、アヒルの子のように俺の後ろをついてきた。俺もその音を聞いて、止まることを知らない湧き水がドバッと腹の底から湧いてくるような感覚を受けた。まだ二十歳にもなっていない俺が言うのもどうかと思うが、これが幸せというものなのだと自然と感じた。
俺は家に入る一歩手前で立ち止まった。そして、横にいるセイギに一言「ありがとう、な」と言った。彼はその言葉に首を傾げる。
「僕は別に何にもしてないよ」
俺はその言葉にもう何にも返答しなかった。いや、言おうと思えば言えるのだが、それはきっと彼を傷つけてしまうから。俺はただ感謝の弁だけを述べるだけにしておく。これ以降はもう触れないようにしよう。
俺とは正反対の彼の心に。
彼はそのまま特に何を言うこともなく、家から去って行った。別れの言葉以外は無言だった彼の背中は妙に丸く、そして小さく見えた。歩幅は短く、彼を取り巻く空気は自然と重い。
ただ、俺はそんな彼に本当に感謝していた。彼がいたから俺はここに来れたのだから。
「ありがとう」
彼に聞こえぬ程度の声で呟いて、そして俺も彼に背を向けた。それが俺にできる精一杯の礼だった。
俺は家の中に入り、靴を脱いだ。俺より先に中に入った彼女はくるりと身体を舞うように回り、スカートをひらめかせた。
「お前、めっちゃ笑顔だな。そんな嬉しそうでなによりだよ」
靴を玄関の隅に寄せ、彼女の横を通り過ぎた。彼女はそんな俺の顔を下から覗いた。
「そういうヨウこそ、嬉しそうじゃないですか」
そう言われると、そうであろうかと気になってしまう。じかに自分の頬を触り、下に下げ、上に持ち上げて、確かめてみる。
そして、自分も笑っていたことに気付いた。なので、俺ももう一度彼女に白い歯を見せつけた。
「ああ、めっちゃ嬉しいわ」
彼女も俺に負けじとよりえくぼを深くする。その笑顔は何よりも代え難い、世界中でここにしかない唯一の美しい煌びやかな宝石のようで、俺は純粋に守りたいと感じた。
そして、同時に、これから始まる恙無い日常を大切にしようと誓った。
俺が好きな彼女との日々が一番愛すべきものだと知ったから。
「な、セイバー」
「え……?」
彼女は一瞬、理解に苦しんだようだが、すぐにまた浮かれた顔に戻った。
「ハイッ!」
子供の歓声のように軽く明るい声が家の中で響いた。
「あっ、そういや、ケーキあるぞ」
「いいいやったぁぁぁっ!」
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
ここに太陽はない。しかし、雲のない空は明るく、そして同時に暗い。矛盾する二つの事象が同時に空に現れていた。
川のせせらぎが安穏とした雰囲気を醸し出す。白い靄が水面を覆うように立ち込め、そこを突っ切るように乾いた風がふわりと荒野の方から通り抜ける。その風を邪魔するかのように対岸の岩石が地中から肌を晒していた。
「今回の聖杯戦争もやはり失敗だったようだな」
細長い刀を手にしている男は岩石に腰を下ろしながら、反対側にいるぼろぼろのアロハシャツを着たゴツい男に声をかけた。
ゴツい男は風呂にここ何十年も入っていないようなボサボサの髪にぶっとい指を突っ込んで、頭皮を掻きむしる。
「まぁ、そんなこととっくに我は予想できていたがな。バカなことをするものだ、まったく、こんなことをする意味などないのにな」
荒野の方の岸にいる汚らしい男は地べたに尻をつけてあぐらをかいた。手に持っていたお
「おいおい、酒を飲むような状況か?やめてくれないか、今はそんな気分じゃないんだ、酔っ払いの相手はしたくないからな」
「なんだ?我は酒に強いぞ。酔うものか、何年酒を飲み続けていると思っているのか?そうだ、お前も飲むか?」
「飲まん。それどころじゃない、これから、また次の世界ではどうなるのか。分かったもんじゃないからな。そうだろう?離反者、スサノオよ」
刀を携えた男は酒を飲む男にその名で呼んだ。酒の男は若干頬が緩んでいるようで、自然に笑みを作りながら機嫌よく答えた。
「おうっ!我こそが、スサノオよぉっ!」
もう完璧酔っている。たったお猪口一杯で彼は軽くできあがっている。
「おいおい、もう酔ったのか?まったく、私の下戸はスサノオ譲りか……」
彼は手のひらを額に当て、落胆する。
「おい、スサノオ!お前、私に話をするためにここに来たのだろう?来て早々酔っ払うとか、さすが三神の中で一番どうしようもないやつだな!おい、酔いから覚めろ」
「だいじょうぶ、おきてる」
ダメだ、もう顔が赤い。リンゴのようである。
正気な方の男は深くため息をついた。
「はぁ、どうしていつも私だけがこんな大変な目に合うんだ。まったく、こいつのことは置いておくか。どうせ、いつか起きるだろう」
彼は立ち上がった。そして、スサノオの後ろにある何やらガラス窓が割れたような、空間の切れ間を見つめる。
「ヨウはうまく帰れただろうか。帰れても、何かひどい目にあってないだろうか。ああ、心配だ、無事であればいいが……」
彼はぶつぶつと独り言を呟く。川の瀬音を念仏のようにつらつらと思考を口から吐き出して邪魔する。
「というか、そもそもヨウはなぜこんなところに来た?日和か?あいつの仕業か?いや、だがあいつは今頃……」
「おい、
「お前は加害者側だからな!まったく、お前たちのせいで、俺たち家族はどうなってしまったことか。酔っている暇があるなら、この現状をなんとかしてくれ」
「おい、我は加害者ではないぞ。こうなることを止めもしたし、なんとかしようと思ってもいる。だが、できぬからここにいるのだろう」
スサノオの言葉にひどく落胆した。しかし、それを内心薄々分かりきっている彼はすぐに別の話題に変えた。
「なぁ、前の聖杯戦争はどうだったんだ?まだ記憶が曖昧なんだ」
結局現在やれることのない彼はまた岩の上に腰を下ろす。
スサノオはちらりと横目で彼を見たあと、また酒に視線を戻した。
「なんだ、そんなことを訊くのか。そうさなぁ、まぁ、簡単に言ってしまえば、今回より酷かった。大海、今回の戦いはここから見ていたから知っているだろう?前回は今回よりも圧倒的に酷かった。とりあえず、お前の愛すべき息子はすぐに死んだ。前回は今回とは別のサーヴァントを呼び出したからな。そのサーヴァントと反りが合わず、殺されたのだ」
「……そうか、それは残念だ」
彼は特にその話に動揺は見せなかった。そして、そのことに彼自身、自分の感覚が巡り巡る中で鈍ってきていることに悔しく思いながらも実感せざるを得なかった。
「まぁ、だから、ツクヨミは今回ヨウのサーヴァントを変えたらしいな。ヨウが殺されないようにするために」
「はぁ、神様はサーヴァントを変えることもできるんだな」
「まぁ、ツクヨミはこの聖杯戦争の管理者だからな。できるとも。それに、ヨウが死んでもらっては元も子もないだろう。何よりこの聖杯戦争はヨウのための聖杯戦争だからな」
スサノオのその言葉に彼は鼻で笑った。
「何がヨウのためだ。あいつが辛い思いをするだけじゃないか」
自身の腕を力強く掴んだ。抑えきれない憎しみや怒りが溢れ出す。自分たちの運命さえも指を動かすように簡単に弄る神という存在に。
「ああ、そういえば、ツクヨミが何か言っていたな。聖杯戦争のキャスターだけ、どうも弄ることができないらしい」
「それは召還のことか?」
「ああ、ツクヨミはキャスターを別のサーヴァントで召還させようと何度もやってみたらしいが、てんでダメだそうだ。いやぁ、神に抗う力があるのか分からんが、中々に面白いこともあるじゃないか」
「そんなことが可能なのか?」
「さぁ、そこまで詳しくは知らん。ただ、期待はしない方がいい。キャスターはこの聖杯戦争の趣旨に気付いているのだろうが、そいつは特に邪魔はしないそうだ。どんな目的があるのかは謎だがな」
「……神に抗う力か」
「なんだ、良い案でも思いついたのか?」
「いや、そういうわけじゃないが……」
彼は今ふと頭の中に思いついた策を熟慮した。そして、その案に僅かながら一筋の光が射していることを悟ると、スサノオに説明をした。
「ということだ。どうだ?いけそうか?」
スサノオはその説明に決まりの悪い顔をした。
「それではヨウもお前も辛かろう?それにそれはただの逃げでしかない」
「……まぁ、そうだな。それはこの地獄を終わらせる決定打ではない。だが、止めることはできる。あとはその間に何か他の策を考えるんだ」
スサノオはその案に承諾の意を示した。男は少しだけ気が楽になった。
そして、彼は刀を鞘からゆっくりと引き抜いた。銀色の鈍い光がギラついた。
「あの子を守れるのなら、私はやるとも。鬼にでも、何にでもなれるつもりだ」
そう呟くと、その言葉を手のひらで覆い、胸に傷跡をつけるように刻み込んだ。
それは男の、愛する家族を守るための静かな覚悟であった。
え〜、これで第一ルート完結でございます。
いや、長かったです。はい、本当だったら一年半くらいで終わらせるはずが、ずるずるとここまで伸びてしまいました。
あ〜、でも、まだ実は終わりじゃないんです。まぁ、もうちょっとだけ、書ききれてないことがあるので、少しだけこの後書きスペースを借りて、第一ルートの締めくくりの物語を載せておきます。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
黒々とした空が頭上を覆っている。所々に開いている星という名の穴が光を放っているが、そんな微々たる光では夜の足元は照らしきれない。町の街灯の地面に映し出された光を縫うように彼は歩いていた。
「あ〜、二人とも嬉しそうだったな。セイバー、すごく笑ってたし、ヨウは……まぁ、あんな顔だけど内心喜んでるでしょ。まぁ、そんなんじゃなかったらぶっ飛ばしもんだね」
暗い夜道でぶつぶつと独り言を呟いていた。聖杯戦争は終わり、夜の織丘市にもちらほらと魔術師でない人が外にいるが、やはりこの時間に人がそう多くいるわけもない。たまに通り過ぎる人がいるだけだった。
「いいな、ヨウは。結局、最後はいつもヨウは僕よりも良いようになるんだ」
彼は過去を思い返した。今まで、腐れ縁のヨウが隣にいつもいた。ヨウはよくセイギのことを頭がいい、機転の回る奴だと褒めるが、セイギはそのことをあまり快く思っていなかった。
ヨウはセイギが自分よりも上だと考えているようだが、セイギにとってみればその構図は逆である。運動神経はヨウがいい、コミュニケーション能力もヨウの方がいい、料理を含む家事全般だってヨウの方がすごいし、現実を受け入れるのもセイギより早く、何より人当たりが良く、なんだかんだヨウの方が優しいのだ。勝てるといえば勉強と魔術のことくらいだろう。といっても、魔術はヨウがその土俵に立っていないし、勉強はセイギが何か一つくらいはヨウに勝っていたいという思いでやっているだけであり、彼の才能ではない。
自分は人としても、男としても、魔術師としてもちっぽけな存在であると彼はしかと実感した。
そして、自分よりもいつも良い結果になるヨウに恨みを抱いた、ということを自分で認めた。
彼は情けない自分を嘆いた。それは自分のせいなのか、運命のせいなのか、どちらが悪いのか分からないが、とりあえずこの行き場のない怒りをそっと胸の内にしまいこみながら。
彼はふと立ち止まる。そして、後ろを振り向いた。しかし、そこには誰もいない。夜の道が続いているだけである。
それは当然のことではある。そう、そうなのだが、彼はそれを確認すると、俯いた。萎れた花のようである。
そして、また家路へと向かう。一人で、静かな夜の道である。隣に並ぶ者はおらず、街灯の光によりできる影は一体のみ。黒々とした影のみができる。
そしてまた立ち止まった。今度は自身の左の胸ぐらを右手で掴んだ。力強く、服が皺くちゃになるくらいに、感情を押しつぶそうとした。彼の爪が皮の細胞の配列を搔き乱し、肌に血が滲む。
だが、それでも抑えきれない感情が湧き上がってくる。それは喘ぎ声となり、嗚咽となり、涙となる。
ああ、ダメである。泣かないと決めたのに。アサシンが彼の目の前から消え、もう涙は流さないと心に誓ったはずなのだ。
だが、そんな誓いを無視して、ぽろぽろと雫が滴るのだ。そして、そんなことになっている自分を情けなく思い、悔しさが増す。
そして、彼は走り出した。歯を食いしばり、上を向く。空に浮かぶ星々の放つ光は柔らかく解け、淡い光でふわりと照らす。
一人で、ただ夜道を走る。それが失恋による悲しみでも、ましてや聖杯を得られなかったという悔しさでもない。
ヨウと自分は違うのだと、そう考えてしまう自分が憎く思えた。そして、そう考えさせる現実を恨んだ。
好きだった、愛している。そんな気持ちを持つこと自体、魔術師には不要でなもの、なのに、それを持ってしまった。魔術師は人ではない、なのに、彼は人と同じことをしてしまった。
人としても、魔術師としてもあまりにも未熟だ。
それはセイギに恨みを持つ達斗よりも、魔術師として功を成していないヨウよりも。この聖杯戦争で自分の弱さをとことん知った。
だから、今はせめて好きにさせてほしかった。魔術師でない、人の自分がそう願っている。この心にたまった膿を吐き出したい。
「クソッ、クソッ、クソォォォォッ!」
声を出した。夜の閑静な街中に響き、家の中にいる人が何事かと窓から顔を出すくらいに、走りながら、泣きながら、大声で叫んだ。
人の目なんて気にしない、なるべく冷静さを保っていた自分を解き放つ。心の赴くままに、冬の風を突っ切るのだ。走るのが辛くなっても、吐きそうになっても、走る。
そうじゃないと、本当に彼の胸が潰れてしまいそうだった。
そして、走りながらあの時の、過去の何気ない喜びを噛みしめた。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
ということで、これで本当に終わりでございます。
はい、セイギくんのアサシンがいなくなった後ですね。まぁ、彼はこの物語ではヨウくんよりも主人公っぽく書いたつもりですからね。まぁ、なんでこんなにセイギくんのことを厚く書いたのかは訊かないでくださいね。
さぁ、ここら辺でそろそろ終わらせておきましょう。もう2100文字を上回っておりますゆえ。
え〜、この第一ルートをここまで読んでくださった方々、どうもありがとうございました。第二ルートは来年の三月ごろぐらいには出したいなと思います。ちなみに、この第一ルートが思ったより長すぎて、この第一ルートにそのまま第二ルートを付け足すと、スクロールが大変になりそうなので、別の小説として出します。
あっ、ちなみに、第二ルートの題名は
『fate/eternal rising【the eyes】』です!
……え?eternal rising?putrid grailじゃねぇのか?
はい、そうなんです!題名、もう一度変えます!
いや、ほんとすいません。やっぱ、話にputrid grailって題名は合わないなと思ってしまいまして……。
いや、ほんと、マジすいません。変えます、題名変えます。
え〜、ということで、この第一ルートの題名は年明けに変えますので、お間違えのないように。
では、新しい題名も報告しましたので、この後書きは終わりです。
長い間一緒第一ルートを読んでくださった皆さん、ありがとうございます。ぜひ、第二ルートを期待して待っていてください。
FIN←これ一度やってみたかった。