アルドノア・ゼロ──旭日のカタフラクト   作:グロウラー

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act24 火星の皇女の決意

 

 

「伊奈帆さん」

 

《わだつみ》の飛行甲板で海を眺めていた“セラム”が突然声色を変えて伊奈帆に話しかけてきた。無言で隣にいた伊奈帆は彼女の気配が変わったことに敏感に勘づき、心持ち身構える。

 

「はい」

 

「……私がこの戦争の火種になりました。鞠戸さんの言う通りです。私が来なければ暗殺は起きなかった。そうすればこの戦争も、人々が不条理に苛まれることも……」

 

 セラムは心底後悔するように、自らの行いを否定するように口にする。伊奈帆は咄嗟に「それは違います」と、セラムの言葉を遮った。

 

 セラムはそれでも不安そうに伊奈帆を見返す。

 

「戦争を起こそうとした人間がいて戦争が起きる状態にあった。セラムさんは利用されただけです」

 

「ですが、私にはこの戦争の火種となった責任があります。このまま《わだつみ》が日本の艦隊から離れれば真実を明らかにするのに、更なる時間を要するでしょう」

 

 伊奈帆はじっとセラムを見た。彼女の目の中には固まった断固とした決意があった。彼女は決めたのだ。

 

「篠原さんとユキさんを呼んでください。私の正体をこの艦隊の責任者に明らかにします」

 

「……危険ですよ」

 

「リスクは負わねばなりません」

 

 “アセイラム”は立ち上がった。伊奈帆は彼女が自分の手の届かない遠い存在になってしまうのではないかという不安が急速に込み上げてくるのを感じた。

 

 *

 

《わだつみ》艦橋では、志願して予備兵士補として任官した少年少女の航海訓練が行われていた。兵士としての訓練も何も受けていない彼らは被服交付を受けて、すでに顔写真やその他情報も整理され、仮の身分証明書も用意されていた。

 

 敬礼動作などの基本的な教練動作の軽い教育が終わった途端、下士官クラスの高度な技術に関する訓練を行っている。なかなか無茶だなとLOとしてブリッジのイスをただ温める秋山は思った。

 

 前を進む《しらね》と単縦陣を組んで航行していたが、元学生の中には学校ですでに航海訓練などまで行ってきた者もいるらしい。日本は一体どうなってるんだと心のなかで嘆く。学生は学生に相応しい勉強がある。軍務は大人の仕事だ。大人の都合に振り回される学生たちが気の毒でしょうがない。

 

「すみません。代わってもらってもいいですか」

 

 制服のサイズが無く、自衛隊のOD色の作業服を着た少女、ニーナ・クラインが装舵士に尋ねている。小柄で小動物を思わせる挙動。軍用艦のブリッジには相応しくない。

 

 金髪とその幼い顔立ちが手伝ってOD色の作業服がまるで無骨に似合っていなかった。ショルダーループを通して見習いの腕章をつけるまでもない。

 

「気合い十分じゃないか」

 

 連合軍の装舵士は快く代わり、笑顔を見せている。

 

「早く慣れたくて」

 

 はにかみながら応える健気な少女を秋山は見守った。

 

「接岸の成績は?」

 

 その問いにニーナは答えにくそうに視線を逸らす。

 

「え、Aマイナス……です……」

 

「入港は側で見ていよう。それと髪はシニヨンにするか、一本にまとめた方が良い」

 

「あ、はい。すみません。ありがとうございます」

 

 その顔には恥じらいと同時に残念そうな色が出ている。今の髪型を気に入っているのだろう。

 

「連合軍の制服はないんですか?」

 

 同じくOD色の作業服を着た少年が聞いた。志願して予備兵士補として任官した者の中でも何名かには制服が行き届いておらず、自衛隊からの融通を受けていた。

 

「数が足りなくてね。次の港で補充できるといいのだが」

 

 操舵士は困ったように肩を竦める。 

 

「でも、どうして種子島へ?」と若い兵士が不見咲に問う。

 

「敵の情報が不確かな今、侵略となりそうな地域は避けたい。種子島はヘヴンズフォールで地形が変わるほど甚大な被害を被った地域だ。今も民間人は住んでいない」

 

「火星人がわざわざ侵略しそうなところじゃないってことですか」

 

 秋山はブリッジの風防越しにまだ見えぬ種子島を想像した。火星と地球の戦争、火星軍が地球に降下し、地球連合軍が初めて交戦した地域だ。当時の記録は残っていないが、戦史として自衛隊には語り継がれ、防衛大学校にいた頃に硫黄島と共に研修も行った。

 

 地球連合政府の調査名目で立ち入り禁止エリアは多かったが、現代戦の中でも最も苛烈な地球連合軍の機甲部隊が壊滅した激戦地の様相は今も脳裏に焼き付いている。月の欠片の直撃だけではない。ことごとく破壊された戦車の残骸を目の当たりにした地球はカタフラクトに主力兵器の主軸を移し始めたのだ。

 

「……少し遅れているようね」

 

 艦長に代わって指揮を執っている不見咲が言った。《しらね》との距離を目測で測っていたらしい。

 

「は、はい!」

 

 ニーナは慌てて眼鏡を使って《しらね》との距離を測る。

 

「本艦は遅れています。黒二○(フタマル)!」

 

「黒二○、よーそろー」

 

 乗員が復唱する。黒は増速の意で、数字はエンジンの回転数のことだ。

 

「まぁ、まだ訓練が必要ですね」

 

 不見咲は表情を変えないのでかなり冷たく感じる声だ。強張るニーナの顔を見て、少し気の毒に感じた。

 

 *

 

 篠原は与えられた部屋で今後の作戦計画をまとめていた。装備や燃料・弾薬などの消耗品なども考えながら戦わなくてはならない。もし第五護衛隊群から離れてロシアを目指すとなるとその限られた物資をやりくりしながら戦わなくてはならない。弾薬使用統制や一作戦当たりで使用する推進剤などについても計画を立てておく。またただ《わだつみ》に乗ってノヴォスタリスクを目指すわけにもいかない。訓練を行いつつ即応態勢を維持しなくてはならず、そのシフトについても考えなくてはならなかった。

 

 頭が煮詰まっているように働かず、篠原は休憩がてら持ち込んだ私物の音楽プレイヤーで音楽を流した。ジャズバンドが篠原のお気に入りだった。何気なく普段聞いている曲を選んでいて唐突に死んだらもう音楽を楽しむことも出来ないのかと思うと急に恐ろしくなった。

 

 死だけは万人に平等に訪れる。機械のような冷静さで戦い慣れしたように行動できる界塚伊奈帆もまだ高校生だ。アセイラムと話していた姿の方が年相応の姿であり、銃を取り、国のために、地球のために戦う責任を果たす年齢ではない。大人のせいで大人の尻拭いをさせられている。その事を恥じない大人が多すぎる。

 

 死を恐れていては判断が鈍る。彼らを守るためにもまだ死ぬわけにはいかないし、死を恐れている暇はない。

 

 篠原は一度ラップトップを閉じると伸びをして部屋を出た。

 

 ラウンジに向かって歩くと艦内を民間人の少年少女が笑い声を上げて駆け回っていた。追いかけっこでもして遊んでいるらしい。子供はいつも無邪気だ。

 

「こら待てそっちに行ってはいかん!待て!」

 

 その少年少女を追って飛び出してきた人物に篠原は目を見張った。脇に少年を抱えた紺色の作業服姿のユニスが必死に子供を追いかけている。

 

 脇目も振らずに子供を追うユニスに、ついアセイラム姫はどうしたんだと問いたくなったが、篠原は敢えて見送るとラウンジに入った。ラウンジには数人の民間人の他、アセイラムとその侍女エデルリッゾ、そして伊奈帆、ユキ、韻子がいて、篠原が入ってくるのを認めた軍人サイドの三人がすかさず敬礼する。習いたての敬礼に篠原は無駄のない所作で答礼した。

 

「ちょうど良いところに」

 

 ユキが少し緊張した顔付きで篠原に駆け寄る。

 

「アセイラム姫殿下から話があるそうです」

 

「……分かりました。場所を移りましょう。韻子ちゃんも?」

 

「彼女に人払いを頼みます」

 

「分かりました」

 

 篠原はアセイラムの顔を見た。まだ幼いその顔立ちはいつになく真剣な表情で固まっている。目の奥の座った瞳を見て篠原は何となく悟った。

 

 そこへ子供たちと共にユニスが入ってくる。疲れきった顔をしたユニスに篠原は苦笑した。

 

「お疲れ様、ユニス」

 

 アセイラムが声をかけるとユニスは一瞬で表情を引き締めて「はっ」と生真面目な返事をする。

 

「エデルリッゾ、次はお前だからな」

 

「私は姫さ……セラムお姉ちゃんのそばから離れられませんので」

 

 エデルリッゾは韻子や他の民間人を意識して途中で言い方を変えたが、これはそのうちぼろが出るぞと篠原は後頭部をかいた。

 

「げっ、なんでお前がここにいるんだ」

 

 そこで篠原の存在にようやく気が付いたユニスがあからさまな顔をする。

 

「げっ、とはなんだ。それにしてもずいぶん楽しそうだな」

 

「わ、私は遊んでなどいない!」

 

 半分顔を赤らめて強がるユニスに篠原は苦笑する。

 

「いいから行くぞ」

 

「行くってどこに?」

 

 ユニスは怪訝そうな顔で聞き返してきた。

 

「お前、聞いてないのか」

 

 篠原が呆れるとアセイラムがユニスを手招きした。耳打ちされたユニスはすぐさま表情を変える。

 

「……分かりました」

 

 短いやり取りのあと、一同はいつも使う空き部屋に向かう。部屋の外で韻子が見張りについた。一同は真剣な顔で向かい合う。アセイラムがまず口を開いた。

 

「私は正体を明らかにして、地球軍に保護を求めます」

 

「本当によろしいのですね」

 

 篠原が念押しするとユニスも緊張した顔でアセイラムを見つめた。

 

「はい。宣戦布告が成された今、危険は承知ですが、それこそただちにこの戦争を止めなくてはなりません」

 

「では指揮系統を通じて報告させて頂きます」

 

「自衛隊に火星のスパイがいる可能性は排除できないのだろう?大丈夫なのか」

 

 ユニスがぶっきらぼうに聞いた。

 

「それを言い出してもキリがない。エデルリッゾさんも姫殿下の侍女として正体を明かそう。だが、ユニスは地球人として姫殿下を密かに警護した方がいいな」

 

「何故だ」

 

「君は火星騎士だろう。こちらの法制上、ユニスは捕虜として扱わねばならない」

 

「そうか……」

 

「君の身分は守住三曹がでっち上げ済みだ。書類上、スウェーデン出身で元北欧軍所属ということにしておいた。通信回線がダウンしている今、確認しようがないからしばらくは大丈夫だろう。姫殿下の正体は今の今まで誰も知らなかったということにする」

 

「辻褄合わせの話は良い。問題は姫殿下の安全と今後のことだ」

 

 ユニスは苛立ったように言った。

 

「とにかくなるべく正体を知る人間は限定された方が良いだろう。内密にことを進めるつもりだ。恐らく北海道の旭川基地に向かうことになるだろう。北海道は日本最後の砦だ。旭川なら長距離通信設備も整っている。安全なはずだ」

 

 北海道のほぼ中央に位置する旭川は、ヘヴンズ・フォールのあと、陸海空自衛隊共同の基地が新設され、陸自北部方面隊の司令部や、空自北部航空方面隊の司令部が移転し、地下シェルターで運用されている。さらに同施設内に内閣府非常事態危機管理センターが設けられており、札幌に次いで政府機能の移転候補地となっていた。

 

 早期警戒レーダーや多数の地対空ミサイル(SAM)サイトに守られ、基地内には空自の戦闘機部隊や高射部隊の他、戦車・歩行戦闘車(カタフラクト)等を運用する機甲科部隊、戦闘ヘリコプターを運用する対戦車ヘリコプター隊、機械化普通科部隊、高射特科部隊が駐屯している。

 

 自衛隊内ではフォート・アサヒカワ等と呼ばれており、日本一安全な基地と呼んでも過言ではない、まさに要塞(フォート)だった。

 

「そちらの都合で構いません。どうかお願いします」

 

 アセイラムが篠原を真っ直ぐ見つめて言うとユニスも口をつぐんだ。

 

「こちらこそ、そのご英断を無駄にしないよう全力を尽くします」

 

 篠原は敬礼すると部屋を出た。

 

 *

 

《あつみ》に乗り込む小林隊長には民間人の一人から接触を受けた、当人は火星ヴァース帝国第一皇女、アセイラム・ヴァース・アリューシアを名乗っており、艦隊の責任者、つまるところ護衛隊群司令との会談を希望していると要約して伝えた。

 

 その話を聞いた小林は直ちに群司令と共に《わだつみ》に向かうと連絡し、無線を切った。同時にマグバレッジ艦長にも同様の説明を行う。必要最低限のマグバレッジと副長の不見咲だけに打ち明けると二人はやはり動揺した。

 

「まさか火星の皇女がこの艦に乗っていたなんて……」

 

「当人は地球人に紛れた火星のスパイを警戒しています。秘密裏の対応を」

 

「分かりました。会談は士官室で。信頼のおける人員に警護させましょう」

 

「こちらからも出します」

 

 そんな会話をしていると海自のCV-22Jオスプレイ多目的輸送機が《あかぎ》を飛び立ち、《あつみ》に着艦して人員を乗せてから《わだつみ》に向かってきた。篠原はマグバレッジと共に飛行甲板に出てそれを出迎える。

 

《わだつみ》に着艦したCV-22Jから降りてきたのは予想通り、第五護衛隊群司令の管原海将補、そして第3戦術機甲大隊長である小林一佐だ。

 

 マグバレッジがダウンウォッシュに叩かれ、髪を乱しながら敬礼して乗艦を許可する。艦に置いては階級に関わらず、艦長がトップだ。他にも四名の隊員がオスプレイから降りてくるが、こちらは顔をバラクラバで覆って完全武装した陸自隊員だ。

 

「彼らは?」

 

 その自衛隊内でも異質な存在に思わず篠原は彼らの背中を見送ってから尋ねた。

 

「マリーンレコンズ」

 

 小林が短く答えた。水陸機動団の偵察大隊の中でも特に優れた情報小隊の偵察隊員だ、89式小銃ではなく、船内でも取り回しやすいHK416Dカービン銃を携行して立つ彼らは油断なく周囲に目を走らせている。

 

「こちらです」

 

《わだつみ》の乗員たちは完全武装した特殊部隊員を連れて乗り込んできた自衛官たちに戸惑っていた。

 

 士官室に管原たちを案内した篠原はマグバレッジを残し、その足でアセイラムを呼びに向かう。それにマリーン・レコンズの隊員が付き従った。無言の目配せだけで彼らは動き、有無を言わせない迫力があった。お陰で通路に連合軍の兵士や民間人が顔を覗かせることはなかった。

 

 私服姿のままのアセイラムが士官室に入ってくると一同が起立して待っていた。レコンズ隊員がドアを閉めて通路で見張りに立った。

 

「こちらです」

 

 小林一佐がイスを引く。しかしアセイラムは座らずに全員の顔を見渡した。

 

「初めまして。私がヴァース帝国第一皇女、アセイラム・ヴァース・アリューシアです」

 

 言うや否や変装のホログラフィックが解かれる。光と共にアセイラムが本来の姿となって一同の前に現れる。隣の小林が光を見て咄嗟に身構え、息を飲むのが伝わってきた。

 

「第五護衛隊群司令の管原です、アセイラム姫殿下に置かれましてご無事で何よりでした」

 

 管原が席に着くのを勧めて話始めた。

 

「どういった経緯があって《わだつみ》に乗り込んでいたのか気になりますが、その話は後に。今はとにかく姫殿下の存命をヴァース帝国政府の方へ連絡することを優先したいのですね?」

 

「はい。この戦争を終わらせなくてはいけません」

 

「帝国政府にとってこの戦争がどのような幕引きでも構わないのですか」

 

 アセイラムは管原の顔をじっと見つめた。

 

「どういう意味でしょうか」

 

「この戦争を終わらせると言っても、一方的な宣戦布告から始まったこの戦争、恐らく地球連合政府は納得しません。地球からのヴァース帝国軍の撤退だけでなく、今回地球側が被った被害の賠償なども要求される可能性があります」

 

「管原司令、それはあなたが心配する話ですか?」

 

 アセイラムは管原を睨んだ。

 

「今優先すべきは私の存命を皇帝に伝え、地球に対する攻撃を中止させることにあるはずです。無辜の市民の犠牲を食い止めるためにも」

 

「差し出がましいことを失礼しました」

 

 管原が頭を下げる。

 

「いえ。とにかく迅速に、月面基地と連絡の取れる設備の整った場所へ」

 

「はい。正直、制空権は失っており、もっとも速い空路での移動は無理です。艦隊の補給も必要なため、種子島基地へ寄港し、補給を受けたのち、再び太平洋側に針路を取り、函館基地を目指します」

 

 管原が説明する。

 

「その間のアセイラム姫殿下の座乗艦はこのまま《わだつみ》で。護衛を乗艦させ、目立たぬように警護させます。ご安心を」

 

「分かりました。よろしくお願いします」

 

 アセイラムが今度は頭を下げる。その時突然、頭上から警告のアラート音が降ってきた。

 

『対水上、対空戦闘用意!艦載機発進準備急げ!』

 

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